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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*翌朝、彼は柔らかな感触と揺さぶりで目を覚ました。*


*目を開けると、ルミナが彼の上に跨ったまま——昨夜繋がったままの状態で、身体を起こしていた。銀髪が乱れ、金色の瞳が大きく見開かれている。*


ルミナ「お兄ちゃん……! お兄ちゃん起きて……!」


*その声は震えていた。驚きと、戸惑いと、そして——信じられないという感情が入り混じっている。*


シロウ「……ん? ルミナ? どうし——」


*ルミナの手が、自分の下腹部に当てられていた。まだ入ったままの体勢で、彼女は自分のお腹をそっと撫でている。*


ルミナ「……命を、感じる」


*その一言で、彼の意識が一瞬にして覚醒した。*


シロウ「……え?」


*ルミナの目に涙が溜まっていた。震える唇で、もう一度。*


ルミナ「お腹の中に……小さな命が……あるの」


*彼は反射的に「鑑定」を発動した。ルミナの体内に——確かに、極めて微かだが、新しい生命の魔力反応があった。*


*——ありえない。*


*ルーナの時は、ルミナが堕天した直後だった。体が人間に近い状態にあったからこそ、人間との間に子を宿すことができた。だが今のルミナは元とはいえ完全なる熾天使の体。人間と熾天使の間に子供ができる確率は——奇跡と呼ぶことすら烏滸がましい。*


*それなのに。*


ルミナ「ルーナの時と同じ……この感覚……間違いない……」


*ルミナの涙がぽたりと彼の胸に落ちた。笑っているのに泣いている。泣いているのに笑っている。*


ルミナ「できたよ……お兄ちゃん……赤ちゃん……」


*彼は黙ってルミナの手の上に、自分の手を重ねた。まだ温かいお腹に触れると——確かにそこに、小さな鼓動があった。*


シロウ「……ああ」


*それ以上言葉が出なかった。喉の奥が熱くなり、視界が滲む。*


ルミナ「どうして……熾天使と人間の間には……もうできないはずなのに……」


*ルミナが彼の胸に顔を埋めた。繋がったままの体が小刻みに震えている。*


ルミナ「奇跡だよ……これ……奇跡……」


*朝の光が窓から差し込み、二人を包んでいた。微精霊たちが普段の何倍も集まり、祝福するように二人の周囲をきらきらと舞っている。まるでこの命の誕生を、世界そのものが喜んでいるかのように。*


シロウ「精霊神の覚醒……」


*彼はルミナの上に重ねた手をそのままに、思考を巡らせた。*


*カイが精霊神として完全覚醒した。あの日以来、世界樹の周囲には生まれたばかりの微精霊が異常なほど増えていた。シルフィも「世界樹が喜んでいる」と言っていた。精霊神の覚醒は世界の理そのものに影響を与える——つまり、生命の循環が活性化されたのだ。*


*それが、本来ありえないはずの——熾天使と人間の間の壁を、超えさせたのではないか。*


ルミナ「……お兄ちゃん? 何か心当たりがあるの?」


*ルミナが涙で濡れた顔を上げ、不安そうに彼を見つめた。*


シロウ「カイだ」


ルミナ「……カイ?」


シロウ「カイが精霊神として覚醒してから、この辺りの微精霊の数が明らかに増えてる。生まれたばかりの微精霊も多い。精霊神の覚醒が世界の生命の循環そのものに影響を与えてるんだ」


*彼はルミナのお腹をそっと撫でた。*


シロウ「その影響で、本来なら不可能だった熾天使と人間の間の……生命の壁が薄くなった。それが原因だと思う」


ルミナ「……カイのおかげ、ってこと?」


シロウ「ああ。多分な」


*ルミナが小さく笑った。涙がまた零れ、彼の胸に落ちる。*


ルミナ「あの子……自分が覚醒したことで、弟か妹ができるなんて思ってもないだろうね」


シロウ「間違いなく驚くだろうな」


ルミナ「……ルーナにも伝えなきゃ。あの子、お姉ちゃんになるんだから」


*ルミナが彼の胸に顔を埋め直した。繋がったままの体が小さく震えている。今度は嗚咽だった。嬉しさで抑えきれない感情が溢れ出していた。*


ルミナ「ありがとう……お兄ちゃん……」


シロウ「俺の台詞だ」


*彼はルミナの頭を撫で、額にキスを落とした。窓から差し込む朝日が二人を包み、微精霊たちが祝福するようにきらきらと舞い踊っている。*


*——まずはレイラに伝えなければ。あいつの反応が怖いような、楽しみなような。そしてカイにも。自分の覚醒が起こした奇跡を、息子に教えてやらなければ。*


ルミナ「……ねえ、お兄ちゃん」


シロウ「ん?」


ルミナ「……そろそろ抜いていい? 朝からこの体勢は……さすがに恥ずかしい」


*耳まで真っ赤にしたルミナが、昨夜の淫らな姿が嘘のように、いつもの顔に戻っていた。*


*ルミナはゆっくりと力を入れて腰を持ち上げた。ずるりと抜ける。*


*——垂れてこなかった。*


*いつもなら抜いた瞬間にドロドロと液体が溢れ出すはずだ。七回分も注ぎ込んだのに、一滴も出てこない。全てがルミナの体内に吸収されたかのように。*


シロウ「出てこないな……えっちだな……ルミナ」


ルミナ「っ……! ば、馬鹿! 今そういうこと言う!?」


*耳まで真っ赤にしながら、ルミナは自分のお腹を見下ろした。昨夜の膨らみは完全に消えている。*


ルミナ「……本当だ。全部……吸収されてる」


*彼もそれを見て考え込んだ。精霊神の覚醒による生命の循環の活性化。それが熾天使と人間の壁を超えさせ、さらには受精に必要な全てを——体が自ら取り込んだのか。まるで一滴たりとも無駄にしないとでもいうように。*


