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*シロウは廊下を歩きながら、カイの部屋に防音結界と外からは開けられない魔法の鍵をさりげなく張った。*
*息子の大事な時間を邪魔されないように——という父親なりの配慮だった。*
*彼は軽い足取りで炊き出しの場へと戻っていった。*
───
*それから数分後。*
*廊下をずんずんと歩いてくる足音があった。レイラだった。*
レイラ「……妾の耳は誤魔化せんぞ。カイの部屋からおかしな声が聞こえたのじゃ」
*レイラがカイの部屋の前に立ち、ドアノブを掴んだ。回す。——動かない。*
レイラ「……ん?」
*もう一度。力を込めて回す。びくともしない。*
レイラ「なんじゃこれは……」
*ガチャガチャガチャガチャ!*
*レイラが両手でドアノブを掴み、全力で回そうとした。だがシロウの魔法で封じられた鍵は、レイラの怪力でも微動だにしなかった。*
レイラ「開かんっ……!」
*ドンッ!——レイラが扉を蹴った。城の扉が軋んだが、壊れない。シロウの結界が衝撃を完全に吸収していた。*
レイラ「くっ……!」
*その時、扉の向こうからくぐもった声が聞こえた。*
ノア「カイ、まだ硬くならないっすか~?」
カイ「……もう無理だって言ってるだろ」
ノア「えー、ノアまだ足りないっすよ~」
*レイラの顔が、みるみるうちに般若のように変わっていった。*
レイラ「……ノア……貴様ぁ……妾の息子に何をしておるのじゃぁぁぁ!!!」
*ドンッ!ドンッ!ドンッ!——レイラが拳で扉を殴りつけた。だが結界は微動だにしない。*
レイラ「開けぃ! 今すぐ開けぃ! カイ! 聞こえておるか!?」
*扉の向こうで、カイとノアの声がぴたりと止まった。*
カイ「……母さんの声」
ノア「……っす」
*二人が同時に青ざめた。*
カイ「……なんで扉が開かない?」
ノア「……シロウさまの魔法っすね。ノアには分かるっす」
カイ「父さん……」
*カイは複雑な顔をした。助けられたのか、それとも後で地獄が待っているのか。*
*廊下では、レイラが扉に額をつけ、低い声で呟いていた。*
レイラ「……シロウ。貴様の仕業じゃな? 覚えておれよ……」
*その殺気は、炊き出し場にいるシロウの背筋をぞくりと震わせた。*
シロウ「……ん? 今なんか寒気が」
*彼は首を傾げたが、すぐに笑顔でスープをよそい始めた。*
シロウ「ああ、厄災が来るぞ。」
*リオンが首を傾げた。*
リオン「厄災? 何すかそr——」
*その言葉が終わる前に、空気が変わった。*
*ずん、ずん、ずん——重い足音が近づいてくる。炊き出し場の周囲にいた住民たちが、本能的に道を開けた。*
*レイラだった。*
*瞳が据わっている。黒髪が風もないのにざわめいている。全身から漏れ出す威圧が、大気を歪ませていた。*
ドルガン「レイラ様! 落ち着いてくだs——」
*ドルガンが前に出た。八輝将第四部隊の屈強な戦士が、両手を広げてレイラの前に立ちはだかった。*
*——ゴッ!*
*レイラの拳がドルガンの腹に叩き込まれた。百戦錬磨の戦士の巨体が、砲弾のように吹き飛んだ。露店のテントを三つ突き破り、石壁に激突して止まった。*
ドルガン「がっ——」
*シロウが即座に動いた。不可視の結界を展開し、自分とレイラ、そして八輝将全員を包み込んだ。市民には見えない。音も届かない。だが中にいる者は——全てを体験する。*
リオン「なっ——なんで俺らも巻き込むんすか!?」
シロウ「慣れろ」
リオン「慣れるとかそういう問題じゃ——」
*ルナがリオンの袖を引いた。無言で首を横に振る。逃げられない、と。*
*アシュトンが震える手で記録用の羊皮紙を構えた。ヴァイスは既にテントの裏に隠れていた。カインは剣の柄に手をかけたが、すぐに手を離した。相手が悪すぎる。ゲオルグは無言で祈りを捧げていた。*
*レイラがシロウの前に立った。身長差で見上げる形だが、威圧感は完全にレイラが上だった。*
レイラ「シロウ」
シロウ「おう」
レイラ「貴様……カイの部屋に鍵をかけたな?」
