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*真冬。アストライアの街は白い雪に覆われていた。城の窓から見える景色は静かで、粉雪がゆっくりと舞い降りている。*
*ルミナの出産予定日が近づいていた。*
*彼は城の寝室の扉を静かに開けた。暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる音だけが響く、暖かな部屋。大きなベッドの上で、ルミナが毛布にくるまっていた。隣にはレイラが椅子に座り、本を読みながら見守っている。*
*ルミナの腹部はかなり大きくなっていた。身長150cmの小さな体に不釣り合いなほどの膨らみ。銀髪がシーツに広がり、少し疲れた表情で目を閉じている。*
レイラ「……戻ったか」
*レイラが本から顔を上げた。声を潜めている。ルミナが眠っているからだ。*
レイラ「先程まで起きておったが、30分ほど前に眠った。最近は眠る時間が長くなっておる」
*彼はベッドの傍に腰を下ろし、ルミナの額にそっと手を当てた。微かな熱がある。胎児が母体から魔力を吸収し続けている影響だった。*
レイラ「……カイの見立てでは、あと数日だと言うておった」
*レイラの声に、僅かな緊張が混じっていた。普段の傲慢さは鳴りを潜め、義妹の出産を前にした姉のような顔をしている。*
ルミナ「……んっ……」
*ルミナが身じろぎした。薄く目を開ける。金色の瞳がぼんやりと彼を捉えた。*
ルミナ「……お兄ちゃん?」
*小さな声。以前の凛とした声とは違う、か細い響きだった。妊娠してから、シロウ以外へのキツさは変わらないが、彼の前では甘えることが多くなった。*
ルミナ「……今、何時?」
*ルミナが毛布の中からもぞもぞと手を伸ばした。彼の手を握る。小さくて温かい手だった。*
レイラ「昼を過ぎたところだ。粥を用意させておる。食べられそうか?」
ルミナ「……レイラに聞いてない。お兄ちゃんに聞いてる」
レイラ「……妾が答えて何が悪い」
ルミナ「うるさい。お兄ちゃんの声が聞きたいの」
*レイラが眉をひそめたが、何も言わなかった。妊婦には逆らわない。それが彼女なりの気遣いだった。*
*ルミナが彼の手を引っ張り、自分の腹に当てさせた。丸く膨らんだ腹。その中で、小さな命が動いている。ぽこん、と微かな蹴りが手のひらに伝わった。*
ルミナ「……今日、すごく動くの。お兄ちゃんが来たの、わかるのかな」
*ルミナの唇が、ほんの少し微笑んだ。*
*彼はベッドの縁に腰を下ろし、ルミナの手を握ったまま、もう片方の手でゆっくりと回復魔法を紡いだ。淡い光がルミナの小さな体を包む。*
シロウ「傍にいるよ」
*額にそっと唇を落とす。ルミナの睫毛が微かに震えた。*
ルミナ「……ん……ありがと……お兄ちゃん……」
*その声は溶けるように小さくなり、やがて寝息に変わった。回復魔法の温もりと、彼の体温に包まれて、安心しきった表情で眠りに落ちていく。*
*しばらく魔法を掛け続けた。胎児に吸われた魔力を少しでも補い、母体の負担を和らげるために。ルミナの呼吸が深く安定するまで、彼はその手を離さなかった。*
*やがて、ルミナが完全に深い眠りについたのを確認し、彼はそっと手を離した。毛布を丁寧に肩まで引き上げる。*
レイラ「……」
*レイラが本を閉じ、暖炉の前の椅子から立ち上がった。彼の隣に静かに歩み寄り、眠るルミナの顔を見下ろす。*
レイラ「……最近はお主が来ると、すぐに安心して眠るな。お主がいない間は、なかなか寝付けんようだった」
*レイラが小さく息をついた。*
