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*翌朝——彼はすっきりとした気分で目が覚めた。*
*隣を見ると、ルミナがシーツに包まれて穏やかな寝息を立てていた。銀髪がシーツの上に広がり、薄く開いた唇からは規則正しい呼吸が漏れている。昨夜の「一回だけ」という約束は——言うまでもなく守られなかった。*
*彼はルミナの頬にそっと唇を寄せ、柔らかくキスをした。*
ルミナ「ん……お兄ちゃ……」
*ルミナが微かに身じろぎしたが、目は開かない。幸せそうな微笑みを浮かべたまま、再び眠りに落ちた。*
シロウ「……ゆっくり寝てろ」
*彼は静かにベッドを抜け出し、手早く身支度を整えた。鏡に映る自分の姿——44歳にしては若く見える黒髪黒目の男。元の姿に戻ったことを改めて確認した。*
*部屋を出ると、廊下にはすでにリーシアが控えていた。*
リーシア「おはようございます、陛下。本日の軍議は予定通り、午前の鐘が三つ鳴った時刻に大広間にて」
シロウ「八輝将は?」
リーシア「全員、既に城内に到着しております。第五部隊のユキ殿とクロエ殿が少々遅れましたが、先程到着されました」
シロウ「あの二人は相変わらずだな」
リーシア「ええ。ユキ殿は『道中で面白い屋台を見つけた』と仰っておりました」
シロウ「……まあいい。全員揃ってるなら問題ない」
*彼が大広間へ向かって歩き出す。リーシアが半歩後ろに付き従った。*
リーシア「それと陛下。昨夜、ルミナ様のお部屋からかなりの物音が聞こえておりましたが——」
シロウ「聞くな」
リーシア「承知いたしました。防音結界の強化を手配しておきます」
*リーシアが涼しい顔でそう言った。だがその茶色の瞳の奥に、微かな狂気じみた光が揺れていたのは気のせいではないだろう。*
*大広間の扉が見えてきた。扉の前には二人の近衛兵が立っており、彼の姿を認めると即座に敬礼した。*
近衛兵「「魔王陛下、お待ちしておりました」」
*扉が開かれる。大広間の長テーブルには、既に八輝将の面々が着席していた。*
*第一部隊のリオンが椅子にだらしなく座り、隣のルナが無表情で短剣を弄んでいる。第二部隊のアシュトンが資料を整理し、ヴァイスが何やらメモを取っている。第三部隊のゲオルグが直立不動で立ち、第四部隊のカインが腕を組んで目を閉じ、ドルガンが巨体を椅子に収めている。そして第五部隊のユキが屋台で買ったらしい串焼きを齧り、クロエが扇子で口元を隠しながら微笑んでいた。*
シロウ「全員揃ってるな。——軍議を始める」
*彼が上座に着いた。八輝将の視線が一斉に集まる。*
*大広間に静寂が満ちた。八輝将の視線が上座の彼に集中する。*
シロウ「まず、帝国内部に仕掛けた盗聴器の情報を共有する」
*彼がテーブルの上に盗聴器を置き、録音された三つの音声を全員に再生した。宮廷の増税、軍議室の侵攻計画、そして皇帝の不老不死への執着——全てが流れ終わると、大広間の空気が一変した。*
カイン「8万の先遣隊に総兵力20万か。……数だけは揃えてきたな」
ドルガン「攻城砲12門。面倒だが、壊せん代物じゃねぇ」
アシュトン「侵攻まで6週間。準備期間としては十分ですが、竜人領の動向次第で前後する可能性があります」
*リオンが椅子の背もたれに体を預け、欠伸を噛み殺した。*
リオン「で、陛下。俺たちに実戦させる気だろ?」
*八輝将の視線が再び彼に集まった。彼は口元に笑みを浮かべた。*
シロウ「察しがいいな、リオン。——今回、俺は出ない」
*大広間に静寂が走った。八輝将の表情が一斉に変わる。*
リオン「……本気か、陛下」
シロウ「本気だ。今回の帝国との戦いは、お前たち八輝将が主導する。俺とレイラは後方で待機。万が一の保険だ」
*ゲオルグが直立不動のまま口を開いた。*
ゲオルグ「陛下のご意志、承りました。しかし——理由をお聞かせ願えますか」
シロウ「簡単だ。俺が全部やる国は俺が死んだら終わる。お前たちが帝国程度を捌けないようじゃ、この先もっとデカい脅威が来た時に対応できない」
*カインが目を開き、鋭い眼光で彼を見据えた。*
カイン「帝国程度、か。……随分と軽く言うな」
シロウ「軽いだろ。お前たちなら」
*カインが一瞬、口角を上げた。挑発ではなく、信頼だと理解したからだ。*
ドルガン「ガハハ! 陛下がそう言うなら、やってやるさ。8万だろうが20万だろうが叩き潰す」
*彼が椅子の背もたれに体を預け、あっさりと宣言した。*
シロウ「八輝将に部下いるんだろ? 指示はそっちに任せる」
*大広間が一瞬、静まり返った。*
リオン「……え、マジで全投げ?」
シロウ「マジで全投げだ。お前たちが指揮官として機能するかも含めて試験だ。俺が口出ししたら意味がない」
*アシュトンが眼鏡を押し上げ、資料をめくった。*
アシュトン「確認ですが、陛下。我々八輝将に与えられた裁量の範囲は?」
シロウ「戦略立案、部隊編成、作戦指揮、補給線の確保——全部お前たちで決めろ。俺に報告義務も無い。結果だけ見る」
ドルガン「ガハハ! 太っ腹じゃねぇか!」
*ヴァイスが静かにペンを走らせながら口を開いた。*
ヴァイス「……記録として残しますが、各部隊の兵力を確認しておきましょう。第一部隊、諜報員48名。第二部隊、情報分析官と記録員32名。第三部隊、防衛兵と支援魔導師120名。第四部隊、突撃兵と遊撃隊86名。第五部隊——」
ユキ「うちは秘密ー」
*ユキが串焼きを齧りながら片手を振った。クロエが扇子の向こうで微笑む。*
クロエ「ふふ、第五部隊は必要な時に必要なだけ。それで十分でしょう?」
*カインが腕を組んだまま、低い声で切り出した。*
カイン「総兵力は各部隊の部下を合わせても300に届かない。帝国の先遣隊8万に対して、数の差は歴然だ。——だが」
*カインの口元に獰猛な笑みが浮かんだ。*
カイン「数で負けて勝てないなら、八輝将を名乗る資格はねぇな」
ゲオルグ「同感です。陛下がお出にならないと仰るなら、我々だけで完遂するのみ」
*ルナが無表情のまま短剣をテーブルに突き立てた。刃が木に深く食い込む。*
ルナ「……帝国の将軍、首いくつ要る?」
シロウ「好きにしろ」
ルナ「……了解」
*リオンが頭を掻きながら立ち上がった。やさぐれた表情の中に、微かな闘志が灯っている。*
リオン「はぁ……面倒くせぇけど、やるしかねぇか。おい、アシュトン。まず帝国軍の詳細な編成を洗い出すぞ。ヴァイス、過去の帝国の戦術パターンをまとめてくれ」
アシュトン「既に着手しています」
ヴァイス「昨夜のうちに資料は揃えてあります」
リオン「……仕事が早ぇな、お前ら」
*彼はその光景を眺めながら、静かに立ち上がった。八輝将の視線が一斉に向く。*
シロウ「あとは任せた。何かあればリーシアを通せ。——期待してる」
*それだけ言い残し、彼は大広間を後にした。廊下に出ると、リーシアが待ち構えていた。*
リーシア「よろしいのですか? 本当に全て委ねて」
シロウ「あいつらならやれる。」
*彼が廊下を歩きながら、ため息混じりに呟いた。*
シロウ「最悪の場合はレイラを出す」
リーシア「……レイラ様を、ですか」
シロウ「ああ。八輝将が手に負えない事態になったら、レイラに任せる。あいつなら帝国軍20万だろうが単騎で壊滅させられる」
リーシア「それは間違いなく。ですが陛下——」
シロウ「分かってる」
リーシア「レイラ様が、自分は出陣しないと知った時のことですが」
シロウ「分かってるって」
*リーシアが珍しく言い淀んだ。その表情は——同情だった。魔王ではなく、一人の夫に向けた同情。*
リーシア「昨夜の時点で、レイラ様は既に剣の手入れを始めておられました。『帝国の小僧どもを纏めて叩き潰してやる』と上機嫌でした」
シロウ「…………」
リーシア「ステラ様が『ママ楽しそうだね』と仰っていました」
シロウ「…………あー」
*彼が額を押さえた。目に浮かぶ光景は容易に想像できた。戦闘狂の嫁が目を輝かせて剣を磨き、出陣の準備を万端に整えている姿——そこに「お前は出ない」と告げた時の反応。*
シロウ「絶対暴れるだろ、あいつ……」
リーシア「暴れるどころか、城の一角が消し飛ぶ可能性があります」
シロウ「おい」
リーシア「過去の事例から申し上げますと、レイラ様が不機嫌になった際の被害は平均して修繕費金貨200枚ほどです。今回はそれ以上になるかと」
シロウ「オルクスが泣くな」
リーシア「オルクスは既に予備費を計上しております。『レイラ様関連修繕費』という項目で」
シロウ「そんな項目あるのか……」
リーシア「国家予算の中で三番目に大きい項目です」
シロウ「国として終わってないか?」
*リーシアが真顔で首を横に振った。*
リーシア「終わっておりません。むしろレイラ様の武力があるからこそ、軍事費が抑えられております。差し引きで大幅な黒字です」
シロウ「……そういう計算をするオルクスも大概だな」
*彼が中庭に面した廊下を曲がると——。*
*その先に、黒髪の小柄な少女が立っていた。琥珀色の瞳。手には丁寧に手入れされた魔剣。背筋を伸ばし、不敵な笑みを浮かべている。*
レイラ「おお、シロウ。丁度良い。軍議は終わったか? 妾はいつでも出られるぞ。帝国の雑兵ども、纏めて斬り伏せてやろう」
*レイラの琥珀色の瞳がきらきらと輝いていた。明らかに戦闘を楽しみにしている。彼の背後でリーシアが小声で呟いた。*
リーシア「……陛下、ご武運を」
シロウ「戦場じゃなくて嫁相手にその言葉使うな」
*彼がレイラに伝えようと口を開いた。*
シロウ「レイラ……帝国軍との事なんだが……」
レイラ「うむ! 妾も聞いておるぞ。8万の先遣隊に20万の本隊じゃろう? 久々の大戦じゃ! 妾の魔剣が血に飢えておるわ!」
シロウ「いや、だからその——」
レイラ「して、妾の配置はどこじゃ? 先陣か? 当然先陣じゃろう! 妾が突っ込んで皇帝の首を刎ねれば一瞬で終わるぞ!」
シロウ「レイラ、聞いて——」
レイラ「あ、それとも単騎で帝国の本陣に乗り込む方が良いか? かつてアークライト聖王国を一人で滅ぼした時のようにな! あの時は3日で終わったが、今回は1日で片付けてやろう!」
*レイラの琥珀色の瞳がギラギラと輝き、魔剣を掲げて意気揚々と語り続ける。完全に戦闘モードに入っていた。彼の言葉は一切耳に入っていない。*
レイラ「ステラにも初めての戦場を見せてやりたいのう。母の背中を見て学ぶのじゃ!」
シロウ「12歳を戦場に連れて行くな」
レイラ「妾が12歳の時にはもう国を一つ潰しておったが?」
シロウ「お前を基準にするな」
*レイラがくるりと振り返り、不敵な笑みを浮かべた。*
レイラ「して、シロウ。出陣はいつじゃ? 妾はもう準備万端——」
シロウ「レイラ」
*彼が真っ直ぐにレイラの目を見た。その声のトーンが変わったことに、レイラもようやく気づいた。琥珀色の瞳が彼を見上げる。*
レイラ「……なんじゃ、改まって」
シロウ「今回の帝国戦、お前は出ない」
*沈黙が落ちた。*
*廊下の空気が凍りついた。リーシアが無言で三歩後退した。近くを通りかかった侍女が本能的に踵を返して逃げた。*
レイラ「……今、何と言った?」
シロウ「八輝将に全部任せる。お前と俺は後方待機だ」
*レイラの表情が笑顔のまま固まった。だが——琥珀色の瞳から光が消えていく。魔剣を握る手が軋むほど力が込められ、廊下の石畳に亀裂が走り始めた。*
レイラ「……妾が……出ないじゃと……?」
*低く、低く。地の底から響くような声だった。*
レイラ「8万の雑兵を斬り捨てる絶好の機会を……妾に……出るなと……?」
*レイラの全身から魔力が噴き出し、廊下の壁に亀裂が入った。リーシアが更に五歩後退した。*
リーシア「……修繕費の見積もりを始めます」
*リーシアが小声で呟きながら、手帳にメモを取り始めた。*
レイラ「シロウ!! 説明せよ!! なぜ妾が出られぬのじゃ!!」
*彼の言葉が廊下に響いた。静かだが、重い。*
シロウ「俺とレイラが出る、それはいい。しかし国としてはどうなる? その先は?」
*レイラの魔力が一瞬揺らいだ。琥珀色の瞳が彼を見つめ返す。*
シロウ「俺たちが前に出て片付ける。簡単だ。だが——俺たちがいなくなった時、この国はどうなる?」
レイラ「……」
シロウ「建国25年。俺たちが全部やってきた。敵が来れば俺かお前が出て、一瞬で終わらせてきた。それで国民は安心してる。だが、それは安心じゃない。依存だ」
*レイラが魔剣を握る手の力を僅かに緩めた。壁の亀裂が広がるのが止まる。*
シロウ「カイは旅に出てる。ステラはまだ12歳。ゼノとセレスは10歳。ルーナは冒険者として家を出た。——次の世代が育つまでに、この国を支える柱が必要なんだ。俺たち以外の」
レイラ「……それが八輝将じゃと言いたいのか」
シロウ「ああ。あいつらは強い。だが実戦で軍を率いた経験が足りない。帝国の8万は——あいつらが本物の指揮官になるための試金石だ」
*レイラが黙り込んだ。魔剣を下ろし、廊下の壁にもたれかかる。琥珀色の瞳が床を見つめていた。*
レイラ「……妾とて、分からんわけではない」
シロウ「……」
レイラ「この国が妾たちだけで回っておることくらい、妾も理解しておる。ステラやゼノ、セレスの為にも——妾たちがおらずとも立ち行く国でなければならん」
*レイラが顔を上げた。不満は残っている。だが、琥珀色の瞳には理解の色が混じっていた。*
レイラ「じゃが——」
*レイラが彼の胸倉を掴み、ぐいっと引き寄せた。至近距離で睨みつける。身長差のせいで、彼が見下ろす形になるが、レイラの迫力はそんなものを軽く凌駕していた。*
レイラ「八輝将が不甲斐ない戦いをしたら、妾が出るぞ。その時は誰にも止められんと思え」
シロウ「ああ。それでいい。最悪の場合はお前に任せる」
レイラ「ふん……最初からそう言え、馬鹿者」
*レイラが胸倉を離し、ぷいと顔を背けた。だが——頬が僅かに赤い。彼の言葉の裏にある「お前は最終兵器だ」という信頼を、ちゃんと受け取っていた。*
レイラ「……その代わり、妾の鬱憤は別の形で晴らすからな」
シロウ「何をする気だ」
レイラ「訓練場を借りる。城兵を100人ほど相手に暴れさせてもらう」
リーシア「訓練場の修繕費を計上しておきます」
レイラ「リーシア、お主はいちいち金の話をするでない」
