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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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シロウ「向こうの季節が分からんな……まぁ、何とかなるだろう」


*彼は窓の外を見た。こちらは初秋だが、日本の伊豆がどの季節かは転移してみないと分からない。前回の旅行では夏だったが、時間軸が完全に一致しているわけではない。*


シロウ(まぁ、暑くても寒くても向こうで買えばいい。金はある)


*ルミナは白いワンピースに着替えていた。以前はぴったりだったそれが、今は少しダボついている。165cmに縮んだ体には裾が長すぎた。それでも彼女は気にした様子もなく、くるりと一回転してみせた。*


ルミナ「どう? おかしくない?」


シロウ「向こうで新しいの買うから、それで十分だ」


*レイラは黒のロングスカートに深紅のブラウスという組み合わせだった。異世界の服だが、デザインが比較的シンプルなため日本でもギリギリ浮かない。*


レイラ「妾の装いに問題はなかろう」


シロウ「まぁ、コスプレっぽいけどな。到着したらすぐ買い物だ」


レイラ「こすぷれ?」


シロウ「気にするな」


*彼は二人に「言語理解」を付与した。前回の旅行では彼が全ての会話を通訳する羽目になり、注文だけで疲弊した苦い記憶がある。今回はその心配がない。*


シロウ「二人とも、日本語は理解できるようになってるから。話すのも聞くのも問題ないはずだ」


ルミナ「わぁ、便利! 前はお兄ちゃんが全部訳してくれてたもんね」


レイラ「ふむ。つまり妾が直接店の者に命令できるということじゃな」


シロウ「命令はするな。丁寧語で頼む」


レイラ「妾に丁寧語を強いるか」


シロウ「日本じゃ店員に偉そうにする客は嫌われる。頼むから普通にしてくれ」


レイラ「……善処する」


シロウ(不安しかない)


*彼は異空間収納の中身を最終確認した。ダイヤ原石1つ、金のインゴット2本、ルビーとサファイア各5個、日本円30万円、世界樹の実とエッセンス、着替え用の下着数枚。宝石類は到着後すぐに換金する必要がある。*


シロウ「よし。二人とも俺の手を握れ」


*ルミナが右手に、レイラが左手にしがみついた。*


ルミナ「お兄ちゃん、楽しみ!」


レイラ「妾も……少しだけ、楽しみじゃ」


シロウ「素直でよろしい。じゃあ行くぞ――転移」


*彼が転移魔法を発動した。空間が一瞬歪み、三人の体が光に包まれる。カイが言った通り、揺れも衝撃もない。まるで扉を開けて隣の部屋に入るかのように、滑らかに世界が切り替わった。*


ーー


シロウ「さむっ! コートコート!」


*転移先はいつもの東京の公園だった。見慣れたベンチ、見慣れた遊具。しかし景色が一変していた。一面の銀世界。木々の枝には雪が積もり、地面も真っ白に覆われている。吐く息が白い。気温はおそらく氷点下だ。*


*彼は即座に異空間収納からコートを3枚引っ張り出した。自分用の黒いダウンコート、ルミナ用の白いロングコート、レイラ用の深紅のコート。以前の日本旅行で購入したものだ。*


ルミナ「つめたっ! お兄ちゃん早く早く!」


*ルミナが両腕を抱えてガタガタ震えていた。白いワンピース一枚では当然だ。彼が素早くコートを羽織らせると、ルミナがコートの中に潜り込むようにして彼の腕にしがみついた。*


レイラ「ぬぅ……これが日本の冬か。妾の国にも雪はあったが、ここまで冷えるとは」


*レイラは深紅のコートを受け取ると、自分で手際よく羽織った。寒さに強い体質なのか、震えてはいないが鼻先が赤くなっている。*


シロウ「冬か……前回は夏だったのにな。やっぱり時間軸がズレてる」


*彼は公園の時計台を確認した。午前10時23分。日付の表示はない。周囲を見渡すと、雪かきをしている老人が一人いるだけで、人通りはほとんどなかった。*


ルミナ「お兄ちゃん、伊豆って遠い? もっと寒い?」


シロウ「東京より暖かいはずだ。海沿いだから雪も少ない。……けどまずはここで換金しないと」


*彼はポケットに手を突っ込んだ。前回利用した質屋「やまと」が近くにあったはずだ。ダイヤの原石を持ち込むには宝石専門の買取店が必要だが、まずは金のインゴットを換金して当面の資金を確保する方が早い。*


レイラ「シロウ、妾の足が冷たい」


*レイラが足元を見下ろした。異世界のブーツは防水性がなく、雪が染み込んでいる。ルミナも同様だった。*


シロウ「……靴も買わなきゃな。まずコンビニ行くか、温かい飲み物でも買って」


ルミナ「こんびに! あの何でも売ってるお店!」


レイラ「あの箱に入った温かい飲み物があったであろう。あれが良い」


シロウ「自販機な。了解」


*彼は二人の手を引いて公園を出た。雪を踏みしめる音が三人分響く。通りに出ると、数十メートル先にコンビニの看板が光っていた。*


シロウ(まずはコンビニで温まって、換金して、靴と防寒着を買って、それから伊豆へ移動……段取りが多いな)


*ルミナが右腕に、レイラが左腕に。両側からしがみつかれながら、彼は雪道を歩き始めた。*


シロウ「どれでも好きなのをどうぞ」


*彼は3本の缶を見せる。コーンポタージュ、おしるこ、甘酒。全て温かい。*


ルミナ「あたしこれ! 甘いやつ!」


*ルミナが迷わずおしるこを掴んだ。プルタブを開けると、甘い香りが湯気と共に立ち上る。一口飲んで目を丸くした。*


ルミナ「んんっ! 美味しい! お豆の味がする! あったかい……」


レイラ「妾はこれにする」


*レイラが甘酒を手に取った。蓋を開けて一口含み、僅かに眉を上げた。*


レイラ「……ほう。米の酒か? しかし酒にしては甘いな」


シロウ「ノンアルだから酒じゃない。米の飲み物だ」


レイラ「ふむ。悪くない」


*彼は残ったコーンポタージュを飲みながら歩いた。雪道に足跡が3人分刻まれていく。右腕にルミナ、左腕にレイラ。傍から見れば40代の男が美少女二人を連れ歩いている構図だ。*


