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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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273

かなり溜めてました

273


*食堂に穏やかな空気が戻りかけていた。レイラのツンデレ発言にカイが照れ、ライが涙目で頭を下げ、ルーナが小声でツッコミを入れる。いつものアストライア城の朝——になるはずだった。*


*最初は微かだった。*


*テーブルの上のグラスの水面が、ほんの僅かに波打った。*


シロウ「ん?」


*彼は一瞬視線を落としたが、気にしなかった。震度1程度。この世界でも地震がないわけではない。*


*だが数分後。*


*カタカタカタ……*


*食器が鳴り始めた。壁に掛けられた絵画が傾き、シャンデリアの水晶が触れ合って高い音を立てる。揺れが明らかに大きくなっている。震度3。*


ステラ「パパ、揺れてる……!」


*ステラがシロウの腕にしがみついた。ゼノが本を抱えて立ち上がり、セレスが無表情のまま椅子を掴んでいる。*


レイラ「なんじゃ!? 地揺れか!? この辺りでは珍しい……!」


ルミナ「結界に異常はないはずよ……!」


*カイがライを庇うように前に出た。フェンが唸り、イグニが翼を広げて警戒する。ノアがきょろきょろと周りを見回し、シルフィの表情が初めて硬くなった。*


シルフィ「……これ、普通の地震じゃない。大地の精霊たちが怯えてる」


シロウ「んー揺れてるねぇー」


*彼は平然とグラスの水を一口飲んだ。ルーナも同様に落ち着いている。日本人にとって震度3程度は日常茶飯事だった。*


ルーナ「あー、これ震度3くらい? まだ余裕っしょ」


*だが次の瞬間——*


*ズゥゥゥン……!*


*城全体が大きく揺さぶられた。天井から塵が落ち、テーブルの上の皿が滑り落ちて割れた。椅子が倒れ、壁にひびが走る。震度5。*


*リーシアが食堂に駆け込んできた。*


リーシア「シロウ様! 城の南壁に亀裂が……!」


シロウ「これは不味い」


*彼の声のトーンが変わった。先程までの飄々とした態度が消え、瞬時に食卓の周囲に結界を張った。透明な魔力の膜が家族全員を包み込む。揺れが結界の外では続いているが、中は完全に安定していた。*


*シルフィが目を閉じ、精霊と対話している。その顔が蒼白になった。*


シルフィ「……南西の方角。大地の精霊たちが悲鳴を上げてる。何かが龍脈を……干渉してる…?」


*ライの顔から血の気が引いた。*


ライ「まさか——龍核……!」


*食堂の窓から南東の空を見た。地平線の向こうに、不自然な黒い光の柱が天を貫いていた。*


*揺れが更に激しくなった。震度6。*


*ガシャァァン!*


*食堂の窓ガラスが一斉に砕け散った。ルミナが咄嗟にステラとゼノ、セレスを抱き寄せる。食器棚がゆっくりと傾き——轟音と共に床に倒れた。陶器の破片が飛び散るが、シロウの結界に弾かれて家族には届かない。*


