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*夕方。彼が目を開けた。天井の木目がぼんやりと視界に映る。蝋燭はとっくに燃え尽きていた。窓から差し込む夕陽がカーテンの隙間を橙色に染めている。*
*体が重い。鉛を飲んだかのようだ。*
シロウ「…………」
*起き上がろうとして、腕が震えた。SSランク冒険者の体が、まともに動かない。隣を見ると、ルミナがすやすやと眠っている。幸せそうな寝顔だ。ワンピースは捲れ上がったまま、太ももの内側はうっすらと赤みを帯びている。*
*彼はなんとか体を引きずって洗面台に辿り着いた。鏡を覗き込む。*
シロウ「……うわ」
*顔が真っ青だ。唇にも血の気がない。目の下に濃い隈ができている。四十四年間生きてきて、ここまで顔色が悪くなったことはない。魔王との死闘でもこんな顔にはならなかった。*
シロウ(二十回……いや、途中から数えてなかったから正確には分からん。五回を超えた辺りで身体強化かけて、エリクサー三本飲んで……それでも搾り取られた……)
*水差しの残りを飲み干す。体が水分を求めて叫んでいる。*
シロウ「……生命力を根こそぎ持っていかれた感じがする」
*鑑定を自分にかけた。HPが最大値の一割を切っている。MPも三割程度。これは魔王城に単身で突っ込んだ時より酷い数値だ。*
シロウ(あの子が全部吸収してるんだ。精液を出す度に生命力ごと持っていかれてる。つまり……やりすぎると俺が死ぬ)
*洗面台に手をついて、はぁ、と息を吐いた。*
*その時、寝室のドアがノックされた。*
リーシア「シロウ様、お目覚めでしょうか」
シロウ「……ああ、起きてる」
*ドアが開き、リーシアが入ってきた。彼の顔を見た瞬間、トレイを持つ手が止まった。*
リーシア「シロウ様……お顔の色が」
シロウ「大丈夫だ。ちょっと寝すぎただけだ」
リーシア「大丈夫ではありません。その顔色は重度の魔力欠乏症に近い症状です。何がありましたか」
シロウ「……色々あった」
*リーシアの視線がベッドの上で眠るルミナに移り、散乱した衣服に移り、部屋に漂う甘い残り香に移った。*
リーシア「……なるほど。『色々』ですか」
*リーシアの声が一段低くなった。彼女はトレイをテーブルに置き、てきぱきとスープと果物を並べ始めた。*
リーシア「まずは召し上がってください。栄養価の高い食事を用意してあります。それから、ルーナ様が朝から温泉施設の防音工事について、ガルガン殿に怒鳴り込んでおられました」
シロウ「……あー」
リーシア「何かご存知で?」
シロウ「……色々あった」
リーシア「その『色々』は先程の『色々』とは別件ですか」
シロウ「……同じ日の出来事だ」
*リーシアが深い溜め息をついた。メイド長の溜め息は、どんな魔法より重かった。*
*彼はリーシアが用意してくれたスープを啜りながら、羊皮紙に書き出した。やるべきことの一覧だ。書けば書くほど頭が痛くなる。*
シロウ「えーっと、やる事は……南部旧市街の新しい家の建て直し、西部旧市街の温泉施設の整備と増築、帝国からの元奴隷移民一万八千人の処遇、内四千人程度が欠損、鉱山の復旧作業、水周りの復旧工事、帝国までの道の整地と整備……」
*羽根ペンを置き、頭を抱えた。*
シロウ「だぁーっ! やる事が多すぎる! 金も無い!」
リーシア「お声が大きいです、シロウ様。ルミナ様がまだお休みです」
*ベッドの上でルミナが「んん……」と寝返りを打ったが、起きる気配はない。昨夜散々搾り取ったくせに本人はぐっすりだ。*
リーシア「国庫の現状をお伝えしますと、地震の復旧費用で黒金貨三十枚ほど使っております。残りは黒金貨八十七枚と白金貨四百枚程度です」
シロウ「八千七百万と四千万……合わせて約一億二千七百万か。移民の受け入れだけで吹き飛ぶ額だな」
リーシア「オルクスが朝から頭を抱えておりました。『陛下は金の生る木じゃないんだ』と」
シロウ「オルクスに同情するわ……」
*彼はスープを飲み干し、果物を頬張りながら考えた。優先順位を付けなければ全てが中途半端になる。*
シロウ「まず……水周りは最優先だ。生活インフラが止まったら住民が持たない。次に南部の建て替え。これはガルガンのドワーフ組に任せる。温泉施設は後回しでいい、今は贅沢言ってる場合じゃない」
リーシア「移民についてはいかがなさいますか」
シロウ「段階的受け入れの方針は変えない。だが四千人の欠損者が問題だ。治療には時間も金もかかる。南部の救護所だけじゃ足りない」
リーシア「シルフィ様に世界樹の回復魔法を頼むのは?」
シロウ「欠損の再生は世界樹でも限界がある。腕や足の完全再生となると……四千人分は流石にきつい」
*彼は羊皮紙の端に走り書きした。*
シロウ「金策……大迷宮の素材売却は? 八十三階層までの素材なら、相当な値が付くはずだ」
リーシア「冒険者ギルド経由で売却すれば、黒金貨五十枚程度にはなるかと。ただし市場に流しすぎると相場が崩れます」
シロウ「鉱山が復旧すれば鉱石の輸出もできる。帝国との交易路を整備すれば、向こうからも物資が入ってくる。道の整備は交易の為にも急がないと……」
*彼はペンを走らせながら、ふと手を止めた。*
シロウ「……リーシア。帝国との交易路整備の費用、帝国側に半分持たせられないか? 向こうも交易路が欲しいはずだ。ディートリヒに打診してくれ」
リーシア「承知いたしました。それは良い提案かと。属国として我が国に貢献する名目にもなります」
*彼はスープの残りを啜りながら、指折り数えて計算を始めた。*
シロウ「こっちの世界……広い割に流通ゴミなんだよな……遅すぎる。アマ○ンを見習え!」
リーシア「……ア○ゾン? 密林のことでしょうか」
シロウ「……いや、忘れてくれ。こっちの話だ」
