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《R-15》異世界転移でスローライフを?  作者: THE・HENJIN・RlDER
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*彼は再び目を閉じた。レイとルミナの温もりに包まれ、浴衣の乱れなど気にせず二度寝に落ちていく。*


*——数時間後。*


*朝日が障子越しに差し込み、鳥のさえずりが聞こえてきた。彼が薄目を開けると、状況は変わっていなかった。右腕にルミナ、左腕にレイがしがみついている。*


レイ「すぅ…すぅ…♪」


*レイの浴衣は完全にはだけ、柔らかい肌が彼の腕に密着している。ルミナも同様に浴衣が乱れ、銀髪が彼の胸に広がっていた。*


*そして足元を見ると——*


レイラ「……zzz」


*レイラが彼の足に抱きついて寝ていた。昨夜気絶したまま一度も起きなかったらしく、幸せそうな寝顔を浮かべている。*


シロウ「…全員くっついてるのか」


*身動きが取れない。しかも朝特有の生理現象が浴衣の下でテントを張っており、レイの太腿がちょうどそこに当たっていた。*


レイ「ん…♪ シロー…硬い…♪」


*レイが寝ぼけたまま呟き、すりすりと太腿を擦り付けてくる。*


シロウ「……寝てるよな?」


*彼は天井を見上げ、深く息を吐いた。朝から試練である。*


*彼が再び眠りに落ちてから、どれくらい経っただろうか。体を揺すられる感覚で意識が浮上してきた。*


レイ「シロー♪ 起きて♪ 朝だよ♪」


ルミナ「お兄ちゃん、いつまで寝てるの」


レイラ「…妾は先に起きておるぞ。だらしないな」


*三人の声が重なる。彼がゆっくりと目を開けると——*


*レイの顔がすぐ目の前にあった。琥珀の瞳がとろんと寝ぼけたまま、にこっと笑う。*


レイ「おはよ、シロー♪」


*ちゅっ。レイが頬にキスをした。柔らかい唇の感触が頬に残る。*


シロウ「……」


レイ「んー♪ もういっかい♪」


*ちゅっ、ちゅっ。寝ぼけたレイが何度も頬にキスを落としてくる。猫が甘えるように、すりすりと頬を擦り付けてきた。*


ルミナ「…レイ、まだ半分寝てるでしょ」


レイ「起きてるよー♪ シローあったかい♪」


レイラ「…おい。妾の顔で妾の夫にべたべたするな。紛らわしい」


*レイラが腕を組んで不機嫌そうに言った。しかし昨夜の気絶が嘘のように、いつもの傲慢な態度が戻っている。ただ——彼と目が合った瞬間だけ、耳の先がほんのり赤く染まった。*


レイラ「…な、何を見ておる」


*彼は一人で男湯に浸かっていた。朝の清涼な空気と檜の香りが心地よい。久しぶりの一人の時間だ。*


*しかし、周囲の客の視線が気になった。チラチラとこちらを見てくる中年の男性客が数人。彼の体には冒険者時代の古い傷跡がいくつか残っている。しかし、それだけで注目されるほどのものではないはずだ。*


*ふと気づいた。この体は43歳にしては異常に鍛え抜かれている。ステータスの恩恵で衰えを知らない筋肉は、一般的な日本人の中年男性とはかけ離れていた。腹筋は割れ、肩幅は広く、無駄な脂肪が一切ない。傷跡と相まって、まるで特殊部隊の隊員のような体つきだった。*


男性客A「…あの人、格闘家かな?」


男性客B「傷跡すごいな…ヤ○ザか?」


*小声で囁かれているのが聞こえた。彼は苦笑した。*


シロウ「…どっちも違うんだがな」


*湯船に肩まで沈み、空を見上げる。朝焼けが美しい。日本の空だ。*


シロウ「…平和だな」


*異世界では魔物や敵国と戦い、命の危険が日常だった。しかしここでは——ただ温泉に浸かって、家族と過ごすだけ。この何気ない時間がどれほど貴重か、彼にはよく分かっていた。*


*彼は部屋に戻ると、全員が既に身支度を終えていた。ルーナがルミナの髪を最後に整えている。*


シロウ「それじゃあ朝飯行くか」


ルーナ「はーい! 和朝食楽しみ!」


*全員が廊下に出た。シロウの肩にはフェンが子犬の姿で乗り、イグニは文鳥に偽装してステラの指に止まっている。*


*朝食会場に入った瞬間、空気が変わった。*


*他の宿泊客の視線が一斉に集まる。偽装魔法で人間の姿にはなっているが、元の造形が美しすぎるのだ。ルミナは銀髪のモデル体型、レイラとレイは瓜二つの黒髪美少女、シルフィは深緑の髪が揺れる美女、リーシアは凛とした茶髪のメイド——そしてルーナも母譲りの銀髪金眼。*