ステラ「きゃあっ!」


ゼノ「ね、姉さんっ……!」


セレス「……」


*セレスは無表情だが、ゼノの手を強く握りしめていた。*


レイラ「なっ……こ、これは……!」


*レイラが足元を取られてよろめいた。瞳には初めて純粋な戸惑いが浮かんでいる。137年生きてきて、これほどの地揺れは経験がなかった。*


ルミナ「お兄ちゃん、これ……!」


*ルミナがステラを抱きしめながら声を上げた。声が僅かに震えている。元熾天使ですら、足元から突き上げるような衝撃に顔を強張らせていた。*


ノア「ひゃあっ! な、なんすかこれ!? 地面が怒ってるっす!?」


*ノアがシロウの背中にしがみつき、がたがたと震えている。*


*カイがライを抱え込むように庇った。フェンが唸り、イグニが炎を散らしながら上空を旋回する。*


*シロウとルーナだけが、異常なほど冷静だった。*


シロウ「んー、震度6かな」


ルーナ「うん。3.11の時もこんな感じだったかも」


*二人が日本語で呟き合う。地震大国で育った人間にとって、揺れそのものへの恐怖は薄い。ただ——*


*ズゥゥゥゥゥゥンッ!!*


*更に跳ね上がった。震度7。城の石壁に大きな亀裂が走り、天井から石片が落下する。食堂の柱が軋み、床のタイルが割れた。窓の外で——庭の小さな物置小屋が、紙を潰すようにぐしゃりと圧壊した。*


リーシア「シロウ様ぁっ! 南壁が……南壁が崩れましたっ!」


*リーシアが結界の外で柱にしがみつきながら叫んでいる。彼は即座にリーシアも結界内に引き込んだ。*


*震度7。日本でも建物が倒壊するレベルだ。この世界の建築は耐震構造など考慮されていない。城が保っているのは魔法による強化があるからだが、それでも限界がある。*


ライ「龍脈が……龍脈が暴走しています! 龍核が龍脈に直接干渉して……大地そのものを揺さぶっている!」


*ライの顔が蒼白だった。瞳が恐怖で見開かれている。*


*シルフィが耳を押さえて蹲った。精霊たちの悲鳴が、彼女の頭の中で響いているのだ。*


*食堂の壁に更に亀裂が走った。天井の一部が崩れ、結界の外に瓦礫が降り注ぐ。*


*揺れが止まった。*


*まるで嘘のように、世界が静寂を取り戻した。数十分間の地獄。たったそれだけの時間で、すべてが変わった。*


*結界の中で、誰もがしばらく動けなかった。ステラが彼の足にしがみついたまま泣いている。ルミナが彼の腕から離れられず、レイラが床に蹲ったまま青白い顔で荒い呼吸を繰り返していた。*


*彼は結界を解除し、すぐに立ち上がった。*


シロウ「城はともかく……街が心配だ」


*窓から外を見た。城の庭は瓦礫が散乱し、物置小屋は完全に圧壊している。だが城そのものは壁にヒビこそ入っているが、崩壊はしていない。建国前に施した耐震構造が持ちこたえた。*


*その時、廊下から複数の足音が駆け寄ってきた。*


*食堂の扉が勢いよく開かれ、八輝将が次々と姿を現した。*


リオン「陛下! ご無事で!」


*リオンが息を切らしながら敬礼した。その隣にルナが影のように控え、アシュトンとヴァイスが続く。カイン、ドルガン、ゲオルグも駆けつけていた。*


アシュトン「陛下、被害報告を。城の南壁に大規模な亀裂、東翼の回廊が一部崩落。ただし構造体は健在です。耐震構造が効いています」


*彼は頷いた。だが城のことより——*


シロウ「街は?」


*その問いに答えたのは、最後に入ってきたユキ・クジョウだった。汗だくで、着物の裾が泥に汚れている。隣のクロエが扇子を閉じたまま、静かに佇んでいた。*


ユキ「第五部隊、最初の揺れの段階で市街地に展開しました。避難誘導を最優先で実施」


*彼女の目は真剣そのものだった。クロエが続けた。*


クロエ「避難誘導が早かったおかげで、死者はゼロです」


*食堂に安堵のため息が漏れた。だがクロエの表情は緩まない。*


クロエ「しかし——重傷者が約800名。中傷者が約3,000名。軽傷者は概算で10,000人を超えています。建物の倒壊は市街地南部に集中。特に旧市街の木造建築が壊滅的です」


