272☆
約3ヶ月分の全部、投稿終えました。
272☆
*食堂の空気が凍りついた。ライの唇が震え、すみれ色の瞳から涙がぽたぽたと落ちた。カイがライの肩を抱き寄せているが、その目にも動揺が隠せない。*
ライ「……私の、本当の名前は——ラインハルト」
*その名を口にした瞬間、ライの声が変わった。いつもの儚げな少女のような声ではなく、少しだけ低い、男としての声。*
ライ「別の次元から来ました。この世界の人間ではありません」
*レイラの瞳が鋭く細まった。ルミナの瞳が冷たく光る。だが手で二人を制した。*
ライ「黒ローブの男——ジークフリート。かつての……私の親友でした」
*ライの拳がテーブルの上で白くなるほど握りしめられた。*
ライ「元の世界で、私とジークフリートは同じ研究機関に所属していました。次元を渡る術の研究です。ジークフリートは天才でした。誰よりも優秀で、誰よりも——壊れていた」
*一度目を閉じ、深く息を吸った。*
ライ「龍核は……元々、私たちの世界で発見されたものです。次元の狭間に存在する、精霊の命を喰らって力に変換する結晶体。ジークフリートはそれを兵器に転用しようとした。私は反対した。それが——裏切りの始まりです」
カイ「……ライ」
*カイの声が掠れていた。隣にいた恋人が、自分の知らない過去を持っていた。その衝撃を必死に飲み込んでいる。*
ライ「そして……龍核を持ち逃げした四将軍の女性。ヒルデガルド。彼女は——私の、元妻です」
*沈黙が落ちた。ステラが不安そうに父の袖を掴んでいる。ゼノが本を閉じ、セレスが無表情のまま僅かに目を細めた。*
ライ「ヒルデガルドは元々ジークフリートの助手でした。私と結婚した後も、ジークフリートとの繋がりを断てなかった。ある日、二人は龍核を持って次元を渡った。私は追いかけて——この世界に辿り着きました」
「カイさんに出会ったのは、その旅の途中です。最初は……情報を得るために近づいただけでした。でも——」
*声が詰まった。*
ライ「いつの間にか、本当に……好きになってしまった。隠していてごめんなさい。ずっと……言わなければと思っていたのに……怖くて……」
*黙って手を握った。強く。離さないように。*
カイ「……お前が誰であろうと、俺の気持ちは変わらない」
ライ「カイさん……」
カイ「だが——全部話せ。隠し事はもうなしだ」
*小さく頷いた。*
*黒ローブの正体はジークフリート。ライの元親友。別次元から来た研究者。龍核の開発者、あるいは発見者。*
*ヒルデガルドはライの元妻であり、ジークフリートの元助手。龍核を一つ持って逃走中。*
*点と点が繋がり始めている。*
*言葉が続いた。瞳は拭こうともせず、ただ真っ直ぐ前を見つめていた。*
ライ「ジークフリートがこの世界に渡ったのは……およそ300年前です」
*レイラがぴくりと動いた。*
「彼は龍核を使い、この世界の精霊を大量に喰わせました。一つの龍核に、何千、何万もの精霊を。その結果——この世界は一時的に精霊を失った」
*脳裏に、あの日の記憶が蘇った。レイが不思議そうに言っていた言葉。*
*——「母上が…大昔、精霊がいなくなった時期があるって」*
*あれはこのことだったのだ。300年前、ジークフリートによって精霊が根こそぎ喰われた時代。レイラの母は幼かったが、その記憶の断片が残っていた。*
レイラ「……300年前」
*声が低く、静かだった。だがその琥珀色の瞳の奥で、灼熱の怒りが渦巻いているのが分かった。*
レイラ「…森から精霊が消えた。花が枯れ、泉が涸れ、獣が狂った。母上がそう言っておった。なぜ精霊が去ったのかと。……あれは、そやつの仕業だったのか」
*テーブルにひびが入った。握りしめた拳から魔力が漏れている。*
ライ「ジークフリートの目的は龍核の完成です。精霊を喰わせ、次元を喰わせ、最終的には——世界そのものを喰わせる。彼はそれを『収束』と呼んでいました」