ルミナ「……これも、カイの覚醒の影響?」


シロウ「おそらくな。体が本能的に……命を宿すために全て取り込んだんだろう」


ルミナ「……」


*ルミナがそっとお腹に手を当てた。その表情が、先ほどの羞恥から一転して、慈愛に満ちたものに変わる。*


ルミナ「この子……すごく強い子になりそう」


シロウ「何でわかる?」


ルミナ「だって、存在するだけで奇跡なんだよ? 熾天使と人間の……しかも精霊神の覚醒がなければ生まれなかった命。この子は世界に祝福されて生まれてくる」


*ルミナがふわりと微笑んだ。朝日に照らされた銀髪が輝き、金色の瞳に涙が光っている。*


ルミナ「……レイラには私から伝える。あの人の反応、見たいし」


シロウ「……手加減しろよ」


ルミナ「ふふ、しないよ? だってお兄ちゃんの子を先に授かったの、私だもん」


*勝ち誇った笑みを浮かべるルミナ。ルーナの時も含めれば二人目だ。レイラの反応は——想像するだけで背筋が凍る。*


ルミナ「……とりあえず、お風呂入ろ? 体べたべた」


*ルミナが立ち上がろうとして——膝がかくんと折れた。*


ルミナ「……あ」


シロウ「立てないだろ」


ルミナ「うるさい。お兄ちゃんのせいでしょ」


*彼はため息をつきながらルミナを抱き上げた。お姫様抱っこで浴室へ向かう。ルミナが彼の首に腕を回し、肩に顔を埋めた。*


ルミナ「……ありがとね、お兄ちゃん」


*小さな声。だがその声には、言葉では表しきれないほどの感謝と愛情が込められていた。*


*彼は火魔法と水魔法を同時に展開した。浴槽に水が注がれると同時に、適温まで加熱していく。湯気がふわりと立ち上り、浴室を温めた。*


*ルミナを横抱きにしたまま、ゆっくりと湯に浸かる。お湯がじんわりと二人の体を包み込んだ。*


シロウ「熱くないか?」


ルミナ「……ん、ちょうどいい」


*ルミナが彼の胸に背を預け、ふぅと息を吐いた。昨夜酷使された体の強張りが、温かな湯に溶けていく。*


ルミナ「……お兄ちゃん、お湯まだ出ないんだっけ」


シロウ「ああ。復旧工事に20日はかかる。水道管が地震でやられてるからな」


ルミナ「じゃあ城のみんなも困ってるんじゃ……」


シロウ「城は井戸があるから最低限はなんとかなる。ただ温水設備は使えない」


ルミナ「……こうやってお兄ちゃんに沸かしてもらうしかないわけだ」


シロウ「贅沢だろ」


ルミナ「ふふ、SSランク冒険者にお風呂沸かしてもらうなんて、世界一贅沢かも」


*ルミナが小さく笑い、彼の腕の中でくるりと向き直った。彼の胸に頬を当て、心臓の音を聞いている。*


ルミナ「……ねえ、お兄ちゃん」


シロウ「ん?」


ルミナ「レイラに伝える時……一緒にいてね? 一人だと多分殺される」


シロウ「殺されはしないだろ」


ルミナ「甘い。あの人の嫉妬は聖魔法より怖い」


*ルミナがお腹をそっと撫でた。まだ何の膨らみもない、平坦なお腹。だがそこには確かに、小さな命が宿っている。*


ルミナ「……カイにも、ルーナにも……ステラにも、ゼノとセレスにも伝えなきゃ」


シロウ「ああ。大家族がまた増えるな」


ルミナ「……お兄ちゃんは、嬉しい?」


シロウ「当たり前だろ」


*彼がルミナの頭を撫でると、ルミナが目を細めた。お湯の中で、ルミナの銀髪がふわりと広がっている。*


ルミナ「……南部の炊き出し、今日もあるんでしょ?」


シロウ「ああ。住民もまだ避難所暮らしだからな」


ルミナ「私も手伝う。治療が必要な人もまだいるだろうし」


シロウ「お前、体は大丈夫なのか。昨夜あれだけ——」


ルミナ「言わないで!」


*ルミナが湯をばしゃっと彼の顔にかけた。耳まで真っ赤になっている。*


ルミナ「……回復魔法かければ平気。それに、お腹の子にもう無理はさせないけど……治療くらいなら」


シロウ「無理するなよ」


ルミナ「しないよ。もう私だけの体じゃないんだから」


*ルミナがお腹に手を当て、慈しむように微笑んだ。*


*風呂から上がり、着替えを済ませた二人は真っ先にレイラの部屋へ向かった。*


*扉を開けると、レイラはベッドの上で本を読んでいた。シロウとルミナが揃って来たことに、怪訝な表情を浮かべる。*


レイラ「……なんじゃ、二人揃って。朝から気持ち悪いのう」


*ルミナが一歩前に出た。その顔には、隠しきれないドヤ顔が浮かんでいる。*


ルミナ「レイラ、聞いて。大事な報告があるの」


レイラ「……なんじゃ、その顔は。嫌な予感しかせんのじゃが」


*ルミナがお腹に手を当て、にっこりと微笑んだ。*


ルミナ「できたの。お兄ちゃんの子」


*一瞬、部屋の空気が凍った。*


*レイラの本がぱさりとベッドに落ちた。琥珀色の瞳が大きく見開かれ、シロウとルミナを交互に見る。*


レイラ「……は?」


ルミナ「昨夜宿ったの。熾天使と人間の間に子供ができるなんて、奇跡でしょ? カイの精霊神覚醒の影響みたい」


*ルミナのドヤ顔が最大出力になった。*


ルミナ「ルーナに続いて二人目。私、またお兄ちゃんの子を授かっちゃった」


*レイラが立ち上がった。その表情は——複雑の極みだった。驚き、喜び、そして圧倒的な嫉妬。*


