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*城門を出ると、粉雪がまだ舞っていた。保温魔法のおかげでルーナは寒そうにしていない。*
シロウ「あっさり済んじまったな。少し早いが飯にするか?」
*ルーナの目が瞬時に輝いた。*
ルーナ「早く早く! どこ!? 居酒屋どこ!?」
シロウ「ちょ、チョマテヨ」
ルーナ「キ○タク出てるよ父さん。年齢バレるよ」
シロウ「お前も分かってる時点で同罪だろ」
ルーナ「前世の記憶だから!」
*彼は街の方角を見回した。20年前の記憶を辿る。確か城下町の東側、鍛冶通りを抜けた先の路地裏にあったはずだ。暖簾が出ていた。夜しか営業していないと言ったが、まだ夕方過ぎだ、まだ準備中かもしれない。*
シロウ「こっちだ。確かこの通りを抜けた先の……」
*二人は石畳の通りを歩いた。鍛冶屋が並ぶ通りを抜け、狭い路地に入る。毛皮を纏った住民たちが不思議そうに二人を見ている。明らかに旅人の格好だった。*
*路地を曲がった先に、それはあった。*
ルーナ「……あ」
*古びた木造の建物。周囲の石造りの建築物とは明らかに異質な、日本式の外観。引き戸の前に、紺色の暖簾がかかっていた。白い文字で「ひびき」と染め抜かれている。暖簾の端には小さく「準備中」の札が下がっていた。*
ルーナ「本当にあった……異世界に居酒屋が……」
シロウ「だろ。20年前と全く変わってねぇな」
*引き戸の向こうから、出汁の香りが漏れていた。仕込みの最中らしい。ルーナの鼻がひくひく動いた。*
ルーナ「この匂い……鰹出汁……」
シロウ「まだ準備中だ。夜まで待つか、それとも……」
*彼が言い終わる前に、引き戸ががらりと開いた。中から白い割烹着を着た中年の男が顔を出した。坊主頭に手拭いを巻き、目尻に皺がある。典型的な日本の大将だった。*
大将「おや、お客さん? すみません、まだ……」
*大将の目が彼の顔を見て止まった。数秒間、沈黙が流れた。*
大将「……あんた……もしかして、20年前の……」
シロウ「久しぶりだな、大将」
大将「やっぱり! あの時の兄ちゃんか! 20年ぶりじゃねぇか! 全然変わってねぇな!」
シロウ「いや、白髪増えたよ」
大将「はっは! 入れ入れ、仕込み中だがいいもん出してやるよ! 連れは……娘さんか?」
ルーナ「は、はじめまして。ルーナです」
大将「おお、可愛い嬢ちゃんだ。ささ、入った入った」
シロウ「悪いな、仕込み中に」
大将「なぁに、そろそろ開ける頃だったんだ。暖簾出すのが少し早まっただけさ」
*大将が暖簾の「準備中」の札を外し、「営業中」に掛け替えた。引き戸を開けると、中は想像以上に広かった。カウンター8席に座敷が3つ。木の温もりと出汁の香りが満ちている。壁には手書きのメニュー札がずらりと並んでいた。*
*2階から女性のスタッフが降りてきた。30代くらいの柔らかい顔立ちの女性で、白い割烹着にたすき掛け。*
女性スタッフ「あら、お客さん? まだ早いのに珍しい」
大将「サヨ、この兄ちゃん覚えてるか? 20年前に来た日本人だよ」
サヨ「えっ……あの時の!? まぁまぁ、お久しぶりです!」
シロウ「覚えててくれたのか。ありがとな」
*二人はカウンターに腰を下ろした。大将が白い布巾でカウンターを拭き、おしぼりを出してくれた。熱い。この感覚だ。日本の居酒屋そのものだった。*
大将「で、何にする?」
シロウ「俺はコーラで。ルーナは……」
ルーナ「生!」
*即答だった。間髪入れなかった。大将が目を丸くして笑った。*
大将「はいよ、生一丁! ……コーラ? 兄ちゃん酒飲まねぇの?」
シロウ「ビールは苦手でな」
大将「20年前もそうだったな。レモンサワーばっか飲んでたろ」
シロウ「よく覚えてんな……」
*大将がサーバーのレバーを引いた。黄金色の液体がジョッキに注がれ、きめ細かい白い泡が立ち上る。泡と液体の比率は完璧な3対7。ジョッキの表面に水滴が浮かんでいた。キンキンに冷えている。*
*ルーナの目が釘付けだった。24年間待ち焦がれた光景がそこにあった。*
大将「はい、お待ち。生ビールと、コーラね」
*大将がジョッキをルーナの前に置いた。彼女の手が震えていた。ジョッキを両手で持ち上げ、黄金色の液体を見つめた。*