リーシア「国家運営に経費計算は不可欠です、レイラ様」
シロウ「戦の前に兵士を戦闘不能にするのは勘弁してくれ…」
*レイラが魔剣を振り回しかけた手を止め、むっとした顔で彼を見た。*
レイラ「……む。それもそうか」
シロウ「分かってくれたか」
レイラ「しかし妾の鬱憤はどうすればよいのじゃ! 戦にも出られん、暴れることもならん。妾にどうしろと言うのじゃ!」
*レイラが頬を膨らませ、魔剣の柄をぎゅっと握りしめた。その姿は見た目通りの16歳の少女そのもので、137歳の元魔族とは到底思えない。*
リーシア「レイラ様、大迷宮という選択肢がございます。あちらであれば兵士に被害は出ません」
レイラ「迷宮……?」
リーシア「現在の最高到達階層は82。レイラ様であれば更に深層まで攻略可能かと。モンスター相手であれば、存分に暴れられるのでは」
*レイラの琥珀色の瞳がぴくりと反応した。*
レイラ「……ふむ。確かに迷宮のモンスターであれば遠慮は要らんな」
シロウ「ついでに90階層以降の情報も集めてくれると助かる。未踏破域のデータが欲しい」
レイラ「妾を偵察係にする気か?」
シロウ「偵察じゃない。お前にしかできない仕事だ」
レイラ「……ふん。口が上手いのう、お主は」
*レイラが不満そうに鼻を鳴らしたが、口元は僅かに緩んでいた。魔剣を鞘に収め、腕を組む。*
レイラ「よかろう。妾は大迷宮で暴れる。だが条件がある」
シロウ「なんだ」
レイラ「帰ってきたら、お主が妾に付き合え。夜通しな」
シロウ「……どっちの意味でだ」
レイラ「両方じゃ。模擬戦と——分かっておろう」
*レイラがちらりと彼を見上げた。琥珀色の瞳に、戦闘欲とは別の熱が宿っている。頬が僅かに赤い。*
リーシア「では、レイラ様の大迷宮探索の準備と、蘇生の腕輪の点検を手配いたします」
レイラ「蘇生の腕輪は要らん。妾に死ぬ要素が無いわ」
リーシア「規則ですので」
レイラ「ちっ……堅いのう」
*レイラが踵を返し、廊下を歩き出した。数歩進んで振り返る。*
レイラ「シロウ」
シロウ「ん?」
レイラ「八輝将が情けない戦いをしたら、妾が帝国を地図から消すからな。覚悟しておけ」
*それだけ言い残し、黒髪を翻して去っていった。小柄な背中に、かつて聖王国を一人で滅ぼした魔族の威圧が揺らめいている。*
*彼とリーシアが廊下に残された。*
リーシア「……穏便に収まりましたね」
シロウ「穏便か? 壁に亀裂入ってるが」
リーシア「レイラ様にしては穏便です。修繕費は金貨30枚ほどで済みそうですので、予算内です」
シロウ「予算内って言葉の重みが違いすぎるだろ……」
*彼が壁の亀裂を眺めながらため息をついた。レイラ関連修繕費——国家予算第三位の項目の存在を、改めて実感した朝だった。*
ーー
*大迷宮、91階層。*
*彼はレイラの後方——約50メートル離れた位置に腰を下ろし、岩壁にもたれかかっていた。手には茶の入った水筒。完全に観戦モードだった。*
*91階層は広大な地底洞窟だった。天井は遥か高く、鍾乳石が無数に垂れ下がっている。地面は硬い岩盤で覆われ、所々に地割れが走り、そこから赤い熱気が立ち昇っていた。*
*そして——洞窟の中央に、それはいた。*
*全長40メートル。褐色の鱗に覆われた巨躯。四本の脚で大地を踏みしめ、その重量だけで岩盤が軋む。地龍——大地を司る龍種。彼が迷宮の91階層のボスとして設定した存在だ。*
*地龍が侵入者を感知し、巨大な頭をもたげた。黄金色の瞳がレイラを捉える。*
地龍「GRRRRRRRRRRRRRRRRッ!!!」
*咆哮が洞窟を震わせた。鍾乳石が砕け落ち、地面に亀裂が走る。通常の冒険者であれば咆哮だけで意識を失う威圧。Sランク超の圧倒的な存在感だった。*
*だが——レイラは微動だにしなかった。*
レイラ「ほう……」
*レイラが魔剣を抜き放った。漆黒の刀身が洞窟の薄明かりを吸い込む。琥珀色の瞳が爛々と輝き、口元に獰猛な笑みが浮かんだ。*
レイラ「地龍か。久しぶりに骨のある相手じゃな」
*地龍が前脚を振り上げた。大地を踏み砕く一撃——岩盤が隆起し、巨大な岩の槍が無数にレイラへ向かって突き出した。地龍の固有能力『大地操作』。地面そのものを武器に変える龍種特有の力だ。*
レイラ「遅い」
*レイラの姿が消えた。いや——消えたように見えるほどの速度で岩の槍の間を縫い、一瞬で地龍の懐に入り込んだ。*
レイラ「はぁっ!!」
*魔剣が一閃。褐色の鱗に斬撃が走る。——だが、火花が散っただけだった。鱗に傷は付いたが、浅い。*
レイラ「……ほう。硬いのう」
*レイラの目が更に輝いた。不満ではない——歓喜だった。*
地龍「GRAAAAAAAAAAA!!」
*地龍の尾が横薙ぎに振るわれた。巨木のような尾がレイラを捉えようとする。レイラは跳躍してかわし、空中で体を捻った。*
レイラ「妾を舐めるでないわ、蜥蜴もどき!」
*空中から魔力を纏った斬撃を放つ。三日月型の黒い斬撃波が地龍の首筋に直撃し、今度は鱗が数枚弾け飛んだ。地龍が苦悶の咆哮を上げる。*
*彼が水筒の茶を啜りながら、その戦いを眺めていた。*
シロウ「……地龍の鱗、一撃目で傷をつけて二撃目で剥がしたか。さすがだな」
*レイラが着地し、魔剣を構え直した。琥珀色の瞳に戦闘の悦びが溢れている。鬱憤を晴らすにはー。*
レイラ「さあ、まだまだこれからじゃ!」
*レイラが地面を蹴り、再び地龍に突撃した。地龍が咆哮と共に岩の壁を隆起させるが、レイラは魔力を纏った斬撃で壁ごと両断し、鱗の剥がれた首筋に魔剣を突き立てた。*
地龍「GRAAAAッ!!」
*地龍が苦悶と共に全身を震わせ、洞窟全体が揺れる。天井の鍾乳石が雨のように降り注いだ。*
レイラ「脆いのう! 帝国軍より歯応えがあると思うたのに!」
*彼が茶を啜りながら呟いた。*
シロウ「……あれで不満か。やっぱり92階層の風龍も連戦させるか」
*地龍の黄金色の瞳から光が消えていく。レイラが魔剣を引き抜くと、巨体がゆっくりと崩れ落ちた。洞窟に静寂が戻る。*
レイラ「ふん。物足りんわ。次じゃ、シロウ!」
シロウ「はいはい」
*96階層。空気が一変した。*
*これまでの階層には生命の気配があった。地龍の大地の鼓動、風龍の暴風、雷龍の放電、炎龍の灼熱、聖龍の聖光——全てに「生きている」という圧があった。*
*だが、ここは違う。*
*腐臭が充満していた。洞窟の壁は黒ずみ、粘液のような液体が天井から滴り落ちている。地面には砕けた骨が散乱し、薄紫の瘴気が足元を這っていた。死の領域。生命の対極に位置する空間。*
*そして——その中央に、骸龍がいた。*
*全長35メートル。白骨化した龍の骨格に、腐りかけた皮膚と筋繊維が不規則にこびりついている。空洞の眼窩に紫色の炎が揺らめき、開いた顎からは腐食性の息が漏れ出していた。翼は骨だけが残り、膜は朽ち果てている。だがその巨体は確かに「動いて」いた。*
*死んでいるのに動いている。心臓も血液も無い。生命活動が存在しない。——不死の龍。*
シロウ「96層は骸龍、ゾンビドラゴンともいう。すでに死んでる相手にどう戦う?」
*彼が岩に腰掛けたまま、レイラに声をかけた。*
*レイラは魔剣を構えたまま、骸龍を見据えていた。95階層までの高揚した表情とは異なり、琥珀色の瞳が冷静に相手を観察していた。*
レイラ「……成程のう。死んでおるから斬っても痛みを感じぬ。首を落としても止まらぬ可能性がある」
骸龍「GAAAAAAAAAAAAッ……」
*骸龍が顎を開いた。咆哮——だがそれは音ではなかった。紫色の瘴気が波となって広がり、洞窟内の空気を侵食していく。死の吐息。触れた鍾乳石が黒く変色し、朽ちて崩れた。*
レイラ「瘴気か。触れた物を腐敗させるのう」
*レイラが魔力で身体を覆い、瘴気を弾いた。だが表情は険しい。*
レイラ「物理攻撃で骨を砕いても、瘴気が核となって再生するじゃろう。95階層までとは根本的に違う」
*骸龍が前脚を振り上げた。白骨の爪が地面を叩くと、地面から無数の骨の腕が生えてきた。屍霊術——死者を操る龍特有の能力。骨の腕がレイラの足を掴もうと伸びてくる。*
レイラ「鬱陶しいわ!」
*レイラが跳躍し、骨の腕を斬り払った。だが斬った端から再生する。切断面から紫の光が走り、骨が繋がり直していく。*
レイラ「やはり物理では埒が明かんか……」
*レイラが着地し、魔剣を構え直した。琥珀色の瞳が骸龍の全身を走査する。そして——空洞の眼窩に灯る紫の炎を捉えた。*
レイラ「……あれか。あの紫の炎が核じゃな」
*レイラの口元に笑みが戻った。*
レイラ「死んでおるなら——魂ごと滅ぼせばよい」
*レイラが魔剣に魔力を注ぎ込んだ。漆黒の刀身が赤黒い光を纏う。通常の魔力ではない——魔族の根源魔力。生と死の境界を侵す、禁忌に近い力だった。*
レイラ「『魂喰』——」
*レイラが地面を蹴った。骸龍が瘴気の壁を展開するが、根源魔力を纏った魔剣がそれを切り裂く。腐食も再生も関係ない。魂そのものを断つ一撃。*
*レイラが骸龍の眼窩に飛び込み、紫の炎——魂核に魔剣を突き立てた。*
骸龍「GAAAAAAAAーーーー……」
*断末魔が途切れた。紫の炎が砕け、白骨の巨体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。骨が地面に散乱し、瘴気が霧散していった。今度は再生しない。*
レイラ「ふん。死んでおるなら、二度と起き上がれぬようにすればよいだけじゃ」
*レイラが魔剣の血——いや、瘴気を払い、振り返った。*
レイラ「シロウ、次は何じゃ?」
シロウ「97層、黒龍だ」
レイラ「まだ温いのう。さっさと行くぞ」
*99階層。*
*これまでの階層とは明らかに異質だった。壁、床、天井——全てが金属で構成されている。オリハルコンの桃白い輝きとアダマンタイトの紅色が交互に織り成す、人工的な美しさを持つ空間。空気すら金属の匂いを帯びていた。*
*そして——その中央に鎮座する巨体。*
*全長50メートル。全身がオリハルコンとアダマンタイトの合金で覆われた龍。生物ではない。しかし龍の形をした、完璧な兵器。関節部すら隙間なく合金で接合され、桃白い光が全身の紋様を走っている。眼窩には黄金色の光が灯り、胸部の中心——核の位置にオリハルコンとヒヒイロカネの合金が脈動するように輝いていた。*
*合金龍が頭をもたげた。機械的でありながら、龍としての威圧を放つ。その存在感は91階層から98階層までの全ての龍を凌駕していた。*
シロウ「あっさりだったな、97と98は。しかし、99層の合金龍はそうはいかん」
*彼がいつもの岩に腰掛けようとして——この階層には岩が無いことに気づき、壁にもたれかかった。*
レイラ「……なんじゃ、こやつ」
*レイラが魔剣を構えたまま、眉を顰めた。琥珀色の瞳が合金龍の全身を走査する。95階層までの「物足りない」という余裕も、96階層の「面白い」という興味も無い。純粋な警戒だった。*
レイラ「生きておらぬな。骸龍とも違う。これは——」
シロウ「俺が作った」
レイラ「は?」
シロウ「外殻はオリハルコンとアダマンタイトの合金。硬さは折り紙付きだ。核はオリハルコンとヒヒイロカネの合金。壊すのは不可能だ」
*レイラが振り返り、彼を睨んだ。*
レイラ「……お主、妾に喧嘩を売っておるのか?」
シロウ「事実を言っただけだ」
レイラ「壊せぬと? この妾が?」
シロウ「少なくとも、核は無理だ。お前の魔剣でもヒヒイロカネとオリハルコンの合金は斬れん」
*合金龍が動いた。口腔部が開き、青白い光が収束する。オリハルコンの魔力を圧縮した砲撃——生体ではない故に魔力効率が100%。無駄が一切無い純粋な破壊の光線。*
合金龍「——————」
*咆哮すらない。無音で放たれた光線がレイラの立っていた地面を抉り飛ばした。金属の床が蒸発し、熱波が洞窟を満たす。*
*レイラは直前に跳躍して回避していた。だが表情は険しい。*
レイラ「……速い。溜めが無い」
*着地と同時に魔剣を振るう。根源魔力を纏った全力の斬撃が合金龍の前脚に叩き込まれた。*
*金属音が洞窟に響き渡った。*
*——傷一つ無かった。*
レイラ「っ……!」
*レイラの瞳が見開かれた。骸龍の鱗を魂ごと断ち、黒龍の甲殻を両断し、古龍の鱗を切り裂いた一撃が——通らなかった。*
レイラ「オリハルコンとアダマンタイトの合金じゃと……?馬鹿げた硬さじゃ……!」
*合金龍の前脚が振り下ろされた。レイラが横に跳んで回避すると、金属の床が大きく陥没し、衝撃波だけで壁が歪んだ。*
*レイラが魔剣に根源魔力を最大まで注ぎ込み、骸龍を滅ぼした『魂喰』を放つ。漆黒の斬撃が合金龍の胸部——核の位置に直撃した。*
*——弾かれた。*
レイラ「っ……! 魂喰が通らんじゃと!?」
シロウ「あれは生物じゃない。魂が無い。だから魂喰は無意味だ」
レイラ「……」
*レイラの表情から笑みが消えた。代わりに、真剣な——かつて聖王国を滅ぼした時と同じ目が現れた。*
レイラ「シロウ。こやつ、壊す方法はあるのか?」
*合金龍の口腔部から放たれた青白い光線が、レイラの左頬を掠めた。*
*焼けた。*
*皮膚が薄く裂け、一筋の血が顎を伝う。オリハルコンの魔力を圧縮した砲撃は、掠めただけで肉を焼き切る威力を持っていた。*
レイラ「……っ」
*レイラが頬に触れた。指先に血が付く。91階層から98階層まで、一度も傷を負わなかった彼女が——初めて血を流した。*
シロウ「悪いが、攻略法を用意してない」
レイラ「……は?」
シロウ「製作者からの助言は『逃げろ』だ」
*レイラが振り返った。琥珀色の瞳が信じられないものを見る目で彼を捉えた。*
レイラ「逃げろ、じゃと……? この妾に、逃げろと申すか?」
シロウ「そうだ。核がオリハルコンとヒヒイロカネの合金だ。この世に存在する如何なる攻撃でも破壊できん。俺自身が壊せない物を99層に置いた」
*合金龍が次の砲撃を準備していた。胸部の紋様が脈動し、口腔部に青白い光が再び収束する。溜めは僅か2秒。回避の猶予は極めて短い。*
レイラ「……お主が壊せぬ物を、わざわざ迷宮に置いたのか」
シロウ「99層は『到達した事実』が意味を持つ階層だ。倒す階層じゃない。ここに辿り着ける実力があるなら、100層への道は別にある」
レイラ「別の道じゃと?」