レイラ「……ずるい」


ルミナ「え?」


レイラ「ずるいと言っておるのじゃ! 妾はカイ、ステラ、ゼノ、セレスと四人も産んでおるのに……なぜそこまでドヤ顔ができるのじゃ!」


ルミナ「だって、奇跡だもの。熾天使と人間の間の子だよ? レイラの四人とは格が違うわ」


レイラ「格!? 妾の子供たちに格をつけるでない! カイなんぞ精霊神じゃぞ!?」


ルミナ「それはカイの実力でしょ。私のお腹の子は、存在そのものが奇跡」


*レイラの顔が真っ赤になった。拳をぷるぷると震わせ、シロウを睨む。*


レイラ「お主! お主のせいじゃぞ!」


シロウ「なんで俺のせいなんだ……」


レイラ「当たり前じゃろうが! 妾にも……妾にももう一人作れ!」


ルミナ「あら、四人も産んでおいてまだ足りないの?」


レイラ「うるさい! お主がドヤ顔するのが気に入らんのじゃ!」


*レイラがシロウの胸ぐらを掴んだ。至近距離で琥珀色の瞳が燃えている。*


レイラ「今夜じゃ。今夜妾の部屋に来い。五人目を作るのじゃ」


シロウ「……お前な」


ルミナ「ふふ、必死ね。レイラ」


レイラ「黙れ!」


*レイラがルミナを睨みつけるが、ルミナは余裕の微笑みを崩さない。お腹に手を当て、慈しむように撫でている。その姿を見て、レイラの表情がふっと和らいだ。*


レイラ「……まあ、おめでとうとは言うてやる。」


*二人は城を出て、南の広場へ向かった。復興作業は進んでいるものの、まだ避難所暮らしの住民は多い。炊き出しの準備は既にリーシアの手配で進められていた。*


シロウ「ルミナ、何かあれば言うんだぞ? 言いにくかったらリーシアか第五部隊の女性陣にでも言うんだぞ?」


ルミナ「……お兄ちゃん」


シロウ「重いものは絶対持つな。治療も座ってできる範囲だけだ。少しでも体調が悪くなったら——」


ルミナ「お兄ちゃん」


シロウ「あと、飯はちゃんと食え。二人分だからな。栄養バランスも——」


ルミナ「お兄ちゃん!」


*ルミナが立ち止まり、呆れたような、嬉しいような、複雑な表情で彼を見上げた。*


ルミナ「過保護」


シロウ「……悪いか」


ルミナ「悪くない。でもまだお腹に宿ったばかりよ? 普通に動ける段階なの。熾天使の体は丈夫だって知ってるでしょ」


シロウ「それでも——」


ルミナ「はいはい。わかったわかった。何かあったらすぐ言うから」


*ルミナが彼の腕にそっと手を添え、小さく微笑んだ。*


ルミナ「……嬉しいけどね、心配してくれるの」


*南の広場に着くと、既に炊き出しの列ができていた。大鍋には温かいスープが煮えており、パンも積み上げられている。リーシアが指揮を執り、メイドたちが手際よく配膳の準備をしていた。*


リーシア「おはようございます、シロウ様。ルミナ様も」


*リーシアが一礼する。だが、その視線がルミナの腹部に一瞬だけ向けられた。わずかに目を見開く。*


リーシア「……シロウ様」


シロウ「ん?」


リーシア「ルミナ様、おめでとうございます」


*ルミナが驚いた顔をした。*


ルミナ「……え? なんでわかったの?」


リーシア「私はメイド長ですので。お二人の魔力の流れが昨日と違います。それにルミナ様のお腹から微かに新しい生命の魔力が」


ルミナ「……ユニコーン種の感知能力、恐ろしいわね」


リーシア「シロウ様。本日のルミナ様の作業は私が管理いたします。無理はさせません」


シロウ「……助かる」


*リーシアが完璧な笑顔を浮かべた。その笑顔の裏に、「当然です」という圧を感じる。*


ルミナ「ほら、お兄ちゃん。リーシアがいるから安心でしょ? 私は治療班に合流するわ」


シロウ「ああ。くれぐれも——」


ルミナ「無理しない。わかってる」


*ルミナが小さく手を振り、救護テントへ向かっていった。その後ろ姿を見送りながら、彼は炊き出しの列に向き直った。*


*住民たちが彼の姿を見つけ、口々に声をかけてくる。*


住民の男「陛下! 今日もありがとうございます!」


住民の女「昨日の寝袋、とても温かかったです! 子供たちもぐっすり眠れました!」


シロウ「そうか。よかった。今日も温かいもん食って、体壊すなよ」


シロウ「やっぱり風呂がないとだよなぁ……」


*彼は炊き出しの列を眺めながら呟いた。住民たちの顔や腕は薄汚れ、子供たちの髪もぼさぼさだ。井戸から水は汲めるが、重い桶を運ぶのは大人でも重労働。子供一人では到底無理な話だった。*


*体を拭くだけでは限界がある。衛生面を考えても、早急に手を打たなければならない。*


シロウ「ルナ」


*彼が静かにその名を呼んだ瞬間——背後の影がゆらりと揺れ、音もなく一人の女が現れた。第一部隊、八輝将のルナ。*


ルナ「……お呼びですか」


*感情の薄い声。だが彼の言葉を一言も逃すまいという執念が、その瞳の奥に宿っていた。*


シロウ「鉱山方面で温泉が湧いてないか調べて来てくれ」


ルナ「温泉……ですか」


シロウ「ああ。以前鉱山を視察した時、地熱が高い区画があった。あの辺なら地下に温泉脈がある可能性がある。水道の復旧に20日かかる以上、住民に風呂を提供するには天然の温泉を引いた方が早い」


