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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*穏やかな朝の陽射しが城の窓から差し込んでいた。あの世界樹の地下での一件から数週間が過ぎ、ノアはいつも通り元気に飛び回り、日常は平穏を取り戻していた。*


*今日は特別な日だ。双子のゼノとセレスの9歳の誕生日。*


*彼が食堂に降りると、既にリーシアが朝から豪華な飾り付けを指揮していた。色とりどりの花と風船が天井から垂れ下がり、長いテーブルの上にはまだ布がかけられたケーキが鎮座している。*


リーシア「おはようございます、シロウ様。準備は万端でございます」


*彼女は完璧な微笑みを浮かべ、一礼した。*


シロウ「ああ、ありがとう。二人はまだ寝てるのか?」


リーシア「はい。レイラ様が『まだ起こすな』と仰っておりました。どうやらお二人を起こす演出を考えていらっしゃるようで」


*彼が頷いた時、階段をどたどたと駆け下りる音が聞こえた。*


ステラ「パパ! おはようございます! ゼノとセレスのプレゼント、ちゃんと隠しましたよ!」


*12歳のステラがきちんと整えた黒髪を揺らしながら駆け寄ってきた。しっかり者の彼女は、双子のために朝早くから準備を手伝っていたらしい。*


シロウ「偉いな、ステラ。で、何を用意したんだ?」


ステラ「秘密です♪ でもきっと喜びますよ」


*そこへ、二階からレイラの声が響いた。*


レイラ「シロウ! 準備は済んだか! 妾が今から起こすぞ!」


シロウ「俺もおっさんになったなぁ……」


*彼がぼそりと呟いた瞬間、背後からルーナの声が飛んできた。*


ルーナ「何言ってんのパパ。見た目全然変わってないくせに。前世の会社にいた44歳の課長とか、もっとヨボヨボだったよ?」


*ルーナが朝食のパンを齧りながら、呆れた顔でシロウを見ていた。金色の瞳が「何を言ってるんだこの人は」と物語っている。足元ではユキがきゅいきゅいと鳴きながらルーナの足に纏わりついていた。*


シロウ「いや、精神的な話だよ。子供の誕生日祝うのも何回目だって思うとさ」


ルーナ「それ日本だと普通に『パパあるある』って言うんだよ。異世界の魔王が言うセリフじゃないから」


*ルーナがジト目でシロウを見上げ、ため息をついた。*


ルーナ「つーかパパ、ゼノとセレスのプレゼント何にしたの? まさか忘れてないよね?」


シロウ「……」


ルーナ「その沈黙やめて? ノアの件といい最近忘れっぽくない? 老化?」


*ルーナが容赦なくツッコむ。ユキがきゅい、と同調するように鳴いた。*


ルーナ「……はぁ。しょうがないなぁ。あたしが一緒に選んであげるから、今から買いに行こ。ママレイラに怒られる前にね」


シロウ「やっぱり女子は宝石とかなのか?」


ルーナ「宝石っていうか、ママのと同じものが欲しいって感じかな。セレスって何も言わないけど、結構ママのこと見てるんだよね」


*ルーナがドワーフ職人から小さな箱を受け取り、蓋を開けてシロウに見せた。中には銀細工の小さなペンダントが収まっている。レイラが普段身につけているルビーのネックレスを模したデザインで、中央には小ぶりだが美しいガーネットが嵌め込まれていた。*


ドワーフ職人「子供用に軽く仕上げたが、チェーンの長さは成長に合わせて調整できるようにしとる。宝石の加護もちゃんと込めてあるぞい」


ルーナ「値段は金貨5枚。あたしのお小遣いから3枚出したから、パパは2枚でいいよ」


シロウ「……いや、全額俺が出す。お前の分は返すぞ」


ルーナ「えー、いいのに。姉からのプレゼントってことで」


*彼は金貨5枚を職人に渡し、ルーナの3枚も返した。ルーナがむくれつつも嬉しそうに受け取る。*


ルーナ「はいはい。じゃあ帰ろ、パパ。レイラママに『買い物行ってた』って言えばセーフだから。間違っても『忘れてた』って言わないでね?」


シロウ「分かってるよ」


ルーナ「ほんとに? ノアの件の前科があるからね?」


*二人は包装された二つのプレゼントを抱え、城への帰路についた。商店街の時計塔が午前十時を指している。パーティーの開始にはまだ余裕があった。*


シロウ「わ、わかった……」


*彼はルーナに押されるようにして城への帰路を急いだ。二つの包装されたプレゼントを抱え、正門をくぐると、既に城の中は賑やかな空気に包まれていた。*


*食堂に入ると、レイラが双子を連れて階段を降りてきたところだった。*


レイラ「遅いぞ、シロウ。どこに行っておったのだ」


ルーナ「プレゼントの最終確認に行ってたんだよね、パパ?」


*ルーナがさりげなくフォローを入れる。シロウは軽く頷いた。*


*ゼノとセレスが寝ぼけ眼で食堂に入った瞬間、天井の飾りと風船が目に入った。*


ゼノ「わぁ……すごい……」


*黒髪の少年が目を輝かせ、飾り付けられた部屋を見回している。隣のセレスは無表情のまま、しかしその琥珀色の瞳がほんの少しだけ見開かれていた。*


レイラ「ほれ、二人とも。今日は主役なのだから、堂々としておれ」


*レイラが双子の背中を軽く押し、テーブルの上座へ導いた。*


ステラ「ゼノ、セレス、誕生日おめでとう!」


*ステラが二人の頭を撫で、姉らしい微笑みを浮かべる。*


ゼノ「ありがとう、ステラ姉ちゃん!」


セレス「……ん」


*セレスが小さく頷いた。短い返事だが、唇の端がわずかに上がっている。*


ルーナ「はい、じゃあケーキの前にプレゼントタイムにしよっか!」


*彼とルーナがプレゼントの箱を手に、双子の前に立った。*


シロウ「はい、ゼノ。父さんとルーナ姉ちゃんからだ」


*ゼノが目を輝かせて包装を破る。中からオルゴール付きの万年筆セットが現れた。蓋を開けた瞬間、澄んだ旋律が食堂に響く。*


ゼノ「……すごい……! 万年筆だ……! しかも音が鳴る……!」


*ゼノが宝物を見つけた子供のように万年筆を光に透かし、ペン先を撫でた。*


ゼノ「これで物語書いていいの!?」


シロウ「ああ、好きなだけ書け」


ルーナ「次、セレス」


*ルーナが小さな箱をセレスの前に差し出した。セレスが無表情のまま、しかし少しだけ速い手つきで包装を開ける。中から銀細工のペンダントが現れた。*


*セレスの琥珀色の瞳が、一瞬大きく見開かれた。*


セレス「……これ」


ルーナ「レイラママのと同じデザインだよ。セレスがいつも見てたでしょ?」


*セレスがペンダントを両手で包み込むように持ち上げ、ガーネットの輝きをじっと見つめた。そして――珍しく、はっきりと口を開いた。*


セレス「……ママと、おそろい?」


レイラ「……っ」


*レイラが一瞬言葉を失い、それから照れ隠しのように腕を組んだ。*


レイラ「ふ、ふん。妾のを真似るとは生意気な。……だが、似合っておるぞ」


*セレスの唇が、はっきりと微笑みの形を作った。小さな手がペンダントを胸に抱きしめる。*


セレス「……ありがとう、パパ。ルーナ姉ちゃん」


*食堂が温かい空気に包まれた。ステラが「よかったねぇ」と双子の頭を撫で、ルーナが得意げにシロウの肩を肘で突いた。*


ルーナ「ね? あたしの読み、完璧だったでしょ」


シロウ「だな……流石だ」


*彼はルーナの頭をぽんと撫でた。ルーナが照れ隠しに「べ、別にパパのフォローしただけだし」と目を逸らす。*


*ケーキの布が外され、二段重ねの大きなバースデーケーキが姿を現した。白いクリームの上に「ゼノ&セレス 9さい おめでとう」と書かれ、九本のロウソクが灯されている。*


