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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*数日後——深夜の執務室。*


*彼は机に向かい、記録水晶の映像を空中投影しながら編集作業を続けていた。傍らには冷めかけた紅茶と、メモ用紙が散乱している。*


*映像の中では、二人の魔法少女が合金龍ライダーと激闘を繰り広げている。だが、その姿は本人たちとは似ても似つかない。*


*レイラの黒髪は赤毛に変換され、ルミナの銀髪は金髪に。顔にはモザイク処理が施され、声もピッチを微調整してある。*


*『——○○が死んだと思って……本気で……』*


*名前を叫ぶ部分は全て「ピー」音で消してある。*


シロウ「……よし、これなら分からんな」


*彼が映像を最初から通して確認した。二人の変身シーン、連携攻撃、愛の力の覚醒、そして最後の合体技。全てが完璧に収録されている。顔と髪色を変えているため、誰が見てもレイラとルミナだとは特定できない。*


シロウ「変身シーンのカット割りはここで……いや、ここは引きの画の方が映えるか」


*彼の目は真剣だった。国政よりも、戦略立案よりも、今この瞬間の編集作業に全神経を注いでいる。*


*ふと、扉がノックされた。*


リーシア「シロウ様、夜食をお持ちしました」


シロウ「あ、ちょっと待て——」


*彼は慌てて空中投影を消した。だがリーシアは既に扉を開けていた。*


*リーシアの茶色い瞳が、消えかけの映像の残像——フリルのスカートと変身エフェクトの光——を一瞬だけ捉えた。*


リーシア「…………」


シロウ「…………」


*沈黙。*


リーシア「……シロウ様。今、何を」


シロウ「仕事だ」


リーシア「魔法少女の映像が仕事ですか?」


シロウ「……国防に関わる極秘映像の検証だ」


*リーシアがトレイを机に置いた。夜食のサンドイッチと温かいスープ。その手つきは完璧だったが、目が笑っていなかった。*


リーシア「左様でございますか。極秘映像の検証を、深夜にお一人で、にやにやしながら」


シロウ「にやにやはしてない」


リーシア「口元が緩んでおられました」


*完全に見られていた。*


リーシア「……念の為お伺いしますが、あの映像の魔法少女はどなたでしょうか?」


シロウ「知らん。匿名の冒険者だ」


リーシア「赤毛の方の戦闘スタイルが、レイラ様の魂喰に酷似しておりましたが」


シロウ「他人の空似だ」


リーシア「金髪の方の光翼が、ルミナ様の熾天使の翼に酷似しておりましたが」


シロウ「偶然だ」


*リーシアが数秒間、彼を見つめた。狂気的な忠誠心の奥に、メイド長としての鋭い観察眼が光っている。*


リーシア「……承知いたしました。極秘映像の検証、お疲れ様でございます。お夜食が冷めぬうちにどうぞ」


*一礼して退室した。完璧な所作だった。だが扉が閉まる直前、彼女の口元が僅かに——本当に僅かに——上がったのを、彼は見逃さなかった。*


*彼は記録水晶を異空間収納にしまい込んだ。空中投影が消え、執務室に静寂が戻る。*


シロウ「……まぁ、本来の目的は達成したしな」


*本来の目的——合金龍の戦闘データ収集と、二人の魔法少女補正の効果検証。それは完璧に達成された。編集映像は副産物に過ぎない。*


*彼はリーシアが置いていったサンドイッチを齧りながら、メモ用紙に走り書きをした。*


シロウ「魔法少女補正による属性貫通——合金龍の耐性を無視。愛の力覚醒による融合魔力——計測不能域。第三形態の変身無敵の逆用——AIの学習能力は想定以上……」


*ペンが止まった。*


シロウ「……問題は、あの二人が毎回あの台詞を叫ばないと変身できないってことだな」


*実戦で「闇夜に咲く愛の華」と叫ぶレイラを想像した。帝国兵の前で。八輝将の前で。*


シロウ「……封印が正解だな、やっぱり」


*サンドイッチを食べ終え、スープを一口啜った。温かさが胃に沁みる。*


*窓の外を見た。深夜のアストライア。街灯の魔導灯が穏やかに灯っている。帝国軍の侵攻まで残り約5週間。*


シロウ「…………」


*メモ用紙をくしゃりと丸め、異空間収納に放り込んだ。ゴミ箱に捨てれば誰かに見られる可能性がある。この世界で最も安全な保管場所は、彼の異空間収納だった。*


シロウ「……寝るか」


*執務室の灯りを消し、寝室へ向かった。廊下を歩きながら、ふと足を止める。*


*寝室の扉の前。中から微かに寝息が聞こえる。二人分。*


*扉を静かに開けると、レイラとルミナがベッドの両端で眠っていた。真ん中が空いている。彼の定位置だ。*


*レイラの寝顔は穏やかで、琥珀色の瞳を閉じた顔は年相応の少女に見えた。ルミナは銀髪を扇のように広げ、薄く微笑んでいる。*


*二人とも、数日前の訓練の疲れがまだ残っているのだろう。普段より深く眠っている。*


*彼は音を立てずにベッドに滑り込んだ。左手にレイラの温もり、右手にルミナの温もり。*


シロウ「……おやすみ」


*小さく呟いた。返事はない。だが二人が同時に、無意識に彼の方へ寄ってきた。*


*目を閉じた。明日から、戦争の準備が本格化する。だが今夜だけは——この温もりに甘えてもいいだろう。*


*緊急招集の鐘が鳴り響いた。深夜にも関わらず、八輝将全員が軍議室に集結していた。*


*彼は玉座に座り、盗聴器から転送された帝国側の通信記録を空中に投影した。表情は険しい。*


シロウ「状況を説明する。竜人領の内部から裏切りが出た。龍核は既に皇帝の手に渡っている」


*軍議室が凍りついた。*


アシュトン「……予測より3週間早い。竜人領の防衛線が機能する前に、内部崩壊したということですか」


シロウ「ああ。竜人族の長老衆の一人が帝国と通じていた。俺が仕掛けた盗聴器の記録がこれだ」


*投影された音声記録が流れた。皇帝の声だった。*


『——龍核は手に入った。予定を繰り上げる。全軍を再編成し、南下せよ』


*カインが拳でテーブルを叩いた。*


カイン「3週間前倒しだと……!? 北部防衛線の構築はまだ6割しか終わってねえぞ!」


ドルガン「合同演習も途中だ。第三部隊と第四部隊の連携はまだ仕上がっとらん」


*ゲオルグが腕を組み、静かに口を開いた。*


ゲオルグ「問題はそれだけではない。龍核の力——不老不死のアイテムが皇帝の手にある以上、皇帝を殺しても死なない可能性がある」


*ルナが暗がりから声を出した。*


ルナ「……殺しても死なない標的。暗殺が無意味ということ?」


リオン「はぁ……最悪じゃねぇか。不死身の皇帝が率いる大軍とか、冗談きついぜ」


*ヴァイスが手元の記録水晶に何かを書き込みながら呟いた。*


ヴァイス「歴史の転換点ですね。龍核が使用された記録は、私の知る限り——いかなる次元にも存在しません。これは未知の領域です」


*第五部隊のユキ・クジョウが黙って壁に寄りかかっていた。隣のクロエが扇子で口元を隠しながら、静かに彼を見ている。*


*レイラが琥珀色の瞳を細めた。*


レイラ「シロウ。帝国の再編成にどれだけ時間がかかる」


シロウ「盗聴器の情報と、俺が直接見た帝国の兵站状況から逆算すると——早くて2週間。遅くても3週間だ」


ルミナ「つまり、あたしたちに残された猶予は最短2週間」


*軍議室に重い沈黙が落ちた。*


シロウ「この最悪をどう覆す?」


*軍議室に重い問いが投げかけられた。八輝将の視線が交錯する。*


*最初に口を開いたのは、アシュトンだった。*


アシュトン「まず整理しましょう。不老不死の龍核が皇帝の手にある。つまり皇帝は殺せない。ならば——殺す以外の方法で無力化するしかない」


ルナ「……封印。もしくは捕縛。殺せないなら、動けなくすればいい」