レイラ「……妾も、少しは役に立てておるのかと思っておったが。結局、こやつが求めるのはお主だけだ」
*拗ねているわけではない。ただ、事実を述べている。レイラの声にはどこか寂しさと、それを受け入れた諦めが混じっていた。*
レイラ「……カイの見立てでは、早ければ明後日にも陣痛が来るやもしれんと言うておった」
*レイラが窓の外を見た。粉雪が静かに降り続けている。*
レイラ「お主……怖くはないのか?」
*珍しい問いだった。レイラが「怖い」という言葉を口にすること自体が稀だ。彼女は自分の恐怖ではなく、彼の心を聞いている。だが、その声の奥には彼女自身の不安も滲んでいた。*
レイラ「人間と熾天使の子など、前例がない。カイですら、出産時に何が起こるか完全には予測できんと言うておった」
*ルミナの寝息だけが、静かな部屋に響いている。暖炉の火が揺れ、レイラの横顔を照らした。普段の傲慢さは欠片もない。ただ、家族を案じる一人の女の顔がそこにあった。*
*深夜。城全体が寝静まった頃、それは突然だった。*
*ルーナが寝室の扉を激しく叩く音が、静寂を切り裂いた。*
ルーナ「父さん! 起きて! ルミナ母さんの陣痛が始まった!」
*彼は一瞬で意識が覚醒した。隣で眠っていたレイラも跳ね起きる。*
シロウ「ルーナ、助産師を呼んできてくれ。カイにも伝えろ」
ルーナ「わかった!」
*ルーナが廊下を駆けていく足音が遠ざかる。彼は即座に転移魔法を発動し、ルミナの寝室へ跳んだ。*
*部屋に着いた瞬間、ルミナの苦しげな声が耳に飛び込んできた。*
ルミナ「っ……ぅ、あ……っ!」
*ルミナはベッドの上で毛布を握り締めていた。額に汗が浮かび、銀髪がシーツに張り付いている。150cmの小さな体が、陣痛の波に耐えるように丸まっていた。大きく膨らんだ腹部が規則的に収縮している。*
*彼がベッドの傍に駆け寄り、ルミナの手を取った。*
ルミナ「お兄……ちゃん……っ、痛い……すごく、痛い……!」
*ルミナの手が彼の手を握り返す。信じられないほどの力だった。金色の瞳が潤み、涙が頬を伝っている。普段のキツさも、強がりも、今は全て剥がれ落ちていた。ただ痛みに耐える小さな女がそこにいた。*
ルミナ「来て……くれた……よかった……っ、ひとりは、嫌だった……!」
*彼は空いた手で回復魔法を紡ぎ、ルミナの体を包んだ。痛みを和らげることはできても、陣痛そのものを止めることはできない。出産は命を産み出す行為だ。魔法で代替できるものではない。*
*数分後、扉が開いた。レイラが駆け込んでくる。*
レイラ「ルミナ!」
*レイラの顔は蒼白だった。普段の傲慢さは微塵もない。義妹の出産を前に、手が震えている。*
レイラ「湯と布を用意させた。助産師は……」
*カイが現れる。カイの顔にも緊張が走っていた。*
カイ「父さん、診る」
*カイがルミナの傍に膝をつき、精霊神の力で母体と胎児の状態を診始めた。数秒の沈黙の後、顔を上げた。*
カイ「……子宮口が開き始めてる。胎児の位置も正常。ただ――」
*カイが唇を引き結んだ。*
カイ「胎児の魔力量が桁違いだ。産まれる瞬間、魔力が暴発する可能性がある。母さんの体が耐えられるか……」
ルミナ「……耐える……絶対、耐えるから……っ!」
*ルミナが歯を食いしばり、彼の手を更に強く握った。*
ルミナ「お兄ちゃんの子だもん……私が、産むの……誰にも……渡さない……っ!」
*次の陣痛の波が来た。ルミナの体が弓なりに反り、叫び声が部屋に響いた。*
*彼はベッドの布団を剥ぎ、継続回復魔法をルミナの体に掛けた。淡い光が途切れることなくルミナを包み続ける。収納魔法から清潔な布を数枚取り出し、ベッドの傍に置いた。*