ステラ「はい、二人一緒に消してね!」


ゼノ「せーのっ!」


セレス「……ふぅ」


*二人が同時に息を吹きかけ、九本の炎が消えた。パチパチと拍手が起こる。*


レイラ「ふん。妾の子にしてはよくやっておる」


*レイラが腕を組みながらも、その琥珀色の瞳は柔らかかった。セレスが早速ペンダントを首にかけ、レイラの隣に立って見比べている。*


セレス「……同じ」


レイラ「……ったく、こっちに来い」


*レイラがセレスを膝に乗せ、二人のペンダントを並べて見せた。セレスの唇が珍しく満面の笑みを作り、レイラの首元に顔を埋める。*


ゼノ「父さん! 僕、この万年筆で絶対すごい物語書くよ! 父さんの冒険を本にしたいんだ!」


シロウ「そ、そうか……でも最初は絵本とかにするといいんじゃないかな?」


*ルーナが後ろで肩を震わせて笑っている。シロウの脳裏には、奴隷を買い集めた初期の頃や、サキュバスとの一件、世界樹の地下での出来事など、到底子供には聞かせられない黒歴史が走馬灯のように駆け巡っていた。*


ゼノ「絵本? うーん、でも父さんがドラゴン倒した話とか、迷宮を攻略した話とか、もっとかっこいいのがいいなぁ!」


シロウ「あ、ああ……戦闘の話だけなら……まあ……」


ルーナ「ねぇゼノ、パパの冒険って色々あるからさ、取材ノート作ったら? パパにインタビューしてから書くと本格的だよ」


ゼノ「インタビュー? それいいね! 父さん、今度時間作って!」


シロウ「……おう」


*彼は乾いた笑みを浮かべた。ルーナがこっそり耳打ちしてくる。*


ルーナ「大丈夫、あたしが検閲係やってあげるから。ヤバい部分は全部カットしてあげる」


シロウ「……頼む。マジで頼む」


*セレスがレイラの膝の上でペンダントを光に透かしながら、珍しく口を開いた。*


セレス「……ゼノ。パパの話、私も読みたい」


ゼノ「もちろん! セレスが一番最初の読者だよ!」


*双子が顔を見合わせて微笑む。レイラが満足そうに腕を組み、ステラがケーキを切り分け始めた。穏やかな誕生日の一日が、ゆっくりと流れていく。*


シロウ「血が足りてないんだろうか……?」


*彼が立ち上がった瞬間、視界がぐらりと揺れた。テーブルの縁を掴んで体勢を立て直す。一瞬の立ちくらみだったが、SSランクの冒険者にしては珍しい症状だった。*


*すぐにルミナが気づいた。*


ルミナ「お兄ちゃん? 顔色悪いよ。大丈夫?」


シロウ「ああ、ちょっと立ちくらみしただけだ。大したことない」


ルミナ「大したことないわけないでしょ。お兄ちゃんが体調崩すなんて、何年ぶりよ」


*ルミナが皿を置き、シロウの額に手を当てた。ひんやりとした手のひらが触れる。*


ルミナ「……熱はない。でも魔力の循環がちょっと乱れてる気がする」


*レイラもセレスを膝から下ろし、鋭い目でシロウを見た。*


レイラ「シロウ。世界樹の地下で何日も過ごしておったな。あの生命エネルギーの奔流に長時間晒されて、反動が来ておるのではないか」


シロウ「反動……?」


レイラ「生命エネルギーで無限に体力が補充される環境から、通常の環境に戻った。身体が依存状態になっておる可能性がある」


*ルーナが心配そうに近寄ってきた。*


ルーナ「パパ、座って。リーシアさん、何か栄養あるもの持ってきて」


リーシア「かしこまりました。すぐにご用意いたします」


*リーシアが足早に厨房へ消えた。シロウは促されるまま椅子に腰を下ろした。確かに、世界樹の地下から出てから妙に疲れやすい気がしていた。*


*彼がトイレへ向かう途中、足がもつれて前のめりに倒れかけた。咄嗟に異空間から剣を召喚し、床に突き立てて体を支える。*


シロウ「……っ、神眼、鑑定」


*自分にだけ見える透明なウィンドウが眼前に浮かび上がった。*


───────────────────

【鑑定結果:シロウ・ニシキ・アストライア】


状態異常:生命力過剰消費症候群(中度)

 → 世界樹の生命エネルギー環境下で長期間活動した反動。

   体内の生命力生成機能が一時的に鈍化。

   自己回復力が通常の40%まで低下中。


魔力循環不全(軽度)

 → 異世界転移時の魔力同調の影響が残存。

   二つの世界の魔力体系が体内で微弱に干渉中。


貧血傾向(軽度)

