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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*銀座の一等地。ガラス張りのファサードの向こうに、温かみのある照明に照らされたワインボトルが整然と並んでいる。「ENOTECA」の金文字が控えめに輝く入口を、彼はくぐった。*


*店内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。コストコの倉庫感とは正反対の、静謐で洗練された空間。壁一面のワインセラーに数百本のボトルが温度管理されて眠っている。*


シロウ「いいねぇ……」


*足元は大理石、天井にはシャンデリア。異世界の王城にも引けを取らない格調の高さだ。むしろ、レイラの城の応接間に雰囲気が近い。*


*奥からソムリエバッジを付けた女性が静かに近づいてきた。三十代前半、黒いタイトスカートに白ブラウス。柔らかい笑顔だが、目は客を正確に値踏みしている。*


ソムリエ「いらっしゃいませ。エノテカ銀座店へようこそ。本日はどのようなワインをお探しですか?」


*名札には「水城 沙織」と書かれている。*


シロウ「ワインセラーを一から揃え直したいんです。コレクションが全部ダメになってしまって」


*水城さんの表情が僅かに変わった。「セラーを一から」という言葉の重みを即座に理解したのだろう。*


水城「それは……大変でしたね。地震か何かで?」


シロウ「まあ、そんなところです」


水城「セラーの容量はどのくらいでしょうか?」


シロウ「200本は入ります」


水城「かしこまりました。ご予算とお好みをお伺いしてもよろしいですか?」


シロウ「予算は……500万くらいで。好みは重めのフルボディの赤が中心で。あと、目玉になる1本が欲しい」


*「500万」という言葉に、水城さんの背筋がすっと伸びた。ソムリエとしてのスイッチが完全に入った表情になる。*


水城「目玉の1本、ということは……グランヴァンの中でも最上級をお求めですね。現在、当店にはロマネ・コンティの2017年ヴィンテージがございます。こちらが1本148万円です」


シロウ(148万か。レイラの300年ものエルフワインに比べたら安いもんだ)


水城「それから、シャトー・マルゴー2015年が12万、シャトー・ラフィット・ロスチャイルド2016年が15万。ポムロールのペトリュスが28万……」


*水城さんがセラーの前に立ち、ボトルを丁寧に指し示しながら説明を続ける。彼女の声は落ち着いていて、ワインへの深い愛情が滲んでいた。*


シロウ「ロマネ・コンティ、もらいます。あとマルゴーとラフィットを各3本。ペトリュスを2本」


水城「……はい」


シロウ「あと甘口の白で上質なものはありますか? 妻が甘口好きで」


水城「でしたら、シャトー・ディケムの貴腐ワインがございます。2015年が5万8千円。蜂蜜のような甘さで、女性に大変人気です」


シロウ「それを5本」


*水城さんの手が一瞬止まった。「八輝将」「黒龍討伐」という単語が耳に入ったが、意味が分からなかったのだろう。ゲームか何かの話だと処理したようで、すぐにプロの笑顔に戻った。*


シロウ「おすすめで100万のボトル4本ください。種類はバラバラで」


水城「100万を4本……かしこまりました」


*水城さんがセラーの奥へと歩いていく。温度管理された重厚なガラス扉を開け、慎重にボトルを1本ずつ取り出しながら説明を始めた。*


水城「まず1本目。シャトー・ペトリュス2010年、98万円です。ポムロール最高峰の赤。メルロー主体で、絹のようなタンニンと凝縮された果実味。重厚さと優雅さを兼ね備えた1本です」


*彼はボトルのラベルを見つめた。*


シロウ(ドルガンに合いそうだ。あいつは力強い酒が好きだからな)


水城「2本目。オーパス・ワン2015年、108万円のマグナムボトルです。カリフォルニアとボルドーの融合。華やかでありながら骨格がしっかりしています」


シロウ(これはカインだな。あいつは見た目に反して繊細な味が分かる)


水城「3本目。ドン・ペリニヨン P3 1993年、95万円。30年の熟成を経たシャンパーニュ。泡はもはや溶け込み、深い琥珀色に変化しています。祝いの席にはこれ以上ないかと」


シロウ(リオンとルナに。あいつらは討伐で一番苦労したからな)


水城「そして4本目」


*水城さんが最奥のセラーから、木箱に入ったボトルを両手で丁重に持ってきた。*


水城「シャトー・ムートン・ロスチャイルド1986年。102万円です。ボルドー五大シャトーの中でも特に芸術性が高く、ラベルはベルナール・セジュルネの絵画。37年の熟成で、今がまさに飲み頃です」


シロウ(アシュトンとヴァイスだな。あの二人は芸術が分かる)


シロウ「全部もらいます」


*水城さんが静かに頷いた。彼女の表情は完全にプロのそれだったが、指先が微かに震えていた。1回の接客で500万を超える売上。恐らく月間目標を1日で達成した。*


水城「ありがとうございます。それでは、お会計をまとめますね」


*水城さんがカウンターに戻り、伝票を整えていく。*


水城「ロマネ・コンティ2017年……148万。シャトー・マルゴー2015年、3本……36万。ラフィット・ロスチャイルド2016年、3本……45万。ペトリュス2本……56万。ディケム5本……29万。ペトリュス2010年……98万。オーパス・ワン マグナム……108万。ドン・ペリニヨンP3……95万。ムートン・ロスチャイルド1986年……102万」