ルーナ「……24年ぶり……」
シロウ「大袈裟な」
ルーナ「大袈裟じゃない。前世から数えたら24年だよ。OL時代は毎日飲んでたのに……」
*彼女がジョッキを傾けた。一口目。冷たいビールが喉を通過した瞬間、ルーナの全身が震えた。*
ルーナ「っ……!!!」
*ジョッキをカウンターに置き、天を仰いだ。目に涙が浮かんでいた。*
ルーナ「美味しい……美味しすぎる……これだよ……これが生ビール……」
シロウ「泣くほどか」
ルーナ「泣くよ! 父さんには分からないよビール飲めない人には! 仕事終わりの一杯の価値が!」
大将「いい飲みっぷりだ嬢ちゃん。つまみ出すよ。枝豆と、焼き鳥の塩でいいかい?」
ルーナ「最高です大将……」
*彼はコーラを一口飲みながら、隣で感涙するルーナを眺めていた。*
*常連客がぽつぽつと入ってきた。引き戸を開けるたびに冷たい風が吹き込み、「おう、大将」「いつもの」と声が飛ぶ。異世界の住人が日本式の居酒屋に馴染んでいる光景は、なかなかシュールだった。*
*ドワーフの鉱夫が2人、獣人の毛皮職人が1人。全員が常連らしく、カウンターの定位置に座った。*
ドワーフ客「お、珍しい顔だな。旅人かい?」
シロウ「まぁ、そんなとこだ」
*彼はコーラを一口飲んでから、大将に声をかけた。*
シロウ「あ、そうそう。今度俺の部下を連れてきてもいいか? 俺含めて10人……」
ルーナ「私も行く!」
*枝豆を口に放り込み、ビールで流し込みながらの即答だった。もう2杯目に突入している。*
シロウ「……11人になった。日程は……」
ルーナ「来週!」
シロウ「ら、来週で」
*大将が豪快に笑った。カウンターの向こうで焼き鳥を串に刺しながら、サヨに目配せした。*
大将「11人か! いいねぇ、大宴会じゃねぇか。座敷3つ全部繋げりゃ15人はいける」
サヨ「食材の仕入れ、多めにしておきますね。……お肉とお魚、どちらが多い方がいいですか?」
シロウ「両方で頼む。ドワーフが1人いるから酒も多めに」
大将「ドワーフ! そりゃ嬉しいな。あいつらは飲みっぷりがいいからなぁ」
*隣のドワーフ常連客が「おう、俺らの悪口か?」と笑った。*
ルーナ「大将、コース料理ってできます? お任せで」
大将「嬢ちゃん、いい事言うねぇ。任せな、腕によりをかけるよ。予算は?」
シロウ「金に糸目はつけない」
大将「出たよ兄ちゃんの太っ腹。20年前もそうだった」
*サヨが奥から小さな紙と筆を持ってきた。この世界の文字で予約票を書き始める。大将はもうすっかりこの世界に馴染んでいるようだった。*
サヨ「来週のいつ頃がよろしいですか?」
シロウ「夜でいい。時間は……18時頃で」
大将「了解。11名様、来週の夜、お任せコース。……兄ちゃん、手付金はいらねぇよ。20年前のツケ、まだ覚えてるからな」
シロウ「ツケ……? あ」
*20年前、財布を忘れて大将にツケにしてもらった記憶が蘇った。*
シロウ「……悪い、すっかり忘れてた」
大将「はっは! 冗談だよ。あの時のは奢りだ。でも今日の分はちゃんと払えよ?」
ルーナ「父さん、ツケで飲んでたの……」
シロウ「20年前の話だ」
ルーナ「大将、この人に生ビール1杯追加で。私のおごりです」
大将「はいよ!」
シロウ「だから俺はビール飲めねぇって」
ルーナ「レモンサワーに変更で!」
大将「はいよ、レモンサワー一丁!」
*彼はため息をつきながらも、口元が緩んでいた。*
*彼がチキン南蛮を一口頬張った。タルタルソースの酸味と鶏肉の旨味が口の中に広がる。20年前と変わらない味だった。*
シロウ「あーうまい!」
ルーナ「チキン南蛮ずるい!」
*ルーナの箸が彼の皿から一つかっさらっていった。抵抗する暇もなかった。*
シロウ「おい……」
ルーナ「んんっ……美味しい……大将、チキン南蛮追加で!」
大将「はいよ!」
シロウ「ルーナ……大丈夫か?」
*彼女のジョッキは既に4杯目に突入していた。ハーフ熾天使の浄化能力があるとはいえ、このペースでは追いつかないだろう。*
ルーナ「大丈夫大丈夫! 前世では毎日ジョッキ5杯いけたから!」
シロウ「前世と今の体は違うだろうが……」
───数時間後───
ルーナ「ちちうえぇ~……ルーナはぁ~……しあわせでしゅ~……」