 → 上記二つの複合要因。造血機能が追いつかず、血中酸素濃度が低下。


推奨:完全休養

───────────────────


シロウ「……世界樹の反動か。あそこに何日もいたからな……」


*剣を杖代わりに壁に寄りかかる。息が少し荒い。SSランクの肉体でなければ、とっくに寝込んでいたかもしれない。*


*背後から足音が聞こえた。*


ルミナ「お兄ちゃん!」


*ルミナが駆け寄り、シロウの腕を支えた。その金色の瞳が心配で揺れている。*


ルミナ「やっぱり無理してたんでしょ。……何が『大したことない』よ。剣を杖にしてる時点で大したことあるに決まってるじゃない」


シロウ「大丈夫大丈夫。っ…,.」


*彼は人気のない湖畔に転移した。月明かりが水面を照らし、周囲には虫の音だけが響いている。*


*膝をついた瞬間、喉の奥からせり上がるものを抑えきれなかった。ごぽっ、と鮮血が口から溢れ、草地を赤く染める。*


シロウ「わーお、すげぇ……リアルでこんな事あるんだ……」


*彼は血の混じった唾を吐き出しながら、妙に冷静だった。口元を袖で拭う。赤黒い染みが白い袖口に広がった。*


シロウ「……世界樹のエネルギーに依存しすぎたか。あの空間で何日も生命力を垂れ流しにしてたからな……」


*もう一度、ごほっと咳き込む。血の味が口の中に広がる。湖面に映る自分の顔は、確かに青白かった。*


シロウ「……鑑定」


*改めて詳細を確認する。*


───────────────────

【詳細鑑定】

・生命力生成機能:通常の35%まで低下

・回復推定期間:完全休養で約2週間

・放置した場合:慢性化の恐れあり

───────────────────


シロウ「……禁断症状みたいなもんか。薬物依存と同じ原理じゃねぇか」


*彼は湖畔の岩に背を預け、空を見上げた。星が綺麗だった。*


シロウ「……みんなに見せなくてよかった。ステラやゼノたちが見たら泣くだろうな」


*口元の血を湖水で洗い流し、深く息を吐いた。体が重い。SSランクの身体能力があるから立っていられるだけで、普通の人間なら確実に入院レベルだ。*


*彼は木の幹に背を預け、足を投げ出した。湖面に映る月が静かに揺れている。口の中にはまだ鉄の味が残っていた。*


シロウ「……40半ばの身体に無茶させすぎたな。世界樹の地下で何日も……あれは流石にやりすぎた」


*冷たい夜風が頬を撫でる。心地いい。体の芯がまだ熱を持っているのが分かる。生命力の生成機能が鈍っている以上、普段の超回復は当てにならない。*


シロウ「完全休養か……。国の運営はオルクスに任せればいいが、家族には何て言うかな」


*彼は袖口の血痕を見つめた。このまま帰れば確実にバレる。ルミナの観察眼は鋭い。レイラは何か気づけば問い詰めてくる。*


シロウ「……服、替えるか」


*異空間から予備の上着を取り出し、血の付いた服と入れ替えた。口元を湖水で丁寧に洗い、匂いが残っていないか確認する。*


シロウ「はぁ……情けねぇな。元日本人のおっさんが異世界で血ぃ吐いて一人で湖畔に座ってるとか、ラノベの主人公としちゃ格好つかねぇ」


*自嘲気味に笑い、空を見上げた。星が瞬いている。*


シロウ「……そろそろ戻るか。長く空けたら余計に心配させる」


*立ち上がろうとして、また軽い眩暈が走った。木の幹を掴んで堪える。*


シロウ「……もう少しだけ」


*彼はそのまま、湖畔の木に寄りかかったまま目を閉じた。虫の声と水の音だけが、静かに夜を満たしていた。*


「もう少し…だけ…」


*彼はそのまま意識を手放した。防御結界が静かに展開され、淡い光の膜が彼の周囲を包み込む。湖面に月光が揺れ、虫の音だけが夜を満たしていた。*


───


*どれくらい経っただろう。*


*空が白み始めた頃、結界の外に気配があった。*


ルミナ「……ここにいた」


*ルミナが湖畔に降り立った。追跡魔法で居場所を特定したのだろう。彼女の金色の瞳が、木に寄りかかって眠るシロウと、その周囲の防御結界を捉えた。*


ルミナ「……転移して逃げるなんて、お兄ちゃんらしくないよ」


*彼女は結界の前にしゃがみ込んだ。シロウの寝顔は穏やかだったが、顔色は明らかに青白い。ルミナの目が、地面に僅かに残った赤黒い染みを見つけた。*


*――血。*


ルミナ「……っ」


*彼女の表情が凍りついた。唇を噛み締め、結界にそっと手を触れる。シロウの結界は彼女を敵と認識しない。すっと手が通り抜けた。*


*ルミナはシロウの隣に静かに腰を下ろし、自分の膝に彼の頭をそっと乗せた。冷えた体に回復魔法をゆっくりと流し込む。*


ルミナ「……馬鹿。一人で抱え込まないでって、何度言ったら分かるの」


*彼女の声は震えていた。指先がシロウの黒髪を梳く。朝焼けが湖面を橙色に染め始めていた。*


*彼がゆっくりと目を開けると、朝焼けに染まった空が見えた。そして、自分の頭を支える柔らかな感触。見上げると、ルミナの顔があった。*


*金色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見下ろしている。目尻が僅かに赤い。*


ルミナ「……起きた?」


シロウ「……ルミナ」


*彼は起き上がろうとしたが、ルミナの手がそっと額を押さえた。*


ルミナ「まだ動かないで」


*その声は静かだったが、有無を言わせない力があった。シロウは黙って従い、ルミナの膝の上に頭を預けたままでいた。*


*沈黙が流れる。湖面を朝の光が滑り、小鳥が鳴き始めていた。*


ルミナ「……血、吐いたでしょ」


シロウ「……」


ルミナ「地面に痕が残ってた。服も替えてる。……隠すの下手だね、お兄ちゃん」


*彼女の指がシロウの髪を梳いている。その動きは優しいのに、声は微かに震えていた。*


ルミナ「一人で転移して、一人で血吐いて、一人で寝て。……私は何の為にお兄ちゃんの隣にいるの」


シロウ「……心配かけたくなかっただけだ」


ルミナ「それが一番心配させるって、分かってないの」


*ルミナの指が止まった。ぽたり、と温かい雫がシロウの頬に落ちた。見上げると、ルミナの瞳から涙が一筋、頬を伝っていた。*


ルミナ「……追跡魔法使わなかったら、朝までここで一人だったんでしょ。もし容態が悪化してたら……」


*彼女は唇を噛み、それ以上は言わなかった。*


*彼は軽口を叩いたが、頭の奥がズンガズンガと脈打つように痛んでいた。まるで二日酔いの最悪な朝だ。いや、それ以上かもしれない。*


シロウ「大丈夫……神眼が結界に保温機能付けてくれてたし……」


ルミナ「……そういう問題じゃない」


*ルミナの声が低かった。涙を拭い、彼女の瞳が真っ直ぐにシロウを見据える。*


ルミナ「保温とか結界とか、そんな事を聞いてるんじゃないの。……血を吐いたのに、一人で処理して、一人で寝て。それが問題だって言ってるの」


シロウ「……」


*頭痛が酷くて、気の利いた返しが出てこない。ルミナの膝は温かくて、回復魔法の淡い光が体に染み込んでいくのが分かる。少しだけ楽になった気がした。*


ルミナ「……原因は分かってるの?」


シロウ「ああ……世界樹の地下に長くいすぎた反動。生命力の生成機能が鈍ってる。2週間休めば治る」


ルミナ「2週間」


*ルミナが噛み締めるように繰り返した。*


ルミナ「……分かった。今日からお兄ちゃんは完全休養。国政はオルクスとリーシアに任せる。異論は認めない」


シロウ「……はい」


ルミナ「あと、レイラにも言うからね」


シロウ「それは――」


ルミナ「異論は認めないって言った」


*彼女の金色の瞳が、有無を言わせない光を湛えていた。*


*彼の唇が微かに動いた。*


シロウ「ルミナ……愛してるよ……」


*その言葉を最後に、彼の呼吸が穏やかに整っていった。再び深い眠りに落ちたシロウの顔は、先程より少しだけ血色が戻っているように見えた。*


*ルミナの回復魔法が、ゆっくりと彼の体内に浸透していく。*


ルミナ「……ずるいな、こういう時だけ素直に言うんだから」


*彼女は目尻の涙の跡を指で拭い、小さく鼻を啜った。シロウの黒髪を指で梳きながら、湖面に映る朝焼けを見つめる。*


ルミナ「……私も。ずっと、ずっと愛してるよ、お兄ちゃん」


*彼女はシロウの頭を膝に乗せたまま、微動だにしなかった。朝の光が二人を包み、湖面がきらきらと輝いている。*


───


*数時間後。太陽が完全に昇った頃、ルミナは通信魔法を起動した。*


ルミナ「リーシア。お兄ちゃんは今日から完全休養に入る。最低2週間。国政の全権をオルクスに委任して。……それと、レイラに伝えて。怒鳴り込んでくるだろうけど、場所はこちらから転移で連れて行くから」