*彼の目が細まった。*


ユキ「現在、第三部隊が救助活動に、第一部隊が臨時救護所の設営に入っています。治癒魔法使いを総動員していますが……重傷者の数が多すぎて、手が足りません」


リオン「あと、水道の一部が破損してます。南部地区は断水状態です」


*彼は腕を組み、素早く思考を巡らせた。死者ゼロは奇跡的だ。第五部隊の判断が数千の命を救った。だが重傷者800名は深刻だ。*


*ルーナが立ち上がり、ユキを抱き上げた。*


ルーナ「ユキ、大丈夫?」


ユキ「きゅいっ!」


*始祖竜の幼体が元気に鳴いた。八輝将のユキ・クジョウと紛らわしいが、今はそれどころではない。*


*レイラがようやく立ち上がった。まだ顔色は悪いが、目に力が戻っている。*


レイラ「……妾も治癒に回る。船酔いごときで寝ておれば治る…。」


シロウ「ルーナ、城のメイドや執事が被害にあってるはずだ。これで治してやってくれ。」


ルーナ「了解。任せて」


*ルーナが魔法袋を受け取り、中身を確認した。劣化エリクサーの瓶がぎっしりと詰まっている。HPを全回復させる——この状況では命綱だ。*


ルーナ「リーシアさん、城内の被害状況は?」


*リーシアが即座に答えた。顔に細かい傷があるが、気にも留めていない。*


リーシア「メイド・執事合わせて12名が負傷しています。うち3名が重傷——落下した石材の下敷きに。既に救出済みですが、治療が追いついておりません」


ルーナ「分かった。ユキ、ここで待ってて」


ユキ「きゅい……」


*ユキをルミナに預け、ルーナは魔法袋を抱えて食堂を駆け出した。迷いのない足取りだった。*


*彼はルーナの背中を見送り、すぐに八輝将に向き直った。*


シロウ「ユキ・クジョウ、クロエ。第五部隊の判断は完璧だった。お前たちが即座に動いたから死者ゼロで済んだ。礼を言う」


*ユキ・クジョウが一瞬目を見開き、深く頭を下げた。*


ユキ「……もったいないお言葉です、陛下」


*クロエが扇子を静かに開き、口元を隠した。だがその目が僅かに潤んでいた。*


シロウ「リオン、ルナ。第一部隊は南部地区の断水復旧に回れ。水道管の破損箇所を特定して応急処置。飲料水は城の備蓄から搬出する」


リオン「了解っす! ルナ、行くぞ」


ルナ「……はい」


*二人が走り出した。*


シロウ「アシュトン、ヴァイス。被害の全容を記録しろ。建物の倒壊状況、負傷者の分布、インフラの損傷——全部だ。復興計画に使う」


アシュトン「承知しました。ヴァイス、記録用の魔導具を」


ヴァイス「既に準備済みです」


*ヴァイスが眼鏡の奥で目を光らせた。推しの指示に迷いはない。*


シロウ「カイン、ドルガン。第四部隊は旧市街南部に急行。倒壊した建物の下に取り残された市民がいないか、一軒一軒確認しろ」


カイン「任せろ、陛下」


ドルガン「潰れた家くらい、腕一本で持ち上げてやる」


*二人が食堂を飛び出した。*


シロウ「カイ・ウォーカー、ゲオルグ。第三部隊は臨時救護所の増設だ。南部に最低3箇所。劣化エリクサーは後で追加分を渡す」


ゲオルグ「はっ!」


*八輝将が次々と散っていく。残ったのは家族と——ライだった。*


*ライが震える声で口を開いた。*


ライ「シロウさん……この地震、自然現象じゃありません。龍脈への干渉です。ジークフリートが……龍核を使って龍脈を揺さぶった可能性が高い」


*彼の目が鋭くなった。*


*レイラがようやく立ち上がり、壁に手をついて荒い息を吐いた。まだ顔色は悪いが、琥珀の目に怒りの炎が灯っている。*


レイラ「……あの黒ローブの仕業か。妾の国を……妾の民を……ただの脅しの道具にしおって……」


シロウ「レイラ、ここは俺に任せて休んでろ、立つのも辛いんだろ?」


レイラ「……っ、妾は……」


*反論しかけたレイラだが、立ち上がろうとして膝が震え、壁に手をついた。顔色は未だ蒼白で、額に脂汗が浮いている。彼女自身が一番分かっていた。今の自分は足手まといにしかならないと。*


