303
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*翌日──雨だった。*
*久しぶりの雨だ。ここ数週間は晴天続きだったから、城の窓を叩く雨音が新鮮に感じられた。彼は執務室の窓から灰色の空を眺めながら、膝の上のメアを撫でていた。*
シロウ「雨か。珍しいな」
メア「にゃ……」
*メアは雨音が気に入らないのか、彼の腹に顔を押し付けている。*
---
*次の日──また雨だった。昨日より少し強い。*
*城の屋根を叩く雨粒の音が大きくなっていた。窓の外は白く霞み、城下町の屋根が雨に煙って見える。*
シロウ「二日続きか。まあ農地にはいいだろ」
*オルクスが報告書を持ってきた。*
オルクス「陛下、現時点では特に問題はございません。排水路も正常に機能しております」
シロウ「了解。引き続き監視頼む」
---
*さらに次の日──豪雨だった。*
*窓の外は滝のようだった。雷鳴が轟き、風が城壁を唸らせている。しかし城下町に浸水の気配はない。彼が建国時から整備してきた災害対策が機能していた。全ての雨水は地下の排水路を通り、付近の崖から川へと流される。逆流防止弁も完備。28年間の積み重ねが、こういう時に生きる。*
リーシア「陛下、各地区からの報告です。浸水被害ゼロ、避難勧告の必要もございません」
シロウ「よし。南部旧市街の方は?」
リーシア「耐水シートで覆っております。リオン殿が朝から現場に張り付いて指揮を取ってくださっています」
シロウ「あいつ真面目だな……風邪引くなよ」
---
*さらにさらに次の日──土砂降りだった。*
*もはや外は白い壁だった。3メートル先が見えない。雷が絶え間なく光り、城全体が振動するほどの豪雨。それでも排水路は持ちこたえている。*
*彼は執務室の窓際に立ち、腕を組んで外を眺めていた。メアは彼の肩の上で毛を逆立てている。雷が怖いらしい。*
シロウ「ここまで来ると逆に楽しいな」
メア「にゃあ!」
*雷鳴に驚いてメアが彼の首にしがみついた。小さな爪が食い込む。*
シロウ「痛い痛い。大丈夫だ、雷はここまで来ないから」
*執務室の扉がノックされた。*
ルーナ「パパ、入るよ」
*ルーナが紅茶のトレイを持って入ってきた。誕生日の一件からは数日経ち、ようやく普通に話せるようになっている。ただし至近距離になると耳が赤くなるのは相変わらずだ。*
ルーナ「4日連続の雨って、この国では珍しくない?」
シロウ「珍しいな。28年で初めてかもしれん」
*彼は紅茶を一口飲み、窓の外の豪雨を眺めた。*
シロウ「大丈夫だろ。衛星が無いから天気予報はできんけど……日本でもこういう雨災害あったし」
ルーナ「……ああ、いつかの線状降水帯とか?」
シロウ「それそれ。あれに比べたらまだマシだ。排水路もちゃんと機能してるしな」
*ルーナが紅茶のカップを執務机に置きながら頷いた。前世の記憶を共有できる相手がいるのは、こういう時に話が早い。*
シロウ「一応、結界の防雨機能をONにしてくるか……」
*彼は椅子から立ち上がった。メアが膝から落ちそうになり、慌てて彼の服にしがみつく。*
メア「にゃあ!」
シロウ「悪い悪い。ルーナ、メア頼む」
*メアをルーナに預けようとしたが、メアが「ふしゃっ」と威嚇した。シロウ以外は断固拒否の姿勢だ。*
ルーナ「……この猫、本当にパパ以外駄目だよね」
シロウ「仕方ない。連れてくか」
*メアを肩に乗せ、彼は城の最上階──結界制御室へ向かった。ルーナもついてくる。*
*結界制御室は城の頂上にある小部屋だ。壁一面に魔法陣が刻まれ、国全体を覆う結界の制御盤が置かれている。彼が建国初期に自ら設計したものだ。*
*彼は制御盤に手を翳し、神眼で結界の状態を確認した。*
シロウ「防風はON、防魔はON、侵入検知はON……防雨がOFFのままだな。普段は農業用に雨を通してるから」
*彼が防雨機能をONに切り替えた。瞬間、城の窓を叩いていた雨音がぴたりと止んだ。外ではまだ豪雨が続いているが、結界の内側には一滴も落ちてこない。*
ルーナ「おお……静かになった」
*メアが肩の上で耳をぴんと立てた。雨音が消えて安心したのか、ゴロゴロと喉を鳴らし始める。*
シロウ「ただ、農地の方は雨が必要だから部分的に通すか。えーっと……」
*制御盤を操作し、農地エリアだけ防雨を解除した。城下町と居住区は防雨ON、農地と貯水池エリアは防雨OFF。*
ルーナ「器用だね。ゲームの設定画面みたい」
シロウ「まあ、やってることはそんなもんだ」
*その時、制御盤の端にある侵入検知の魔法陣が微かに明滅した。一瞬だけ。彼の神眼がそれを捉えた。*
シロウ「……ん?」
ルーナ「どうしたの?」
シロウ「いや……今、侵入検知が一瞬反応した。誤作動か……?」