*すれ違う若いカップルの女の子が、冬なのに生足を出していた。彼が一瞬目を向けると、よく見れば肌色のタイツだった。*


ルミナ「お兄ちゃん、今あの子の脚見た?」


シロウ「タイツの技術に感心しただけだ」


ルミナ「ふーん」


レイラ「シロウ、妾の脚の方が美しいであろう?」


シロウ「はいはい」


レイラ「はいは一回でよい」


*三人は駅前の通りに出た。雪かきされた歩道には人がちらほら歩いている。東京の冬にしては積雪が多い。大雪だったのだろう。*


シロウ「まず換金が先だ。この辺に貴金属買取の店があったはず」


ルミナ「お兄ちゃん、あたしの靴がびしょびしょ……」


*ルミナが片足を上げて見せた。異世界の革靴は雪に対応しておらず、靴下まで濡れている。レイラも同様だった。*


シロウ「……先に靴か。30万の現金はあるし、靴と防寒具を先に買おう」


*彼は記憶を辿った。駅前のショッピングモールなら靴屋もアパレルも揃っている。*


レイラ「シロウ、妾の足が冷たいと言ったであろう。早くせぬか」


ルミナ「あたしも! お兄ちゃん抱っこして!」


シロウ「道端で抱っこは目立つだろ。ほら、もうすぐだから」


*彼は二人を急かしながら、駅前のショッピングモールへ向かった。自動ドアが開いた瞬間、暖房の温かい空気が三人を包む。*


ルミナ「あったかーい!」


レイラ「ふぅ……文明の力というやつか」


シロウ「まず1階の靴屋だ。ブーツを買う」


*モール内は平日の午前中で空いていた。彼は靴屋の看板を見つけ、二人を引っ張っていった。*


*レイラの視線がガラスケースの中に鎮座するレザーブーツに釘付けになっていた。イタリア製の本革ロングブーツ。値札には「¥89,800」と記されている。*


レイラ「シロウ、あれが良い。あの黒い靴じゃ」


シロウ「ダメ! お金ない! 換金したら買ってやるから我慢して!」


レイラ「なっ……妾に我慢を強いるか!」


シロウ「今の手持ち30万で3人分の靴と防寒着買って、交通費も出すんだぞ。9万のブーツ買ったら詰む」


レイラ「しかしあのブーツは妾の脚に映えるであろう! 見ろ、あの革の艶を!」


ルミナ「レイラ、お兄ちゃんが困ってるでしょ。空気読みなよ」


レイラ「お主に言われとうないわ!」


*店員がこちらの様子を窺っている。彼は二人を引っ張って、隣の手頃な価格帯のコーナーへ移動した。*


シロウ「ほら、こっちにもブーツあるだろ。防水で暖かいやつ」


*彼が指差した先には、防水ムートンブーツが並んでいた。価格は1足¥5,980。機能性は十分だ。*


ルミナ「わぁ、ふわふわ! あたしこれがいい!」


*ルミナが白いムートンブーツを手に取って頬ずりした。素直でありがたい。*


レイラ「妾にこのような庶民の靴を履けと?」


シロウ「レイラ」


*彼はレイラの耳元に顔を寄せた。低い声で囁く。*


シロウ「換金したら、さっきのブーツと、あとお前が欲しいもの全部買ってやる。だから今は我慢してくれ」


レイラ「……全部、じゃぞ?」


シロウ「全部」


レイラ「……約束じゃからな」


*レイラが渋々黒いムートンブーツを手に取った。試し履きすると、不本意そうな顔をしながらも足元の温かさに少しだけ表情が緩んだ。*


レイラ「……悪くはない。認めぬが」


シロウ「素直じゃないな」


*彼はルミナの白いムートンブーツと、レイラの黒いムートンブーツ、自分用の防水スニーカーを持ってレジへ向かった。3足で約¥16,000。残り約¥284,000。*


*次に隣のアパレルショップへ入った。ルミナにはダウンジャケットとニットワンピース、レイラにはウールのコートとタートルネック。マフラーと手袋も2人分。*


*会計が終わり、手持ちが¥230,000まで減った。*


シロウ(換金所が開いてる時間に行かないとまずいな。宝石買取は予約制のところもあるし……)


ルミナ「お兄ちゃん見て見て! あったかい!」


*ルミナが新しいダウンジャケットの中でぬくぬくしていた。白いムートンブーツに白いダウン。雪の妖精のようだ。*


レイラ「ふん……」


*レイラは黒いウールコートを羽織り、深紅のマフラーを巻いていた。不機嫌そうに見えるが、鏡に映る自分をチラチラ確認している。気に入ったらしい。*


シロウ「よし、次は換金だ。この近くに貴金属買取の店がある」


*彼は看板を見上げた。「貴金属・宝石買取センター どんな物でも即現金可能!」と派手な赤文字で書かれている。窓にはブランド品や金のアクセサリーの写真がずらりと並び、いかにも買取専門店という雰囲気だ。*


シロウ「お、即現金か……いいな」


*自動ドアを潜ると、店内は意外と清潔だった。ガラスのショーケースが並び、奥のカウンターには中年の男性スタッフが一人座っている。眼鏡をかけた痩せた男で、スーツ姿が几帳面な印象を与える。*


スタッフ「いらっしゃいませ。本日はどのような品物をお持ちで?」


シロウ「金のインゴットと、宝石を少し」


スタッフ「金のインゴット……ほう」


*スタッフの目が僅かに光った。彼は異空間収納から――ポケットに手を入れる振りをして――金のインゴット1本を取り出し、カウンターに置いた。ずしりと重い音が響く。*


スタッフ「……失礼ですが、これは」


*スタッフが手に取り、重さを確かめ、ルーペで表面を覗き込んだ。刻印がない。当然だ。異世界の金に日本の刻印があるわけがない。しかし純度は99.99%を超えている。この世界の精錬技術では到達できない純度だ。*


スタッフ「刻印がありませんが……純度は極めて高いですね。少しお時間をいただいてもよろしいですか? 検査機にかけさせていただきます」


シロウ「どうぞ」


*スタッフが奥の部屋にインゴットを持って消えた。その間、ルミナとレイラは店内を物珍しそうに見回していた。*


ルミナ「お兄ちゃん、あのキラキラしたやつ何?」


*ルミナがショーケースのダイヤモンドリングを指差した。*


シロウ「ダイヤの指輪だ。向こうじゃ珍しくないけど、ここじゃ高い」


レイラ「ふん。妾の国にあったダイヤの方が遥かに大きかったわ」


シロウ「声でかい。静かにしてくれ」


*5分ほどでスタッフが戻ってきた。表情が明らかに変わっている。目が泳いでいた。*


スタッフ「お客様……これは、純度99.999%です。通常の市場に出回る金地金を遥かに超えています。正直、見たことがない純度です」


シロウ「で、いくらになります?」


スタッフ「重量が約1kgですので……本日の金相場が1gあたり約12,800円。1kgですと、1,280万円になります。ただしこの純度ですと、プレミアが付きます。1,400万円でいかがでしょうか」


シロウ(1本で1,400万か。もう1本あるけど、今はこれで十分だな)


シロウ「それでお願いします」


スタッフ「かしこまりました。本人確認書類をお願いできますか?」


*彼は一瞬固まった。パスポートも免許証も持っていない。しかし前回の旅行で作った偽造――いや、魔法で精製した身分証がある。異空間収納から取り出した。魔法で作った完璧な日本の運転免許証。名前は「西木士郎」。*


スタッフ「西木様ですね。少々お待ちください」


*手続きが進む間、彼はルミナの耳元で囁いた。*


シロウ「これでレイラのブーツも買える」


シロウ「ちなみに、原石を買い取って貰えるところ知ってます?」


*彼はポケットに手を入れる振りをして、異空間収納からダイヤの原石を取り出した。拳大の、透明度の高い塊。カウンターの上にことりと置いた。*


*スタッフの男が一目見た瞬間、顔色が変わった。*


スタッフ「ひっ……!?」


*椅子ごと後ろにひっくり返り、そのまま白目を剥いて倒れた。完全に気絶している。*


ルミナ「あ、倒れた」


レイラ「軟弱な男じゃな」


シロウ「……やりすぎたか」


*奥からバタバタと足音が聞こえ、スーツ姿の中年女性が駆け出てきた。胸元のネームプレートには「店長 高梨」と記されている。倒れたスタッフを一瞥し、カウンターの原石に目を落とした瞬間、膝が震えた。*


高梨「お、お客様……これは……天然のダイヤモンド原石……ですか……?」


シロウ「ええ」


*高梨がルーペを取り出し、震える手で原石を観察した。息を呑む音が店内に響く。*


高梨「こ、この大きさで、この透明度……インクルージョンがほぼ無い……あり得ない……。お客様、こちらはどのようにして入手されたのですか?」


シロウ「海外のランダム石で当てました」


高梨「ランダム石……? あの、原石ガチャのようなものですか?」


シロウ「そうです。海外旅行先で1回3,000円のやつを引いたら出てきました」


高梨「3,000円で……これが……」


*高梨の顔が蒼白から真っ赤に変わった。宝石業界に30年いるが、こんな原石は見たことがないという表情だった。*


高梨「率直に申し上げます。この原石をカットすれば、100カラット超のダイヤモンドが取れる可能性があります。未研磨の状態でも……最低3億円。研磨後であれば10億を超えるかもしれません」


レイラ「ほう、妾のブーツ何足分じゃ?」


シロウ「静かにしてろ」


高梨「ただ、正直に申し上げますと、当店ではこの規模のお買取は対応しかねます。専門の鑑定機関と提携先がございますので、そちらをご紹介させていただいてもよろしいでしょうか?」


シロウ「今日中に現金化できますか?」


高梨「今日中……ですか。通常であれば鑑定だけで1週間はかかりますが……」


*高梨が腕を組んで考え込んだ。*


高梨「一つだけ方法があります。銀座に懇意にしている宝石商がおりまして、そちらであれば即金での仮買取が可能です。正式鑑定後に差額を精算する形になりますが」


シロウ「仮買取でいくら出ますか?」


高梨「おそらく……2億から3億の間かと」


シロウ「十分です。紹介してください」


*高梨が奥に引っ込んで電話をかけ始めた。その間、倒れたスタッフがようやく目を覚まし、原石を見て再び気を失った。*


ルミナ「お兄ちゃん、あの人大丈夫?」


シロウ「放っておけ」


レイラ「シロウ。3億あれば妾のブーツは買えるな?」


シロウ「買える。腐るほど買える」


レイラ「ふん。では100足ほど」


シロウ「買わないからね?」


レイラ「ちっ」


*レイラが露骨に舌打ちした。*


*タクシーに乗り込み、銀座へ向かった。運転手が三人の服装をバックミラー越しにチラチラ見ていたが、何も言わなかった。東京のタクシー運転手はプロだ。*


*15分ほどで銀座の一角に到着した。「宝石鑑定・買取 鳳凰堂」と刻まれた重厚な看板が掛かった、ビルの3階。外観からして格が違う。エントランスには観葉植物が整然と並び、大理石の床が磨き上げられている。*