*リーシアが小首を傾げたが、深追いはしなかった。長年の付き合いで、シロウが時折意味不明な言葉を口にすることには慣れている。*
シロウ「食料と水は足りてるか? 炊き出しで追いつく分けないよな……」
リーシア「はい。広場で八輝将が対応してくださっていますが、あくまで応急処置です。一万八千人分の食料を継続的に確保するとなると、現在の備蓄では二週間が限界かと」
シロウ「二週間……」
リーシア「加えて、国内の住民分も含めますと、秋の収穫期まで食料が持つかどうか。稲作の導入はまだ始まったばかりですし」
*彼は椅子の背にもたれ、天井を睨んだ。*
シロウ「水はどうだ。地震で水路がやられたままか」
リーシア「南部の水路は五割程度復旧しております。ただ北部と西部はまだ手つかずです。井戸は使えるものもありますが、一万八千人の増加には耐えられません」
シロウ「……シルフィに頼んで、世界樹の浄化能力で水源を確保できないか? あいつなら地下水脈くらい操れるだろ」
リーシア「シルフィ様は現在、世界樹の維持に魔力を割いておられますが……打診してみます」
*彼は羊皮紙の端にさらに書き足した。字が荒くなっている。*
シロウ「食料は……俺が買い付けた種籾と大豆がある。だがあれは栽培用だ、食い潰したら意味がない。」
*彼はリーシアに「少し出かけてくる」とだけ告げ、寝室の窓を開けた。*
リーシア「シロウ様、そのお顔の色で外出は——」
シロウ「大丈夫だ。エリクサーもう一本飲んだ。すぐ戻る」
リーシア「……どちらへ?」
シロウ「ちょっと買い出しにな。ふふふ」
*その不気味な笑みに、リーシアが一瞬たじろいだ。しかし彼はそれ以上の説明をせず、工房に向かった。*
*工房の扉を閉め、鍵をかける。転移座標を脳内に呼び起こした。前回家族で行った時の座標——東京、代々木公園の裏手の人目につかない茂み。*
シロウ「座標確認……よし」
*異空間収納から日本円を取り出した。前回用意した残りがまだある。数えると——約五百万円。*
シロウ「足りるか……? まあ、足りなきゃまた作ればいい。」
*彼は服装を変えた。黒いジャケットにジーンズ、スニーカー。前回の日本旅行で買った服だ。鏡を見る。顔色はまだ悪いが、日本人としては通用する範囲だ。黒髪黒目の四十代男性。どこにでもいる日本のおっさんだ。*
シロウ「転移」
*魔法陣が足元に展開し、光が彼を包んだ。次の瞬間——*
*湿った空気が肌を撫でた。蝉の声。アスファルトの匂い。遠くからクラクションの音。*
*彼は代々木公園の茂みの中に立っていた。木漏れ日が差し込み、ジョギングする人影が遊歩道を横切っていく。*
シロウ「……夏か。暑いな」
*スマホは持っていない。だが前回の旅行で日本の地理はある程度把握している。彼は茂みから自然な足取りで出ると、公園の出口に向かった。*
シロウ(さて……まずはホームセンターだ。ポンプ、パイプ、工具類。それから農業資材。種苗店で大量の種子。食料は業務用スーパーで米と保存食を大量買い。医療品もドラッグストアで……)
*彼は頭の中でリストを組み立てながら、原宿方面へ歩き出した。*
シロウ(問題は運搬だ。異空間収納があるから量は気にしなくていいが、大量購入すると怪しまれる。)
*ふと、目の前にコンビニが見えた。彼は吸い寄せられるように入った。*
シロウ「……おにぎり」
*棚に並ぶおにぎりの列を見て、足が止まった。鮭、ツナマヨ、昆布、明太子。*
シロウ「…………」
*彼はカゴを手に取り、おにぎりを片っ端から放り込んだ。二十個。それから缶コーヒーを三本。レジに持っていく。*
店員「二千八百六十円になります」
*一万円札を出した。お釣りを受け取り、店の外のベンチに座る。鮭おにぎりの包装を剥がし、一口齧った。*
シロウ「……うめぇ」
*日本の米だ。この粘りと甘み。異世界では再現できなかった味。*
*おにぎりの残り十八個を異空間収納に放り込み、缶コーヒーを一気に飲み干した。空き缶をゴミ箱に向けて投げる。十メートルは離れている。*
*カンッ、と小気味よい音を立てて、空き缶はゴミ箱の穴に吸い込まれた。投擲スキルの恩恵だ。隣のベンチに座っていたサラリーマンが「うわ、すげ」と呟いたが、彼は気にせず立ち上がった。*
シロウ「五百万じゃ足りないよな……工具類だけで百万は飛ぶし、農業資材、医療品、保存食の大量買い……最低でもあと一千万は欲しい」
*彼はジャケットのポケットに手を突っ込み、歩き出した。前回日本に来た時に見つけた質屋——確か新宿にあった「やまと」だ。あそこの店主は異世界の銀貨を見ても大して動揺しなかった。*
シロウ(前回は銀貨で五十万だった。今回はもう少し上のものを出すか……)
*異空間収納の中身を脳内で確認する。大迷宮の素材——八十三階層までの魔石、魔獣の牙、希少鉱石。日本で売れるかは別として、宝石類なら質屋でも扱えるはずだ。*
シロウ(魔石は見た目が宝石に近い。特に五十階層以上の高純度魔石は、ルビーやサファイアと見分けがつかないくらい綺麗だ。鑑定書がなくても、石そのものの美しさで値が付くだろう)
*彼は代々木から新宿方面へ歩き始めた。夏の東京は蒸し暑い。アスファルトからの照り返しが肌を焼く。異世界の夏とは質が違う、纏わりつくような湿気だ。*
シロウ「……あっつ」
*新宿駅周辺の雑踏に紛れ込む。スーツ姿のサラリーマン、制服の学生、外国人観光客。誰もが忙しそうに歩いている。彼はその流れに乗って、記憶を頼りに路地裏へ入った。*
*見覚えのある看板が見えた。「質屋 やまと」。古びた木製の引き戸。前回と変わらない佇まいだ。*
*カラカラ、と引き戸を開ける。*
店主「おや……あんた、前にも来なかったかい」
*カウンターの奥から、白髪の老人が眼鏡越しにこちらを見た。前回と同じ店主だ。*