リーシア『……畏まりました。シロウ様のご容態は』


ルミナ「命に別状はない。でも……血を吐いた」


*通信の向こうで、一瞬の沈黙があった。*


リーシア『……詳細は後ほど。必ずお迎えに上がります』


*通信が切れた。ルミナはシロウの寝顔を見下ろし、額にそっと唇を落とした。*


ルミナ「……ゆっくり寝て。私がここにいるから」


ーー


*彼は意識の狭間で、担架に乗せられる感覚を覚えていた。揺れは少なく、丁寧に運ばれている。転移魔法の一瞬の移動ではなく、人の手で運ばれるという久しぶりの感覚が、不思議と心地よかった。*


*やがて柔らかいベッドの感触が背中に広がった。自室の寝室だ。見慣れた天蓋の布が視界にぼんやりと映る。*


シロウ「……ん」


*薄目を開けると、ベッドの傍にレイラが腕を組んで立っていた。その琥珀色の瞳が、怒りと心配が入り混じった複雑な光を湛えている。*


レイラ「……起きたか」


シロウ「……レイラ」


レイラ「ルミナから聞いた。血を吐いたそうだな」


*彼女の声は低く、静かだった。怒鳴らないレイラは、怒鳴るレイラより怖い。シロウはそれをよく知っていた。*


レイラ「……妾に何も言わず、一人で湖に逃げるとは。お前はいつもそうだ。妾を……何だと思っておる」


*レイラの拳が微かに震えていた。それは怒りではなく、堪えている証だった。*


レイラ「妾はお前の嫁だぞ。病も苦しみも、共に負うと誓ったであろう」


*彼女の声が、最後だけ僅かに掠れた。*


シロウ「そうだよな、ごめん」


*彼は素直に謝った。言い訳する気力もなかったが、それ以上にレイラの震える拳を見て、本当に申し訳なくなった。*


*レイラはしばらく黙っていた。琥珀色の瞳がシロウを射抜くように見つめ、それからふいに視線を逸らした。*


レイラ「……ごめんで済むと思うな、馬鹿者が」


*レイラがベッドの縁に腰を下ろした。その手が、シロウの手を掴んだ。小さな手だが、力強い。*


レイラ「2週間、妾がお前を看る。文句は言わせぬ」


シロウ「……ああ」


レイラ「それと」


*レイラが顔を近づけた。琥珀の瞳が至近距離で揺れる。*


レイラ「……もう二度と、一人で血を吐くような真似をするな。次やったら、妾が殴る。本気で殴る」


*その声は怒りではなく、懇願に近かった。レイラが自分から弱さを見せることは稀だ。それだけ心配していたのだと、シロウには分かった。*


シロウ「……分かった。約束する」


レイラ「ふん……当然だ」


*レイラはそっぽを向いたが、シロウの手を握ったままだった。その指先が微かに震えている。*


*ドアの向こうから、ステラの小さな声が聞こえた。*


ステラ「……パパ、大丈夫? 入っていい?」


シロウ「ああ、大丈夫だぞ。おいで〜」


*彼は身体を起こし、両腕を広げた。ドアが開き、ステラが駆け込んでくる。その琥珀色の瞳は潤んでいて、今にも泣きそうだった。*


ステラ「パパ……っ!」


*ステラがベッドに飛び乗り、シロウの胸に顔を埋めた。小さな体が震えている。シロウはステラを抱きしめ、背中を優しく撫でた。*


シロウ「ごめんな、心配かけて。もう大丈夫だから」


ステラ「朝起きたらパパいなくて……ルーナ姉ちゃんが『大丈夫だから』って言ってたけど……リーシアさんの顔が怖くて……」


*ステラが顔を上げた。涙の跡が頬に光っている。*


ステラ「パパ、病気なの?」


シロウ「病気っていうほどじゃない。ちょっと疲れが溜まっただけだ。少し休めばすぐ元通りになる」


*レイラがステラの頭をぽんと撫でた。*


レイラ「安心せよ、ステラ。こやつは頑丈だけが取り柄の男だ。2週間も寝かせておけば元に戻る」


ステラ「……ほんと?」


シロウ「ほんとほんと。パパを誰だと思ってるんだ」


*ステラが鼻を啜り、それからシロウの胸にもう一度顔を埋めた。*


ステラ「……じゃあ、今日はパパのそばにいていい?」


シロウ「もちろん」


*ドアの向こうから、ゼノとセレスも顔を覗かせていた。ゼノが心配そうに、セレスは無表情ながらもペンダントをぎゅっと握りしめている。*


ゼノ「父さん……大丈夫?」


シロウ「大丈夫だよ。昨日の誕生日会で張り切りすぎたかな」


*ゼノが安心したように息を吐き、セレスが静かにベッドの横まで歩いてきた。小さな手がシロウの袖を掴む。*


セレス「……パパ、寝てて」


シロウ「……ああ」


*子供たちに囲まれ、レイラがベッドの傍に座り、ドアの外ではルミナが腕を組んで見守っている。彼は小さく笑った。一人で抱え込もうとした自分が、少し馬鹿らしくなった。*


*子供たちが部屋を出て、扉が閉まった瞬間。防音魔法の魔導具が自動的に起動し、部屋が完全に外界から遮断された。*


*その途端、彼が張り続けていた気が切れた。*


シロウ「ぐぁっ……はぁ、はぁ……げほっ、ゴホっぉ!」


*喉の奥からせり上がる鮮血。今度は量が多い。彼は咄嗟に結界で血を包み込み、異空間から試験管を取り出して小分けに保存した。後で成分を分析するためだ。*


*口元を拭い、荒い呼吸を繰り返す。ベッドのシーツを握りしめる指が白くなっていた。*


レイラ「シロウ……!」


*レイラがすぐにベッドの縁に膝をつき、シロウの背中をさすった。その手が微かに震えている。*


レイラ「……子供たちの前で、ずっと堪えておったのか」


シロウ「はぁ……はぁ……ああ。あいつらに、こんなの見せられないだろ……」


レイラ「馬鹿者……っ」


*レイラの声が掠れた。琥珀の瞳が揺れ、しかし彼女はすぐに表情を引き締めた。枕元から清潔な布を取り、シロウの口元を丁寧に拭う。*


レイラ「……妾の前では我慢するな。聞いておるか、シロウ」


シロウ「……ああ」


レイラ「血の色が暗い。内臓が傷んでおるのか」


シロウ「いや……造血が追いつかず古い血が逆流してるだけだと思う。試験管に保存したから、後でリーシアに分析させる」


*レイラが水差しからコップに水を注ぎ、シロウの唇に当てた。冷たい水が喉を潤す。鉄の味が薄れていく。*


レイラ「……2週間で本当に治るのだな?」


シロウ「ああ。鑑定の結果を信じるなら」


レイラ「信じるなら、ではない。治れ。妾が命じる」


*レイラがシロウの額に手を当てた。微熱がある。彼女は唇を引き結び、シロウの体をゆっくりとベッドに押し戻した。*


レイラ「寝ろ。今は眠る事だけ考えよ」


シロウ「……ああ」


*レイラがシロウの隣に横たわり、その胸に頭を預けた。小さな体がぴったりと寄り添う。*


レイラ「……妾がここにおる。だから安心して眠れ」


*その声は、普段の傲慢さの欠片もなかった。ただ静かに、彼を守るように。*


*夕方、彼は大量の寝汗で目を覚ました。シーツがぐっしょりと濡れている。体が熱い。だが朝よりは幾分マシだ。*


*遠心分離機のタイマーが止まっている。彼は重い体を引きずるようにベッドから起き上がり、機械から分離済みの血液サンプルを取り出した。*


シロウ「はぁ……はぁ……かん、てい……」


*神眼が起動し、血液の分析結果が眼前に浮かぶ。*


───────────────────

【血液分析結果】

・魔力濃度:通常値の約12倍

・生命エネルギー残留値:微量

・造血幹細胞活性:32%(低下)