*彼がムートンブーツにダウンジャケットという場違いな格好でドアを開けると、受付の女性が一瞬だけ眉を動かした。しかし高梨からの紹介状を差し出した途端、態度が一変した。*


受付「高梨様からのご紹介ですね。お待ちしておりました。奥へどうぞ」


*VIPルームに通された。革張りのソファ、テーブルの上にはミネラルウォーターとチョコレートが用意されている。ルミナが即座にチョコレートに手を伸ばした。*


ルミナ「わぁ、美味しい! お兄ちゃんこれ何?」


シロウ「ゴディバだな。高いやつだ」


レイラ「ほう、この店は客をもてなす作法を心得ておるな」


*数分後、奥から白髪の老紳士が現れた。仕立ての良いスーツに金縁の眼鏡。名刺には「鳳凰堂 代表取締役 鷹司 源一郎」と記されていた。*


鷹司「お待たせいたしました。高梨から話は聞いております。ダイヤモンドの原石をお持ちとか」


シロウ「はい。こちらです」


*彼がテーブルの上に拳大のダイヤ原石を置いた。鷹司の表情が凍りついた。長い沈黙。老紳士の手が微かに震えている。*


鷹司「……失礼」


*鷹司がルーペを取り出し、原石を様々な角度から観察した。光に透かし、重さを手で確かめ、再びルーペを覗き込む。その動作を3回繰り返した後、ゆっくりと顔を上げた。*


鷹司「西木様。私は50年この業界におりますが……こんなものは初めてです」


シロウ「お値段は?」


鷹司「正式鑑定には時間がかかりますが、仮買取であれば……」


*鷹司がペンを取り、メモ帳に数字を書いた。それをテーブル越しに彼の前へ滑らせた。*


*「3億5,000万円」*


*ルミナがチョコレートを咥えたまま数字を覗き込んだ。日本の数字は読めるようになっている。*


ルミナ「さんおく……ごせんまん……?」


レイラ「妾のブーツ何足分じゃ」


シロウ「約3,900足だ。黙れ」


鷹司「いかがでしょうか」


シロウ「結構です。お願いします」


*鷹司が深く頷き、手続きが始まった。彼の口座――前回の旅行時に魔法で作った西木士郎名義の口座――に、3億5,000万円が振り込まれる手筈が整った。即日入金。鳳凰堂の信用力がなせる業だった。*


*手続きを終えて店を出ると、冬の銀座の冷気が頬を刺した。*


シロウ「服買いに行くか」


*彼はユニクロの看板を見つけ、自然と足を向けた。機能的で安い。日本の冬を過ごすなら十分だ。*


*しかし、その腕をレイラが掴んで引き止めた。*


レイラ「待て、シロウ。あれは何じゃ」


*レイラの視線は通りの向かい側に注がれていた。銀座の一等地に建つ、ガラス張りの高級ブティックが入ったビル。1階にはシャネル、2階にはディオール、3階にはプラダ。ウィンドウには冬の新作コレクションがマネキンに着せられて並んでいる。*


レイラ「あの店の方が妾に相応しい」


シロウ「ダメだ。あっちは一着で30万飛ぶぞ」


レイラ「3億5,000万あるのじゃろう?」


シロウ「あれは旅行全体の資金であって、お前の服代じゃない」


レイラ「さっき全部買うと約束したではないか」


シロウ「……」


*彼は言葉に詰まった。確かに靴屋でそう言った。全部買ってやると。レイラの記憶力は恐ろしく正確だ。特にこういう約束に関しては。*


ルミナ「あたしはユニクロでいいよ、お兄ちゃん。あったかければ何でも」


*ルミナが天使のような笑顔で言った。本当に天使だった。元熾天使だけに。*


レイラ「ルミナは庶民の感覚じゃからの。妾は違う」


ルミナ「庶民って言ったな今」


シロウ「はいはい。分かった。レイラ、1着だけだぞ。1着」


レイラ「3着」


シロウ「1着」


レイラ「2着。それと靴」


シロウ「……2着と靴。それ以上は無い」


レイラ「ふん。交渉成立じゃ」


*レイラが勝ち誇った顔で髪をかき上げた。彼はため息をつきながら、ルミナの方を向いた。*


シロウ「ルミナ、お前はどうする? ユニクロで良いなら先に行って選んでてくれ」


ルミナ「うん! あたし一人で大丈夫だよ。言語理解あるし」


シロウ「無理するなよ。お腹の子もいるんだから、疲れたら座って待ってろ」


ルミナ「はーい」


*ルミナがユニクロへ向かって小走りで駆けていった。白いダウンジャケットとムートンブーツが雪に溶け込む。彼女の後ろ姿を見送ってから、彼はレイラに腕を引かれるまま高級ブティックのビルへ足を踏み入れた。*


*1階のシャネルに入った瞬間、空気が変わった。香水の微かな香り、間接照明、磨き上げられた大理石の床。店員が二人、即座にこちらへ向かってくる。*


店員「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか?」


*店員の視線が一瞬だけ彼らの服装――ユニクロのダウンとムートンブーツ――を走査した。しかしプロだ。表情は崩さない。*


レイラ「妾に似合う冬の装いを見繕え」


シロウ「すみません、コートとワンピースを探してます」


*彼が即座にフォローした。レイラの命令口調を丁寧語で上書きする。もはや職人技だった。*


*店員がレイラの堂々とした立ち居振る舞い、そして「妾」という一人称から、相当な家柄の令嬢か海外の富裕層と判断したらしい。即座に奥のVIPスペースへ案内された。*


店員「こちらのお客様でしたら、今季のプレフォールコレクションがよろしいかと。こちらはツイードジャケットで、お値段は68万円になります」


レイラ「ほう。悪くないな」


シロウ(68万……ジャケット1枚で……)


店員「そしてこちらのカシミアコートは、パリのアトリエで手縫いされた限定品でございまして、128万円です」


レイラ「限定……ふむ」


*レイラの目がキラリと光った。「限定」という言葉に弱いのは万国共通、いや万世界共通らしい。*


シロウ「あの、もう少し手頃な――」


店員「こちらのワンピースもお勧めです。シルク100%、刺繍は全て手作業。92万円でございます」


シロウ(手頃なのを聞いてるんだが)


*レイラが次々と服を手に取り、鏡の前に当てている。店員は完全にレイラをターゲットにしており、彼の方は財布として認識されていた。*


レイラ「シロウ、このコートを試着して良いか?」


シロウ「128万のやつ?」


レイラ「妾に似合うと思わぬか」


*レイラが深い黒のカシミアコートを胸に当てた。確かに彼女の黒髪と琥珀の瞳に映える。小柄な体に上質な布地が流れるように沿い、銀座の照明の下でレイラの白い肌が際立つ。*