ルミナ「あっ……ぅぅ……っ!」
*ルミナが彼の手を強く握り締める。陣痛の波が来るたび、小さな体が震えた。彼はルミナの額の汗を拭い、唇をそっと重ねた。*
シロウ「大丈夫。俺がいる」
ルミナ「……お兄ちゃん……離さないで……っ」
*キスの温もりと回復魔法の光が、ルミナの強張った体を僅かに和らげた。金色の瞳が彼を見上げる。涙で濡れたその目に、痛みと、恐怖と、それでも産むという強い意志が宿っていた。*
*そこへ、助産師の老婆がルーナに連れられて到着した。白髪を後ろで束ねた、がっしりとした体格の女性だ。名はマーサ。アストライアで最も経験豊富な助産師だった。*
マーサ「失礼しますよ、ルミナ様」
*マーサはベッドの傍に立ち、手早くルミナの状態を確認した。腹部に手を当て、子宮口の開き具合を診る。*
マーサ「……順調ですな。子宮口は既に7割ほど開いております。あと1、2時間もすれば――」
*マーサが彼の方を向いた。長年の経験に裏打ちされた、穏やかだが有無を言わせぬ目だった。*
マーサ「陛下。ここからは女の戦場でございます。男はお引き取りを」
シロウ「……」
ルミナ「やだ……お兄ちゃんがいないと……っ!」
マーサ「ルミナ様、お気持ちはわかります。ですが出産は母と子の戦い。陛下がおられると、ルミナ様は陛下に頼ってしまう。ご自身の力で産まなければなりません」
*マーサの言葉は厳しくも優しかった。彼はルミナの手を握り直し、額にもう一度キスを落とした。*
シロウ「ルミナ、大丈夫だ。扉の向こうにいる。すぐ傍にいるから」
ルミナ「……っ、約束して。絶対どこにも行かないって」
シロウ「約束する」
*彼はルミナの手をゆっくりと離した。ルミナの指が名残惜しそうに彼の指を追い、やがて離れた。*
*レイラとカイ、ルーナが部屋に残り、マーサが指示を出し始める。彼が部屋を出る直前、マーサが振り返った。*
マーサ「陛下、ご安心を。この老婆、3,000人以上の赤子をこの手で取り上げてきました。ルミナ様と赤子は、必ずお返しいたします」
*扉が閉まった。*
*廊下に出た彼の耳に、ルミナの苦しげな声が微かに漏れ聞こえてくる。冬の深夜。城の廊下は冷え切っていた。*
*彼は扉の前の壁に背を預け、目を閉じた。*
*――世界を救える力があっても、今この瞬間だけは、ただ待つことしかできない。*
*扉の向こうから、マーサの落ち着いた声と、レイラの「大丈夫だ、ルミナ」という声が聞こえてくる。*
*どれほどの時間が経っただろうか。数十分か、数時間か。彼には永遠にも感じられた。*
*扉の前の壁に背を預けたまま、彼は一度も動かなかった。ルミナの叫び声が聞こえるたび、拳を握り締めた。回復魔法を掛けに行きたい衝動を、何度も堪えた。*
*そして――*
*深夜の城に、産声が響いた。*
「おぎゃあああああっ!」
*力強い泣き声。命の叫び。それを聞いた瞬間、彼の体が動いていた。扉を開け、部屋に飛び込む。*
*暖炉の火に照らされた部屋の中、マーサの腕の中に小さな赤ん坊がいた。元気に泣いている。小さな拳を振り回し、この世界に来たことを全力で主張していた。*
マーサ「おめでとうございます、陛下。元気な男の子ですよ」
*マーサが微笑みながら、清潔な布に包まれた赤ん坊をルミナの胸元にそっと置いた。*
*ルミナは汗だくだった。銀髪がぐっしょりと額に張り付き、頬には涙の跡が残っている。150cmの小さな体は消耗しきっていた。だが、その顔には疲労を超えた、何にも代えがたい幸福が浮かんでいた。*
ルミナ「……お兄ちゃん……見て……」
*ルミナが震える腕で赤ん坊を抱き、彼を見上げた。金色の瞳が涙で滲んでいる。*