*彼は神眼で結界の外縁部をスキャンした。南東方向、崖から川へ排水が流れ出る地点の付近。豪雨で視界が悪い。何かの気配があった気がしたが、雨のノイズに紛れて消えた。*
シロウ「……気のせいか」
*メアが彼の肩の上で、南東の方角をじっと見つめていた。小さな体が微かに震えている。雷のせいか──それとも、別の何かを感じ取っているのか。*
*彼は結界制御盤に手を翳し、浄化魔法を結界全体に浸透させた。淡い白光が制御室から波紋のように広がり、国全体を包み込んでいく。雨水に混じる病原菌、汚泥に潜む疫病の元、風に乗る異物──全てが浄化されていく。*
シロウ「よし、これでOKっと」
ルーナ「……相変わらずスケールがおかしいよね。国一つ丸ごと浄化って」
シロウ「やることは風呂場にカビキラー撒くのと同じだ」
ルーナ「例えが庶民的すぎる」
*ルーナが呆れたように肩を竦めた。前世の記憶があるからこそ通じる例えだ。*
*メアが肩の上で「にゃ」と鳴き、再び南東の方角を見つめた。尻尾が膨らんでいる。*
シロウ「メア、どうした?」
*彼は神眼で再度南東方向をスキャンした。豪雨のノイズが激しい。排水路の出口付近、崖の下──*
*何もない。気配は消えていた。*
ルーナ「パパ?」
シロウ「……いや、何でもない。戻るか」
*彼は制御室の扉を閉め、階段を降り始めた。ルーナが後ろからついてくる。メアは肩の上で南東を見つめたまま、小さく唸っていた。*
*階段を降りる途中、リーシアが駆け上がってきた。息が上がっている。*
リーシア「陛下! 南東区画の排水路付近で、巡回兵が不審な痕跡を発見したとの報告がございました!」
シロウ「痕跡?」
リーシア「はい。排水路の壁面に、爪で引っ掻いたような傷と──泥に混じって、何かの体液のようなものが。巡回兵の報告では、生物のものとも魔物のものとも判断がつかないと」
*彼の目が細まった。さっきの侵入検知の反応。メアの怯え。そして排水路の痕跡。*
シロウ「場所は」
リーシア「南東第三排水路、崖側出口から約200メートル内側です」
ルーナ「……排水路から侵入しようとした?」
シロウ「この豪雨に紛れてか。結界の防雨をOFFにしてたから、排水路は結界の穴になってた」
*浄化魔法は先ほど付与した。だがそれ以前に何かが入り込んでいたとしたら──*
シロウ「リーシア、南東区画の住民に屋内待機を勧告。リオンに連絡、第一部隊を排水路に向かわせろ。俺も行く」
リーシア「はっ! 直ちに!」
*リーシアが走り去った。彼はメアをルーナに渡そうとしたが、案の定「ふしゃっ」と威嚇された。*
シロウ「……ルーナ、城にいろ。何かあったらルミナとルクスを頼む」
ルーナ「わかった。気をつけて、パパ」
*彼は頷き、メアを肩に乗せたまま、雨の中へ踏み出した。防雨結界の内側は乾いているが、排水路の中は別だ。神眼が自動で周囲をスキャンし続けている。*
*南東の排水路に、何かがいる。あるいは、いた。*
*南東第三排水路の入口。彼が到着すると、既にリオンが第一部隊を展開していた。結界の外は豪雨で、兵士たちは全身びしょ濡れだ。雨が叩きつける中、必死に排水路の周囲を警戒している。*
*彼だけが一滴も濡れていない。個人結界が雨を完全に弾いている。*
リオン「陛下、お待ちしておりました。……濡れてないの、ちょっとムカつきますね」
シロウ「調査は?」
*リオンが髪から水を滴らせながら報告した。*
リオン「排水路内部、崖側出口から約200メートル地点。壁面に爪痕が3箇所。深さは約2センチ、幅は5ミリ前後。人間の爪じゃないです。かといって既知の魔物とも一致しない」
*リオンが防水布に包まれた小瓶を差し出した。中に粘度の高い半透明の液体が入っている。*
リオン「これが現場で採取した体液です。ルナに嗅がせたんですが──」
*リオンの背後に、フードを深く被ったルナが立っていた。雨の中でも気配が薄い。*
ルナ「……知らない匂い。獣でも魔物でもない。でも、生きてるものの匂い」
シロウ「生きてる?」
ルナ「少なくとも、ここを通った時は」
*彼はメアを肩に乗せたまま、小瓶を受け取り神眼を発動した。*
──鑑定結果──
名称:不明
種別:体液(粘膜分泌物)
由来:不明
特記:微量の魔力残留あり。既知のデータベースに該当なし
*神眼でも「不明」。彼の眉が僅かに動いた。神眼のデータベースにないということは、この世界の既知の生物ではないか、あるいは極めて希少な存在だ。*
シロウ「浄化魔法を結界に付与したのが約1時間前。それ以前に侵入してたとすると、浄化の対象になってるはずだが……」
リオン「現場の体液は浄化されてませんでした。つまり──」
シロウ「浄化魔法が効かなかったか、浄化の後に残されたか」