*男性客が振り返り、女性客がひそひそと囁き合う。*


女性客A「ちょっと…モデルさん? 撮影?」


女性客B「子供も可愛い…外国の方かしら…」


男性客「あの黒髪の双子ちゃん、そっくりだな…」


*レイラとレイが並んで歩いているのを見て、客たちがざわめいた。*


レイラ「…何を見ておるのだ。不愉快だな」


ルミナ「レイラ、ここでは目立たないようにって言ったでしょ」


レイ「朝ごはん♪ 朝ごはん♪」


*レイだけは全く気にせず、料理が並ぶカウンターに目を輝かせていた。*


*仲居さんが慌てて駆け寄ってくる。*


仲居「お、お待ちしておりました! 12名様ですね、奥の座敷をご用意しております」


*奥の個室に通された。広い座敷に膳が並べられている。焼き魚、出汁巻き卵、味噌汁、漬物、白米——正統派の和朝食だった。*


ルーナ「うわぁ、これこれ! 日本の朝ごはん!」


*ルーナが感動した声を上げた。前世の記憶がある彼女にとって、これは懐かしい味だ。*


ステラ「パパ、これなぁに?」


*ステラが味噌汁を指差して首を傾げている。*


*彼はステラの隣に座り、味噌汁の椀を指差した。*


シロウ「味噌汁って言うんだ。好みが別れるところはあるな」


ステラ「みそしる…? パパのくにのごはん?」


シロウ「ああ、そうだ。熱いから気をつけろよ」


*ステラが小さな手で椀を持ち、ふーふーと息を吹きかけてから一口すすった。*


ステラ「…あったかい。おいしい!」


*一方、リーシアは味噌汁を一口含んだ瞬間、目を見開いた。舌の上で転がすように味わい、眉を寄せている。*


リーシア「…この深み。何かの魚の…しかし燻製とも違う。乾燥させた…? それと海藻…? いえ、それだけでは…」


*リーシアが椀の中を覗き込み、具材を箸で持ち上げて観察している。出汁の正体が掴めず、困惑した表情だった。*


シロウ「…リーシア、朝飯は分析する時間じゃないぞ」


リーシア「申し訳ございません。しかしこの味をシロウ様にお出しできるようになりたく…」


*ルーナが横からにやりと笑った。*


ルーナ「リーシアさん、ヒントは鰹節と昆布だよ。あとで教えてあげる」


リーシア「か、かつおぶし…? こんぶ…?」


*聞き覚えのない単語に首を傾げるリーシア。ルーナだけが前世の知識で理解している。*


レイ「シロー♪ この卵焼きおいしい♪ もう一個食べていい?♪」


レイラ「…この漬物とやらは酸っぱいな。悪くない」


*レイが出汁巻き卵を頬張り、レイラはたくあんをぽりぽりと齧っている。ルミナは白米を上品に口に運び、静かに頷いていた。*


ルミナ「…お米、おいしい。異世界のとは全然違う」


シロウ「品種改良の賜物だな。日本人が何百年もかけて作り上げた味だ」


ルーナ「わかる! こっちのお米はふっくらしてて甘みがあるんだよね! 異世界のはパサパサだもん」


*ルーナが感動しながらおかわりを装っている。前世日本人の舌が歓喜していた。*


*フェンが子犬の姿でシロウの膝の上に丸まり、イグニは文鳥の姿でステラの肩に止まっている。穏やかな朝食の時間が流れていた。*


*彼は焼き魚を箸で崩しながら、ふと思い出した。そういえば何も計画していない。*


シロウ「そういえば何泊しようか…?」


*全員の箸が止まった。*


ルーナ「え、決めてなかったの?」


シロウ「…とりあえず来たからな」


レイラ「ふん、妾はどこでもよいぞ。お前がいればな」


*レイラがたくあんをぽりぽり齧りながら、さらっと恥ずかしいことを言った。本人は気づいていない。*


レイ「ボクは美味しいものがたくさん食べられるならいつまでも♪」


ルミナ「…私はお兄ちゃんとのデートがあるから、最低もう一泊は必要」


*ルミナが金色の瞳で彼を見つめた。約束を忘れるなよ、という無言の圧力がある。*


ルーナ「せっかくだし二泊三泊くらいしたいなぁ。箱根って観光地いっぱいあるし! 美術館とか、遊覧船とか、大涌谷とか!」


ステラ「ステラもおふねのりたい!」


*ステラが目を輝かせた。しかし——*


レイラ「…船?」


*レイラの顔が一瞬で青くなった。超船酔いする体質を思い出したのだろう。*


レイ「レイラ顔真っ青♪」


レイラ「乗らんぞ! 絶対に乗らん!」


シルフィ「芦ノ湖の遊覧船、気持ちいいって聞きましたけど〜」


レイラ「知らん! 妾は陸で待つ!」


*彼は苦笑しながら白米を口に運んだ。とりあえず三泊くらいが妥当か。*


シロウ「じゃあ三泊で。ルーナ、延泊の手配頼めるか?」


ルーナ「りょーかい! 朝食後にフロントに聞いてくる!」


*ルーナがご飯をもう一杯おかわりしながら、嬉しそうに頷いた。*


*彼はスマホで箱根の観光スポットを検索しながら、レイラに問いかけた。*


シロウ「んで、レイラは本当に陸にいるのか?」


レイラ「当然だ。妾は船には乗らん。死んでも乗らん」


レイ「レイラ大袈裟♪ ちょっと揺れるだけだよ♪」


レイラ「お前は妾の苦しみを知らんだろう! あのクラーケン戦の時を思い出せ!」


*レイラが顔を青くして拳を震わせた。あの時は戦闘どころではなく、船の縁でずっと吐いていたらしい。*


ルーナ「あ、でもお父さん。芦ノ湖の遊覧船ってそんなに揺れないよ? 湖だし。海と違って波もほとんどないし」


レイラ「…本当か?」


ルーナ「うん。前世で乗ったことあるけど、ほぼ揺れなかった記憶がある」


*レイラが半信半疑の目でルーナを見つめた。*


レイラ「…騙したら許さんぞ」


*彼はスマホをスクロールしながら候補を挙げていく。*


シロウ「とりあえず今日の候補は——芦ノ湖の遊覧船、大涌谷、箱根神社、ロープウェイ、あとは美術館か。ステラとゼノ、セレスもいるから子供が楽しめる場所も入れたいな」


ルーナ「大涌谷の黒たまご食べたい! 一個食べると寿命が七年延びるって言い伝えがあるんだよ!」


レイ「寿命が延びる卵!? 食べる♪ たくさん食べる♪」


ルミナ「…レイ、言い伝えだから。本当に延びるわけじゃないよ」


レイ「えー♪」


ステラ「ステラもたまご食べたい!」


*彼は全員の希望を聞きながら、今日の行程を頭の中で組み立てていた。*


シロウ「じゃあ今日はロープウェイで大涌谷行って、そのまま芦ノ湖に降りて遊覧船。午後は箱根神社でも寄るか。明日はルミナとのデートで——」


ルミナ「うん♡」


シロウ「残りの日は美術館か自由行動だな」


レイラ「…ロープウェイとは何だ」


ルーナ「空中をゴンドラで移動するやつ。高いところから景色が見えるの」


レイラ「ふん、空など珍しくもない。妾は飛べるからな」


シロウ「ここじゃ飛ぶなよ?」


レイラ「分かっておる」


*彼は苦笑しながら朝食を食べ終え、出発の準備を始めた。*


*彼はふと考え込んだ。*


シロウ「じゅ…寿命て…」


*目の前にいる面々を見渡す。レイラは136歳、ルミナは98歳、シルフィに至っては332歳。天使、魔族、精霊王——彼女たちにとって「寿命」という概念はほぼ存在しない。自分だけが人間で、せいぜい100年。魔力とレベルで強化された体がどこまで持つかは未知数だが——*


ルーナ「あ…」


*ルーナが彼の表情を見て何かに気づいたようだった。前世が日本人である彼女は、その意味を理解している。しかし何も言わず、代わりに明るく話題を変えた。*


ルーナ「ま、まあとにかく! 黒たまご食べよう! 美味しいよ、塩味が効いてて!」


レイ「たまご♪ たまご♪」


*レイが無邪気にはしゃいでいる。レイラもルミナも、寿命の話題の重さに気づいていないようだった。彼女たちにとって「百年」は一瞬に過ぎない。だからこそ——*


ルミナ「お兄ちゃん? どうかした?」


*ルミナが金色の瞳で彼を覗き込んだ。彼は首を振った。*


シロウ「いや、何でもない。行くか」


*彼は立ち上がり、ステラを抱き上げた。考えても仕方のないことだ。今この瞬間を楽しむ。それが家族旅行というものだろう。*


*全員が旅館のロビーに集合し、ルーナがフロントで延泊の手配を済ませた。*


ルーナ「オッケー! 三泊取れたよ! じゃあ出発!」


*旅館を出ると、朝の箱根の空気が澄んでいた。紅葉が始まりかけた山々が美しい。ロープウェイ乗り場へ向かう道中、ステラが彼の腕の中からきょろきょろと辺りを見回している。*