シロウ「ああ、かけたな」
*彼はあっさりと認めた。ごまかしても無駄だと分かっている。*
レイラ「……妾の息子の部屋から、あの小娘の声が聞こえたのじゃ。しかも……妾の耳は確かに聞いた。カイが三回——」
シロウ「おっと、それ以上は公共の場では」
レイラ「公共もクソもあるか! 貴様が結界で囲んだのじゃろうが!」
*レイラの拳がシロウの胸ぐらを掴んだ。*
レイラ「なぜ止めなかった! なぜ鍵をかけて妾を締め出した! カイはまだ二十七じゃぞ!?」
シロウ「二十七なら立派な大人だろ」
レイラ「妾にとってはまだ赤子じゃ!」
*八輝将の面々が壁際に張り付いていた。リオンがぼそりと呟いた。*
リオン「……二十七で赤子って、俺何歳まで赤子なんすかね」
ルナ「黙って。死ぬわよ」
*レイラの殺気がさらに膨れ上がった。結界の内側の空気が重くなる。*
レイラ「シロウ! 今すぐあの鍵を解け! 妾はあの小娘に言いたいことが山ほどあるのじゃ!」
シロウ「嫌だって言ったら?」
*彼は腕を組み、微動だにしなかった。レイラの殺気を真正面から受け止めている。*
*八輝将たちは違った。レイラから放たれる威圧が結界の中で反響し、全身を押し潰すように圧し掛かっていた。*
*リオンの膝が笑っている。生まれたばかりの小鹿のように震える足で、かろうじて立っていた。隣のルナは顔面蒼白だが、リオンの腕を掴んで支え合っている。アシュトンは羊皮紙を持つ手が震えすぎて文字が書けない。ヴァイスはテントの裏で膝を抱えていた。カインは歯を食いしばり、ゲオルグは無言で十字を切っている。ドルガンは先ほど殴り飛ばされた壁際でまだ動けない。*
*だが——誰一人、気絶はしていなかった。*
レイラ「嫌だと? 妾に向かって嫌だと申すか?」
*レイラの威圧がさらに膨れ上がった。地面にひび割れが走る。結界の内側の空気が震えた。*
シロウ「嫌だ。カイは二十七だ。いつまでも赤子扱いしてたら、あいつ一生独り身だぞ」
レイラ「独り身で何が悪い! 妾の傍におればよいのじゃ!」
シロウ「それを世間では過保護って言うんだよ」
レイラ「過保護ではない! 母の愛じゃ!」
シロウ「過保護だろ」
*レイラの拳がシロウの胸ぐらを掴み上げた。身長差があるので、レイラは背伸びしている。必死に背伸びして睨み上げるその姿は——正直、可愛かった。*
*彼はそれを口にするほど愚かではなかったが。*
レイラ「……あの小娘がカイを三回も——」
シロウ「若い頃の俺は一晩で何回だったっけ?」
レイラ「っ——!」
*レイラの顔が一瞬で真っ赤に染まった。胸ぐらを掴む手が僅かに緩んだ。*
レイラ「そ、それとこれとは話が違うのじゃ!」
シロウ「違わねえよ。俺たちもそうやって家族になったんだろ。カイにもその権利がある」
*レイラが言葉に詰まった。*
*その隙に、リオンが震える声でぼそりと呟いた。*
リオン「……一晩で何回って何の話すか……」
ルナ「聞かなかったことにしなさい。死ぬわよ」
*レイラの手がゆっくりとシロウの胸ぐらから離れた。威圧が——少しだけ弱まった。八輝将たちの膝の震えが僅かに治まる。*
レイラ「……妾は認めておらんからな。あの小娘がカイに相応しいかどうか、妾が直接確かめる」
シロウ「面接じゃねえんだぞ」
レイラ「面接じゃ! 妾の息子の嫁候補なら当然じゃろうが!」
*レイラがくるりと踵を返した。ずんずんと城に向かって歩いていく。その背中に、彼は声をかけた。*
シロウ「レイラ。ノアを殴るなよ」
レイラ「……善処する」
シロウ「善処じゃなくて約束しろ」
レイラ「…………善処するのじゃ」
シロウ「だったら俺も行く。それから殺気をやめろ、市民が死ぬ」
*レイラが足を止めた。振り返り、不機嫌そうに彼を睨む。*
レイラ「……死なんじゃろう、結界を張っておるのじゃから」
シロウ「今は張ってるからな。解いたら確実に死者が出る。お前の殺気は災害級だ」
*レイラがムスッとした顔で殺気を収めた。まるで蛇口を閉めるように、ぴたりと。それだけで結界内の空気が一変した。重力が正常に戻ったかのように、八輝将たちの体が軽くなる。*