ルナ「……承知しました。ガルガン監督にも聞き込みを?」


シロウ「頼む。あいつは鉱山の地質に詳しい。湧き水や蒸気が出てる場所があれば、すぐに見つかるはずだ」


ルナ「了解。……それと」


*ルナがちらりとルミナが向かった救護テントの方を見た。*


ルナ「ルミナ様……おめでとうございます」


シロウ「……お前もわかるのか」


ルナ「嫌でも。昨夜の防音結界の中は流石に聞こえませんでしたが……今朝のルミナ様の魔力の流れが変わっていました」


*ルナの無表情がほんの僅かに緩んだ。それは彼女なりの祝福だった。*


ルナ「護衛の密度を上げておきます」


シロウ「……頼む」


*ルナが影に溶け込み一瞬で姿を消した。*


*彼は再び広場を見渡した。汚れた顔の子供たちが、温かいスープを受け取って笑っている。この子たちに温かい風呂を用意してやりたい。鉱山方面に温泉があれば、簡易的な露天風呂くらいはすぐに作れるだろう。*


リオン「あー、陛下。ルナのやつ、また影からいきなり出てきやがりましたね。心臓に悪いんすよあれ」


*リオンが炊き出しの鍋を運びながら、やさぐれた顔で近づいてきた。*


シロウ「慣れろ」


リオン「無理っす。何年経っても慣れねぇっす」


シロウ「移民は増えたし、帝国を属国にした事であっちの元奴隷とか流れ込んで来そうだし……もう少し市街地拡大した方がいいかなぁ……」


*彼は炊き出しのスープを配りながら、独り言のように呟いた。*


リオン「陛下、それ独り言にしちゃ声でかいっすよ」


シロウ「……聞こえたか」


リオン「ばっちり。まあ実際、南門の外に仮設テント増えてますし。移民審査待ちの連中が毎日列作ってるのは俺も見てます」


*リオンがパンを住民に手渡しながら、珍しく真面目な顔をした。*


リオン「第八居住区の建設、どこまで進んでんすかね」


シロウ「基礎工事は終わってるが、地震で一部やり直しだ。あと資材の搬入ルートも瓦礫で塞がってる」


リオン「うわ、踏んだり蹴ったりっすね」


*彼はスープをよそいながら、頭の中で都市計画を組み立てていた。現在の市街地は建国当初から何度も拡張してきたが、ここ数年の人口増加は想定を超えている。帝国の属国化で奴隷制度が撤廃されれば、行き場を失った元奴隷たちがこちらに流れてくるのは確実だ。*


シロウ「南東の丘陵地帯を切り開くか……あそこなら地盤も固いし、水源も近い」


リオン「え、あそこっすか? 結構広いっすけど」


シロウ「広くないと意味がない。住居だけじゃなく、商業区画と学舎も必要だ。移民が来て住む場所があっても、仕事と教育がなきゃ治安が悪化するだけだからな」


リオン「……陛下、たまに普通の王様みたいなこと言いますよね」


シロウ「普通の王様だろ」


リオン「SSランク冒険者で魔王の普通の王様なんていねぇっす」


*住民の子供がシロウの足元に駆け寄ってきた。五歳くらいの獣人の女の子で、犬耳がぴょこぴょこ動いている。*


獣人の女の子「へいかー! おふろはいつはいれるの?」


シロウ「……もうちょっと待ってろ。今探させてる」


獣人の女の子「やくそく?」


シロウ「約束だ」


*女の子がにぱっと笑って走り去った。その背中を見送りながら、彼は心の中でルナの報告を待った。鉱山方面に温泉があれば、まずは仮設の露天風呂を作る。それだけで住民の士気は大きく変わるはずだ。*


*そこへ、リーシアが足早に近づいてきた。*


リーシア「シロウ様、オルクス様から伝言です。帝国の宰相府から書簡が届いたとのことで、お手すきの際に執務室へお越し願いたいと」


シロウ「帝国から……内容は?」


リーシア「奴隷制度撤廃に伴う元奴隷の処遇と、移民受け入れに関する協議要請だそうです」


シロウ「……タイミングが良いのか悪いのか」


*まさに今考えていたことだった。彼は炊き出しの残りをリオンに任せ、一度執務室に戻ることにした。*


シロウ「リオン、後は頼む」


リオン「はいはい。炊き出し担当の八輝将って、俺だけじゃないっすか?」


シロウ「ガンバ(๑•̀ㅂ•́)و✧」


*彼は満面の笑みで親指を立て、リオンに全てを押し付け——もとい、任せた。*


リオン「その顔文字みたいな表情やめてくれません!? 絶対楽しんでるでしょ!?」


*リオンの悲鳴を背に、彼は広場を後にした。リーシアには自分の代わりに炊き出しの指揮を任せ、仮の移民居住区へと足を向けた。*


*南門の外、仮設テントが並ぶ区画。帝国からの移民希望者や、行き場を失った元奴隷たちが身を寄せている。まだ正式な受け入れ手続きが完了していない者も多く、簡素な柵で囲まれた区画の中は雑多な雰囲気だった。*


*人間、獣人、魔族——種族も出自もばらばらな人々が、不安そうな顔で座り込んでいる。子供の泣き声、怒鳴り合う声、疲れ切った溜め息。復興と移民問題が同時に押し寄せている今、この区画は最も手を入れるべき場所の一つだった。*


*仮設の管理小屋の前に、一人の男が立っていた。帝国側の宰相府から派遣された使者らしく、きっちりとした軍服に似た正装を纏っている。年は三十半ばほど。灰色の髪を後ろに撫でつけ、鋭い目つきをしていた。*