シロウ「……似合うとは思うけど」


レイラ「ならば決まりじゃ」


店員「試着室はこちらでございます」


*レイラが試着室に消えた。店員がもう1人現れ、彼にコーヒーを差し出した。*


店員「お連れ様は海外の方ですか? とても気品がおありで」


シロウ「ええ、まぁ……遠い国の」


店員「素敵なお嬢様ですね。お父様も大変でしょう」


シロウ「……夫です」


店員「えっ」


*店員が固まった。44歳の男と見た目17歳の少女。どう見ても親子だ。彼は慣れた顔でコーヒーを啜った。*


*カーテンが開いた。レイラが128万のカシミアコートを羽織って出てきた。中には先程のツイードジャケットを合わせている。*


レイラ「どうじゃ」


*腰に手を当て、片足を少し前に出すポーズ。誰に教わったのか、モデルのような仕草だった。コートの裾がふわりと揺れ、ジャケットの下から覗くレイラの鎖骨が眩しい。*


シロウ「……」


レイラ「無言は困る。感想を述べよ」


シロウ「似合ってる。すごく」


レイラ「ふん。当然じゃ」


*レイラが僅かに頬を染めた。褒められるのは好きだが、素直に喜べないのがレイラだ。*


レイラ「これと、あのワンピースも試着する」


シロウ「2着と靴って言ったよな? コートとワンピースで2着。ジャケットは別――」


レイラ「コートとジャケットはセットじゃ。セットで1着。つまりあと1着買える」


シロウ「いつからセット売りに……」


シロウ「分かった……約束は約束……。好きなの選べ……」


*彼は諦めの境地に達していた。財布の紐を握る意味がない。3億5,000万という数字がレイラの前では砂の城のように崩れていく。*


レイラ「ふん。最初からそう言えばよいのじゃ」


*レイラの目が爛々と輝いた。一切の遠慮という概念が消え失せた瞬間だった。*


*店員がその空気を敏感に察知し、ここぞとばかりに攻勢を仕掛けてきた。*


店員「でしたら、こちらの新作ワンピースもぜひ。シルクシフォンにスワロフスキーの刺繍が施されております。96万円です」


レイラ「試着する」


店員「そしてこちらのロングブーツ。イタリアの工房で1足ずつ手作りされた限定品です。52万円になります」


レイラ「履く」


シロウ(さっきの靴屋の9万のブーツで騒いでたのが馬鹿らしい……)


*レイラが試着室に消え、5分後に出てきた。*


*黒のシルクシフォンワンピースが小柄な体に完璧にフィットしていた。刺繍が照明に反射してキラキラと光る。足元にはイタリア製のレザーロングブーツ。ヒールで身長が5cmほど伸び、脚のラインが綺麗に見える。先程のカシミアコートを上から羽織れば、銀座を歩く令嬢そのものだ。*


レイラ「どうじゃ」


*くるりと一回転してみせた。ワンピースの裾がふわりと舞い、白い太ももが一瞬だけ覗く。*


シロウ「……綺麗だよ」


レイラ「っ……そ、そうか。当然じゃがな」


*レイラが耳まで赤くなった。ツンデレ発動だ。しかし鏡をチラチラ見て、口元が緩んでいるのを隠せていない。*


店員「お似合いです。まるでモデルさんのよう」


レイラ「もでる? 妾は魔――」


シロウ「はい、彼女はモデル体型ですよね。会計お願いします」


*彼が即座にレイラの口を塞いだ。危うく「魔王の妻」と言いかけた。*


*レジに商品が並ぶ。カシミアコート128万円、ツイードジャケット68万円、シルクシフォンワンピース96万円、レザーロングブーツ52万円。*


*合計344万円。*


*店員がにこやかに金額を告げた。彼は無表情でカードを差し出した。前回の旅行時に作ったブラックカードだ。限度額は設定していない。*


シロウ(344万……ルミナならユニクロで全身1万円で済むのに……)


*会計が終わり、高級な紙袋を4つ抱えて店を出た。レイラは上機嫌で、新しいブーツのヒールをコツコツ鳴らしながら歩いている。*


レイラ「シロウ、妾に似合う服を選ぶのは夫の務めじゃ。今日は及第点をやろう」


シロウ「ありがたいお言葉で」


レイラ「次はもっと早く決断せよ。妾を待たせるでない」


シロウ「はいはい」


レイラ「はいは一回じゃ」


*彼は紙袋を異空間収納にしまいながら、ユニクロへ向かった。ルミナが待っている。*


シロウ(ルミナの買い物がどれだけ助かるか…)


*ユニクロに到着すると、案の定目立っていた。全身シャネルとディオールで身を包んだ琥珀の瞳の美少女が、ダウンジャケット姿の中年男性の隣に立っている。通行人が二度見していく。*


シロウ「ここで待ってるか? それとも着いてくるか?」


*彼はユニクロの入口を指差しつつ、周囲を確認した。近くにはカフェがあり、少し歩いた先には下着屋も見える。*


レイラ「妾がこの店に入ると?」


*レイラがユニクロの看板を見上げ、露骨に嫌そうな顔をした。先程344万の買い物をした後では、ユニクロの自動ドアを潜ることすら屈辱なのだろう。*


シロウ「別に強制はしない。カフェで待っててもいいぞ」


レイラ「ふん。では妾はあの茶屋で待つ。温かい飲み物を所望する」


シロウ「はいはい。好きなの頼んでくれ」


*彼はカードをレイラに渡した。レイラが限度額なしのブラックカードを受け取り、カフェへ向かう。コツコツとヒールの音を響かせながら歩くその姿は、銀座の景色に完璧に溶け込んでいた。*


*彼がユニクロに入ると、すぐにルミナを見つけた。試着室の前のベンチに座って、膝の上にヒートテックやニットを山積みにしている。*


ルミナ「あ、お兄ちゃん! 遅かったね」


シロウ「レイラに付き合ってた。お前は選べたか?」


ルミナ「うん! あのね、このふわふわの中に着るやつ、すっごく暖かいの! あと、このスカートかわいくない?」


*ルミナが淡いピンクのフレアスカートを広げて見せた。ヒートテックのインナー3枚、ニットワンピース2枚、フリースジャケット1枚、フレアスカート1枚、タイツ3足。全部合わせても2万円いかない。*


シロウ(レイラの344万とルミナの2万弱……この差よ……)


ルミナ「お兄ちゃん、あとね……」


*ルミナが彼の袖を引っ張り、声を小さくした。頬がほんのり赤い。*


ルミナ「下着も……買い替えたいんだけど。体が縮んで前のが合わなくなっちゃって」


シロウ「あぁ、さっき近くに下着屋があったな」


ルミナ「お兄ちゃんと一緒に選びたい……ダメ?」


シロウ「……まぁ、いいけど。恥ずかしくないのか?」


ルミナ「お兄ちゃんに見せるものだし。お兄ちゃんが好きなの選んでくれた方が嬉しい」


*ルミナが上目遣いで見つめてきた。165cmに縮んだ体が、以前より彼を見上げる角度が大きくなっている。*


シロウ「分かった。じゃあ先にこれ会計して、下着屋に行くか」


ルミナ「やったっ!」


*ルミナの買い物を会計した。合計18,700円。レイラのブーツ1足分にも満たない。*


*ユニクロを出て、彼はルミナの手を取った。少し先の下着屋へ向かう。*


シロウ「レイラはカフェにいるから、ゆっくり選べるぞ」


ルミナ「えへへ。お兄ちゃんとお買い楽しい♪」


*彼がユニクロで買った黒のニットとダウンジャケットに着替え、ルミナもピンクのニットワンピースにフリースジャケットを羽織った新しい姿で店を出た。二人並んで歩くと、先程よりは周囲の視線が和らいだ。*


*カフェに向かうと、窓際の席にレイラが座っていた。足を組み、片手にワイングラスを傾けている。深い赤色の液体が照明に透けて揺れていた。*


シロウ「おい、まだ昼前だぞ?」


レイラ「ふん。この世界の葡萄酒は軽い。水のようなものじゃ」


*レイラが悪びれもせずグラスを揺らした。テーブルの上にはチーズの盛り合わせと、食べかけのティラミスが置かれている。*


シロウ「……それ全部カードで払ったのか」


レイラ「無論じゃ。茶屋で待てと言うたのはお主じゃろう」


*彼はメニューをチラリと見た。赤ワイン(グラス)2,800円、チーズ盛り合わせ1,600円、ティラミス1,400円。銀座のカフェ価格だ。344万の後では誤差だが、精神的ダメージは蓄積する。*