シロウ「覚えてましたか。また買い取りをお願いしたくて」
店主「前の銀貨みたいなやつかい? あれは珍しかったねぇ。コレクターに高く売れたよ」
シロウ「今回はこっちです」
*彼はカウンターの上に、布に包んだものを置いた。布を開くと、拳大の深紅の魔石が現れた。五十五階層の炎属性高純度魔石。内部で微かに光が揺らめいている。*
*店主の目が見開かれた。ルーペを手に取り、魔石を覗き込む。*
店主「……こいつは……ルビーじゃないな。だが、こんな石は見たことがない。内側から光ってる……」
シロウ「希少な天然石です。他にもいくつかあります」
*彼はさらに三つ、異なる色の魔石を並べた。蒼い水属性、翠の風属性、金色の雷属性。どれも五十階層以上の高価なもの。*
*彼はリュックの口を店主から見えない角度に保ちながら、次々と品物を取り出していった。異空間収納からリュックの中に転送し、そこから引き抜く。傍から見れば、やたらと物が入る小さなリュックだ。*
シロウ「えーっと、指輪……ネックレス……ブレスレット……ティアラ……ダイヤの原石……」
*カウンターの上に、宝飾品と原石が山のように積み上がっていく。どれも異世界の大迷宮で手に入れたものだ。魔力を帯びていないものを選んで持ってきた——日本で不審に思われないように。*
*店主の眼鏡がずり落ちた。*
店主「ちょ、ちょっと待ちなさい。あんた、そのリュックどうなってるんだ。物理的におかしいだろう」
シロウ「特注品です。見た目より入るんですよ」
店主「いやいやいや……」
*店主はそれ以上追及することを諦め、ルーペを手に取った。まずティアラに目を通す。銀色の台座に、蒼い宝石が三つ嵌め込まれた精緻な細工だ。四十七階層のボスドロップ。魔力は抜いてある。*
店主「……この細工は尋常じゃないね。機械加工じゃない、手彫りだ。しかもこの精度……職人が一生かけても到達できないレベルだよ」
*店主は一つ一つ丁寧に鑑定していった。指輪のダイヤモンドに似た石、ネックレスの翡翠に似た石、ブレスレットの琥珀に似た石。どれも既存の宝石とは微妙に異なるが、美しさは本物以上だ。*
店主「……正直に言うよ。これが全部本物の宝石なら、億は下らない。だがうちでは鑑定書が出せない石ばかりだ。正規のルートで売れない」
シロウ「分かってます。だからここに来たんです」
店主「……あんた、前もそうだったが、出所を聞かれたくない口だね」
シロウ「ええ。その分、安くて構いません」
*店主は腕を組み、しばらく考え込んだ。それから電卓を叩き始めた。*
店主「魔石四つ……原石扱いで百二十万。ティアラが細工込みで三百万。指輪三点で百五十万。ネックレス二点で八十万。ブレスレット五点で百万。ダイヤの原石が……」
*店主がルーペでダイヤの原石を覗き込み、息を呑んだ。*
店主「……こいつは、とんでもないな。内包物がほぼゼロだ。このサイズで、この透明度……カットしたら十カラットは超える」
シロウ「いくらで?」
店主「……うちの限界で、五百万。本来なら桁が一つ違うがね」
シロウ「合計で?」
店主「全部合わせて……一千二百五十万。これが限界だ」
シロウ「いいでしょう。現金で」
*店主が奥の金庫に向かった。彼はカウンターに肘をつき、頭の中で計算を始めた。*
シロウ(手持ち五百万と合わせて一千七百五十万か。これならいける)
シロウ「足りなくなったらまた来ますね。」
*店主は引き出しからメモ用紙を取り出し、さらさらと書き始めた。*
店主「あんた、うちじゃもう金庫が空っぽだ。次に来られても払えないよ。だからここに行きな」
*差し出されたメモには、住所と店名が書かれていた。*
「宝石買取専門 黒澤商会 港区赤坂——」
店主「黒澤ってじいさんがやってる。俺の古い知り合いでね。出所を聞かない主義は同じだ。うちより資金力がある。あんたみたいな客には向いてるよ」
シロウ「助かります。ありがとうございました」
店主「……あんた、また来るんだろう?」
シロウ「多分」
店主「次は何が出てくるか楽しみだよ。あの小さなリュックからな」
*店主が意味ありげに笑った。彼は軽く手を挙げて店を出た。*
*路地裏から大通りに出ると、新宿の雑踏が彼を飲み込んだ。ポケットには一千七百五十万円の束。リュックの中には、まだ売れる在庫が山ほどある。*
シロウ(よし。まずはホームセンターだ。水道管、ポンプ、工具一式。それから農業資材店で種子と肥料。業務スーパーで米と保存食。ドラッグストアで医薬品……)
*彼はメモ帳代わりに羊皮紙を——いや、ポケットの中にしまい直した。日本で羊皮紙は目立つ。*
シロウ(コンビニでメモ帳買うか)
*近くのコンビニでメモ帳とボールペンを買い、歩きながらリストを書き出した。*
———買い物リスト———
・塩ビパイプ各種(大量)
・手動ポンプ+電動ポンプ(電動は分解して仕組みを学ぶ用)
・工具セット(ノコギリ、ハンマー、レンチ等)
・農業用種子(米、大豆、小麦、野菜各種)
・肥料(化成肥料、有機肥料)
・米(業務用30kg袋を可能な限り)
・保存食(缶詰、乾麺、レトルト)
・医薬品(消毒液、包帯、解熱剤、抗生物質)
・義肢の参考資料(書籍)
・浄水器(仕組みを学ぶ用)
シロウ「……あと、ルーナへの土産も買っとくか。あいつ日本のもの好きだし」
*彼は新宿からまず最寄りの大型ホームセンターへ向かった。電車は使わない。異空間収納に大量の荷物を入れて電車に乗るのは不自然だ。徒歩とタクシーで移動する。*
*タクシーを拾い、環七沿いの大型ホームセンターへ。*
運転手「お客さん、顔色悪いけど大丈夫?」
シロウ「……ええ、ちょっと昨夜嫁に搾り取られまして」
運転手「あー……お疲れさんです」
*運転手が妙に共感した顔で頷いた。彼は窓の外を流れる東京の街並みを眺めながら、頭の中で予算を組み立てていた。*