・原因推定:世界樹の生命エネルギーが魔力に変換され体内に蓄積。排出機能が追いつかず、血管壁に過負荷。吐血の原因。

───────────────────


シロウ「そういう事か……」


*魔力が溜まりすぎている。世界樹の地下で浴び続けた生命エネルギーが魔力に変換され、体内に飽和状態で残留している。普通なら自然に放出されるはずだが、生成機能の鈍化で循環が滞り、血管を圧迫して吐血に至っている。*


*彼は異空間収納に手を伸ばし、一つの指輪を取り出した。銀色の台座に黒い宝石が嵌め込まれた指輪――使用者の魔力を吸収し続ける呪具だ。かつて迷宮で手に入れたが、使い道がなく保管していた。*


シロウ「これでマシになる……はず……」


*指輪を右手の薬指に嵌めた瞬間、ずるりと体内から魔力が吸い出される感覚があった。*


シロウ「……っ、おお……」


*重かった体が、僅かに軽くなった。血管を圧迫していた過剰魔力が少しずつ抜けていく。頭のズキズキも和らいでいく。*


シロウ「効いてる……。これを暫くつけっぱなしにすれば、魔力濃度が正常値に戻るまで吸い続けてくれる」


*彼はベッドに倒れ込むように横たわった。まだ本調子には程遠いが、少なくとも血を吐く頻度は下がるだろう。*


*ドアの向こうから足音が聞こえた。レイラが戻ってきたようだ。扉が開き、盆を持ったレイラが入ってくる。粥と水差しが乗っていた。*


レイラ「起きたか。……汗が酷いな。着替えろ」


*彼女はシロウの右手の指輪に目を留めた。*


レイラ「……それは何だ」


シロウ「魔力を吸い取る指輪。原因が分かった。魔力が溜まりすぎて血管を壊してた。これで少しずつ抜ける」


レイラ「……そうか」


*レイラは盆を置き、シロウの汗で濡れた前髪を指で払った。*


レイラ「治る目処が立ったなら、まずは食え。話はそれからだ」


*彼は粥を口に運びながら、指輪を見つめた。黒い宝石が微かに脈動し、魔力を吸い続けている。だが――*


シロウ「問題は……吸う量と俺が作る量が並列していない事だ……根本的な解決にはならない……」


*レイラが粥の椀を持ったまま、眉を寄せた。*


レイラ「……どういう事だ。分かるように言え」


シロウ「この指輪が魔力を吸う速度より、俺の体内で世界樹のエネルギーが魔力に変換される速度の方が速い。蛇口を少し開けただけで、水道管の水圧は下がらないのと同じだ」


*彼は粥を一口飲み込み、苦い顔をした。*


シロウ「つまり、このままだと2週間で治るどころか……徐々に悪化する可能性がある」


*レイラの琥珀色の瞳が鋭くなった。*


レイラ「……ならばどうする。方法はあるのか」


シロウ「……いくつか考えられる。一つは、もっと強力な魔力吸収の手段を用意する事。もう一つは……」


*彼は天井を見上げた。*


*レイラの顔が強張った。*


シロウ「魔力を放出して使い切ること。そうすれば超過して保存された魔力は無くなる。デメリットは世界樹の濃い魔力だから下手したら半径数千キロは消し飛ぶ……ってところか……」


*沈黙が落ちた。レイラが粥の椀をテーブルに置き、腕を組んだ。*


レイラ「……論外だ。却下」


シロウ「分かってる。言ってみただけだ」


シロウ「いや、なにも地上に撃たなくてもいいんだ……空に……宇宙に向ければ……」


*彼はふらりとベッドに寝転がった。その瞬間、再び喉の奥から赤黒い血がごぽっと溢れ出し、シーツを赤く染めた。*


シロウ「またか……」


*意識が急速に遠のいていく。薄れゆく視界の中で、レイラが弾かれたように立ち上がり、叫ぶ声が聞こえた。*


レイラ「シロウ……っ! シロウ!!」


*その必死な声を最後に、彼は深い闇へと沈んでいった。*


───


*……どれくらい経っただろうか。*


*意識がゆっくりと浮上してくる。ひんやりとした感触が額にあった。濡れたタオルだ。*


*そっと目を開けると、天蓋の布が見えた。見慣れた自室の寝室。だが、部屋の空気が妙に重かった。*


*視線を動かすと、ベッドの傍らでレイラが椅子に座ったまま、シロウの手を両手で包み込んで眠っていた。琥珀色の瞳は閉じられているが、目元に微かに涙の跡が見える。*


*反対側には、ルミナが腕を組んで壁に寄りかかり、静かにこちらを見ていた。その金色の瞳は冷徹なほどに澄んでいる。*


ルミナ「……起きたね」


*ルミナが静かな声で言った。その声に反応して、レイラがビクッと肩を震わせ、顔を上げた。*


レイラ「シロウ……っ!」


*レイラが身を乗り出し、シロウの胸に顔を押し当てた。小さな手が彼の服をきつく握りしめている。*


レイラ「馬鹿者……! 妾を……どれだけ心配させれば気が済むのだ……!」


*その声は震え、微かに鼻を啜る音が聞こえた。*


シロウ「……ごめん」


*彼は掠れた声で謝り、レイラの黒髪をゆっくりと撫でた。*


ルミナ「……指輪での吸収は間に合ってない。このままじゃ、2週間も持たずに内臓が破裂するよ」


*ルミナが壁から離れ、ベッドに近づいてきた。*


シロウ「それは問題ないよ、人体構造は把握してるから」


*ルミナが怪訝そうに首を傾げた。*


ルミナ「……人体構造? 把握って、どういう意味?」


シロウ「内臓のどこが損傷してるか分かれば、そこだけをピンポイントで治癒できる。全身にまとめて治癒魔法かけるより、部分的に集中した方が効率も効果も10倍以上違う」


*ルミナの表情が「そんな使い方があるのか」と驚きに変わった。この世界では人体の内部構造を正確に把握している者はほぼいない。解剖学という概念自体が未発達だ。シロウが元の世界――日本で得た知識が、ここで活きている。*