*肩の上でメアが低く唸っていた。小さな体が震えている。尻尾が膨らみ、排水路の暗闇を睨んでいる。*
シロウ「メア?」
メア「にゃあ……!」
*明らかに怯えではなかった。威嚇だ。排水路の奥、暗闇の向こうに何かがいると訴えるように。*
リオン「……陛下、中に入りますか?」
*壁面に、爪痕があった。3本の筋。何かが這うように進んだ跡。その先は、排水路の奥へと続いている。*
*彼は右手を掲げ、時空魔法を起動した。空間に淡い青白い光の時計盤が浮かび上がる。彼のオリジナル魔法──「時空回顧」。その場所を通過した全ての存在をホログラムとして逆再生する。イメージは防犯カメラの巻き戻しだ。*
シロウ「よっと」
*時計の針を逆に回していく。排水路の壁面にホログラムが映し出された。*
*まず、リオンと第一部隊の兵士たちが逆再生で後退していく。その前──巡回兵が爪痕を発見する場面。さらに巻き戻す。*
*1時間前。浄化魔法の白い光が排水路を逆流するように消えていく。*
*2時間前。豪雨の水が排水路を逆に流れる。何もない。*
*3時間前──*
*彼の指が止まった。*
シロウ「……いたぞ」
*ホログラムに映し出されたのは、人型だった。だが人間ではない。四肢は異常に細長く、関節が逆に曲がっている。体表は半透明の粘液に覆われ、壁面に張り付くようにして排水路を這い進んでいる。頭部には目がない。代わりに、顔全体が裂けたような口になっていた。体長は約2メートル。*
*そしてもう1体。さらにもう1体。合計3体が、排水路の出口から内側へと侵入していた。*
リオン「……何ですか、これ」
ルナ「……見たことない」
*彼は神眼でホログラムの生物を鑑定した。*
──鑑定結果──
名称:不明
種別:不明
脅威度:不明
特記:既知データベースに該当なし。次元間生物の可能性あり
シロウ「次元間生物……?」
*ホログラムを更に再生すると、3体は排水路の分岐点で散開した。1体は北へ、1体は西へ、そして最後の1体は──城下町の地下へ向かっていた。*
*彼の表情が引き締まった。*
シロウ「3体が排水路から侵入して、城下町の地下に散らばってる。浄化が効いてないってことは、この世界の魔力体系とは別の存在か」
リオン「……陛下、浄化が効かないって、相当やばくないですか」
シロウ「ああ。だが逆に言えば、実体はある。物理で殴れるなら話は早い」
*彼は肩の上のメアを見た。メアは排水路の奥を睨んだまま、低く唸り続けている。*
シロウ「リオン、ルナ。城下町の地下水路の地図はあるか」
リオン「頭に入ってます」
シロウ「3体を同時に仕留める。1体でも逃がしたら地上に出る可能性がある。俺が城下町方面のやつを追う。お前らは北と西を頼めるか」
ルナ「……殺せばいいの?」
シロウ「ああ。ただし、できれば1体は生け捕りにしたい。何者か調べる必要がある」
*雨音だけが響く排水路の入口で、彼は暗闇を見据えた。*
*彼は苛立ちを隠さずナイトファングを鞘から引き抜いた。漆黒の刃が雨の中でも鈍く輝く。*
シロウ「次元……くぉぉ……めんどくせぇ!パラレルワールドはめんどくせぇ!!くそっ!」
リオン「え、陛下キレてます?」
シロウ「ああーー!もうっ!」
*彼は排水路の入口に立ち、大きく息を吸い込んだ。*
シロウ「パラライズシャウト!」
*彼の口から放たれた麻痺魔法の衝撃波が排水路の中に轟いた。音波が水路の壁面を伝い、全ての分岐に流れ込んでいく。北へ、西へ、城下町方面へ。排水路の構造が音を増幅し、全経路に麻痺効果が浸透した。水路内の水面が震え、波紋が連鎖していく。*
*排水路の奥から、何かが「ギ……ッ」と引き攣るような音を立てた。少なくとも1体は射程内にいたらしい。*
リオン「……今の、全部の水路に届いたんですか」
シロウ「構造上、音が反響して全経路に回る。設計した俺が言うんだから間違いない。兵を呼べ、くまなく探すぞ」
リオン「了解!全部隊、排水路内部の捜索に入れ!二人一組、武器は実体攻撃可能なものを装備!魔法は効かない可能性がある!」
*兵士たちが一斉に動き出した。リオンの指示は的確だ。やさぐれてきたとはいえ、八輝将としての実力は健在だった。*
ルナ「……私、先に行く。匂いを追える」
シロウ「ルナ、無理はするな。麻痺が効いてるかも分からん相手だ」
ルナ「大丈夫。死なないから」
*ルナが影に溶けるように排水路の中へ消えた。彼女の暗殺者としての動きは相変わらず無音だ。*
*彼はナイトファングを構え、排水路に足を踏み入れた。膝下まで水が溜まっている。結界の防雨は城下町側のみだから、排水路内部にはまだ雨水が流れ込んでいる。*
*50メートル進んだところで、壁面の爪痕が見えた。3本の筋。深く、鋭い。コンクリートのように硬い魔法石の壁を容易に抉っている。*