シロウ「収束……全ての次元を一つに束ねるってことか」
ライ「はい。ジークフリートは次元の壁を消し去り、全てを一つの世界に統合しようとしています。そのために必要なのが、三つの龍核に十分な精霊の魂を喰わせること」
*唇を噛んだ。*
ライ「300年前、一度は大量の精霊を喰わせた。でもこの世界の原初の精霊が命を懸けて龍核を封じ、精霊たちは時間をかけて復活した。ジークフリートは一度退いた。だが消えたわけではなかった。300年かけて、再び準備を整えていたんです」
「そしてヒルデガルドは——私の元妻は、ジークフリートに心酔しています。龍核を一つ持って逃げたのは、ジークフリートの指示でしょう。二つの龍核を別々に運用し、同時に精霊を喰らう。効率を上げるために」
*静かに口を開いた。*
カイ「……俺たちが東で見た精霊の減少。あれはヒルデガルドの方か」
ライ「……おそらく」
*ライの声が震えた。*
「彼女は……強いです。元の世界でも最高の術者だった。そしてジークフリートに次ぐ、龍核の扱いに長けた人間です。」
*頭の中で、パズルのピースが次々と嵌まっていった。*
「……私には、かつて未来視の力がありました」
*声は震えていたが、もう隠す気はないようだった。*
「この世界に辿り着いた時、私にはまだ力が残っていました。未来を視る力。断片的でしたが……確かに視えた」
「ジークフリートが再び動き出す前に、世界樹を守らなければならなかった。300年前、原初の精霊が命を懸けて龍核を封じた。でも次は——次は耐えられない。世界樹ごと喰われる」
*一度目を閉じた。*
「だから私は世界樹を星屑の迷宮の100階層に隠しました。あの場所なら、ジークフリートでも簡単には辿り着けない」
*目が僅かに見開かれた。あの迷宮の最深部に世界樹があったのは——偶然ではなかった。*
「そして……未来視で視えたんです。一人の男が、いつか必ずあの迷宮を攻略すると。黒髪、黒目。途方もない力と、底なしの異空間収納を持つ人間」
「シロウさん。あなたです」
*食堂が静まり返った。レイラもルミナも、カイでさえも息を飲んでいる。*
「あなたなら確実に世界樹を持ち帰る。そして異空間収納の中に保管する。あの空間は独立した次元——ジークフリートの探知が届かない、最も安全な場所です」
*シロウは黙って聞いていた。脳裏に、あの日の記憶が蘇る。迷宮100階層。守護騎士を倒し、その奥に佇んでいた世界樹。そしてそれを持ち帰り、広場に植えた。*
「99階層の守護騎士に聖剣アスカロンを託したのも、私です」
*カイが息を呑んだ。レイラの琥珀色の瞳が鋭く光る。*
「シロウさんが守護騎士を倒し、聖剣を手に入れる。そして世界樹の近くで過ごすうちに、純粋な魔力と世界樹の力が体内に蓄積されていく。いずれ限界が来て、聖剣を触媒に全魔力を解放する。その時——聖剣は神剣に進化する」
*ライの声が掠れた。*
「時が経てば、世界樹の力で原初の精霊が復活する。ノアさんが生まれたのも……その流れの中にあります」
*ノアが目を丸くした。ライを見つめている。*
ライ「全て……私が仕組みました」
*長い沈黙が落ちた。*
*シロウは腕を組んだまま、天井を仰いだ。星屑の迷宮の攻略。聖剣アスカロンとの出会い。世界樹を持ち帰ったこと。ノアの誕生。アスカロン・ゼニスへの進化。自分がこの世界で歩んできた道のりの、その裏側に——目の前の華奢な男の娘の手があった。*
レイラ「……つまり貴様は、妾の夫を駒として利用したと?」
*声は低く、静かで——怒りに満ちていた。テーブルを叩く。*
シロウ「レイラ、黙ってろ。」
*弾かれたように顔を上げた。怒りに燃えていた琥珀色の瞳が、冷たい声にぴたりと止まった。*
レイラ「……っ」
*何か言い返そうとして——しかし彼の目を見て、口を閉じた。あの目だ。夫が本気で考えている時の、全てを見通すような黒い瞳。レイラは唇を噛み、腕を組んで椅子に深く座り直した。*