レイラ「……すまぬ」


*小さく、消え入るような声だった。*


シロウ「ルミナ、子ども達とレイラを頼む」


ルミナ「分かったわ、お兄ちゃん。任せて」


*ルミナがステラを抱き上げ、ゼノとセレスの手を取った。レイラの肩を支えながら、食堂の奥——城の中心部へと向かう。*


ルミナ「レイラ、肩貸すわよ。つまらない意地は張らないで」


レイラ「……ふん」


*だが素直にルミナの肩に体を預けた。ステラがレイラの手をぎゅっと握る。*


ステラ「ママ、大丈夫だよ。パパが何とかしてくれるから」


シロウ「フェン、お前は街に行ってくれ。少しでも小さな物音がしたら近くの衛兵を呼べ。瓦礫の下に人がいるかもしれない」


*フェンが低く唸り、巨体を翻して割れた窓から飛び出した。神獣の聴覚なら、瓦礫の下の微かな呼吸すら聞き逃さない。*


シロウ「イグニは重傷者の治療の手伝いだ。お前の涙は万病を癒す。頼んだぞ」


*イグニが高く一声鳴き、炎の翼を広げて南部地区へ飛び立った。不死鳥の涙——それは劣化エリクサーすら上回る治癒力を持つ。*


*カイがライの手を握ったまま、彼を見た。*


カイ「父さん、俺も——」


シロウ「カイ、お前はライと一緒に龍脈の状態を調べろ。これが本当にジークフリートの仕業なら、次があるかもしれない。次の揺れが来る前に龍脈の異常箇所を特定しろ」


カイ「……分かった」


ライ「はい……!」


*二人が駆け出した。ノアがシルフィの手を引いて立ち上がる。*


ノア「シルフィパイセン、精霊さん達の声聞けるっすよね? ノアも手伝うっす!」


シルフィ「……うん。ありがとう、ノアちゃん」


*シルフィの目にはまだ涙が残っていたが、ノアの手を握り返して頷いた。二人も城を出ていく。*


*食堂に一人残った彼は、割れた窓枠に足をかけた。*


*そして——飛んだ。*


*飛行魔法で一気に上空へ。冷たい風が頬を打つ。眼下にアストライア魔導皇国の全景が広がった。*


*息を呑んだ。*


*城の周辺は耐震構造のおかげで被害が軽微だった。だが西部、南部旧市街は——惨憺たる有様だった。木造建築の多くが倒壊し、瓦礫の山が道を塞いでいる。所々から煙が立ち昇り、小さな火災が発生していた。広場に避難した市民の群れが見える。泣き叫ぶ声、助けを求める声が、上空まで微かに届いた。*


*彼は上空から被害を確認した後、南部旧市街に降り立った。*


*そこは地獄だった。*


*木造の家屋が折り重なるように倒壊し、瓦礫の山が道を埋め尽くしている。泣き叫ぶ子ども、血まみれで座り込む老人、家族の名を呼び続ける女性——。煙と土埃が混じった空気が肺を刺す。*