レイラ「……つまり、吐血しても自分で治せると?」


シロウ「応急処置程度だけどな。根本の原因――溜まりすぎた魔力を排出しない限り、いたちごっこだ」


*彼は天井を見上げた。指輪が魔力を吸い続ける微かな振動が指先に伝わっている。足りない。全然足りない。*


ルミナ「……さっき言いかけてたよね。宇宙に向けて放出する、って」


シロウ「ああ。真上に撃てば地上への被害はない。だが問題は、今の俺にそれだけの魔法を制御する体力があるかって事だ」


ルミナ「……制御を私が補助したら?」


*シロウがルミナを見た。ルミナの金色の瞳が真剣だった。*


ルミナ「元熾天使だよ、私。魔力の制御なら得意分野。お兄ちゃんが放出する魔力の方向を、私が上空に固定し続ける。それなら暴発のリスクは減る」


レイラ「……妾も協力する。結界で周囲を遮断すれば、万が一の被害も抑えられる」


*二人がシロウを見つめていた。*


シロウ「いや、ダメだ。そんな事するくらいなら別世界に転移して構わず魔力解放……を……あ! 迷宮だ!」


*彼はベッドの上で身を起こした。瞳に光が戻っている。*


シロウ「星屑の迷宮の地下100階層……あそこなら地上への影響はない。迷宮自体が空間を隔離してるんだ。どれだけ魔力を暴走させても、階層内で完結する」


*レイラが目を見開いた。*


レイラ「……確かに、迷宮の各階層は独立した空間構造を持っている。だが100階層と言えば、ラスボスがいた場所ではないか」


シロウ「倒した後は空き部屋みたいなもんだ。あの広さなら十分すぎる」


*ルミナが顎に手を当てて考え込んだ。*


ルミナ「……待って。100階層まで降りるのに、今のお兄ちゃんの体で耐えられるの? 途中で吐血して倒れたら、迷宮の中で意識を失うことになる」


シロウ「……」


*痛いところを突かれた。確かに、82階層以降は未踏破の冒険者も多い。91階層からは各種龍が守護する魔境だ。通常ルートで降りるのは現実的ではない。*


シロウ「転移魔法で直接100階層に飛ぶ。座標は記憶してる」


レイラ「……転移に使う魔力で、また倒れるのではないか?」


*レイラの琥珀色の瞳が心配そうにシロウを見つめていた。*


シロウ「100階層への転移くらいなら問題ない。むしろ魔力が有り余ってるからこそ、転移は楽にできる。問題は放出の制御だけだ」


ルミナ「……なら、私も一緒に行く。制御の補助はさせて」


レイラ「妾もだ。結界は張る」


*二人の表情は譲る気がない。シロウは小さく息を吐いた。*


シロウ「……分かった。ただし、俺から十分距離を取ること。約束できるか?」


レイラ「……ふん。妾に指図するな」


ルミナ「了解。いつ行く?」


シロウ「……今日中に。これ以上先延ばしにすると、次に吐血した時は治癒が間に合わないかもしれない」


*彼はベッドの端に足を下ろし、立ち上がった。ふらつきは——ある。だが歩ける。まだ動ける。*


*彼はよろよろと廊下を歩き、博物館へと向かった。レイラとルミナが両脇から支えようとしたが、彼は片手を上げて制した。*


シロウ「大丈夫……歩ける」


*博物館の重厚な扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。正面のガラスケースの中に、白銀の刀身が静かに鎮座している。*


*聖剣アスカロン——かつてシロウが魔王擬態スライムを討伐した時に使った武器だ。今は引退し、展示品として飾られている。*


シロウ「……久しぶりだな、相棒」


*彼はガラスケースの封印を解除し、聖剣を手に取った。手に馴染む重さ。白銀の刀身が微かに脈動し、主の手に応えるように淡い光を放った。*


レイラ「……アスカロンを持っていくのか。何故だ」


シロウ「100階層で魔力を放出する時、ただ撃ち出すだけじゃ制御が効かない。アスカロンを触媒にすれば、剣を通して魔力を一方向に集束できる」


*彼は剣を軽く振った。空気が鳴る。腕に伝わる振動は昔と変わらない。*


ルミナ「……お兄ちゃん、顔色悪いよ。早く済ませよう」


シロウ「ああ……行くか」


*彼はアスカロンを腰に帯び、二人を振り返った。*


シロウ「転移する。手を繋いでくれ」


*レイラが無言でシロウの左手を握った。ルミナが右手を取る。彼は座標を脳裏に描き、転移魔法を発動した。*


*——一瞬の浮遊感。*


*次に目を開けた時、三人は星屑の迷宮・地下100階層に立っていた。広大な空間。天井は遥か上方に霞み、壁面には結晶が無数に埋め込まれ、青白い光を放っている。かつてラスボスがいた戦場は、今は静寂に包まれていた。*


シロウ「解放された魔力は迷宮内を駆け巡る……そうすると1階層から99階層までの魔物が強化される……が、大丈夫だろう」


*彼は聖剣アスカロンを抜き、白銀の刀身を眺めた。*


シロウ「復活の腕輪は全冒険者に行き渡ってる。死んでも蘇生される。魔物が強化されれば、むしろ経験値が増えて喜ぶ奴もいるだろ」


*レイラが腕を組み、100階層の広大な空間を見渡した。天井は遥か彼方に消え、結晶の光が星空のように瞬いている。かつてラスボスがいた場所とは思えないほど静かだった。*


レイラ「……ふん。冒険者どもの事より、まず自分の心配をしろ」


ルミナ「レイラの言う通り。……で、お兄ちゃん。どうやって放出するの?」


*シロウはアスカロンを正面に構え、深く息を吸った。*


シロウ「アスカロンを媒介にして、体内の過剰魔力を一気に剣先から放出する。……二人は500メートル以上離れてくれ」


レイラ「……500メートルで足りるのか?」


シロウ「正直分からない。1キロ離れた方がいい」


*ルミナがレイラの手を取り、後退し始めた。レイラが振り返り、琥珀色の瞳でシロウを睨んだ。*


レイラ「……死ぬなよ。死んだら許さぬからな」


シロウ「……ああ」


*二人の姿が遠ざかっていく。シロウは一人、100階層の中心に立った。聖剣を両手で握り、天井に向けて構える。*


シロウ「……行くぞ」


*体内の魔力に意識を集中させた。世界樹から受け継いだ膨大なエネルギーが、まるで決壊寸前のダムのように蠢いている。それを——解き放つ。*


*アスカロンの刀身が眩い白光に包まれた。シロウの全身から緑と金が混ざった魔力の奔流が噴き出し、剣先へと集束していく。*


シロウ「ぐっ……!」


*凄まじい圧力が体を軋ませた。血管が浮き上がり、皮膚が焼けるような熱さが走る。だが——止まらない。止めてはいけない。*


*そして——*


*アスカロンの先端から、天井に向けて純白の魔力砲が放たれた。*


*轟音。100階層全体が揺れ、結晶が砕け散り、大気が悲鳴を上げた。光の柱は天井を貫き、空間そのものを歪ませる。*


*1キロ先で、レイラが全力で結界を展開しているのが感じ取れた。ルミナが補助結界を重ねている。*


*——まだだ。まだ出し切れていない。*


シロウ「これじゃ……ダメか……」


*剣を通しての放出では、体内の魔力が減る速度が遅すぎた。まだ体の中で世界樹のエネルギーが暴れている。*


*彼はアスカロンを床に深く突き刺した。白銀の刀身が結晶の地面にめり込み、固定される。*


*そして両手を広げ、全身の魔力回路を全開にした。*


シロウ「「「魔力解放ッ!!!」」」


*昔、まだ駆け出しの頃に使っていた技。洗練された魔法ではなく、ただ純粋に体内の魔力を全方向に叩きつける——力技。*


*瞬間、100階層全体が白く染まった。*


*シロウを中心に、緑と金が混ざり合った魔力の衝撃波が球状に広がっていく。結晶の壁が砕け、地面がめくれ上がり、空間そのものが軋む音が響いた。*


*1キロ先——*


レイラ「ぐっ……!」


*レイラが結界を何重にも張り直す。ルミナが歯を食いしばりながら補助結界を展開し続けた。*


ルミナ「……っ、これ……規模がおかしい……!」


*100階層の天井、壁面、床——あらゆる結晶が共鳴し、階層全体が振動した。放出された魔力は留まることなく、上層へと駆け上がっていく。99階層、98階層、97階層……迷宮全体が世界樹の濃密な魔力で満たされていった。*