*彼は静かにライを見つめていた。いや——ラインハルトを。*
*全てが繋がっていく。だがまだ足りない。まだピースがある。*
シロウ「ライ。ヒルデガルドがこの世界に来たのは10年前だな」
*肩がびくりと震えた。*
ライ「……はい」
シロウ「本来なら300年前、ジークフリートと一緒に来るはずだった。だが10年前にずれた。何があった」
*ライが唇を噛んだ。体が揺れ、やがて観念したように口を開いた。*
ライ「次元の渡航には膨大なエネルギーが要ります。ジークフリートは龍核を使って先に渡った。ヒルデガルドの分のエネルギーが溜まるまでに——300年かかったんです」
シロウ「10年前。カイが17歳になった日だ」
*カイの目が大きく見開かれた。フェンリルがカイの膝の上で低く唸り、テーブルの端に止まっていたイグニの炎が一瞬強く燃えた。*
ライ「……はい。偶然ではありません」
*ライがカイを見た。涙に濡れた瞳の中に、深い愛情と——罪悪感が同居していた。*
ライ「カイさん。あなたが精霊に愛されやすいのは、体質ではありません」
*食堂の空気が凍りついた。*
ライ「あなたは——精霊神の生まれ変わりです」
カイ「……は?」
*カイの声が裏返った。困惑で揺れる。だがフェンが顔を上げ、カイの頬をぺろりと舐めた。イグニが翼を広げ、柔らかな炎でカイの肩を包んだ。まるで——主を慰めるように。*
ライ「フェンもイグニも、あなたに懐いているのではなく——あなたを覚えているんです。前世のあなたを」
*カイが言葉を失った。聖獣と不死鳥。伝説の存在が自分に懐いている理由をずっと不思議に思っていた。だがそれは懐いていたのではなく、再会だった。*
ライ「ヒルデガルドが10年前にこの世界へ渡った瞬間、カイさんの中の精霊神の因子が反応した。龍核の力と精霊神の力は対極——互いに引き合い、反発する。彼女はカイさんの覚醒を防ぐために来た」
*シロウは腕を組んだまま、静かに天井を見上げた。*
*10年前。カイが成長し、精霊神の因子が目覚め始めた。それを感知したジークフリート側がヒルデガルドを送り込んだ。そしてカイはその直後に旅に出た。ライと出会い、共に旅をした。*
*偶然ではない。ライはカイを守るために近づいた。精霊神の生まれ変わりであるカイを、ヒルデガルドとジークフリートから守るために。*
*シロウは黙って聞き続けた。頭の中でさらに一つ、大きなピースが嵌まった。*
ライ「……それから、ノアさんのことです」
*ノアがきょとんとした顔でライを見た。不思議そうに瞬く。*
ライ「ノアさんがシロウさんを『番』だと認識したのは……厳密には間違いです」
ノア「えっ!?」
*ノアが声を上げた。彼の腕にしがみつき、目をぱちぱちさせている。*
ライ「シロウさんとカイさんは親子です。遺伝子が似ている。ノアさんは原初の精霊として生まれた時、本能的に精霊神の気配を探した。そして最も近い存在——シロウさんに反応してしまった」
ノア「……え、えっと……つまり自分の本当の番は……」
*ノアの視線がゆっくりとカイに向いた。カイとノアが交差した瞬間——ノアの体がびくりと震えた。*
ノア「あ……あれ……なんか胸がどきどきするっす……」
*だがノアは首を振り、再びシロウの腕にしがみついた。*
ノア「で、でも! 自分はシロウさまが好きっす! 番がどうとか関係ないっす!」
*シロウは軽く溜息をついた。それはそれで厄介だった。*
ライ「ノアさんにはまだ前世の記憶がありません。精霊神との記憶が戻れば、自然とカイさんの元へ——」
ノア「戻らないっす! 絶対っす!」
*ノアが頬を膨らませた。カイは苦笑し、フェンが尻尾を振ってノアの足元に擦り寄った。ノアが思わずフェンの頭を撫でる。*
ノア「……なんでフェンちゃんはこんなに懐いてくるっすかね……」