ステラ「パパ、おやまきれい!」


シロウ「ああ、綺麗だな」


*ゼノは静かに景色を眺め、セレスはレイラの手をぎゅっと握って歩いている。平和な朝だった。*


*彼がルーナに声をかけると、ルーナがスマホの地図アプリを操作しながら振り返った。*


シロウ「ルーナ、まずは何処に行くんだ?」


ルーナ「えっとね、まずはバスで強羅駅まで行って、そこからロープウェイに乗るよ。大涌谷まで一気に上がれるから!」


*ルーナがスマホの画面を彼に見せた。箱根ロープウェイのルートが表示されている。*


ルーナ「大涌谷で黒たまご食べて、そのまま桃源台まで降りて、芦ノ湖の海賊船に乗る。最後に箱根神社ってルートがスムーズかな」


レイラ「海賊船だと…? 本物の海賊ではあるまいな」


ルーナ「違う違う、海賊船の形をした遊覧船だよ。見た目が派手で面白いの」


ステラ「かいぞくせん! かっこいい!」


*ステラが彼の腕の中で目を輝かせた。ゼノも少しだけ興味を示したのか、本から顔を上げている。*


ゼノ「…海賊船の構造、見てみたい」


セレス「…ゼノが行くなら行く」


*セレスがぼそりと呟いた。*


ルーナ「じゃ、バス停こっち! あ、Suica買わないと。お父さんICカード持ってる?」


シロウ「…持ってるわけないだろ。18年ぶりだぞ」


ルーナ「だよね。コンビニで人数分買おっか。子供用もあるし」


*ルーナが先導して旅館近くのバス停に向かった。途中のコンビニで交通系ICカードを人数分購入する。レイラがカードを不思議そうに裏表ひっくり返して眺めていた。*


レイラ「…この薄い板切れで馬車に乗れるのか?」


ルーナ「馬車じゃなくてバスね。機械にピッてかざすだけだよ」


レイラ「ピッ…?」


*レイラが怪訝な顔をしている。ルミナも同じカードを手に取り、静かに観察していた。*


ルミナ「…魔道具みたいなもの?」


ルーナ「まあそんな感じ! 中にお金の情報が入ってるの」


*バスが到着した。観光客が多く乗り込んでいるが、彼らの一行は明らかに目立っている。美男美女の大所帯に、周囲の視線が集まった。*


レイ「わぁ♪ 動く箱♪」


シロウ「レイ、大きい声出すな…」


*彼は小声で注意しながら、全員をバスに乗せた。強羅駅まではそう遠くない。窓の外を流れる箱根の景色に、ステラが「きれい!」と声を上げている。*


*彼は諦めたように肩の力を抜いた。バスの窓に映る箱根の景色を眺めながら、隣でキョロキョロする家族を見守る。*


シロウ「初めての異世界なんてこんなもんか…」


*レイが窓に張り付いて「あ! おうちがいっぱい♪」と指を差し、ステラも真似して「おうちー!」と叫んでいる。ゼノは窓の外を静かに観察し、セレスはゼノの隣で黙って同じ方向を見ていた。*


