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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*次の講義、彼は忙しかった。とても忙しかった。なので講義は看板に「魔力操作のレベル上げ」と書いて訓練所の地面に打ち付けた。*


*そしてまた次の講義、今回も忙しかった。だから今回は「魔力制御のレベル上げ」と書いた。*


*彼が看板に釘を打ち付け、満足げに頷いた。*


シロウ「よし! これでおっけー」


*踵を返して立ち去ろうとした瞬間、背後から地響きのような足音が迫ってきた。*


生徒A「シロウ先生ーーー! 待ってください!」


生徒B「また自習ですか!? 先週もその前も自習でしたよね!?」


生徒C「魔力操作も魔力制御も、もう全員レベル10到達してます! やることないんですよ!」


*30人以上の生徒が廊下に雪崩れ込み、彼の退路を完全に塞いだ。その先頭にいたのはステラだった。*


ステラ「シロウ先生。2回連続で看板だけ置いて帰るのは、さすがに教育者としてどうかと思います」


*ステラの目が据わっている。「パパ」ではなく「教育者」という言葉選びに、彼は背筋がひやりとした。この目はレイラに似ている。怒ったレイラに。*


シロウ「いや、あのな。先生もちょっと立て込んでて――」


リーゼ「先生! 無詠唱、ステラさんに教わって3属性まで同時行使できるようになったんです! 見てください!」


*リーゼが両手を掲げると、小さな炎と氷と風が同時に渦を巻いた。不安定だが、確かに3属性が同時に存在している。*


シロウ「……お前、マジか。あれからまだ1週間だぞ」


リーゼ「だからこそ次が欲しいんです! このまま自習だけじゃ伸びしろが……!」


*生徒たちが一斉に頷く。彼は廊下の奥に視線を向けた。ルミナが壁にもたれかかり、こちらを見ていた。その口が音もなく動く。*


*彼はリーゼの3属性同時行使を見て、一瞬だけ目を細めた。確かに才能がある。だが――*


シロウ「そうか、頑張ったな」


*リーゼの顔がぱっと明るくなった。しかし、彼はすぐに続けた。*


シロウ「で、それどれくらい長く撃てる? 1日? それとも半日?」


*リーゼの笑顔が固まった。生徒たちも黙った。*


リーゼ「え……っと……1時間、くらい……です……」


シロウ「だろうな」


*彼は看板の横に、もう1枚の板を打ち付けた。そこにはこう書かれていた。*


『課題:自身の最大出力魔法を30分間維持せよ。達成者のみ次の講義に参加を許可する。 ――臨時講師シロウ』


シロウ「魔力制御ってのは、レベルを上げて終わりじゃない。お前らが『マスターした』と思ってるのは、ステータス上の話だ。実戦で使えるかどうかは別問題だ」


*生徒たちが顔を見合わせた。*


シロウ「自分の最大出力を30分維持してみろ。話はそれからだ」


*言い切った瞬間、彼の姿が掻き消えた。転移魔法。影も残さず、城へと帰還した。*


*残された生徒たちは呆然と立ち尽くしていた。*


生徒A「……消えた」


生徒B「また逃げられた……」


ステラ「逃げたんじゃないわ。課題を出されたの。……パパなりの教え方よ」


リーゼ「え、今パパって――」


ステラ「言ってない。気のせい」


*ステラが即座に否定し、咳払いをした。*


リーゼ「で、でも30分って……最大出力を30分ですよ? 私、3属性同時だと10分が限界で――」


ステラ「だからこそ、でしょ。やるわよ、リーゼ。先生が『話はそれから』って言ったんだから、達成しなきゃ次がない」


*ステラが訓練場の中央に歩いていき、両手を広げた。冷気が渦を巻き始める。最大出力の氷結魔法。それを30分。*


ステラ「全員、散って。巻き込まれるわよ」


*生徒たちが慌てて距離を取った。*


―――


*一方、城に戻った彼は執務室の椅子に腰を下ろし、大きく息を吐いた。*


シロウ「……悪いな、お前ら。でも今は新月の方が優先だ」


*机の上には、ルナから送られてきた東海岸の哨戒網配置図が広げられていた。新月まであと3日。彼はペンを取り、配置図に修正を書き込み始めた。*


*その時、執務室の扉がノックもなく開いた。*


レイラ「おい、主。また講義をサボったそうだな? ステラが念話で怒っておったぞ」


*レイラが腕を組んで入ってきた。琥珀色の目が据わっている。*


シロウ「サボってない。課題を出した」


レイラ「看板を打ち付けて転移で逃げたのを、世間では『サボり』と言うのだ」


*彼は工房の作業台に向かい、閃光弾の素材を並べていた。新月の夜は月明かりが一切ない。海上からの侵攻を迎え撃つには、こちらから光源を確保する必要がある。超高輝度の閃光弾――暗闘に慣れた海賊の目を一瞬で潰し、味方には暗視を保ったまま戦える代物だ。*