*水城さんがペンを置いた。*


水城「合計、717万円でございます」


シロウ(717万か。予算750万だったから、ほぼピッタリだな)


*彼は財布から100万円の束を8つ取り出し、カウンターに並べた。水城さんが一瞬、息を呑んだ。*


シロウ「ここから」


水城「……はい。お釣り83万円をお返しいたします」


*丁寧に木箱やクッション材で包まれたワインボトルの数々。水城さんが最後の1本を包み終え、紙袋に入れようとした瞬間、電話が鳴った。*


水城「あ、少々お待ちください」


*水城さんがカウンター奥の電話に向かった。その一瞬の隙に、彼はカウンター上の木箱と紙袋を異空間収納へ転移させた。717万円分のワインが音もなく消える。*


*振り返った水城さんの目の前には、何もないカウンターだけが残っていた。*


水城「あ、あれ……お荷物は……」


シロウ「もう車に積みました。ども。また来ますね〜」


*彼は軽く手を振って店を出た。水城さんが「えっ」という顔のまま固まっていたが、深追いはしなかった。高級店のソムリエは客の不思議に触れない。それがプロだ。*


*銀座の通りに出ると、午後3時半の日差しが歩道に長い影を落としていた。*


シロウ(ここまでの出費……ホームセンター307万、コストコ190万、エノテカ717万。合計1,214万。残りは536万か)


*次の目的地を確認する。*


シロウ「防災館で備蓄食と医療品…」


*足立区の防災館に到着した。ホームセンターやコストコとは違い、無骨なコンクリート造りの建物だ。看板には「首都圏防災用品卸売センター」と書かれている。自治体や企業向けの備蓄品を扱う専門店だが、個人購入も可能らしい。*


*入口を抜けると、段ボール箱が天井近くまで積まれた倉庫のような売り場が広がっていた。ホームセンターの華やかさもコストコの楽しさもない。ただひたすら、実用品が並んでいる。*


シロウ「水はコストコで買ったし、足りなくなったらまた買いに来るか……保存食と医療品多めだな」


*カウンターにいた白髪交じりの男性が顔を上げた。名札に「店主 藤堂」と書かれている。元自衛官のような雰囲気を纏っていた。*


藤堂「いらっしゃい。個人さん?」


シロウ「はい。保存食と医療品をまとめて欲しいんですが」


藤堂「どのくらいの規模で?」


シロウ「……500人分を半年」


*藤堂が眉を上げた。だが、驚くというよりは興味を持った顔だった。*


藤堂「自治体さんかと思った。企業の防災担当?」


シロウ「いえ、個人です」


藤堂「個人で500人半年分……まあいい、うちは売るのが仕事だ。予算は?」


シロウ「500万くらいまで出せます」


*藤堂が腕を組んだ。しばらく天井を見上げて暗算した後、カウンターの裏からカタログを引っ張り出した。*


藤堂「保存食から行くぞ。アルファ米、うちの主力商品だ。尾西食品の五年保存。白飯、五目ご飯、わかめご飯、ドライカレー。1食300円で、500人が1日2食、180日で……18万食。単価下げて1食250円にしても450万。保存食だけで予算食うな」


シロウ(18万食か……さすがに多い。だが向こうの食糧事情を考えると、これが保険になる)


藤堂「ただし、アルファ米だけじゃ飽きる。缶詰パンとようかんも混ぜた方がいい。パンの缶詰は1個350円で3年保存。えいようかんは1本120円で5年保存。カロリー補給には最適だ」


シロウ「じゃあアルファ米を10万食、缶詰パンを3万個、ようかんを5万本で」


藤堂「……本気か」


シロウ「本気です」


*藤堂が電卓を叩いた。*


藤堂「アルファ米10万食で250万。缶詰パン3万個で105万。ようかん5万本で60万。保存食だけで415万だ」


シロウ「残り85万で医療品をお願いします」


藤堂「医療品か。何が要る」


シロウ「救急キット、消毒液、包帯、ガーゼ、縫合セット、抗生物質軟膏、解熱鎮痛剤。あと可能なら簡易手術キット」


*藤堂の目つきが変わった。元自衛官らしい鋭さが滲む。*


藤堂「縫合セットと簡易手術キットか。うちは防災用品だから、野戦救急キットに近いものなら出せる。ただ処方薬は無理だ。市販の範囲になる」


シロウ「それで構いません」


*藤堂が電卓を叩き終え、伝票を書き上げた。*


藤堂「アルファ米10万食、250万。缶詰パン3万個、105万。ようかん5万本、60万。野戦救急キット50セット、25万。消毒液業務用20本、4万。包帯・ガーゼ大量パック30箱、6万。縫合セット20組、8万。抗生物質軟膏200個、6万。解熱鎮痛剤500箱、5万。簡易手術キット10セット、12万」