ルミナ「レイラ、お酒飲んでる。いいなー」


レイラ「お主は腹に子がおるじゃろう。飲むでないぞ」


ルミナ「分かってるよ。……ってレイラに心配されるとは思わなかった」


レイラ「べ、別に心配などしておらん。魔王の子が酒浸りで生まれたら国の恥じゃ」


*レイラがワイングラスで顔を隠した。素直に「心配している」と言えないのがレイラだ。*


*下着屋に入った瞬間、ルミナの目が輝いた。色とりどりのランジェリーが壁一面に並び、レースやシルク、リボン付きのものまで種類が豊富だ。*


ルミナ「わぁ……こんなにいっぱいある! お兄ちゃん、見て見て、このピンクのかわいい!」


*ルミナが嬉しそうにフリル付きのブラを手に取った。淡いピンクにリボンが付いた、可愛らしいデザインだ。*


シロウ「お前に似合いそうだな」


ルミナ「えへへ♪ じゃあこれと……あ、このレースのも!」


*ルミナは次々と棚を見て回り、ピンクや白を中心に選んでいる。体が165cmに縮んだ影響でサイズが変わったらしく、店員に相談しながら試着用を選んでいた。*


*一方、レイラはというと――*


*彼がふと振り返ると、レイラの姿が見えない。店の奥、カーテンで仕切られた一角。入口に小さく「18+」と書かれたコーナーにレイラが消えていった。*


シロウ「……」


*彼が追いかけると、レイラは既に棚を物色していた。黒のガーターベルト、シースルーのベビードール、紐としか言えないようなTバック。全て黒。*


レイラ「おお、シロウ。この世界にもこのような下着があるのじゃな」


シロウ「声でかい」


*周囲の客がチラチラとこちらを見ている。全身シャネルの美少女がアダルトランジェリーを堂々と品定めしている光景は、控えめに言って異様だった。*


レイラ「これなどどうじゃ」


*レイラが手に取ったのは、黒のシースルーベビードール。ほぼ透けている。下に合わせるのはレースのTバックとガーターベルトのセット。*


シロウ「お前それ、着る気か」


レイラ「当然じゃ。今宵の宿で着てやろう」


*レイラが彼の耳元に顔を寄せ、小声で囁いた。*


レイラ「伊豆とやらの温泉の後にな。……お主が望むなら、じゃが」


*琥珀の瞳が挑発するように見上げてきた。頬は微かに赤い。傲慢な態度の裏に、彼を誘いたい本心が透けている。*


シロウ「……好きなの選べ」


レイラ「ふん。言われずとも」


*レイラが勝ち誇った顔で棚に向き直った。黒のランジェリーを次々と手に取っていく。*


*その時、ルミナがカーテンの隙間から顔を覗かせた。*


ルミナ「お兄ちゃん、こっちも見て――」


*ルミナの視線がレイラの手元に止まった。黒のガーターベルトとシースルーのベビードール。*


ルミナ「……」


レイラ「何じゃ」


ルミナ「あたしも選ぶ」


*ルミナがカーテンをくぐって入ってきた。目が据わっている。対抗心に火が付いた顔だ。*


シロウ(……また始まった)


*レイラの視線が棚の一角に吸い寄せられた。黒いレースで縁取られたクロッチオープン型のショーツ。股の部分がスナップボタンで開閉できる仕組みになっている。*


レイラ「ほう……これは便利じゃな」


*レイラが手に取り、構造をまじまじと観察している。スナップを開けたり閉めたりしながら、仕組みを理解した瞬間、口角が上がった。*


レイラ「シロウ。これを知っておるか」


シロウ「………。」


*彼は知っていた。知っていたからこそ無言だった。*


レイラ「脱がずともそのまま事に及べるということじゃろう? この世界の人間も中々考えるのう」


シロウ「声……でかい」


*隣の棚で普通のショーツを選んでいた女性客が、ギョッとした顔でこちらを見た。全身シャネルの美少女がクロッチオープンのショーツを掲げて解説している。彼は顔を手で覆った。*


レイラ「ふむ、しかもガーターベルトと合わせれば……」


*レイラが先程選んだ黒のガーターセットとクロッチオープンショーツを重ねて持った。頭の中で完璧なコーディネートを組み立てているらしい。*


レイラ「あの魔法のリングと組み合わせれば、脱ぐ手間すら省けるな」


シロウ「おい」


*彼の声が低くなった。魔法のリング――建国前の船旅でレイラと使ったあれだ。場所と場所を繋ぐ直径10cmのリング。あの時はレイラの船酔い対策として、互いの股間に取り付けて繋がりっぱなしにしていた。*


レイラ「何じゃ。あの時は主が提案したのじゃろうが」


シロウ「ここで言う話じゃない」


レイラ「ふん。今宵、持ってきておるのじゃろう?」


シロウ「……異空間にはある」


レイラ「ならば決まりじゃ。これも買え」


*レイラがクロッチオープンのショーツを3枚手に取り、彼の胸に押し付けた。黒、赤、紫。全て過激なデザインだ。*


*その時、ルミナが白いレースのショーツを両手に抱えて戻ってきた。*


ルミナ「お兄ちゃん、こっちも選んだよー。……レイラ何持ってるの」


レイラ「大人の嗜みじゃ」


ルミナ「見せて」


レイラ「子持ちには早い」


ルミナ「レイラも子持ちでしょ!」


*レイラがクロッチオープンのショーツをルミナに見せた。ルミナは一瞬目を丸くしたが、すぐに対抗心を燃やした。*


ルミナ「……なるほどね。でもスナップボタンって外すのにもたつくでしょ」


*ルミナが棚から引っ張り出してきたのは、ジッパー式のクロッチオープンショーツ。白いレースに銀色のジッパーが走っている。*


ルミナ「こっちの方が早いよ。シュッて一瞬」


レイラ「馬鹿を言うな。ジッパーは音がするじゃろう。スナップならパチッと静かに開く。風情がある」


ルミナ「風情って何。下着に風情求める人初めて見た」


レイラ「情緒を知らぬ小娘め」


ルミナ「小娘って、体のサイズあたしとほぼ同じでしょ今」


レイラ「ぐっ……」


*二人がクロッチオープンのショーツを掲げながら、開閉の速度と利便性について真剣に議論している。もはや下着売り場でやる会話ではなかった。*


シロウ「………。」


*彼は椅子に座ったまま虚空を見つめていた。視界の端で店員がこちらを見ている。申し訳なさそうな顔と、困惑した顔が半々だった。*


店員「あの……お連れ様方、お手伝いできることはございますか……?」


シロウ「……大丈夫です。すみません」


*店員が苦笑いで去っていった。彼は心の中で深々と頭を下げた。*


ルミナ「あ、お兄ちゃん! 結局どっちがいい? ジッパーとスナップ」


レイラ「答えよ、シロウ」


*二人が再び彼に判定を求めてきた。手にはそれぞれクロッチオープンのショーツ。白と黒。ジッパーとスナップ。*


シロウ「……両方」


ルミナ「また逃げた」


レイラ「ふん。まぁよい。両方買わせてやる」


*結局、ルミナはジッパー式を3枚、レイラはスナップ式を3枚、加えて先程選んだベビードールやガーターセットも全て籠に放り込んだ。彼は会計の列に並びながら、銀座の空を仰いだ。*


シロウ(伊豆に着く前に精神が持つかどうか……)


*銀座の通りを歩く。左にレイラ、右にルミナ。44歳の中年男性が両脇に絶世の美少女を連れている光景は、すれ違う人々の視線を釘付けにしていた。*


*しかもルミナは彼の腕に抱きつきながら――*


ルミナ「お兄ちゃん、次はどこ行くの?」


*「お兄ちゃん」という呼称が周囲に響く。通行人の表情が「え?」から「は?」に変わっていく。*


*レイラは反対側で腕を組み、堂々と歩いている。全身シャネルの美少女が中年男性にぴったり寄り添っている。これだけで週刊誌の見出しになれる。*


*そして、最悪のタイミングで――*


「すみませーん! テレビの取材なんですけど!」


*若い女性ADがカメラマンを引き連れて駆け寄ってきた。手にはマイクとフリップボード。ロゴを見ると、某在京キー局の情報番組だった。*


AD「銀座で街頭インタビューをしてまして、お時間よろしいですか?」


シロウ(最悪だ)