メア「にゃあっ!」
*メアが突然、彼の肩から首筋にしがみついた。前方──暗闇の中に、何かが蠢いていた。*
*水面に浮かぶ半透明の粘液。その奥に、壁に張り付いたまま痙攣している異形の体。麻痺が効いている。関節が逆に曲がった四肢、顔全体が裂けた口。ホログラムで見た通りの姿だった。*
*だが──動いていた。痙攣しながらも、壁面の爪が少しずつ剥がれようとしている。麻痺の効果が薄れ始めている。*
シロウ「効いてはいるが、長くは持たないか……」
*彼は神眼を全力で展開し、目の前の異形を再度鑑定した。*
```
──鑑定結果──
名称:次元喰い(ディメンション・イーター)
種別:次元間捕食生物
脅威度:推定Sランク相当
特性:空間浸食、物理耐性(中)、魔法耐性(高)、再生能力(低)
弱点:不明
```
シロウ「こんなん……精霊神案件じゃねぇか!おい、だれかカイ呼んでこい!」
*彼は排水路の中で吠えた。声が反響し、兵士たちが一瞬びくりと肩を竦める。*
兵士「は、はいっ!」
*兵士が一人、脱兎のごとく走り去った。久しぶりにキレている魔王の姿に、周囲の空気が凍りついている。リオンですら口を挟めない。*
リオン「(やべぇ……陛下ガチギレしてる……)」
---
*それから約2時間。*
*排水路内部の掃討は、予想より早く終わった。*
*1体目──彼がナイトファングで斬り伏せた。麻痺が効いている間に首を落とし、死骸を空間収納に確保。物理攻撃は問題なく通った。半透明の粘液が飛び散り、壁面を焼くように溶かしたが、彼の結界が全て弾いた。*
*2体目──彼が生きたまま捕獲した。麻痺が解けかけた瞬間、創造で即座に編み上げた「無限牢獄」──次元間生物用の特殊な檻に封じ込めた。通常の空間とは隔絶された閉鎖次元。逃げようがない。*
*3体目──カイが仕留めた。*
*彼が排水路から出ると、カイが城下町の広場に立っていた。足元に次元喰いの残骸が転がっている。雨は結界で防がれているが、カイの鎧には粘液がこびりついていた。*
カイ「父さん、遅かったね。1体は城下町の地下から地上に出かけてたよ。世界樹の根が反応したから先回りできた」
シロウ「助かった。被害は?」
カイ「ゼロ。地上に出る前に潰した」
*カイは神剣アスカロンを鞘に収めながら、表情を曇らせた。*
カイ「……でも父さん、これ普通の魔物じゃないよね。次元の裂け目から来てる。精霊たちが怯えてた」
シロウ「ああ。次元喰い。神眼でもデータがほぼ無い。この世界の生物じゃない」
*彼は排水路の入口を振り返った。豪雨は依然として続いている。結界の外は白い壁のようだ。*
シロウ「問題は、なんでこのタイミングで現れたかだ。一度も無かったのに」
カイ「……心当たりはある」
*カイの声が低くなった。精霊神として覚醒してからの彼は、世界の異変に対する感覚が桁違いに鋭くなっている。*
カイ「この豪雨、ただの天候じゃない。世界樹が教えてくれた。南東の海域──深海の底で、次元の境界が薄くなってる。それが大気を乱して豪雨を引き起こしてる」
シロウ「……次元の境界が薄くなってる?」
カイ「うん。小さな穴だけど、あの3体はそこから滲み出てきたんだと思う。このまま放置すると、穴が広がる可能性がある」
*彼はナイトファングを鞘に収め、額を押さえた。*
シロウ「……めんどくせぇ」
カイ「父さん、今日それ何回目?」
シロウ「数えてない。で、その穴は塞げるのか」
カイ「僕一人じゃ難しい。シルフィと世界樹の力を借りれば、封印くらいはできると思う。でも根本的な解決にはならない。」
*城に戻った彼は、玉座の間の椅子に深く沈み込んでいた。ナイトファングは壁に立てかけ、メアが膝の上で丸くなっている。*
シロウ「はぁぁ……」
*ため息。今日何度目か分からない。*
シロウ「立体交差世界論は無限に話が拡大するからな……収集つかなくなるぞ……」
*結界制御盤に遠隔でアクセスし、既存の結界に次元結界を追加した。次元間の裂け目からの侵入を遮断する層だ。これで排水路からの侵入経路は完全に塞がれる。*
シロウ「はぁぁぁ………」
*廊下から足音が聞こえた。ルミナだった。トレイに紅茶と焼き菓子を乗せている。*
ルミナ「お兄ちゃん、お疲れ様。ルーナから聞いたよ、排水路に変な生き物がいたって」
シロウ「ああ……次元喰いっていう、この世界のものじゃないやつだ」
*ルミナがカップを差し出した。彼はそれを受け取り、一口飲んだ。温かい。*
ルミナ「それで、ずっとため息ついてるの?」
シロウ「はぁぁ……」
ルミナ「今ので4回目だよ、私が来てから」
シロウ「数えるな」
*ルミナは隣に座り、彼の肩に頭を預けた。メアが「にゃ」と抗議したが、ルミナには甘い。珍しく威嚇しなかった。*
ルミナ「で、何がそんなに嫌なの?次元がどうとか」