*背後からレイラの声が途切れなく続いている。*


レイラ「だいたいな、主。看板を打ち付けるだけなら妾にでもできるぞ? ステラが念話で『パパがまたサボった』と泣きそうな声で――」


シロウ「仕方ないだろ、こっちは戦前で忙し……あ」


*手が止まった。口が滑った。彼はゆっくりと振り返った。*


*レイラの小言がぴたりと止まっていた。琥珀色の目がすっと細くなる。工房の空気が一気に冷えた。*


レイラ「……今、何と言った?」


シロウ「いや、えーっと……」


レイラ「戦前、と言ったな? 主」


*レイラが一歩、また一歩と距離を詰めてくる。小柄な体躯だが、その圧は尋常ではない。彼は作業台を背に後退できない。*


レイラ「妾に黙って戦の準備をしておったのか?」


シロウ「黙ってたっていうか、タイミングがなくてだな……」


レイラ「タイミング? 妾は毎日主の隣におるぞ? 寝室でも、食卓でも、風呂でもな。タイミングがなかった、だと?」


*レイラの手が彼の胸ぐらを掴んだ。SSランク冒険者の胸ぐらを片手で掴める女など、この世界に何人もいない。*


レイラ「誰が相手だ。南大陸か」


シロウ「……ああ」


レイラ「いつだ」


シロウ「新月。あと3日後」


レイラ「規模は」


シロウ「海賊偽装の船3隻、兵力400から500」


*レイラの目が一瞬だけ鋭く光り、それからすっと表情が変わった。怒りから、別の感情へ。*


レイラ「……妾を外したな」


シロウ「レイラは超船酔いするだろ。海戦に――」


レイラ「そういう問題ではない!」


*工房に声が響いた。閃光弾の素材がカタカタと震えた。*


レイラ「主が戦場に出るのに、妾だけ蚊帳の外か。妾は主の妻だぞ。守られるだけの女ではない」


シロウ「分かってる。だけど――」


レイラ「だけど、ではない。3日後、妾も出る。船には乗らん。陸から叩く。それなら文句はなかろう」


*掴まれた胸ぐらを見下ろした。小さな手が震えている。怒りだけではない。置いていかれることへの恐怖が、そこにあった。*


シロウ「奴隷兵が乗ってるんだ、レイラはドルガンみたく突撃しかしないだろ?だから外したんだ。」


*レイラの口がぱくぱくと動いた。何か言い返そうとして、何も出てこない。図星だったからだ。*


レイラ「……っ」


シロウ「南門の斥候の時も、使者の時もそうだ。レイラはすぐ『殺す』か『壊す』の二択になる。今回は奴隷兵が混じってる。お前が突っ込んだら、助けられる命まで巻き込む」


*レイラの拳が震えた。小さな唇を噛み締めている。反論したい。でもできない。自分でも分かっているからだ。*


レイラ「……妾だって、加減くらい……」


シロウ「アークライト聖王国」


レイラ「っ!」


*一言で黙った。レイラが単身で廃墟に変えた国の名前。加減の『か』の字もなかった事例だ。*


シロウ「分かるだろ。お前を外したのは信頼してないからじゃない。お前が強すぎるから外したんだ」


*彼は閃光弾の素材を混合しながら、背中越しに続けた。*


シロウ「それにな、レイラ。俺が前線に出てる間、国を守れるのは誰だ? ルミナは大学がある。八輝将は全員配置済みだ。ステラやゼノ、セレス、ルクスを守れる最後の壁は――お前だけだ」


