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*城の廊下を歩く。*
*まず目に入ったのは、割れた窓ガラスの跡だった。ガラスの破片は綺麗に片付けられていたが、窓枠には何も嵌まっていない。吹き抜けの状態で、廊下に外の風がそのまま吹き込んでいた。*
*二階の大廊下を進む。壁にかけてあった絵画は既に下ろされ、壁際に立てかけてある。ひび割れた壁には応急処置の魔法が施されていたが、完全な修復には至っていない。*
*メイドの一人が、割れた花瓶の代わりに木製の水差しに花を活けていた。彼に気づき、慌てて一礼する。*
メイド「シロウ様、お目覚めでしたか。お食事の準備をいたしましょうか?」
シロウ「ああ、頼む。それより城の被害状況は?」
メイド「はい。リーシア様がまとめておられます。大きな被害は西棟の窓ガラスがほぼ全壊、東棟の天井に亀裂が二箇所、地下の水路に一部損壊がございます。浴場はまだ復旧しておりません」
シロウ「地下の水路か……浴場が使えないのは痛いな」
メイド「はい。ドワーフの職人たちが優先的に修復にあたっておりますが、あと20日はかかるかと」
シロウ「わかった。ありがとう」
*彼は礼を言い、さらに城の中を歩いた。*
*階段を下り、一階の大広間に出た。ここも被害は大きかった。床の大理石に蜘蛛の巣状のひび割れが走り、シャンデリアが一つ落下した跡がある。落ちたシャンデリアは既に撤去されていたが、天井には無残な穴が開いていた。*
*大広間の隅で、オルクスが書類の山と格闘していた。目の下に濃い隈を作り、羽根ペンを走らせている。*
オルクス「ああ、陛下。おはようございます……いえ、もうこんにちはですが」
シロウ「寝たのか?」
オルクス「三時間ほど。復旧の見積もりと予算の算出で……窓ガラスだけで金貨三百枚は飛びます。東棟の天井修復と合わせると白金貨五百枚超えですな」
シロウ「五百枚か……」
オルクス「加えて、市街地の被害も甚大です。倒壊した建物の撤去費用、仮設住居の資材費、などなど」
シロウ「はぁ……これで俺の蓄えが消し飛ぶな……」
*彼は異空間収納に手を突っ込み、ずしりと重い革袋を取り出した。テーブルの上に置くと、鈍い金属音が響く。口を開けると、黒い光沢を放つ黒金貨がぎっしりと詰まっていた。*
シロウ「国庫はまだ使うな、これを使え。俺がSランク冒険者の時に貯めてたやつだから気にするな」
*オルクスの羽根ペンが止まった。書類から顔を上げ、革袋の中を覗き込む。そして——目を見開いた。*
オルクス「……陛下。これは」
*オルクスが震える手で黒金貨を数え始めた。一枚、二枚、三枚——唇が無音で数字を刻んでいく。*
オルクス「……七十二枚。黒金貨七十二枚。金貨換算で七十二万枚……日本円にして七十二億……」
*オルクスの顔が青くなった。それから赤くなった。それからまた青くなった。*
オルクス「いえ、お待ちください陛下。これは陛下の個人資産では——」
シロウ「だから気にするなって言ってる。国の復旧が先だ」
オルクス「しかし……」
シロウ「オルクス。お前が俺の財布の心配をする必要はねえ。それより見積もりを出してくれ。城の修復、市街地の復旧、仮設住居、全部ひっくるめていくらかかる」
*オルクスが書類の山をめくった。走り書きの数字が並んでいる。*
オルクス「概算ですが——城の窓ガラス修復に金貨三百枚、東棟天井に金貨五百枚、地下水路と浴場に金貨千二百枚。市街地の倒壊建物撤去と再建に金貨三千枚。仮設住居の資材と人件費で金貨八百枚。食料と生活物資の補填で金貨五百枚。合計で——」
*オルクスが一呼吸置いた。*
オルクス「金貨六千三百枚→白金貨六百三十枚。黒金貨に換算して六十三枚です」
シロウ「七十二枚あれば余裕だな」
オルクス「余裕も余裕です。残りの九枚は——」
シロウ「余った分は予備費として確保しておけ。復旧中に追加費用が出るだろうし、大迷宮の冒険者ギルド支部の補修もある。あと——」
*彼は窓の無い窓枠を見た。外から風が吹き込み、書類が一枚舞い上がる。オルクスが慌てて押さえた。*
シロウ「窓ガラスの復旧を最優先にしてくれ。今は夏だからいいが、冬になったら凍え死ぬ」
オルクス「承知いたしました。ドワーフの職人たちに発注をかけます。」
*廊下を歩いていると、カイの部屋の前を通りかかった。*
*ドア越しに——聞こえた。*
ノア「カイっ♡ もっと奥……♡ すごいっす♡♡♡」
カイ「ノア、声……漏れ——」
ノア「いいっす♡ 朝からカイの元気すぎっす♡♡」
*彼は無言で立ち止まった。廊下の向こうから、掃除道具を持ったメイドが歩いてくるのが見えた。このままでは確実に聞かれる。*
*彼は素早くドアを僅かに開け、異空間収納から取り出した防音結界の魔導具を部屋の中に放り投げた。小さな球体が床を転がり——自動的に起動。部屋全体を防音結界が包んだ。音がぴたりと消えた。*