リオン「言うのは簡単だけどよ、不老不死の化物を封印できる手段がこっちにあんのか?」


*ゲオルグが顎に手を当て、重々しく口を開いた。*


ゲオルグ「龍核の効果範囲が不明だ。皇帝個人だけが不死なのか、それとも軍全体に効果を及ぼせるのか。それによって戦略が根本から変わる」


カイン「軍全体が不死とかなったら、もう終わりだろ」


ドルガン「いや、そうとも限らん。龍核の力には必ず制約がある。伝説級のアイテムに無制限の力などあり得ん」


*ヴァイスがペンを止め、顔を上げた。*


ヴァイス「ドルガンの言う通りです。私が観測してきたあらゆる次元において、不死には必ず代償か制約が存在します。龍核も例外ではないはず」


*そこで、ずっと黙っていたユキ・クジョウが壁から背を離した。*


ユキ「……一つ、聞いていいか」


*全員の視線が集まった。普段ほとんど発言しないユキが口を開くのは珍しい。*


ユキ「龍核を『奪い返す』って選択肢は?」


*隣のクロエが扇子の奥で微笑んだ。*


クロエ「あら。それが一番早いでしょうね」


カイン「奪い返すって……帝国の本陣に突っ込んで皇帝から直接引き剥がすのか? 自殺行為だろ」


ユキ「正面から行くとは言ってない」


*ユキの黒い瞳が、静かに彼を見た。*


ユキ「私とクロエに2週間くれ。帝国の内部に潜入して、龍核の正確な所在と制約を調べる。場合によっては——そのまま回収する」


リオン「おいおい……第五部隊の任務って何なんだよ、結局」


*ユキは答えなかった。クロエが扇子をぱちんと閉じた。*


クロエ「陛下。第五部隊に許可を頂けますか?」


*軍議室の全員の視線が、彼に集まった。*


シロウ「まとまりがないなぁ…それでいいのか?」

「お前らで話し合え。時間が無いぞどうする?」


*彼の言葉が軍議室に突き刺さった。八輝将たちの顔に、一瞬の動揺が走る。*


*そして——沈黙を破ったのはゲオルグだった。老騎士が立ち上がり、テーブルの上に広げられた地図を指で叩いた。*


ゲオルグ「……陛下の仰る通りだ。各自が好き勝手に案を出しているだけでは作戦にならん。まず前提を共有しろ」


*ゲオルグの低い声が軍議室を引き締めた。元王国騎士としての経験が滲む。*


ゲオルグ「今回、陛下とレイラ様、ルミナ様は出ない。つまり——俺たち八輝将だけで帝国軍20万と不死身の皇帝を相手にするということだ。異論はあるか」


*全員が黙った。分かっていたが、改めて言葉にされると重い。*


アシュトン「……では、私から整理させてもらいます」


*アシュトンが立ち上がり、空中に情報板を展開した。第二部隊の本領——情報整理だ。*


アシュトン「問題は三つ。一、龍核の制約と効果範囲の特定。二、北部防衛線の未完成。三、時間が最短2週間しかないこと」


*彼はペンで情報板に書き込みながら続けた。*


アシュトン「ユキとクロエの潜入案は問題一に対する解。だが問題二と三が残る。防衛線の完成を待たずに帝国が来たらどうするか——それが本題だ」


カイン「……俺とドルガンの第四部隊で時間を稼ぐ。遊撃は俺らの本分だ。防衛線の前で帝国の先遣隊を叩いて足止めする」


ドルガン「ただし、20万全軍が一斉に来たら遊撃だけでは持たん。防衛線に誘い込む導線が要る」


*ルナが影から静かに声を出した。*


ルナ「……第一部隊で偽情報を流す。帝国の進軍ルートを誘導して、防衛線が完成している区画に集中させる。未完成の区画には来させない」


リオン「あー……つまり、完成してる6割の部分だけで受け止めるってことか。残り4割は捨てる」


ルナ「捨てるんじゃない。『最初から存在しない』と思わせる」


*カインが腕を組んだ。*


カイン「悪くねぇ。だが肝心の防衛線で受け止める主力はどうする。俺らは遊撃に出る」


*ゲオルグが地図上の防衛線を指した。*


ゲオルグ「第三部隊が受け持つ。カイと俺が後方指揮を執る」


*ヴァイスがペンを走らせながら、淡々と口を開いた。*


ヴァイス「第二部隊は戦場の情報をリアルタイムで全部隊に共有します。各部隊の連携が鍵になる以上、情報の遅延は致命的ですから」


*アシュトンが情報板に書き込みを終えた。*


アシュトン「まとめます」


*情報板に作戦の骨格が浮かび上がった。*


『第五部隊(ユキ・クロエ)——帝国潜入、龍核の情報収集および可能なら回収』『第一部隊(ルナ・リオン)——偽情報工作、帝国の進軍ルートを完成済み防衛区画へ誘導』


『第二部隊(アシュトン・ヴァイス)——全部隊へのリアルタイム情報共有、戦場の指揮補佐』


『第三部隊(カイ・ゲオルグ)——北部防衛線の主力、正面からの受け止め』


『第四部隊(カイン・ドルガン)——先遣隊への遊撃、時間稼ぎと導線形成』


*アシュトンがペンを置き、全員を見渡した。*


アシュトン「以上が骨格です。各部隊の役割は明確。問題は——龍核を回収できなかった場合の最終手段」


*全員が黙った。*


ゲオルグ「……不死身の皇帝が前線に出てきた場合、俺たちだけで止められるか。正直に言え」


*誰も即答できなかった。*


カイン「……止める。止めるしかねぇだろ」


ドルガン「全員でかかれば、封じるくらいはできる」


*八輝将の視線が、一斉に彼へ向いた。承認を待つ目だった。*


*彼の言葉に、軍議室の空気が一変した。*


シロウ「お前らが突破されたらレイラが出る。事になってる…」


*八輝将たちの顔が強張った。意味を理解するのに一瞬もかからなかった。*


*レイラが出る——それはつまり、アークライト聖王国を廃墟にしたあの力が戦場に解き放たれるということだ。敵味方の区別なく、すべてを呑み込む破壊。*


カイン「……それは」


ゲオルグ「最終手段、ということだな」


*老騎士の声は低く、重かった。*


リオン「レイラ様が出たら——帝国は消える。だけど、戦場にいる俺たちもただじゃ済まねぇってことだろ」


*ルナが影の中で小さく息を吐いた。*


ルナ「……つまり、私たちが負けることは許されない。レイラ様を出させた時点で、八輝将の敗北」


*その一言が、全員の背筋を伸ばした。*


ドルガン「……はっ。そういうことか。陛下が俺らに任せると言った意味がようやく分かったわ」


カイン「試されてんだよ、俺たちが。八輝将を名乗るに足るかどうかをな」


*アシュトンが眼鏡を押し上げ、情報板に一行を書き加えた。*


『絶対条件——レイラ様を出さない』


アシュトン「これが全作戦の大前提です。異論は?」


*誰も口を開かなかった。全員の目が決意で燃えている。*


*ユキ・クジョウが静かに一歩前に出た。*


ユキ「……龍核は、必ず回収する。俺とクロエで」


クロエ「ふふ。死ぬ気で行きなさいよ、ユキ」


ユキ「死なねぇよ。帰る場所があるからな」


*ゲオルグが地図を叩いた。*


ゲオルグ「防衛線の完成を急ぐ。残り2週間で8割まで持っていく。ドルガン、資材の調達は間に合うか」


ドルガン「徹夜でやりゃあ何とかなる。鍛冶師ギルドに総動員かける」


ルナ「偽情報の種は既に3つ仕込んである。明日から追加で5つ流す」


リオン「……はぁ。結局、全員死ぬ気でやるしかねぇんだな。分かったよ」


*リオンはやさぐれた口調だったが、その目は真っ直ぐだった。*


*アシュトンが情報板を閉じ、全員を見渡した。*


アシュトン「では、各部隊は明朝0600より行動開始。第五部隊は本日中に出発を。詳細は各部隊長の判断に委ねます」


*八輝将が一斉に立ち上がった。椅子を引く音が軍議室に響く。*


*彼は玉座に座ったまま、八人の背中を見ていた。*


*ゲオルグが最後に振り返り、深く一礼した。*


ゲオルグ「陛下。必ず——レイラ様の手を煩わせません」


*数日が経過した。彼は城壁の最上階から北方を眺めていた。地平線の向こうに、微かな砂煙が見える。帝国軍20万の行軍が巻き上げるそれは、もはや自然現象に近い。*