*彼はホームセンターの駐車場に降り立った。看板には「スーパービバホーム」と大きく書かれている。二階建ての巨大な店舗だ。資材館と生活館が併設されている。*
シロウ(でかい……これなら大体揃うだろう)
*自動ドアをくぐると、冷房の風が汗ばんだ肌を冷やした。夏の東京から逃げ込むように、彼は店内に足を踏み入れた。*
*広大な売り場が目の前に広がる。塩ビパイプ、木材、工具、園芸用品——異世界の国王が、日本のホームセンターで買い出しをしている。冷静に考えると異常な光景だ。*
シロウ(……一人で探してたら日が暮れるな)
*彼はサービスカウンターに向かった。オレンジ色のエプロンを着た若い女性スタッフが対応してくれた。*
店員「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
シロウ「大量購入の相談なんですが、担当の方をお願いできますか。配管資材と工具を結構な量で」
店員「少々お待ちください。資材担当を呼びますね」
*数分後、がっしりした体格の中年男性がやってきた。名札には「資材担当 松田」と書かれている。*
松田「お待たせしました。大量購入のご相談ということで。業者さんですか?」
シロウ「いえ、個人なんですが……海外の開拓地に持っていくものでして。リストがあるんですが、見ていただけますか」
*メモ帳を渡した。松田さんがリストに目を通し、眉を上げた。*
松田「塩ビパイプVP管各サイズ百本単位……手動ポンプ十台……工具セット二十組……これ、村でも作るんですか?」
シロウ「まあ、そんなところです」
松田「在庫で足りないものは取り寄せになりますが……お急ぎですか?」
シロウ「今日持って帰れる分だけで構いません。在庫にあるだけ」
松田「配送は? この量だとトラック一台じゃ——」
シロウ「配送は不要です。自分で運びます」
*松田さんが怪訝な顔をした。当然だ。塩ビパイプ百本を個人で持ち帰るとか言い出す客は普通いない。*
松田「……車、何台で来られました?」
シロウ「車はないんですが、大丈夫です。積み込み場所だけ貸していただければ」
松田「はぁ……」
*明らかに困惑しているが、客が買うと言っている以上は対応するしかない。松田さんは気を取り直してリストを片手に売り場を案内し始めた。*
松田「まずパイプ類はこちらです。VP管の十三、二十、二十五、五十……全サイズありますが、百本単位だと在庫確認しますね」
*彼は松田さんの後ろを歩きながら、売り場を物色した。異世界にはない工業製品の数々。均一な品質の塩ビパイプ、精密な継手、ステンレスのバルブ。ドワーフのガルガンが見たら卒倒するだろう。*
シロウ(接着剤も要るな。あとシールテープ……パイプカッターも。ガルガンに渡せば構造を理解して自作できるようになるはずだ)
シロウ「すみません、これとこれと……あとパイプカッター十個追加で」
松田「……はい」
*松田さんのメモがどんどん膨れ上がっていった。*
*松田さんの後をついて工具コーナーを歩きながら、彼は棚に並ぶ電動工具を物色した。*
シロウ「あとは……電動ドリル、電動ドライバーか」
*マキタの十八V充電式インパクトドライバーを手に取った。軽い。異世界のドワーフが使う手回しドリルとは比較にならない効率だ。*
シロウ(充電は……向こうに電気がないから、魔力変換で動かすしかないな。ガルガンなら仕組みを理解して魔力駆動に改造できるだろう)
シロウ「これを十台。あとドリルビットのセットも十組」
松田「……十台」
*松田さんがもう驚かなくなってきた。慣れとは恐ろしいものだ。*
シロウ「釘よりネジの方が……いや、柱は鉄骨で……あ、鉄骨って売ってますか?」
*松田さんが足を止めた。*
松田「鉄骨ですか。H鋼とかC鋼とかの建築用ですよね」
シロウ「ええ。家の骨組みに使いたいんですが」
松田「うちでも軽量鉄骨のCチャンネルやアングル材なら在庫がありますが、本格的なH鋼となると鉄鋼メーカーから直接仕入れになります。ホームセンターの規模じゃちょっと……」
*松田さんが顎に手を当てて考えた。*
松田「ただ、軽量鉄骨で良ければ二階建て程度の住宅なら十分いけますよ。Cチャンネルの七十五と百、アングル材の五十と六十五。あとブレース用のフラットバー。溶接で組むなら強度も出ます」
シロウ「溶接機も売ってます?」
松田「ありますよ。百V対応のアーク溶接機なら三万円台から。二百Vの半自動なら十万前後ですが、そっちの方が作業効率はいいです」
シロウ(溶接機か……これもガルガンに渡せば魔力駆動に改造できる。いや、ドワーフの鍛冶技術と組み合わせたら、溶接機以上のものを作れるかもしれない)
シロウ「両方ください。あと溶接棒とワイヤーも大量に。軽量鉄骨は在庫分全部いただけますか」
松田「在庫全部……ちょっと確認しますね」
*松田さんが無線でバックヤードに問い合わせた。*
松田「えーっと……Cチャン七十五が四十本、百が二十五本。アングル五十が六十本、六十五が三十本。フラットバーが五十本。これで全部ですが」
シロウ「全部もらいます」
松田「……お客さん、失礼ですが本当に個人ですか?」
シロウ「個人です」
松田「これ、重量だけで二トン超えますよ? どうやって……」
シロウ「大丈夫です。積み込み場所だけお借りできれば」
*松田さんが何か言いかけたが、飲み込んだ。プロの接客だ。*
松田「……裏の資材搬出口をお使いください。フォークリフトで出しますので」
シロウ「助かります。あと、ネジ類もまとめて欲しいんですが。コーススレッド、ボルトナット各サイズ……箱単位で」
松田「はい……」
*松田さんのメモ帳が三ページ目に突入した。彼の顔には「今日の売上目標、一人で達成するんじゃないか」という表情が浮かんでいた。*