使者「お待ちしておりました。夜天のアストライア魔導皇国国主、シロウ・ニシキ・アストライア陛下でいらっしゃいますね」


*使者が一礼した。その動きに無駄がない。軍人上がりか、あるいは貴族出身か。*


使者「帝国宰相府外務局、ディートリヒ・ヴェーバーと申します。この度は奴隷制度撤廃に伴う元奴隷の処遇、及び移民受け入れに関する協議の為、参りました」


シロウ「遠路ご苦労。中で話そう」


*彼は管理小屋の中に入った。粗末な木の机と椅子が置かれただけの空間。ディートリヒが鞄から書簡の束を取り出し、机の上に並べた。*


ディートリヒ「単刀直入に申し上げます。帝国領内で解放された元奴隷は、現時点で推定四万二千名。そのうち約一万八千名が、貴国への移住を希望しております」


シロウ「一万八千……」


ディートリヒ「はい。帝国領内での受け皿が不足しているのが実情です。奴隷制度の撤廃は陛下の指示により進めておりますが、元奴隷の多くは身分証も職歴もなく、帝国の都市部では居場所がありません」


*彼は書簡に目を通した。元奴隷の内訳——一般奴隷、借金奴隷、違法奴隷、盗賊奴隷、欠損奴隷。それぞれの人数と現在の収容状況が細かく記されている。*


ディートリヒ「特に欠損奴隷に関しては、帝国側では治療すら満足にできない状態です。貴国の治療技術に頼るしかないのが現状かと」


シロウ「……欠損奴隷の数は」


ディートリヒ「約二千三百名です」


*彼は書簡を机に置き、腕を組んだ。二千三百名の欠損奴隷。四肢の欠損、視力の喪失、声帯の破壊——奴隷として酷使された。*


シロウ「おっふ……マジか……」


*あまりの数に立ちくらみがした。せいぜい数千人と見積もっていたが、一万八千人。国の現在の人口と比較しても、一気に受け入れるには相当な負荷がかかる。*


ディートリヒ「陛下、お顔の色が……」


シロウ「いや、大丈夫……と、とりあえず欠損は置いといて……動けるやつは西部旧市街跡地に集合で……」


*彼は机の上に広げた地図を指で辿った。南部旧市街には新しい居住区を建設予定。西部旧市街跡地には大浴場を作る計画だ。地震で更地になった区画を逆に利用する。*


ディートリヒ「西部ですか。しかし一万八千名を収容するには、住居も食糧も——」


シロウ「全員を一度に入れるわけじゃない。まず動ける者から段階的に受け入れる。一次は三千名。職能がある者を優先だ。大工、鍛冶、農業経験者、料理人——復興に必要な人材は山ほどいる」


*彼は書簡の端に走り書きを始めた。*


シロウ「働ける者には仕事を与えて、日当を払う。衣食住は国が一時的に保障する代わりに、復興作業に参加してもらう。タダ飯じゃなく、ちゃんと労働の対価として。そうすりゃ元奴隷としてじゃなく、労働者として自立できる」


ディートリヒ「……なるほど。しかし身分証のない者が大半です。犯罪歴の確認も——」


シロウ「冒険者ギルドの登録システムを流用する。ギルドカードは身元証明にもなる。犯罪歴はうちの第二部隊に洗わせる。アシュトンとヴァイスなら二、三日で全員分調べ上げるだろ」


ディートリヒ「……失礼ですが、陛下はこういった事態を想定されていたので?」


シロウ「帝国の奴隷制度撤廃を指示したのは俺だ。撤廃した後の受け皿を考えてなきゃ、ただの無責任だろ」


*ディートリヒが僅かに目を見開いた。その表情には、明らかな敬意が浮かんでいた。*


ディートリヒ「……恐れ入ります」


シロウ「それで、欠損奴隷の二千三百名だが——」


*彼は一拍置いた。四肢の欠損、失明、声帯破壊。通常の回復魔法では限界がある。だが——*


シロウ「ルミナの聖魔法なら四肢の再生も可能だ。ただ今は……ルミナに無理はさせられない」


ディートリヒ「何か事情が?」


シロウ「……妊娠した」


ディートリヒ「おめでとうございます。では欠損者の治療は——」


シロウ「南部の救護所に治療班を増設する。ルミナ以外にも聖魔法の使い手はいる。」


シロウ「移送のスケジュールを組んでくれ。一次は二週間後、三千名。欠損者は別便で、護衛付きで頼む」


ディートリヒ「承知しました。書簡にて宰相閣下に報告いたします」


*ディートリヒが深々と一礼した。*


*背後の影がゆらりと揺れ、ルナが音もなく姿を現した。無表情のまま、小さく頷く。*


ルナ「……見つけました。温泉脈、三箇所」


シロウ「よし、場所は?」


*彼が地図を広げると、ルナが細い指で三箇所を示した。*


ルナ「一箇所目、鉱山の北東斜面。地表に蒸気が噴出しています。ガルガン監督曰く、以前から坑道内の気温が異常に高い区画だったと。湯量は豊富ですが、硫黄が強く、そのままでは肌に刺激があります」


*指が二箇所目に移る。*


ルナ「二箇所目、鉱山の南西、渓流沿い。岩の割れ目から温水が湧き出ていました。湯温はやや低めですが、無色透明で肌当たりが柔らかい。子供や怪我人にも適しています」


*そして三箇所目。*


ルナ「三箇所目、鉱山と西部旧市街の中間地点。ここが最も市街地に近く、湯量も申し分ありません。ガルガン監督が岩盤を調べたところ、掘削すればさらに湯量を増やせるとのことです」