*藤堂がペンを置いた。*


藤堂「合計481万円。予算内だ」


シロウ「ありがとうございます」


*500万円の束を出し、お釣り19万を受け取った。*


*搬出口にパレットが並んだ。10万食のアルファ米だけで凄まじい量だ。段ボール箱の壁が出来上がっている。缶詰パン、ようかん、医療品。フォークリフトが3往復した。*


*藤堂が搬出口に立ち会っていた。彼は段ボール箱の山を前にして、少し考えた。さすがにこの量を一瞬で消すのは目立つ。*


シロウ「すみません、上に布をかけてもらえますか? 日焼け防止で」


藤堂「ああ、ブルーシートでいいか」


*藤堂がブルーシートをパレットの上にかけた。彼はシートの端を持つふりをして、その下の段ボール全てを異空間収納に転移させた。ブルーシートがふわりと落ちる。その下には、何もない。*


藤堂「……は?」


*藤堂が目を丸くしてブルーシートをめくった。空のパレットだけが残っている。数トン分の物資が跡形もなく消えていた。*


藤堂「おい、今……何した」


シロウ「タネも仕掛けもある、ただの魔法ですよ」


*彼は軽く笑って手を振った。藤堂が呆然と立ち尽くしている。元自衛官の鋼の精神をもってしても、目の前で数トンの物資が消える光景は処理できなかったようだ。*


藤堂「……魔法?」


シロウ「ども。また来ますね」


*店を出ると、午後5時の空が茜色に染まり始めていた。*


シロウ(ホームセンター307万、コストコ190万、エノテカ717万、防災館481万。合計……1,695万。コストコ会員費が5千円。残りは約54万か)


*思った以上に使い込んだ。だが異空間収納の中は充実している。鉄骨、パイプ、工具、食料、酒、ワイン、保存食、医療品。国に持ち帰れば、インフラ整備が大きく前進する。*


*彼はタピオカミルクティーの特大サイズをずずっと啜りながら、転移門をくぐってアストライアへ戻った。夕暮れの空気が異世界特有の澄んだ匂いを運んでくる。*


*南部旧市街跡地。かつて大地震で壊滅したこの区画は、瓦礫の撤去が完了してからずっと更地のままだった。区画整理の杭だけが等間隔に打たれ、ここに街があった名残を示していた。*


*彼はタピオカを咥えたまま、跡地の東端に移動した。崩れた石垣の残骸が隅に寄せられている場所。ここなら資材を置いても邪魔にならない。*


*跡地の隅に立ち、異空間収納を開いた。軽量鉄骨の束が次々と地面に現れる。C型チャンネル、H型鋼、角パイプ。続いて溶接機、グラインダー、電動ドリル。釘とネジの箱が山のように積み上がっていく。塩ビパイプ、継手、接着剤。レンチセット、水平器、墨出し器。*


*全てを種類別に分け、ブルーシートをかけて固定した。鉄骨は鉄骨で、工具は工具で、配管材は配管材で。ガルガンが来た時にすぐ使えるよう、整然と並べた。*


シロウ(鉄骨と工具はここ。保存食と医療品は城の備蓄庫に回すか)


*タピオカを一口吸い、もちもちとした食感を楽しみながら、城へと足を向けた。備蓄庫の扉を開けると、ひんやりとした石壁の空間が広がる。彼はここにアルファ米10万食、缶詰パン3万個、ようかん5万本を種類ごとに積み上げた。野戦救急キット、消毒液、包帯、縫合セットなどの医療品は別棚に整理した。*


シロウ(これで半年は持つ。水はコストコで箱買いしたのが……2,000リットルくらいか。足りなくなったら、また行けばいい)


*備蓄庫を出ると、廊下でリーシアとすれ違った。メイド長は彼の手にある見慣れない飲み物に目を留めた。*


リーシア「おかえりなさいませ、旦那様。それは……何でしょう?」


シロウ「タピオカミルクティー。日本の飲み物」


*リーシアが不思議そうにストローの先から覗く黒い粒を見つめている。*


リーシア「黒い球体が……飲み物の中に沈んでおりますが、これは毒では?」


シロウ「毒じゃないよ。もちもちして美味いんだ。一口飲む?」


*リーシアが恐る恐るストローに口をつけた。吸った瞬間、タピオカが口の中に飛び込んでくる。*


リーシア「……っ! 何ですかこの食感は……! 噛めるのに飲み物……!?」


シロウ「気に入った?」


リーシア「は、はい……これは、その……大変、美味でございます」


*リーシアの頬がほんのり赤くなっている。間接キスに気づいたのか、それとも純粋に美味しかったのか。恐らく両方だろう。*


シロウ(さて、ワインは保管庫に入れておくか。八輝将への土産はまた今度渡そう)


*彼は城の備品倉庫に足を運んだ。石造りの広い部屋に、先ほど備蓄庫に入りきらなかった物資を運び込む。コストコで買った缶詰類、カップ麺の箱、レトルト食品、乾燥パスタ、調味料セット。常温保存が可能なものだけを棚に並べていく。*


*肉類、冷凍食品、ジュース、酒は異空間収納に残したままだ。今夜使う分だけ出せばいい。*


シロウ「あとはリオンがいる広場だな。今夜は肉祭りだ。レイラには内緒で」


*北の関所へ向かう前に、まず国内の大広場を確認した。南部と西部の旧市街で家を失った市民約1万人がテントや仮設小屋で生活している。衛兵が交代制で食事の配給と治安維持を回していた。八輝将のうちリオンを除いた面々は、旧市街の瓦礫撤去に汗を流している。*