シロウ「今、いくら位ですか?」
*松田さんが手元のメモ帳を捲りながら、携帯の電卓を叩き始めた。資材コーナーの通路に二人で立ち止まる。*
松田「えーっと、ここまでの合計ですね……」
*松田さんが項目を読み上げながら計算していく。*
松田「塩ビパイプ各種が約45万。継手とバルブ類で12万。接着剤、シールテープ、パイプカッターで8万。電動インパクトドライバー十台が35万。電動ドリル十台で28万。ドリルビットセット十組で6万。アーク溶接機が3万5千。半自動溶接機が11万。溶接棒とワイヤーで4万……」
*松田さんが一旦息を吸った。*
松田「ここまでで約152万5千円です。で、問題の軽量鉄骨ですが……」
*電卓をさらに叩く。*
松田「Cチャン75が40本で32万。百が25本で28万。アングル50が60本で18万。65が30本で12万。フラットバーが50本で15万。鉄骨だけで約105万」
*松田さんがメモ帳の端に合計を書いた。*
松田「ネジ類のコーススレッド各サイズ箱買いとボルトナットで約9万。ここまでの合計が……266万円ですね。税込みで約293万」
シロウ(300万弱か。まだ農業資材、食料、医薬品の買い出しが残ってる。1,750万あれば余裕だな)
シロウ「大丈夫です。このまま続けてください。あと、園芸コーナーも回りたいんですが」
松田「園芸もですか……」
シロウ「種子と肥料を大量に。あと農業用の道具も」
*松田さんが無線を手に取った。*
松田「園芸担当の鈴木さん呼んでもらえますか。大口のお客様です。……ええ、かなりの。……いや、個人です。僕もびっくりしてます」
*無線の向こうで何か聞き返されていたが、松田さんは苦笑いで応じた。*
松田「お客さん、お支払いは現金ですか?」
シロウ「現金で」
松田「……カードの方がポイント付きますけど」
シロウ「カード持ってないんです」
松田「あー……海外生活長いと、そうなりますよね」
*松田さんが納得したように頷いた。勝手に補完してくれる日本人の空気読み能力は異世界スキルに匹敵する、と彼は内心思った。*
*園芸担当の鈴木さんが合流した。三十代の女性で、エプロンの胸ポケットに剪定バサミを差している。松田さんから事情を聞いたのか、既に覚悟の決まった顔をしていた。*
鈴木「大口のお客様と伺いました。園芸資材ですね、何をお探しですか?」
シロウ「まず黒土をあるだけ全部ください」
鈴木「……あるだけ全部、ですか」
松田「鈴木さん、そういうお客さんだから」
*松田さんが達観した顔で言った。鈴木さんが一瞬たじろいだが、すぐにプロの顔に戻った。*
鈴木「黒土の14リットル袋が……倉庫含めて約120袋あります」
シロウ「全部もらいます。あと苺の苗も欲しいんですが」
鈴木「苺ですね。今の時期だと夏植え品種の『よつぼし』と『めちゃウマいちご』がありますが……何株くらい?」
シロウ「あるだけ」
鈴木「……ですよね」
*鈴木さんが苦笑しながら園芸コーナーへ案内した。苺の苗がポットに並んでいる。*
鈴木「よつぼしが48株、めちゃウマが32株。合計80株ですね」
シロウ「全部。あとは種だな……」
*彼はメモ帳を開き、種子コーナーの棚を眺めた。小松菜、ほうれん草、大根、にんじん、かぼちゃ、トマト、きゅうり、なす、白菜、キャベツ、レタス、ねぎ、にんにく、玉ねぎ、じゃがいもの種芋——異世界にない野菜がずらりと並んでいる。*
シロウ(向こうの気候は温帯に近い。日本の品種なら大体育つはずだ。問題は土壌だが、黒土と肥料で改良すればいける)
シロウ「この棚の種、各品種10袋ずつください。あとじゃがいもの種芋があれば、それも」
鈴木「種芋は……今の時期だと秋植え用の『デジマ』と『ニシユタカ』がありますね。各20kgでよろしいですか?」
シロウ「それで」
*鈴木さんがメモを取りながら、棚から種袋を次々とカゴに入れていく。*
*鈴木さんと松田さんが同時に苦笑した。*
鈴木「お支払い方法は……」
松田「現金だって」
鈴木「……そうですか」
*鈴木さんが電卓を叩いた。*
鈴木「園芸関連だけで……黒土が約3万6千円、苺苗が約2万4千円、種子各種が約5万、種芋が約1万2千円……合計約13万4千円ですね」
*松田さんが資材分と合算した。*
松田「資材の293万と園芸の14万で、ここまでの合計が約307万円です」
シロウ(まだ全然余裕がある。次は食料と医薬品だな)
シロウ「ありがとうございます。じゃあ一旦ここで精算して、積み込みをお願いできますか?」
*レジのモニターに数字が積み上がっていく。松田さんがバーコードを読み取る度に、金額が跳ね上がる。*
*レジ担当の若い男性スタッフが目を丸くしていた。隣のレジの客も、チラチラとこちらを見ている。*
*ピッ、ピッ、ピッ——*
レジ担当「……えっと、ここまでで2,847,600円です。まだ続きますか」
松田「続く」
*鈴木さんが園芸資材のカートを押してきた。苗のトレーが山積みだ。そこからさらに黒土の袋、種子、種芋が追加されていく。*
*最終金額がモニターに表示された。*
「合計 3,073,240円(税込)」
*レジ担当の手が震えていた。個人客で300万超えは、恐らくこの店の記録だろう。*
*彼は財布から万札の束を取り出し、カウンターに置いた。*
シロウ「……はい、310万」
*レジ担当が札束を数える手つきがぎこちない。明らかに慣れていない金額だ。*
*精算を終え、搬出口で資材を受け取りながら、人目のない瞬間を見計らって片っ端から異空間収納に放り込んでいった。松田さんが目を離した隙に、2トン分の鉄骨が消える。振り返った松田さんが「あれ?」という顔をしたが、彼は涼しい顔で次の荷物を受け取った。*
松田「お客さん、鉄骨もう運び終わったんですか?」