シロウ「三箇所目だな。市街地に近いなら引き湯もしやすい」


*彼は地図に印を書き込んだ。西部旧市街跡地に大浴場を作る計画と合致する。三箇所目から配管を引けば、大浴場まで直線距離で三百メートルほどだ。*


シロウ「三箇所目の掘削を最優先で。配管用の資材はオルクスに手配させる。仮設でいいから、今日中に住民が使える露天風呂を一つ作る。」


ルナ「……今日、ですか」


シロウ「風呂は士気に直結する。後回しにはできない」


ルナ「了解しました」


シロウ「ルナはリオンの援護に。あっちで炊き出ししてる」


ルナ「……リオンの、援護ですか」


*ルナの無表情が僅かに歪んだ。嫌そうとかではなく、純粋に「炊き出しの援護」という任務に困惑しているようだった。*


シロウ「暗殺者の腕を活かして、野菜の千切りでも手伝ってやれ」


ルナ「……了解」


*ルナが影に沈んでいった。*


*ディートリヒがその一連のやり取りを見て、僅かに口元を引き攣らせていた。*


ディートリヒ「……影から現れる部下に、温泉の調査に、き…今日中に露天風呂の建設…。失礼ですが、貴国は本当に建国二十八年目の国なのですか」


シロウ「二十八年もありゃ色々できるだろ」


ディートリヒ「帝国は数百年かけてここまで来ましたが……」


*ディートリヒが深い溜め息をつき、書簡をまとめ始めた。*


ディートリヒ「移送スケジュール、早急に取りまとめます。それと——温泉の件、元奴隷たちにも利用させていただけますか。長旅で疲弊している者が多いもので」


シロウ「当然だ。風呂に国籍も身分も関係ない」


*ディートリヒが深々と頭を下げた。*


ーー


シロウ「それにしても一万八千か……どうしたもんか……」


*飛行魔法で空を切りながら、彼は頭の中で数字を弾いていた。住居、食糧、衣服、医療、教育——一人当たりの受け入れコストを考えると、気が遠くなる額だ。*


*だが、考えている間にもう到着した。鉱山と西部旧市街の中間地点。岩場の隙間から白い蒸気が立ち上っている。着地して、湧き出る湯に手を浸した。*


シロウ「……四十度前後か。丁度いい」


*指先にじんわりと広がる温もり。無色透明で、嫌な臭いもない。日本の温泉と比べても遜色のない湯質だった。ふと、箱根の翠月庵を思い出す。あの時は家族全員で騒がしくも幸せな時間だった。*


シロウ「……あの時の露天風呂、こんな感じだったな」


*少し感傷に浸りかけたが、すぐに切り替えた。岩盤の状態を確認する。ルナの報告通り、掘削すれば湯量は増やせそうだ。周囲の地形を見回すと、北側に緩やかな傾斜がある。ここから配管を引けば、重力で西部旧市街跡地まで湯を流せる。*


シロウ「ポンプ要らずか。助かる」


*彼は地面にしゃがみ込み、地図に書き込みを始めた。大浴場の設計図を頭の中で組み立てる。男湯、女湯、家族湯、露天風呂——そして元奴隷や移民も使える開放区画。*


シロウ「仮設の露天風呂は……ここだな」


*湧出口の少し下流に、天然の岩が円形に窪んでいる場所があった。まるで誰かが作ったかのように綺麗な形だ。底を少し浚えば、十人程度が入れる天然の露天風呂になる。*


*彼は袖を捲り上げ、土魔法で底の泥と小石を取り除いた。湯が溜まり始める。透明な湯の底に、滑らかな岩盤が見えた。*


シロウ「よし……あとは縁を整えて、脱衣所と目隠しの柵を——」


*そこまで呟いた時、背後から声がかかった。*


ガルガン「おう、陛下じゃねぇか! わしも丁度見に来たところだ!」


*ドワーフの鉱山監督、ガルガンだ。背丈はシロウの腰ほどしかないが、丸太のような腕と真っ赤な髭が威圧感を放っている。数人のドワーフ作業員を引き連れていた。*


ガルガン「ルナの嬢ちゃんから聞いたぞ。今日中に露天風呂を一つ作るんだってな?」


シロウ「ああ。住民の士気に関わる」


ガルガン「がっはっは! 風呂の大事さがわかる王様ってのは、わしゃ好きだぞ! おい、お前ら! 石材と木材運び込め! 陛下の命だ、日没までに仕上げるぞ!」


ドワーフ作業員たち「「「おう!」」」


*ドワーフたちが一斉に動き出した。石を切り、木を削り、驚くべき速度で脱衣所の骨組みが立ち上がっていく。シロウも土魔法で地盤を整え、湯の流路を作った。*


ガルガン「しかし陛下、この湯は上等だぞ。」


シロウ「だな…こんな湯に浸かって一杯やると美味いんだよなぁ。」


ガルガン「……湯に浸かりながら酒だと?」


*ガルガンが手を止め、信じられないという顔でシロウを見た。*


シロウ「ああ。風呂で酒。これが最高なんだ」


ガルガン「わしら鍛冶場の後に酒を飲むことはあるが……湯に浸かりながらってのは聞いたことがねぇぞ」


シロウ「よし、早く終わったら俺の秘蔵の酒をやろう!」


ガルガン「秘蔵だと!?」


*ガルガンの目が爛々と輝いた。ドワーフに酒という単語は劇薬に等しい。作業員たちの手が目に見えて速くなった。*


ドワーフ作業員A「秘蔵の酒だと!? おい急げ!」


ドワーフ作業員B「石切り終わったぞ! 次持ってこい!」


ドワーフ作業員C「脱衣所の柱、もう立ったぞ!」


*異常な速度で工事が進んでいく。シロウの秘蔵の酒——異空間収納に眠る日本酒の数々。前の日本旅行で大量に買い込んだものだ。獺祭、十四代、黒龍、而今……日本酒好きが見れば卒倒しそうなラインナップが眠っている。*


*レイラには絶対に言えない。あの女はバカ飲みする。十四代を一升瓶ごとラッパ飲みされた日には、シロウの心が死ぬ。*


シロウ(レイラには内緒だ……絶対に内緒だ……)