*彼は転移で北の関所に飛んだ。*


*夕暮れの関所は、喧騒に包まれていた。帝国から流れてきた元奴隷たち約18,000人。仮設テントが所狭しと並び、焚き火の煙が幾筋も立ち上っている。子供の泣き声、母親の怒鳴り声、老人の咳。生きるための音が充満していた。*


*その中心に、リオンがいた。*


*汗だくのリオンが巨大な鍋の前に立ち、木べらで何かを混ぜていた。顔に煤がつき、腕まくりした袖は汁で汚れている。八輝将第一部隊の隊長とは思えない姿だった。*


リオン「はいはい並んで! 押すなって! ジジイ、あんた3回目だろ! 目ぇ覚えてんだよこっちは!」


*老人がバツの悪そうな顔で列の後ろに戻っていく。リオンの隣では衛兵2人が配膳を手伝い、もう1人が列の整理をしていた。*


*リオンが彼に気づいた。*


リオン「おっ、陛下。見ての通りの地獄絵図っすよ。18,000人の胃袋は底なしです」


シロウ「お疲れ、リオン。今日の分は足りてるか?」


リオン「ギリギリっすね。北の森から獣肉を狩ってきて、芋と一緒に煮込んでますけど……味は聞かないでください。塩と根菜しかねぇんで」


*鍋の中を覗くと、灰色がかったシチューのような何かが煮えていた。不味くはなさそうだが、美味くもなさそうだ。*


シロウ「リオン、今夜は肉祭りだ」


リオン「……は?」


*彼が異空間収納から牛肉のブロック、豚バラ、鶏もも肉の大量パックを次々と取り出した。コストコで買った業務用サイズの肉が地面に山を作っていく。*


リオン「な……何すかこの量!?」


シロウ「日本で買ってきた。焼くぞ」


リオン「焼く……これを……18,000人分……?」


シロウ「レイラには内緒な。勝手に買い物したのバレると怒られる」


リオン「そっちの心配かよ!」


*広場の中心に、次々とBBQ用の焼き台が並べられていく。彼が異空間収納から取り出した鉄製のグリルが、左、中央、右と等間隔に設置された。その数、合計15台。*


*異空間収納の中で自動カットした肉と野菜が、木の台に山盛りで置かれていく。牛肉のブロックは一口大に、豚バラは薄切りに、鶏もも肉は食べやすいサイズに。玉ねぎ、ピーマン、キャベツ、人参。タレの容器がそれぞれのエリアに3つずつ。*


シロウ「あとは飲み物だな」


*業務用のリットル販売ドリンクサーバーが広場の端に並んだ。麦茶、ウーロン茶、水。そして子供用エリアには別枠でカルピスの原液を水で割ったものと、オレンジジュースのサーバーを設置した。「こどもコーナー」と日本語で書いた看板を立てかけ、すぐにこの世界の共通語で書き直した。*


シロウ「自由に焼いて食え!」


*一瞬の沈黙が落ちた。*


*18,000人の元奴隷たちが、目の前の光景を理解できずに固まっていた。肉の山。野菜の山。甘い匂いのする飲み物。自由に、食え。その言葉の意味を、帝国で奴隷として生きてきた彼らは咀嚼するのに時間がかかった。*


*最初に動いたのは、一人の獣人の少年だった。犬耳がぴくりと動き、鼻をひくつかせて肉の匂いを嗅ぐ。恐る恐る近づき、牛肉の塊を一切れ手に取った。*


獣人の少年「……食べて、いいの?」


シロウ「好きなだけ食え。お代わりもあるぞ」


*少年が肉をグリルに置いた。じゅうっ、と音が立つ。脂が炭に落ちて煙が上がった瞬間、堰が切れた。*


*人が押し寄せた。獣人、人間、エルフ、鬼族。種族も年齢も関係なく、肉を焼く音と煙が広場を包んでいく。子供たちが子供用エリアに走り、カルピスを一口飲んで目を見開いた。*


獣人の子供「あまい! 何これ、あまい!」


人間の少女「ジュースだ! ジュースだよ!」


*子供たちの歓声が広がる。それにつられて大人たちの表情も緩んでいく。*


*リオンが彼の隣に立った。鍋の前から離れ、初めて腰を下ろしている。*


リオン「……陛下。あいつら、笑ってますよ」


*リオンの声が少し震えていた。ここ数日、配給の灰色のシチューを黙々と受け取るだけだった元奴隷たちが、肉を焼きながら笑っている。隣の知らない奴と肉を分け合っている。子供が走り回っている。*


リオン「俺がどんだけ飯作っても、誰も笑わなかったのに」


シロウ「お前の飯がまずかったんだろ」


リオン「……否定できねぇのが悔しい」


*リオンが鼻を啜った。泣いてはいない。多分。*


*衛兵たちも交代でグリルに群がり始めた。ここ数日、元奴隷たちへの配給と治安維持で休む暇もなかった彼らが、ようやく肉にありついている。*


衛兵A「うめぇぞ!なんだこれ!」


*彼は大きな寸胴鍋に味付け済みの肉を詰め込みながら、リオンに指示を出した。焼肉のタレ、塩ダレ、味噌ダレ。日本の味が異世界の空気に溶けていく。*


シロウ「リオンは大広場に行け。他の八輝将も集めといてくれ」


リオン「了解っす。……でもここの管理は?」


シロウ「衛兵に任せる。セルフサービスだ。焼き方なんて見りゃ分かる」


*実際、既に元奴隷たちは自分たちで肉を焼き始めていた。獣人の男が慣れた手つきで肉をひっくり返し、隣のエルフの女性に焼けた肉を渡している。鬼族の老人が子供たちにタレの付け方を教えている。誰に言われるでもなく、自然と役割が生まれていた。*