シロウ「パラレルワールドってのはな、一度関わると際限なく広がるんだよ。穴を塞いでも別の場所に開く、原因を潰しても別の次元から干渉される。キリがない」
ルミナ「……難しいことは分からないけど、お兄ちゃんが嫌がるくらいだから相当面倒なんだね」
シロウ「面倒なんてもんじゃない。俺が一番やりたくなかった案件だ」
*彼は天井を仰いだ。この国を修復し建て直し建国し、家族を守り、数え切れない敵を退けてきた。魔物も、人間も、神ですらも。だが次元の問題だけは別だ。敵が無限に湧く可能性がある。*
*その時、扉がノックされた。*
カイ「父さん、入るよ」
*カイが入ってきた。鎧は脱いでおり、普段着に着替えている。その後ろにシルフィがふわふわと浮いていた。*
シルフィ「シロウさま、大変でしたね!世界樹ちゃんも心配してますよ!」
カイ「シルフィと相談してきた。南東海域の次元の裂け目の件」
シロウ「……で?」
カイ「封印は可能。ただ、現地に行く必要がある。世界樹の根を海底まで伸ばして、裂け目を直接縫い合わせる。僕とシルフィ、それと父さんの力があれば3日で終わる」
シロウ「3日か……」
カイ「問題は、封印してる間は防御が薄くなること。裂け目から新たな次元喰いが出てくる可能性もある」
シロウ「はぁぁぁぁぁ……」
ルミナ「5回目」
*彼は玉座の間の椅子に沈み込んだまま、何度目か分からないため息をついていた。*
シロウ「サクッと精霊神の力で封印たのんだ……」
カイ「了解。シルフィと世界樹の根を使って、明日には取りかかるよ。海底までの経路は精霊たちに探らせてある」
シルフィ「任せてくださいっ!世界樹ちゃんも張り切ってますから!」
シロウ「頼む……マジで頼む……」
*その時、扉が開いてルーナが入ってきた。城内待機の指示を守っていたが、事態が収束したと聞いて降りてきたらしい。*
ルーナ「パパ、大丈夫? リーシアさんから聞いたよ。次元の裂け目から変な生き物が出てきたって」
シロウ「ああ……大丈夫だけど、大丈夫じゃない……」
ルーナ「……?」
シロウ「はぁぁぁ……」
*ルーナは彼の隣に腰を下ろし、しばらく黙って話を聞いていた。次元間生物、海底の裂け目、パラレルワールドの可能性。全てを聞き終えた彼女は、深く頷いた。*
ルーナ「……あー、なるほど。○ARVELと○Cが繋がったみたいな話だね、これ」
シロウ「それな」
ルーナ「マルチバース案件じゃん。映画だったら3部作確定だよ。エン○ゲームどころの騒ぎじゃない」
シロウ「ほんまに……勘弁……はぁぁぁ……」
ルミナ「6回目」
*ルミナがまだ数えていた。カイとシルフィが顔を見合わせている。*
カイ「……父さんがここまで嫌がるの、初めて見た」
ルーナ「パパは戦うのは平気なんだよ。でも『終わりが見えない案件』が一番嫌いなの。転移にで──」
*ルーナは言いかけて止まった。転移前の話は、この場ではカイたちに通じない。*
ルーナ「……えーっと、パパの性格的に、ってこと」
シロウ「終わりが見えないんだよ……穴塞いでも別の場所に開くかもしれない。その度に対処して、また開いて、また対処して……無限ループだぞ」
*膝の上のメアが「にゃ」と鳴き、彼の腹に顔を押し付けた。慰めているのか、単に眠いのか。*
カイ「……父さん、一つ提案がある」
シロウ「ん?」
カイ「裂け目を塞ぐだけじゃなくて、次元の境界そのものを強化する方法がある。世界樹の根を次元の壁に直接編み込む。精霊神の権能なら可能だと思う」
シルフィ「あ、それ世界樹ちゃんも言ってました!『根っこ伸ばせばいけるかも~』って!」
シロウ「……世界樹の言い方軽いな」
カイ「根を次元の壁に定着させれば、自動修復機能が働く。新しい裂け目が出来ても、根が勝手に塞いでくれる。一度やれば半永久的に機能する」
*彼の目が少しだけ開いた。*
シロウ「……それ、最初から言え」
カイ「さっき思いついた」
シロウ「はぁぁぁ……でもまあ、それなら話は別だ。やれるのか?」
カイ「やれる。ただ、精霊神の力をかなり使う。」
*彼は椅子の背もたれに頭を預け、天井を見上げたまま呟いた。精神的疲労が顔に滲んでいる。次元喰いとの戦闘よりも、「この先」を考える方が遥かに消耗する。*
シロウ「精神的に疲れた……なぁルーナ。ドッペルゲンガーの自分が出てきたらどうする?」
*ルーナは一瞬目を丸くした後、真剣な顔で腕を組んだ。前世の記憶があるからこそ、その問いの重さを理解している。*
ルーナ「……それ、スパ○ダーバースのやつ? それとも○oki的な?」
シロウ「どっちでもいい。もう一人の俺が、別の次元から来たらどうするって話だ」
ルーナ「うーん……」
*ルーナは顎に手を当て、しばらく考え込んだ。ルミナは二人の会話についていけず、首を傾げている。カイとシルフィも同様だ。*