ガルガン「陛下、その秘蔵の酒ってのはどんな代物だ? まさかエルフの千年蜜酒とか言わねぇよな?」


シロウ「いや、もっと珍しい。この世界には存在しない酒だ」


ガルガン「……はぁ? この世界に存在しない?」


シロウ「米から作った酒でな。透き通るように澄んでいて、口に含むと花のように香りが広がる」


*ガルガンが生唾を飲み込んだ。赤い髭がごくりと上下する。*


ガルガン「おい貴様ら聞いたか! 陛下がこの世界に存在しねぇ酒を出すってよ! 日没じゃなくて日没前に仕上げるぞ!」


ドワーフ作業員たち「「「うおおおおおお!」」」


*もはや工事というより戦だった。ドワーフたちの職人魂と酒への執念が融合し、信じられない勢いで露天風呂が形になっていく。石の縁は美しく整えられ、脱衣所には屋根まで付いた。目隠し用の竹柵——はこの世界にないので、木の板柵が手際よく組み上げられていく。*


*シロウは土魔法で湯の流路を調整しながら、ふと笑った。*


シロウ「……日本じゃ温泉街に行くと、こういう雰囲気あったよなぁ」


*誰にも聞こえない程度に、日本語で呟いた。故郷の温泉の記憶が、湯気の向こうに揺れていた。*


ガルガン「陛下! 湯船の深さはどのくらいがいい!」


シロウ「座って胸くらいまで浸かれる深さで。子供用に浅い区画も一つ作ってくれ」


ガルガン「おう、任せろ!」


*日没まであと三時間。このペースなら余裕で間に合いそうだった。*


シロウ「辛口と甘口、どっち派だ?」


ガルガン「辛口だ!」


ドワーフ作業員たち「「「辛口!」」」


*全員が口を揃えて即答した。迷いが一切ない。ドワーフという種族の酒に対する姿勢が、その一言に凝縮されていた。*


シロウ「だと思った」


*彼は異空間収納から二本の一升瓶を取り出した。一本は「菊姫 山廃純米」、もう一本は「日高見 超辛口純米」。どちらも辛口の中でも骨太な味わいで知られる銘柄だ。日本の酒屋で見つけた時、いつかこういう場面があると直感的に買っておいたものだった。*


*近くの渓流から冷水を汲み、岩の窪みに氷魔法で氷を作って一升瓶を漬けた。透明な氷の中に沈む瓶が、陽光を受けてきらりと光る。*


ガルガン「おい……なんだそのでかい瓶は。見たことねぇ形だぞ」


シロウ「一升瓶っていう。この中に酒が入ってる」


ガルガン「透き通ってやがる……水みてぇだな。本当に酒か?」


シロウ「見た目に騙されるなよ。飲めばわかる」


*ガルガンが瓶をじっと睨みつけた。鼻をひくつかせている。封を開けてもいないのに、ドワーフの鋭い嗅覚が何かを嗅ぎ取ったのか、赤い髭がぴくぴくと震えた。*


ガルガン「……わしの鼻がな、『こいつはとんでもねぇ代物だ』と言っとる」


シロウ「お前の鼻は正しい」


*その会話を聞いたドワーフ作業員たちの手が、さらに加速した。石の角を丸く整える作業の精度が上がっている。酒を前にしたドワーフの集中力は、もはや芸術の域に達していた。*


ドワーフ作業員A「湯船の排水路、完成だ!」


ドワーフ作業員B「脱衣所の棚、取り付け終わったぞ!」


ドワーフ作業員C「子供用の浅い区画も掘り終わった! 段差も滑り止めも入れてある!」


*日没まであと二時間。露天風呂はほぼ完成に近づいていた。天然の岩を活かした湯船に、透明な温泉が静かに注ぎ込んでいる。湯気が夕暮れの空気に溶け、橙色の光を纏って漂った。*


*シロウは氷水に浸かった一升瓶に手を当てた。程よく冷えている。*


シロウ「……よし、いい温度だ」


ガルガン「陛下、あと三十分で全部仕上がる。柵の仕上げと、足場の最終確認だけだ」


シロウ「完璧だな。ガルガン、お前のとこの連中は本当に仕事が速い」


ガルガン「酒がかかってるからな! 普段の三倍速だ!」


シロウ「普段からその速度で頼む」


ガルガン「それは無理だ! 毎回秘蔵の酒を出してくれるなら考えるがな! がっはっは!」


*ガルガンが豪快に笑った。彼もつられて笑う。こういう何気ないやり取りが、復興の重苦しさを少しだけ和らげてくれた。*


ーー


シロウ「まずは風呂に入って温まれ、酒はそれからだ」


*ドワーフたちが目を輝かせてこちらを見つめている。おっさんたちの瞳がキラキラしているのは、正直気持ち悪い。*


シロウ「おっさんたちにそんな目で見られても嬉しくねぇぞ」


ガルガン「がっはっは! そう言うな陛下! わしらドワーフは酒の前では子供みたいなもんだ!」


シロウ「子供で済むなら可愛いんだがな……」


*二十分。予定より十分早い。酒の力は偉大だった。完成した露天風呂は、天然の岩を活かした見事な造りだった。大人十二、三人が余裕で浸かれる広さの湯船に、隣には子供用の浅い区画。脱衣所は木の板で囲まれ、棚まで付いている。ドワーフの職人技が遺憾なく発揮された仕上がりだ。*