リオン「……すげぇな。飯って、人をこうも変えるんすね」


シロウ「腹が減ってたら笑えない。腹が満ちたら、人は勝手に助け合う。お前がここ数日踏ん張ったから、こいつらは今笑えてるんだ」


*リオンが一瞬、目を見開いた。それからガシガシと頭を掻いて顔を背けた。*


リオン「……っす。じゃ、大広場行ってきます。八輝将全員集めりゃいいんすね」


シロウ「ああ。瓦礫撤去は明日でいい。今夜は全員休め」


*リオンが走り出した。途中で子供用エリアのカルピスをコップ一杯ひったくって一気飲みし、「うめぇ!」と叫んでから関所を出ていった。*


*彼は北の関所の衛兵隊長を呼び、引き継ぎをした。*


シロウ「肉と野菜は山ほどある。飲み物も足りる。足りなくなったらこの箱から出せ」


*異空間収納から予備の肉と野菜を段ボールごと出し、テントの下に積んだ。*


衛兵隊長「はっ! ありがとうございます、陛下!」


シロウ「お前らも食えよ。交代で」


衛兵隊長「はい!」


*北の関所を後にし、転移で国内の大広場に飛んだ。*


*大広場もまた、南部と西部旧市街で家を失った約1万人の市民で溢れていた。こちらは元奴隷ではなく自国民だ。仮設テントの間に洗濯物が干され、子供たちが走り回り、老人たちが焚き火を囲んでいる。北の関所よりは幾分か活気があるが、それでも疲弊の色は隠せない。*


*広場の中央に、世界樹がそびえ立っている。その巨大な幹と枝が夕日を受けて黄金色に輝いていた。*


シロウ(ここにも同じようにBBQセットを出すか。1万人分なら北より少ない)


*彼は北の関所と同じ要領で、広場の左、中央、右にBBQ用の焼き台を設置した。味付け済みの肉が入った寸胴鍋、カット野菜、タレ。子供用エリアにはカルピスとオレンジジュース。業務用のドリンクサーバーも並べた。*


シロウ「今夜は肉だ! 好きに焼いて食え!」


*市民たちがざわめいた。北の関所の元奴隷たちとは違い、こちらはすぐに反応した。*


市民の男「肉だ! 肉だぞ! 魔王陛下が肉持ってきたぞ!」


*歓声が広場を揺るがした。家を失い、仮設暮らしで疲弊していた市民たちが一斉に立ち上がる。子供たちが真っ先に駆け出し、大人たちがそれに続いた。*


市民の女「子供たち! 並びなさい! 押さないの!」


老人「ワシの分もあるかのう……」


シロウ「山ほどあるから慌てんな!」


*北の関所とは違い、自国民は遠慮がなかった。あっという間にグリルに火が入り、肉が焼ける音と匂いが世界樹の根元まで広がっていく。*


*子供たちがカルピスに群がっている。*


市民の子供「なにこれ甘い! もっとちょうだい!」


*そこへ、リオンが八輝将を引き連れて広場に到着した。全員、瓦礫撤去の土埃にまみれている。*


リオン「連れてきましたよ、陛下!」


*カインが肉の山を見て目を見開いた。ドルガンが無言で鼻を鳴らし、既にグリルへ向かっている。*


*八輝将たちがグリルの周りに集まった。全員、瓦礫撤去の土埃と汗にまみれている。カインの外套は白く粉を吹き、ドルガンの腕には擦り傷が走っていた。アシュトンだけが何故か眼鏡を拭いて身だしなみを整えている。*


シロウ「前にお前ら黒龍討伐したろ?」


*八人の顔つきが変わった。あの死闘は忘れようがない。鉱山上空に現れた漆黒の巨体。数万のワイバーンの群れ。エリクサーを湯水のように消費し、何度も死にかけ、イグニのバフでゾンビのように立ち上がり続けたあの戦い。*