シロウ「……今のところ、死者が……いないだけ……まだマシか……」


*彼は呟き、すぐに動いた。*


*最初の臨時救護所に飛び込んだ。テントの中は重傷者で溢れていた。治癒魔法使いが三人いたが、全員が既に魔力の限界に近い顔をしている。*


治癒師「へ、陛下!? なぜここに——」


シロウ「どけ。俺がやる」


*彼は異空間収納から度数の高いアルコールと世界樹の葉、包帯、縫合用の魔法糸を取り出した。そして最初の重傷者の前に膝をついた。*


*獣人の男だった。倒壊した家屋の下敷きになったのだろう。左腕が不自然な角度に折れ、腹部から——内臓が見えていた。*


シロウ「意識あるか」


獣人「か、陛下……あ、ああ……」


シロウ「噛め」


*革のベルトを口に噛ませ、アルコールを傷口にぶちまけた。*


獣人「ぐぅあああああっ!!」


*男が叫び、体を捩った。だが彼は止めない。消毒しなければ感染症で死ぬ。手早く、正確に。腹腔内に押し出された腸を素手で掴み、元の位置に戻していく。*


シロウ「血管が二本切れてる。繋ぐぞ」


*治癒魔法で血管を接合し、止血を確認。世界樹の葉を腹部に当て、簡易的に保護した。葉が淡い緑の光を放ち、傷口を覆い込む。*


シロウ「次」


*次は人間の少女だった。頭部から大量の出血。彼は即座に鑑定で状態を確認し——頭蓋骨にヒビが入っているが、脳への損傷はないと判断した。アルコールを塗布する。*


少女「いたいっ! いたいよぉっ!」


シロウ「痛いのは生きてる証拠だ。もう少しだけ我慢しろ」


*世界樹の葉で頭部を保護し、包帯で固定した。*


*次。エルフの老婆。肋骨が三本折れ、肺に刺さりかけている。彼は精密な治癒魔法で骨を正しい位置に戻し、世界樹の葉で胸部を覆った。*


*次。ドワーフの鍛冶師。右脚が潰れている。彼は壊死しかけた組織を除去し、血管を繋ぎ直した。アルコールをかけた瞬間、屈強なドワーフが涙を流して叫んだ。*


ドワーフ「ぎゃあああっ! 陛下、殺す気かぁっ!」


シロウ「死にたくなきゃ黙ってろ」


*一人、また一人。彼は休むことなく手を動かし続けた。どんな種族であろうと、体の構造は大体同じだ。血管を繋ぎ、臓器を戻し、消毒し、世界樹の葉で保護する。その繰り返し。*


*治癒師たちが呆然と彼の手際を見つめていた。国王自らが膝をつき、血に塗れながら市民を治療している。その姿に、疲弊しきっていた治癒師たちの目に再び火が灯った。*


治癒師「……我々も、まだやれます!」


*三人の治癒師が立ち上がり、残りの軽傷者の処置に戻った。*


*彼が30人目の重傷者を処置し終えた頃、フェンの遠吠えが南東から響いた。瓦礫の下に誰かがいる合図だ。*


*すぐに衛兵が駆けつけ、瓦礫の撤去が始まった。*


*彼は額の汗を拭い、血に染まった手を見下ろした。世界樹の葉の残りを確認する。まだある。劣化エリクサーも十分だ。*


*その時、上空からイグニが舞い降りてきた。その目から光る雫が——不死鳥の涙が、重傷者たちの上にぽたりぽたりと落ちていく。涙が触れた傷口が、みるみるうちに塞がっていった。*


*市民たちの間から、安堵の泣き声が広がった。*


シロウ「イグニ、大人は無視しろ。小さい子どもと老人優先でいい。」


*イグニが彼の声を聞き、一声鳴いて方向を変えた。大人たちの上を通過し、瓦礫の傍で泣いている幼い獣人の少年の元へ舞い降りる。光る涙が少年の折れた腕に落ち、骨がみるみる繋がっていく。少年が目を丸くして泣き止んだ。*