*フェンが嬉しそうに目を細めた。覚えているのだ。前世の主を。*
ライ「それから……カイさんが昔、シルフィさんに告白して振られた件ですが」
カイ「おい、ライ、その話は——」
ライ「シルフィさんは精霊王です。精霊王の役割は世界樹の管理と維持。番を持つことができない存在なんです。だからカイさんの告白を受けられなかった」
*シルフィが食堂の窓辺に座り、深緑の髪を揺らしながらぼんやりと外を眺めていた。*
シルフィ「んー? なんか呼ばれた気がしたけど気のせいかなー」
*完全に聞いていなかった。相変わらずの朴念仁である。*
カイ「……頼むからその話は掘り返さないでくれ」
*カイが顔を赤くして俯いた。27歳の成人男性が、昔の黒歴史を暴かれて耳まで真っ赤になっている。ライが小さく微笑んだ。泣き腫らした目のまま、それでもカイの照れた顔を見て——少しだけ救われたような顔をしていた。*
シロウ「……どんまい」
*カイが顔を赤くしたまま、力なく項垂れた。フェンが慰めるように尻尾でカイの背中を撫でている。*
*だがライの表情はまだ真剣だった。まだ話は終わっていない。彼の目が一度深く閉じられ、再び開かれた時——そこには覚悟の色があった。*
ライ「……精霊神の権能について、お話しします。カイさんが覚醒した時に得る力です」
*食堂の全員が息を詰めた。ノアがシロウの腕から少しだけ身を乗り出し、シルフィが窓辺から振り返えり初めて真剣な光を帯びていた。*
ライ「一つ。精霊神は全ての精霊、大精霊、上位精霊を無条件で呼び出し行使できます」
*シルフィの目が見開かれた。*
シルフィ「……無条件? 契約も、対価もなしに?」
ライ「はい。本来、精霊を使役するには契約とリスクが伴います。術者の寿命を削る、魔力を恒久的に失う、精神を侵食される——様々な代償がある。ですが精霊神にはそれが一切ない。全ての精霊が自ら喜んで応える」
*シルフィが黙り込んだ。精霊王として何百年も精霊と共に在った彼女だからこそ、その異常さが分かるのだろう。深緑の髪が風もないのに揺れた。*
ライ「二つ。神器を扱うことができ、次元を自由に行き来できます」
*シロウの目が僅かに細まった。次元を渡る力。ジークフリートが龍核を使って無理矢理行ったことを、精霊神は自在にできる。*
ライ「神剣アスカロン・ゼニスは元々、精霊神のために鍛えられた神器です。シロウさんが今所持していますが……本来の持ち主はカイさんです。覚醒すればアスカロン・ゼニスは真の力を発揮します」
*シロウは腕を組んだまま、何も言わなかった。*
ライ「そして三つ目——」
*ライの声が一瞬詰まった。彼がちらりとノアを見た。ノアは首を傾げている。*
ライ「原初の精霊と交わることで、かつてない程の精霊を生み出せます」
*一拍の沈黙。*
ノア「……まじ、わる?」
*ノアがきょとんとした顔で首を傾げた。無邪気に瞬いている。*
レイラ「……要するに、子を成すということじゃろう」
*腕を組んだまま、淡々と言い放った。*
ノア「えっ!? つ、つまり自分とカイさんが……っすか!?」
*ノアの白磁の肌がぱっと赤く染まった。慌ててシロウの腕にしがみつく。*
ノア「む、無理っす! 自分はシロウさん一筋っす! カイさんのことは全然なんとも——」
*だがその瞬間、ノアの視線がカイと交差した。カイの琥珀色の瞳を見た途端、ノアの体がびくりと震え——心臓が一つ、大きく跳ねた。*
ノア「…………っ」
*ノアが慌てて目を逸らした。頬が赤い。自分でも説明できない動揺が胸を駆け巡っている。*
シロウ「俺が言うのもなんだが……チートだな」
*カイが苦笑した。だがライの表情は変わらなかった。まだ話は終わっていない。*
ライ「精霊神の魔力濃度は、精霊界において最強です。シロウさんの圧倒的な魔力量とはまた違う意味合いで——質が違います」
*ライが指を一本立てた。*