*彼は八輝将たちを見回した。*
*リオンが膝から崩れ落ち、地面に座り込んだ。隣でルナも力なく座り込む。アシュトンは羊皮紙を抱えたまま仰向けに倒れ、ヴァイスはテントの裏からずるずると這い出してきた。カインとゲオルグは背中合わせに座り込み、ドルガンは壁に張り付いたまま動けない。*
*——だが、全員意識はある。*
シロウ「……大丈夫そうだな」
リオン「大丈夫に見えるんすか……これが……」
シロウ「気絶してないだろ。成長したな」
リオン「褒められてる気がしねえっす……」
*彼は結界を解除した。不可視の壁が消え、炊き出し場の喧騒が戻ってくる。市民たちは何事もなかったかのように寝袋を受け取り、テントに戻っていた。結界の中で何が起きていたか、誰も気づいていない。*
シロウ「お前ら、後は頼んだ。寝袋の配布が終わったら休め」
リオン「了解っす……」
*彼はレイラと並んで城へ向かった。夕暮れの石畳を二人で歩く。レイラは腕を組み、ずっとむすっとした顔をしていた。*
レイラ「……シロウ」
シロウ「ん?」
レイラ「貴様はなぜ平気なのじゃ。自分の息子が、あの小娘と……」
シロウ「平気じゃねえよ。複雑だ。でもな——」
*彼は城の尖塔を見上げた。カイの部屋の窓がある辺りを。*
シロウ「カイはもう子供じゃない。自分で選んだ相手がいるなら、見守るのが親だろ」
レイラ「…………」
*レイラの口元が僅かに緩んだ。ほんの一瞬だけ。*
レイラ「……妾は認めておらんからな。まだじゃ」
シロウ「ああ。それでいい。ただし——」
*彼はレイラの頭にぽんと手を置いた。*
シロウ「ノアを殴るなよ。約束だ」
レイラ「……………………善処する」
*城の門が近づいてきた。カイの部屋の窓から、微かに光の粒子が漏れていた。生まれたての精霊たちの残り香だった。*
シロウ「そうか、ならしょうがないな」
*彼はレイラを後ろから抱き上げた。お姫様抱きではなく、脇の下に手を入れて持ち上げる形——まるで子猫を持ち上げるように。*
レイラ「なっ——!? 離せ! 何をするのじゃ!」
*レイラの顔が一瞬で真っ赤に染まった。足をばたつかせ、拳を振り回すが、彼の腕はびくともしない。*
レイラ「降ろせ! 妾は歩けるのじゃ! 降ろせと言っておろうが!」
シロウ「暴れると落とすぞ」
レイラ「落とせるものなら落としてみよ!」
*彼はレイラを抱えたまま城の廊下を進んだ。すれ違うメイドたちが目を丸くし、慌てて道を空ける。リーシアだけが微笑んで一礼した。*
*カイの部屋の前に着いた。彼が結界と魔法の鍵を解除した。*
*ドアを開ける。*
*部屋の中には——寝巻きを着直したカイと、ベッドの端に正座するノアがいた。窓は全開。必死に換気した形跡がある。だがシーツの染みと、天井付近を漂う生まれたての精霊たちは隠しきれていなかった。*
シロウ「さっきは、お楽しみだったね」
*カイの顔が耳まで真っ赤になった。ノアも同様に、白い肌が桜色に染まる。*
カイ「と、父さん——ノックくらい——」
ノア「し、シロウさま——これはその——」
*レイラが彼の腕の中から飛び降りた。着地と同時に、般若の形相でカイとノアを睨みつけた。*
レイラ「カイ!」
カイ「は、母さん——」
レイラ「この小娘に何をされたのじゃ! 正直に申せ!」
カイ「何って——」
ノア「あっ、えっと——ノアがカイのおちん——」
カイ「言うな!」
*カイがノアの口を塞いだ。だが遅かった。レイラの眉がぴくりと跳ね上がった。*
レイラ「……今、何と言おうとした?」
ノア「もごもご」
カイ「何も! 何も言ってない!」
*レイラがノアに向かって一歩踏み出した。殺気が——漏れかけた。*
*彼がレイラの肩にぽんと手を置いた。*
シロウ「約束だろ。殴るな」
レイラ「……っ」
*レイラが歯を食いしばった。拳を握り締め、深呼吸する。そして——ノアの前に仁王立ちした。*
レイラ「小娘。妾の息子と何をしたか、一から十まで全て話せ。誤魔化したら——善処せんぞ」
ノア「い、一から十までっすか……?」