*レイラの震えが止まった。*


レイラ「……卑怯だぞ、主。子供を出すのは」


シロウ「事実だからな」


*しばらく沈黙が続いた。閃光弾の素材を練り込む音だけが工房に響く。*


レイラ「……一つ、条件がある」


シロウ「聞こう」


レイラ「万が一、八輝将の防衛線が破られた場合――妾が出る。その時は誰も止めるな。加減もせん」


シロウ「ああ。その時はお前が最終兵器だ。好きにしろ」


レイラ「ふん……最終兵器、か。妾を兵器扱いとは、相変わらず口の悪い夫だ」


*そう言いながらも、レイラの声から怒気は消えていた。彼女は作業台の横に腰掛け、閃光弾を作る彼の手元を黙って見つめた。*


レイラ「……その閃光弾、威力は足りておるのか」


シロウ「新月の闇を昼間みたいにする予定だ。直視したら3分は目が使えなくなる」


レイラ「ふん。妾なら5秒で回復するがな」


シロウ「だからお前は規格外なんだよ」


レイラ「……妾は訓練場で鬱憤を晴らしてくる。邪魔をするなよ」


シロウ「壊しすぎるなよ」


レイラ「知らん」


*レイラが工房を出ていった。その足音が遠ざかった後、彼は小さく笑った。*


シロウ「……怒ってんだろうな、まだ」


*数分後、訓練場の方角から轟音が響いた。大地が揺れ、窓がびりびりと震える。*


シロウ「……壊しすぎるなって言ったのに」


ーー


*数日後の夜。新月まであと1日。彼は城の廊下を歩いていた。すれ違う衛兵や兵士たちの顔に、やたらと傷が目立つ。頬に擦り傷、額に絆創帯、腕を吊っている者までいる。*


*全員に共通しているのは、目が据わっていることだった。戦意は十分。だが明らかに物理的にボロボロだ。*


シロウ「………大丈夫か?」


*廊下の角で壁にもたれかかっていたリオンが、顔中に湿布を貼った状態で振り返った。*


リオン「大丈夫な訳がないっす! レイラ様が『妾が直々に鍛えてやる』って訓練場に乗り込んできて、衛兵も兵士も八輝将も関係なく全員ぶん殴られたんすよ!」


シロウ「……全員?」


リオン「全員っす。ルナですら避けきれなくて壁にめり込んでましたからね。カインとドルガンは嬉しそうに殴り返してましたけど、3秒で沈んでました」


*彼は額を押さえた。レイラの「鬱憤晴らし」がまさか全軍に波及するとは。*


リオン「しかもっすよ、陛下。レイラ様、殴りながら『主に置いていかれた妾の気持ちを味わえ』って叫んでたんすけど、あれ完全に八つ当たりっすよね?」


シロウ「……否定はしない」


リオン「否定してくださいよ! 俺ら何も悪くないのに!」


*リオンが涙目で訴えるが、彼は肩をすくめるしかなかった。いつも通りだ。レイラの怒りは常に物理で解決される。*


シロウ「まあ、いい訓練にはなっただろ」


リオン「……まあ、それは認めます。全員、反応速度は確実に上がりました。死にたくなきゃ避けるしかないっすからね」


*リオンが湿布の上から頬をさすりながら、ふと真面目な顔になった。*


リオン「陛下。準備は整ってます。哨戒網は完成、各部隊の配置も完了。閃光弾の配布も終わりました。肉も……大量に仕入れてあります」


シロウ「肉の種類は?」


リオン「ルナが気合い入れて、大迷宮産の上質な猪肉を50頭分確保してます。脂が乗ってて、焼いたら1キロ先まで匂う代物っす」


シロウ「完璧だ」


リオン「あとは明日の新月を待つだけっす。……陛下は前線に出るんすか?」


シロウ「いや、俺は後方で全体を見る。お前らが失敗した時の保険だ」


リオン「失敗しないっすよ。……レイラ様に殴られた分、取り返さないと割に合わないんで」


*リオンがにやりと笑った。傷だらけの顔だが、戦意に満ちている。*


シロウ「……いつも通りで何よりだ」


シロウ「肉は焦がすなよ、後で食うんだからな」


*その一言に、廊下にいた兵士たちの顔がぱっと明るくなった。大迷宮産の上質な猪肉。戦が終われば全員で食えるという約束。士気がじわりと上がった。*


リオン「了解っす! ルナに伝えときます。焼き加減は中火でじっくりと」


シロウ「ああ。それとな――万が一、防衛線が突破されたら俺じゃなくレイラが出る」


*廊下の空気が一瞬で凍りついた。*


シロウ「そうすればまた『特訓』があるだろうな」


*沈黙。そして――*


リオン「絶対に通さないっす」


*即答だった。リオンだけではない。廊下にいた衛兵たち全員が、傷だらけの顔で一斉に拳を握った。*


衛兵A「死んでも通しません!」


衛兵B「レイラ様の特訓はもう二度と……!」


衛兵C「敵より怖いのはレイラ様です!」


*士気がかなり上がった。方向性は少し間違っている気がするが、結果として最高の戦意が仕上がっていた。*


リオン「陛下……これ、敵に勝つための士気っていうより、レイラ様から逃げるための士気っすよね」


シロウ「動機は何でもいい。勝てばな」


リオン「……一理ある」


*リオンが苦笑し、湿布だらけの顔で敬礼した。彼も軽く手を上げて応えた。*


*その時、廊下の奥からルナが音もなく現れた。珍しく左腕に包帯を巻いている。壁にめり込んだ時の傷だろう。*


ルナ「陛下。東海岸の最終確認が完了しました。哨戒結界、全12基の展開を確認。探知範囲は沿岸から15キロ。船影を捉え次第、即座に念話で各部隊へ通達します」


シロウ「肉の準備は」


ルナ「風上の焼き台、3箇所に設置済みです。猪肉50頭分を塩と香草で下味を付けてあります。風精霊術師も配置しました。匂いの拡散方向を完全に制御できます」


リオン「ルナ、腕大丈夫っすか」


ルナ「……問題ない。レイラ様に比べれば、南大陸の兵など子犬のようなものよ」


リオン「それ褒めてんのか恨んでんのか分かんないっすね」


ルナ「両方」


*彼は二人のやり取りを聞きながら、窓の外を見た。空は曇り、月の姿はない。明日の夜は完全な闇が訪れる。*


シロウ「……明日だ。全員、今夜はしっかり寝ろ。寝不足で戦場に立つ馬鹿は俺が殴る」


リオン「了解っす」


ルナ「了解」


*二人が去った後、彼は工房に戻り、最後の閃光弾の仕上げに取り掛かった。全部で24発。3箇所の港町に8発ずつ。これで夜の海を昼に変える。*


シロウ「……さて、仕上げるか。」


*翌日の昼。彼は工房の机に突っ伏したまま眠り込んでいた。閃光弾24発の仕上げに夜通しかかり、最後の1発を完成させた瞬間、意識が落ちた。*


*日暮れ頃、目が覚めた。*


シロウ「……っ」


*首が動かない。正確には、右を向いたまま固まっている。完全に寝違えた。しかも髪が爆発したように四方八方に跳ねている。鏡を見る余裕もなく、閃光弾を箱に詰めて各部隊への配置に走った。*