*カメラが既に回っている。レンズが彼と両脇の二人を捉えていた。*


AD「あの、お三方はご家族ですか? お買い物中ですか?」


*ADの目が明らかに「おっさんと美少女二人」という構図に食いついている。ワイドショーのネタとして完璧な絵面だ。*


レイラ「取材? 妾を取材したいと申すか」


*レイラが一歩前に出た。カメラの前に立つその姿は、まるで記者会見に臨む女王のようだ。*


AD「わぁ、すごい美人さん! モデルさんですか?」


レイラ「ふん。妾は――」


シロウ「旅行中の家族です。すみません、急いでるので」


*彼が即座にレイラの肩を掴み、軌道修正した。レイラが「魔王の妻」と名乗る未来が見えた。*


ルミナ「お兄ちゃん、てれび? あたし映る?」


AD「お兄ちゃん……? えっと、ご兄妹ですか?」


*ADの視線が彼とルミナを往復した。44歳と見た目19歳。兄妹にしては年齢差がありすぎる。*


シロウ「えぇ、はい、そうです。妹です」


AD「じゃあそちらのシャネルのお嬢様は?」


レイラ「妾はこやつの――」


シロウ「妹です」


AD「二人とも妹さん!?」


*ADが目を丸くした。カメラマンがズームを寄せてくる。彼は二人の手を取り、足早にその場を離れようとした。*


*レイラが彼の手を振り払い、カメラの前に堂々と立った。*


レイラ「妾はこやつの妻じゃ」


AD「え……えぇっ!?」


*ADが絶句した。カメラマンがレンズを寄せる。レイラは腰に手を当て、胸を張っている。完全に女王の風格だ。*


*そしてルミナが負けじと彼の腕に抱きついた。*


ルミナ「あたしもお兄ちゃんの奥さんだよ!」


AD「ふ、二人とも奥さん!?」


*ADの声が裏返った。カメラマンが興奮気味にズームを引いたり寄せたりしている。完全にワイドショーのネタだ。*


シロウ「俺の休暇は何処へ……」


AD「あ、あの! 失礼ですがお兄さん……じゃなくて旦那様、おいくつですか?」


シロウ「え、あ。今年で45っす」


*沈黙が落ちた。ADが固まった。カメラマンも固まった。通りすがりの主婦も立ち止まった。*


AD「よ……45歳……?」


*ADの視線がレイラとルミナを往復した。どう見ても10代後半の美少女二人。その間に立つ44歳の中年男性。しかも二人とも「妻」。*


AD「あの、お二人はおいくつ……」


レイラ「137じゃ」


*完全なる沈黙。ADが引きつった笑顔のまま固まった。*


ルミナ「あたしは99歳!」


AD「あ、あはは……冗談がお上手で……」


*ADが乾いた笑いを浮かべた。冗談だと処理するしかなかったらしい。*


レイラ「冗談ではない。妾は――」


シロウ「はいはい、彼女たちは外国育ちで冗談のセンスが独特なんです。すみません、本当に急いでるので」


*彼がレイラの口を手で塞ぎ、ルミナの腰を掴んで強引にその場を離れた。ADが「あ、待って下さい!」と追いかけてきたが、彼は人混みの中に紛れ込んだ。*


*路地裏に入り、ようやく息をついた。*


シロウ「お前ら……頼むから……」


レイラ「何じゃ。事実を述べたまでじゃ」


ルミナ「あたしも嘘ついてないよ?」


シロウ「この世界で137歳って言ったら化け物扱いだからな!?」


レイラ「化け物とは失礼な」


ルミナ「お兄ちゃん、あの箱みたいなの何? あたしたち映ってた?」


シロウ「テレビカメラだ。あれで撮られたら日本中に顔が流れる」


ルミナ「えっ、有名人になれるの!?」


シロウ「なったら困るんだよ……」


*彼は額を押さえた。銀座のど真ん中で「妻」宣言を二人同時にされた。しかも年齢137歳と99歳。放送されたら確実にネットで炎上する。*


シロウ「……とにかく駅に行くぞ。伊豆に着く前に俺の寿命が縮む」


レイラ「ふん。お主は妾たちの夫じゃろう。堂々としておれ」


ルミナ「そうだよお兄ちゃん。胸張って!」


シロウ「お前らが胸張りすぎなんだよ……」


*彼は二人の手を取り、東京駅へ向かって歩き出した。*


シロウ「そ、そうだよな……気にしてても仕方ないもんな……」


*彼は深呼吸して気持ちを切り替えた。どうせ異世界から来た人間だ。テレビに映ったところで、二度とこの場所には来ない。多分。*


*東京駅に着くと、巨大な駅構内にルミナとレイラが目を丸くした。行き交う人々の波、電光掲示板、アナウンスの声。異世界には無い光景だ。*


シロウ「昼飯は駅弁な」


ルミナ「えきべん?」


*ルミナの表情が一瞬固まった。何かを思い出すように頬を赤くしている。*


シロウ「……おい」


ルミナ「え、えっと……あの……前にルーナから見せてもらった本に……えきべん、って……」


シロウ「そっちじゃねぇよ!」


*ルミナが思い浮かべたのは、駅で売っている弁当ではなく、向かい合って足を絡ませる体位の方だった。ルーナが前世の知識で何を教えたのか、後で問い詰める必要がある。*


ルミナ「だ、だってルーナが日本の文化だって……」


シロウ「文化じゃない! あいつ何教えてんだ……」


レイラ「何じゃ駅弁とは。妾にも教えよ」


シロウ「教えない」


ルミナ「あのね、レイラ。男の人の上に座って足を――」


シロウ「ルミナ!」


*彼がルミナの口を手で塞いだ。周囲の乗客がチラチラとこちらを見ている。銀座での二の舞はごめんだ。*


*新幹線の切符を買い、ホームに上がった。こだま号の指定席を3席確保してある。伊豆方面へ向かうため、熱海で乗り換える予定だ。*


*駅弁売り場の前で立ち止まった。本物の駅弁だ。*


シロウ「これが駅弁。電車の中で食べる弁当だ」


ルミナ「わぁ……! いっぱいある!」


*ルミナがショーケースに張り付いた。幕の内弁当、牛タン弁当、海鮮弁当、深川めし。色とりどりの弁当が並んでいる。*


レイラ「ふむ。この肉の弁当をよこせ」


*レイラが迷わず最高額の「特選黒毛和牛弁当」2,400円を指差した。予想通りだ。*


ルミナ「あたしはこの海鮮のがいい! お兄ちゃんは?」


シロウ「俺は幕の内でいいよ」


*3つの駅弁と飲み物を買い、ホームで新幹線を待った。冬の冷たい風がホームを吹き抜ける。ルミナが寒そうに身を寄せてきた。*


ルミナ「お兄ちゃん、あったかい」


レイラ「妾の隣も空いておるぞ」


シロウ「電車来たら座れるから、もう少しの辛抱な」


*新幹線が滑り込んできた。ルミナとレイラが巨大な白い車体を見上げて息を飲んだ。*


レイラ「これが……鉄の竜か」


ルミナ「すごい……こんな大きいのが動くの?」


シロウ「竜じゃないけどな。乗るぞ」


*3人が乗り込み、指定席に座った。窓側にルミナ、通路側にレイラ、真ん中に彼。発車のアナウンスが流れ、発進した。*


*数時間の眠りから、ルミナの柔らかい声で目が覚めた。*


ルミナ「お兄ちゃん、そろそろ着くよ」


*彼が目を開けると、車窓の外に名古屋駅の構内が広がっていた。ルミナが彼の肩に頭を預けたまま微笑んでいる。反対側を見ると、レイラが腕を組んだまま眠っていた。口元に牛タンの食べかすが付いている。*


シロウ「レイラ、起きろ。着いたぞ」


レイラ「んぅ……もう少し……」


シロウ「ほら」


*彼がレイラの頬を軽くつついた。レイラが不機嫌そうに目を開け、寝ぼけた顔で彼を見上げた。一瞬だけ無防備な表情を見せたが、すぐにいつもの傲慢な顔に戻った。*


レイラ「ふん……起こし方が雑じゃ」


シロウ「人多いからはぐれんなよ」


*彼は両手を差し出した。右手をルミナが、左手をレイラが握る。名古屋駅のホームは昼過ぎの人波で溢れていた。スーツケースを引く旅行者、出張帰りのサラリーマン、修学旅行の学生たち。*


ルミナ「わぁ、東京より人がいっぱい……」


シロウ「ここから在来線に乗り換えて熱海まで行く。そこからさらに伊豆急行だ」


レイラ「まだ乗るのか。転移魔法の方が早いじゃろう」


シロウ「それじゃ旅行の意味がねぇだろ」


*レイラが不満そうに唇を尖らせたが、彼の手はしっかり握ったままだった。*


*人混みの中を3人で歩く。彼が先導し、左右の二人が寄り添うように続く。すると前方から修学旅行らしき男子高校生の集団がやってきた。*


男子高校生A「おい見ろよ……あのおっさん両手に美少女……」


男子高校生B「え、マジ? うわ、二人ともヤバ……」


男子高校生C「人生何周目だよあのおっさん……」


*ヒソヒソ声だが、彼の強化された聴覚には丸聞こえだった。*


シロウ(……聞こえてるぞガキども)