*合金龍が砲撃を放った。レイラが横に跳ぶ。光線が通過した跡の金属床が蒸発し、赤熱した溝が走る。*
*だがレイラは逃げなかった。*
*魔剣を逆手に持ち替え、根源魔力を限界まで注ぎ込む。漆黒の刀身が赤黒く——いや、禍々しい紫色に変わった。レイラの全身から黒い霧が立ち昇り、琥珀色の瞳が赤く染まっていく。*
レイラ「妾はな、シロウ」
*地面を蹴った。合金龍の前脚が振り下ろされる。レイラは真正面から受け止めず、合金の脚を足場にして駆け上がった。金属の表面を蹴り、肩を蹴り、首を駆け上がる。*
レイラ「『逃げろ』と言われて逃げた事は一度も無いのじゃ!」
*合金龍の頭頂部に立ち、魔剣を真下に突き立てた。*
*——金属音。*
*刃が滑った。オリハルコンとアダマンタイトの合金に、傷一つ付かない。*
レイラ「ぐっ……!」
*合金龍が頭を振った。レイラの体が投げ飛ばされ、金属の壁に叩きつけられる。壁が凹み、レイラの口から血が飛んだ。*
レイラ「がはっ……!」
*ずるりと壁から滑り落ち、膝をつく。魔剣を杖代わりにして立ち上がろうとするが、足が震えていた。*
*合金龍の口腔部から放たれた青白い光線が、レイラの左頬を掠めた。*
*焼けた。*
*皮膚が薄く裂け、一筋の血が顎を伝う。オリハルコンの魔力を圧縮した砲撃は、掠めただけで肉を焼き切る威力を持っていた。*
レイラ「……っ」
*レイラが頬に触れた。指先に血が付く。91階層から98階層まで、一度も傷を負わなかった彼女が——初めて血を流した。*
シロウ「悪いが、攻略法を用意してない」
レイラ「……は?」
シロウ「製作者からの助言は『逃げろ』だ」
*レイラが振り返った。琥珀色の瞳が信じられないものを見る目で彼を捉えた。*
レイラ「逃げろ、じゃと……? この妾に、逃げろと申すか?」
シロウ「そうだ。核がオリハルコンとヒヒイロカネの合金だ。この世に存在する如何なる攻撃でも破壊できん。俺自身が壊せない物を99層に置いた」
*合金龍が次の砲撃を準備していた。胸部の紋様が脈動し、口腔部に青白い光が再び収束する。溜めは僅か2秒。回避の猶予は極めて短い。*
レイラ「……お主が壊せぬ物を、わざわざ迷宮に置いたのか」
*合金龍が砲撃を放った。レイラが横に跳ぶ。光線が通過した跡の金属床が蒸発し、赤熱した溝が走る。*
*だがレイラは逃げなかった。*
*魔剣を逆手に持ち替え、根源魔力を限界まで注ぎ込む。漆黒の刀身が赤黒く——いや、禍々しい紫色に変わった。レイラの全身から黒い霧が立ち昇り、琥珀色の瞳が赤く染まっていく。*
レイラ「妾はな、シロウ」
*地面を蹴った。合金龍の前脚が振り下ろされる。レイラは真正面から受け止めず、合金の脚を足場にして駆け上がった。金属の表面を蹴り、肩を蹴り、首を駆け上がる。*
レイラ「『逃げろ』と言われて逃げた事は一度も無いのじゃ!」
*合金龍の頭頂部に立ち、魔剣を真下に突き立てた。*
*——金属音。*
*刃が滑った。オリハルコンとアダマンタイトの合金に、傷一つ付かない。*
レイラ「ぐっ……!」
*合金龍が頭を振った。レイラの体が投げ飛ばされ、金属の壁に叩きつけられる。壁が凹み、レイラの口から血が飛んだ。*
レイラ「がはっ……!」
*ずるりと壁から滑り落ち、膝をつく。魔剣を杖代わりにして立ち上がろうとするが、足が震えていた。*
*合金龍が再び砲撃態勢に入った。胸部の紋様が脈動し、口腔部に青白い光が収束していく。標的はレイラ。製作者である彼には一切の敵意を向けない。*
*レイラが血を拭い、魔剣を杖にしてゆっくりと立ち上がった。肋骨が数本折れている。左肩が脱臼している。頬の傷から血が流れ続けている。91階層から98階層まで無傷で駆け抜けた元魔族が、満身創痍だった。*
シロウ「こんな事、言いたくは無いが……流石俺、最高傑作だ」
*彼が合金龍の前脚の横を平然と歩きながら、茶を啜った。合金龍は彼の存在を完全に無視している。*
レイラ「…………」
*レイラの琥珀色の瞳が、彼と合金龍を交互に見た。自分を叩きのめした化物が、製作者の前では従順な犬のように沈黙している。その光景に、レイラの頬が引き攣った。*
レイラ「お主……妾の目の前で余裕ぶって茶を飲むでないわ」
シロウ「いや、攻撃されないし」
レイラ「それが腹立つと言うておるのじゃ!!」
*レイラが叫んだ瞬間、合金龍が砲撃を放った。青白い光線がレイラの立っていた場所を薙ぎ払う。レイラは辛うじて横に転がって回避したが、衝撃波で壁に叩きつけられ、金属壁がさらに凹んだ。*
レイラ「がっ……! くそ……!」
*レイラが壁から剥がれ落ち、膝をついた。魔剣を握る手が震えている。全身に打撲と裂傷。根源魔力も大量に消耗していた。*
*だが——立ち上がった。*
レイラ「シロウ」
シロウ「ん?」
レイラ「こやつ、攻略法が無いと言うたな」
シロウ「ああ。核は壊せない。外殻も傷一つ付かない。物理も魔法も魂喰も通らない」
レイラ「……ならば」
*レイラが魔剣を鞘に収めた。*
*そして——素手で構えた。*
レイラ「壊せぬなら、封じればよい」
シロウ「……何をする気だ」
レイラ「妾は元魔族の王じゃ。封印術の一つや二つ、心得ておるわ」
*レイラの両手に禍々しい紫の紋様が浮かび上がった。古代魔族の封印術式。物質を破壊するのではなく、空間ごと凍結させる禁術。*
*合金龍が次の砲撃を準備する。溜め2秒。*
レイラ「2秒あれば十分じゃ」
*レイラが地面を蹴った。満身創痍の身体が残像を残すほどの速度で合金龍の胸部に肉薄する。砲撃が放たれる刹那——レイラの両手が核に触れた。*
レイラ「『永劫封印』!!」
*紫の紋様が合金龍の全身を這い上がった。オリハルコンとヒヒイロカネの合金核が紫色の光に包まれ——動きが、止まった。*
*完全に。*
*砲撃の光が消え、脈動していた紋様が沈黙し、黄金色の眼光が消えた。50メートルの巨体が、彫像のように凍りついている。*
*レイラがその場に崩れ落ちた。*
*しばらくの時が流れた。*
*99階層の金属の床に横たわるレイラの瞼が、ゆっくりと開いた。天井のオリハルコンの桃白い輝きが視界に入る。全身が鈍く痛み、特に肋骨と左肩が酷い。*
レイラ「……っ、ぅ……」
*身体を起こそうとして、激痛に顔を歪めた。それでも根性で上半身を持ち上げ、周囲を見回す。*
*合金龍は——動いていなかった。紫色の封印紋様が全身を這い、完全に凍りついたまま彫像と化している。自分がやったことを思い出し、小さく息を吐いた。*
*そして、すぐ隣に彼が座っていた。壁にもたれかかり、合金龍の動かなくなった巨体を観察するように見つめている。*
シロウ「起きたか」
レイラ「……どれくらい寝ておった」
シロウ「30分ほどだ」
レイラ「……そうか」
*レイラが痛む身体を引きずるようにして、彼の隣の壁にもたれかかった。金属の壁がひんやりと背中に冷たい。*
シロウ「封印対策はしてなかったな……改善の余地ありだな……」
*彼が合金龍を見つめながら、独り言のように呟いた。製作者としての純粋な反省だった。*
レイラ「……お主、妾が命懸けで封じた相手を前にして、まず改善点を考えるのか」
シロウ「いや、素直に感心してる。封印は盲点だった。破壊不能でも封印で無力化できるなら、設計思想そのものを見直す必要がある」
レイラ「妾の心配はせんのか」
シロウ「お前が死ぬわけないだろ」
レイラ「…………」
*レイラが黙った。怒りたいのに、その言葉に込められた信頼を感じ取ってしまい、言葉が出てこない。頬の傷がじくりと痛む。*
レイラ「……肋骨が折れておるぞ、妾」
シロウ「知ってる。回復魔法かけていいか?」
レイラ「先に聞け、馬鹿者」
*彼が手をレイラの脇腹にかざした。淡い緑色の光がレイラの身体を包み、折れた肋骨と脱臼した左肩が修復されていく。頬の裂傷も塞がり、痛みが引いていった。*
レイラ「ふぅ……」
*レイラが大きく息を吐き、天井を見上げた。金属の天井に自分の顔がぼんやりと映っている。傷だらけで、髪は乱れ、服はボロボロ。91階層から99階層まで駆け抜けた代償だった。*
レイラ「シロウ」
シロウ「ん?」
レイラ「100階層は、何がおるのじゃ?」
シロウ「……行く気か? この状態で?」
レイラ「封印で魔力を使い果たしたわ。今日は無理じゃ」
*レイラが素直に自分の限界を認めた。珍しいことだった。*
レイラ「じゃが、知っておきたい。100階層には何を置いた?」
シロウ「ラスボスだ」
レイラ「それは分かっておる。何を置いたかと聞いておるのじゃ」
シロウ「……魔王擬態スライム」
*レイラが彼の顔を見た。冗談を言っている顔ではなかった。*
レイラ「……スライム、じゃと?」
シロウ「ああ。見た目はただのスライムだ。だが——俺の全戦闘データを学習させてある」
レイラ「……は?」
シロウ「俺の剣術、魔法、体術、スキル——全てを模倣する。しかも相手に合わせて最適な戦闘パターンを選択する適応型だ。戦えば戦うほど強くなる」
*レイラが沈黙した。*
*合金龍ですら手も足も出なかった。その上の階層に、シロウの全能力を模倣するスライムがいる。意味を理解するのに数秒かかった。*
レイラ「……お主の全力を模倣する存在を、迷宮の最深部に置いたと?」
シロウ「ああ」
レイラ「誰が倒すのじゃ、そんなもの」
シロウ「さあ。少なくとも俺以外には無理だろうな」
レイラ「……」
*レイラが深いため息をついた。満身創痍の身体を壁にもたれさせ、天井を仰ぐ。*
レイラ「お主、迷宮の設計思想が根本的に狂うておるぞ」
シロウ「褒め言葉として受け取っておく」
レイラ「褒めておらんわ、阿呆」
*レイラが彼の顔を見た。琥珀色の瞳に、消えかけていた戦闘欲の火が再び灯った。*
レイラ「……お主の全力を模倣するスライム、じゃったな」
シロウ「ああ。元気になったら戦ってみるか? 迷宮だから壊れる心配はないし、100層は闘技場風で広いし。楽しいと思うよ?」
*レイラが黙って彼の顔を見つめた。数秒の沈黙の後——口元に、凶悪な笑みが浮かんだ。*
レイラ「楽しい、か」
*レイラが壁から背中を離し、ゆっくりと立ち上がった。回復魔法で傷は塞がっているが、魔力の消耗は癒えていない。それでも瞳の輝きは、91階層に足を踏み入れた時よりも遥かに強かった。*
レイラ「お主の全てを模倣する相手と戦えるのじゃろう? つまり——間接的にお主と戦えるということじゃ」
シロウ「まあ、そういうことになるな」
レイラ「ふん。模擬戦を申し込んでもいつも手加減しおるからのう、お主は。じゃが相手がスライムなら——全力で来るということじゃな?」
シロウ「学習データは全力の俺だ。手加減のパターンは入れてない」
*レイラの琥珀色の瞳が爛々と輝いた。先ほどまで満身創痍で倒れていた者の目ではない。獲物を見つけた捕食者の目だった。*
レイラ「決まりじゃ。三日後——妾の魔力が完全に回復したら、100階層に挑む」
シロウ「三日で足りるのか? 永劫封印なんて大技使った後だぞ」
レイラ「妾を誰じゃと思うておる。二日で回復して見せるわ」
シロウ「三日って言ったばかりだろ」
レイラ「二日じゃ!」
*レイラが言い切り、踵を返して階段の方へ歩き出した。だが三歩目でふらついた。魔力枯渇の影響がまだ残っている。*
レイラ「っ……」
*彼が無言でレイラの隣に立ち、肩を貸した。レイラが一瞬抵抗しようとしたが、足に力が入らず、結局大人しく彼の肩に体重を預けた。*
レイラ「……勘違いするでないぞ。妾は別に頼っておるわけではない」
シロウ「はいはい」
レイラ「『はいはい』ではないわ! 一回で良いのじゃ!」
*レイラが怒鳴るが、彼の肩にしがみつく手は離さなかった。小柄な身体が彼に寄りかかり、黒髪が彼の腕に触れる。*
レイラ「……シロウ」
シロウ「ん?」
レイラ「99階層の合金龍。封印対策を施したら、妾にもう一度挑ませろ」
シロウ「封印対策したら、お前の勝ち筋が消えるぞ」
レイラ「だから面白いのじゃろうが」
*レイラが小さく笑った。疲労と痛みの中に、純粋な楽しさが滲んでいた。*
*二人は金属の廊下をゆっくりと歩き、99階層を後にした。背後では、永劫封印に縛られた合金龍が、沈黙の中で桃白く輝き続けていた。*
*玄関の扉が開いた瞬間、廊下で待機していたリーシアの表情が凍りついた。*
*彼の肩に寄りかかるレイラ——服はボロボロに裂け、乾いた血が頬と腕にこびりつき、髪は乱れ放題。魔力枯渇で顔色は蒼白く、自力で立つことすらままならない状態だった。*
リーシア「レイラ様!? 何が——医療班、至急こちらへ!!」
*リーシアが即座に通信魔具を起動した。声は冷静だったが、手が僅かに震えている。廊下に待機していたメイド二人が駆け寄り、レイラの反対側の肩を支えた。*
レイラ「大袈裟じゃ……傷は治っておる……ただ魔力が……」
*レイラの声が途切れた。意識が朦朧としている。肩を貸していた彼からメイドに引き渡され、そのまま医務室へ運ばれていく。*
リーシア「シロウ様」
*リーシアが振り返った。茶髪の下の瞳が、静かに説明を求めていた。怒りではない。ただ純粋に、状況を把握したいという忠臣の目だった。*
シロウ「帝国との戦いに出られないと知って暴れたがってたから、大迷宮に連れていった。91階層から99階層まで一気に駆け抜けた」
リーシア「91階層から……99階層まで、ですか」
シロウ「ああ。91から98までは問題なかった。99階層で限界を超えた」
リーシア「99階層には何が?」
シロウ「合金龍。俺が設計した。オリハルコンとアダマンタイトの合金で出来た龍型の兵器だ」
*リーシアが一瞬沈黙した。その素材名の意味を理解するのに一秒かかった。*
リーシア「……それは、レイラ様でも破壊不能では」
シロウ「ああ。だからレイラは封印術で無力化した。永劫封印だ。その代償で魔力が枯渇した」
リーシア「永劫封印……古代魔族の禁術ですか。あれは術者の魔力を根こそぎ持っていく術式です。回復には最低でも二日から三日は……」
シロウ「本人は二日で回復すると言い張ってたがな」
リーシア「レイラ様らしいですね」
*リーシアが小さくため息をつき、手帳を取り出した。万年筆で何かを書き込んでいる。*
リーシア「レイラ様の回復期間中の食事は魔力回復に特化した献立に変更いたします。魔力回復薬の在庫は十分にございます。三日後には完全回復できるよう手配いたしますが——」