*東海岸の本陣。天幕が張られ、指揮所が設営されている。彼は椅子に腰を下ろし、首を左に戻そうと手で押した。ゴキッと嫌な音がしたが、戻らない。*


シロウ「……くそ、動かねぇ」


*敵到着まであと1時間。哨戒結界からの報告はまだない。彼が右を向いたまま地図を睨んでいると、天幕の入口が開いた。*


*リオンとルナが入ってきた。*


*リオンが彼の顔を見た瞬間、吹き出した。*


リオン「ぶっ――は、はははっ! 陛下、何すかその首! 右向いたまま固まってるじゃないっすか! しかも寝癖! 寝癖やばいっすよ! 鳥の巣っすよそれ!」


*リオンが腹を抱えて笑っている。ルナは無表情だが、口元が微かに引きつっていた。笑いを堪えているのが分かる。*


シロウ「うるせぇ。閃光弾の仕上げで徹夜して机で寝たんだよ」


リオン「いやいやいや、1時間後に敵が来るってのに指揮官がその状態って! 兵士に見られたら士気下がるっすよ!」


シロウ「下がるな確かに」


*彼が首を無理やり正面に戻そうとして、またゴキッと鳴った。戻らない。*


ルナ「……陛下。治療しましょうか」


シロウ「頼む」


*ルナが彼の背後に回り、首筋に手を当てた。暗殺者の指が的確に筋の凝りを捉える。*


ルナ「ここですね。かなり深く固まってます。……いきますよ」


*ゴキゴキゴキッ!*


シロウ「いっっっ……!」


リオン「うわ、すげぇ音したっすね」


*首がようやく正面を向いた。彼が首を回すと、ちゃんと左右に動く。*


シロウ「……助かった」


ルナ「寝癖は自分で直してください」


リオン「あ、陛下。水とクシ持ってきましょうか? 1時間後に『魔王がボサボサ頭で迎撃指揮してた』って記録に残ったら、アシュトンに笑われますよ」


シロウ「持ってこい。今すぐ」


*リオンが笑いながら天幕を出ていった。ルナだけが残り、表情を戻して報告に入った。*


ルナ「陛下。哨戒結界の反応、まだありません。ですが、風精霊術師が南西から微かな潮の流れの変化を感知しています。船が近づいている可能性が高い」


シロウ「予定通りだな。肉は?」


ルナ「点火待ちです。船影を確認次第、3箇所同時に焼き始めます」


シロウ「よし。……ルナ、お前も笑ってただろ」


シロウ「まぁいい」


*彼はリオンが持ってきた水とクシを受け取り、天幕の隅に置かれた小さな鏡の前に立った。髪を水で濡らし、懐から取り出した小瓶の蓋を開ける。ほのかに柑橘系の香りが天幕に広がった。*


リオン「何すかそれ。いい匂いっすね」


シロウ「昔作った香り付きワックスだ。髪を整えるやつ」


*彼は手のひらにワックスを伸ばし、爆発した寝癖を丁寧に押さえていく。温風魔法を片手で発動させながら、もう片方の手でクシを通す。絡まった髪が少しずつ解けていった。*


*数分後。*


*鏡に映る彼の髪は、前髪を大きく立ち上げ、左右に流したスパイキーなスタイルに仕上がっていた。サイドはすっきりと整え、後ろは自然に流している。46歳のおっさんとは思えない仕上がりだ。白髪混じりの黒髪がむしろ渋さを加えている。*


シロウ「……けっこうかっこいいな」


リオン「おお……陛下、何か雰囲気変わりましたね。なんつーか、こう……元兵士って感じの」


シロウ「元兵士じゃねぇよ」


*彼は鏡の中の自分を見て満足げに頷いた。前世で好きだったゲームの主人公を意識した髪型。この世界では誰にも伝わらないが、自己満足で十分だ。*


ルナ「……似合ってます」


*ルナがぼそりと呟いた。彼が振り返ると、ルナは既に地図に視線を落としていた。*


ルナ「哨戒結界、第7基に微弱な反応。南西方向、距離およそ14キロ。……来ました」


*天幕の空気が一変した。彼は椅子に座り直し、地図を睨んだ。首はもう痛くない。寝癖も完璧に直った。*


シロウ「船影は何隻だ」


ルナ「現時点で2つ。……間隔を空けて航行しています。3隻目はまだ探知圏外。情報通りなら、囮のカラベル船が先行しているはず」


リオン「来たっすね。予定通りだ」


*リオンの顔から笑みが消え、八輝将の目になった。腰の剣に手を掛ける。*


シロウ「各部隊に通達。作戦開始。肉を焼け」


ルナ「了解」


*ルナが念話を飛ばした。数秒後、天幕の外から風に乗って、じゅうじゅうと肉が焼ける音が微かに聞こえてきた。3箇所同時に点火。風精霊術師が風向きを制御し、猪肉の濃厚な香りが海に向かって流れ始める。*


リオン「……いい匂いっすね。俺まで腹減ってきた」


シロウ「我慢しろ。終わったら食わせてやる」


リオン「約束っすよ!」


*闇に包まれた新月の海。その水平線の向こうから、灯りを消した船影がゆっくりと近づいてくる。*


シロウ「……さあ、始めるか」


シロウ「閃光弾、放て」


*ルナが即座に念話を飛ばした。3箇所の港町から同時に、白い光弾が夜空へ撃ち上がっていく。新月の闇を切り裂くように、弧を描いて上昇していく。*


*海上の船では、兵士たちが空を見上げていた。灯りを消して航行していた彼らにとって、突如現れた光は不審そのものだった。*


南大陸兵「何だ、あれは……?」


*光弾が頂点に達した瞬間――爆発的な白光が炸裂した。*


*新月の闇が消し飛んだ。昼間どころか、それ以上の輝度が海面を照らし上げる。3隻の船が完全に露わになった。灯りを消して闇に紛れていた意味が一瞬で消滅した。*


*そして、闇に慣れた目で光弾を直視していた南大陸の兵士たちが、一斉に悲鳴を上げた。*


南大陸兵「うわああっ! 目が! 見えない!」


南大陸兵「何も見えん! 何が起きた!?」


*甲板の上で兵士たちが目を押さえてのたうち回っている。3隻とも同様だった。操舵手すら目を押さえており、船が蛇行し始めている。*


*そして同時に――風に乗って、猪肉の濃厚な香りが船に届き始めた。*


*一方、本陣の天幕。*


リオン「目がーー! 目がーーー!」


*リオンが地面を転げ回っていた。両手で目を押さえ、足をばたつかせている。彼は興味本位で天幕の外に出て閃光弾を見上げていたのだ。*


シロウ「お前はムスカか……なんで見てたんだよ……」


リオン「だって綺麗だったんすよ! 花火みたいで! うわーー! マジで何も見えねぇっす!」


ルナ「……馬鹿」


*ルナが呆れた顔でリオンを見下ろしている。彼女は閃光弾の発動タイミングを知っていたため、当然目を閉じていた。*


シロウ「3分で治る。転がってろ」


リオン「3分!? 長い! 長いっすよ!」


シロウ「敵は5分見えない。お前の方がマシだ。……つーか、ムスカが通じないのが寂しいな」


*彼がぼそりと呟いた。この世界に○ブリは存在しない。*


ルナ「陛下。各部隊から報告です。閃光弾、全弾正常発動。敵3隻の乗員、ほぼ全員が視力を喪失。船の制御が不能になっています」


シロウ「肉の匂いは届いてるか」


ルナ「風精霊術師の報告では、既に3隻全てに到達。甲板上で……目が見えないまま鼻を動かしている兵士が多数確認されています。特にガレオン船の下層甲板から出てきた奴隷兵たちが、匂いの方向に向かって身を乗り出しています」