*ノアがちらりとカイを見た。カイは顔を手で覆っていた。助けは来ない。*
*ノアが覚悟を決めたように正座し直した。*
ノア「えっと……まずキスしたっす。それからノアがフェ○したっす。カイのは、シロウさまより少し小さ——」
カイ「やめろぉぉぉ!」
*カイの悲鳴が部屋に響いた。レイラの顔は般若を超えて無表情になっていた。それが一番怖かった。*
*カイの悲鳴は虚しく響いた。ノアは正座のまま、一から十まで全てを話した。*
ノア「まずキスしたっす。それからフェ○したっす。喉奥まで咥えたっす。精霊だから呼吸いらないっすからね♡ それでカイが口の中に出したっす。シロウさまのより濃くて美味し——」
カイ「その比較やめろって言ってるだろ!」
ノア「事実っすから♡ それで次はノアが上に跨って入れたっす。カイ、○○○初めてだったみたいで——入れただけでイったっす」
カイ「っ——!」
*カイが枕に顔を埋めた。耳まで真っ赤だった。*
*レイラの拳が震えた。般若を超えた無表情のまま、ノアに向かって一歩踏み出そうとした——が、彼がレイラを後ろから抱き上げ、椅子に座った。膝の上にレイラを乗せる形で。*
レイラ「離せ! 妾はあの小娘を——」
シロウ「約束だろ。座って聞け」
*レイラが彼の膝の上でもがいたが、腰に回された腕はびくともしない。彼はレイラの黒髪に鼻を近づけた。*
シロウ「……いい匂いだな」
レイラ「なっ——今そんな場合ではないじゃろうが!」
*レイラの耳が赤くなった。だが暴れる力が少し弱まった。*
ノア「それで合計三回してもらったっす。でもカイは三回で限界だったっす。シロウさまは丸一日——」
カイ「だからその比較を——」
ノア「それで気づいたっす。シロウさまが異常だったんっすね。普通は三回で限界なんっすね」
*部屋が静まった。*
*レイラが彼を見上げた。複雑な顔をしていた。*
レイラ「……丸一日、じゃと? 貴様、この小娘とも寝たのか」
シロウ「ノアの番だからな。前にな」
レイラ「…………」
*レイラの威圧が膝の上から静かに漏れ始めた。*
シロウ「昔の話だ。今はカイとノアの話だろ」
レイラ「……後で詳しく聞くからな。一言一句漏らさず話してもらうぞ」
*彼は背筋にぞくりと寒気を感じた。厄災が一つ増えた。*
*カイが枕から顔を上げた。赤い顔のまま、それでも真っ直ぐにレイラを見た。*
カイ「……母さん。俺はノアとライを大切にしたい。二人とも、俺にとって大事な存在だ」
*レイラが黙った。彼の膝の上で、小さな体が僅かに震えた。怒りではなく——寂しさだった。*
レイラ「……妾の息子が、妾の手の届かない場所に行くのじゃな」
カイ「行かないよ。母さんは母さんだ。それは変わらない」
*レイラが唇を噛んだ。彼がレイラの頭をそっと撫でた。*
ノア「レイラさま。ノアはカイを絶対に幸せにするっす。約束するっす」
レイラ「……フン。口だけなら何とでも言えるのじゃ」
*だがその声は——先ほどまでの殺気とは程遠い、母親の声だった。*
シロウ「子離れしような〜」
*彼はレイラの頭を優しく撫でた。黒髪が指の間をさらりと流れる。レイラの耳が赤く染まり、膝の上で身じろぎした。*
レイラ「……子離れなどしておる。妾は確認しただけじゃ」
シロウ「してねえだろ。さっき殺気で八輝将全員潰しかけたくせに」
レイラ「あれは、その……つい」
*彼がレイラの髪を梳くように撫で続けると、レイラの肩の力がゆっくりと抜けていった。怒りの仮面の下にあった、母親の寂しさが滲んでいた。*
*その時——ノアの表情が変わった。*
*ノアの瞳が一瞬だけ揺らいだ。まるで水面に石を投げ入れたように。そして——瞳の奥に、静かな光が灯った。*
ライ(ノア)「……久しぶりですね、お義母さん」
*声のトーンが変わった。ノアの無邪気さとは異なる、穏やかで落ち着いた声。口調も語尾の「っす」が消えている。*
*レイラが彼の膝の上で体を強張らせた。*
レイラ「……ラインハルト」
ライ(ノア)「うん。僕だよ」
*ライが微笑んだ。ノアと同じ顔なのに、纏う空気がまるで違う。柔らかく、静謐で、どこか儚い。*