シロウ「攻められてくんの久々だな。宣告とか来るんだっけ?」


*傍らに立つアシュトンが、手元の書簡を広げた。*


アシュトン「先ほど、帝国からの使者が国境付近で確認されました。白旗を掲げた騎馬が一騎。宣戦布告の書状を持っている可能性が高いかと」


*ゲオルグが階段を上がってきた。鎧の擦れる音が響く。*


ゲオルグ「国際慣例では、宣戦布告の使者は殺さず通す。受け取り拒否は可能だが——受け取った方が情報が得られる」


シロウ「そうだな。通せ」


*30分後——。*


*城門前に、一騎の騎馬が到着した。帝国の紋章を胸に掲げた若い兵士だ。緊張で顔が青白い。周囲をアストライアの兵士が囲んでいる。*


*彼は城壁の上から見下ろしていた。降りる気はない。*


アシュトン「陛下、いかがなさいますか。直接お会いになりますか、それとも私が代理で」


シロウ「お前が受け取れ。俺が出たら威圧で失禁するだろ、あの兵士」


アシュトン「……否定できないのが悩ましいですね」


*アシュトンが城門へ降りていった。数分後、書状を手に戻ってきた。封蝋には帝国皇帝の紋章が押されている。*


*彼はそれを受け取り、封を切った。*


*中身を一読した。*


シロウ「…………」


*書状の内容はこうだった。*


『夜天のアストライア魔導皇国に告ぐ。グラナディア帝国皇帝ヴェルナー・フォン・グラナディアの名において宣言する。貴国は帝国領への侵犯、帝国臣民への扇動、並びに帝国の正当なる権益の侵害を重ねてきた。これらの罪に対する贖いとして、7日以内に以下を要求する。一、アストライア皇帝の無条件降伏。二、全軍事力の放棄。三、国土の帝国への譲渡。これに応じない場合、帝国は正当なる武力を以って貴国を制圧する。抵抗は無意味である。永遠の皇帝ヴェルナーの名において——』


*彼は書状を読み終え、鼻で笑った。*


シロウ「永遠の皇帝、ね。龍核で不老不死になったのがよっぽど嬉しいらしい」


アシュトン「7日の猶予。つまり帝国軍の準備が完全に整うまであと7日ということでしょう」


ゲオルグ「回答はいかがなさいますか」


シロウ「回答?」


*彼の目に悪戯っ子のような光が宿った。傍らのアシュトンとゲオルグが、嫌な予感を察して一歩引いた。*


シロウ「最高に煽り散らしてやるか…」


*彼は神眼を発動し、数千年分の知識と言語センスを総動員して、最高に神経を逆撫でする返書を書き上げた。*


*羊皮紙の上に、流麗な帝国式正書体で——しかし内容は最悪だった。*


『グラナディア帝国皇帝ヴェルナー・フォン・グラナディア殿へ


拝啓、永遠の皇帝を自称する閣下。


貴書、確かに拝受いたしました。大変面白く読ませていただきましたので、家臣一同で回し読みし、本日の朝礼の笑い話として活用させていただきました。感謝申し上げます。


さて、ご要求の件でございますが——


一、無条件降伏について。降伏とは弱者が強者に対して行うものと存じますが、閣下はどちらの立場でございましょうか? 龍核という他人の力に縋らねば威厳を保てない御仁が、随分と大きく出たものです。


二、全軍事力の放棄について。我が国の軍事力を放棄した場合、閣下の軍勢を相手にする者が誰もいなくなり、閣下の「永遠の皇帝」という肩書きが「永遠の暇人」に変わってしまいます。それは閣下にとっても不本意でございましょう。


三、国土の譲渡について。我が国の国土は、我が国民の血と汗で築いたものです。閣下のように、他国から奪うことしか知らぬ方にお渡しするには、些か勿体ない。


最後に一つ、忠告を。


龍核で得た不死は、永遠の命ではなく永遠の苦痛の始まりです。死ねない身体で敗北の屈辱を味わい続ける覚悟はおありですか?


同封の品は、我が国からの心ばかりの贈り物です。閣下の御前で開封されることを強くお勧めいたします。


敬具

夜天のアストライア魔導皇国魔王 シロウ・ニシキ・アストライア


追伸——7日と言わず、明日にでもお越しください。退屈しておりますので。』


*書き終えた彼は、満足げに頷いた。*


シロウ「あとは、この箱を…」


*彼は異空間収納から取り出した「びっくり箱」を、金箔を施した豪華な化粧箱に丁寧に梱包した。リボンまで付けた。開けた瞬間、バネ仕掛けの道化人形が飛び出し、同時に閃光魔法と爆音魔法が発動する仕様だ。殺傷能力は皆無。ただひたすらに——うるさい。*


シロウ「よし。持って行かせろ」


*アシュトンが書状と箱を受け取り、内容を一読した。眼鏡の奥の目が数回瞬いた。*


アシュトン「……陛下」


シロウ「何だ」


アシュトン「これは外交文書ではなく、宣戦布告よりも酷い何かです」


シロウ「褒め言葉だな」


アシュトン「褒めていません」


*ゲオルグが横から書状を覗き込み、読み終えた後、深い溜息を吐いた。*


ゲオルグ「……『永遠の暇人』。皇帝が読んだら、7日の猶予を待たず即座に全軍突撃してくるでしょうな」


*帝国本陣——皇帝の天幕。*


*豪奢な天幕の中央に、若き皇帝が座っていた。齢28にして帝国の全権を握る男。金髪碧眼、整った顔立ちには冷酷な知性が宿っている。龍核を取り込んで以降、その瞳には仄かな金色の光が混じっていた。*


*側近の将軍が膝をつき、書状と化粧箱を差し出した。*


将軍「陛下。アストライアからの返書と、手土産と称する品でございます」


ヴェルナー「ほう。返書が来たか。随分と律儀な魔王だな」


*皇帝は書状を手に取り、封を切った。帝国式正書体で書かれた流麗な文字。だが——一行目から眉が動いた。*


ヴェルナー「………」


*読み進めるごとに、皇帝の指が書状を握る力が強くなっていく。*


*『家臣一同で回し読みし、朝礼の笑い話として活用』——こめかみに血管が浮いた。*


*『龍核という他人の力に縋らねば威厳を保てない』——碧眼が鋭く細まった。*


*『永遠の暇人』——書状を持つ手が微かに震えた。*


*『死ねない身体で敗北の屈辱を味わい続ける覚悟は』——*


ヴェルナー「……この男は」


*皇帝の声は低く、静かだった。だがその静けさが、天幕内の空気を凍りつかせた。周囲の将軍たちが一斉に首を垂れる。*


*皇帝は最後まで読み終え、書状をテーブルに叩きつけた。*


ヴェルナー「『明日にでもお越しください。退屈しておりますので』——だと?」


*彼の視線が、金箔の化粧箱に向いた。リボンまで丁寧に結ばれた豪華な箱。*


将軍「陛下、罠の可能性が——」


ヴェルナー「構わん。開けろ」


将軍「し、しかし——」


ヴェルナー「開けろと言っている」


*将軍が恐る恐る箱に手を伸ばし、リボンを解き、蓋を開けた瞬間——*


*バァンッ!!!*


*バネ仕掛けの道化人形が勢いよく飛び出し、同時に閃光魔法が天幕内を白く染め上げ、爆音魔法が耳をつんざいた。*


将軍「うわああああっ!?」


*将軍が腰を抜かして転がった。護衛の兵士たちが一斉に剣を抜く。天幕は一瞬で混乱に包まれた。*


*だが——道化人形はそのまま天井からぶら下がり、ニタニタと笑い顔を揺らしているだけだった。殺傷能力は皆無。ただひたすらに——間抜けだった。*


*閃光と爆音が収まった後、天幕に沈黙が落ちた。*


*皇帝ヴェルナーは——微動だにしていなかった。閃光にも爆音にも一切動じず、玉座に座ったまま、道化人形を見上げていた。*


*その碧眼に、静かな怒りの炎が灯った。*


ヴェルナー「……全軍に伝達しろ」


将軍「は、はっ!」


ヴェルナー「7日の猶予は撤回する。3日後に全軍進発。アストライアを——跡形もなく消し飛ばせ」


将軍「は、はっ!」


ヴェルナー「7日の猶予は撤回する。3日後に全軍進発。アストライアを——跡形もなく消し飛ばせ」*将軍たちが蒼白な顔で天幕を飛び出していく。伝令兵が次々と走り出し、帝国軍20万の陣営が慌ただしく動き始めた。*