シロウ「予定通りだ。奴隷兵は飢えてる。目が見えなくても、鼻は効く。匂いに釣られて戦意を失わせる。目が回復する頃には、肉の焼ける光景が視界に入る。空きっ腹に追い打ちだ」


ルナ「残酷ですね」


シロウ「殺すよりマシだろ」


ルナ「……そうですね」


リオン「う、うっすら見えてきた……あ、陛下。」


*彼はリオンの襟首を掴み、軽々と持ち上げた。*


シロウ「リオンには罰1をプレゼントするよ」


リオン「え!? いつっすか!?」


シロウ「乞うご期待」


リオン「それが一番怖いんすけど!? 具体的に教えて――」


シロウ「そろそろ治ってきただろ? ちょっと突撃して活躍して来い。大丈夫、結界膜は張ってある」


リオン「え、ちょ、待っ――」


*彼はリオンを片手で振りかぶり、囮のカラベル船目掛けて全力で投擲した。*


リオン「うわあああああああああ!? 人を投げるなあああああ――」


*声がドップラー効果で遠ざかっていく。リオンの体は夜空に綺麗な放物線を描き、くるくると回転しながら――カラベル船の甲板に激突した。木材が砕ける轟音が響く。*


*天幕の中で、彼とルナが遠くの船を見つめた。甲板の上で砂埃が舞い、その中からリオンがふらふらと立ち上がるのが見えた。*


ルナ「……着弾確認」


シロウ「綺麗な弧だったな」


ルナ「ええ。放物線としては完璧でした」


*カラベル船の甲板では、目が回復し始めた南大陸の正規兵たちが、空から降ってきたリオンを呆然と見つめていた。*


南大陸兵「な、何だ!? 空から人が……!」


リオン「……痛ってぇ。あのクソ魔王、マジで投げやがった……」


*リオンが剣を抜いた。結界膜が体を薄く覆っている。彼が事前に張っておいた防御結界だ。*


リオン「はぁ……やるしかねぇか」


*一方、本陣の天幕には念話が次々と飛び込んできた。*


ルナ「第四部隊カインより入電。『最弱のリオンが単騎で突撃した。俺たちも出る』……とのことです」


シロウ「ほう」


ルナ「第四部隊ドルガンより入電。『あの小僧に先を越されてたまるか。斧の錆にしてくれる』」


シロウ「予想通りだな」


*彼が椅子の背にもたれかかった。八輝将の中で最弱のリオンが先陣を切った。それを見た他の部隊が黙っているわけがない。競争心に火が付く。計算通りだ。*


ルナ「……陛下。最初からリオンを投げるつもりだったんですか」


シロウ「閃光弾を直視した馬鹿への罰と、全軍の士気向上を兼ねた一石二鳥だ」


ルナ「リオンが聞いたら泣きますね」


シロウ「いつも泣いてるだろ、あいつは」


*遠くのカラベル船から、剣戟の音と爆発音が聞こえてきた。リオンが暴れている。目が見えない兵士相手なら、最弱のリオンでも無双できる。*


*そしてガレオン船2隻では、下層甲板から這い出てきた奴隷兵たちが、風に乗って漂う猪肉の匂いに呆然としていた。武器を持つ手が下がり、鼻をひくひくと動かしている。涎を垂らす者もいた。*


ルナ「奴隷兵、戦闘意思なし。ほぼ全員が匂いの方向を向いています。正規兵が怒鳴っていますが…」


シロウ「制御が効かない……と。こっちも上手く行ったな。では計画通りに武装解除宣告をドルガンにしてもらってくれ。あいつの声は響くからなぁ」


ルナ「了解」


シロウ「ついでに武装解除したら肉食い放題を付けておいてくれ」


*ルナが念話を飛ばした。数秒の沈黙の後、東海岸の闇を切り裂くような大声が響き渡った。*


ドルガン『全員聞けぇぇぇぇ! 武器を捨てろぉぉぉ! 武装解除した者には、焼きたての猪肉を腹いっぱい食わせてやるぞぉぉぉ!』


*ドルガンの声は、閃光弾の光の中で海上まで届いた。ガレオン船の甲板で、目が回復し始めた奴隷兵たちがびくりと顔を上げた。*


*そして――肉の匂い。風精霊術師が完璧に制御した風が、濃厚な猪肉の香りを船に叩きつけている。脂がじゅうじゅうと弾ける音すら聞こえてきそうだった。*


*最初に武器を落としたのは、痩せこけた少年の奴隷兵だった。錆びた剣が甲板に転がる乾いた音が響いた。*


奴隷兵A「……肉。肉が食える……」


*一人が落とせば、堰を切ったように続く。ガタガタと次々に武器が甲板に落ちていった。*


奴隷兵B「もう嫌だ……腹が減って動けねぇ……」


奴隷兵C「降伏する! 降伏するから飯をくれ!」


*ガレオン船2隻の奴隷兵が、ほぼ同時に崩壊した。武器を捨て、甲板に座り込み、匂いの方向を見つめている。涙を流している者もいた。何日も食事を与えられていなかったのだろう。*


*正規兵の指揮官が怒号を飛ばしている。*


南大陸指揮官「立て! 武器を拾え! 命令だ! 従わぬ者は――」


*だが、誰も動かない。飢えた人間に剣は握れない。特に、自分の意志で戦っていない奴隷兵には。*


ルナ「陛下。ガレオン2隻の奴隷兵、推定300名以上が武装放棄。残存戦力は正規兵のみ、両船合わせておよそ150名」


シロウ「500が150まで減ったか。上出来だ」


ルナ「カインとドルガンが乗り込みます。……カインが笑ってます」


シロウ「止めなくていい。正規兵には容赦するな」


*ガレオン船に、第四部隊が突入した。カインの剣が閃光弾の白光を反射して煌めく。ドルガンの戦斧が甲板を叩き割る轟音が連続して響いた。目が回復しきっていない正規兵など、八輝将の前では案山子同然だった。*