シロウ「ええ、手際がいいもので」
松田「……はぁ」
*全ての積み込みが終わり、松田さんと鈴木さんに礼を言って店を出た。残金は約1,450万。まだ十分ある。*
シロウ「この辺で大きな食料売り場とか知ってます? 災害用の備蓄系とか」
*松田さんが駐車場まで見送りに来てくれていた。*
松田「食料の大量購入ですか。業務スーパーなら環七沿いに一軒ありますが……災害備蓄となると、ここから車で15分くらいの所にコストコがありますよ。会員制ですけど、まとめ買いならあそこが一番です。缶詰、乾物、米、水、何でもパレット単位で買えます」
シロウ「コストコ……」
シロウ(コストコか。懐かしいな。転移前は行ったことなかったが、名前は知ってる)
松田「あとは防災専門の卸売なら、足立区の方に『防災館』ってのがあります。自治体向けの備蓄食を個人でも買えたはずです。アルファ米とか保存水とか」
シロウ「両方回ります。ありがとうございました、松田さん。本当に助かりました」
松田「いえいえ。またのご来店お待ちしてます。……来ますよね?」
シロウ「多分、近いうちにまた」
*松田さんが名刺を差し出した。彼はそれを受け取り、ポケットにしまった。タクシーを拾い、まずはコストコへ向かう。*
シロウ(会員証がないな……まあ、当日入会すればいいか)
*コストコの入口に到着した。巨大な倉庫型の建物が目の前にそびえている。平日の昼間だが、駐車場にはそこそこ車が停まっていた。*
*入口横のメンバーシップカウンターに向かう。スタッフの女性が笑顔で迎えた。*
スタッフ「いらっしゃいませ。ご入会ですか?」
シロウ「はい、当日入会で」
スタッフ「ありがとうございます。個人会員のゴールドスターで年会費4,840円になります。身分証明書をお願いできますか?」
シロウ(身分証……パスポートは持ってきてる。転移前に更新してたやつだ)
*ポケットからパスポートを取り出してカウンターに置いた。スタッフが手際よく情報を入力していく。*
スタッフ「お写真撮らせていただきますね」
*カメラの前に立ち、無表情で撮影を終えた。数分後、会員カードが手渡される。*
スタッフ「はい、こちらが会員カードです。本日からご利用いただけます」
シロウ「ありがとうございます」
*会員カードをポケットにしまい、巨大なカートを引いて店内に入った。天井の高い倉庫に、パレットごと積まれた商品が延々と並んでいる。*
シロウ(まず米だ。向こうで稲作が軌道に乗るまでの繋ぎが要る)
*食品コーナーへ直行した。コシヒカリの10kg袋が積まれている。*
シロウ(10kgが……3,980円か。50袋で500kg。それでも国の人口考えたら焼け石に水だが、種籾としても使えるし……)
*カートに10kg袋を積み始めたが、すぐに限界が来た。カートが悲鳴を上げている。*
*近くを通りかかったスタッフの男性に声をかけた。*
シロウ「すみません、米を50袋ほど買いたいんですが、まとめて出してもらえますか?」
スタッフ「50袋ですか!? えっと……パレットごとお出しする形になりますが、お車は大型ですか?」
シロウ「積み込み場所だけお借りできれば大丈夫です」
スタッフ「あ、はい……少々お待ちください、倉庫に確認します」
*スタッフが無線で連絡を取り始めた。彼はその間にカートを押して缶詰コーナーへ向かう。ツナ缶、トマト缶、コーン缶、フルーツ缶。業務用の大缶がずらりと並んでいた。*
シロウ(缶詰は向こうの技術じゃ作れない。保存食として最強だ。あとは……塩、砂糖、小麦粉、乾麺。調味料も醤油と味噌は絶対だな)
*メモを見ながら、次々とカートに放り込んでいく。2台目のカートが必要になった。*
*彼はカートを押しながら、メモ帳にペンを走らせていく。コストコの広大な売り場を歩きながら、パレット単位で購入する品目を書き出した。*
シロウ(缶詰は……ミスリルナイフで開ければいいか。スパッと切れるだろうし、缶切りを大量に持ち込むより合理的だ)
*穀物コーナーに差し掛かった。小麦粉の業務用袋、パスタの大箱、オートミールが積まれている。*
シロウ「穀物は米だけじゃ足りない……小麦粉、乾麺、パスタ。あとは芋だ」
*青果コーナーへ移動すると、じゃがいもとさつまいもが箱単位で並んでいた。*
シロウ(じゃがいもは種芋があるから、ここではさつまいもを多めに。焼き芋にすればレイが喜ぶ……いや、今はそういう話じゃない)
*メモに追記していく。*
──パレット購入リスト──
・米10kg×50袋
・小麦粉25kg×20袋
・乾燥パスタ5kg×30箱
・さつまいも10kg×20箱
・ツナ缶48個入×10箱
・トマト缶28個入×10箱
・コーン缶24個入×10箱
・フルーツ缶24個入×5箱
・塩25kg×10袋
・砂糖25kg×10袋
・醤油1.8L×30本
・味噌4kg×20個
・食用油16L×15缶
*さらに歩いていると、卵売り場が目に入った。*
シロウ(卵か……向こうにも鶏はいるが、品種改良された日本の卵は栄養価が違う。孵化用に有精卵があれば最高だが……ここは無精卵だろうな。食用に買っておくか)
*卵を10パックほどカートに入れ、さらに奥へ進むと医薬品コーナーがあった。*
シロウ「おお、薬も売ってるのか。いいな」
*棚を眺める。鎮痛剤、風邪薬、胃腸薬、消毒液、絆創膏、包帯、抗生物質入り軟膏。向こうには回復魔法があるが、軽傷に毎回魔法を使うのは非効率だ。特に一般市民は回復魔法を使えない者が大半。*
シロウ「消毒液を……20本。絆創膏の大箱を10箱。包帯を30巻。鎮痛剤と胃腸薬は各20箱。抗生物質の軟膏を30個」
*カートが3台目に突入した。通りすがりの客が、山積みのカートを見て二度見していく。*
*彼は売り場の端にいたスタッフに声をかけた。*