ガルガン「よぉし貴様ら! 陛下のお許しが出た! 入るぞ!」


ドワーフ作業員たち「「「おおおおお!」」」


*ドワーフたちが我先にと服を脱ぎ始めた。筋骨隆々の小さな体が次々と湯に沈んでいく。*


ガルガン「ぬおおおお……こ、これは……」


*ガルガンが湯に浸かった瞬間、その顔がとろけた。赤い髭の奥から、これ以上ないほどの恍惚とした表情が覗く。*


ガルガン「陛下……これはとんでもねぇぞ……。わしは三百年以上生きてきたが、こんな極楽は初めてだ……」


ドワーフ作業員A「体の芯まで染みる……鍛冶場の疲れが溶けていくようだ……」


ドワーフ作業員B「うぐぅ……肩の痛みが……嘘みてぇに……」


ドワーフ作業員C「おい……泣くな……泣くなよ俺……」


*屈強なドワーフたちが湯に浸かりながら感涙している光景は、なかなかにシュールだった。彼も服を脱いで湯に浸かった。*


シロウ「…………あー」


*思わず声が漏れた。四十度前後の丁度いい湯温が、全身を包み込む。復興作業の疲れ、レイラとルミナとの夜の疲れ、一万八千人の移民問題の重圧——全てが湯に溶けていくようだった。*


シロウ「……よし」


*一升瓶を取りに行く。氷水でキンキンに冷えた「日高見 超辛口純米」。そして収納から陶器の猪口を人数分出す。日本で買っておいて良かったと心底思った。*


*とくとくとく、と透明な液体が猪口に注がれる。その瞬間、ドワーフたち全員の鼻がひくついた。*


ガルガン「な……なんだこの香りは……」


シロウ「日高見。超辛口だ。お前らにはこれが合うと思ってな」


*猪口を一つずつ手渡す。ガルガンが小さな猪口を太い指で慎重に持ち上げ、まず鼻に近づけた。*


ガルガン「……すっきりとした、だが奥に力強さがある。これは……」


*ガルガンが一口含んだ。*


*沈黙。*


*五秒。*


*十秒。*


ガルガン「…………陛下」


シロウ「ん?」


ガルガン「……何故こんなもんが存在する」


*ガルガンの目から涙が一筋流れた。三百年生きたドワーフの鍛冶師が、小さな猪口を両手で握りしめて震えている。*


ガルガン「透き通った見た目に騙されたわ……辛口なのに角がねぇ。喉を通った後に、じわっと米の旨味が追いかけてきやがる……なんだこれは……なんだこれは……!」


ドワーフ作業員A「う、うめぇ……うめぇぞこれ……!」


ドワーフ作業員B「温泉に浸かりながらこの酒……天国か……ここは天国なのか……」


ドワーフ作業員C「親方……おれ、もう死んでもいいっす……」


ガルガン「馬鹿言うな死ぬんじゃねぇ! 二杯目がまだだろうが!」


*屈強なドワーフたちが露天風呂で泣きながら猪口を差し出してくる光景は、控えめに言って異様だった。*


シロウ「……もう一本あるから慌てんな」


*彼は菊姫の封も切り、夕焼けに染まる湯気の中で静かに猪口を傾けた。*


シロウ「あ、そうそう。お前ら今後も温泉入るだろうが、温泉に入りながらの酒禁止な。」


*ドワーフたちの手が一瞬止まった。猪口を持ったまま、全員がシロウを見つめる。*


ガルガン「……禁止?」


シロウ「ああ。温泉に浸かると体温が上がる。そこにアルコールが入ると、普段より何倍も回りやすくなる。意識が朦朧として、気づいた時には湯の中に沈んでる」


*彼は猪口を置き、淡々と続けた。*


シロウ「酔いが回って立ち上がった瞬間に血圧が急変して、そのまま倒れるケースもある。湯船の中で倒れたら、周りが気づく前に溺れる。特にドワーフは体が小さい分、湯の深さが致命的になる」


*ガルガンの顔から酔いが一瞬で引いた。*


ガルガン「……確かに、わしらの背丈じゃ胸まで浸かる深さだ。意識を失えば……」


シロウ「だから今回は特別だ。俺がいるから目を離さない。だが今後、住民に開放した時は絶対に禁止にする。看板も立てろ」


*彼は懐から紙を取り出し、さらさらと書き付けた。*


シロウ「『飲酒後の入浴禁止』『入浴中の飲酒禁止』『体調不良時の入浴禁止』……この三つは最低限だ。あとは『一人での入浴を避ける』も追加する」


ガルガン「……陛下、よく知ってるな。まるで以前に誰かが死んだのを見たことがあるような言い方だ」


シロウ「……俺の故郷じゃ、毎年何人も温泉で命を落としてた。だから注意喚起が徹底されてたんだよ」


*日本では毎年、入浴中の事故で多くの人が亡くなっている。特に高齢者のヒートショック。温泉と酒の組み合わせによる溺死。それを知っているからこそ、この世界に温泉文化を持ち込むなら、安全対策も一緒に持ち込まなければならない。*


ガルガン「……わかった。肝に銘じる」


*ガルガンが真剣な表情で頷いた。他のドワーフたちも、先ほどまでの浮かれた空気から一転して、神妙な顔をしている。*


ドワーフ作業員A「看板、わしが彫りましょう。石に刻めば朽ちねぇですから」


ドワーフ作業員B「入口と脱衣所の二箇所に設置すりゃ、嫌でも目に入る」


ガルガン「よし、そうしろ。……陛下、今日の酒の礼は仕事で返す。大浴場の建設、わしらドワーフが全力で仕上げてやる」


シロウ「頼んだ」


*ガルガンが猪口の残りをぐいっと飲み干し、湯船から立ち上がった。*


ガルガン「さて、いい湯だった。体も温まったし、酒も旨かった。明日から本気で取りかかるぞ」


*ドワーフたちが次々と湯から上がり、体を拭き始めた。彼は一人、湯船に残って夕焼けを眺めた。*


シロウ「……温泉文化の輸出、責任重大だな」


*橙色に染まる湯気の向こうに、故郷の温泉街の風景が重なって見えた。猪口に残った日高見を一口含み、静かに空を仰いだ。*

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