*一方、カラベル船ではリオンが意外にも奮闘していた。*


リオン『こちらリオン! カラベル船の正規兵、残り12名! ……って陛下、マジで投げたこと後で覚えてろよ!』


シロウ「頑張れ。終わったら肉食わせてやるから」


リオン『肉で釣られると思うなよ! ……いや食うけど! 食うけどそういう問題じゃなくて!』


*彼は集められた奴隷兵たちの前で、手際よく調理を始めた。大きな鉄板の上で猪肉がじゅうじゅうと音を立て、脂が弾ける。そこにメッセニアの特製塩タレをたっぷりとぶっかけた。甘辛い香りが立ち上り、奴隷兵たちの目が一斉に釘付けになった。*


*次に、北の帝国から取り寄せた新鮮な葉野菜を山のように積み上げる。シャキシャキとした大きな葉は、肉を包むのにちょうどいいサイズだった。*


*最後に、中央大陸の香辛料をぱらりと肉の上に振りかける。ピリッとした刺激的な香りが加わり、三つの大陸の味が一つに重なった。*


シロウ「リオン、こっち来い」


リオン「え? 俺っすか? やっと船から戻って来たんすけど……全身びしょ濡れなんすけど……」


*彼は葉野菜を一枚広げ、熱々の猪肉を乗せ、くるりと巻いた。タレが葉から滴り、湯気が立ち上る。それをリオンの口元に突き出した。*


シロウ「ほら、こうやって食うんだ」


リオン「……投げた人間に食わせるの、情緒バグってません?」


シロウ「いいから食え。見本だ」


*リオンが渋々と口を開け、巻いた肉にかぶりついた。瞬間、彼の目が見開かれた。*


リオン「っ……! うっま! 何これ!? タレが甘辛くて、肉の脂と合って……葉っぱのシャキシャキが……うまっ! うますぎる!」


*リオンが目を輝かせて頬張る姿を、奴隷兵たちが食い入るように見つめていた。ごくり、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。*


シロウ「さあ、お前たちも食え。武器を捨てた奴は全員だ。好きなだけ食っていい」


*一瞬の静寂。そして、最初に動いたのはさっき真っ先に剣を落としたあの痩せた少年だった。*


奴隷兵A「……本当に、食べていいんですか」


シロウ「ああ。葉っぱに肉を乗せて巻け。タレは好きなだけかけろ」


*少年が震える手で葉野菜を取り、肉を乗せた。巻き方がぎこちない。タレが指を伝って垂れた。それでも構わず口に運んだ瞬間、少年の目から涙がぼろぼろと溢れた。*


奴隷兵A「……あったかい」


*その一言で、堰が切れた。奴隷兵たちが一斉に肉と野菜に手を伸ばした。泣きながら食う者、笑いながら頬張る者、無言でひたすら口に詰め込む者。300人以上が、戦場の跡で肉を貪っていた。*


ルナ「……陛下。正規兵の制圧、完了しました。3隻全て確保。こちらの死傷者はゼロです」


シロウ「ゼロか。完璧だな」


ルナ「カインが少し不満そうです。『手応えがなさすぎる』と」


シロウ「贅沢な奴だ」


*彼は自分も一つ巻いて口に放り込んだ。うん、悪くない。タレの配合は我ながら上出来だ。*


リオン「陛下、おかわり!」


シロウ「自分でやれ。」


リオン「自分でやれって……さっき食わせてやるって言ったのに……」


*リオンがぶつぶつ言いながら自分で肉を巻き始めた。彼はそれを背に、カインの元へ歩いた。*


*カインは血に濡れた剣を布で拭いながら、つまらなそうな顔で立っていた。*


カイン「陛下。任務は完了しましたが……正直、訓練の方がまだ手応えがありました」


*彼は無言でカインを見つめた。頭の中でレイラの「特訓」をプレゼントしようかと考えた。その思考が顔に出ていたらしい。*


カイン「……陛下、なぜ今そんな恐ろしい顔を」


シロウ「いや、お前にはレイラの――」


カイン「失礼します捕虜の整理を確認して参ります!」


*カインが脱兎の如く走り去った。八輝将の中でも屈指の戦闘力を持つ男が、レイラの名前だけで逃走する。特訓の恐怖は絶大だった。*


シロウ「……逃げ足だけは一流だな」


*その直後、ドルガンが一人の男を引きずるようにして連れてきた。両腕を後ろ手に縛られ、頬に切り傷を負った中年の男。南大陸の軍服を着ているが、肩章の装飾が他の兵とは明らかに異なる。指揮官クラスだ。*