シロウ「すみません、さっき米50袋を注文した者ですが、他にもパレット単位で出してもらいたい品目があって」
*メモ帳を見せると、スタッフの目が点になった。*
スタッフ「え……これ全部ですか?」
シロウ「全部です。搬出口でまとめて受け取りたいんですが」
スタッフ「少々お待ちください。マネージャーを呼びます……」
*スタッフが小走りで消えていった。彼はその間に、もう一度メモを確認する。*
シロウ(あとは……調味料の種類をもう少し増やすか。胡椒、七味、みりん、酒。ルーナが喜びそうだ。あいつ前世の記憶あるから和食が恋しいだろうし)
シロウ「いや、ここはあれだな。」
*彼はカートを押しながら即席味噌汁の大袋を放り込んだ。永谷園の「あさげ」50食入りが5箱。*
シロウ(ルーナが泣いて喜ぶな、これ)
*そのまま精肉コーナーへ足を向けた。コストコの精肉売場は異世界の肉屋とは比較にならない規模だ。真空パックされた肉がずらりと冷蔵ケースに並んでいる。*
シロウ「今夜は焼肉にするか。どうせ全員分だ、多めに買っておこう」
*彼はメモを書く手を止め、直接カートに商品を投げ込み始めた。*
・USAプライムビーフ カルビ 1.5kg×3パック
・牛タン スライス 1kg×3パック
・プルコギビーフ 2kg×2パック
・国産豚バラ 1.2kg×2パック
・あらびきウインナー 1kg×3袋
シロウ「魚介も欲しいな……ホタテとエビがあれば完璧だ」
*鮮魚コーナーへ移動すると、殻付きホタテの大袋と、冷凍エビの2kgパックが目に入った。*
シロウ「ホタテ2袋、エビ3パック。あとサーモンの柵も……刺身で食べたい」
*サーモンフィレの大きな真空パックをカートに乗せた。向こうでは海が遠い内陸国だ。新鮮な刺身は貴重品になる。*
シロウ「焼肉のたれは……」
*調味料コーナーに戻り、エバラ焼肉のたれの業務用ボトルを5本。ポン酢を3本。わさびチューブを10本。*
シロウ(レイが焼肉好きだったからな。前に高級焼肉店で山ほど食ってたし……あいつの食欲考えたら、これでも足りないかもしれん)
*4台目のカートに突入した時、さっきのスタッフがマネージャーらしき男性を連れて戻ってきた。四十代後半、名札に「副店長 中村」と書かれている。*
中村「お客様、大量購入のご相談と伺いました。先ほどのリストを拝見しましたが……」
*中村副店長がメモを見ながら電卓を叩いた。*
中村「パレット単位の分だけで概算……約85万円になりますね。それにカートの分を合わせますと」
*彼が4台のカートを見渡した。*
中村「カート分が肉、魚介、調味料、医薬品で……ざっと18万前後でしょうか。合計で103万円前後になるかと」
シロウ「大丈夫です。あと飲料水のケースを20箱追加で」
中村「……かしこまりました。搬出口にまとめてご用意いたします。お時間30分ほどいただけますか?」
シロウ「お願いします」
*中村副店長が去っていった後、彼は残り時間で店内を回り、もう一つ気になっていたものを探した。*
*日用品コーナーの端に、キャンプ用品が並んでいた。バーベキューコンロ、炭、着火剤。*
シロウ(今夜の焼肉用に……いや、向こうに持って帰れば国民祭の時にも使えるな)
*大型バーベキューコンロを2台と炭10kgを3袋、カートに追加した。*
*彼は飲料コーナーに突入した。目が輝いている。冒険者として、魔王として、国王として、常に冷静沈着な男が、今だけは完全に買い物を楽しむ日本人に戻っていた。*
シロウ「コーラ!ペプシ!ドクペ!カルピス!」
*24缶入りケースを次々とカートに積み上げていく。コカ・コーラ10箱、ペプシ10箱、ドクターペッパー5箱、カルピスウォーター10箱。さらにファンタグレープ5箱、三ツ矢サイダー5箱を追加した。*
シロウ(レイが炭酸でむせてたな……でもあいつ絶対ハマるぞ。ルーナはドクペ好きそうだ、前世オタクだし。レイラは……甘いの嫌いだからカルピスは微妙か。炭酸水も買っておくか)
*無糖炭酸水を5箱追加した。*
シロウ「あとは酒!酒はいくらあっても足りん!みんな好きだからな」
*酒類コーナーへ足を踏み入れた瞬間、彼の目の前にウイスキーの壁が広がった。ジャックダニエル、メーカーズマーク、ジョニーウォーカー。その隣にはジン、ウォッカ、ワインが棚一面を埋めている。*
*メモ帳を取り出し、パレット購入リストに追記していく。*
──酒類パレット購入追加──
・ジャックダニエル 1.75L×6本
・ジョニーウォーカー黒 1L×6本
・ボンベイサファイア ジン 1.75L×4本
・スミノフ ウォッカ 1.75L×4本
・スピリタス 500ml×10本
・赤ワイン(カベルネ・ソーヴィニヨン)箱×10
・白ワイン(シャルドネ)箱×10
・日本酒 獺祭 1.8L×6本
シロウ(スピリタスは96度……消毒用にも使える。いや、ドルガンとゲオルグあたりが喜んで飲みそうだな。あいつら底なしだし)
*さらにビールコーナーへ。*
シロウ「ビールは向こうで作れるようになったけど……日本のビールも持っていくか」
*アサヒスーパードライの350ml×24缶を10箱。キリン一番搾りを5箱。*
*メモの合計が膨れ上がっていく。彼は酒類の概算を頭の中で弾いた。*
シロウ(酒だけで……50万くらいか? ここまでの買い物全部合わせると160万前後。ホームセンターの300万と合わせて460万。まだ1,300万近く残ってる)
*パレット購入メモを持って搬出口へ向かうと、中村副店長が既にフォークリフトの手配を始めていた。*
中村「お客様、先ほどのリストに追加ですか?」
シロウ「酒類が増えました。これもパレットでお願いします」
*メモを渡すと、中村副店長の表情が一瞬固まった。*
中村「スピリタス10本……お酒お好きですんね」