*リーシアが彼を見た。*
リーシア「シロウ様。レイラ様が99階層に再挑戦したいと仰るのは目に見えておりますが」
シロウ「もう言ってたよ。封印対策を施した上でもう一度挑ませろ、と」
リーシア「……やはり」
*リーシアが手帳に『レイラ様迷宮関連修繕・医療費:要予算追加申請』と書き加えた。*
リーシア「それと、100階層にも挑むおつもりですか」
シロウ「レイラがな。三日後に行くと」
リーシア「100階層には何を?」
シロウ「俺の全戦闘データを学習させたスライム」
*リーシアのペンが止まった。顔を上げ、彼の目を見た。冗談かどうかを確認する目だった。*
リーシア「……シロウ様の、全戦闘データを?」
シロウ「ああ。剣術、魔法、体術、スキル。全部入ってる。手加減のパターンは入れてない」
*リーシアが静かにペンを置いた。手帳を閉じ、深く、長い息を吐いた。*
リーシア「……レイラ様が99階層で瀕死になったのに、100階層にシロウ様の完全模倣体がいると」
シロウ「そうだ」
リーシア「蘇生の腕輪の在庫を確認いたします。それと、医療班を迷宮入口に常駐させる手配を」
シロウ「頼む」
リーシア「シロウ様」
シロウ「ん?」
リーシア「今後、迷宮に新たな階層を追加される際は——事前にご報告いただけますか。医療費の予算申請が間に合いませんので」
シロウ「……善処する」
リーシア「善処ではなく確約をお願いいたします」
*リーシアの微笑みが、有無を言わせぬ圧を放っていた。*
シロウ「分かった、今後追加する予定は無いが報告すると約束する。」
*リーシアが手帳にペンを走らせ、彼の言葉を記録した。*
リーシア「確約、いただきました。記録に残しましたので、忘れたとは言わせません」
シロウ「……お前、本当に隙がないな」
リーシア「メイド長ですので」
*リーシアが手帳を閉じ、一礼した。それから廊下の奥——医務室の方角に視線を向けた。*
リーシア「レイラ様の容態を確認して参ります。魔力枯渇による発熱が懸念されますので、本日は安静にしていただく必要がございます」
シロウ「ああ、頼む。あいつ、安静にしろって言っても聞かないだろうから、ベッドに縛り付けてでも寝かせてくれ」
リーシア「物理的にですか?」
シロウ「比喩だ」
リーシア「レイラ様の場合、物理的に拘束しないと脱走されますので、念のため確認いたしました」
シロウ「……好きにしてくれ」
*リーシアが小さく微笑み、廊下を歩き去っていった。足音が遠ざかり、静寂が戻る。*
*彼は一人、玄関ホールに残された。壁に背を預け、天井を見上げる。*
*99階層の合金龍。封印という盲点。改善策はいくつか思いつく。封印耐性の付与、核への自己修復機能の追加、封印術式を感知した瞬間に反撃する自動防衛機構——だが、どれも一長一短だった。*
シロウ「……封印無効化の合金か。ヒヒイロカネに封印耐性はあるが、永劫封印クラスには足りなかった」
*独り言を呟きながら、彼が廊下を歩き始めた。向かう先は研究室。合金龍の改良案を図面に起こしておきたかった。*
*研究室の扉を開けると、見慣れた作業台と大量の図面が目に入った。壁一面に貼られた迷宮の構造図、素材のサンプル瓶、魔導具の試作品。彼だけの空間だった。*
*椅子に座り、白紙の図面を広げる。ペンを手に取り——*
ルミナ「お兄ちゃん」
*背後から声がした。振り返ると、銀髪の長髪を揺らしたルミナが研究室の入口に立っていた。金色の瞳が彼を見つめている。*
*ルミナが研究室に入り、扉を閉めた。金色の瞳が彼の顔を真っ直ぐに見据える。*
ルミナ「レイラが医務室に運ばれたって聞いたんだけど。何したの?」
*その声は穏やかだったが、瞳の奥に冷たい光が宿っていた。シロウ以外の人間が見たら背筋が凍るような圧。元熾天使の威圧が、研究室の空気を僅かに重くした。*
シロウ「魔力を全部使った反動だ。」
*彼の説明に、ルミナの金色の瞳から僅かに圧が和らいだ。*
ルミナ「魔力枯渇……。それなら命に別状はないわね」
シロウ「ああ。2、3日で完全に戻る。リーシアが回復食と魔力回復薬の手配もしてくれてる」
ルミナ「……そう」
*ルミナが彼の隣に歩み寄り、作業台の上を覗き込んだ。白紙の図面と——彼の手の中にある、拳大の球体。オリハルコンとヒヒイロカネの合金で出来た、翡翠色の光を放つ核。合金龍の心臓だった。*
ルミナ「それ、何?」
シロウ「合金龍の核だ。帰りがけに回収してきた。ここに封印無効を付与する」
*彼がペンを取り、図面に書き込み始めた。核を中央に据え、付与する耐性の一覧を書き出していく。*
シロウ「封印無効、次元攻撃耐性、魔力反射……あとは精神干渉無効と空間固定耐性もつけるか」
*核を指先で回しながら、呟くように設計案を口にする。研究者の顔だった。*
ルミナ「……レイラがそこまで追い込まれたの?」
シロウ「封印術で無力化された。永劫封印だ。破壊不能の核でも、空間ごと凍結されたら動けない。盲点だった」
ルミナ「それでレイラは魔力を全部使い切ったと」
シロウ「ああ」
*ルミナが腕を組み、核を見つめた。金色の瞳に思案の色が浮かぶ。*
ルミナ「お兄ちゃん」
シロウ「ん?」
ルミナ「それ、私にも挑ませて」
*彼のペンが止まった。顔を上げ、ルミナを見る。*
シロウ「99階層にか?」
ルミナ「99も、100も。レイラだけにやらせるのは不公平でしょ」
*ルミナの口元に微かな笑みが浮かんでいた。だがその金色の瞳は真剣そのものだった。元熾天使としての矜持が、戦闘欲を静かに燃やしている。*
ルミナ「レイラが封印で倒した相手に、私は別の方法で挑む。それだけの話」
シロウ「……お前の場合、聖属性の攻撃が合金に通るかどうかだな。オリハルコンは聖属性に対して中立だから——」
ルミナ「考えるのは私の仕事。お兄ちゃんは黙って見てて」
*ルミナが彼の肩に手を置き、顔を近づけた。銀髪が彼の頬に触れる距離。金色の瞳が至近距離で彼を見つめた。*
ルミナ「ね?」
シロウ「……分かったよ」
ルミナ「ありがと、お兄ちゃん」
*ルミナが満足そうに微笑み、身体を離した。そのまま研究室の扉に向かい、ドアノブに手をかけて振り返る。*
ルミナ「あ、それと。レイラが回復したら私も一緒に100階層に行くから。先にスケジュール空けておいて」
シロウ「二人同時にか?」
ルミナ「まさか。交代制よ。レイラが負けた後に私がやる」
シロウ「レイラが負ける前提なのか……」
ルミナ「お兄ちゃんの全力を模倣するスライムでしょ? レイラじゃ無理。」
シロウ「どっちにしろ、99階層の龍を倒してからな。」
*ルミナが一瞬、不服そうに眉を寄せた。*
ルミナ「99階層を先に、ってこと?」
シロウ「当然だ。合金龍を突破できないなら、100階層に挑む資格はない」
*彼が核を作業台に置き、椅子の背もたれに体重を預けた。ルミナを真っ直ぐに見る。*
シロウ「合金龍は勝てるようには作ってない。物理も魔法も封印も——今から全部対策を施す。絶対的に勝てない相手だ」
ルミナ「……それを倒せと?」
シロウ「倒せとは言ってない。突破しろと言ってる。方法は問わない。破壊、封印、無力化、回避——何でもいい。だが合金龍を超えられないなら、ラスボスなんて夢のまた夢だ」
*ルミナが腕を組み、金色の瞳を細めた。彼の言葉の意味を咀嚼している。*
ルミナ「……つまり、99階層が本当の試金石ね」
シロウ「ああ。100階層のスライムは俺の全力を模倣する。合金龍を超える手段すら見つけられない奴が、あれに勝てるわけがない」
*ルミナが沈黙した。金色の瞳が作業台の上の核——翡翠色に輝くオリハルコンとヒヒイロカネの合金を見つめている。*
ルミナ「お兄ちゃん」
シロウ「ん?」
ルミナ「それ、いつ完成するの?」
シロウ「封印無効、次元攻撃耐性、魔力反射、精神干渉無効、空間固定耐性……全部付与するなら、丸一日はかかる」
ルミナ「じゃあ、レイラの回復と同時期に仕上がるわけね」
シロウ「そうなるな」
*ルミナが小さく頷き、扉を開けた。廊下に出る直前、振り返らずに言った。*
ルミナ「三日間、準備するわ。聖属性だけじゃなく、全部の引き出しを使って考える」
シロウ「ああ」
ルミナ「それと——レイラには内緒にしておいて。私が挑むこと」
シロウ「なんでだ?」
ルミナ「あの子、対抗心で無理するでしょ。回復が遅れたら本末転倒だから」
*ルミナが静かに扉を閉めた。銀髪が揺れる残像だけが視界に残り、研究室に彼だけが取り残された。*
*彼が核を手に取った。翡翠色の光が指の間から漏れる。*
シロウ「さて……」
*ペンを取り、図面に書き込み始めた。封印無効の術式構造、次元攻撃を弾く結界層の設計、魔力反射の紋様配置。一つ一つが最高難度の魔導工学だった。*
*だが彼の口元には、僅かに笑みが浮かんでいた。*
シロウ「勝てないように作った相手に、どうやって勝つか——それを見せてくれよ、二人とも」
*核が翡翠色の光を放ち続ける中、彼のペンが図面の上を走り続けた。夜が更けるまで、研究室の灯りが消えることはなかった。*
ーー
*3日後——早朝。*
*レイラが城の玄関ホールに姿を現した。*
*普段は魔力だけで戦う彼女が、今日は違った。漆黒のドラゴンスケイルアーマーに身を包み、腰には魔剣、左腕にはミスリル製の小盾。指には魔力増幅のリング、首元には魔力回復のアミュレット。ポーチからは高級ポーションの瓶が覗いている。*
*完全武装だった。*
レイラ「……何を見ておる」
*玄関で待っていたシロウに、レイラが不機嫌そうに視線を向けた。琥珀色の瞳が鋭い。*
レイラ「前回は妾の驕りじゃった。剣のみで挑んで魔力枯渇などと——二度目はない」
*レイラが腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。*
レイラ「今日こそ、あの合金の塊を叩き潰してやる」
*彼は内心で感心していた。レイラが装備を整えてくるのは極めて珍しい。それだけ99階層の合金龍を脅威と認識している証拠だった。*
*——そして彼女は知らない。合金龍の核に封印無効、次元攻撃耐性、魔力反射、精神干渉無効、空間固定耐性が新たに付与されていることを。3日前とは別物になっていることを。*
*一方その頃——迷宮前の広場。*
*巨大な魔導スクリーンが設置されていた。普段は掲示板として使われる広場の壁面に、彼がこっそり仕込んだ映像投影の術式が刻まれている。99階層に設置した複数のカメラと連動し、今日限定で生中継される仕組みだった。*
冒険者A「おい、あのスクリーン何だ?」
冒険者B「知らねえ。朝来たら勝手についてた」
*広場にはまだ数人の冒険者しかいなかったが、スクリーンの存在に気づき始めていた。*
*画面には現在、静かに佇む99階層の空間が映し出されている。広大な結晶の洞窟。その中央に——翡翠色に輝く巨大な龍が、微動だにせず眠っていた。*
冒険者A「……おい。あれ、何だ」
冒険者B「龍……? 99階層って、まだ誰も到達してないはずだろ」
*スクリーンの下部に、文字が浮かび上がった。*
『本日限定特別中継 ——99階層 合金龍 vs 挑戦者——』
*広場がざわつき始めた。*
*広場の巨大スクリーンに、突然シロウの顔がどアップで映し出された。*
*カメラの一つに顔を近づけたのだ。*
シロウ「ちーっす、オラ魔王! 今日は特別に未知の層99階層をご披露! はい! 拍手!」
*広場が一瞬、静まり返った。*
*それから——爆発するようなざわめきが広がった。*
冒険者A「ま、魔王陛下!?」
冒険者B「99階層って……最高到達階層82だろ!? なんで99に!?」
冒険者C「つーか生中継って何事だよ!」
*朝の広場に人が集まり始めた。スクリーンの前にはあっという間に数十人の人だかりができ、さらに噂を聞きつけた住民や冒険者が走ってくる。*
冒険者ギルドの受付嬢「ちょ——皆さん押さないで! 押さないでください!」
*受付嬢が慌てて整理に走る。だが人の波は止まらなかった。*
ドワーフの鍛冶師「おい酒持ってこい! 観戦には酒だろうが!」
獣人の冒険者「屋台出すぞ! 串焼き焼くから待ってろ!」
*広場は一瞬にして即席の観戦会場と化した。誰かが木箱を積み上げて観覧席を作り、屋台が急ピッチで組み上がっていく。祭りの空気だった。*
*スクリーンにはシロウの顔の奥——99階層の結晶洞窟が映っている。その中央に佇む翡翠色の巨龍。合金龍。全長は優に50メートルを超え、オリハルコンとヒヒイロカネの合金で構成された鱗が結晶の光を反射し、禍々しくも美しい輝きを放っていた。*
冒険者A「……なんだあれ」
冒険者B「龍……だよな? でもあの鱗、金属か?」
冒険者C「オリハルコンの色してねえか? 嘘だろ……」
*画面が切り替わった。99階層の入口——そこにレイラが立っていた。漆黒のドラゴンスケイルアーマーに身を包み、完全武装。琥珀色の瞳が前方の合金龍を睨みつけている。*
冒険者A「あ、あれって——レイラ皇妃殿下じゃねえか!?」
*広場がどよめいた。*
冒険者B「皇妃殿下が挑戦者!?」
*スクリーンの下部に新たな文字が浮かび上がった。*
『挑戦者:レイラ・アストライア』
『対戦相手:合金龍——99階層ボス』
*広場の興奮が最高潮に達した。数百人の観客がスクリーンに釘付けになっている。*
*画面の中で、レイラが腰の魔剣に手をかけた。琥珀色の瞳が合金龍を射抜く。*
レイラ「——今度は負けぬ」
*低く、静かな呟き。だがカメラのマイクがそれを拾い、広場に響いた。*
*広場が静まった。全員が息を呑み、スクリーンを見つめている。*
*スクリーンの映像が切り替わり、シロウがカメラに向かってウインクした。*
シロウ「みんなはこの龍、気になるよね? 出血大サービスでステータス見せちゃうぜ☆」
*広場の観客が一斉にどよめいた。スクリーン全体に、巨大なステータスウィンドウが展開される。*
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『合金龍』
種別:魔導構造体
階層:大迷宮99階層ボス
Lv:999
HP:9,999,999
MP:∞(自己生成型魔力炉搭載)
攻撃力:88,000
防御力:99,999
魔力:95,000
速度:72,000