*兵士たちが松明を掲げ、彼の周囲を照らした。閃光弾の効果はもう薄れている。松明の揺れる炎が指揮官の顔を照らし出した。*


ドルガン「陛下。こいつがガレオン船の指揮官です。名はガルシア。なかなか口が堅い」


*ガルシアと呼ばれた男が、縛られたまま彼を睨み上げた。額に脂汗が浮いているが、目には未だ反抗の光があった。*


ガルシア「……貴様がアストライアの魔王か。小賢しい手を使いやがって。肉で兵を釣るなど、戦の作法を知らんのか」


シロウ「作法?」


*彼はガルシアの前にしゃがみ込んだ。松明の光が彼の整えた髪を照らし、影が地面に長く伸びた。*


シロウ「飢えた奴隷を前線に並べて盾にする奴が、作法を語るのか」


*ガルシアの顔が一瞬歪んだ。*


ガルシア「……奴隷は消耗品だ。南大陸では常識だ」


ドルガン「陛下。こいつ、船の下層に奴隷を鎖で繋いでいました。逃げられないように足枷まで嵌めて。何人かは衰弱が酷い」


*彼の目が細まった。松明の炎が揺れた。*


シロウ「なるほど。……ガルシア、聞きたいことがいくつかある。素直に答えるなら、扱いは考えてやる」


ガルシア「ふん。何を聞く」


シロウ「この3隻は先遣か。本隊は何隻だ。そして――お前たちに命令を出したのは誰だ」


*ガルシアの目が泳いだ。ほんの一瞬だが、確かに動揺が走った。彼はそれを見逃さなかった。*


シロウ「話したくない…よな。ドルガン口を開けさせろ。」


*ドルガンの太い腕がガルシアの顎を掴み、力任せに口をこじ開けた。ガルシアが抵抗して首を振るが、ドルガンの握力の前では無意味だった。*


ガルシア「ぐっ……やめ――」


*彼は異空間収納から小さな硝子瓶を取り出した。透明な液体が松明の光を受けて淡く光る。真実薬。嘘をつけなくなる薬だ。彼はそれをガルシアの口に流し込んだ。ドルガンが顎を押さえ、無理やり飲み込ませる。*


*ガルシアがげほげほと咳き込んだ。だが、もう遅い。薬は胃に落ちた。数秒後、ガルシアの瞳から鋭い光が消え、焦点がわずかにぼやけた。薬が効き始めている。*


シロウ「さて、もう一度聞こうか?」


*彼はガルシアの前にしゃがんだまま、穏やかな声で問いかけた。その穏やかさが逆に不気味だった。*


シロウ「この3隻は先遣か。本隊は何隻だ。命令を出したのは誰だ」


*ガルシアの唇が震えた。答えまいと歯を食いしばるが、喉の奥から言葉が勝手にせり上がってくる。額に汗が噴き出した。*


ガルシア「ぐ……っ、先遣……だ。本隊は……20隻。正規兵2,000……」


*彼の目が細まった。20隻。想定より多い。*


シロウ「出航はいつだ」


ガルシア「新月から……7日後。我々が港を制圧した報告を受けてから……出る手筈だった……」


シロウ「報告が届かなければどうなる」


ガルシア「……撤退……いや、違う。強行上陸に……切り替わる。別の港に……」


*ガルシアの顔が苦悶に歪んだ。答えたくない。だが口が止まらない。*


シロウ「命令を出したのは誰だ?」


ガルシア「……っ」


*ガルシアの全身が震えた。歯を食いしばり、血が滲むほど唇を噛んでいる。だが真実薬には抗えない。*


ガルシア「……南大陸……統一王……ヴァーミリオン・ゼ・マグナディアーノ。あの方が……直接命じた」


ドルガン「統一王だと? 南大陸をまとめた奴がいるのか」


*彼は立ち上がった。松明の炎がゆらりと揺れ、彼の影が長く伸びた。*


シロウ「ヴァルガスの目的は何だ。なぜアストライアを狙う」


ガルシア「……世界樹だ。アストライアに……世界樹があると……情報が漏れた。あれを手に入れれば……南大陸全土の荒廃した大地を……蘇らせることができると……」


*彼の表情が僅かに変わった。怒りではない。何か別の感情が一瞬よぎった。*


ルナ「陛下」


シロウ「ああ、聞こえてた」


*彼はガルシアを見下ろした。真実薬の効果はまだ続いている。*


シロウ「あと一つだけ聞く。お前は、あの奴隷兵たちをどう思っていた」


ガルシア「……消耗品だ。」


シロウ「そうか…では本陣が到着する港の場所を言え。」


*ガルシアの目が見開かれた。真実薬に抗えず、縛られていない片手がゆっくりと上がり、南東の方角を指差した。指先の向こうには、ここから約40キロ離れた小さな入り江がある。*