*レイラは腕を組んで座席に深く座り、平静を装っている。しかし目線はちらちらと窓の外に向いていた。*


レイラ「ふん…この程度の景色、妾の国の方が美しいわ」


ルーナ「はいはい。でもママ、さっきから窓の外めっちゃ見てるよね」


レイラ「見ておらん!」


*バスが強羅駅に到着した。観光客で賑わう駅前を抜け、ロープウェイ乗り場へ向かう。*


ルーナ「はい、こっちこっち! チケット買うね!」


*ルーナが手際よく全員分のチケットを購入し、ゴンドラの列に並んだ。しばらくしてゴンドラが到着し、全員が乗り込む。扉が閉まり、ゆっくりと上昇を始めた。*


ステラ「わぁ! 飛んでる! パパ、お空!」


レイ「すごい♪ どんどん高くなる♪」


*ゴンドラが山の斜面を登っていく。眼下に広がる箱根の山々と紅葉が美しい。*


レイラ「…こんな箱で空を飛ぶとは、この世界の人間は変わっておるな」


ルミナ「でも景色は綺麗。悪くないね」


*ルミナが窓の外を眺め、小さく微笑んだ。金色の瞳に紅葉が映り込んでいる。*


*彼は窓の外を流れる景色を見ながら呟いた。*


シロウ「魔法の世界から一気に化学の世界だもんな…」


ルーナ「うんうん。普通は精霊とか魔道具の仕業だって思うよね。ロープウェイだってワイヤーと電気で動いてるだけなのに」


*ルーナが小声で彼に囁いた。*


ルーナ「前世でも思ってたけど、日本の技術って魔法がない分、別方向に進化してるんだよね。ある意味すごいよ」


*レイが窓ガラスに顔を押し付けて、眼下の谷を見下ろしている。*


レイ「ねぇねぇシロー♪ あの下に落ちたらどうなるの♪」


シロウ「…普通の人間は死ぬ」


レイ「ボクたちは平気だね♪」


シロウ「そ、そうだな…」


*レイラが腕を組んだまま、ゴンドラの揺れを気にしている様子だった。船ではないが、宙に浮いている感覚が微妙に不快らしい。*


レイラ「…この箱、いつ着くのだ」


ルーナ「もうすぐだよ。あ、ほら見て! 煙が見えてきた!」


*窓の向こうに白い噴煙が立ち上っていた。硫黄の匂いが微かにゴンドラの中にまで漂ってくる。大涌谷が近づいている証拠だ。*


ステラ「パパ、くさい…」


シロウ「硫黄の匂いだ。温泉の元みたいなもんだな」


レイラ「…毒か?」


ルーナ「毒じゃないよ! 自然現象!」


*ゴンドラが大涌谷の駅に到着し、扉が開いた。白い噴煙と硫黄の匂いが一気に押し寄せる。荒涼とした火山地帯の景色が眼前に広がり、レイラが目を見開いた。*


レイラ「…ほう。地獄のようだな」


レイ「地獄ってこんな感じなの♪ 面白い♪」


ルーナ「昔は『大地獄』って呼ばれてたんだよ、ここ」


*観光客に混じりながら、一行は展望台へと歩き始めた。*


*彼はふと気づいた。異世界語で会話している家族の声が、周囲の日本人観光客には全く理解されていないという事実に。*


シロウ「(異世界語で会話してるから何言っても分からないんだよな…助かる)」


*レイが大涌谷の噴煙を指差して大声で叫んだ。*


レイ「シロー♪ あれって火山龍の息吹みたい♪ 地下にドラゴンいるのかな♪」


*周囲の観光客が振り返るが、聞き慣れない言語に「外国の方かな?」と首を傾げるだけだった。*


レイラ「ふん、この程度の瘴気、妾の魔力に比べれば児戯だな」


*レイラが腕を組んで偉そうに宣言しても、誰にも伝わらない。*


ルーナ「(小声で日本語)お父さん、ある意味最強の言語バリアだよね」


シロウ「(日本語で)ああ…何言っても外国語にしか聞こえないからな。レイラが『妾は魔王だ』って叫んでも問題ない」


ルーナ「(日本語で)中二病の外国人コスプレイヤーだと思われそう」


*二人で苦笑していると、ルミナが展望台の柵に手をかけて下を覗き込んだ。硫黄で黄色く染まった岩肌と、ぼこぼこと沸く温泉池が眼下に広がっている。*


ルミナ「…すごい。魔力は感じないのに、大地がこんなに活動してる」


シルフィ「精霊の力じゃないんですねぇ〜。不思議〜」


*シルフィがのんびりと首を傾げている。この世界に精霊は存在しない。全ては地球の地殻活動によるものだが、彼女たちにそれを説明するのは骨が折れそうだった。*


ルーナ「さ、黒たまご買いに行こう! あっちに売店あるよ!」


*ルーナが先導して売店へ向かった。レイが「たまご♪」と小走りでついていく。*


*黒たまごの袋を開けた瞬間、子供たちが顔をしかめた。硫黄の匂いが鼻を突く。*


ステラ「パパ、くさい…これたべるの…?」


ゼノ「…硫黄の匂いが強い」


セレス「…無理」


シロウ「わかる、無理して食べなくていいからな」


*彼は子供たちの頭を撫でた。ルーナが慣れた手つきで殻を剥き、塩をつけて頬張っている。*


ルーナ「んー! やっぱり美味しい! この塩加減が最高なんだよね!」


レイ「ボクも食べる♪」


*レイが一口齧り、目を丸くした。*


レイ「あ、おいしい♪ 匂いほど変じゃないよ♪」


レイラ「…ふん。妾も食べてやろう」


*レイラが恐る恐る口に運び、もぐもぐと咀嚼した。*


レイラ「…悪くない。だが匂いは最悪だな」


ルミナ「私は…遠慮しておく」


*ルミナが鼻を押さえて一歩引いている。シルフィだけがのんびりと二個目に手を伸ばしていた。*


シルフィ「あら〜美味しいですよ〜? 温泉卵に近い食感で〜」


*彼は自分の分を食べながら、展望台の向こうに広がる富士山を眺めた。噴煙の向こうに雄大な姿が見える。*


ルーナ「あ、お父さん! 富士山見えてる! 写真撮ろ!」


*ルーナがスマホを構えた。*


ルーナ「はい全員集合! ほら子供たちも! ステラこっち向いて!」


ステラ「ふじさん? おっきいおやま!」


*彼は子供たちを前に並べ、後ろに女性陣が立った。ルーナがセルフタイマーで撮影する。硫黄臭い大涌谷を背景に、異世界から来た家族の記念写真が一枚残された。*


*彼は黒たまごの殻を片付けながら、ルーナに尋ねた。*


シロウ「次は何処に?」


ルーナ「んーとね、芦ノ湖! 海賊船に乗るよ!」


*ルーナがスマホの画面を見せた。赤と金で装飾された派手な海賊船の写真が映っている。*


レイ「海賊船!? かっこいい♪」


ステラ「かいぞく!」