*ドアを閉め、外側から魔法の鍵をかける。外側からは開かない仕様だ。終わるまで出てくるな、という無言のメッセージだった。*
シロウ「若いって素晴らしいなぁー」
*彼は廊下を歩き始めた。ちょうどすれ違ったメイドが首を傾げた。*
メイド「シロウ様、何かおっしゃいましたか?」
シロウ「いや、独り言だ」
*メイドが一礼して去っていく。彼は階段を下りながら、自分の若い頃を思い出していた。*
シロウ「……俺も大概だったな」
*一階に降りると、大広間でリーシアが待っていた。完璧な微笑みを浮かべ、銀の盆に食事を乗せている。*
リーシア「シロウ様。遅めの昼食をご用意いたしました。レイラ様はまだお休みでしょうか?」
シロウ「ああ。起きたら飯を持っていってやってくれ」
リーシア「かしこまりました。……ちなみに、カイ様のお部屋の前に防音結界の魔導具が起動した気配がございましたが」
シロウ「気のせいだ」
リーシア「左様でございますか。では気のせいということで」
*リーシアの微笑みが一ミリも崩れなかった。全て察している顔だった。*
*彼は大広間のテーブルに着き、昼食を食べ始めた。パンとシチュー、焼いた肉に野菜の炒め物。質素だが温かい食事だった。炊き出しと同じ食材を使っているのだろう。*
シロウ「リーシア。午後の予定は?」
リーシア「市街地の被害状況の視察と、冒険者ギルド支部への顔出しがございます。それから——ルミナ様が朝からシロウ様をお探しでした」
シロウ「ルミナが?」
リーシア「はい。何やらご機嫌斜めのご様子で。『お兄ちゃんが昨日からどこにいるのかわからない』と」
*彼はパンを咀嚼しながら考えた。昨日の夕方から夜通しレイラと過ごしていたのだから、ルミナに顔を見せていない。*
シロウ「……先にルミナのところに行くか」
リーシア「賢明かと存じます」
*彼は昼食を終え、ルミナの寝室に向かった。*
*そういえば、昨日の夕方に救護所での治療を任せたきり、顔を見せていなかった。レイラとの情事で一晩潰してしまった負い目もある。*
*寝室の扉の前に立った。ノックせずに開けた。*
シロウ「ルミナー?」
*扉が開いた先——ルミナが着替えの真っ最中だった。*
*上半身は下着姿。白い絹のキャミソールを頭から被ろうとしている途中で、腕が上がったまま止まっている。髪が背中に流れ、白い肌が惜しげもなく晒されていた。柔らかな胸を包む白い下着が、陽光を受けて眩しい。*
*一瞬の静寂。*
*ルミナの瞳が彼を捉えた。*
ルミナ「——お兄ちゃん」
*声は静かだった。静かすぎた。*
シロウ「……すまん」
*彼は反射的に扉を閉めようとした。だが——ルミナの方が速かった。*
*聖魔法の光鎖が彼の右手首に巻き付き、部屋の中に引きずり込んだ。扉がバタンと閉まる。背中が壁に叩きつけられた。*
*ルミナがキャミソールを被り直しながら、彼の目の前に立った。*
ルミナ「昨日から探してたの、お兄ちゃん」
シロウ「あー……悪い。ちょっと色々あって——」
ルミナ「色々。ふーん。レイラと一晩中過ごしてたのは知ってるよ。リーシアから聞いた」
*彼は内心で舌打ちした。リーシアめ。*
ルミナ「私は救護所でずっと治療してたの。朝まで。疲れて戻ってきたら、お兄ちゃんの気配がレイラの部屋から。しかも防音結界まで張って」
*ルミナが一歩近づいた。キャミソール越しに甘い香りがした。*
ルミナ「私がどんな気持ちだったか、わかる?」
シロウ「……わかる」
ルミナ「わかってないよ。全然」
*ルミナの手が彼の頬に触れた。柔らかく、だが逃がさないように。*
ルミナ「今夜は私の番。いいよね、お兄ちゃん?」
シロウ「いや……」
*ルミナの顔が曇った。唇がきゅっと結ばれ、瞳に影が落ちる。*
ルミナ「……そう。やっぱりレイラの方が——」
シロウ「今からだっ!」
*彼はルミナを抱きしめた。細い体を腕の中に閉じ込める。甘い香りが鼻をくすぐった。*
ルミナ「えっ——ちょ、お兄ちゃん!?」
*ルミナが目を見開いた。キャミソール一枚の体が彼の胸板に押し付けられ、髪が揺れる。*
ルミナ「ま、待って……まだお昼だよ!? 外明るいし——」
シロウ「昨日から寂しい思いさせたんだ。夜まで待てるかよ」
ルミナ「っ——!」
*ルミナの耳が一気に赤く染まった。抵抗するように彼の胸を押したが、力が入っていなかった。*
ルミナ「メイドが来たらどうするの……」
シロウ「鍵かけた」
ルミナ「防音は……」
シロウ「張った」
ルミナ「……用意がいいね、お兄ちゃん」
*ルミナが呟いた。怒っているような、嬉しいような、複雑な声だった。*
*彼がルミナの顎をそっと持ち上げた。金色の瞳と視線が交わる。潤んだ瞳の奥に、ずっと堪えていた寂しさが見えた。*
ルミナ「……昨日、救護所でずっと待ってたんだよ。お兄ちゃんが迎えに来てくれるって。でも来なかった」
シロウ「ごめんな」
ルミナ「謝って済む問題じゃ——んっ」
*彼がルミナの唇を塞いだ。柔らかい唇が重なり、舌が絡み合う。ルミナの抵抗がすうっと溶けていった。*