シロウ「仲間が多いもので」
中村「……お会計、概算で185万円ほどになりますが」
シロウ「大丈夫です」
*中村副店長が何かを悟ったような顔で頷いた。もう驚かない。ホームセンターの松田さんと同じ境地に達したようだ。*
*彼がぽつりと独り言を漏らした。*
シロウ「あ……そういえば城のワインセラーが崩れてレイラが泣いてたな……」
*中村副店長の手がピタリと止まった。フォークリフトの手配書を持ったまま、ゆっくりとこちらを振り返る。*
*「城」。「ワインセラー」。「崩れて」。「泣いてた」。*
*中村副店長の額にじわりと汗が浮かんだ。300万を現金で払うホームセンター帰りの男が、さらに185万を現金で払おうとしている。そしてこの男は「城」に住んでいて、「ワインセラー」がある生活をしている。*
中村(……王族? どこかの国の? いや、日本人の顔だが……海外の王室関係者か? それともあれか、IT長者か何かで城を買った系の……)
*中村副店長が居住まいを正した。明らかに接客態度が一段階上がっている。*
中村「あ、あの、お客様。もしワインにこだわりがおありでしたら、銀座に『エノテカ』というワイン専門店がございまして。ヴィンテージものからグランヴァンまで揃っておりますが……」
シロウ「ワインはどっか高そうなところで買うか……。銀座? エノテカ?」
中村「はい。シャトー・マルゴーやロマネ・コンティなども取り扱っていると聞いております。お城のワインセラーを再建されるなら、あちらの方がお客様のご期待に沿えるかと」
*彼は少し考えた。レイラの顔が浮かぶ。ワインセラーが崩壊した日、あの傲慢なレイラが膝をついて泣いていた。300年もののエルフワインが全滅したのだ。日本のワインで完全な代替にはならないが、新しいコレクションとして喜ぶかもしれない。*
シロウ「ありがとうございます。コストコの後に寄ってみます」
中村「お力になれて光栄です。……あの、お客様、差し支えなければ法人会員へのアップグレードもご案内できますが」
シロウ「個人で大丈夫です」
中村「……かしこまりました」
*中村副店長が搬出口の準備に戻っていった。その背中が微かに震えていたのは、緊張なのか興奮なのか判別がつかなかった。*
*彼はスマホを取り出し、「銀座 エノテカ」と検索した。場所を確認して、コストコの精算が終わったらタクシーで向かう段取りを頭の中で組む。*
シロウ(レイラにはロマネ・コンティ系の重めの赤。ルミナは甘口の白が好きだった。レイは……あいつ酒飲まないから、ジュースでいいか。シルフィは何でも飲むし……)
*30分後、搬出口にパレットが並んだ。米、穀物、缶詰、調味料、酒類、飲料、医薬品。フォークリフト3台分の物量だ。*
*人目がない瞬間を見計らって、異空間収納に次々と吸い込ませていく。パレットが一瞬で消えるたびに、遠くでスタッフが首を傾げていた。*
*レジで精算。モニターに表示された金額。*
「合計 1,897,420円(税込)」
*万札の束をカウンターに置く。レジ担当が二人がかりで数えた。*
シロウ(ホームセンターの307万とコストコの190万で、ここまで約500万。残り1,250万か。)
*レジのモニターに「1,897,420円」が表示されている。彼は財布から100万円の束を2つ取り出し、カウンターに置いた。*
シロウ「結構安かったな。さっきは300万くらいだったのに」
*レジ担当が二人がかりで札を数えていく。中村副店長が横で見守っている。*
中村「工具や鉄骨はどうしても単価が高いですからね。食料品は量があっても一つ一つは安いですから」
シロウ「確かに。鉄骨だけで100万超えてたしな」
*お釣りの102,580円を受け取り、財布にしまった。*
シロウ(残り約1,250万。銀座のワインと、あとは防災館にも寄りたい。アルファ米と保存水……それから医療品をもう少し本格的に揃えたい)
*コストコの出口に向かいながら、スマホでタクシーを呼んだ。*
中村「お客様、本日は誠にありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
*中村副店長が深々と頭を下げた。ホームセンターの松田さんと同じ、大口顧客を逃すまいとする商人の目だった。異世界の商人ギルドで何度も見た目だ。*
シロウ「ええ、また来ます」
*コストコを出ると、夏の日差しが照りつけた。時刻は午後2時過ぎ。まだ時間はある。*
*タクシーが到着し、乗り込んだ。*
シロウ「銀座のエノテカまでお願いします」
運転手「銀座ですね、かしこまりました」
*車が走り出す。窓の外を流れる東京の街並みを眺めながら、彼はレイラの泣き顔を思い出していた。*
シロウ(あの時は俺も焦ったな……300年もののエルフワインが全滅して、レイラが床に膝ついて『妾の……妾のコレクションが……』って。あいつが泣くの、数えるほどしか見たことないのに)
*スマホでエノテカのワインリストを検索する。ロマネ・コンティ、シャトー・マルゴー、シャトー・ラフィット・ロスチャイルド。価格帯を見て眉が上がった。*
シロウ(ロマネ・コンティが1本150万……? さすがにそれは……いや、待て。レイラの300年ものエルフワインの価値を考えたら、むしろ安いか? あっちじゃ白金貨100枚でも買えない代物だったし)
シロウ(……1本だけ買うか。あとは10万前後のグランヴァンを数本。レイラの好みは重めのフルボディだから、ボルドー左岸系で揃えよう)
*タクシーの窓から東京タワーが見えた。28年前、この街で普通の大学生だった自分が、今は異世界の魔王として城に住んでいる。その城のワインセラーを日本のワインで埋めようとしている。*
シロウ(人生、何があるかわからんな)