ルミナ「ドッペルゲンガー? お兄ちゃんがもう一人いるってこと?」
シロウ「可能性の話だ。次元の裂け目が開いてるってことは、別の世界と繋がってるってことだからな」
*ルミナの表情が曇った。*
ルミナ「お兄ちゃんが二人……それは嬉しいような、怖いような……」
ルーナ「パパ、正直に言うね」
シロウ「おう」
ルーナ「別次元のパパが来たとして、こっちのパパと同じ記憶、同じ能力、同じ性格だったら──見分けがつかない。それが一番怖い」
シロウ「だろ?」
ルーナ「でも逆に、全然違う選択をしてきたパパだったら? 例えば、この国を建国しなかったパパとか。ルミナママと出会わなかったパパとか」
*ルミナが「えっ」と声を上げた。*
ルミナ「お兄ちゃんと出会わない世界……?」
ルーナ「マルチバースってそういうことだよ。無限の可能性がある。優しいパパもいれば──」
*ルーナは言葉を切った。その先を言うのを躊躇っている。*
シロウ「言えよ」
ルーナ「……敵側に回ったパパもいるかもしれない」
*沈黙が落ちた。メアが膝の上で「にゃ」と小さく鳴いた。*
カイ「……父さんが敵? 想像できないけど」
シロウ「想像できないからこそ厄介なんだよ。俺の能力を知り尽くしてて、俺と同じ思考回路で動く敵。対策の立てようがない」
*彼は紅茶のカップを手に取り、冷めかけた液体を一口飲んだ。*
シロウ「まあ、今のところは可能性の話だ。カイ、裂け目の封印は明日からでいいか」
カイ「うん。世界樹の根の準備に今夜一晩かかる」
シロウ「頼んだ。俺は今日はもう寝る。脳が限界だ」
ルーナ「パパ、最後に一つだけ」
シロウ「ん?」
ルーナ「もし別次元のパパが来ても、私はこっちのパパの味方だから。見分け方なら──マフラーの編み目で分かるし」
*彼女は少しだけ耳を赤くしながら、誕生日に渡した手編みのマフラーを指差した。*
シロウ「……ははっ。そうだな。」
ーー
*数日後──カイが帰ってきた。*
*世界樹の根を次元の壁に編み込む作業は無事完了したとのこと。海底の裂け目は完全に封印され、自動修復機能も正常に作動している。精霊たちも落ち着きを取り戻した。*
*──ここまでは良かった。*
*彼は玉座の間で、目の前の光景を見つめていた。カイの隣に立っている女性。黒髪ロング、琥珀色の──いや、見た目はレイラと瓜二つだ。だが、纏う空気が根本的に違う。*
???「うっわー! マジこの城デカくね!? やっば! てかカイくんのパパってこの人? イケおじじゃーん!」
シロウ「………。」
*沈黙。完全なる沈黙。彼の顔は無表情だった。隣にいるルミナも、リーシアも、全員が固まっている。*
カイ「……父さん、説明するね」
シロウ「……ああ、頼む」
カイ「裂け目を封印する時に、向こう側から一人落ちてきた。次元の狭間に挟まれて死にかけてたから助けた。それがこの人」
*別次元のレイラ──仮にそう呼ぶしかない──は、物珍しそうにキョロキョロと城内を見回していた。*
???「あたし、レイラ・ヴァルトシュタイン。まあ別の世界のレイラってやつ? マジ助かったわー、カイくんいなかったら死んでたし! てかこの世界めっちゃ綺麗じゃん、ウケるー」
*一人称が「あたし」。語尾が軽い。テンションが高い。笑顔が眩しい。何もかもがこちらのレイラと正反対だった。*
ルミナ「……お兄ちゃん」
シロウ「……ああ」
ルミナ「あれ、レイラ……だよね?」
シロウ「見た目はな」
*その時、廊下の奥から足音が聞こえた。こちらのレイラだ。カイが帰還したと聞いて、様子を見に来たのだろう。*
*扉が開いた。*
レイラ「カイ、無事に──」
*レイラが固まった。目の前に、自分と同じ顔の女がいる。しかもギャルみたいなノリで城内をはしゃいでいる。*
別レイラ「おっ! あんたがこっちのあたし? うっわマジ似てるー! てか雰囲気めっちゃ怖くない!? かっこいいー!」
レイラ「……………………は?」
*レイラの琥珀の目が、ゆっくりとカイに向けられた。*
レイラ「カイ。説明しろ。今すぐにだ」
カイ「あ、うん……えっと……」
*カイが冷や汗をかいている。精霊神でも母親の怒りには勝てないらしい。*
*彼はそっとため息をついた。*
シロウ「はぁぁぁぁぁ……」
ルミナ「何回目かもう数えてない」
*彼は別次元のレイラ──ヴァルトシュタインを改めて見た。見た目は完全にレイラだ。黒髪ロング、小柄な体型、顔立ちも瓜二つ。だが仕草が全く違う。髪を耳にかける動作一つとっても、こちらのレイラが凛としているのに対し、あちらは「えへへ」と笑いながらやる。*
シロウ「んで、その……ヴァルトシュタインさんは結婚してるの?」