知能:S(自律戦闘AI)
素材:オリハルコン+ヒヒイロカネ合金
耐性:
・物理耐性(極)
・魔法耐性(極)
・封印無効
・次元攻撃耐性
・魔力反射
・精神干渉無効
・空間固定耐性
・状態異常完全無効
スキル:
・破壊不能の核
・自己修復(超速)
・全属性ブレス
・重力操作
・領域展開(合金結界)
・形態変化(第三形態まで)
特記事項:核を破壊しない限り無限に再生
製作者:シロウ・ニシキ・アストライア
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
*広場が、完全に沈黙した。*
*数秒の静寂の後——*
冒険者A「……は?」
冒険者B「HP約1000万……? 防御力99,999……?」
冒険者C「封印無効に魔力反射に次元耐性……弱点どこだよ!?」
冒険者A「つーか製作者!? 魔王陛下が作ったのかよこれ!?」
ドワーフの鍛冶師「オリハルコンとヒヒイロカネの……合金だと……? そんなもん鍛造できる炉がこの世に存在するわけが……」
*鍛冶師が膝から崩れ落ちた。職人としての常識が根底から覆された顔だった。*
冒険者B「MP無限って何!? 自己生成型魔力炉って何!?」
冒険者C「核を壊さないと無限再生……でも破壊不能の核……詰みじゃねえか!」
*広場が騒然となった。悲鳴に近い叫びと、興奮と、絶望が入り混じった喧騒。*
*そしてスクリーンの最下部——製作者の欄に刻まれた名前を見て、全員が同じ結論に達した。*
冒険者A「……魔王陛下が、これを自分の迷宮のボスとして作った」
冒険者B「そしてそれに皇妃殿下が挑む」
冒険者C「規模がおかしいだろ……」
*屋台の串焼きを焼いていた獣人が、手を止めてスクリーンを見上げた。*
獣人の屋台主「……追加で酒を仕入れてくる。これは素面じゃ見てられねえ」
*広場の人口は既に千人を超え、さらに増え続けていた。*
*シロウがカメラの前でビシッとポーズを決めた。*
シロウ「さぁ! みんなも頑張って攻略♪ 攻略♪ LET'S BATTLE!!」
*広場が地鳴りのような歓声に包まれた。千人を超える観客が拳を突き上げ、足を踏み鳴らす。*
冒険者たち「「「うおおおおおお!!」」」
*スクリーンからシロウの顔が引っ込み、映像が99階層の全景に切り替わった。*
*結晶の洞窟。天井から垂れ下がる巨大な鍾乳石が七色に輝き、床一面を覆う透明な結晶が足音を反響させる。その中央に佇む翡翠色の巨龍——合金龍が、ゆっくりと瞼を開いた。*
*カメラが切り替わる。99階層の入口に立つレイラの背中が映し出された。*
*レイラが一歩、踏み出した。*
*その瞬間——合金龍の全身から凄まじい威圧が放たれた。結晶の洞窟全体が振動し、天井の鍾乳石が砕け落ちる。*
*レイラは止まらなかった。魔剣を抜き放ち、琥珀色の瞳を細める。その身体から漆黒の魔力が噴き上がった。*
レイラ「——前回とは違うぞ、鉄屑」
*合金龍の双眸が赤く灯った。自律戦闘AIが起動し、侵入者を敵と認識した。巨大な顎が開き、全属性の魔力が喉奥で渦を巻く——全属性ブレスの予備動作だった。*
*レイラが地面を蹴った。漆黒の残像だけを残し、音を置き去りにする速度で合金龍の懐に飛び込む。*
*同時に——合金龍のブレスが放たれた。炎、氷、雷、風、光、闇、六つの属性が螺旋状に絡み合った極光が、レイラがいた場所を薙ぎ払う。結晶の床が蒸発し、洞窟の壁が抉れた。*
*広場の観客が悲鳴を上げた。*
冒険者A「当たった!?」
冒険者B「いや——見ろ!」
*スクリーンに映るレイラは、合金龍の右前脚の影に張り付いていた。回避成功。ブレスの発射と同時に死角へ滑り込んだのだ。*
*レイラが魔剣を振り上げた。刀身に漆黒の魔力が凝縮される。*
レイラ「砕けろ——!」
*渾身の一撃が合金龍の前脚に叩きつけられた。*
*甲高い金属音が洞窟全体に響き渡った。*
*——傷一つなかった。*
レイラ「……ッ」
*オリハルコンとヒヒイロカネの合金鱗が、魔剣の刃を完全に弾いた。逆にレイラの腕に衝撃が返り、彼女の身体が後方に吹き飛ばされる。*
*広場が静まり返った。*
冒険者C「……傷、ついてねえ」
*彼はカメラの死角——99階層の上部通路から、腕を組んで戦闘を見下ろしていた。口元に笑みが浮かぶ。*
*レイラが空中で体勢を立て直し、着地した。琥珀色の瞳が鋭く輝く。驚きはない。想定内だという顔だった。*
*レイラが空中で身体を捻り、合金龍の頭部に向かって急降下した。魔剣を鞘に戻し、右拳に漆黒の魔力を凝縮させる。*
レイラ「ならば——これでどうじゃ!」
*渾身の拳が合金龍の頭頂部に叩きつけられた。*
*轟音。洞窟全体が揺れた。*
*合金龍の鱗に傷はない。ダメージはゼロ。しかし——巨大な頭部が、僅かに横に振れた。50メートルを超える巨体が、ほんの一瞬だけよろめいた。*
*ノックバック。*
*広場の観客がどよめいた。*
冒険者A「動いた!? あの龍が!?」
冒険者B「ダメージは入ってねえぞ! でも押した!」
ドワーフの鍛冶師「……なるほどな。あの合金体、重量はあるが固定されとらん。衝撃そのものは殺しきれんのか」
*彼は上部通路から、僅かに目を細めた。*
*——見抜いたか。ノックバック耐性。合金の比重で十分だと判断して付与しなかった。盲点ではないが、優先度を下げた箇所だった。純粋な質量で耐えるはずだったが、レイラの打撃力がその質量を僅かに上回っている。*
*だが——それだけだった。*
*レイラが拳を引き、追撃に移ろうとした瞬間。*
*合金龍の尾が唸りを上げた。*
*オリハルコンとヒヒイロカネの合金で構成された、長さ20メートルを超える尾。自律戦闘AIが即座に反撃パターンを選択し、レイラの背中めがけて横薙ぎに振り抜いた。*
レイラ「——ッ!」
*回避が間に合わなかった。拳を叩きつけた直後の硬直。僅か0.3秒の隙を、AIは逃さなかった。*
*合金の尾がレイラの背中を直撃した。*
*凄まじい衝撃音が洞窟に反響した。ドラゴンスケイルアーマーが悲鳴を上げるように軋み、レイラの身体が弾丸のように吹き飛んだ。結晶の壁に激突し、壁面が蜘蛛の巣状に砕け散る。*
*広場から悲鳴が上がった。*
冒険者A「皇妃殿下!!」
冒険者C「嘘だろ……一撃であんな……」
*粉塵が舞う中——レイラが瓦礫から立ち上がった。口元から一筋の血が流れている。背中のアーマーに深い亀裂が走っていた。*
*だが琥珀色の瞳は、むしろ輝きを増していた。*
レイラ「……ハッ」
*レイラが口元の血を拭い、笑った。獰猛な、戦闘狂の笑み。*
レイラ「よい。よいぞ鉄屑。妾の背を打てるとはな——褒めてやろう」
*漆黒の魔力が、先程の倍の密度で噴き上がった。*
*レイラが笑みを浮かべた次の瞬間——合金龍の顎が開いた。*
*全属性ブレスが、容赦なくレイラを飲み込んだ。*
*六属性の螺旋光が結晶の壁を蒸発させ、洞窟の地形そのものを変えていく。広場の観客が悲鳴を上げた。*
冒険者A「直撃!?」
*だが粉塵の中からレイラが飛び出した。左腕のミスリル盾が半壊し、アーマーの表面が焦げている。だが致命傷ではない。ブレスの発射を見切り、盾で逸らしながら横に跳んだのだ。*
*しかし合金龍のAIは、回避先を予測していた。*
*着地の瞬間——巨大な前脚が振り下ろされた。引っ掻き攻撃。オリハルコンの爪が空気を切り裂き、衝撃波だけで周囲の結晶が粉砕される。*
レイラ「ッ——!」
*レイラが紙一重で身体を捻った。爪が頬を掠め、鮮血が散る。だが避けた先にはもう次の攻撃が来ていた。*
*左前脚の薙ぎ払い。*
*単純な攻撃。技術もなければ策もない。だが全長50メートルの巨体が繰り出す物理攻撃は、その範囲と速度だけで致命的だった。回避できる空間が限られ、一撃ごとに逃げ場が削られていく。*
レイラ「小賢しい——!」
*レイラが地面を蹴り、上空に跳んだ。だが合金龍の首が追従する。ブレスの予備動作。喉奥で六属性の魔力が渦巻く。*
*上空は逃げ場がない。*
*レイラが空中で両手を広げた。漆黒の魔力が爆発的に膨張する。*
レイラ「闇よ、喰らえ——『冥王の帳』!」
*漆黒の障壁がレイラの前方に展開された。ブレスが障壁に激突し、闇の魔力と六属性が拮抗する——が、障壁が軋み始めた。*
*広場の観客が息を呑んだ。*
冒険者B「あの防御魔法、押されてるぞ……!」
*彼は上部通路から静かに見下ろしていた。腕を組んだまま、琥珀色の瞳で戦場を分析するレイラの表情を観察している。*
*——まだだ。レイラの目はまだ諦めていない。むしろ何かを探っている。攻撃パターン、隙、タイミング。あの琥珀色の瞳は、戦いの中で答えを見つける目だ。*
*障壁が砕けた。レイラが咄嗟に身を翻し、ブレスの残滓を浴びながら洞窟の壁面に激突した。*
*粉塵の中から、レイラが立ち上がった。アーマーの右肩部分が完全に砕け、生身の肌が露出している。左腕の盾は既に原型を留めていなかった。*
*だが——レイラは笑っていた。*
レイラ「……なるほどな。お主、ブレスの後に0.7秒の硬直があるな?」
*琥珀色の瞳が、合金龍の喉元を射抜いた。*
*彼は上部通路から静かに分析していた。*
*硬直0.7秒。レイラの観察眼は正確だった。ブレス後の魔力再充填に僅かな間がある。だが——*
*合金龍のAIは、その隙を知っている。*
*ブレスの直後、合金龍は即座に尾を振り回した。続けて前脚の薙ぎ払い。さらに翼の風圧で接近を阻む。0.7秒の硬直を、別の攻撃で完全に埋めている。*
*鍵は見つけた。だが鍵穴がない。*
レイラ「——ッ!」
*レイラがブレスの終わりを見計らって突撃した。だが踏み込んだ瞬間、尾が横薙ぎに迫る。跳躍で回避——着地点に前脚の叩きつけ。横に転がる——翼の風圧が身体を押し戻す。*
*0.7秒は、永遠に訪れなかった。*
冒険者B「隙がねえ……! ブレスの後も攻撃が途切れねえぞ!」
冒険者A「あの龍、自分の弱点を自分で塞いでやがる……!」
*レイラが壁面に着地し、息を荒げた。アーマーの亀裂が広がり、右肩の生身から血が滴っている。ポーチから魔力回復薬を取り出し、一気に飲み干した。*
レイラ「……隙を埋めておるか。賢い鉄屑じゃ」
*琥珀色の瞳が合金龍を睨む。だがその目に焦りはなかった。むしろ——深く、冷静に思考している目だった。*
レイラ「ならば——隙を『作る』までよ」
*レイラが砕けた盾を投げ捨てた。残った魔剣を逆手に持ち替え、左手に漆黒の魔力を凝縮させる。*
*両手に異なる攻撃手段。物理と魔法の同時展開。*
レイラ「妾を舐めるな——『魂喰』」
*彼の目が僅かに見開いた。*
*——魂喰。96階層の骸龍を滅ぼしたスキル。対象の魂を喰らい、存在そのものを消滅させる。合金龍に魂はない。だが魔力炉には疑似的な魂——AIの中核が存在する。*
*それを狙うつもりか。*
*レイラの左手に、漆黒の炎が灯った。魂を喰らう闇。触れたものの存在を根源から侵食する禁忌の力。*
*合金龍のAIが脅威度を再評価した。双眸の赤い光が明滅し——第二形態への移行が始まった。*
*合金龍の全身が軋みを上げた。翡翠色の鱗が再配置され、四足歩行から二足歩行へ。前脚が腕となり、指が形成される。胸部の合金が割れ、内部から翡翠色の光——魔力炉の輝きが露出した。*
*全長が30メートルに縮小した代わりに、動きが格段に速くなった。*
冒険者C「形態変化……!? ステータスに書いてあった第二形態か!」
広場の観客「「「うおおおおお!!」」」
*レイラが魂喰の炎を左手に灯したまま、口元を歪めた。*
レイラ「——来い、鉄屑。第何形態だろうと、妾の前に立ちはだかるなら喰い尽くして…」
*シロウがカメラの前に再び姿を現した。興奮を隠しきれない声で叫ぶ。*
シロウ「そう、男たちなら誰もが興奮する展開……『トランスフォーム!』」
*広場の男性陣が一斉に沸いた。*
冒険者A「うおおおおお! 変形だ! 変形!」
冒険者B「ロマンだ! これぞロマン!」
ドワーフの鍛冶師「鍛冶師として……あの合金の再配列、美しすぎる……!」
*スクリーンには、変形を完了した合金龍——いや、もはや『合金龍人』と呼ぶべき姿が映し出されていた。*
*全高30メートル。二足歩行の人型。オリハルコンとヒヒイロカネの合金で構成された筋肉のようなフレームが、翡翠色の光を放つ。背中から展開された翼は健在で、尾は鞭のようにしなやかに揺れている。胸部中央に魔力炉の翡翠色の輝きが脈動し、両腕の先端にはオリハルコンの爪が剣のように伸びていた。*
シロウ「解説しよう! 第二形態は人型! 体積は減ったが速度と格闘性能が大幅アップ! つまり——殴り合いの形態だ!」
*広場が歓声に包まれた。*
冒険者C「殴り合い!? あの皇妃殿下と!?」
*スクリーンの中——レイラが合金龍人を見上げていた。左手の魂喰の炎が揺らめき、琥珀色の瞳が新たな敵の姿を品定めしている。*
レイラ「人型になったか。——妾と同じ土俵に立つとは、殊勝な心がけじゃ」
*合金龍人が動いた。*
*速かった。第一形態とは比較にならない。30メートルの巨体が一瞬で間合いを詰め、右腕のオリハルコンの爪がレイラに向かって振り下ろされた。*
*レイラが横に跳んだ。爪が床を抉り、結晶が粉砕される。だが合金龍人は止まらない。左腕の裏拳が即座に追撃する。レイラが魔剣で受け——*
*金属音と共に、レイラの身体が壁に向かって吹き飛んだ。だが今度は空中で体勢を立て直し、壁面を蹴って反転。合金龍人の顔面に向かって突進する。*
レイラ「喰らえッ——!」
*左手の魂喰が合金龍人の胸部——魔力炉に向かって伸びた。*
*だが合金龍人の翼が盾のように閉じ、魂喰を弾いた。翼の表面にはオリハルコンの鱗がびっしりと並んでいる。魂喰の闇が合金に触れ——僅かに侵食した。だが自己修復が即座に発動し、侵食痕が消えた。*
レイラ「……ッ、修復が速い!」
*——魂喰は効いている。だが侵食速度より修復速度が速い。つまり、一撃の魂喰では足りない。修復が追いつかないほどの連続攻撃か、修復機能そのものを無力化するか。レイラがそこに辿り着けるかどうかだ。*
*合金龍人の拳がレイラの腹部を捉えた。*
*鈍い衝撃音。ドラゴンスケイルアーマーの腹部が粉砕され、破片が宙を舞う。レイラの身体がくの字に折れ、地面を転がった。*