ライ「シロウさんの強さは、個人の魔力量と身体能力、そしてスキルの質。言わば一個の完成された兵器です。ですが精霊神は——指揮官です」
*食堂の空気中に、微かな光の粒子が漂っていた。精霊たちだ。ライの話を聞いているのか、いつもより数が多い。*
ライ「精霊神は大気中の精霊から力を借ります。自身の魔力を消費するのではなく、精霊たちが自ら力を差し出す。つまり——」
シルフィ「……限界がない」
*シルフィが静かに言った。深い畏敬の色を湛えていた。*
シルフィ「精霊が存在する限り、精霊神の力は尽きない。無限」
ライ「その通りです、シルフィさん」
*沈黙が落ちた。カイが自分の両手を見つめていた。まだ何の力も感じない、ただの冒険者の手。だがその中に——神の魂が眠っている。*
カイ「……俺が、そんな存在だなんて実感が湧かない」
*フェンがカイの手に鼻先を押し当てた。イグニが翼を広げ、温かな炎でカイを包む。二匹とも、主の覚醒をずっと待っていたのだ。*
ライ「覚醒の条件は二つあります。一つは神器——神剣アスカロン・ゼニスに覚悟を持って触れること。もう一つは……原初の精霊との魂の共鳴」
*ライの視線がノアに向いた。ノアはシロウの腕にしがみついたまま、顔を真っ赤にしている。*
ノア「……じ、自分を見ないでほしいっす」
ライ「ノアさんの記憶が戻り、カイさんとの魂の共鳴が起きた時——カイさんは精霊神として覚醒します」
*レイラが腕を組んだまま、低い声で呟いた。*
レイラ「……妾の息子が、神か。大層な話じゃの」
*だがその琥珀色の瞳には、怒りでも困惑でもなく——母としての複雑な感情が揺れていた。*
*シロウは黙って全てを聞き終えた。腕を組み、天井を仰ぐ。*
*ジークフリートは龍核で世界を喰おうとしている。ヒルデガルドが東方で精霊を狩っている。カイは精霊神の生まれ変わりで、覚醒すれば無限の力を持つ。ノアはその鍵。そしてライは300年越しの計画で、この瞬間のために全てを仕組んだ。*
*食堂の空気が重く沈んでいた。全員がライの告白を消化しきれず、静寂が広がっている。カイは自分の手を見つめ、ノアはシロウの腕にしがみついたまま顔を赤くし、レイラは腕を組んで目を閉じていた。*
*その時だった。*
バァン!
*食堂の扉が勢いよく開けられた。*
ルーナ「ただいまー! ママ、パパ、聞いてよ! ユキがさ、迷宮の42階層で初めてビームを——」
*銀髪の娘が満面の笑みで飛び込んできた。肩にはユキが乗っており、『きゅい!』と元気に鳴いている。*
*ルーナは食堂に漂う異様な空気に気づかず、そのままずかずかと入ってきた。*
ルーナ「あれ、カイ兄とライさんいるじゃん! 久しぶりー! ってなんかみんな顔暗くない? 誰か死んだ?」
*沈黙。*
ルミナ「ルーナ」
*ルミナの声が鋭く響いた。金色の瞳が冷たく光る。*
ルミナ「空気を読みなさい。今、大事な話の最中よ」
ルーナ「え、あ……ごめん」
*ルーナがびくりと肩を竦めた。ユキも『きゅい……』と小さく鳴いて首を引っ込める。ルミナに怒られると本能的に萎縮するのは、23年間変わらない母娘の力関係だった。*
ルーナ「……で、何の話?」
*ルーナが恐る恐る空いている椅子に座った。ライが一度深呼吸をし、すみれ色の瞳を伏せてから口を開いた。*
ライ「……簡潔にお話しします」
*ライは声を整え、簡略化して伝えた。*
ライ「私の本名はラインハルトです。別の次元から来ました。黒ローブの男はジークフリート、私の元親友で、龍核を使って世界を滅ぼそうとしています。帝国から龍核を持ち逃げした四将軍の女性ヒルデガルドは、私の元妻です」
*ルーナの目が徐々に大きくなっていく。*
ライ「そして……カイさんは精霊神の生まれ変わりです。覚醒すれば、神剣アスカロン・ゼニスを持って世界を救える存在になります」
*長い沈黙。*
*ルーナが口をぱくぱくさせた。銀髪が揺れ、金色の瞳が何度もカイとライの間を往復する。ユキが心配そうに『きゅい?』と鳴いた。*