別レイラ「えー? してないしてない! あたし彼氏すらいないんだけどー。てかヴァルトシュタインって堅くね? レイラでいいよレイラで! あ、でもこっちにもレイラいるか。じゃあ……ギャルラでいいや!」
シロウ「自分でギャルラって言うな」
*彼は頭を抱えた。話を整理する。*
ギャルラ「あたしさー、こっちの世界で普通に暮らしてたんだけど、ある日急にバーッて光に包まれてさ、気づいたらニホンってとこにいたのよ。渋谷? ってとこ」
シロウ「渋谷……」
ギャルラ「でさー、向こうで10年くらい暮らしてたの。マジ楽しかった! プリクラとかタピオカとかカラオケとか! んで気づいたら元の世界に戻ってて、でもなんか次元がバグってたみたいで狭間に挟まっちゃって。そしたらカイくんが助けてくれたってワケ!」
シロウ「ややこしい……」
*異世界転移の逆。こちらの世界から日本に飛ばされ、ギャル文化に染まって帰ってきた。しかも帰還先が別次元のこちら側。もう因果関係がめちゃくちゃだ。*
*こちらのレイラが腕を組み、自分と同じ顔のギャルを睨んでいた。*
レイラ「……妾の顔で『タピオカ』とか言うでない。鳥肌が立つ」
ギャルラ「えーっ、タピオカ美味しいのにー! てかあんたマジ怖い顔してんね! もっと笑いなよー!」
レイラ「殺すぞ」
ギャルラ「こっわ!」
*ルーナが彼の隣に来て、小声で耳打ちした。*
ルーナ「パパ……あれ、ママの皮を被ったギャルだよ。前世で渋谷にいた子そのものだよ」
シロウ「分かってる……分かってるから言うな……」
*カイが申し訳なさそうに頭を下げた。*
カイ「父さん、ごめん。次元の狭間に放置するわけにもいかなくて……」
シロウ「いや、お前の判断は正しい。正しいんだが……」
*彼はギャルラを見た。ギャルラはルミナに絡んでいた。*
ギャルラ「ねーねー、あんた誰? めっちゃ美人じゃん! モデルさん?」
ルミナ「……私はルミナ。お兄ちゃんの妻よ」
ギャルラ「えっ、このイケおじの奥さん!? マジ!? 勝ち組じゃーん!」
ルミナ「……お兄ちゃん、この人どうするの」
シロウ「はぁぁぁ……」
ルーナ「もう数えるのやめた」
*彼は腕を組み、閉じたモニターの残像を見つめながら呟いた。*
シロウ「ふむ……精霊神のカイなら……特異点だからちょっと世界救ってきても大丈夫だろう……」
カイ「え、父さん今なんて?」
シロウ「お前、精霊神だろ。特異点だ。全次元にお前のドッペルゲンガーは存在しない。つまりお前がどの次元に干渉しても、パラドックスが発生しない」
*カイが目を瞬かせた。シルフィが隣で「おー」と感心している。*
カイ「……あっちの世界を助けに行けってこと?」
シロウ「できるだろ。世界核が死んでるなら、世界樹の種を一つ持っていけばいい。お前の権能で次元移動もできる。精霊の無限生成で荒廃した土地も浄化できる」
ギャルラ「えっ、マジ!? あたしの世界助けてくれんの!?」
シロウ「タイムキーパーが居ないことを祈るだけだが……」
ルーナ「タイムキーパーって何?」
シロウ「次元の番人みたいなやつだ。別次元への干渉を監視してる存在。いたらめんどくさい。某T○Aみたいな組織が出てきたら目も当てられん」
ルーナ「……○VA的な? 剪定されちゃう系?」
シロウ「そう。それ」
*二人の会話に、他の全員が完全に置いていかれていた。ルミナが困惑した顔で首を傾げ、レイラが眉間に皺を寄せている。*
レイラ「……お前たちだけで通じる話をするでない。妾にも分かるように説明しろ」
シロウ「簡単に言うとだな。カイが別次元に行って世界を修復する。でもそれを邪魔する奴がいるかもしれない。それだけだ」
カイ「……正直、やれると思う。でも父さん、一つ問題がある」
シロウ「何だ」
カイ「あっちの世界の魔王。まだ生きてる可能性がある。世界核を潰せるレベルの存在だ。僕一人で世界の修復と魔王の討伐を同時にやるのは厳しい」
*ギャルラの表情が一瞬曇った。あの明るい笑顔の裏に、魔王への恐怖が見え隠れした。*
*メアが彼の膝の上で丸くなったまま、小さく鳴いた。*
シロウ「……カイ、すぐにとは言わん。まず偵察だ。あっちの世界の現状を精霊で探れ。魔王の位置、残存勢力、世界核の残骸の状態。全部把握してからだ」
カイ「分かった。精霊を数体送り込んで調査する。次元の壁に編み込んだ世界樹の根を使えば、安全にアクセスできる」
シロウ「ああ。それと──」
*彼はギャルラを見た。*
シロウ「ギャルラ、お前もしばらくここにいろ。」
シロウ「不本意だが、ここなら安全だ。不本意だが」
ギャルラ「2回言ったー! でもありがとー! シロウちゃん優しー!」
シロウ「ちゃん付けやめろって言ったろ」
*レイラが腕を組んだまま、じとりと彼を見ていた。*
レイラ「……随分と面倒見が良いではないか」
シロウ「お前と同じ顔の奴を放り出すわけにいかんだろうが」