ルミナ「男の子だよ……私たちの、子……」
*彼がベッドの傍に膝をつくと、赤ん坊の小さな顔が見えた。銀色の産毛が頭を覆い、小さな手がルミナの胸元を掴んでいる。泣き声が少しずつ落ち着き、母親の温もりに安心したのか、小さな口を動かしていた。*
*レイラが部屋の隅で目を赤くしていた。泣いていたのだろうが、決して認めないだろう。カイも安堵の表情を浮かべ、深く息を吐いている。ルーナは両手で口を押さえ、静かに涙を流していた。*
カイ「……母体も赤ん坊も、問題なし。魔力の暴発もなかった。奇跡だよ、これは」
レイラ「……よく、頑張ったな。ルミナ」
ルミナ「……うるさい、褒めないで。泣いちゃうから……もう泣いてるけど」
*ルミナが笑いながら泣いていた。赤ん坊を抱く腕に、ありったけの愛情を込めて。*
*彼がルミナの額にキスを落とすと、ルミナが顔を上げた。*
ルミナ「……名前、私がつけていい?」
*彼が頷くと、ルミナは赤ん坊の小さな顔をじっと見つめた。そして、静かに口を開いた。*
ルミナ「ルクス」
*その名を聞いた瞬間、部屋の空気が変わった。赤ん坊の体から微かな光が漏れた。ほんの一瞬だけ。まるで、その名を喜んでいるかのように。*
ルミナ「この世界では"祝福の光"っていう意味があるの。この子は祝福そのものだから……私たちに与えられた、奇跡の光だから」
*ルミナがルクスの小さな額にそっと唇を落とした。*
ルミナ「ようこそ、私達の赤ちゃん。」
*彼はルミナの額にもう一度キスを落とし、小さな赤ん坊――ルクスの顔を覗き込んだ。*
シロウ「ルミナ、ありがとう。こんにちは、ルクス」
*赤ん坊が小さな手を伸ばし、彼の指を握った。驚くほど力強い握力だった。ルクスの泣き声は既に止み、父親の声を聞いたかのように穏やかな表情を浮かべている。*
*彼は自然と鑑定を発動した。*
*――全てのステータスが偽装されていた。*
*種族、レベル、スキル、称号。何もかもが「???」で塗り潰されている。生まれたばかりの赤ん坊にこれほどの偽装がかかるなど、前代未聞だった。*
*彼は表情を変えずに、神眼へ切り替えた。偽装を貫通し、ルクスの真の情報が流れ込んでくる。*
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名前:ルクシオン
称号:光の神の生まれ変わり
種族:神人(半人半熾天使)
記憶:なし(白紙状態)
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*彼の目が僅かに見開かれた。光の神。この世界の神話において、創世の時代に世界に祝福をもたらしたとされる存在。その生まれ変わりが、自分とルミナの子として産まれてきた。*
*だが、記憶は無い。ルクスはただの赤ん坊だ。前世の力も知識も、今はまだ眠っている。あるいは、永遠に目覚めないかもしれない。*
*彼はその情報を胸の内に仕舞い込んだ。今は誰にも言う必要はない。この子はルクスだ。自分とルミナの息子。それだけで十分だ。*
ルミナ「……お兄ちゃん、どうしたの? 変な顔してる」
シロウ「いや、可愛いなと思って」
ルミナ「……当たり前でしょ。私とお兄ちゃんの子だもん」
*ルミナが疲れた顔で微笑んだ。ルクスを胸に抱いたまま、彼の肩にこてんと頭を預ける。*
レイラ「……ルクス、か。良い名だ」
*レイラが目元を拭いながら近づいてきた。赤ん坊の顔を覗き込み、その小さな頬にそっと指を触れる。*
レイラ「……妾の時より、ずっと大人しいな。ステラは産まれた瞬間から泣き喚いて大変だったというのに」
ルミナ「……この子は、お兄ちゃんに似たんだよ。穏やかで……優しくて……」