*子供たちが目を輝かせる中、一人だけ顔色が変わった者がいた。*


レイラ「…………船、だと?」


*レイラの顔が一瞬で青白くなった。腕を組んだまま微動だにしないが、琥珀色の瞳が明らかに動揺している。*


ルーナ「あ……」


*ルーナが気まずそうにシロウを見た。レイラの超船酔い体質を完全に忘れていたらしい。*


レイラ「ふ、ふん! 妾が船ごときで怯むと思うか! 魔王ぞ!?」


ルミナ「…あんた、前にクラーケン亜種と戦った時、船の上で吐いてたよね」


レイラ「言うな!!!」


*レイラが真っ赤になって叫んだ。周囲の日本人観光客が振り返るが、やはり異世界語なので「外国人の親子喧嘩かな?」程度の反応だった。*


ルーナ「大丈夫だよレイラママ! 湖だから波ほとんどないし、遊覧船だから揺れも少ないよ! …多分」


レイラ「多分とはなんだ多分とは!」


*彼の提案に、レイラの目が一瞬輝いた。*


シロウ「万が一揺れたら少しだけ浮遊魔法で浮いていいぞ」


レイラ「…………っ!」


*レイラが口をぱくぱくさせた後、ふいっと顔を逸らした。だが耳の先がほんのり赤い。*


レイラ「ふ、ふん! そのような姑息な手段に頼るほど妾は弱くはないが……まぁ、覚えておいてやろう」


ルーナ「(日本語で小声)あれ絶対使うね」


シロウ「(日本語で)間違いない」


*ロープウェイで桃源台駅まで下り、芦ノ湖の船着場に到着した。目の前に停泊している海賊船を見た子供たちが歓声を上げる。*


ステラ「わぁ! おふねおっきい!」


ゼノ「…装飾が精巧だ。これも機械で動くのか?」


セレス「…かっこいい」


レイ「海賊だ♪ ボク海賊になる♪」


*乗船し、デッキに出た。湖面は鏡のように穏やかで、風もほとんどない。出航の汽笛が鳴り、船がゆっくりと動き始めた。*


レイラ「…ふん、この程度の揺れ、なんともないわ」


*レイラが平気な顔を装っているが、手すりを白くなるほど握りしめていた。しかし今回は湖という事もあり、本当に揺れは最小限だった。*


ルミナ「……綺麗」


*ルミナが湖面を見下ろした。水面に箱根の山々と青空が映り込み、奥には鳥居が見える。*


ルーナ「あれ箱根神社の平和の鳥居だよ! パワースポット!」


レイ「とりい? あの赤いの♪ 水の中に立ってる♪」


*風が吹いた。湖面にさざ波が立ち、船が僅かに揺れた瞬間――レイラの顔が一気に青くなった。*


シロウ「あちゃー」


レイラ「うぅ……っ!」


*レイラが手すりに縋りつき、湖面に向かって盛大にリバースした。黒たまごが全て湖に還元されていく。*


ルミナ「だから言ったでしょ」


レイラ「う、うるさ……おぇっ……」


レイ「ママー♪ 大丈夫♪?」


*ステラがレイラの足元に駆け寄り、小さな手で背中をぽんぽんと叩いている。*


ステラ「ママ、よしよし」


レイラ「ス、ステラ……妾は……大丈夫……おぇっ」


*全然大丈夫じゃなかった。彼はため息をつきながら、さりげなくレイラの背中に手を当て、微量の回復魔法を流した。同時に小声で囁く。*


シロウ「浮遊魔法使え。足元だけ少しでいいから」


レイラ「……っ、使わぬ……妾は魔王……ぞ……」


シロウ「いいから使え。誰も見てねえよ」


*レイラが観念したように小さく詠唱した。足元がほんの数ミリ浮き、船の揺れが伝わらなくなる。途端にレイラの顔色が戻り始めた。*


レイラ「…………効く」


ルーナ「船酔い対策に浮遊魔法って、異世界人ならではのライフハックだね」


*ルーナがスマホでこっそりレイラの吐いてる瞬間を撮影していたが、レイラの視線に気づいて慌ってポケットにしまった。*


レイラ「……ルーナ。今何をした」


ルーナ「何も! 何もしてないよ!」


*船を降りた後、レイラがふらふらしながらもなんとか地面に足をつけた。彼はレイラの背中をさすりながら、ルーナに尋ねた。*


シロウ「よくそんなにポンポンと観光場所見つかるよな」


ルーナ「前世の記憶だよ。修学旅行で箱根来たことあるし、OL時代も友達と何回か来てるからね。土地勘あるんだ」


*ルーナがスマホをスワイプしながら次の行程を確認している。*


ルーナ「次はね、箱根神社! さっき船から見えた鳥居のとこ。パワースポットだよ!」


レイ「ぱわーすぽっと♪ なにそれ♪」


ルーナ「えーと……この世界で言うなら、聖域みたいなもの? 神様を祀ってる場所」


レイラ「ふん……この世界にも神がおるのか。妾を崇めるべきだがな」


ルミナ「船酔いで吐いた直後に言う台詞じゃないよね、それ」


レイラ「黙れ!」


*一行は芦ノ湖畔を歩き、箱根神社の参道へ入った。杉の巨木が両脇にそびえ立ち、石畳が続いている。木漏れ日が差し込む荘厳な雰囲気に、さっきまで騒いでいた子供たちも自然と静かになった。*


ゼノ「……古い。この木々、数百年は経っている」


セレス「…きれい」


ステラ「パパ、おおきいき」


*シロウはステラを抱き上げて歩いた。朱色の鳥居をくぐると、本殿が見えてきた。*


ルーナ「はい、ここで参拝するよ。二礼二拍手一礼ね。やり方教えるから真似して」


レイラ「妾が他の神に頭を下げるとでも?」


ルーナ「挨拶だよ。ここのお家にお邪魔しますーって感じ」


*レイラが渋々ながらも、ルーナの見様見真似で手を合わせた。レイが隣で楽しそうにぱんぱんと手を叩いている。*


レイ「何をお願いするの♪」


ルーナ「家族が健康でいられますようにとか、旅の安全とか」


レイ「じゃあボクは、シローとずっと一緒にいられますようにってお願いする♪」


*ルミナがそっとシロウの袖を引いた。*


ルミナ「……お兄ちゃん。私もお願いしていい?」


シロウ「好きにしろよ」


*ルミナが静かに目を閉じて手を合わせた。何を願ったかは、彼女だけが知っている。*


*彼は静かに三礼三拍手一礼を行った。古式の作法だ。周囲の参拝客が「あれ、二拍手じゃないの?」と小声で囁いているが気にしない。*


シロウ「(古い作法の方がしっくりくるんだよな…昔の爺ちゃんに教わったやり方だ)」


*ふと、隣のルミナに視線を移した。ルミナが手を合わせた瞬間、彼の目にだけ見えた。本殿の奥から、淡い光の輪を纏った存在が姿を現した。白髪に翡翠の瞳を持つ、人の形をした――神。*