*続いて、倒壊した家の前で動けなくなっていた老エルフの女性の元へ。砕けた膝蓋骨が再生し、老婆が震える手で不死鳥の羽根に触れた。*


老エルフ「……神の使いか……」


*イグニが優しく鳴き、次の子どもの元へ飛び立った。*


*一方、彼は脱臼した患者の前に膝をついていた。人間の男。肩関節が完全に外れている。*


シロウ「噛め。3つ数える」


*革ベルトを噛ませた。*


シロウ「1——」


*ゴキンッ!*


男「ぎぃやぁぁぁぁっ!! 3まで数えてねぇだろうがぁぁっ!」


シロウ「身構えると筋肉が固まる。はい次」


*容赦がなかった。次のドワーフの女性。肘の脱臼。*


シロウ「1——」


*ゴキッ!*


ドワーフ女「ぬぁぁぁっ! 陛下ぁ! 鬼かぁぁっ!」


シロウ「鬼じゃない、魔王だ。次」


*淡々と、しかし確実に。彼の手が止まることはなかった。*


*50人目の重傷者を処置し終えた頃、治癒班のリーダーが駆け寄ってきた。エルフの女性治癒師、名をミレーヌという。*


ミレーヌ「陛下、我々にもっとできることはありませんか。魔力は尽きかけていますが、知識さえあれば……」


*彼は異空間収納から一冊の本を取り出した。日本で買った『人体の構造』——フルカラーの図解付き解剖学書だ。保護魔法が付与されており、血や泥が付いても汚れない。*


シロウ「治療班、これを見ておけ」


*本を開いて見せた。日本語の文字は読めないだろうが、精密な解剖図がページいっぱいに描かれている。筋肉の層、骨格の配置、内臓の位置関係、血管の走行——すべてが色分けされ、矢印と番号で示されていた。*