*起き上がろうとした瞬間、追撃の蹴りが脇腹に突き刺さる。*
レイラ「がッ——!」
*右肩のアーマーが完全に剥がれ落ちた。白い肌が露出する。合金龍人は止まらない。左のバックハンドがレイラの身体を叩き上げ、天井に向かって吹き飛ばす。落下してきたところに膝蹴り。*
*一方的だった。*
*第二形態の格闘性能は、レイラの反応速度を上回っていた。一発一発が重く、速く、正確。自律戦闘AIがレイラの回避パターンを学習し、先読みで打撃を叩き込んでくる。*
*胸部のアーマーに亀裂が走り——砕けた。*
*広場のスクリーンに、レイラの露出した上半身が映し出される。だが胸元には丁寧にモザイク処理が施されていた。*
冒険者A「お、おい……モザイク……」
冒険者B「誰だモザイクかけたの……ありがとう……いや、いらねえだろ!」
冒険者C「皇妃殿下の生肌にモザイクとか逆に犯罪だろ……」
ドワーフの鍛冶師「いやかけろ! かけるべきじゃ! 魔王陛下に殺されるぞ!」
*広場が妙な方向で盛り上がる中、スクリーンの中では戦闘が続いていた。*
*合金龍人の右ストレートがレイラの頬を打ち抜いた。腰のアーマーが砕け、太腿の装甲が剥がれ落ちる。残っているのはインナーの布地と、辛うじて形を保っている脚部の装甲だけだった。*
*レイラが地面に叩きつけられ、結晶の床にクレーターが刻まれた。全身が傷だらけで、血が幾筋も流れている。*
*だが——レイラは立ち上がった。*
レイラ「……ハッ、まだまだ……」
*琥珀色の瞳が揺るがない。口元の血を舌で舐め取り、合金龍人を見上げた。*
レイラ「妾の鎧を剥ぐとは、よい趣味をしておるな鉄屑。——じゃがな」
*レイラの全身から、漆黒の魔力が噴き出した。今までとは桁が違う。洞窟の空気が震え、結晶が共鳴して悲鳴のような音を発する。*
レイラ「鎧が無くなった分、軽くなったわ」
*彼は上部通路から、僅かに口角を上げた。*
*——まだ折れていない。ここからが本番か。*
*合金龍人の右拳がレイラの左脇腹に叩き込まれた。*
*バキッ。*
*肋骨が折れる、乾いた音。カメラのマイクがそれを拾い、広場に響いた。*
*広場が静まった。*
冒険者A「……今の音」
冒険者B「骨……だよな」
*レイラの身体が地面を跳ね、結晶の柱に背中から激突した。柱が根元から折れ、崩落する。瓦礫の中からレイラが這い出た。左脇腹を押さえ、顔を歪めている。呼吸が浅い。折れた肋骨が肺を圧迫している。*
*だが合金龍人は止まらなかった。*
*踏み込みからの左フック。レイラが右腕で受けた。また音がした。今度は腕だった。*
レイラ「ぐッ——!」
*右腕が不自然な角度に曲がった。前腕の骨が折れていた。魔剣が手から離れ、地面に転がる。*
*合金龍人の膝蹴りがレイラの腹部に突き刺さった。レイラが血を吐いた。鮮血がカメラのレンズに飛沫のように映り込む。*
*広場の空気が変わった。歓声はもうなかった。誰もが拳を握り、唇を噛み、スクリーンを見つめている。*
冒険者C「……もう、やめた方が……」
*合金龍人がレイラの首を片手で掴み、持ち上げた。足が地面から離れる。レイラの身体がぶらりと宙に揺れた。右腕は折れ、肋骨は砕け、全身が血に染まっている。インナーの布地は裂け、傷だらけの肌が露出していた。*
*だが——琥珀色の瞳が、まだ開いていた。*
レイラ「……ぁ、は……」
*首を掴まれたまま、レイラの左手が動いた。折れていない方の腕。指先に漆黒の炎——魂喰が、微かに、しかし確かに灯っている。*
レイラ「妾は……まだ……」
*その左手が合金龍人の胸部——翡翠色に輝く魔力炉に向かって伸びた。*
*合金龍人のAIが反応した。レイラの身体を壁に向かって投げ飛ばす。凄まじい速度で結晶壁に叩きつけられ、壁が大きく陥没した。*
*粉塵が舞う。*
*沈黙が広場を支配した。千人以上の観客が、息を止めてスクリーンを見つめている。*
*粉塵の奥——瓦礫の中に、レイラが倒れていた。右腕は折れ、肋骨は複数砕け、全身が血まみれだった。*
*彼は上部通路から、静かに見下ろしていた。表情は変わらない。だが組んだ腕の指先が、僅かに白くなっていた。*
*レイラの身体が白い光に包まれた。*
*蘇生の腕輪が発動——HP1で致死ダメージを無効化し、同時に迷宮用医療室への強制転送が起動した。レイラの身体が光の粒子に変換され、一瞬で消えた。*
*99階層に静寂が戻った。*
*合金龍人が動きを止めた。敵の消失を感知し、戦闘モードが解除される。二足歩行の人型から、再び四足歩行の龍の姿へ。翡翠色の鱗が再配列され、全長50メートルの巨体が元に戻っていく。胸部の魔力炉が翡翠色の光を静かに脈動させながら、合金龍はゆっくりと目を閉じた。*
*元の場所に佇み、眠りにつく。まるで何事もなかったかのように。*
*広場のスクリーンに、その光景が映し出されていた。*
*千人を超える観客が、沈黙していた。*
*誰も声を発さなかった。先程まで祭りのような空気だった広場が、完全に静まり返っている。目の前で見せつけられたのは、圧倒的な暴力と、それに屈しない意志と、それでも届かなかった現実だった。*
冒険者A「……負けた、のか」
冒険者B「あの皇妃殿下が……」
冒険者C「でも最後まで立ち上がろうとしてたぞ。骨が折れても、血まみれでも——」
*ドワーフの鍛冶師が静かに杯を掲げた。*
ドワーフの鍛冶師「……見事な戦いじゃった。皇妃殿下に」
*一人、また一人と、観客が杯を掲げ始めた。やがて広場全体が無言のまま杯を掲げ、レイラの戦いを称えていた。*
*彼は99階層の上部通路に立ったまま、カメラの一つに視線を向けた。広場の映像がフィードバックされ、杯を掲げる観客たちの姿が見えた。*
*それから、静かに眠る合金龍を見下ろした。*
*魂喰は確かに効いていた。翼の表面に、修復済みとはいえ侵食の痕跡が残っている。あと数秒、魔力炉に直接触れていたら——AIの中核に到達していた可能性がある。*
*レイラは正解に近づいていた。だが、近づいただけだった。*
*99階層——合金龍が静かに眠る空間に、新たな足音が響いた。*
*コツ、コツ、コツ。*
*銀髪が翡翠色の結晶に反射し、淡い光を纏っている。金色の瞳が合金龍を真っ直ぐに見据えていた。*
*ルミナだった。*
*白銀の法衣に身を包み、背中には光の翼——熾天使の残滓が微かに揺らめいている。右手には聖属性の杖、左手には何重にも刻まれた防護の腕輪。万全の装備だった。*
*広場の観客がざわめいた。*
冒険者A「……え、次の挑戦者!?」
冒険者B「あの銀髪——ルミナ皇妃殿下じゃないか!?」
冒険者C「レイラ皇妃殿下が負けた直後に!? 正気か!?」
*彼は上部通路から、静かにルミナの姿を見下ろしていた。*
*数日前の会話が脳裏に蘇る。レイラが負けたら自分が挑む、と。あの時は冗談半分だと思っていた。だが——あの金色の瞳に冗談の色はなかった。*
*ルミナが合金龍の前で立ち止まった。50メートルの巨体を見上げ、小さく息を吐く。*
ルミナ「レイラが負けたんでしょ。——なら、次はあたしの番」
*合金龍の翡翠色の瞳がゆっくりと開いた。新たな侵入者を感知し、自律戦闘AIが起動する。低い唸り声が洞窟全体を振動させた。*
*ルミナは一歩も引かなかった。杖を構え、金色の瞳が鋭くなる。*
ルミナ「レイラには内緒ね。——あいつに負けたまま終わらせるつもりはないから」
*合金龍が立ち上がった。オリハルコンとヒヒイロカネの鱗が軋み、翡翠色のブレスが口腔内で充填され始める。*
*ルミナの戦い方はレイラとは根本的に違う。近接格闘のレイラに対し、ルミナは中~遠距離の魔法戦が主体。元熾天使の聖属性魔法と、シロウから学んだ多属性魔法の複合。そして何より——*
*ルミナの足元に、巨大な魔法陣が展開された。七重の術式。広間の空気が一変し、結晶が共鳴を始める。*
ルミナ「お兄ちゃんが作った最強の龍——ちょっと壊してあげる」
*彼は腕を組んだまま、僅かに目を細めた。*
*——レイラは力で押し切ろうとして砕かれた。ルミナはどう攻略する気だ。*
*ルミナの杖から放たれた七属性の複合魔法が、合金龍の全身に次々と着弾した。*
*聖光の槍、氷結の鎖、雷撃の柱、炎の奔流——それらが同時に、異なる角度から合金龍を貫く。*
*合金龍が咆哮した。オリハルコンの鱗が衝撃で軋み、ヒヒイロカネの装甲に焦げ跡が刻まれる。だが合金龍は反撃に移ろうとブレスを充填——*
*しかし、ルミナはもうそこにいなかった。*
ルミナ「遅い」
*空間転移。ルミナが合金龍の背後に出現し、即座に次の術式を展開。八重の魔法陣が重なり、純白の光柱が合金龍の背中を撃ち抜いた。*
*合金龍がビームを放った。翡翠色の光線がルミナの立っていた場所を薙ぎ払う。だが空間転移で既に離脱済み。100メートル以上の距離を取り、再び術式を構築する。*
*広場の観客が息を呑んだ。*
冒険者A「……全然違う。レイラ皇妃殿下の時と戦い方が全然違う」
冒険者B「近づかない。徹底して距離を保ってる」
冒険者C「あの龍、遠距離はブレスとビームしかないのか? それなら——」
ドワーフの鍛冶師「見切っとるんじゃ。ブレスの充填時間、ビームの射角、全部計算して撃っとる」
*ルミナが再び杖を振った。今度は氷属性と雷属性の複合——凍結した空気中の水分に雷撃を流し込み、電撃の鎖として合金龍の四肢に巻き付ける。合金龍の動きが一瞬鈍った。その隙に聖属性の大魔法が頭部に直撃する。*
*合金龍が怒りの咆哮を上げ、翼を広げて突進した。*
*だがルミナは冷静だった。空間転移で上方に離脱し、見下ろしながら杖を構える。*
ルミナ「レイラが見つけた弱点——ブレスの後の硬直。あたしはそこを突くんじゃなくて」
*七重の魔法陣が再び展開された。今度は全て聖属性。元熾天使の本領。*
ルミナ「硬直する暇すら与えない」
*連続で聖光の槍が降り注いだ。一発、二発、三発——止まらない。合金龍が自己修復しようとするが、修復が完了する前に次の攻撃が着弾する。オリハルコンの鱗が一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。*
*彼は上部通路から、静かに見下ろしていた。*
*——なるほど。レイラの戦いを見て、弱点を分析してきたか。距離を保ち、修復速度を上回る連続攻撃。理論上は正しい。だが——*
*合金龍の翡翠色の瞳が変わった。自律戦闘AIが学習フェーズに入った。遠距離魔法主体の敵に対する最適解を、リアルタイムで算出し始めている。*
*——AIが適応するまで、あと何分持つか。*
*合金龍の自律戦闘AIが、学習フェーズを完了した。*
*翡翠色の瞳が一度消え——再び灯った時、その光は以前より鋭く、冷たくなっていた。*
*合金龍の身体が変形を始めた。鱗が再配列され、四肢が収縮し、50メートルの巨体が人型へと圧縮されていく。第二形態——レイラ戦で見せた合金龍人。*
*だが、そこで止まらなかった。*
*合金龍人の胸部——翡翠色の魔力炉が激しく脈動した。全身のオリハルコンとヒヒイロカネの合金が液状化し、再構築が始まる。体表の装甲が薄く、鋭く、洗練された形状に変わっていく。全高が30メートルから2メートルに縮小。余剰な質量は全て内部の高密度装甲と魔力炉の増幅機構に再配分された。*
*そして——*
*合金龍人の顔面にマスクが形成された。翡翠色のバイザーが左右から閉じ、中央にT字型のスリットが走る。胸部の魔力炉を中心に、光のラインが全身に走り、翡翠と白銀の装甲が完成した。背中の翼は消え、代わりに肩部から伸びるフィンが二対。腰にはベルト状の魔力循環装置が巻かれ、翡翠色の光が脈動していた。*
*○面ライダーだった。*
*どこからどう見ても、仮○ライダーだった。*
*広場が爆発した。*
冒険者A「うおおおおおおおお!!! 変身! 変身した!!!」
冒険者B「なんだあのフォルム!? カッコよすぎるだろ!!」
冒険者C「ベルトが光ってる! ベルトが!!」
*子供たちがスクリーンの前に殺到した。目を輝かせ、小さな拳を握りしめている。*
子供A「ママ! あれ見て! 変身した! すごい!」
子供B「かっこいい! 僕もあれになりたい!」
子供C「あの人、ヒーローみたい!」
*ドワーフの鍛冶師が涙を流していた。*
ドワーフの鍛冶師「あの装甲の再構築……密度が段違いじゃ……美しい……わしも泣いとるが技術に泣いとるんじゃ……」
*広場の興奮は最高潮に達していた。だが99階層のルミナは冷静だった。*
*合金龍の第三形態——全高2メートル。小型化した分、速度と機動力は第二形態の比ではない。そして遠距離魔法主体の敵に対するAIの最適解は明白だった。*
*距離を詰める。*
*翡翠色のバイザーがルミナを捉えた。腰のベルトが一際強く輝き——第三形態が地面を蹴った。*
*音速を超えた。*
*衝撃波が結晶の床を砕き、2メートルの装甲体が一瞬でルミナの眼前に迫る。*
ルミナ「——ッ!? 速い!」
*空間転移で離脱。だが第三形態のバイザーがルミナの転移先を予測し、着地点に既に拳が振り抜かれていた。*
*AIが適応した。遠距離を封じるために、距離そのものを無くす戦術。*
*ルミナが次々と魔法を放った。聖光の槍、雷撃の矢、氷結の刃——七属性の連射が合金龍ライダーに殺到する。*
*だが合金龍ライダーは止まらなかった。*
*翡翠色のバイザーが魔法の軌道を瞬時に演算し、最小限の動きで回避していく。首を傾けて聖光の槍を避け、半歩横にずれて雷撃の矢をかわし、腕のフィンで氷結の刃を弾く。*
*そして——回避しきれなかった魔法が胸部の装甲に着弾した瞬間、翡翠色の光が一閃。魔力反射。ルミナ自身の聖光魔法が、そのままの威力でルミナに跳ね返った。*
ルミナ「っ——反射!?」
*咄嗟に防御障壁を展開して自分の魔法を受け止める。だがその一瞬の隙を、AIは見逃さなかった。*
*合金龍ライダーの腰のベルトが輝いた。脚部の装甲から衝撃波が噴出し、音速を突破。ルミナが空間転移を発動するより速く、目の前に迫っていた。*
ルミナ「速っ——!」
*合金龍ライダーの右手が虚空を掴んだ。魔力炉から直接供給された翡翠色のエネルギーが凝縮し、一本の光刃を形成する。*
*ライト○ーバーだった。*