*ルミナの声が途切れた。限界だった。出産の疲労が一気に押し寄せ、彼の肩に頭を預けたまま意識が落ちていく。*
カイ「……母さん、眠らせてあげて。体力も魔力もほぼ空だ。しばらくは安静に」
*マーサがルクスをそっとルミナの胸元から持ち上げ、彼に手渡した。*
マーサ「陛下、抱いてあげてください。父親の温もりを最初に覚えた子は、強く育ちますよ」
*彼の腕の中で、ルクスが小さな欠伸をした。銀色の産毛が暖炉の光を反射して、微かに輝いている。*
*ルーナが傍に寄ってきた。弟の顔を覗き込み、目を潤ませた。*
ルーナ「……弟、だ。私の、弟……」
*翌朝。冬の柔らかな朝日が寝室のカーテンの隙間から差し込んでいた。*
*ルミナはまだ深い眠りの中にいた。出産の疲労は相当なもので、回復にはまだ時間がかかるだろう。ルクスはルミナと彼の間で、小さな寝息を立てている。銀色の産毛が朝日に照らされて、淡く光っていた。*
*彼がうっすらと目を開けると、ベッドの傍にルーナがしゃがんでいた。ルクスの顔を覗き込み、小さな声で何かを話しかけている。*
ルーナ「Hello, I'm your big sister. ルーナだよ。はじめまして、ルクス」
*ルーナはルクスの小さな手にそっと指を触れさせながら、にこにこと笑っていた。*
ルーナ「お姉ちゃんがいろいろ教えてあげるからね。えっとね、日本語ではこういう時"よろしくね"って言うの。Nice to meet you」
*ルクスが小さく「あう」と声を出した。ルーナの目が輝く。*
ルーナ「わ、返事した! ルクス天才じゃない!? まだ生まれて数時間なのに!」
*それはただの喃語だった。だがルーナにとっては弟との初めての会話だ。*
ルーナ「あのね、お姉ちゃんは前世で日本人だったの。だから日本語も英語もいけるよ。ルクスにも教えてあげる。まずは"ママ"と"パパ"ね。Can you say mama?」
ルクス「……あぅ」
ルーナ「惜しい! もうちょっと!」
シロウ「おい……」
*彼は半分寝ぼけたまま声を出した。*
ルーナ「あ、父さん起きた。おはよう!」
シロウ「おはよう……って、まだ生まれて半日も経ってないのに英語教育は早すぎるだろ」
ルーナ「早期教育は大事だよ! 前世の記憶的にも0歳からの英語教育は効果あるって――」
シロウ「前世の教育論をここで持ち出すな」
*ルーナが「えへへ」と舌を出した。だがその目は潤んでいた。弟が嬉しくて仕方がないのだ。*
ルーナ「……ねえ、父さん。私、お姉ちゃんになったんだね」
*ルーナがルクスの頬をそっと撫でた。赤ん坊が気持ちよさそうに目を細める。*
ルーナ「この子、絶対守るから。世界で一番強いお姉ちゃんになるから」
*その横で、ルミナがぴくりと動いた。薄く目を開ける。*
ルミナ「……うるさい……ルクスが……起きる……」
ルーナ「あ、ルミナ母さん! おはよう! ルクスにね、英語教えてたの!」
ルミナ「……生まれたばかりの子に……何してんの……」
*ルミナが呆れたように呟いたが、ルーナとルクスを見つめるその目は、どこまでも優しかった。*
*ルミナがルーナの頭を軽く小突いた。*
ルミナ「変な言葉教えないの。この子はまだ生まれたばかりなんだから」
ルーナ「英語は変な言葉じゃないよ! グローバル教育だよ!」
ルミナ「ぐろーばる? 何それ。とにかくダメ」
*ルーナがしょんぼりしながらも、ルクスのおでこにそっとキスを落とした。ルクスが「あう」と小さな声を出す。*