ルーナ「……えっと」
*ルーナが一度目を閉じ、深呼吸した。そして目を開いた時——その瞳は元日本人OLとしての冷静さを取り戻していた。*
ルーナ「いや待って整理させて。カイ兄が精霊神の転生で、ライさんが異次元人で、ラスボスがライさんの元親友で、中ボスがライさんの元嫁……」
*もう一度沈黙。*
ルーナ「これなんてラノベ?」
*ユキが『きゅい!』と同意するように鳴いた。*
ルミナ「ルーナ!」
ルーナ「ごめんなさい!」
*ライがシロウを真っ直ぐに見つめた。*
ライ「全て……お話ししました。これ以上の隠し事はありません。どう処分されても構いません。ですが——カイさんだけは」
カイ「ライ」
*カイが静かにライの手を握った。*
カイ「俺の前で自分を捨てるような事を言うな」
*ライの目から、また涙がこぼれた。*
シロウ「はぁ……なんか大作映画の全部のフラグ回収された気分」
*彼は額に手を当て、深く溜息をついた。日本語で、独り言のように呟く。*
シロウ「息子が神で、娘が龍使いか……しかも両方転生ときたもんだ……」
*ルーナだけが反応した。銀髪の娘が目をぱちくりさせた後、深く頷いた。*
ルーナ「……分かる。マジで分かる。もう伏線回収のオンパレードじゃん。しかも全部繋がってるやつ。編集者泣かせのやつだよこれ」
*ルーナも日本語で返した。周囲の面々はきょとんとしている。レイラが眉を寄せた。*
レイラ「……また妾の分からぬ言葉で話しおって」
ルミナ「お兄ちゃん、ルーナ。今は他の人にも分かる言葉で話して」
*ルミナが冷たく釘を刺した。シロウとルーナが同時に肩を竦める。親子の仕草が完全に一致していた。*
*ノアがシロウの腕にしがみついたまま、おずおずと口を開いた。*
ノア「あの……シロウさん。自分、どうすればいいっすか……」
*金と緑のオッドアイが不安げに揺れている。番の話、精霊神の話、覚醒の話。自分がその鍵だと言われて、さすがのノアも動揺を隠せないようだった。*
*カイが立ち上がった。琥珀色の瞳でノアを見つめ、それからシロウに向き直った。*
カイ「父さん、一つ聞いていいか?」
*真っ直ぐな目。レイラ譲りの強い意志が宿った琥珀色。*
カイ「神剣アスカロン・ゼニス。今、父さんが持ってるんだよな。……俺に触らせてくれないか」
*食堂の空気が張り詰めた。ライが息を呑んだ。*
ライ「カイさん、まだ早い。精霊神の記憶が戻っていない状態で神器に触れたら、魂が耐えられない可能性が——」
カイ「触るだけだ。確かめたいんだ。ライの言ってることが本当なら……俺の中の何かが反応するはずだろ」
*フェンが立ち上がり、カイの隣に並んだ。銀色の毛並みが微かに光を帯びている。イグニが翼を広げ、静かにカイの頭上を旋回した。*
*二匹の伝説の存在が、主の決意に応えるように——待っている。*
*全員の視線がシロウに集まった。*
シロウ「覚悟はあるのか?」
*彼は座り直して肘を着く。黒い瞳がカイを射抜く。食堂の空気が一変した。*
シロウ「ちょっと触る? 舐めるな、命を賭けろ」
*カイの体が強張った。父の纏う気配が変わっている。SSランク冒険者としての、魔王としての——圧。フェンが尻尾を下げ、イグニの炎が僅かに揺らいだ。伝説の存在ですら本能的に怯む重圧。*
*シロウはカイの琥珀色の瞳をじっと見つめた。長い沈黙。*
*そして——首を横に振った。*
シロウ「お前にはまだ覚悟が足りん。ダメだ」
カイ「……っ!」
*カイが歯を食いしばった。拳が白くなるほど握りしめられ、琥珀色の瞳に悔しさが滲む。反論しようと口を開きかけた。*
*だがシロウの目を見て——言葉を飲み込んだ。父の瞳に怒りはなかった。冷酷さもなかった。あったのは、息子を想う深い慈愛と、冷徹な判断だった。*