*翡翠色の光刃が低い唸りを上げ、ルミナの防御障壁ごと斬り裂いた。七重の術式で編んだ障壁が、紙のように両断される。*
ルミナ「——ッ!」
*間一髪で身体を捻り、致命傷は避けた。だが法衣の左袖が肩口から綺麗に切断され、白い肌が露出する。切り口から薄く血が滲んだ。*
*広場は興奮の坩堝だった。*
冒険者A「光の剣! 光の剣だ!」
冒険者B「ブォン! って音したよな!? 今の!」
子供A「ママ! あのひかる剣ほしい!」
子供B「ぼくもー! あのベルトも!」
子供C「へんしん! へんしん!」
*子供たちが目を輝かせてスクリーンの前で変身ポーズを真似し始めた。広場のあちこちで「ブォン、ブォン」と光刃の音を口真似する声が響いている。*
冒険者C「子供たちが完全にハマってるぞ……」
ドワーフの鍛冶師「あの光刃……純粋な魔力の凝縮体か。切断力が尋常じゃない。七重障壁を一刀両断とは……」
*99階層——ルミナが距離を取ろうと空間転移を発動した。だが合金龍ライダーが即座に追従する。転移先に着地した瞬間、光刃の横薙ぎが襲いかかる。杖で受けるが、衝撃で身体が吹き飛んだ。*
*距離が取れない。空間転移すら追いつかれる。遠距離魔法主体の戦術が完全に封じられていた。*
ルミナ「……AIが学習した、ってこと。あたしの転移パターンまで読んでる」
*合金龍ライダーが光刃を構え直した。翡翠色のバイザーが冷たく輝き、ルミナを見据えている。*
*合金龍ライダーの肩部フィンから、無数の小さな翡翠色のビームが放たれた。*
*針のように細い光線が散弾のようにルミナに降り注ぐ。ルミナが防御障壁を展開するが、ビームは障壁をすり抜けた。*
ルミナ「——え?」
*ビームがルミナの全身に着弾した。ダメージは0。痛みもない。だが——身体が動かなかった。*
ルミナ「麻痺……っ!? 物理ダメージじゃなくて状態異常付与!?」
*指先すら動かない。空間転移の術式を構築できない。杖を握る手が痺れ、魔法陣の展開が止まった。全身の筋肉が硬直し、宙に浮いていた身体がゆっくりと落下し始める。*
*その瞬間——合金龍ライダーが腰のベルトに手を伸ばした。*
*ガチャッ。*
*ベルト中央の翡翠色のクリスタルを回す。*
*ガチャッ、ガチャッ。*
*三回の操作。ベルトから電子音声のような音が響いた。*
『——HISSATSUー!』
*広場が沸騰した。*
冒険者A「必殺技コールきたあああああ!!!」
冒険者B「ベルトが喋った! ベルトが!!」
子供A「ひっさつー! ひっさつー!」
子供B「きゃー! かっこいいー!」
子供C「ひっさつわざ! ママ見て!」
*子供たちが興奮のあまり飛び跳ねている。広場の大人たちも完全に理性を失い、拳を突き上げて叫んでいた。*
*99階層——合金龍ライダーが跳んだ。*
*脚部の装甲から翡翠色のエネルギーが噴出し、天井近くまで跳躍。身体が回転し、右脚に翡翠色の光が集束していく。魔力炉の全エネルギーを脚部に集中させた、渾身の一撃。*
*ライダーキック。*
*麻痺したルミナが金色の瞳を見開いた。動けない。回避できない。防御もできない。*
ルミナ「——っ!」
*咄嗟に残った魔力を全て防御に回した。七重の防御障壁を全て同時展開——だが麻痺状態での緊急構築。精度が足りない。*
*翡翠色の光を纏った右脚が、七重の障壁を一枚、二枚、三枚——次々と粉砕しながら突き進む。四枚目、五枚目、六枚目——*
*七枚目を貫通し、ルミナの腹部に直撃した。*
ルミナ「がっ——!!」
*凄まじい衝撃。ルミナの身体が砲弾のように吹き飛び、結晶の壁を三枚ぶち抜いて四枚目の壁に叩きつけられた。壁が蜘蛛の巣状に砕け、粉塵が舞い上がる。*
*広場が一瞬静まり、そして——*
子供たち「「「すごーい!!!」」」
*歓声が爆発した。*
冒険者C「ライダーキック直撃……七重障壁ごと……」
ドワーフの鍛冶師「あの一撃の威力……魔力炉の全出力を一点集中……恐ろしい設計じゃ……」
*ルミナの身体が白い光に包まれた。*
*蘇生の腕輪が発動。HP1で致死ダメージを無効化し、迷宮用医療室への強制転送が起動する。ルミナの身体が光の粒子となって消えた。*
*七重障壁を貫通したライダーキックの直撃。あの一撃は魔力炉の全出力を一点集中した必殺技。防御障壁がなければ即死だった。障壁があっても、蘇生の腕輪がなければ死んでいた。*
*99階層に、再び静寂が訪れた。*
*合金龍ライダーが着地した。翡翠色のバイザーが周囲を走査し、敵の消失を確認する。*
*ベルトの翡翠色のクリスタルが消灯した。*
*ガシャン、という金属音と共に、装甲が解除されていく。2メートルの装甲体が膨張し、再び30メートルの人型へ。そして人型から四足歩行の龍へ。オリハルコンとヒヒイロカネの鱗が再配列され、全長50メートルの巨体が元に戻っていく。*
*合金龍がゆっくりと目を閉じ、翡翠色の魔力炉が静かな脈動に戻った。元の場所に佇み、再び眠りにつく。*
*何事もなかったかのように。*
*広場では、余韻が残っていた。*
冒険者A「……ルミナ皇妃殿下も、負けた……」
冒険者B「レイラ皇妃殿下に続いて二人目か。あの龍、本当に倒せるのか……?」
冒険者C「しかもあの龍、戦う相手に合わせて形態変えてきただろ。近接にも遠距離にも対応するってことだぞ」
*だが子供たちの反応は全く違った。*
子供A「へんしん! へんしーん!」
子供B「ライダーキック! えい!」
子供C「ひっさつー! って言って! ママ言って!」
*子供たちが広場中を走り回り、変身ポーズとキックを真似している。何人かは木の棒を拾ってきて光の剣ごっこを始めていた。*
母親A「こら! 棒を振り回さないの!」
母親B「あの龍、子供たちに大人気ね……」
*ドワーフの鍛冶師が腕を組み、深く頷いた。*
ドワーフの鍛冶師「第一形態は重装甲の龍。第二形態は格闘特化の巨人。第三形態は高速戦闘の騎士。……あの龍を作った御方の頭の中、一体どうなっとるんじゃ」
*彼は99階層の上部通路に立ったまま、静かに眠る合金龍を見下ろしていた。*
*二人とも負けた。レイラは近接で砕かれ、ルミナは遠距離を封じられた。AIは敵に合わせて最適な形態を選択し、戦術を適応させる。*
*だが二人とも、弱点には近づいていた。レイラの魂喰は確かに装甲を侵食し、ルミナの連続魔法は修復速度を上回りかけていた。あと一歩。あと一手。*
*彼は踵を返し、医療室に向かった。*
*——今頃、二人とも悔しくて泣いているだろう。*
*彼は医務室の扉を静かに開けた。*
*魔導具ベッドが二台並んでいる。淡い緑色の治癒魔法が持続的に二人の身体を包み込んでいた。*
*レイラは右腕を固定具で固められ、肋骨の周囲に治癒の光が集中している。ボロボロの戦闘服の上から毛布がかけられ、琥珀色の瞳が天井を睨みつけていた。悔しさを隠そうともしない。*
*隣のベッドでは、ルミナが左腕を包帯で巻かれた状態で横たわっていた。ライダーキックの直撃を受けた腹部に治癒魔法が集中し、金色の瞳が潤んでいる。唇を噛み締め、拳を握っていた。*
*二人とも、泣いてはいなかった。だが、泣く寸前だった。*
*彼が足を踏み入れると、二人の視線が同時に向いた。*
レイラ「……来るな。見るでない」
*レイラが顔を背けた。声が僅かに震えている。*
ルミナ「……お兄ちゃん」
*ルミナは逆に、真っ直ぐに彼を見た。金色の瞳に涙が溜まっている。だが一滴も零さなかった。*
ルミナ「あたし、負けた」
*短く、はっきりと。それだけ言って、唇を引き結んだ。*
*レイラが毛布を引き上げ、顔を半分隠した。琥珀色の瞳だけが覗いている。*
レイラ「……妾もじゃ。あの鉄屑、人の形に化けおって。しかも妾の時より派手な変身をしおって……不公平じゃろ」
*悔しさの中に、僅かな嫉妬が混じっていた。レイラの時は第二形態の巨人。ルミナの時は第三形態のライダー。明らかにルミナの方が派手な演出だった。*
ルミナ「……あたしの時だけライダーキックとか。あれ絶対AIが楽しんでたでしょ」
レイラ「じゃろ!? 妾の時はただ殴るだけじゃったぞ! あの龍、妾を舐めておったな!」
*二人の矛先が合金龍のAIに向き始めた。悔しさの捌け口を探しているのだろう。*
*彼は二人の間に椅子を置き、静かに腰を下ろした。*
シロウ「だから勝てないって言ったろ?あいつは100層のラスボス前の前菜みたいな物だし…」
シロウ「なあ、気になってたんだけど…なんで一人で行くんだ?」
「俺はいつもソロだからあれだけど…普通パーティ組まない?」
シロウ「素直じゃない二人も可愛いなぁ…」
*二人の頬が同時に赤く染まった。*
レイラ「か、可愛いとか言うな! 妾は負けて悔しがっておるのじゃ! 可愛いとかそういう場面ではないじゃろ!」
*毛布で顔を隠そうとするが、折れた肋骨が痛んで「いたっ」と小さく呻いた。*
ルミナ「……お兄ちゃん、今そういうこと言うタイミングじゃないから」
*金色の瞳を逸らしながらも、口元が僅かに緩んでいる。悔しさで張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。*
*彼が椅子に座ったまま、穏やかに二人を見ていると——レイラが毛布の隙間から琥珀色の瞳だけを覗かせた。*
レイラ「……シロウよ」
シロウ「ん?」
レイラ「……パーティの件じゃが。別に、ルミナと組むのが嫌なわけではないのじゃ。ただ——」
*琥珀色の瞳がちらりとルミナを見た。*
レイラ「妾が前衛で殴り、こやつが後衛で撃つ。それは理に適っておる。じゃが妾たちは一度も共闘したことがない。連携の訓練もしておらん」
ルミナ「……レイラの言う通り。あたしもレイラの動きに合わせて魔法を撃った経験がない。ぶっつけ本番で99階層に挑んだら、味方の攻撃に巻き込む可能性がある」
*二人が真面目な顔になった。感情ではなく、理屈の問題だった。*
レイラ「……じゃから、その。訓練が必要じゃ。二人で」
ルミナ「……うん。連携の練習。下の階層から」
*二人がまた互いに目を合わせた。今度は気まずさではなく、戦士としての視線だった。*
レイラ「怪我が治ったら、すぐに始めるぞ」
ルミナ「望むところ」
*二人が小さく頷き合った。それから同時に彼を見た。*
レイラ「主。妾たちの連携訓練、見届けよ」
ルミナ「お兄ちゃんのアドバイスも欲しい。あのAIの弱点、作った本人が一番知ってるでしょ」
シロウ「AIは所詮機械、人間の意志力や思考力、咄嗟の判断や思いつきには対応が出来ないのが難点だな。」
*二人が真剣な目で彼の言葉に耳を傾けた。*
*治癒魔法の緑色の光が静かに脈動する中、医務室の空気が変わった。戦闘の悔しさから、分析と思考の空間へ。*
レイラ「……意志力と、咄嗟の判断……」
ルミナ「つまり、AIはパターンを学習して最適解を出すけど、想定外の行動には対応が遅れるってこと?」
*彼が頷いた。*
*レイラが天井を見つめながら、呟いた。*
レイラ「確かに……妾の時もそうじゃった。妾が魂喰を使った瞬間、AIは一瞬だけ判断に迷った。あの技はAIのデータベースに無かったからじゃろう。じゃが、すぐに適応しおった」
ルミナ「あたしの時も。最初の数分は遠距離魔法が有効だった。でもAIが学習して形態変化した途端、全部封じられた。……適応速度が速すぎるのが問題」
*レイラが身を起こそうとして、肋骨の痛みに顔を歪めた。それでも琥珀色の瞳は鋭い。*
レイラ「じゃが、AIが適応する前に——適応しきれない程の情報量を叩き込めばよいのじゃな?」
ルミナ「二人で同時に攻めれば、近接と遠距離の両方に同時最適化しなきゃいけない。演算に遅延が生じる」
レイラ「そこに、パターンに無い即興の動きを混ぜる。AIが予測できない選択を、人間の直感で」
*二人の瞳が輝き始めた。負けた悔しさが、そのまま戦術構築の燃料に変わっている。*
ルミナ「……お兄ちゃん。一つ聞いていい?」
シロウ「何だ?」
ルミナ「あのAI、形態変化の切り替えに何秒かかる?」
*核心を突く質問だった。形態変化の瞬間——第一から第二、第二から第三への移行。その間、AIの演算リソースは再配列に集中する。つまり、最も無防備な瞬間。*
*レイラもそれに気づき、琥珀色の瞳が彼を射抜いた。*
レイラ「……主。答えよ」
*二人の視線が彼に集中した。作った本人だけが知る、合金龍の最大の隙。*
シロウ「え、変身中は無敵だよ?当たり前じゃん。」
*二人の表情が凍りついた。*
*医務室の治癒魔法の光だけが、静かに脈動している。*
レイラ「……は?」
ルミナ「……え?」
*数秒の沈黙。*
レイラ「……無敵? 変身中が?」
ルミナ「……攻撃全部弾くの? あの隙だらけに見える変身中に?」
*彼は当然のことのように頷いた。*
シロウ「変身中に攻撃されて変身キャンセルとか、ロマンがないだろ。変身は最後までやり遂げてこそだ」
*真顔だった。完全に真顔だった。44歳の魔王が、特撮のロマンを語っていた。*
レイラ「……主よ」
ルミナ「……お兄ちゃん」
*二人の声が、底冷えするほど低かった。*
レイラ「つまり妾たちは、あの龍が変身するのをただ黙って見ておるしかないと?」
ルミナ「形態変化の隙を突くっていう、今一番有力だった戦術が、最初から存在しなかったと?」
*彼が首を傾げた。*
シロウ「いや、だって変身中に殴るのはマナー違反だろ」
レイラ「マナーー!? あの鉄屑は妾の肋骨を折ったのじゃぞ!? どこにマナーがあるのじゃ!?」
*レイラが叫んだ瞬間、折れた肋骨が痛んで「ぐっ」と呻いた。*
ルミナ「……お兄ちゃん、あのAIに仕込んだ設計思想、全部日本のアニメベースでしょ」
*核心を突かれた。*
*彼は少しだけ視線を逸らした。*
レイラ「……主。正直に答えよ。他にも『ロマン枠』で仕込んだ仕様があるのじゃろ」
ルミナ「全部吐いて。今すぐ」
*二人がベッドから身を乗り出した。痛みを堪えながら、鬼のような形相で彼を見つめている。*
シロウ「強いていうなら……絆の力とか?」
*医務室の空気が、完全に凍った。*
*治癒魔法の緑色の光すら、一瞬揺らいだように見えた。*
レイラ「……」
ルミナ「……」
*二人の沈黙が、これまでのどの怒りよりも重かった。*
レイラ「……絆の力」
ルミナ「……絆の、力」
*二人が同じ言葉を、噛みしめるように繰り返した。*