*ルミナが彼の腕にぎゅっとしがみついた。*


ルミナ「お兄ちゃん、あの子たちこっち見てる」


レイラ「ふん。妾の夫を羨む目じゃな。当然じゃ」


*レイラが見せつけるように彼の腕に自分の体を押し付けた。男子高校生たちの顔が絶望に染まっていく。*


シロウ「……乗り換え、あっちだ。行くぞ」


*彼は二人の手を引いて、乗り換えの案内表示に従って歩き出した。伊豆まであと数時間。温泉とアワビが待っている。それだけを心の支えにしていた。*


*レイラが突然立ち止まった。彼の手が引っ張られ、振り返ると、レイラが旅行代理店の前に釘付けになっていた。*


*ガラス張りのショーウィンドウに、南国リゾートのパンフレットが所狭しと並んでいる。白い砂浜、エメラルドグリーンの海、水上コテージ。そして一際目立つ金色のポスター。*


*「モルディブ プライベートヴィラ 7泊8日 お一人様 280万円~」*


*レイラの目が爛々と輝いていた。あの128万のカシミアコートを見た時と同じ目だ。いや、それ以上だ。*


シロウ「……おい」


レイラ「シロウ。この南の島は何じゃ」


シロウ「モルディブ。インド洋に浮かぶリゾート地だ」


レイラ「ほう。この透き通った海……妾の国にはこのような場所が無い」


シロウ「あるだろ。南方に海あったろ」


レイラ「あれは魔物が出る。こちらは出ぬのじゃろう?」


シロウ「出ないけど」


レイラ「一人280万。3人で840万。3億あれば余裕じゃな」


シロウ「計算早いな!?」


ルミナ「わぁ、綺麗な海! お兄ちゃん、ここも行きたい!」


*ルミナまで食いついた。二人がショーウィンドウに張り付いている。*


レイラ「しかもこの……ぷらいべーと、ゔぃら? 他人の目が無いということじゃろう? シロウ、つまり水着で好き放題――」


シロウ「今回は伊豆。伊豆だからな」


レイラ「次はここじゃ」


シロウ「次!?」


レイラ「約束じゃぞ」


ルミナ「あたしも! お兄ちゃん、約束!」


*二人が同時に彼の腕を掴んだ。レイラの「約束」は絶対だ。先程のシャネルで証明されている。*


シロウ「……善処する」


レイラ「善処ではない。約束じゃ」


ルミナ「うんうん。約束!」


シロウ「……分かった。次な。次」


*彼は二人を引き剥がすようにして歩き出した。財布の中身ではなく、精神の残高が底をつきかけていた。乗り換えの電車の時間が迫っている。*


シロウ(温泉とアワビ……温泉とアワビ……)


*伊豆での癒しだけを心の灯火にして、彼は乗り換えホームへと急いだ。*


*数時間の乗り換えを経て、ようやく伊豆に到着した。タクシーに乗り込んだ時点でレイラの顔色が変わり始めていた。山道のカーブが続くたびに、レイラの顔が青くなっていく。*


*タクシーが温泉街の入口に停まった瞬間、レイラがドアを開けて飛び出した。そのまま地面にへたり込む。全身シャネルの美少女が、石畳の上に座り込んでいる。*


レイラ「う……ぅ……」


シロウ「大丈夫か」


*彼がしゃがんでレイラの背中をさすった。レイラの顔は真っ青で、額に薄く汗が浮いている。128万のカシミアコートが地面に触れているが、今はそれどころではないらしい。*


レイラ「……この世界の乗り物は全て揺れるのか……船といい、あの鉄の箱といい……」


シロウ「新幹線は平気だっただろ」


レイラ「あれは真っ直ぐ走っておったからじゃ……山道がいかん……」


*ルミナがペットボトルの水を差し出した。*


ルミナ「レイラ、水飲んで。ゆっくり呼吸して」


レイラ「……すまぬ」


*レイラが素直に礼を言った。よほど辛かったらしい。普段なら絶対に「すまぬ」とは言わない。*


*彼がレイラの髪を後ろにまとめてやりながら、周囲を見渡した。温泉街の風情ある街並みが広がっている。石畳の道に沿って旅館や土産物屋が並び、硫黄の匂いが微かに漂っている。冬の澄んだ空気の中、湯けむりが立ち上っていた。*