シロウ「確かめたい、か。その程度の動機で神器に触れるな。中途半端な覚悟で触れば、お前の魂が砕ける。ライもそう言っただろう」
*ライが小さく頷いた。すみれ色の瞳に安堵の色が浮かんでいる。*
シロウ「お前が本当に覚悟を決めた時——俺が渡す。それまでは預かっておく」
*カイは長い間黙っていた。やがて、ゆっくりと頭を下げた。*
カイ「……分かった。すまない、父さん」
*フェンリルがカイの手に鼻先を押し当て、静かに寄り添った。*
*レイラが目を閉じたまま、小さく呟いた。*
レイラ「……お主の父親は、昔から正しい事しか言わんのじゃ。腹立たしいほどにな」
*その声は——どこか誇らしげだった。*
*ルーナがユキを抱きしめながら、小声で日本語を呟いた。*
ルーナ「……パパ、マジでかっこいいんだよな。ずるいわ」
*ユキが『きゅい』と同意するように鳴いた。*
*ノアがシロウの腕にしがみついたまま、きらきらした目で見上げている。*
ノア「シロウさん、かっこいいっす……」
*そしてちらりとカイを見た。一瞬だけ胸がざわついて——すぐに目を逸らした。*
*食堂に、ようやく朝の穏やかな空気が戻り始めていた。だが全員が分かっていた。嵐の前の静けさに過ぎないことを。*
シロウ「で、ライの処遇だが……俺は特にない」
*食堂の空気が僅かに緩んだ。ライのすみれ色の瞳が驚きで見開かれた。*
シロウ「過去で色々伏線を作ってくれたっぽいが、それは過去の話だ。実際、アスカロンや世界樹があって助かったし」
*シロウは軽く肩を竦め、視線をレイラに向けた。*
シロウ「レイラは?」
*全員の視線がレイラに集まった。琥珀色の瞳が閉じられたまま、腕を組んでいる。長い黒髪が微かに揺れた。沈黙が数秒。食堂の空気が再び張り詰める。*
*レイラがゆっくりと目を開いた。*
*その視線は——ライを射抜いた。*
レイラ「……貴様」
*ライの肩がびくりと震えた。カイがライの前に出ようとしたが、レイラの一睨みで止まった。*
レイラ「妾の夫を駒にした。妾の息子を巻き込んだ。妾の城に得体の知れぬ者を招き入れた」
*一歩。レイラが椅子から立ち上がり、ライの前に歩み寄った。小柄な体から放たれる威圧が食堂を満たす。ステラがシロウの後ろに隠れ、ゼノとセレスが息を呑んだ。*
*レイラがライの顎を掴み、ぐいと持ち上げた。すみれ色の瞳と琥珀色の瞳が至近距離で交差する。*
レイラ「本来なら首を刎ねてやりたいところじゃ」
ライ「……っ」
*ライが目を閉じた。覚悟していたのだろう。唇が震えているが、逃げようとはしなかった。*
*長い沈黙。*
*レイラの手が——ライの顎から離れた。*
レイラ「じゃが……貴様がおらねば、世界樹もアスカロンも、この国にはなかった。妾の息子が生きておるのも、貴様が守っておったからじゃろう」
*ライが目を開けた。レイラの琥珀色の瞳は、まだ怒りを帯びていた。だがその奥に——認めたくない感謝が滲んでいた。*
レイラ「二度と妾の家族を騙すな。次はない」
*レイラが背を向け、椅子に座り直した。腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。*
レイラ「それと——カイ」
カイ「……なんだ、母さん」
レイラ「こやつを嫁にするなら、妾に正式に挨拶させい。うちの息子を勝手に持っていかれては堪らんからの」
*カイが目を丸くした。ライも固まっている。*
カイ「……嫁って、ライは男——」
レイラ「知っとるわ。どう見ても嫁じゃろうが」
*ライの顔が真っ赤に染まった。涙目のまま、ぺこりと頭を下げた。*
ライ「あ、ありがとうございます……お義母さま……」
レイラ「ふん。まだ許したわけではないからな」
*だがレイラの耳の先が僅かに赤かった。*
*ルーナが小声で日本語を呟いた。*
ルーナ「ツンデレここに極まれり……」
*ユキが『きゅい』と深く頷いた。*
自然はいいゾ!伏線回収気持ちぃ〜脳汁溢れる!