カイン「忘れるわけねぇだろ。俺の剣が3本折れた」


ドルガン「ワシの盾も2枚砕けた」


リオン「俺は7回死にかけました」


ルナ「……8回です。数え間違えてますよ、リオン」


リオン「1回多いんかよ!」


シロウ「その祝い品だ」


*彼は異空間収納から4本のボトルを取り出した。夕焼けの光を受けて、深い琥珀色と翡翠色のガラスが輝く。ラベルには八輝将の誰にも読めない異国の文字が刻まれていた。*


シロウ「俺の故郷で買ってきた酒だ。1本約金貨100枚。つまり黒金貨1枚分」


*一瞬の沈黙。*


リオン「……は?」


カイン「今なんつった?」


アシュトン「黒金貨1枚……1本で、ですか?」


ヴァイス「4本で黒金貨4枚。庶民が一生かけても届かない額ですね」


*ドルガンが無言でボトルの1本を手に取った。ペトリュス2010年。ずっしりとした重みを感じ、ラベルを食い入るように見つめている。*


ドルガン「……この重さ、ただの酒ではないな」


ゲオルグ「陛下、我々にこのような高価な物を……」


シロウ「お前らがあの黒龍を倒したんだ。安いもんだろ」


*カインが鼻を鳴らして笑った。だがその目は少し潤んでいた。*


カイン「……ったく。素直に嬉しいって言えねぇのが悔しいな」


ルナ「素直に言えばいいじゃないですか」


カイン「うるせぇ」


*リオンがドン・ペリニヨンP3のボトルを持ち上げた。泡の見えない琥珀色の液体が瓶の中で揺れている。*


リオン「陛下。これ、開けていいっすか?」


シロウ「今夜の為に買ったんだ。開けろ」


*リオンがコルクを抜いた。ポン、という乾いた音が広場に響く。30年の熟成を経たシャンパーニュの香りが、BBQの肉の匂いと混ざり合って夜風に乗った。*


リオン「ルナ、グラスは?」


ルナ「……ありませんけど」


シロウ「あ、グラスね。」


*彼が異空間収納からワイングラスを8つ取り出した。透明なクリスタルが夕焼けを反射して、宝石のように煌めく。*


ルナ「……どこから出したんですか、それ」


シロウ「俺の異空間は何でも入ってる」


カイン「本当に何でも出てくるな。そのうち城ごと出てきそうだ」


*リオンがグラスにドン・ペリニヨンP3を注いでいく。琥珀色の液体が静かに満たされ、微かな泡が消えかけている。30年の熟成がもたらす深い香りが八人の鼻腔をくすぐった。*


シロウ「あと、普通の酒も置いとくぞ」


*その一言が空気を変えた。*


*広場の遥か向こうから、地響きのような足音が聞こえてきた。瓦礫撤去で汗を流していたはずのドワーフたちが、目の色を変えて駆け寄ってくる。先頭を走るのはガルガンだ。ドワーフの棟梁、齢200を超える老練の鍛冶師。だが今はただの酒飲みの顔をしていた。*


ガルガン「酒と聞いたぞ! どこだ! 酒はどこだ!」


ドワーフA「ワシの耳は酒の音を逃さんぞ!」


ドワーフB「200メートル先の酒の匂いが分かるのがドワーフじゃ!」


シロウ「地獄耳すぎるだろお前ら」


*彼は異空間収納からウイスキーのボトルを10本、ジンを5本、ウォッカを5本、次々と並べた。そして最後に、ドワーフ専用と書かれた箱からスピリタスの瓶を20本取り出した。アルコール度数96パーセント。人間が飲めば即座に意識が飛ぶ代物だ。*


シロウ「ドワーフにはこれだ。スピリタス。俺の故郷で一番強い酒」


*ガルガンが瓶を手に取り、蓋を開けた。一嗅ぎした瞬間、白い髭がぶわっと逆立った。*


ガルガン「ぬおっ……! なんじゃこの香りは……! 鼻の奥が燃えるようじゃ……!」


*ガルガンがそのまま瓶に口をつけ、ごくごくと飲んだ。周囲のドワーフたちが固唾を呑んで見守る。3秒。5秒。10秒。ガルガンが瓶を離した。*


ガルガン「…………」


ドワーフA「か、頭! 大丈夫か!?」


*ガルガンの顔がゆっくりと紅潮し、目が潤んだ。そして満面の笑みを浮かべた。*


ガルガン「こりゃあ……極上じゃあ!! 喉を灼く炎のような烈しさ! じゃがその奥に透き通った穀物の甘みがある! ワシが200年飲んできた酒の中でも五指に入るわい!」