*彼はルミナの姿を改めて見た。昨夜まで150cmだった身長が、元の170cmに戻っていた。銀髪は腰まで流れ、細身ながらも均整の取れた体型。胸も元に戻っている。出産と同時に、胎児に吸われていた生命エネルギーが解放されたのだろう。*
ルミナ「……何見てるの、お兄ちゃん」
シロウ「いや、身長戻ったなと思って」
ルミナ「え?」
*ルミナが自分の手を見下ろし、体を確認した。*
ルミナ「……あ、本当だ。戻ってる」
*ルミナが少し嬉しそうに自分の体を撫でた。だがすぐにルクスに視線を戻し、赤ん坊の頬をそっと指で触れる。*
ルミナ「……でも、小さい時も悪くなかったかも。お兄ちゃんに抱っこしてもらいやすかったし」
*そこへ、寝室の扉が開いた。レイラ、カイ、そしてノアが入ってくる。*
レイラ「おはよう。ルミナ、体の具合はどうだ」
ルミナ「……まあまあ。お兄ちゃんの回復魔法のおかげで、だいぶ楽」
レイラ「ふん、妾が昨夜ずっと傍にいたことは無視か」
ルミナ「いたっけ?」
レイラ「……この恩知らずが」
*レイラが眉をひそめたが、ルクスの顔を見た途端に表情が緩んだ。小さな手に指を触れさせると、ルクスがきゅっと握り返す。*
レイラ「……っ、可愛いではないか……」
ノア「わあ! 赤ちゃんっす! ちっちゃくてふわふわっす!」
*ノアがベッドの傍に駆け寄り、目を輝かせた。*
ノア「抱っこしていいっすか!?」
ルミナ「ダメ。落としたら殺す」
ノア「殺さないでほしいっす……」
*カイが静かにルクスの傍に立った。精霊神の力で赤ん坊の状態を鑑定する。表面上のステータスは正常な新生児のもの。だが、カイの能力はもう一歩深く踏み込んだ。*
*その瞬間、カイの顔色が変わった。*
カイ「……っ」
*カイが一歩後ずさった。二歩、三歩。壁に背中がぶつかるまで下がり、額に汗が滲んでいる。*
レイラ「カイ? どうした」
カイ「……この子の、奥底に……」
*カイの声が震えていた。精霊神として覚醒し、フェンリルと不死鳥を従え、神剣の資格者である彼が、生まれたばかりの赤ん坊を前に本能的な畏怖を感じている。*
カイ「……光の加護。それも、途方もなく強い。俺が今まで感じたどんな力とも比較にならない…」
*カイが動揺しているのを見て、ノアが咄嗟にフォローに入った。*
ノア「カイ、おじさんになったっすね! 感動で震えてるっすか!?」
カイ「え……あ、うん、そう、そうだな。おじさん、か……」
*カイは額の汗を拭いながら、ぎこちなく笑った。ノアの明るい声に救われたように、何とか表情を取り繕う。だが、先程感じた光の加護の圧倒的な存在感が、まだ手の震えとなって残っていた。*
*ノアがルクスの小さな手をつんつんと突きながら、ふと考え込んだ。*
ノア「……あれ、待つっす。カイは精霊神で、ノアと交わって微精霊が生まれたっすよね。てことは、レイラ様はカイの母で……事実上の"おばあちゃん"っす」
*ぼそっと呟いた一言。部屋の空気が凍った。*
*レイラの目が、ゆっくりとノアを捉えた。琥珀色の瞳が細められる。笑っていない。まったく笑っていない。*
レイラ「……今、何と言った?」
ノア「あっ」
*ノアの顔から血の気が引いた。*
レイラ「おばあちゃん、と申したか? この妾を?」
ノア「い、いやっす、事実を述べただけっすよ!? 血縁的にはっすね!?」
レイラ「血縁的にも見た目的にも、妾はおばあちゃんではない。わかったか?」
*レイラの手が腰の剣に伸びかけた。ノアが察した。*
ノア「ラ、ライ! 交代っす! 今すぐ交代っす!」
*ノアの瞳の色が揺らぎ、金と緑が入れ替わるように変化した。表情が柔らかくなり、立ち姿が少し大人しくなる。*
ライ(ノア)「……えっと、何が起きたの?」