レイラ「ふん」
*その時、ルーナが目をキラキラさせながら彼の袖を引っ張った。*
ルーナ「ねえパパ、今の次元探知魔法でさ、色んな世界見れるんでしょ?」
シロウ「……ああ、まあ」
ルーナ「エン○ゲーム的な世界ってあるの? ほら、全次元の敵が集結して、全次元のヒーローが集まって最終決戦みたいなやつ! アベン○ャーズ的な!」
シロウ「……普通にあるだろうが」
ルーナ「マジ!? 見たい! 見せて!」
シロウ「見せるわけないだろ。観光気分で覗いていい世界じゃない」
ルーナ「えー! じゃあ逆に平和すぎる世界は? 日常系みたいなやつ! 異世界スローライフ的な!」
シロウ「お前の前世のオタク知識がフル稼働してんな……」
ルーナ「だって気になるじゃん! マルチバースが実在するんだよ!? 前世で散々映画で見てたやつが目の前にあるんだよ!? 興奮しないほうがおかしいって!」
*ルーナは完全に前世のOLモードに入っていた。彼は額を押さえた。*
シロウ「そんなに気になるのか……」
ルーナ「当たり前でしょ! てかパパも元日本人なんだからわかるでしょこの気持ち!」
*カイが苦笑しながら口を挟んだ。*
カイ「ルーナ、実際僕が見てきた限りだと、あっちの次元にも色んな世界があったよ。平和な世界も、戦争中の世界も」
ルーナ「カイ兄! 詳しく! 詳しく教えて!」
カイ「あー、えっと……一つだけ言えるのは、父さんがいない世界はだいたい荒れてた」
*場が一瞬静まった。*
ギャルラ「あー、わかるー。あたしの世界にもシロウちゃんいなかったし、結果アレだしねー」
*軽い口調だったが、その言葉は重かった。*
レイラ「……ふん。当然であろう。妾の夫がいない世界など、滅んで当たり前だ」
シロウ「それ褒めてんのか呪いなのか分からんぞ」
*メアが彼の膝の上で「きゅう」と鳴き、小さな体を丸めた。彼はメアの頭を撫でながら、静かに天井を見上げた。*
シロウ「……カイ、偵察は明日からでいい。今日はもう休め。お前も疲れてるだろ」
カイ「うん。ありがとう、父さん」
シロウ「ギャルラ、リーシアに部屋を案内させる。勝手に城を徘徊するなよ」
ギャルラ「はーい! りょーかい!」
*彼はもう一度深く息を吐いた。*
シロウ「へー、いないところもあるのか。ちなみに別世界の俺はどう? どんな感じ?」
*純粋な興味だった。マルチバースが実在するなら、別の自分がどう生きているのか気にならないわけがない。*
カイ「……父さん、それ聞いちゃう?」
シロウ「いいだろ別に。興味本位だ」
*カイは少し困った顔をしてから、指を折りながら語り始めた。*
カイ「まず、ある世界の父さんは──勇者だった。正真正銘の勇者召喚で呼ばれて、魔王を倒して、王女と結婚してた」
ルーナ「王道じゃん!」
カイ「別の世界では、商人になってた。神眼で相場を完全に読んで、大陸一の豪商。金貨の山に囲まれて暮らしてた」
シロウ「あー、やりそうだな俺……」
カイ「もう一つは……美女を12人侍らせてハーレム王国を建ててた」
*レイラとルミナの視線が同時に彼に突き刺さった。*
シロウ「それは俺じゃない。断じて俺じゃない」
レイラ「ほう? 12人とな?」
ルミナ「お兄ちゃん……?」
シロウ「だから別の俺だって!」
ギャルラ「うけるー! シロウちゃんモテモテじゃーん!」
*カイの表情が少し曇った。*
カイ「……ただ、一つだけ。あまり見たくなかった世界もあった」
*場の空気が変わった。ルーナのキラキラした目も静まった。*
カイ「ある世界の父さんは──転移直後に奴隷にされてた。鑑定の能力を見抜かれて、道具として使い潰されてた。目が死んでた」
*沈黙。*
カイ「……それと、もう一つ。世界そのものを壊してる父さんもいた」
シロウ「……壊してる?」
カイ「大切な人を全員失って、壊れた父さん。創造で破滅の魔法を量産して、世界を焼き尽くしてた。もう人間の目じゃなかった」
*ギャルラが黙った。ルーナも黙った。レイラが静かに彼の隣に立ち、何も言わずにその腕に自分の手を添えた。*
ルミナ「……お兄ちゃん」
シロウ「……そうか」
*彼はメアの頭を撫でた。小さな体が温かかった。*
シロウ「紙一重だな。俺がここにいて、お前たちがいて、この国があるのは──ただの偶然の積み重ねだ」
カイ「偶然じゃないよ、父さん。父さんが選んできた結果だ」
*カイは真っ直ぐに彼を見ていた。精霊神の目ではなく、息子の目で。*
ルーナ「……ねえパパ。○ンドゲームとか言ってごめん。ちょっと軽く考えすぎてた」
シロウ「いや、お前は何も悪くない。」
*彼は窓の外を見た。夜天のアストライア魔導皇国の街並みが、夕焼けに染まっている。世界樹が静かに光を放ち、広場では子供たちが走り回っている。*