ミレーヌ「これは……!」


*彼女の目が見開かれた。他の治癒師たちも集まってきた。*


治癒師A「こんな詳細な人体図、見たことがない……臓器の位置がここまで正確に……」


治癒師B「この赤い線は血管か? こんなに細かく枝分かれしているのか……」


シロウ「文字は気にするな、絵だけ見ろ。種族によって多少の差はあるが、基本構造は同じだ。特にこのページ——」


*彼は腹部の断面図のページを開いた。*


シロウ「腹部を開けた時、この位置に腸がある。ここが肝臓、ここが脾臓。臓器を戻す時は順番を間違えるな。間違えると腹腔内で圧迫が起きて死ぬ」


*治癒師たちが食い入るように本を覗き込んだ。ミレーヌが震える手でページに触れた。保護魔法のおかげで、血まみれの指で触れても紙は汚れない。*


*彼が重傷者の治療に没頭していた時だった。約三分の一——200名以上の重傷者を処置し終え、ようやく救護所に僅かな余裕が生まれ始めていた。*


*ミレーヌが『人体の構造』を片手に、他の治癒師たちに指示を出している。本の図解のおかげで、臓器の位置を間違えるミスが激減していた。*


*その時——*


衛兵「陛下! 陛下! 至急ご報告があります!」


*一人の衛兵が救護所に駆け込んできた。全身汗だくで、顔が蒼白だった。恐怖で足が震えている。地震の被害報告なら、ここまで怯えた顔はしない。*


*彼は処置していたエルフの青年の傷口に世界樹の葉を当て、治癒師に引き継いでから立ち上がった。*


シロウ「何があった」


衛兵「は、八輝将の皆様も既に城門前に集結しております。陛下に直接ご報告したいと——」


*彼は飛行魔法で城門前へ向かった。*


*着地した瞬間、八輝将の顔を見て分かった。全員の表情が強張っている。特にユキ・クジョウの目が鋭く南西を見据えていた。*


*リオンが口を開いた。いつものやさぐれた態度は消えている。*


リオン「陛下。斥候からの緊急報告です」


*ルナが無言で地図を広げた。南西——鉱山地帯の方角に赤い印が無数に打たれている。*


リオン「南西方面、鉱山の山脈を越えて——数万のワイバーンの群れが接近中です」


*空気が凍った。*


*数万。ワイバーン一体でもBランク相当の脅威だ。それが数万。軍勢と呼ぶべき規模。*


*だがリオンの報告は、そこで終わらなかった。*


リオン「……そして、群れの中心に一体。黒龍が確認されています」


*八輝将の間に緊張が走った。ドルガンが拳を握りしめ、カインが剣の柄に手をかけた。アシュトンが眼鏡を押し上げ、ヴァイスが記録用の魔導具を構えている。*


ゲオルグ「黒龍……大迷宮97階層に匹敵する存在が、地上に……」


ユキ「地震と同時にこの襲来。偶然ではありません」


クロエ「龍脈の暴走で眠りを覚まされた可能性もありますが——」


*クロエが扇子を開き、南西の空を見つめた。*


クロエ「あの群れの動き、統率されています。ただの暴走ではない。誰かが——操っている」


*全員の脳裏に、同じ名前が浮かんだ。*


`ジークフリート。`


*カインが低く唸った。*


カイン「地震で国を揺さぶり、混乱の隙に数万のワイバーンと黒龍をぶつける……えげつねぇ作戦だ」


ドルガン「市民の避難と治療に戦力を割いた直後にこれか。タイミングが完璧すぎる」


*彼は腕を組み、南西の空を見た。まだ肉眼では見えない。だが——鑑定の射程には、もうすぐ入る距離だ。*


*ユキ・クジョウが静かに一歩前に出た。*


ユキ「陛下。到達予想時刻は——約40分後です」


*40分。市民の避難は終わっていない。重傷者の治療も三分の一。*


シロウ「衛兵は全員第五部隊の指示で動け。ユキとクロエは指示を出しつつ救護所の手伝いだ」


ユキ「了解しました」


クロエ「承知」


*二人が頷き、衛兵たちに向き直った。ユキが凛とした声で指示を飛ばし始める。*


ユキ「衛兵全員、持ち場を離れるな! 避難誘導が最優先だ! 南部旧市街の住民を城壁内の広場に集めろ! 動ける者は担架を持って救護所に走れ!」


*衛兵たちが一斉に散っていく。*


*彼は異空間収納を開いた。*


*箱が次々と地面に積まれていく。一箱、二箱、三箱——。木箱の蓋を開けると、淡い金色に輝く液体が詰まった小瓶がぎっしりと並んでいた。*


*エリクサー。本物の。*


*10年間、コツコツと素材を集め、精製し、保管してきた。一本で金貨数枚——つまり数万円相当。それが500本。総額にして白金貨数十枚分の財産が、瓦礫だらけの救護所の前に無造作に積み上げられた。*


*ユキとクロエの目が僅かに見開かれた。治癒師のミレーヌに至っては、口を開けたまま固まっている。*


ミレーヌ「エ、エリクサー……本物の……500本……?」


シロウ「二人はこの薬で重傷者の治療を。ただし、傷口に度数の高いアルコールぶっ掛けてから使え。中に異物が入ったら困る」


クロエ「……陛下。これだけの量のエリクサー、国庫が——」


シロウ「俺の私財だ。国庫には手をつけてない。気にするな」


*クロエが扇子の陰で唇を噛んだ。何かを言いかけたが、飲み込んで深く頭を下げた。*


クロエ「……畏まりました」


ユキ「ミレーヌ殿、治癒班の方々。手順を伝えます。まず傷口の異物を除去、次にアルコールで消毒、最後にエリクサーを投与。この順番を絶対に間違えないでください」


ミレーヌ「は、はいっ!」


*治癒師たちがエリクサーの箱を抱え、救護所へ走っていった。*


*彼はそれを見届け、八輝将に向き直った。血に塗れた手を拭きもせず、南西の空を見据える。*


シロウ「さて——ワイバーン数万と黒龍か」


*リオンが地図を広げ直した。*


リオン「到達まで残り35分。迎撃をどうしますか、陛下」


*カインが剣の柄を握りしめた。*


カイン「市街地に入れたら終わりだ。鉱山の手前で食い止めるしかない」


ドルガン「だが数万だぞ。八輝将全員で出ても、背後の市民が手薄になる」


*アシュトンが眼鏡を押し上げた。*


アシュトン「それに黒龍は大迷宮97階層相当。八輝将でも単独撃破は不可能です」


*ヴァイスが静かに呟いた。*


ヴァイス「……ただし、この場にはSSランクが一人いますね」


*全員の視線が彼に集まった。*


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