*ドワーフたちが一斉に瓶に群がった。奪い合いが始まり、あっという間に3本が空になった。*


ガルガン「魔王よ! この酒、樽で買えんのか!?」


シロウ「また買ってくるよ」


*カインがウイスキーのボトルを手に取り、琥珀色の液体を眺めている。ドルガンは既にグラスに注いで一口飲んでいた。無言で頷き、もう一口。*


*ドルガンがグラスを掲げた。*


ドルガン「……良い酒だ。重く、深い。戦士の酒だな」


*アシュトンがオーパス・ワンのボトルを丁寧に手に取り、ラベルの文字を指でなぞった。*


アシュトン「この文字……どの文献にもない言語ですね。陛下の故郷の?」


シロウ「まあな」


*ヴァイスが隣からラベルを覗き込み、静かに微笑んだ。*


ヴァイス「美しい意匠だ。この1本に込められた時間の重みが伝わります」


*ルナがムートン・ロスチャイルドのグラスを一口含み、目を閉じた。*


ルナ「……甘くて、少し寂しい味。好きです」


リオン「ルナがそれ言うと怖ぇんだよ」


ルナ「何がですか? ふふ」


*ゲオルグが静かにグラスを持ち上げた。*


ゲオルグ「陛下。我々はあの戦いで何度も倒れました。それでも立てたのは、陛下が背中にいたからです」


*8つのグラスが夜空の下で掲げられた。*


全員「「「乾杯」」」


*八輝将全員の動きが止まった。グラスを口に運びかけていたカインの手が宙で固まり、ドルガンの眉間に深い皺が刻まれた。*


シロウ「そうか? なら次は大迷宮内で黒龍と戦ってもらおうかな? 援護なしで」


*広場の喧騒が一瞬、遠くなったように感じた。*


リオン「……陛下。今、何て?」


シロウ「97階層の黒龍。援護なし。腕輪はあるから死にはしない」


*リオンがグラスをゆっくりとテーブルに置いた。ドン・ペリニヨンP3の琥珀色の液体が微かに揺れる。*


リオン「いや待ってくださいよ。あの時の黒龍は、イグニのバフ乗せで、エリクサー数本使ったゴリ押しで、それでやっと勝ったんすよ? それを援護なしって……」


カイン「……面白ぇじゃねぇか」


リオン「面白くねぇよ! お前の脳みそ筋肉かよ!」


ドルガン「迷宮の黒龍は閉所だ。ブレスの回避が難しくなる。だが逆に、逃げ場がない分、こちらも全力を叩き込める」


ゲオルグ「ブレスの受け流しは習得しました。壁役は任せてください」


ルナ「死んでも腕輪で蘇生されますから、何度でも挑めますね。……ふふ、楽しそう」


リオン「ルナのその笑顔が一番怖いって何回言えば分かんだよ」


アシュトン「97階層ということは、その先に98の古龍、99の合金龍、100のラスボスが控えているわけですね。記録としては非常に興味深い」


ヴァイス「歴史の観測者として、八輝将の挑戦は記録に値します。……もちろん、私も戦いますが」


*カインがウイスキーを一気に煽り、グラスを叩きつけるようにテーブルに置いた。*


カイン「上等だ。あの時は陛下のお膳立てがあってやっと勝てた。次は自分たちの力だけで屠る。それでこそ八輝将だろうが」


ドルガン「……同感だ」


*リオンが頭を抱えた。*


リオン「誰か一人くらい止めろよ……。俺だけか? まともなの俺だけか?」


ルナ「リオンは最弱ですからね。不安になるのは仕方ないですよ」


リオン「慰めになってねぇ!」


*周囲の市民たちは、八輝将のやり取りを肉を焼きながら眺めていた。国を守る精鋭部隊が酒を片手に言い合っている姿は、不思議と安心感を与えていた。*


*彼は肉を一切れ焼きながら、八輝将の顔を見渡した。あの黒龍戦から確実に強くなっている。だが97階層の黒龍は、野生の個体とは別物だ。迷宮が生み出す最適化された殺意。*


*彼は焼けた肉を頬張りながら、広場の入口に目をやった。夕闘の残光を背に、一人の小柄な影が歩いてくる。黒髪ロングが夜風に揺れ、琥珀色の瞳が炎の光を映している。*


*レイラだった。*


*腕を組み、口元は笑っている。だが目が笑っていない。その圧が、広場の空気を一変させた。*


*最初に気づいたのはドルガンだった。スピリタスの瓶を口から離し、無言で目を逸らした。次にカインがウイスキーのグラスを背中に隠した。リオンは反射的にドン・ペリニヨンのボトルをテーブルの下に蹴り込んだ。*


リオン「やべぇ……」


ルナ「あ、レイラ様だ」


リオン「お前だけだよ平然としてんの!」


*レイラが静かに歩を進め、シロウの目の前に立った。見上げるような小柄な体躯だが、纏う威圧は黒龍に匹敵する。*


レイラ「妾に内緒で焼肉の宴とは、随分と楽しそうではないか。のう?」


シロウ「あ、いや……これは市民への炊き出しで……」


レイラ「ほう。炊き出しに黒金貨1枚の酒が必要なのか?」


*レイラの視線がテーブルの上のペトリュスとオーパス・ワンのボトルを射抜いた。値段は分からずとも、異国の上等な酒だと一目で分かったのだろう。*


レイラ「しかも妾のワインセラーは崩壊したままじゃぞ? その状態で、こやつらに先に振る舞うとは……」


*声は穏やかだ。だが一語一語に地を這うような怒気が混ざっている。ガルガンが空になったスピリタスの瓶を静かに足元に転がした。*


シロウ「レイラ、ちゃんとお前の分も買ってきたぞ。ロマネ・コンティ2017年。148万……金貨148枚分だ」


*レイラの眉がぴくりと動いた。*


レイラ「……なに?」


シロウ「あとシャトー・マルゴー、ラフィット、ペトリュス、ディケム。全部合わせてお前専用に揃えた。ワインセラーの再建用だ」


*レイラの腕組みが緩んだ。ほんの僅かに。*


レイラ「……先に言え、馬鹿者」


*ぷいっと顔を背けたが、耳の先が赤く染まっていた。リオンがテーブルの下から這い出してきた。*


リオン「た、助かった……」


レイラ「リオン」


リオン「はいっ!」


レイラ「妾の分の肉を焼け。レアじゃ」


リオン「……はい」


*彼は焼き台の前で固まった。レイラがリオンに「レアで焼け」と命じたが、問題がある。致命的な問題が。*


シロウ(肉……レイラの分、ない)