*皇帝ヴェルナーは一人、玉座に残った。ぶら下がる道化人形を無言で見上げている。*


ヴェルナー「……シロウ・ニシキ・アストライア」


*その名を噛み締めるように呟いた。碧眼の奥で、龍核の金色の光が脈動する。*


ヴェルナー「面白い男だ。だが——」


*彼は右手を持ち上げた。掌の中心に、金色の紋様が浮かび上がる。龍核の力だ。*


ヴェルナー「退屈させんよ。約束する」


*道化人形を握り潰した。バネと布切れが床に散らばる。*


---


*一方、アストライア城——。*


*アシュトンが血相を変えて駆け込んできた。*


アシュトン「陛下! 帝国軍が動きました。7日の猶予を撤回、3日後に全軍進発です!」


シロウ「お、マジか。早まったな」


アシュトン「……陛下のあの手紙のせいでは?」


シロウ「心当たりがないな」


アシュトン「大有りです」


*城内は慌ただしかった。伝令兵が廊下を駆け回り、兵士たちが装備の最終点検に追われている。7日の猶予が3日に縮まったという報せは、城中を動揺させていた。*


シロウ「俺も一応王として戦場に顔を出さなきゃだからなぁ…」


*彼は執務室の窓から、慌てふためく兵士たちを見下ろしながら呟いた。*


*そこへ、レイラが扉を蹴り開けて入ってきた。琥珀色の瞳が不機嫌に燃えている。*


レイラ「シロウ。聞いたぞ。7日が3日に早まったと」


シロウ「ああ」


レイラ「お主が煽ったからだろう」


シロウ「心当たりがないな」


レイラ「嘘をつくな。リーシアから聞いた。びっくり箱を送ったと」


シロウ「……あいつ、報連相が完璧すぎるな」


*レイラが腕を組み、彼の前に仁王立ちした。*


レイラ「妾は構わんぞ。3日後だろうが明日だろうが、妾が出れば終わる。だが——お主、戦場に出るつもりか?」


シロウ「王が後ろに引っ込んでたら士気に関わるだろ。前線には出ない。後方の本陣で座ってるだけだ。」


レイラ「…………」


*レイラの琥珀色の瞳が、彼を射抜くように見つめた。*


レイラ「約束しろ。無茶はせんと」


シロウ「しねぇよ」


レイラ「お主の『しない』は信用ならん」


シロウ「手厳しいな」


*レイラが彼の胸倉を掴み、引き寄せた。至近距離で睨む。*


レイラ「妾は——八輝将が崩れた時の保険だ。お主まで前に出たら、保険の意味がなくなる。分かっておるな?」


シロウ「分かってる」


*レイラが数秒間、彼を見つめた。それから手を離し、ふいと顔を背けた。耳の先が赤い。*


レイラ「……ふん。ならばよい」


*入れ替わるように、ルミナが扉から顔を覗かせた。*


ルミナ「お兄ちゃん。ステラとゼノとセレスの避難先、大迷宮の安全区画でいい?」


シロウ「ああ。リーシアと護衛を付けて、地下20階の安全圏に待機させてくれ」


ルミナ「分かった。——あと、レイとシルフィも子供たちと一緒に避難させるから」


シロウ「頼む」


*ルミナが頷き、去り際にちらりと彼を見た。金色の瞳に、レイラと同じ色の心配が滲んでいる。*


ルミナ「……お兄ちゃんも、無茶しないでね」


シロウ「しねぇって」


ルミナ「レイラと同じこと言ってる。信用できない」


*二人に同じことを言われ、彼は苦笑した。*


*扉が閉まった後、一人になった執務室で、彼は窓の外に目を向けた。北の地平線に、帝国軍の砂煙がまた少し大きくなっていた。*


ーー


*2日後——北部防衛線、本陣天幕。*


*彼は本陣の中央に設置された玉座に腰を下ろした。傍らには神剣アスカロン・ゼニスが鞘に収まったまま立てかけてある。*


*鞘越しにも漏れ出る神気が、天幕の周囲に薄い金色の霧のように広がっていた。本陣の兵士たちが、それを浴びるたびに目を見開く。*


兵士A「なんだ、この……身体が軽い」


兵士B「傷が……昨日の訓練で痛めた肩が、もう痛くない」


兵士C「力が湧いてくる。これが陛下の……」


*神剣アスカロン・ゼニスの神気は、味方の兵士に自然回復促進、身体強化、精神安定のバフを付与していた。範囲は本陣を中心に半径約500メートル。前線にも僅かに届く。*