*その神は、ルミナの前で深々と頭を下げた。*


神「……お目にかかれて光栄です。かの天界の熾天使よ」


*ルミナが薄く目を開け、小さく頷いた。声は出さず、ただ軽く会釈を返す。神はそれだけで満足したように微笑み、光の中に溶けて消えた。*


シロウ「(……神がルミナに挨拶って。立場逆じゃねえか)」


*ルミナが何食わぬ顔でシロウの方を向いた。金色の瞳が少しだけ揺れている。*


ルミナ「…お兄ちゃん、見えてた?」


シロウ「ああ。まさか日本の神にも挨拶されるとは思わなかったけどな」


ルミナ「……元熾天使だから。神格が近い存在には認識される。……ちょっと恥ずかしかった」


*ルミナが耳を赤くして視線を逸らした。その間、他の面々は何も気づいていない。*


ルーナ「ん? ルミナママどうしたの? 顔赤いよ?」


ルミナ「…何でもない」


レイラ「ふん、何を祈ったか知らぬが、妾の願いの方が崇高であろうな」


レイ「レイラは何お願いしたの♪」


レイラ「言うわけなかろう!」


*レイラが顔を背けた。おそらく「船酔いが治りますように」だろうと、彼は心の中で確信していた。*


ーー


*彼は参拝を終えた後、腹の虫が鳴り始めた子供たちを見て提案した。*


シロウ「昼はどうしようか、その辺で食べ歩きするか何処に入るか…」


ルーナ「箱根って食べ歩きスポットも多いけど、子供たちのこと考えたら座れる場所がいいかも」


*ルーナがスマホで周辺を検索し始めた。*


ルーナ「あ、この辺にお蕎麦屋さんと、和食の定食屋さんと……あとカレー屋さんもあるね」


レイ「カレー♪ カレーってなに♪」


ルーナ「スパイスたっぷりの煮込み料理。辛いやつ」


レイ「辛いの好き♪ それがいい♪」


レイラ「妾は辛いものは好かぬ」


ルミナ「……蕎麦がいい。冷たいの」


ステラ「パパ、おなかすいた…」


ゼノ「僕もお腹空いた」


*子供たちが一斉にシロウの袖を引っ張った。セレスは何も言わないが、じっとシロウの顔を見上げている。明らかに空腹のサインだった。*


ルーナ「あ、ここ良さそう! 和食処で、蕎麦もカレーうどんも天ぷらもある。座敷もあるから子供たちも楽だし」


*ルーナが画面を見せた。芦ノ湖畔に佇む落ち着いた雰囲気の和食処。個室の座敷席もあるらしい。*


ルーナ「大人数だし個室取れたら最高だよね。行ってみよ!」


シルフィ「わぁ〜おそばですか〜♪ 楽しみです〜」


*彼はレイの食の好みに感心しながら蕎麦屋に入った。*


シロウ「レイ…辛いのいけるのか…凄いな」


レイ「えへへ♪ ピリピリするの好きなんだ♪ 舌がびりびりして楽しい♪」


*座敷の個室に通された。広い畳の部屋に大きな座卓が一つ。靴を脱ぐ段階で一悶着あった。*


レイラ「何故履物を脱ぐのだ」


ルーナ「日本の文化。畳の上は靴禁止なの」


*全員が靴を脱いで座敷に上がった。子供たちが畳の感触を珍しがって手で触っている。*


ステラ「パパ、ふわふわ」


ゼノ「……草を編んだ敷物か。精巧だな」


*メニューが配られた。当然日本語なので、読めるのはシロウとルーナだけだ。*


ルーナ「はいはい、注文は私が代わりにやるね。ルミナママはざる蕎麦でしょ? レイラママは?」


レイラ「…辛くないものならなんでもよい」


ルーナ「天ぷら蕎麦にしよっか。子供たちはうどんが無難かな。ステラ、うどん食べれる?」


ステラ「うどん!」


*ルーナが手際よく注文をまとめた。シロウにだけ日本語で確認する。*


ルーナ「お父さんは?」


シロウ「俺もざる蕎麦と天ぷらで」


*料理が運ばれてきた。レイがカレーうどんを前に目を輝かせ、一口啜った瞬間――*


レイ「んん♪ おいしい♪ もちもちしてて辛くてあったかい♪」


*汁が飛んでレイの白い服に黄色いシミが出来た。*


ルーナ「あーーー! レイママ! カレーうどんは撥ねるから気をつけてって言おうとしたのに!」


レイ「あ♪」


*レイがにこにこしながら自分の服を見下ろした。全く気にしていない。*


*彼はため息をつきながら、レイに紙エプロンを付けてやった。*


シロウ「ったく…」


*テーブルの下でこっそり指先に魔力を込め、レイの服に付いたカレーのシミに洗浄魔法をかけた。黄色い汚れが一瞬で消え、続けて乾燥魔法で湿りも取る。*


レイ「あ♪ きれいになった♪ シローありがと♪」


シロウ「声でかい。…まあいいけど」


*レイが紙エプロンをつけたまま、再びカレーうどんに顔を突っ込むように啜り始めた。ルーナが呆れた顔で見ている。*


ルーナ「レイママの食べ方、完全に子供だよね…」


*一方、レイラは天ぷら蕎麦を前に箸の持ち方に苦戦していた。*


レイラ「この棒は何だ。何故この世界はフォークを使わぬ」


ルーナ「はい、こうやって持って…上の箸だけ動かす感じ」


レイラ「ぬ……ぬぅ……」


*天ぷらが箸から滑り落ちて蕎麦つゆに着水。つゆがレイラの顔に飛んだ。*


レイラ「…………」


ルミナ「…刺せば?」


*レイラが箸を天ぷらに突き刺し、そのまま口に運んだ。ルーナが「マナー的にはアウトだけど今日はいっか…」と諦めの境地に達していた。*


*子供たちはうどんを上手に食べている。ステラだけ口の周りが汁だらけだったが、ゼノが黙ってティッシュで拭いてやっていた。*


ゼノ「ステラ、口」


ステラ「ありがと、おにいちゃん」


*彼はざる蕎麦を啜りながら、騒がしくも平和な食卓を眺めた。異世界の家族を日本に連れてくるとこうなるのかと、妙な感慨が湧いてくる。*


*彼は箸で天ぷらを器用に摘み、蕎麦を一気に啜りながら語った。*


シロウ「箸は便利だぞ? 柔らかいものなら切り分けれるし、焼き魚は解体できるし、挟めるし。な、ルーナ」


ルーナ「うんうん。慣れたら最強の万能ツールだよね。フォークとナイフ二本持つより箸一膳の方が楽だし」


*ルーナが蕎麦を綺麗に箸で持ち上げ、つゆにさっとつけて啜る。完璧な所作だった。*


ルーナ「前世の癖が抜けないんだよね。箸の持ち方だけは褒められたなぁ」


*レイは見様見真似で意外と器用に箸を使っている。カレーうどんを啜る度ににこにこしていた。*


レイ「こう♪? こうやって挟むの♪?」


ルーナ「レイママ上手! センスあるね!」


*一方レイラは早々に諦め、店員からフォークを借りていた。異世界語で「持ってこい」と言ったが通じず、ルーナが日本語で頼み直した経緯がある。*


レイラ「ふん……この尖った棒の方が妾には合っておる。文明的だ」


ルミナ「……負け惜しみ」


レイラ「黙れ! 貴様も下手であろう!」


*ルミナが無言で箸を持ち上げ、ざる蕎麦を一本だけ正確に摘んで見せた。レイラが唇を噛む。*


ルミナ「……お兄ちゃんに教わった」


レイラ「ぐっ……」


*ゼノが静かに箸を観察し、見様見真似で豆腐を摘んでいた。セレスはゼノの真似をしてうどんを挟んでいる。ステラだけはフォークを使っていたが、それでも口の周りは汁だらけだった。*