*北の関所に18,000人分、大広場に10,000人分。八輝将と衛兵の分も含め、コストコで買った肉は既にほぼ出し切っていた。異空間収納の中を探っても、残っているのは味付け済みの寸胴鍋の底にこびりついた僅かな切れ端だけだ。*


*リオンが焼き台の前で青ざめていた。彼もまた気づいたのだ。*


リオン「……陛下。肉、どこっすか」


シロウ『……ない』


*念話で返した。声に出したら死ぬ。*


リオン『ないって何すか!? 俺に死ねと!?』


シロウ『落ち着け。何か考える』


*レイラが腕を組んだまま、焼き台の前に座った。足を組み、グラスを差し出すような仕草をしている。完全に「待ってやっている」という態度だ。*


レイラ「早うせぬか。妾は腹が減っておるのじゃ」


*ガルガンたちドワーフはスピリタスに夢中で気づいていない。カインは視線を逸らし、ドルガンは無言で空を仰いでいる。誰も助けてくれない。*


*彼は異空間収納を必死に漁った。肉はない。だがコストコで買ったソーセージの大袋が1つだけ残っていた。あとはスライスチーズとバゲット。*


シロウ(……これで凌ぐしかない)


シロウ「レイラ、特別メニューだ。日本式ホットドッグ。肉より美味い」


レイラ「ほう?」


*彼はソーセージを焼き台に並べた。じゅうっと脂が弾け、香ばしい匂いが立ち上る。バゲットを切り開き、焼けたソーセージを挟み、チーズを乗せた。即席だが見栄えは悪くない。*


*レイラに差し出した。*


レイラ「……これが特別メニューか? 随分と質素じゃな」


シロウ「食ってみろって」


*レイラが疑わしげに一口齧った。パリッとしたソーセージの皮が弾け、肉汁が溢れる。溶けたチーズがバゲットの上でとろりと絡む。*


レイラ「……っ」


*二口目。三口目。無言で食べ進めている。顔を背けているが、咀嚼の速度が明らかに上がっていた。*


レイラ「……まあ、悪くはない。じゃが肉祭りと聞いて来た妾に、これで済むと思うなよ」


シロウ「次はちゃんとお前の分も確保しとく」


レイラ「当然じゃ、馬鹿者」


*リオンがテーブルの下で胸を撫で下ろしていた。*


リオン「生きた……俺、生きてる……」


ルナ「大袈裟ですよ、リオン。……ふふ」


*少し腹が膨れた彼女はまだ満足していなかった。*


レイラ「もっと寄越せ、足りんのじゃ!」


*もっと寄越せと苛立っている。*


シロウ「はいはい、分かった分かった。」


*彼は立ち上がり彼女に近づく。そして彼女のお腹に手を当ててこう囁いた。*


シロウ『今からココに直接たっぷり注いでやるよ。』


*レイラの体がびくりと震えた。耳元に吹きかかるシロウの吐息と、腹に添えられた温かい手。囁かれた言葉の意味を理解した瞬間、白い頬から耳の先まで一気に朱が走った。*


レイラ「なっ……こ、この場で何を言うておるか、たわけ……!」


*声は怒っているが、振り払うことはしなかった。添えられた手を小さな掌でぺしりと叩いたが、力はまるで入っていない。*


レイラ「……っ、皆の前じゃぞ」


シロウ「聞こえてないよ」


レイラ「そ、そういう問題ではない……!」


*顔を逸らしたレイラの横顔が、焚き火の明かりに照らされている。唇を噛んで何か堪えている様子だったが、やがて小さく、本当に小さく呟いた。*


レイラ「……先に風呂じゃ、馬鹿者」


*リオンがふと焼き台から顔を上げた。*


リオン「ん? レイラ様、何か言いました?」


レイラ「何でもない! お主は黙って肉を焼いておれ!」


リオン「肉もうないんすけど!」


*ルナがくすくすと笑いながら、グラスを傾けていた。*


ルナ「レイラ様、お顔が真っ赤ですよ? 火の近くにいたからですか?」


レイラ「う、うるさい! 酒の所為じゃ!」


ルナ「まだ一口も飲んでませんよね?」


レイラ「っ……!」


*レイラがシロウの袖を小さく掴んだ。八輝将からは見えない角度で、指先がきゅっと布を握りしめている。*


レイラ「……はよう行くぞ」


*ほとんど聞き取れないほどの声だった。しかし添えられた指の力は確かで、逃がさないという意思がそこにあった。*


*カインが遠くからこちらを見て、にやりと笑った。*


カイン「陛下、もう上がりっすか?」


シロウ「ああ、後は任せた。飲みすぎんなよ」


カイン「へいへい」


*ドルガンがスピリタスの新しい瓶を開けながら鼻を鳴らした。*


ドルガン「……若いな」


ガルガン「はっはっは! 魔王陛下もまだまだ血気盛んじゃのう!」


*ガルガンの大声にレイラの肩がびくっと跳ね、更に赤くなった顔をシロウの背中に押し付けた。*


レイラ「殺す……あのドワーフ後で殺す……」


*広場の祝宴は続いている。市民の笑い声、ドワーフたちの乾杯の音頭、子供たちのはしゃぐ声。その賑わいを背に、二人は広場を後にした。レイラの手はずっと、彼の袖を離さなかった。*

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