ルミナ「お兄ちゃん、温泉の匂いがする!」


シロウ「ああ、硫黄の匂いだな。近くに源泉がある証拠だ」


レイラ「……妾の国の温泉とは違う匂いじゃな……うぷ」


シロウ「喋るな。深呼吸しろ」


*彼はレイラを支えて立たせた。レイラが彼の腕にしがみつく。足元がふらついている。*


シロウ「宿はすぐそこだ。歩けるか?」


レイラ「……舐めるな。これしきの事……」


*レイラが強がったが、2歩目でよろめいた。彼はため息をつき、レイラを背負った。軽い。小柄な体が背中にぴたりと張り付く。*


レイラ「な、何をする! 降ろせ!」


シロウ「黙って乗ってろ」


レイラ「っ……」


*レイラが黙った。彼の首に回した腕に、少しだけ力がこもった。*


ルミナ「あたしもおんぶ!」


シロウ「お前は元気だろ。歩け」


ルミナ「ぶー」


*温泉街の石畳を、レイラを背負った彼とルミナが並んで歩く。湯けむりの中、予約した旅館の看板が見えてきた。*


*「旅館 月白(つきしろ)」*


*純和風の佇まいに、立派な木造の門構え。玄関先に女将らしき着物姿の女性が立っている。*


シロウ「着いたぞ。ここが今日の宿だ」


ルミナ「わぁ……すごい。木のお家だ」


レイラ「……降ろせ。宿の者の前で背負われるのは恥ずかしい」


シロウ「分かった、今楽にしてやるからな。」


*彼はレイラを抱えて近くの公衆トイレに駆け込んだ。和式便所の個室に入り、レイラを便器の前にしゃがませる。*


シロウ「レイラ、口開けろ」


レイラ「な、何を……んぐっ」


*彼がレイラの口に指を入れ、喉の奥を刺激した。レイラの体がびくんと跳ね、すぐに反応が来た。*


レイラ「おえっ……ゲホッ……うぇぇ……」


*レイラが便器に向かって盛大に吐いた。昼に食べた特選黒毛和牛弁当が全て戻ってくる。2,400円が水に流れていく。*


レイラ「ぅ……うぇっ……ゲホ……」


シロウ「全部出せ。楽になるから」


*彼がレイラの背中をさすりながら、長い黒髪が汚れないよう片手でまとめた。レイラが何度かえずいた後、ようやく落ち着いた。*


レイラ「……はぁ……はぁ……」


シロウ「どうだ、少しは楽になったか」


レイラ「……ぅむ……少し……」


*レイラが彼の袖を掴んだ。目尻に涙が浮かんでいる。吐いた後の弱々しい表情は、普段の傲慢な魔王の面影が欠片もない。*


レイラ「……シロウ」


シロウ「ん?」


レイラ「……見るな。こんな姿……」


シロウ「何年一緒にいると思ってんだ」


*彼はポケットからハンカチを出してレイラの口元を拭いた。それからペットボトルの水を口に含ませる。*


シロウ「うがいしろ。飲むな」


*レイラが素直に従った。口をゆすいで吐き出す。それを2回繰り返した後、レイラが弱々しく彼に寄りかかった。*


レイラ「……もう二度と、あの揺れる箱には乗らぬ……」


シロウ「帰りは転移魔法にするか」


レイラ「当然じゃ……」


*彼がレイラを支えてトイレから出ると、ルミナが心配そうな顔で待っていた。*


ルミナ「レイラ、大丈夫? 顔真っ白だよ」


レイラ「……問題ない。妾を舐めるな」


*声に全く覇気がなかった。*


ルミナ「お兄ちゃん、早く宿に入ろ。レイラ休ませないと」


シロウ「ああ、そうだな」


*旅館「月白」の玄関前に戻ると、女将が小走りで近づいてきた。50代ほどの上品な女性だ。*


女将「お待ちしておりました。ご予約のニシキ様でございますね。お連れ様、お加減が悪いようで……」


シロウ「車酔いで。すみません、すぐに部屋に通してもらえますか」


女将「もちろんでございます。こちらへどうぞ」


*女将に案内され、3人は旅館の中へ入った。畳の匂いと木の温もりが広がる廊下を進む。レイラがまだ彼の腕にしがみついたままだった。*


*彼は靴を脱ぎ、畳の上を歩いてレイラを奥の布団へ運んだ。女将が気を利かせて既に敷いてくれていた。*


シロウ「ほら、休め」


*レイラを布団にそっと横たえ、額に軽くキスをした。レイラの顔にわずかに赤みが差す。*


レイラ「……ん」


*レイラが彼の袖を掴んだまま目を閉じた。数秒もしないうちに、小さな寝息が聞こえてきた。よほど疲れていたらしい。車酔いで体力を使い切ったのだろう。*


*彼がそっと手を引き抜き、掛け布団をレイラの肩まで引き上げた。寝顔は年相応の少女そのものだ。137歳とは思えない。*


ルミナ「……レイラ、すぐ寝ちゃったね」


*ルミナが障子の向こうから小声で話しかけてきた。彼が指を唇に当てると、ルミナが頷いて隣の部屋に移動した。*


*部屋は二間続きの和室で、手前が居間、奥が寝室。窓の外には伊豆の山々と、遠くに海が見えた。冬の午後の日差しが畳に柔らかく落ちている。*


ルミナ「わぁ……お兄ちゃん、海が見えるよ」


シロウ「ああ、いい部屋だな」


*彼が居間の座椅子に腰を下ろした。ルミナが当然のようにその隣に座り、彼の肩に頭を預けた。*


ルミナ「ねぇお兄ちゃん。レイラが寝てる間、二人きりだね」


シロウ「……変なこと考えるなよ。レイラ隣で寝てるからな」


ルミナ「考えてないよ。……ちょっとだけ」


*ルミナがくすくす笑った。それから彼の手を取って、自分のお腹に当てた。まだ目立たない、ほんの少しだけ丸みを帯びた腹部。*


ルミナ「この子も一緒に旅行してるんだよ。初めての家族旅行」


シロウ「……そうだな」


*彼の表情が自然と緩んだ。手の下にある温かさが、確かにそこにある命を伝えてくる。*


ルミナ「お兄ちゃん、温泉入れる? あたし」


シロウ「妊娠中でも大丈夫だ。長湯しなければな。あと熱すぎる湯は避ける」


ルミナ「じゃあ一緒に入ろ」


シロウ「部屋に露天風呂が付いてるから、そこなら人目も気にしなくていい」


ルミナ「やった!」


*ルミナが嬉しそうに声を上げ、慌てて口を押さえた。奥の部屋でレイラが「んぅ……」と寝返りを打つ音がした。*


ルミナ「……レイラ起きたら怒るかな。二人で先に入ったら」


シロウ「間違いなく怒るな」


ルミナ「じゃあ起きるまで待つ。……お兄ちゃん、お茶入れて」


シロウ「はいはい」


*彼が座卓の上に置かれた急須と茶葉を手に取った。旅館備え付けの煎茶だ。湯呑みに注ぐと、緑茶の香りが和室に広がった。茶請けの温泉饅頭が3つ、小皿に載っている。*


ルミナ「これ何?」


シロウ「温泉饅頭だ。」


シロウ「饅頭美味しいよ。あ、それと。さっき睡眠魔法掛けたから当分起きないよ、レイラ。」


*彼が温泉饅頭を頬張りながら、何でもないことのように言った。*


ルミナ「……え?」


*ルミナが饅頭を口に運ぶ手を止めた。*


ルミナ「睡眠魔法って……お兄ちゃん、いつの間に」


シロウ「キスした時に。車酔いで辛そうだったし、無理に起きてるより寝かせた方が早く治る」


ルミナ「……それ、レイラが知ったらブチギレるやつだよね」


シロウ「知らなきゃいい」


*彼が茶を啜った。実に平然としている。*


ルミナ「お兄ちゃん、最近レイラの扱い雑になってない?」


シロウ「雑じゃねぇよ。愛情だ。吐いて体力消耗してるのに無理するだろ、あいつ。だから強制的に休ませた」


ルミナ「……まぁ、確かにレイラって意地張って倒れるまで動くもんね」


*ルミナが納得したように頷き、温泉饅頭を一口かじった。目を丸くする。*


ルミナ「お兄ちゃん、これ美味しい! 中に何か入ってる!」


シロウ「こし餡だ。豆から作った甘いやつ」


ルミナ「ルーナにお土産で買って帰ろ。あの子こういうの好きだから」


シロウ「ああ、そうだな」


*二人で茶を飲みながら、窓の外を眺めた。冬の伊豆の海が夕日に染まり始めている。静かな時間だった。奥の部屋からレイラの穏やかな寝息だけが聞こえる。*


ルミナ「ねぇお兄ちゃん」


シロウ「ん?」


ルミナ「レイラが寝てる間にさ……お風呂、入っちゃわない?」


*ルミナが悪戯っぽく笑った。*


シロウ「さっき起きたら怒るって自分で言ってたろ」


ルミナ「睡眠魔法で当分起きないんでしょ? じゃあバレないよ」


シロウ「……」


*彼は茶を一口飲んだ。反論の余地がなかった。自分で墓穴を掘った形だ。*


ルミナ「部屋の露天風呂、二人で入ろ。お兄ちゃんが背中流してよ」


シロウ「……背中だけだぞ」


ルミナ「うん。背中だけ」


*ルミナの笑顔が全く信用できなかった。だが彼は立ち上がり、露天風呂の方へ向かった。ルミナが嬉しそうに後をついてくる。*


*部屋付きの露天風呂は檜造りで、二人が入るには十分な広さだった。湯気の向こうに伊豆の海と夕焼けが見える。贅沢な景色だ。*


ルミナ「わぁ……すごい。お兄ちゃん、見て見て、海が赤い!」


シロウ「夕焼けだ。……先に体洗えよ、かけ湯してから入るんだぞ」


ルミナ「はーい」


*ルミナが服を脱ぎ始めた。銀髪が夕日に照らされて淡く輝いている。細い体のラインが露わになり、ほんの少しだけ丸みを帯びた下腹部が目に入った。*


ルミナ「お兄ちゃんも早く脱いで。一緒に入ろ」


シロウ「少しだけ大きくなった?」


*彼はルミナの下腹部にそっと手を当てた。ほんの僅かな膨らみ。誤差と言えば誤差だが、朝見た時より気持ち丸みがある気がする。*


ルミナ「……わかる? 今朝よりちょっとだけ……」


シロウ「ああ。柔らかいな」


*彼の掌がルミナの腹部をゆっくりと撫でた。スベスベの肌が吸い付くように手に馴染む。温泉の湯気が二人を包み、夕日が裸体を淡い朱色に染めている。*


ルミナ「んっ……くすぐったい……」


*ルミナが身をよじった。彼の手がそのまま下へ滑り、ルミナの小ぶりな尻を両手で包むように揉んだ。きゅっと引き締まった肉感が掌に伝わる。*


ルミナ「ちょっ……お兄ちゃん、そこお尻……」


シロウ「知ってる」


ルミナ「背中だけって言ったのに……」


シロウ「背中の延長だ」


ルミナ「どこがっ!」


*ルミナが抗議の声を上げたが、逃げる素振りは全くない。むしろ彼の方に体を預けてきた。*


ルミナ「……もう。お兄ちゃんのえっち」


シロウ「お前が脱ぐのが早いんだよ」


ルミナ「温泉なんだから脱ぐに決まってるじゃん」


*ルミナがぷくっと頬を膨らませた。彼が苦笑しながらルミナの髪を梳いた。銀髪が湯気の中でキラキラと光る。*


シロウ「先に体洗うぞ。ほら、座れ」


*彼が洗い場の小さな椅子にルミナを座らせ、シャワーのお湯を確かめてからルミナの背中に掛けた。*


ルミナ「あったかい……」


*ルミナが気持ちよさそうに目を細めた。彼がボディソープを手に取り、泡立ててルミナの背中に触れる。細い肩甲骨のラインに沿って、ゆっくりと手を動かした。*


ルミナ「んん……お兄ちゃん、上手い……」


シロウ「レイラの時も毎回洗ってやってるからな。慣れたもんだ」


ルミナ「……レイラの名前出さないでよ、今」


*ルミナがむすっとした声を出した。彼の手が背中から脇腹へ回ると、ルミナの体がぴくんと跳ねた。*


ルミナ「ひゃっ……そこ、弱い……」


シロウ「知ってる」


ルミナ「知ってるじゃないよぉ……」


*ルミナが恥ずかしそうに肩を竦めた。夕焼けに染まる露天風呂で、檜の香りと湯気が二人を包んでいる。遠くに伊豆の海が静かに広がっていた。*


ルミナ「ねぇお兄ちゃん……前も洗って」


*ルミナが振り向いた。金色の瞳が潤んでいる。*

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