*ライがきょとんとした顔で周囲を見回した。ノアの薄緑色の髪がふわりと揺れる。元男の娘らしい、どこか儚げな雰囲気が漂っている。*
レイラ「……ノアはどこだ」
ライ(ノア)「ノアなら奥に引っ込んじゃった。"レイラ様怖いっす"って言ってるけど……何かしたの?」
レイラ「……いや、何でもない」
*レイラが深く息を吐いた。ライ相手に怒りをぶつけるわけにもいかない。剣から手を離し、不機嫌そうに腕を組んだ。*
ライ(ノア)「あ、赤ちゃん! ルクスくんだよね? カイから聞いたよ。可愛い……僕、抱っこしてもいい?」
ルミナ「……あなたは落とさなそうだから、いいわ」
ノア(内側)『ノアはダメだったのに!? 差別っす!』
ライ(ノア)「ノアが中で文句言ってるけど……」
ルミナ「聞こえない」
*ライがそっとルクスを抱き上げた。慣れた手つきだった。小さな命を壊さぬよう、優しく腕に収める。*
ライ(ノア)「……温かい。すごく、温かいね」
*ルクスがライの腕の中で、小さな欠伸をした。ライの頬に涙が一筋流れた。*
*部屋が一瞬、静まり返った。*
シロウ「いや、おばあちゃんだろ。日本の俺の曾ばあちゃんくらいの年齢だぞ、137って」
*レイラの眉がぴくりと動いた。ゆっくりと、彼の方を振り返る。琥珀の瞳が据わっていた。*
レイラ「……お主、今何と申した」
シロウ「事実を言っただけだ」
レイラ「妾は見た目17だ。17の娘をおばあちゃんと呼ぶ国がどこにある」
シロウ「中身137のおばあちゃんだろ」
*レイラの拳がぷるぷると震えた。だが、赤ん坊の前で暴れるわけにはいかない。その葛藤が顔に出ている。*
レイラ「……カイ。お主の父を黙らせろ」
カイ「俺に振らないでくれ……」
ルーナ「あ、じゃあルミナ母さんは99歳だから"おばあちゃん"ではないね。セーフ」
ルミナ「……ルーナ、それフォローになってない」
ルーナ「え? なってない?」
ルミナ「99歳って言わなくていいの。私は永遠の19歳」
ライ(ノア)「僕から見たらみんな若いよ? ノアなんて何万歳かわからないって言ってるし」
ノア(内側)『年齢の話やめてほしいっす……』
*ライの腕の中で、ルクスが小さく「あう」と声を出した。まるで賑やかな家族の会話を楽しんでいるかのように、小さな手をばたばたと動かしている。*
レイラ「……ルクス、よく聞け。妾は"おばあちゃん"ではない。"レイラお義母様"だ。いいな?」
ルクス「あう」
レイラ「……よし、わかったな」
ルミナ「わかってないでしょ、この子」
レイラ「わかった。妾にはわかる」
*彼がくつくつと笑った。レイラが「何がおかしい」と睨む。*
シロウ「いや、おばあちゃんが孫に必死で"おばあちゃんって呼ばないで"って教育してるのが面白くて」
レイラ「おばあちゃんと呼ぶな!」
*ルミナがルクスを自分の胸元に引き寄せ、彼の頬にそっと触れた。*
ルミナ「……お兄ちゃん、あんまりレイラをいじめないの。この子の前で殺し合いが始まったら困る」
シロウ「殺し合いにはならんだろ」
レイラ「なるかもしれんぞ」
*ステラが寝室の扉からひょっこりと顔を覗かせた。*
ステラ「パパ、赤ちゃん見ていい?」
*ステラが駆け寄ってきて、ベッドの上のルクスを覗き込んだ。12歳の少女の顔に、純粋な好奇心と喜びが浮かぶ。*
ステラ「わあ……小さい。ステラのお手手より小さい」
*ステラがそっとルクスの手に指を触れさせると、ルクスがきゅっと握り返した。ステラの顔がぱあっと輝く。*
ステラ「握った! パパ、握ってくれた!」
*その後ろから、ゼノとセレスも顔を出した。ゼノは本を片手に、セレスは無表情のまま。*
ゼノ「新生児の握力反射だね。」