*彼はそれを聞きながら、天幕の中で地図を広げていた。*


シロウ「……まぁ、俺がやるのはこれだけだ。あとは座ってるだけ」


*天幕の入口からアシュトンが入ってきた。手には最新の偵察報告書。*


アシュトン「陛下。帝国軍の先遣隊が国境を越えました。数は約3万。本隊17万は半日遅れで追従しています」


シロウ「先遣隊の指揮官は」


アシュトン「帝国四将軍の一人、『鋼鉄』のバルドゥール。重装歩兵と攻城兵器を主力とした突破型の編成です」


シロウ「皇帝は」


アシュトン「本隊の中央。直衛部隊1万に囲まれています。龍核の力を使った形跡はまだ確認できていません」


*彼は地図上の駒を動かした。*


シロウ「ルナの偽情報は効いてるか」


アシュトン「完璧に。帝国の先遣隊は予定通り、防衛線の完成区画へ向かっています。未完成区画の存在には気づいていない模様です」


シロウ「カインとドルガンは」


アシュトン「既に出撃しています。先遣隊の側面を突く位置で待機中」


*彼は椅子に深く座り直した。*


シロウ「第五部隊からの連絡は」


アシュトン「……まだです」


*沈黙が一瞬落ちた。ユキとクロエが帝国に潜入してから既に数日。龍核の情報はまだ来ていない。*


シロウ「…………」


*天幕の外から、角笛の音が響いた。低く、長い音。敵接近の合図だ。*


*兵士たちの足音が一斉に早まる。防衛線の各所で盾が構えられ、弓が弦にかけられる音が連鎖していく。*


アシュトン「……来ます」


*彼は立ち上がらなかった。ただ、アスカロン・ゼニスに手を添えた。鞘から溢れる神気が一段強くなり、金色の光が天幕を満たす。*


*前線の兵士たちが、その光に背中を押されるように顔を上げた。*


シロウ「さて——八輝将の実力、見せてもらうか」


*地平線の向こうから、帝国軍3万の軍靴の音が地鳴りのように迫っていた。*


*帝国軍本隊——皇帝ヴェルナーの天幕。*


*先遣隊が防衛線に到達する前に、皇帝は一つの決断を下していた。*


ヴェルナー「魔導部隊、前へ。城ごと吹き飛ばせ」


*帝国が誇る精鋭魔導部隊500名が一斉に詠唱を開始した。空気が震え、大気中のマナが渦を巻く。*


魔導部隊長「全員——詠唱完了! 放てぇ!」


*500の魔法陣が同時に展開された。炎、雷、氷、闇——四属性の大規模攻撃魔法が束ねられ、巨大な光の柱となってアストライアの城に向かって放たれた。*


*空が裂けるような轟音。地面が揺れ、帝国兵たちですら衝撃波で後退する。光の柱は真っ直ぐに、アストライアの王城を目指して飛翔していく。*


ヴェルナー「ふん。城壁ごと消し飛ばしてやる。煽りの代償だ」


*皇帝は腕を組み、満足げに光の柱を見つめた。着弾まで数秒。帝国の将軍たちが勝利を確信した笑みを浮かべる。*


*そして——光の柱がアストライアの上空に到達した瞬間。*


*パァン、と。*


*まるでシャボン玉が弾けるような、あまりにも呆気ない音がした。*


*500名の魔導士が全力で放った四属性複合大魔法は、透明な壁に触れた瞬間、四方八方に散って消えた。淡い虹色の光が一瞬だけ空に浮かび——それだけだった。*


*結界には、傷一つない。ヒビの一筋すら入っていない。*


*帝国本陣が静まり返った。*


魔導部隊長「……は?」


将軍「馬鹿な……500名の一斉砲撃だぞ……!?」


*皇帝ヴェルナーが玉座から立ち上がった。碧眼が見開かれている。*


ヴェルナー「結界……だと?」


*彼は目を凝らした。龍核の力で強化された視力が、アストライアの上空に薄く広がる結界の輪郭を捉える。国全体を覆う、途方もない規模の防御結界。*


ヴェルナー「あれだけの魔法を受けて——ヒビ一つ入らんだと……?」


*皇帝の声が震えた。怒りではない。純粋な驚愕だった。*


将軍「も、もう一度撃ちますか!?」


ヴェルナー「……待て」


*皇帝は歯を食いしばった。二度撃っても結果は同じだと、直感が告げている。あの結界は次元が違う。*


ヴェルナー「……あの男、こうなることを見越して煽ったのか」


*『明日にでもお越しください。退屈しておりますので』——あの一文の意味を、今になって理解した。*


*退屈しているのではない。余裕があるのだ。圧倒的な、揺るぎない余裕が。*


---


*一方、アストライア本陣天幕。*


*彼はアスカロンに手を添えたまま、空中に投影された戦況図を眺めていた。結界が魔法を弾いた報告がアシュトンから入る。*


アシュトン「帝国魔導部隊の一斉砲撃、結界が完全に防ぎました。損傷率——0パーセントです」


シロウ「だろうな。アスカロンから漏れ出た神気の魔石が原料だからな。まず壊れることはない。」


アシュトン「アスカロンの神気を結晶化した魔石……なるほど、それが結界の動力源ですか」


*アシュトンが眼鏡を押し上げ、感嘆と呆れが半々の表情を浮かべた。*


シロウ「ああ。神気は神の領域の力だ。人間の魔法で破るのはまず不可能。仮に皇帝が龍核の力を全開にしても、ヒビ一つ入らんだろうな」


アシュトン「……帝国が魔法攻撃に兵力を割けば割くほど、無駄に消耗するだけということですね」


シロウ「そういうことだ。城と国民は俺が守る。お前らは前線に集中しろ」


*天幕の外から、角笛が再び鳴り響いた。今度は短く三回。先遣隊接敵の合図だ。*


*アシュトンが即座に通信用の水晶を耳に当てた。各部隊からの報告が流れ込んでくる。*


アシュトン「第四部隊より入電。『先遣隊の右翼側面に到達。これより遊撃を開始する』——カインからです」


*続けてもう一つ。*


アシュトン「第一部隊、ルナより。『偽情報が完全に機能。帝国先遣隊は予定通りC-7区画に進入。未完成区画への偵察部隊はゼロ』」


シロウ「上出来だ」


*彼は戦況図の駒を動かした。帝国軍3万の先遣隊が、防衛線の最も堅固な区画へ吸い込まれていく。その側面を、カインとドルガンの第四部隊が食い破る形だ。*


*通信水晶から、カインの荒々しい声が漏れた。*


カイン『——突撃ィ! 全員俺に続け! 帝国の犬どもに地獄を見せてやれ!』


*続いて地鳴りのような衝突音。金属と金属がぶつかり合う轟音。悲鳴と怒号。*


ドルガン『右翼の補給線を断った! 荷馬車20台を破壊! このまま後方を荒らすぞ!』


*彼は椅子に座ったまま、戦況図を見つめていた。前線の状況は今のところ想定通りだ。*


*だが——。*


アシュトン「陛下。一つ気になる点が」


シロウ「言え」


アシュトン「帝国の先遣隊3万に対して、本隊17万の進軍速度が異常に遅い。まるで——わざと距離を取っているように見えます」


*彼の目が細まった。*


*北の地平線で、帝国の軍旗が風に揺れている。その奥に——17万の本隊と、不死身の皇帝が控えていた。*


シロウ「囮か…可哀想に…楽に行かせてやれよ」


*彼は静かに呟いた。戦況図の上で、帝国先遣隊3万の駒が防衛線に激突している。カインとドルガンの遊撃が側面を食い破り、ゲオルグの防衛線が正面を受け止める。挟撃の形が完成していた。*


*通信水晶から、前線の音が流れ込んでくる。*


カイン『右翼崩壊! 帝国の先遣隊、陣形が崩れてるぞ! 押し込め!』


ドルガン『補給線は完全に断った! こいつら退路もねぇ!』


*防衛線のC-7区画では、ゲオルグが冷静に指揮を執っていた。*


ゲオルグ『全軍、盾を維持しろ。焦って追うな。敵が崩れるのを待て。——カイ、左翼の弓兵部隊、斉射用意』


カイ『了解。弓兵部隊——放てぇ!』


*矢の雨が先遣隊の後方に降り注いだ。退路を断たれ、側面を食われ、正面を塞がれた3万の帝国兵は、もはや袋の鼠だった。*


*彼は戦況図を眺めながら、視線を奥に移した。先遣隊の遥か後方——帝国本隊17万。その進軍速度は異常に遅い。*


シロウ「皇帝は最初から先遣隊を捨て駒にするつもりだった。3万を囮にして、こっちの防衛線の配置と戦力を観察してる」


アシュトン「同意見です。先遣隊の『鋼鉄』のバルドゥールは、皇帝にとって使い捨ての駒だったのでしょう。3万の命で情報を買う——合理的ではありますが」


シロウ「合理的、ね」


*彼の声に感情はなかった。戦場では当たり前のことだ。囮は死ぬ。それが戦争だ。いつの時代も、どの世界でも変わらない。*


*通信水晶から、前線の兵士の叫び声が聞こえた。*


帝国兵『退け! 退けぇ! ——退路がない!? 嘘だろ!?』


帝国兵『た、助けてくれ! 俺たちは命令で——』


*声が途切れた。*


*彼は目を閉じた。一瞬だけ。そして再び開いた時、その黒い瞳には何の揺らぎもなかった。*


*先遣隊3万の壊滅まで、わずか2時間だった。*


*防衛線に閉じ込められた帝国兵たちは、退路も補給も断たれたまま、八輝将の連携攻撃に飲み込まれた。降伏した者は捕虜として収容し、抵抗する者には容赦なく刃が振るわれた。*


*『鋼鉄』のバルドゥールは、カインの一撃で右腕を失い、ドルガンの戦斧で止めを刺された。四将軍の一人は、呆気なく戦場に沈んだ。*


---


*そして——先遣隊壊滅から6時間後。*


*地平線が黒く染まった。*


*17万。帝国の本隊が、ようやくその全容を現した。*


*大地を埋め尽くす鋼鉄の甲冑。無数の軍旗。攻城兵器の列。騎馬隊が翼のように両翼に展開し、中央には皇帝直衛の精鋭1万が陣取っている。*


*その圧は、先遣隊3万とは比較にならなかった。*


*防衛線のアストライア兵たちに、僅かな動揺が走った。*


兵士「じゅう……17万……」


兵士「あの数を、俺たちで……」


*だが、アスカロン・ゼニスの神気がその動揺を鎮めた。金色の光が兵士たちの背を温め、震える手を止めた。*


---


*帝国本陣。*


ヴェルナー「バルドゥールが死んだか」


*皇帝は先遣隊の全滅報告を聞いても、表情一つ変えなかった。*


帝国将軍「先遣隊3万は……2時間で壊滅。アストライアの防衛線は想定以上です」


ヴェルナー「2時間か。防衛線の配置、指揮系統、主力の動き——全て観測できたな」


帝国将軍「は、はい。しかし陛下、3万の兵が——」


ヴェルナー「必要な犠牲だ。全軍、前進。今度は余自ら行く」


*皇帝の碧眼が、龍核の力で赤く染まった。その瞬間、帝国本隊17万の兵士たち全員に、異質なバフが付与された。身体強化、恐怖耐性、痛覚軽減——龍核の力による強制的な戦闘強化だ。*