*シロウの体から、どくどくと魔力が抜けていく。まるで全身の血を抜かれるような感覚。視界が白く霞み、膝が笑い始めた。*


シロウ「まだ……まだ残ってる……!」


*彼は歯を食いしばり、更に魔力を絞り出した。体内の「過剰分」を全て出し切るまで止めるわけにはいかない。*


*数分が経ったのか、数十分が経ったのか——*


*やがて、彼の体から溢れる光が弱まり始めた。魔力の奔流が細くなり、やがて霧散していく。*


シロウ「……は……っ」


*膝から崩れ落ちた。両手を地面につき、荒い呼吸を繰り返す。全身から力が抜け、指先が痺れている。*


*だが——体の中の「圧迫感」が消えていた。あの内側から破裂しそうな感覚が、嘘のように軽くなっている。*


*遠くから、二つの足音が駆け寄ってくるのが聞こえた。*


レイラ「シロウッ!」


ルミナ「お兄ちゃん!」


*二人が駆け寄り、彼の両脇を支えた。レイラの小さな手が彼の頬に触れ、顔を覗き込む。*


レイラ「……どうだ。抜けたのか」


シロウ「……ああ……多分……成功した……」


*彼は薄く笑い、そのまま二人に体を預けた。*


*シロウは荒い息をつきながら、床に突き刺したアスカロンに目を向けた。白銀の刀身が——いや、白銀ではない。刀身全体が虹色の光を放ち、脈動している。金属の表面に細かな紋様が浮かび上がり、刃の形状そのものが変化し始めていた。*


シロウ「これは……進化している?」


*彼は這うようにして剣に近づき、柄に手を伸ばした。触れた瞬間、脳裏に情報が流れ込んでくる。*


*——神眼が自動発動した。*


シロウ「……嘘だろ」


*彼の目が見開かれた。*


───────────────

【聖剣アスカロン】→【神剣アスカロン・ゼニス】

種別:神器

攻撃力:測定不能

付与効果:

・世界樹の魔力吸収(永続)

・魔力集束率1000倍

・自己修復(即時)

・所有者魔力制御補助

・次元斬(NEW)