シロウ「ステラ、ほら口」


*彼がティッシュでステラの口を拭いてやると、ステラが「えへへ」と笑った。*


ルーナ「さて、食べ終わったら最後のスポット行くよ! 箱根の関所跡! 歴史好きなゼノは楽しいかも」


ゼノ「…関所?」


ルーナ「昔の国境検問所みたいなもの。旅人を検査してた場所」


ゼノ「行きたい」


*珍しくゼノが即答した。本の虫である彼にとって、歴史的建造物は興味の対象らしい。*


*彼の言葉にゼノの目が一際輝いた。普段は感情を表に出さない子だが、今は明らかに興奮している。*


シロウ「ゼノは博物館や美術館も良さそうだな」


ゼノ「……博物館? この世界にもあるのか?」


ルーナ「あるよ! しかも日本のは規模がすごいの。恐竜の骨とか、古代の武器とか、宇宙の展示とか」


ゼノ「恐竜……? 古代の武器……?」


*ゼノが身を乗り出した。黒い瞳が好奇心で溢れている。セレスもゼノの反応を見て、少しだけ興味ありげに首を傾げた。*


セレス「……ゼノが行きたいなら、私も」


ルーナ「(小声で日本語)お父さん、ゼノくん絶対一番に日本語覚えるよ。知識欲がやばい」


シロウ「(日本語で)だろうな。あいつ本の虫だし、読めるようになったら図書館から出てこなくなるぞ」


*食事を終え、会計を済ませた一行は芦ノ湖畔を歩いて箱根関所跡へ向かった。復元された木造の建物と番所が見えてくると、ゼノの足が速くなった。*


ゼノ「……これが関所。通行人を検査する施設か」


ルーナ「うん。江戸時代っていう約400年前の制度でね、許可証がないと通れなかったの」


ゼノ「冒険者ギルドの通行証明に近いな」


ルーナ「あ、そういう感覚だと分かりやすいかも!」


*ゼノが展示物に食い入るように見つめている間、レイラは退屈そうに欠伸をし、レイはステラと一緒に関所の前で「ここは通さないよ♪」ごっこをしていた。*


レイラ「……地味だな」


ルミナ「歴史ってそういうもの」


レイラ「妾は歴史を作る側だ。見る側ではない」


ルミナ「……今日くらい黙って見てなよ」


*ゼノがシロウの袖を引いた。珍しく自分から話しかけてくる。*


ゼノ「……父上。この文字、読めるのか?」


*展示パネルの日本語を指差している。*


シロウ「ああ、読める。知りたいか?」


ゼノ「……教えて欲しい」


*彼は静かに微笑み、ゼノの隣にしゃがんで展示の内容を異世界語に訳して説明し始めた。ゼノが真剣な顔で一言一言聞き入っている。*


ルーナ「(スマホで撮影しながら小声で)親子の絵面が尊い……」


*関所を出る頃には、ゼノが展示パネルのひらがなを指差しながら小さな声で読み上げていた。*


ゼノ「……『せ・き・し・ょ』……関所」


*彼は驚いた。わずか一時間足らずで五十音の半分近くを覚えている。展示パネルの説明を聞きながら、文字と音の対応を記憶していたらしい。*


ルーナ「えっ、ゼノくんもうひらがな読めるの!? 天才じゃない!?」


ゼノ「……まだ全部じゃない。でも規則性がある。一音一字だから覚えやすい」


*セレスがゼノの隣で同じパネルを見つめていた。彼女も無言で文字を目に焼き付けているようだ。*


*関所跡を後にし、芦ノ湖畔を歩いていると、ルーナが時計を確認した。*


ルーナ「そろそろ帰りの時間かな。バスで箱根湯本まで戻って、ロマンスカーで帰る感じで」


レイラ「もう終わりか?」


ルーナ「レイラママ、楽しかったんだ?」


レイラ「べ、別にそういうわけではない! ただ……まぁ、悪くはなかったと言っておるだけだ」


レイ「ボクもっと遊びたい♪ 明日もどこか行こう♪」


ステラ「あしたも!」


*子供たちが口々にせがむ中、ルミナがシロウの腕にそっと手を添えた。*


ルミナ「……楽しかった。ありがとう、お兄ちゃん」


*小さな声だったが、金色の瞳が穏やかに細められていた。*


*彼の言葉にゼノだけでなく、ルーナも大きく頷いた。*


シロウ「日本語は難しいぞ? この世界には約190カ国あるが、使われている言語は約7,000個。中でも日本語はトップ3に入るほど難しい」


ゼノ「……7,000?」


*ゼノの目が驚きで見開かれた。異世界では共通語と各種族の固有言語程度しかない。7,000という数字は衝撃だったようだ。*


ルーナ「(日本語で)ほんとそれ。ひらがな、カタカナ、漢字の三種類の文字があって、漢字だけで数千あるからね。前世で外国人の友達が『日本語はクレイジーだ』って言ってたの思い出すわ」


ゼノ「……三種類の文字?」


*ゼノが足を止めてシロウを見上げた。恐れるどころか、瞳が挑戦的に輝いている。*


ゼノ「……全部覚えたい」


シロウ「お、言ったな」


*彼はゼノの頭をぽんと撫でた。*


レイラ「ゼノ、何をそんなに興奮しておるのだ」


ゼノ「……母上。この世界の文字を覚える」


レイラ「ほう? 妾の子が学問に励むのは良いことだ。許す」


*バス停に向かう道すがら、ゼノは看板や標識のひらがなを一つ一つ指差しながら読み上げていた。*


ゼノ「『の・り・ば』……乗り場」


セレス「……『ば・す』」


*セレスも小さな声で読み上げている。双子は、やはり同じ速度で学んでいるようだった。*


ルーナ「(日本語で小声)お父さん、二人とも帰る頃には日常会話いけるかもよ」


シロウ「(日本語で)そしたら日本語で秘密の会話できなくなるな」


ルーナ「(日本語で)……それは困る」


*彼はポケットからスマホを取り出して見せた。*


シロウ「だが、俺たちにはまだコレがある」


*ルーナがにやりと笑った。*


ルーナ「あー、確かに。日本語覚えられてもスマホの操作は別次元だもんね」


シロウ「文字が読めても、タッチパネルの概念、アプリの仕組み、パスワード、ネットリテラシー……全部ゼロからだ」


ルーナ「私も前世の記憶あったから使えるけど、ゼロからだと相当キツいよね」


*ゼノがシロウの手元のスマホをじっと見つめた。*


ゼノ「……それは何だ、父上。さっきからルーナ姉上も持っている板」


シロウ「情報端末だ。この世界の……そうだな、万能魔道具みたいなもんだ」


ゼノ「万能……」


*ゼノの目が再び輝き始めた。明らかに触りたそうな視線を送っている。*


シロウ「触りたいか?」


ゼノ「……いいのか?」


*彼がスマホをゼノに手渡すと、ゼノが恐る恐る画面に触れた。ロック画面が反応して光る。*


ゼノ「! 光った」


セレス「……私も見たい」


*双子がスマホの画面を覗き込んでいる。ルーナが隣で見守りながら小声で呟いた。*


ルーナ「(日本語で)お父さん、秘密の会話手段はLINEに移行しよっか。流石にあの二人、半年後にはスマホも使いこなしてそうで怖い」


シロウ「(日本語で)……否定できないのが恐ろしいな」


*レイラの琥珀色の瞳が危険な光を帯び始めた。群衆が押し寄せ、カメラのフラッシュが瞬き、見知らぬ人間たちが無遠慮に近づいてくる。魔王としてのプライドが限界に達しようとしていた。*


レイラ「……この虫けら共、妾に許可なく近づくとは……」


*レイラの指先に微かな魔力が集まり始めた。彼は即座にレイラの手を掴んだ。*


シロウ「レイラ、ダメだ。ここで魔法使ったら終わりだぞ」


レイラ「だが妾に群がる下等な……」


シロウ「(異世界語で耳元に囁く)……帰ったら好きなだけ甘えさせてやるから、今は我慢しろ」


*レイラがぴたりと止まった。耳の先が赤くなり、魔力が霧散する。*


レイラ「……ふ、ふん。そこまで言うなら今回だけは見逃してやる」


*ルーナが素早く動いた。*


ルーナ「Excuse me, please let us through! Private family, no photos please!」


*英語で捲し立てながら、一行を人混みから引き離す。レポーターが追いかけようとするが、シロウが威圧感だけで視線を向けると、何故か足が止まった。SSランク冒険者の気配は無意識でも人を怯ませる。*