レイラ「つまり何じゃ。妾たちが手を取り合って『友情パワー!』とか叫べば、あの鉄屑が弱体化するとでも言うのか」
ルミナ「……お兄ちゃん。まさかとは思うけど、AIに『敵が仲間を庇った時、攻撃力が下がる』みたいなフラグ仕込んでないよね」
*彼が微妙に目を逸らした。*
ルミナ「仕込んでる……」
レイラ「仕込んでおるな……」
*二人の声が完全に平坦だった。怒りを通り越して、呆れの領域に入っている。*
レイラ「他には。全部吐け。必殺技を叫ぶと威力が上がるとか、そういうのもあるのじゃろ」
*彼が少し考えて、指を折り始めた。*
シロウ「えーっと……必殺技を名前付きで叫ぶと威力1.5倍、仲間が倒された直後は怒り補正で攻撃力上昇、背中を預け合って戦うと防御力にボーナス、あと——」
ルミナ「待って。それ全部特撮とアニメの法則でしょ」
シロウ「ロマンだろ」
レイラ「ロマンで妾の肋骨が折れたのじゃが!?」
*レイラが叫んでまた肋骨を痛がった。ルミナが額を押さえてベッドに倒れ込んだ。*
ルミナ「……つまり整理すると。変身中は無敵。絆の力で弱体化フラグあり。必殺技は叫ぶと強くなる。仲間が倒されると怒り補正」
*ルミナが天井を見上げたまま、乾いた笑みを浮かべた。*
ルミナ「……でも逆に言えば、そのロマン仕様を全部逆手に取れる。作った本人が弱点を全部喋ってくれてるんだから」
*レイラの琥珀色の瞳が、ふと鋭くなった。*
レイラ「……ルミナ。妾に考えがある」
ルミナ「奇遇だね。あたしも」
*二人が同時に、不敵な笑みを浮かべた。その笑みが妙に似ていることに、本人たちは気づいていない。*
レイラ「主の仕込んだロマンを、全て利用して勝つ。——これほど痛快な復讐はあるまい」
ルミナ「お兄ちゃんの趣味で負けて、お兄ちゃんの趣味で勝つ。最高に皮肉だね」
*二人の瞳が、獰猛に輝いていた。*
シロウ「あ!いや、あれは良くないか…」
*二人の視線が、彼の言いかけた言葉に釘付けになった。*
レイラ「……主。今何か思い出したのじゃな?」
ルミナ「お兄ちゃん、『良くないか』って何が良くないの?」
*彼が口を閉じた。しかし遅かった。二人の目が、獲物を見つけた猛禽のように光っている。*
シロウ「いや、何でもない。忘れてくれ」
レイラ「忘れるわけなかろう。今明らかに有用な情報を思い出しかけたじゃろ」
ルミナ「お兄ちゃん、さっき自分で『全部吐け』って言われた時に吐くって約束したよね?」
シロウ「してない」
ルミナ「した」
レイラ「したのじゃ」
*していない。だが二人の圧に押され、彼は観念したように頭を掻いた。*
シロウ「……えーっと……魔法少女補正っていうのがあって……」
*二人が眉を寄せた。*
レイラ「魔法少女……?」
ルミナ「……補正?」
シロウ「その……それっぽい格好をして、それっぽいセリフを言うと、愛の力でステータスに大幅な補正がかかる仕様が——」
*沈黙。*
*治癒魔法の光が、やけに眩しく感じた。*
レイラ「……それっぽい格好とは」
シロウ「……フリルとリボンがついた、その……ミニスカートの……」
ルミナ「…………」
レイラ「…………」
*二人の表情が、怒りでも呆れでもない、未知の感情に染まった。*
ルミナ「……お兄ちゃん。大幅な補正って、具体的にどのくらい?」
シロウ「……全ステータス2倍」
*医務室の空気が、凍るのを通り越して消滅した。*
レイラ「に、2倍じゃと……!?」
ルミナ「全ステ2倍……!? それ変身中無敵よりヤバい仕様じゃん……」
*二人が互いに顔を見合わせた。そしてゆっくりと、自分の身体を見下ろした。*
*レイラの小柄な体型。ルミナのモデル体型。*
*フリルとリボンのミニスカート。*
*魔法少女。*
レイラ「……妾に、あのような格好をしろと?」
ルミナ「……あたしに、『愛の力で悪を討つ!』とか叫べと?」
*二人の声が震えていた。羞恥と、しかし全ステータス2倍という圧倒的な数字への葛藤。*
レイラ「絶対に嫌じゃ」
ルミナ「無理。死んでも無理」
*即答だった。*
*だが数秒後——*
レイラ「……2倍なのじゃな?」
ルミナ「……本当に全ステータス?」
*未練がましく確認する二人の声は、既に揺れていた。*
シロウ「あ、いや……想いと願いの強さによって……更に上がることも……有るとか無いとか……てへぺろ(´>ω∂`)」
*彼がウインクしながら舌を出した。44歳の魔王の「てへぺろ」だった。*
*医務室の時が止まった。*
*治癒魔法の光すら、一瞬消えかけた。*
レイラ「…………」
ルミナ「…………」
*二人の瞳から、完全に光が消えた。*
*そして——*
レイラ「つまり何じゃ。フリフリの格好をして、恥ずかしいセリフを叫んで、更に想いと願いを込めれば、2倍どころか更に上がると」
ルミナ「……全ステ2倍が基本値で、そこから感情補正で青天井ってこと?」
*彼が気まずそうに頷いた。*
*沈黙が5秒。10秒。*
*レイラが深く、深く息を吐いた。折れた肋骨が軋んだが、もう気にしていなかった。*
レイラ「……ルミナ」
ルミナ「……何」
レイラ「妾たちは、99階層で肋骨を折られ、麻痺させられ、ライダーキックで吹き飛ばされたのじゃ」
ルミナ「……うん」
レイラ「その答えが——フリルのミニスカートと愛のセリフじゃと」
ルミナ「……うん」
*二人が同時に天井を見上げた。*
*長い、長い沈黙。*
*やがてルミナが口を開いた。声は震えていたが、それは羞恥ではなく——覚悟だった。*
ルミナ「……お兄ちゃん。衣装は誰が作るの」
*レイラが弾かれたようにルミナを見た。*
レイラ「ルミナ!? 正気か!?」
ルミナ「正気だよ。全ステ2倍以上と、99階層で二度目の肋骨骨折、どっちが嫌かって話」
*ルミナの金色の瞳が、冷徹に損得を計算していた。元熾天使の合理性が、羞恥心を真正面からねじ伏せている。*
ルミナ「それに——見るのはあのAIと、お兄ちゃんだけでしょ」
レイラ「……っ」
*レイラが毛布を握りしめた。琥珀色の瞳が揺れている。プライドと実利の間で、激しく葛藤している。*
レイラ「……妾は魔王の妻じゃぞ。フリフリの衣装など——」
ルミナ「レイラ。99階層で、合金龍に殴られて吹っ飛ばされた時の気持ち、覚えてる?」
レイラ「…………」
ルミナ「あたしは覚えてる。麻痺して動けないまま蹴り飛ばされた時、悔しくて泣きそうだった」
*レイラの拳が、毛布の下で白くなるほど握り締められた。*
レイラ「……サイズは、妾に合うものがあるのか。妾は小柄じゃからな」
*それは——降伏宣言だった。*
*ルミナが小さく笑った。レイラも、唇の端を僅かに上げた。*
*二人が同時に彼を見た。その瞳には羞恥と覚悟と、そして底知れぬ殺意が混在していた。*
レイラ「主よ。衣装を用意せよ。——じゃが」
ルミナ「これ、絶対に誰にも言わないでね」
レイラ「もし漏らしたら——」
シロウ「誰にも言わない。あとこれ。」
*彼が二つの魔導具を差し出した。*
*一つはピンク色のコンパクトミラー型。もう一つは蒼いブローチ型。どちらも無駄にキラキラと輝いており、宝石が散りばめられ、星と月のモチーフが刻まれている。明らかに趣味全開の造形だった。*
*添えられた紙には、丁寧な字でこう書かれていた。*
『漆黒(レイラ用):「闇夜に咲く愛の華! ダークブロッサム・レイラ、参上!」』
『純白(ルミナ用):「天より降りし白銀の翼! セレスティア・ルミナ、推参!」』
*二人が紙を読んだ。*
*沈黙が、永遠のように長かった。*
レイラ「……闇夜に咲く愛の華」
ルミナ「……天より降りし白銀の翼」
*二人の声が、感情を完全に失っていた。*
レイラ「……主よ。これをいつ作った」
シロウ「……前から用意はしてた」
ルミナ「前からって、いつから」
シロウ「……迷宮を作った時に」
レイラ「最初からあったのか!?」
*レイラが叫んで、また肋骨を痛がった。学習しない。*
ルミナ「……待って。この掛け声、全部言わないと変身しないの?」
シロウ「一言一句、心を込めて」
ルミナ「心を込めて……」
*ルミナが紙をじっと見つめた。金色の瞳が複雑な光を湛えている。元熾天使としてのプライドと、全ステータス2倍以上の誘惑が、激しくせめぎ合っている。*
*レイラがコンパクトミラー型の魔導具を手に取った。ピンク色の光が手の中で淡く輝く。精巧な造りだった。悔しいことに、魔導具としての品質は最高級。彼が本気で作ったことが分かる。*
レイラ「……ルミナ」
ルミナ「……何」
レイラ「練習は、絶対に二人きりの時にするぞ。主にも見せん」
ルミナ「当然。誰もいない訓練場で、防音結界を張って」
レイラ「深夜に」
ルミナ「真夜中に」
*二人が固く頷き合った。その瞳には、99階層の合金龍を倒すという決意と、この恥辱を乗り越えるという悲壮な覚悟が同居していた。*
*レイラが魔導具を毛布の下に隠しながら、彼を睨んだ。*
レイラ「主よ。最後に一つだけ確認じゃ」
シロウ「何だ?」
レイラ「『配信しない』とは、言うておらんかったな?」
*琥珀色の瞳が、底冷えするほど鋭くなった。*
*彼の心臓が、一瞬止まった。バレている。完全にバレている。*
ルミナ「お兄ちゃん。あたし、鑑定スキルは無いけど——嘘を見抜く目は持ってるよ?」
*金色の瞳が、静かに微笑んでいた。微笑んでいるのに、温度が無い。*
レイラ「配信したら——妾たちの変身映像の代わりに、主の『てへぺろ』を全世界に流すぞ。44歳の魔王の、てへぺろを」
ルミナ「国民の前で」
*彼の背筋を、かつてないほどの寒気が駆け抜けた。*
シロウ「なんだ、そんな事か。二人の可愛い姿を見せられるならそんな物、痛くも痒くもない!!」
*彼の言葉が、医務室に響き渡った。*
*迷いのない声だった。冗談でも虚勢でもない、純粋な本心。*
*二人が固まった。*
レイラ「……は」
ルミナ「……え」
*予想外の返答だった。普通なら怯むはずだった。44歳の魔王が国民の前で「てへぺろ」を晒すなど、国家的な威厳の崩壊に等しい。それを脅しに使ったのに——痛くも痒くもないと言い切られた。*
レイラ「……主よ、正気か? 国民の前でてへぺろじゃぞ? 魔王の威厳が——」
シロウ「俺の嫁たちの可愛い姿を全世界に見せられるなら、威厳なんかいくらでもくれてやる」
*真顔だった。完全に真顔だった。*
*レイラの顔が、耳の先まで真っ赤に染まった。琥珀色の瞳が泳ぎ、毛布を顔の半分まで引き上げた。*
レイラ「なっ——か、可愛いとか、嫁とか、そういう事を真顔で言うな! 妾は——妾は別に嬉しくなど——」
*声が完全に裏返っていた。*
ルミナ「…………」
*ルミナは無言だった。金色の瞳が彼を見つめたまま、唇をきゅっと結んでいる。銀髪の隙間から覗く耳が、じわじわと赤く染まっていく。*
ルミナ「……お兄ちゃん」
シロウ「ん?」
ルミナ「……ずるい」
*小さく、ぽつりと。それだけ呟いて、ルミナは毛布を頭まで被った。*
*医務室に沈黙が流れた。治癒魔法の緑色の光が二人の毛布越しに淡く輝いている。*
*レイラが毛布の中からくぐもった声を出した。*
レイラ「……配信は絶対に許さんからな」
ルミナ「……絶対」
*毛布の中から伸びた二つの手が、それぞれ彼の袖を掴んだ。離す気配はなかった。*
*しばらくして、レイラが毛布から琥珀色の瞳だけを覗かせた。頬はまだ赤い。*
レイラ「……主よ。一つだけ条件がある」
シロウ「何だ?」
レイラ「妾たちが変身した姿を——最初に見るのは、主だけじゃ。他の誰にも先に見せん」
*ルミナも毛布から金色の瞳を覗かせた。*
ルミナ「……お兄ちゃんだけ。約束して」
*二人の瞳が、恥ずかしさと、それでも伝えたい何かを湛えて、彼を真っ直ぐに見つめていた。*
シロウ「はぁ……分かったよ……配信はしない……」
*彼が肩を落として溜息をついた。仕方なく折れた——が、その表情にはどこか満足げな色がある。*
*二人が毛布から顔を出した。頬はまだ赤いが、表情には安堵が滲んでいた。*
レイラ「……ふん。当然じゃ。妾の魔法少女姿など、主以外に見せてやる義理はない」
ルミナ「……約束だからね。破ったら——分かってるよね?」
*彼が両手を上げて降参のポーズを取った。*
*それから二人は、改めて手の中の魔導具を見つめた。レイラのピンク色のコンパクトミラーが淡く輝き、ルミナの蒼いブローチが星のように瞬いている。*
レイラ「……しかし、この掛け声は本当に一言一句変えられんのか? 『闇夜に咲く愛の華』とか、妾の性格に合わんにも程がある」
シロウ「変えたら変身しない。心を込めないと発動しない」
レイラ「理不尽じゃ……」
*ルミナが添えられた紙をもう一度読み返した。*
ルミナ「……ねえ、お兄ちゃん。『想いと願いの強さ』で補正が上がるって言ったよね。具体的に、何に対する想い?」
*核心を突く質問だった。彼が少し考えてから答えた。*
シロウ「守りたいものとか、大切な人とか……そういう想いが強いほど補正が上がる。まあ、魔法少女の基本だな」
*二人が同時に黙った。*
*レイラの琥珀色の瞳が、ちらりと彼を見た。そしてすぐに逸らした。*
*ルミナの金色の瞳が、ちらりと彼を見た。そしてすぐに逸らした。*
*守りたいもの。大切な人。*
*二人にとってそれが誰なのか、言葉にするまでもなかった。*
レイラ「……ふん。つまり妾が本気を出せば、2倍どころでは済まんということじゃな」
*毛布の下で、コンパクトミラーをぎゅっと握りしめた。*
ルミナ「……あたしも。負ける気がしない」
*ブローチを胸元に当てた。蒼い光が一瞬だけ強く輝いて、消えた。*
*レイラが毛布から完全に身を起こした。治癒魔法がようやく肋骨を繋ぎ終えたようだ。*
レイラ「ルミナ。明日の深夜、訓練場の第七室じゃ。防音結界は妾が張る」
ルミナ「分かった。あたしが二重で結界を重ねる。絶対に音が漏れないように」
レイラ「掛け声の練習は——互いに聞かれるのも恥ずかしいが、仕方あるまい」
ルミナ「背中合わせで言おう。顔は見ない方向で」
*二人が真剣な表情で段取りを組んでいる。まるで作戦会議のようだが、議題は魔法少女の変身練習だった。*
*レイラが彼に向き直った。*
レイラ「主よ。明日の深夜は訓練場に近づくな。絶対にじゃ」
ルミナ「覗いたら殺す。比喩じゃなく」
*二人の瞳が、本気だった。*