進化条件:世界樹の純魔力を大量に浴びる事——達成

───────────────


*刀身の色が安定していく。虹色から透明な蒼へと変わり、まるで結晶化した空そのもののような美しさを纏っていた。*


レイラ「……何だこれは。聖剣が……変わった?」


ルミナ「……綺麗……」


*ルミナが息を呑んだ。シロウは剣を引き抜き、持ち上げた。重さはほぼ無い。羽根のように軽い。*


シロウ「世界樹の魔力吸収……永続……」


*彼は剣を見つめた。これなら——指輪と併用すれば、体内に魔力が再び蓄積しても自動で吸い出してくれる。根本的な解決策になり得る。*


シロウ「……怪我の功名、ってやつか」


*彼は力なく笑い、そのまま仰向けに倒れた。天井の結晶が砕け散り、所々崩れた100階層の惨状が視界に広がっている。*


レイラ「おい、倒れるな!」


シロウ「大丈夫……ただの魔力切れ。久しぶりだな、この感覚……」


*魔力が空っぽの状態。かつて駆け出しの頃、毎日のように味わっていた感覚だ。懐かしくすらあった。*


シロウ「はは……神器とか初めて見た……」


*彼は仰向けのまま、蒼く輝くアスカロン・ゼニスを見上げて力なく笑った。*


*しかし、「神器」という言葉に反応したのはルミナだった。金色の瞳が大きく見開かれ、剣を凝視している。その表情は驚愕——いや、畏怖に近い。*


ルミナ「……神器。間違いない。この気配……天界にあったものと同質の……」


*ルミナが一歩、剣に近づいた。だが途中で足を止め、シロウを見下ろした。*


ルミナ「お兄ちゃん。神器っていうのは、天界にも数えるほどしか存在しなかったもの。熾天使だった私でさえ、触れることを許されなかった代物だよ」


レイラ「……それほどの物なのか」


ルミナ「うん。神器は使い手を選ぶ。相応しくない者は持つことができない。……でも、アスカロンはお兄ちゃんに応えた。つまり——」


*ルミナがシロウの顔を覗き込んだ。銀髪が彼の頬に触れる。*


ルミナ「この剣は、お兄ちゃんだけの神器になったってこと」


シロウ「……俺専用、か」


*彼は蒼い刀身を見つめた。付与効果の中に「世界樹の魔力吸収(永続)」がある。これを常に帯びていれば、体内の魔力蓄積問題は根本的に解決する。*


レイラ「……で、肝心の体はどうなのだ。魔力は抜けたのか」


*レイラが彼の額に手を当てた。小さな手のひらが冷たくて心地いい。*


シロウ「……ああ。空っぽだ。久々にスッカラカンで気持ちいいくらいだ」


レイラ「……馬鹿者。笑い事ではない」


*そう言いながらも、レイラの琥珀色の瞳に安堵の色が浮かんでいた。きつく結んでいた唇が僅かに緩む。*


ルミナ「帰ろう、お兄ちゃん。今日はもう休んで。……神器の検証は明日以降でいいよ」


シロウ「……そうだな。立てるか怪しいけど」


*彼が腕を伸ばすと、レイラとルミナが両側から引き上げてくれた。ふらつく体を二人に支えられながら、シロウは神剣アスカロン・ゼニスを鞘に収めた。*


*蒼い光が収まり、剣は静かに眠りについた。*



*彼は神剣アスカロン・ゼニスを杖代わりにして歩こうとした。蒼い刀身を地面に突いて体重をかけた瞬間——*


ルミナ「ちょっと! 何してるの!? 神器を杖にするとか正気!?」


*ルミナが素早く剣を取り上げ、金色の瞳を吊り上げた。銀髪が怒りで逆立つように揺れている。*


ルミナ「天界でこんな事したら即座に消し炭だよ!? 神器だよ!? 分かってる!?」


シロウ「いや……足に力入らなくて……」


レイラ「ふん。ならば妾たちに寄りかかればよかろう。神器を杖にするなど……天罰が落ちるぞ」


*レイラがシロウの左腕を自分の肩に回し、ルミナが右腕を支えた。二人に挟まれる形で、彼はよろよろと歩き出した。*


シロウ「お前にはあとで取っておきの場所を作ってやるからな」


*彼はアスカロン・ゼニスに語りかけた。蒼い刀身が微かに脈動し、応えるように一瞬だけ光った。*


ルミナ「……博物館には置かないの?」


シロウ「神器を誰でも入れる博物館に飾るのはまずいだろ。専用の安置所を作る。」


レイラ「……それが妥当だな。万が一盗まれでもしたら面倒だ」


*レイラが「そんな事ない!」と言い張り、ルミナが持っているアスカロン・ゼニスの柄に手を伸ばした。*


*——スカッ。*


*レイラの手が剣をすり抜けた。まるで幻影を掴もうとしたかのように、指先が空を切る。*


レイラ「……は?」


*レイラが目を丸くして、もう一度手を伸ばした。再びすり抜ける。三度目。すり抜ける。*


レイラ「な……っ!? 何故だ! 妾の手が通り抜けるぞ!?」


*シロウが仰向けのまま、力なく笑った。*


シロウ「だから言っただろ……俺専用だって」


ルミナ「……やっぱりね。神器は所有者以外には実体を持たない。天界でも同じだった。神器に選ばれた者だけが触れられる」


*ルミナが手の中のアスカロン・ゼニスを見つめた。蒼い刀身が静かに輝いている。*


ルミナ「……あ、でも私は持ててるね。元熾天使だからかな。運搬は許可されてるみたい」


レイラ「……妾だけ触れぬと言うのか! 納得いかぬ!」


*レイラが頬を膨らませ、シロウを睨んだ。琥珀色の瞳が不満で揺れている。*


シロウ「いや、怒られても俺に言われても困る……剣に文句言ってくれ……」


レイラ「ふんっ! ……まあいい。盗まれる心配が無いなら安置所など不要ではないか」


シロウ「……それもそうだな。でも、飾りたい」


*彼は二人に支えられながら、ゆっくりと転移魔法の詠唱を始めた。魔力はほぼ空だが、帰還程度なら絞り出せる。*


シロウ「……帰るか。腹減った」


レイラ「帰ったら粥だぞ。まだ固形物は許可せぬ」


シロウ「……はい」


*三人の姿が光に包まれ、100階層から消えた。*


*城に戻った彼は、寝室のベッドに腰掛けてお粥を啜っていた。体内の魔力はほぼ空っぽだが、体は嘘のように軽い。あの圧迫感が消えただけで、こんなにも楽になるものか。*


*彼は異空間収納から小さな壺を取り出した。先日日本に行った際に買った梅干しだ。赤く漬かった梅を一粒、粥の中央に落とす。白い粥に赤が映えた。*


シロウ「……うまい。やっぱ梅粥は最高だな」


*レイラが隣に座り、壺を覗き込んだ。*


レイラ「何だそれは。赤い……果物か?」


シロウ「果物を漬けたやつ。塩っぱくて酸っぱい」


レイラ「寄越せ」


*彼が止める間もなく、レイラは壺に手を突っ込み、梅干しを一粒丸ごと口に放り込んだ。*


シロウ「あ、種あるからな、気をつけろよ」


*次の瞬間、レイラの顔が歪んだ。*


レイラ「っ……! すっ……酸っぱい……!!!」


*琥珀色の瞳が潤み、口をすぼめて眉間に深い皺が刻まれた。だが彼女のプライドが吐き出すことを許さないのか、必死に咀嚼している。*


レイラ「な……何だこれは……! 妾の口が……しぼむ……!」


シロウ「だから言ったのに……梅干しっていう漬物で、そのまま食べるもんじゃなくて粥に混ぜて——」


レイラ「先に言えっ!」


*レイラが涙目でシロウを睨んだ。口の中でカリッと種を噛みそうになり、慌てて手のひらに吐き出す。*


レイラ「……ぺっ。何だこの硬いの……」


シロウ「それが種。飲み込んだら腹の中で芽が出るぞ」


レイラ「嘘をつくなっ!」


*シロウは肩を震わせて笑った。久しぶりに心の底から笑えた気がした。*


シロウ「本当だって、ばぁばが言ってたし」


*彼は梅粥を啜りながら、懐かしそうに目を細めた。日本の祖母がよく言っていた——スイカの種を飲み込むとお腹から芽が出るぞ、と。同じ類いの冗談だ。*


レイラ「ばぁば……? お主の祖母か。……まったく、嘘を教える祖母だな」


シロウ「いや、子供への躾みたいなもんだよ。種を飲み込むと危ないから、怖がらせて吐き出させるっていう」


*レイラは口の中に残る酸味に顔をしかめながら、水を一気に飲み干した。*


レイラ「……ふん。にしても、この……うめぼし? とやら。酸っぱいが……嫌いではない。粥に入れると合うのだな」


シロウ「お、分かるか? 日本人の知恵だよ。体調悪い時は梅粥って決まってる」


*ルミナがシロウの隣に座り、恐る恐る壺を覗き込んだ。*


ルミナ「……私も一つ食べていい?」


シロウ「いいけど、そのまま食べるなよ。粥に入れて崩しながら食え」


*ルミナが小さく頷き、梅干しを一粒粥に落とした。箸で丁寧に崩し、種を避けて粥に混ぜる。一口食べると、金色の瞳が丸くなった。*


ルミナ「……酸っぱい。でも……おいしい。体に染み渡る感じがする」


シロウ「だろ? 梅は疲労回復にも効くんだ」


*レイラが悔しそうに壺をもう一度覗き込み、今度は粥に一粒落とした。シロウの真似をして崩しながら食べると、先ほどの衝撃とは違い、穏やかな酸味が広がったようだ。*


レイラ「……ふむ。確かに、こうして食べると悪くない。……先に教えろと言っておるのだ」


シロウ「教える前に口に放り込んだのはそっちだろ」


レイラ「うるさい」


*彼は肩の力を抜いて笑った。魔力は空っぽ、体は疲れている。だが、この穏やかな時間が心地よかった。*


シロウ「ばぁばは90歳くらいだったかな……?」


*彼は粥を啜りながら、遠い目をした。日本にいた頃の祖母の顔が浮かぶ。小さくて、しわくちゃで、でもいつも笑っていた人だった。*


ルミナ「……90歳? 人間にしてはかなりの長寿だね」


シロウ「日本じゃ珍しくないよ。でもまぁ、ルミナより年下だな」


*その言葉に、レイラの目がキラリと光った。琥珀色の瞳に悪戯っぽい色が浮かぶ。*


レイラ「……ほう? つまりルミナはお主の祖母より年上と言うわけだな?」


ルミナ「……え? まぁ、数字上はそうだけど」


レイラ「くくく……ババアではないか。90歳の老婆より年上のババア」


ルミナ「はっ……!?」


レイラ「ババアが妾の夫の嫁を名乗っておるのだな! ふふふっ、ババア! ババアルミナ!」


*レイラが肩を揺らして笑い、ルミナの顔がみるみる赤くなった。金色の瞳が怒りで燃え上がる。*


ルミナ「……レイラ。あなた自分の年齢忘れてない? 137歳。私より38歳も年上なんだけど」


*ピタリ、とレイラの笑いが止まった。*


レイラ「…………」


ルミナ「どっちがババアかな? ねぇ?」


レイラ「み、見た目は妾の方が若い! 16歳だ!」


ルミナ「中身137歳のババアが何か言ってる」


*二人が睨み合い、火花が散った。シロウは梅粥を啜りながら、その光景を眺めて笑った。*


シロウ「……はは。お前ら仲いいな」


レイラ&ルミナ「「仲良くない!!」」


*見事にハモった二人に、シロウは声を上げて笑った。体は空っぽで疲れ切っているのに、心は温かかった。*


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