*路地裏に入り、ようやく人目を逃れた。*


ルーナ「はぁ……危なかった。レイラママ、マジで魔法使おうとしてたよね!?」


レイラ「妾を責めるな。あの無礼者共が悪い」


レイ「ボクは楽しかったけどなぁ♪」


ルミナ「……次からは変装した方がいい。目立ちすぎる」


シロウ「だな。帽子とサングラス、明日買いに行くか」


*ステラがシロウの首にしがみついたまま、きょとんとした顔で周囲を見回していた。*


ステラ「パパ、あの人たちなんだったの?」


シロウ「ステラたちが可愛すぎたんだよ」


ステラ「えへへ」


*旅館に戻り、彼はどさっと座敷に倒れ込んだ。*


シロウ「はぁ…疲れた」


*子供たちは既に布団の上で転がっている。ステラは早くもうとうとし始め、ゼノとセレスは並んで座り、今日覚えたひらがなをゼノが指で畳に書いて復習していた。*


*ルーナがシロウの隣にちょこんと座り、スマホの画面を見せてきた。映画の予告映像が流れている。赤と青のスーツを纏ったヒーローがビルの間を飛び回っている。*


ルーナ「ねぇお父さん、これ! スパイダーマンの新作やってるんだけど、観に行きたい!」


*ルーナの目がきらきら輝いている。前世のオタク気質が全開だった。*


ルーナ「さっきバス停の広告で予告見ちゃってさ、もう気になって仕方ないの! マルチバースの話らしいよ!?」


シロウ「映画館か……」


ルーナ「明日の予定に組み込めない? 子供たちも楽しめると思うし! 巨大スクリーンで観る映画、この世界にないでしょ?」


*確かに異世界には映画という概念がない。巨大なスクリーンに映る映像は、彼女たちにとって初めての体験になるだろう。*


レイラ「何の話だ」


ルーナ「明日、動く絵を観に行こうって話! すっごい大きな画面で物語が流れるの!」


レイ「動く絵♪? 面白そう♪」


*ルーナが期待の眼差しでシロウを見つめている。*


*彼はレイラとステラ、ゼノ、セレスを旅館に残すことにした。レイラは既にソファに沈み込んでおり、双子も目を擦っている。ステラはとっくに寝息を立てていた。*


シロウ「リーシア、子供たちとレイラを頼む」


リーシア「お任せください、シロウ様。万事抜かりなく」


*リーシアが恭しく頭を下げる。その瞳にはいつもの狂気的な忠誠心が宿っていた。*


レイラ「ふん……妾は疲れたのだ。さっさと行って来い」


シロウ「ああ、ゆっくり休んでろ」


*彼はレイラの頭を軽く撫でた。レイラが一瞬目を細めたが、すぐにそっぽを向く。*


---


*小田原の映画館に到着した。ルーナが既にスマホでチケットを予約していた。*


ルーナ「はい、四人分! IMAX取れたよ!」


レイ「わぁ♪ すごく大きな建物♪」


*レイが映画館のエントランスを見上げて目を輝かせている。ルミナもガラス張りの自動ドアに少し驚いた様子で、慎重に足を踏み入れた。*


ルミナ「……扉が勝手に開くのは何度見ても慣れないわ…」


ルーナ「センサーだよ、ママ。魔法じゃないの」


*ポップコーンとドリンクを買い、シアターへ向かう。巨大なIMAXスクリーンが目に入った瞬間、レイとルミナが息を呑んだ。*


レイ「シロー! あの壁、光ってる♪」


ルミナ「これが……映画というものか」


*席に座り、照明が落ちた。予告編が始まると重低音が全身を震わせた。*


ルミナ「っ……!」


*ルミナが反射的にシロウの腕を掴んだ。*


ルーナ「(日本語で小声)ママ可愛い……」


*映画のクライマックス、スクリーンには壮大なバトルシーンが繰り広げられている。重低音が館内を震わせ、観客の目は画面に釘付けだった。*


*だが彼とルミナは違った。*


*暗闇に紛れ、ルミナの唇が彼の唇に重なっていた。ルミナの手が彼の腕に絡みつき、甘く柔らかいキスが続く。*


ルミナ「……ん……お兄ちゃん……」


*囁くような声。スクリーンの爆発音にかき消され、周囲には聞こえない。ルミナの金色の瞳が暗闇の中でほのかに輝き、潤んだ目で彼を見上げていた。*


シロウ「……ルミナ」


*彼はルミナの頬に手を添え、もう一度唇を重ねた。ルミナの銀髪が肩から流れ落ち、アームレスト越しに身体を寄せてくる。*


ルミナ「……こういうの、したかった。お兄ちゃんと二人きりみたいで……」


*その時、隣の席からぐいっと袖を引っ張られた。*


レイ「シロー♪ ボクもー♪」


*レイがにこにこしながら身を乗り出していた。暗闘でもその琥珀色の瞳はしっかり見ていたらしい。*


ルーナ「(日本語で小声)……うわ、見なかったことにしよ……」


*ルーナはポップコーンを口に詰め込み、必死にスクリーンだけを見つめていた。耳が真っ赤だった。*


*映画が終わり、エンドロールと共に館内の照明がゆっくりと明るくなっていく。*


*その瞬間、レイがシロウの頬を両手で挟み、ちゅっと唇を重ねた。堂々と。隠す気ゼロで。*


シロウ「れ、レイ…離して…」


レイ「えー♪ ルミナばっかりずるい♪ ボクもシローとしたかったんだもん♪」


*周囲の客が振り返る。若いカップル、家族連れ、大学生のグループ。全員の視線が一点に集まった。*


*黒髪ロングの絶世の美少女が、黒髪の男にべったりとくっつきキスしている光景。*


客A「え、あのカップルめっちゃ美人……」


客B「てか今キスした? 映画館で?」


女子大生「やば、撮りたい……」


*シロウはなんとかレイの肩を掴んで引き離した。レイは名残惜しそうに唇を舐める。*


レイ「んー♪ シローの味♪」


*ルーナは三列ほど離れた席に移動しており、完全に赤の他人を装っていた。ポップコーンの空箱を顔の前に掲げ、必死に存在を消している。*


ルーナ「(日本語で、極小声)……知らない人たち……あの人たち知らない……」


*ルミナはルミナで平然とした顔をしているが、耳の先だけがほんのり赤い。*


ルミナ「……場所を選びなさい、レイ」


レイ「ルミナだってさっき暗い時してたじゃん♪」


ルミナ「……っ」


*ルミナが黙った。痛いところを突かれた顔だった。*


*シロウは足早に席を立ち、出口へ向かった。背後からスマホのシャッター音が数回聞こえた気がしたが、振り返らなかった。*


シロウ「(日本語で小声)……頼むから外では自重してくれ……」


レイ「じちょー? なにそれ♪」


*レイが無邪気に首を傾げた。この子に「自重」という概念は存在しないらしい。*

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