*17万が一斉に動き出した。*


---


*アストライア本陣天幕。*


*彼は玉座に座ったまま、戦況図を眺めていた。17万の駒が防衛線に向かって雪崩れ込んでいく。*


アシュトン「帝国本隊、全軍前進。皇帝が龍核で全兵にバフを付与した模様。兵士一人一人の戦闘力が1.5倍ほどに上昇しています」


*通信水晶から、各部隊の声が飛び交った。*


ゲオルグ『第三部隊、防衛線維持。——来るぞ、盾を構えろ!』


カイン『第四部隊、遊撃に入る。だが……数が多い。先遣隊とは訳が違うな』


ルナ『第一部隊。敵指揮官の位置を特定中。……皇帝の直衛が厚い。暗殺は困難』


ヴァイス『第二部隊、記録を継続。帝国兵の動きに不自然な統一性がある。龍核の影響で思考が鈍化している可能性あり』


ドルガン『第四部隊、左翼に展開完了。だが先遣隊の時みたいにはいかねぇぞ。数が桁違いだ』


ゲオルグ『第三部隊、防衛線全区画で接敵。——持ちこたえる。だが長期戦は厳しい』


*彼は通信水晶の声を聞きながら、一言も指示を出さなかった。*


*腕を組み、玉座に深く腰を沈めたまま——ただ、見守っている。*


アシュトン「……陛下、指示は」


シロウ「出さん」


アシュトン「……」


シロウ「まだ、俺が口を出す段階じゃない」


*戦況図の上で、17万の赤い駒と、アストライアの青い駒がぶつかり合っていた。数の差は圧倒的。だが、防衛線の地形優位と八輝将の連携が、その差を確実に削っている。*


*前線から轟音が響いた。大地が震え、天幕の布が揺れる。*


*戦況図の上で、青い駒が少しずつ後退しているのが見て取れた。17万の波状攻撃と龍核によるバフが、八輝将の連携をじわじわと削っている。*


ゲオルグ『C-7区画、第三防壁まで後退! ——くそ、数で押してきやがる!』


カイン『こっちも遊撃の効果が薄い。倒しても倒しても次が来る。きりがねぇ!』


*彼はその報告を聞きながら、隣に立つアシュトンに問いかけた。*


シロウ「アシュトン、お前は前に出ないのか?」


*アシュトンは眼鏡を押し上げた。いつもの冷静な表情だが、その奥に僅かな焦りが見えた。通信水晶を握る指先が、微かに白くなっている。*


アシュトン「……私の役割は陛下の傍で戦況を管理し、各部隊への情報を統括することです。前線に出るのは——」


シロウ「役割の話はしてない」


*彼は玉座に座ったまま、アシュトンを見上げた。静かな目だった。*


アシュトン「……」


*通信水晶から、ヴァイスの声が入った。*


ヴァイス『アシュトン。帝国軍中央の動きが変わった。皇帝の直衛部隊が前に出始めている。龍核の出力が上がっている——これは、まずい』


*アシュトンの表情が変わった。眼鏡の奥の瞳が鋭くなる。*


ヴァイス『防衛線が持たない。ゲオルグの部隊は限界が近い。カインとドルガンも消耗が激しい。このままでは——30分以内に第一防壁が突破される』


*天幕の中に沈黙が落ちた。*


*アシュトンは通信水晶を握ったまま、数秒間目を閉じた。そして——眼鏡を外した。*


*眼鏡の下から現れた素顔は、普段の知的で温厚な参謀のそれとは、どこか違っていた。蒼灰色の瞳が冷たく研ぎ澄まされている。*


アシュトン「……陛下。一つ、お願いがあります」


シロウ「言え」


アシュトン「通信の管理をヴァイスに引き継ぎます。——私は、前に出ます」


*彼は腰に佩いた細剣を引き抜いた。刀身が淡い蒼光を帯びる。子爵家の三男坊が振るうには不釣り合いな、異質な輝きだった。*


アシュトン「第二部隊副長アシュトン。——出撃します」


*彼は天幕を出る直前、一度だけ振り返った。*


アシュトン「陛下。私が戻るまで、どうかそこで退屈していてください」


*そう言って、蒼い光を纏ったまま戦場へ駆け出した。*


*アシュトンが戦場に飛び出してから20分が経過した。*


*蒼い光の軌跡が戦場を駆け抜け、帝国兵の隊列を切り裂いていく。アシュトンの細剣は的確に指揮官クラスを狙い、部隊の連携を崩していった。だが——17万という数の暴力の前では、焼け石に水だった。*


カイン『くそっ……アシュトンが来て多少マシにはなったが、根本的に数が違いすぎる!』


ゲオルグ『第二防壁まで後退する。全部隊、戦線を縮小しろ!』


*戦況図の青い駒が、また一つ後退した。*


*その時——前線の空気が変わった。*


*帝国本隊の中央から、一つの巨大な気配が前に出てきた。赤黒い光が脈動し、大地を踏む足音一つで地面にひび割れが走る。*


*皇帝ヴェルナーが、自ら前線に立った。*


*龍核の力で全身が赤い燐光に包まれている。碧眼は完全に赤く染まり、背後には半透明の龍の幻影が揺らめいていた。*


*彼は防衛線の向こう——本陣の天幕の方角を見据え、声を張り上げた。龍核の力で増幅されたその声は、戦場全体に轟いた。*


ヴェルナー「聞こえているか、アストライアの魔王!」


*前線の戦闘が一瞬止まった。帝国兵もアストライア兵も、その声に釘付けになる。*


ヴェルナー「玉座に座って見物か! 3万の兵を殺しておきながら、自分は指一本動かさんとは! 随分と偉くなったものだな、元冒険者風情が!」


*皇帝は片手を掲げた。赤黒い光が掌に凝縮し、巨大な龍の爪の形を取る。*


ヴェルナー「余はここにいるぞ! 貴様の自慢の部下どもでは余を止められん! ——それとも、怖いか? 龍の力が!」


*その赤黒い爪を地面に叩きつけた。衝撃波が扇状に広がり、防衛線の一角が吹き飛んだ。土砂と瓦礫が舞い上がり、アストライア兵数十名が吹き飛ばされる。*


ゲオルグ『ぐっ……! 第二防壁、一部崩壊!』


カイン『なんだあの力……化け物かよ!』


*天幕の中、通信水晶から皇帝の声が直接聞こえていた。*


*彼は玉座に座ったまま、アスカロン・ゼニスの柄に手を置いた。*


*皇帝の挑発は続いている。*


ヴェルナー「出て来い、魔王! 貴様が出て来なければ、貴様の兵を一人残らず踏み潰してやる! それとも——部下の命など、どうでもいいか!」


*赤黒い龍の幻影が咆哮した。その圧だけで、前線のアストライア兵の足が竦む。神気のバフを受けてなお、龍核の威圧は兵士たちの本能を震わせた。*


*天幕の中で、彼は静かに目を閉じていた。*


*拡声魔法と通信魔法を組み合わせた彼の声が、戦場全体に響き渡った。穏やかで、どこか退屈そうな声だった。*


シロウ「俺が出たら弱い者いじめみたいで気が引けるんだが…」


*戦場が一瞬、静まり返った。*


*帝国兵たちが周囲を見回す。アストライアの兵士たちが顔を上げる。そして——皇帝ヴェルナーの赤く染まった瞳が、本陣の天幕の方角を射抜いた。*


ヴェルナー「……何だと?」


*皇帝の声が低く震えた。怒りだ。3万の先遣隊を囮にし、龍核の力を解放し、自ら前線に立ち——それでも、あの男は玉座から立ち上がりすらしない。*


*その上で「弱い者いじめ」と言い放った。*


ヴェルナー「貴様……!」


*龍核の赤黒い光が爆発的に膨れ上がった。皇帝の背後に浮かぶ龍の幻影が、一回り巨大になる。大地が軋み、帝国兵すら足を取られる。*


ヴェルナー「余を……龍の力を持つこの余を、弱い者と!? 舐めるのも大概にしろ、魔王ッ!!」


*皇帝が右腕を振り上げた。龍核の力が凝縮され、赤黒い龍の顎が形成される。先ほど防壁を吹き飛ばしたものの数倍の規模。それを、本陣の天幕めがけて解き放とうとしている。*