*カイがライの手をそっと握った。ライがカイを見上げ、小さく頷いた。*
ライ(ノア)「レイラさん。僕のこと、前に認めてくれたよね」
レイラ「……認めた。ラインハルト、貴様のことは認めておる」
ライ(ノア)「ありがとう。……ノアもボクの一部だよ。ボクたちは同じ体に住んでる。ノアがカイを愛するのは、ボクがカイを愛してるのと同じなんだ」
*レイラが唇を噛んだ。反論しようとして——できなかった。*
*ライを認めた以上、ノアを拒絶する理屈が成り立たない。ライとノアは一つの体に在る。ライを認めてノアを認めないのは、片方の手だけを握って片方を振り払うようなものだった。*
レイラ「……卑怯じゃぞ、ラインハルト」
ライ(ノア)「卑怯かな。でも僕は嘘は言ってないよ」
*レイラが長い沈黙の後、ふんと鼻を鳴らした。*
レイラ「……一つだけ条件がある」
カイ「条件?」
レイラ「カイを泣かせたら、妾が直々に叩き潰す。ラインハルトであろうとノアであろうと、容赦せん」
*ライが笑った。穏やかで、嬉しそうな笑みだった。*
ライ(ノア)「約束する。僕もノアも、カイを絶対に泣かせない」
*カイが目を潤ませた。慌てて袖で拭う。*
カイ「泣いてない」
シロウ「泣いてるだろ」
カイ「泣いてない!」
*彼の膝の上で、レイラが小さく呟いた。*
レイラ「……シロウ。妾は、ちゃんと子離れしておるか?」
シロウ「ああ。してるよ」
*嘘だった。だが今のレイラには、その嘘が必要だった。*
シロウ「二人とも、今日はゆっくり休みな。腹減ったらその辺のメイドか執事に言えばいいさ。風呂は……まだ復旧してないから濡れタオルで汗を拭いてくれ」
*カイが頷いた。ライはノアに意識を戻し、ノアが笑顔で手を振った。*
ノア「ありがとうっす、シロウさま!」
カイ「……父さん、ありがとう。母さんのこと、止めてくれて」
シロウ「礼はいい。ちゃんとノアとライを大事にしろよ」
カイ「当たり前だ」
*彼はレイラを膝から降ろし、二人で部屋を出た。ドアが閉まる。*
*廊下に出て三歩。*
レイラ「シロウ」
シロウ「ん?」
レイラ「番の話じゃ。あの小娘と丸一日とはどういうことじゃ。一言一句、漏らさず話せ」
*レイラの声は低く、静かだった。静かな方が怖いことを彼は長年の経験で知っていた。*
シロウ「あれはお前も知ってるだろ。誕生したばかりの——」
レイラ「丸一日も交わる必要があるのか? 妾は聞いておらんぞそんな話」
シロウ「ノアが離してくれなかったんだよ。精霊の本能で——」
レイラ「本能で丸一日!?」
*レイラの声が廊下に反響した。確実にドア越しにカイとノアに聞こえている。*
*ドアの向こうから、カイの「……聞こえてるんだけど」という疲れた声と、ノアの「シロウさま凄かったっすよね♡」という余計な一言が聞こえた。*
レイラ「この小娘ぇ!」
シロウ「落ち着け。ほら、行くぞ」
*彼はレイラの手を引いて廊下を歩き始めた。レイラは手を振りほどこうとしたが——結局、振りほどかなかった。*
レイラ「……話は終わっておらんからな」
シロウ「わかったわかった」
レイラ「わかったわかったで済むと思うなよ」
*廊下の角を曲がると、リーシアが壁際に控えていた。完璧な微笑みを浮かべ、一礼する。*
リーシア「お二方、お戻りですか。レイラ様にはお茶をご用意いたしましょうか?」
レイラ「……頼む。それから——シロウを縛る縄も用意せよ」
リーシア「かしこまりました。麻縄と絹縄、どちらがよろしいでしょうか?」
シロウ「用意すんな」
*リーシアが小さく笑った。彼は溜息をつき、レイラの手を握り直した。小さくて温かい手が、ぎゅっと握り返してきた。*
*怒っているのに手を離さない。それがレイラだった。*
*カイの部屋のドアの向こうでは——*
ノア「……シロウさまとレイラさま、仲良いっすね♪」
カイ「……うちの両親は昔からああだ。慣れろ」
ノア「慣れるっす! ノアもカイとあんな風になりたいっす!」
*カイが小さく笑った。枕に顔を埋めて、誰にも見えないように。*