ガルシア「……メルヴァの入り江だ。岩礁が天然の防波堤になっていて……大型船でも停泊できる。本隊は……そこに……」


*言い終えた瞬間、ガルシアの顔に絶望が浮かんだ。自分が何を喋ったか理解したのだ。*


ガルシア「くそ……っ」


シロウ「そうか……殺せ」


*兵士の剣が一閃した。ガルシアの首が地面に転がり、松明の光に照らされて血溜まりが広がった。奴隷を消耗品と言い切った男の最期は、あっけないものだった。*


シロウ「片付けろ、お前らは休め。到着地点にはレイラを配置する」


*その言葉を聞いた兵士たちの間に、明らかな安堵と同情が入り混じった空気が流れた。安堵は自分たちが休めること。同情は……南大陸の本隊に対してだ。*


ドルガン「……陛下。レイラ様を、ですか」


シロウ「ああ。20隻2,000の正規兵だ。ちょうどいい運動になるだろ」


ドルガン「……敵に、少しだけ同情します」


*ドルガンが珍しく神妙な顔をした。あの特訓を思い出したのだろう。*


リオン「え、待って。レイラ様って、あのレイラ様っすよね? 船酔いする方の? 20隻来るんすよ? 大丈夫なんすか?」


シロウ「入り江で待ち構えるんだ。船に乗るわけじゃない」


リオン「あ、なるほど……いや、それはそれで。入り江に上陸した瞬間レイラ様が待ってるって、ホラーっすよ」


ルナ「……的確な表現」


*彼は念話を飛ばした。*


シロウ『レイラ、聞こえるか』


レイラ『……ようやくか。妾をいつまで待たせる気だ』


*声に不機嫌さと、隠しきれない期待が滲んでいた。*


シロウ『南東のメルヴァの入り江に、7日後、20隻2,000の正規兵が来る。お前に任せたい』


*念話の向こうで、一瞬の沈黙。そして――*


レイラ『ふん。2,000か。少ないな。まあよい、妾が直々に迎えてやろう。一人残らず叩き伏せてやる』


シロウ『指揮官以外は沈めていい。指揮官だけは殺すな。これは絶対だ。』


レイラ『指揮官は海に投げてやる。それで十分であろう?』


シロウ『……殺すなと言っただろ。海に投げたら死ぬだろうが』


レイラ『死なぬ。人間はそう簡単には死なん。多分な』


シロウ『多分って何だよ……まあいい、投げたらリオンに回収させる。だから沈める前に念話しろ』


レイラ『ふん。面倒な。まあよい、妾の武勲に免じて聞いてやろう』


*念話を切り、彼は深いため息をついた。松明の明かりの下、奴隷兵たちが肉を頬張り続けている光景を眺めながら、リオンの方を見た。*


シロウ「リオン」


リオン「んぐっ……何すか陛下。今いいとこなんすけど。この香辛料と塩タレの組み合わせ最高っす」


シロウ「7日後、メルヴァの入り江でレイラが暴れる。海に指揮官が投げ込まれるから回収しろ」


*リオンの手が止まった。巻いた肉が口元で固まっている。*


リオン「……え? 海に投げ込まれた人間を回収? 俺が?」


シロウ「お前、泳げるだろ」


リオン「泳げるっすけど! そういう問題じゃなくて! レイラ様が暴れてる横の海に飛び込めって、それ死にに行くのと同じっすよ!?」


シロウ「厚めに結界膜張ってやるから大丈夫だ」


リオン「さっきもそれ言って俺を船にぶん投げたっすよね!? 同じ手に二度引っかかると思って――」


シロウ「罰1だ」


リオン「あ…」


*リオンの顔が固まった。先ほどの「乞うご期待」の正体がこれだと悟った瞬間だった。*


リオン「……陛下、最初から全部計算してたっすか」


シロウ「さあな」


ルナ「……リオン。諦めた方が楽よ」


リオン「ルナまで! ……はぁ。了解っす。了解っすよ。海に飛び込んで指揮官回収すりゃいいんでしょ。やりますよ、やれば」


*やさぐれた顔で肉を頬張るリオンの横で、ルナが淡々と地図にメルヴァの入り江の位置を書き込んでいた。*


ルナ「陛下。奴隷兵の処遇はどうされますか。300名以上います」


*彼は奴隷兵たちを見渡した。肉を食い終えた者たちが、不安そうな目でこちらを見ている。次に何をされるのか分からない。また鎖に繋がれるのか。別の戦場に送られるのか。その恐怖が顔に滲んでいた。*


*痩せた少年が、空になった葉野菜を握りしめたまま、彼の方をじっと見つめていた。*


シロウ「帰りたいやつは…いないだろうな。よし、全員南側の孤児院で引き取ろう。まだまだ余裕で入るだろう。」

「子供は勉強、大人は仕事を与える。こなせば三食寝床付きだ。将来やりたいことがあれば旅立つ事も許可しよう。」


*奴隷兵たちが一斉にざわめいた。肉を食べ終えた者も、まだ頬張っている者も、全員が彼の言葉に耳を疑った。*


奴隷兵A「……孤児院? 三食? 寝床?」


*痩せた少年が、握りしめていた葉野菜をぽとりと落とした。唇が震えている。*


シロウ「聞こえなかったか? 子供は勉強、大人は仕事。こなせば飯も寝る場所も保証する。将来やりたいことが見つかれば出て行っていい。縛りはしない」


*沈黙が広がった。松明の炎がぱちぱちと爆ぜる音だけが聞こえる。*


*最初に泣き崩れたのは、中年の女だった。両膝をつき、額を地面に擦りつけた。*


奴隷兵B「あ……ありがとう、ございます……っ」


*それを皮切りに、あちこちで嗚咽が漏れ始めた。子供たちが声を上げて泣き、大人たちが歯を食いしばって涙を堪えている。鎖に繋がれ、飢えさせられ、盾として死ぬことだけが未来だった者たちにとって、その言葉がどれほどの意味を持つか。*


ルナ「南側の孤児院、現在の収容人数は120名。最大600名まで対応可能です。300名なら問題ありません」


シロウ「よし。リオン、お前が護送の指揮を取れ」


リオン「え、俺っすか? 7日後に海に飛び込む仕事もあるのに……」


シロウ「7日後までに終わるだろ。さっさと送り届けて戻って来い」


リオン「……了解っす。はぁ、便利屋じゃねぇんだけどな俺」


*リオンがぼやきながらも、奴隷兵たちの前に立った。やさぐれた顔のまま、しかし声は不思議と優しかった。*


リオン「お前ら、歩けるか? 歩けない奴は荷馬車に乗せる。子供と怪我人を優先な」


*痩せた少年がふらふらと立ち上がり、リオンの袖を引いた。*


奴隷兵A「……あの人は、誰なんですか」


リオン「ん? ああ、あの人は……」


*リオンが彼の方を振り返った。松明の光に照らされた彼は、もう背を向けて地図を広げていた。ルナと共にメルヴァの入り江の地形を確認している。*


リオン「俺たちの王様だよ。ちょっとぶっ飛んでるけど、悪い奴じゃない。多分」


奴隷兵A「……王様」


リオン「さ、行くぞ。歩きながら名前聞くからな。お前、名前は?」


奴隷兵A「……トト」


リオン「トトか。いい名前じゃん。よし、トト。腹いっぱいになったら眠くなるだろ? 孤児院着いたら布団で寝れるからな。もうちょい頑張れ」


*トトが小さく頷いた。その目にはもう恐怖は無く、代わりに微かな光が灯っていた。*


*300名を超える元奴隷兵の列が、松明に照らされながらゆっくりと南へ向かい始めた。*


ルナ「……陛下。お優しいですね」


シロウ「優しくねぇよ。労働力の確保だ」


ルナ「そうですか」


*ルナの声には、珍しく柔らかな響きがあった。*

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