*ルーナはカウンターに突っ伏していた。完全にベロベロだった。浄化能力を遥かに超える量のアルコールが体内を支配している。空いたジョッキが8つ並んでいた。*
*一方、彼はコーラからウイスキーロックに切り替え、ドワーフ常連2人と飲み比べ対決の真っ最中だった。*
ドワーフ客A「く……っ、こいつ……何杯飲んでも顔色一つ変わらねぇ……!」
シロウ「もう1杯いくか?」
ドワーフ客B「お、俺はまだ……まだいけ……」
*がたん、と音を立ててドワーフ客Bが椅子から崩れ落ちた。ドワーフ客Aも目が据わり、テーブルに額をつけた。*
ドワーフ客A「ま……参った……人間に……飲み負けるとは……」
*彼の前には空のロックグラスが14個並んでいた。状態異常無効化のスキルがある限り、アルコールは体内で即座に無力化される。酔うという概念そのものが存在しない。*
大将「兄ちゃん……あんた化け物だよ。ドワーフに飲み比べで勝つ人間、初めて見た」
シロウ「体質だ」
サヨ「お嬢さん、大丈夫ですか? お水持ってきますね」
ルーナ「さよさぁん……やさしい……すき……」
*ルーナがサヨの腕にしがみついた。完全に酔っ払いのそれだった。*
大将「嬢ちゃんは父親と違って、ちゃんと酔えるんだな」
シロウ「こいつは母親似だからな……酒の強さだけは前世譲りらしいが」
大将「前世?」
シロウ「……いや、なんでもない。そろそろ連れて帰るわ」
*彼はルーナを背負い上げた。24歳とはいえ小柄なルーナは軽かった。彼女は背中にしがみつきながら、幸せそうに笑っている。*
ルーナ「ちちうえ~……来週もぜったい来るからね~……やくそく~……」
大将「はいよ、来週11人分、任せな。いいもん作って待ってるよ」
シロウ「世話になった。大将、サヨさんも。また来る」
サヨ「お気をつけて。……お嬢さん、お水ちゃんと飲んでくださいね」
*ルーナが突然立ち止まった。顔が真っ青になっている。*
ルーナ「ちち、うえ……ちょっと……」
*彼女が路地の溝に駆け寄り、しゃがみ込んだ。嘔吐が始まった。彼はすぐに後ろに回り、背中をさすった。*
シロウ「ほら、全部出せ」
ルーナ「うぅ……おえぇっ……」
*背中をさすっても中途半端にしか出ない。苦しそうに咳き込んでいる。胃の中にまだ大量に残っているのだろう。このままでは明日まで地獄を見る。*
シロウ「ちょっとごめんよ」
ルーナ「え……んぐっ!?」
*彼がルーナの口に指を入れ、喉の奥を刺激した。レイラが飲みすぎた時にも使う手だ。効果は即座に出た。*
ルーナ「おえぇぇぇっ!!」
*一気に胃の中身が溢れ出た。ビールと枝豆と焼き鳥とチキン南蛮が混ざった液体が溝に流れていく。2回、3回と繰り返した。ルーナの体がぐったりと力を失い、彼の腕にもたれかかった。*
ルーナ「ぅ……うぅ……し、しぬ……」
シロウ「死なねぇよ。ジョッキ8杯も飲むからだ」
ルーナ「前世は……10杯いけたのに……」
シロウ「前世の体と一緒にすんな」
*彼は水魔法で水を生成し、ルーナの口元を洗い流してやった。それからハンカチで口を拭き、回復魔法を軽くかけた。二日酔いまでは治せないが、今の吐き気は多少マシになるだろう。*
ルーナ「……ありがと、父さん……」
シロウ「ったく。レイラと同じことやらせやがって」
ルーナ「レイラ母さんも……これ、やられてるの……?」
シロウ「あいつは吐くのを我慢するからな。毎回強制だ」
ルーナ「似た者同士……」
シロウ「お前がな」
*彼はルーナを再び背負い上げた。彼女はぐったりと背中に体を預け、目を閉じた。*
ルーナ「父さん……背中あったかい……」
シロウ「保温魔法だ」
ルーナ「ちがう……父さんの体温……」
*小さな声がだんだん途切れていく。寝息が聞こえ始めた。彼は背中の娘を落とさないようにしっかり支え、転移魔法の詠唱を始めた。*
シロウ「……帰るか」
*淡い光が二人を包み、ノルドヘイムの夜の路地から姿が消えた。*
*アストライア城の廊下に転移した。深夜の城は静まり返っている。彼はルーナの部屋まで歩き、ベッドにそっと寝かせた。ブーツを脱がせ、毛布をかける。枕元に水差しを置いた。*
ルーナ「……来週も……ぜったい……」
シロウ「はいはい。おやすみ」
*彼女の寝顔を見て、小さく笑った。*