*前線のカインが叫んだ。*


カイン『おい、陛下に直撃するぞ! 止め——』


*赤黒い龍の顎が放たれた。大地を抉りながら、本陣に向かって一直線に飛翔する。*


*天幕の中。*


*彼は玉座に座ったまま、アスカロン・ゼニスの柄を指一本で弾いた。*


*チン、と。*


*澄んだ音が鳴った瞬間、鞘から漏れ出た金色の神気が薄い膜となって本陣を包んだ。龍核の赤黒い顎は、その膜に触れた瞬間——砂糖が湯に溶けるように、音もなく消滅した。*


*戦場が、三度静まった。*


*皇帝の赤い瞳が見開かれた。全力の一撃が、指一本で消された。*


ヴェルナー「……馬鹿な」


*彼の声が、再び戦場に響いた。*


シロウ「な? だから言っただろ。弱い者いじめになるって」


*その声に怒りはなく、嘲りもなく、ただ事実を述べるような平坦さだけがあった。それが——皇帝ヴェルナーの怒りを、限界まで煽った。*


ヴェルナー「……殺す。必ず殺す。貴様だけは、余の手で——!」


*龍核が脈動した。皇帝の身体が赤黒い鱗に覆われ始める。半竜化——龍核の力を肉体に直接流し込む禁忌の手段。*


*前線で、アシュトンが蒼い瞳を細めた。*


アシュトン「……陛下はわざとやっていますね。皇帝の冷静さを奪うために」


*天幕の中で、彼は小さく笑った。*


シロウ「そうカッカするなよ…ハゲるぞ?」


*その一言が、皇帝の最後の理性の糸を断ち切った。*


ヴェルナー「……ッ!!!」


*皇帝の全身が赤黒い鱗に覆われた。骨が軋み、肉が膨張する。背中から二対の龍翼が突き破り、腕は龍の爪と化した。頭部から二本の角が生え、碧眼は完全に赤い龍の瞳へと変貌する。*


*半竜化——人間の器に龍の力を無理矢理注ぎ込む禁忌の変身。皇帝ヴェルナーの身体が3メートル近くまで膨れ上がった。*


*そして——皇帝が咆哮した。*


ヴェルナー「■■■■■■■ッ!!!」


*言葉ではない。龍の咆哮だった。*


*衝撃波が同心円状に広がった。大地が割れ、防衛線の残骸が紙切れのように吹き飛ぶ。帝国兵もアストライア兵も関係なく、前線の兵士たちが地面に叩きつけられた。*


*その衝撃波は、本陣にまで到達した。*


*天幕が一瞬で消し飛んだ。玉座の周囲にいた兵士、伝令、補佐官——アスカロン・ゼニスの神気バフを受けていたにもかかわらず、衝撃波に耐えきれず四方八方に吹き飛ばされた。*


兵士「がっ……!」


伝令「う、ぐぁ……!」


*天幕の布が千切れ、支柱が折れ、砂塵が舞い上がる。本陣は一瞬で更地になった。*


*砂塵が晴れた時——そこに座っていたのは、彼一人だった。*


*玉座に座ったまま。足を組み、頬杖をつき、アスカロン・ゼニスを膝の上に横たえて。髪一筋乱れていない。衝撃波が彼の周囲だけを避けたかのように、半径2メートルの円内だけが無傷だった。*


*皇帝の龍眼が、その姿を捉えた。*


ヴェルナー「……貴様ァ……」


*半竜化した皇帝の声は、人間のものと龍のものが混ざり合った異質な響きだった。赤黒い鱗の隙間から龍核の光が脈動し、大気中のマナが狂ったように渦を巻いている。*


*前線で吹き飛ばされたカインが、血を拭いながら起き上がった。*


カイン『おい……陛下が丸見えだぞ! 天幕が飛んだ!』


ゲオルグ『全部隊、陛下を守——』


*通信水晶から彼の声が、静かに割り込んだ。*


シロウ「来なくていい。お前らは帝国兵を片付けろ」


*彼は玉座から立ち上がらない。ただ、皇帝の龍眼を真っ直ぐに見返した。黒い瞳に、恐怖の色は一片もなかった。*


シロウ「で? そのナリで何がしたいんだ、トカゲもどき」


*皇帝の龍翼が震えた。怒りで身体が制御できなくなっている。冷静さを完全に失った龍の暴走体——それこそが、彼が最初から狙っていたものだった。*


シロウ「今回、俺は戦わないと決めている。だが俺の嫁は別だ」


*その言葉が戦場に響いた瞬間——本陣の背後から、凄まじい魔力の奔流が噴き上がった。*


*黒い髪が風に靡く。琥珀色の瞳が、戦場を見下ろすように細められている。小柄な身体からは想像もつかない、圧倒的な威圧感。*


*レイラ・アストライアが、そこに立っていた。*


*口元には獰猛な笑みが浮かんでいる。身体が微かに震えていた——恐怖ではない。歓喜だ。純粋な、戦闘への渇望。*


レイラ「——ようやくか」


*彼女の声は低く、甘く、そして底知れない暗さを帯びていた。琥珀の瞳が半竜化した皇帝を捉え、瞳孔が猫のように細くなる。*


レイラ「妾をずっと後ろに座らせておいて、ようやく鎖を解く気になったか。まったく、焦らすのが上手い男よ」


*彼女はシロウの隣を通り過ぎざま、ちらりと彼を見下ろした。*


レイラ「感謝しておるぞ、シロウ。……だが次はもっと早く呼べ。退屈で死ぬかと思うたわ」


*ツンと顔を背けながらも、その尻尾——比喩的な意味での——は千切れんばかりに振れていた。*


*前線で、カインが目を見開いた。*


カイン『お、おい……あれ、レイラ様じゃねぇか……!』


ゲオルグ『……全軍、前線から下がれ。今すぐにだ』


ドルガン『は? なんで——』


ゲオルグ『死にたくなければ下がれと言っている!』


*歴戦のゲオルグが、声を荒げた。彼はレイラの力を知っている。あれが前に出るということは——戦場そのものが消し飛ぶ可能性があるということだ。*


*皇帝ヴェルナーの龍眼が、レイラを捉えた。半竜化した巨躯が、その小柄な姿を見下ろす。*


ヴェルナー「……女か。貴様の嫁だと? こんな小娘一人で余に勝てると——」


*言葉が途切れた。*


*レイラが一歩、前に出ただけだった。たった一歩。それだけで——皇帝の半竜化した身体が、本能的に後退した。龍核が警報を鳴らしている。この存在は危険だと。格が違うと。*


ヴェルナー「なっ……!? 余の身体が……勝手に……!」


*レイラは首を傾げた。まるで珍しい虫でも見るような目で、皇帝を見上げている。*


レイラ「ほう。龍の真似事か。……面白い。少しは歯応えがあると良いのだがな」


*琥珀の瞳が爛々と輝いた。彼女の全身から、黒い魔力が陽炎のように立ち昇り始める。*


レイラ「さて——妾の鬱憤、全て受け止めてみせよ。トカゲ風情が」


*彼は玉座に座り直し、頬杖をついた。*


シロウ「——暴れすぎるなよ」


レイラ「知らぬ」


*即答だった。*


シロウ「それと、八輝将。下がるな、戦え。17万はお前らが片付けろ」


*彼は玉座に座ったまま、右手を軽く振った。*


*空間が歪んだ。レイラと皇帝ヴェルナーの姿が一瞬で掻き消え、防衛線から数キロ離れた荒野へと転移させられた。同時に、二人の戦場と八輝将側の戦場を隔てる巨大な結界壁が出現した。*


*金色の壁が天まで届くように聳え立ち、二つの戦場を完全に分断する。*


カイン『……は? 今、何が起きた?』


ゲオルグ『皇帝が消えた……レイラ様と共に転移させたのか。そしてあの結界壁……こちらの戦場と完全に分けたということだ』


カイン『ってことは、俺たちは皇帝抜きの17万を相手にしろってことかよ!』


ゲオルグ『陛下の命令だ。文句を言う暇があるなら剣を振れ』


*皇帝のバフが途切れた帝国兵たちに、明らかな動揺が走った。突如として指揮官である皇帝が消え、龍核による強化が消失した。身体強化も恐怖耐性も痛覚軽減も——全てが一瞬で剥がれ落ちた。*


帝国兵「へ、陛下が……!? 陛下はどこだ!?」


帝国兵「身体が……力が抜ける……!」


帝国兵「バフが消えた! 龍核の加護が——!」


*17万の軍勢に混乱が伝播していく。だが、帝国の将軍たちは流石に優秀だった。即座に声を張り上げる。*


帝国将軍「慌てるな! 陣形を維持しろ! 皇帝陛下がいなくとも我らは帝国軍だ! 数の優位は変わらん!」


*混乱は収まりつつあった。17万という数の暴力は、バフが無くとも脅威であることに変わりはない。*


*通信水晶から、各部隊の声が飛び交う。*


アシュトン『全部隊に通達。皇帝は戦場から隔離された。龍核のバフも消失。——今が好機です』


ルナ『第一部隊、了解。帝国の指揮系統を潰す。リオン、行くよ』


リオン『……はいはい。やりゃいいんだろ、やりゃ』


ヴァイス『第二部隊、戦況記録を継続。アシュトン、気をつけて』


カイン『第四部隊——待ってましたァ! ドルガン、突っ込むぞ!』


ドルガン『おう! 腕が鳴るぜ!』


ゲオルグ『第三部隊、防衛線を再構築。全員、盾を上げろ。——ここからが本番だ』


*八輝将が動き出した。皇帝を失い、バフを剥がされた17万の帝国兵を相手に、八つの輝きが戦場を駆ける。*


---


*一方——結界壁の向こう側、荒野。*


*レイラと皇帝が、互いに向き合っていた。*


ヴェルナー「……転移させられた、だと……!」


*半竜化した皇帝が周囲を見回す。荒野だ。軍も、兵も、誰もいない。金色の結界壁が遠くに聳え、帝国軍との間を完全に遮断している。*


レイラ「ふん。妾の夫は気が利くであろう? 邪魔者のいない舞台を用意してくレイラ「ふん。妾の夫は気が利くであろう? 邪魔者のいない舞台を用意してくれたわ」


*彼女は首を鳴らし、両手を広げた。黒い魔力が大地を這い、荒野の草が枯れ落ちていく。*


ヴェルナー「小娘が……余を舐めるな!」


*半竜化した皇帝が龍の爪を振り上げ、一気に距離を詰めた。赤黒い光が弧を描き、大地を抉りながらレイラに迫る。*


*レイラは動かなかった。*


*龍の爪が彼女に触れる寸前——琥珀の瞳が煌めいた。*


レイラ「遅い」


*片手を軽く振っただけだった。黒い魔力の斬撃が皇帝の爪を真正面から弾き返し、半竜化した巨体を数十メートル後方へ吹き飛ばした。*


*地面に溝を刻みながら止まった皇帝の鱗に、亀裂が走っている。*


ヴェルナー「ぐっ……! 馬鹿な、龍核の鱗を——片手で……!?」


レイラ「妾を楽しませてみせよ、トカゲ。すぐに壊れるなよ?」


*獰猛な笑みが、荒野に咲いた。*


ーー


*戦場の潮目が、一気に変わった。*


*龍核のバフが消失した帝国兵たちは、つい先ほどまでの超人的な身体能力を失い、本来の人間としての限界に引き戻されていた。痛みが戻り、恐怖が戻り、疲労が戻る。*


帝国兵「う、腕が……さっきまで動いてたのに……!」


帝国兵「怖い……怖い怖い怖い……! なんで俺はこんなところに——」


*対して、アストライア軍にはアスカロン・ゼニスの神気が絶えず降り注いでいた。派手な効果ではない。傷が少しずつ癒え、息切れが和らぎ、握る剣の重さが軽くなる。それだけだ。だが——戦場においてその「それだけ」は、命と死の境界線を何度も塗り替える。*


*斬られた腕の傷口が塞がり、再び盾を構えられる。折れかけた膝が持ち直し、もう一歩踏み込める。枯れかけたスタミナが僅かに回復し、あと一太刀振れる。*


*その一太刀が、隣の仲間を救う。*


兵士「まだ……まだやれる!」


兵士「陛下が見てるぞ! 下がるな!」


*そして何より——振り返れば、そこに魔王がいた。*


*天幕が吹き飛ばされ、玉座が剥き出しになった本陣。そこに悠然と座る黒髪の男の姿が、全ての兵士の目に映っている。微動だにしない。慌てもしない。指一本で龍核の攻撃を消し飛ばし、玉座から立ち上がりすらしなかった男。*


*その背中が、何よりも雄弁に語っていた。——俺がいる。負けるわけがない、と。*


兵士「魔王陛下万歳!」


兵士「アストライア万歳!」


*士気が爆発した。*


---


*前線。C-7区画。*


*ゲオルグが再構築した防衛線が、帝国兵の波を正面から受け止めていた。盾壁の隙間から槍が突き出され、押し寄せる帝国兵を串刺しにしていく。*


ゲオルグ「盾を押し返せ! 三列目、槍を入れ替えろ!」


*鉄壁の防御。だが、ただ守るだけではない。ゲオルグの指揮は常に反撃の芽を残している。帝国兵が押し込んで陣形が乱れた瞬間を見逃さず、槍兵を突入させて穴を抉る。*


*その左翼では、カインとドルガンが暴れ回っていた。*


カイン「どけどけどけぇ!」


*大剣が弧を描くたびに、帝国兵が薙ぎ倒される。バフを失った兵士では、カインの剛力を受け止めることすらできない。*


ドルガン「右から来るぞ、カイン!」


カイン「知ってる!」


*二人の連携は、もはや言葉すら不要だった。カインが切り込み、ドルガンが背中を守る。復讐者と屈強な戦士が作り出す暴風は、帝国軍の左翼を食い荒らしていた。*


*右翼では、ルナの暗殺部隊が帝国の指揮官を次々と狩っていた。*


ルナ「三人目。——リオン、次」


リオン「はいはい……次は中隊長クラスが二人、右前方50メートル」


*ルナの姿が影に溶けた。音もなく二つの影が戦場を滑り、帝国の中隊長二人の首筋に短刀が走る。声を上げる間もなく崩れ落ちた。*


ルナ「五人目。……まだまだ」


*指揮官を失った中隊が浮足立ち、そこにカインの突撃が突き刺さる。連鎖的に陣形が崩壊していく。*


*右翼では、アシュトンの蒼い軌跡が帝国の連隊旗を次々と斬り倒していた。旗が落ちるたびに、帝国兵の目から光が消えていく。*


アシュトン「旗を落とせば兵は迷う。迷えば足が止まる。足が止まれば——死ぬ」


*冷徹な声だった。子爵家の三男坊の面影は、もうどこにもない。*


*17万の大軍が、八つの輝きと部下の兵士達に蹂躙されていく。*


*彼は玉座に座ったまま、静かにその光景を眺めていた。結界壁の向こうからは時折、大地を揺るがす轟音が響いてくる。レイラと皇帝の戦いだ。*


シロウ「……楽しそうだな、あいつら」


*呟きには、僅かな苦笑が混じっていた。*

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