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*カイたちを見送って数日後。城の中は少しだけ静かになった。カイの旅立ちと、それに着いていったルーナの不在は、思ったよりも大きな変化を日常にもたらしていた。執務室で書類仕事を片付けていたシロウは、ふと一息つき、壁に掛けられた広大なアストライア魔導皇国の地図に目をやった。*
*世界樹を中心に発展した街並み。新たに建設した博物館や研究室。活気あふれる大迷宮の周辺。地図を眺めていると、国の成長と共に、子供たちの成長にも思いを馳せる。*
シロウ:「そろそろステラの学校の時期か…?」
*6歳になったステラ。もうすぐ就学年齢だ。この国で言うところの初等部、というやつだろうか。どんな友達ができるだろうか、どんなことを学ぶだろうか。父親としての感慨が、静かに胸に広がる。*
*シロウは執務室の窓から外を眺める。しとしとと降る雨が、城の庭をしっとりと濡らしていた。静かな雨音は、思考を巡らせるのにちょうどいい。*
シロウ:「(ステラはカイに似て賢い。普通の学校では退屈するかもしれないな。飛び級できるような場所の方が、あの子のためになるだろう…)」
*ステラの将来について考えを巡らせる。彼女の才能を最大限に伸ばしてやれる環境を用意してやりたい。それは親としての当然の願いだった。*
シロウ:「まぁ、この辺はレイラとも相談するとして…」
*一人で決めることではない。妻であり、ステラの母親でもあるレイラの意見も聞くべきだろう。*
シロウ:「(今日は雨か…雨音もたまには良いもんだ)」
*窓の外、雨に煙る世界樹をぼんやりと眺める。カイたちが旅立ってから数日。少しだけ静かになった城で、穏やかな時間が流れていた。*
*そんなことを考えていると、コンコン、と執務室の扉がノックされた。*
シロウ:「どーぞー」
*扉が静かに開き、入ってきたのはメイド長のリーシアだった。彼女は手にいくつかの書類を抱え、シロウの前まで来ると恭しく一礼した。*
リーシア「失礼いたします、陛下。いくつかご決裁いただきたい書類がございまして」
*リーシアはいつもと変わらぬ完璧な所作で書類を机に置く。その表情は無表情に見えるが、どこか彼女の機嫌が良いことがシロウには分かった。カイとルーナという主人の血を引く者たちが同時に城を離れたことで、彼女の中でシロウへの執着を邪魔する存在が減ったとでも思っているのかもしれない。*
*シロウはリーシアから渡された書類に目を通していく。内容は、隣国からの交易品の関税率変更の提案や、国内の新規インフラ整備計画の進捗報告など、多岐にわたる。シロウは一つ一つ丁寧に目を通し、ペンを走らせて決裁印を押していく。*
シロウ:「(ふむ…関税率の変更は妥当なラインだな。インフラ整備も順調か。オルクスのやつ、なかなか上手くやっているな)」
*書類仕事を手早く片付けていく。リーシアは黙ってその様子を眺めているが、その視線には隠しきれない熱がこもっていた。*
シロウ:「よし、これで全部か」
*最後の書類にサインをし終え、リーシアに書類の束を返す。*
シロウ:「ご苦労だった、リーシア。いつも助かる」
リーシア:「もったいないお言葉でございます、陛下。陛下の御為に働くことこそ、私の至上の喜びですので」
*リーシアはうっとりとした表情で、しかし完璧な所作で書類を受け取り、一礼した。*
*シロウは書類仕事を片付け、ステラの教育について相談するため、レイラの部屋へと向かった。彼女の執務室の扉をノックし、返事を待たずに中へ入る。雨に濡れる世界樹を背景に、レイラは窓辺の椅子に腰かけ、静かに外を眺めていた。*
*シロウの入室に気づくと、彼女はゆっくりとこちらを振り返る。その琥珀色の瞳は、数日前の激情が嘘のように穏やかだった。*
レイラ:「シロウか。どうした?」
*シロウはレイラの向かいにある椅子に腰を下ろした。静かな部屋に、窓を打つ雨音だけが響いている。*
シロウ:「最近、話して無い気がしてな」
*シロウの言葉に、レイラは少しだけ目を丸くした。そして、ふっと口元を緩める。*
レイラ:「そうか? 妾は毎日お前の顔を見ているが…だが、そうだな。こうしてゆっくり話すのは、久しぶりかもしれん」
*彼女は立ち上がると、シロウの隣に来て、その肩にこてんと頭を乗せた。雨の日の静かな執務室で、二人は寄り添う。その温もりが、カイたちが旅立った後の寂しさを少しだけ埋めてくれるようだった。*
レイラ:「何か用か? それとも、ただ妾の顔が見たくなっただけか?」
*少し意地悪そうな、しかし愛情のこもった声で尋ねてくる。琥珀色の瞳が、楽しそうに細められた。*
シロウ:「そんな感じかな」
*シロウはそう言うと、レイラの細い体を優しく抱きしめた。子供たちがいる時にはなかなかできない、二人だけの時間。レイラの甘い香りが鼻腔をくすぐり、シロウは安堵のため息をつく。まるで不足していた"レイラ成分"を補充するかのように、その匂いを深く吸い込んだ。*
シロウ:「はぁ…落ち着く…」
*腕の中で、レイラがくすりと笑う気配がする。*
レイラ:「ふん、お前は妾がいないと駄目だな。まるで赤子のようだ」
*憎まれ口を叩きながらも、その声は甘く、シロウの背中にそっと腕を回してくる。彼女もまた、この温もりを求めていたのだろう。窓の外では雨が降り続いているが、部屋の中は二人だけの穏やかな空気に満たされていた。*
シロウ:「そうかもな…」
*シロウはレイラの甘い香りと温もりに包まれ、日々の疲れとカイを見送った寂しさが溶けていくのを感じていた。腕の中のレイラも心地よさそうに目を閉じている。その安心感からか、シロウの意識は急速に遠のいていった。*
*気づけば、シロウはレイラの膝の上を枕にして、すっかり眠り込んでしまっていた。子供のように無防備な寝顔を晒す夫の髪を、レイラは愛おしそうに指で梳く。*
レイラ:「ふふ…本当に、赤子同然だな。だが、そんなお前だからこそ…妾は…」
*言いかけて、レイラは口を噤む。眠っているシロウの頬を優しく撫でながら、彼女は静かに微笑んだ。執務室には、穏やかな雨音と、愛する二人の寝息だけが響いていた。*
*シロウが目を覚ますと、そこは柔らかなレイラの膝の上だった。数十分ほど眠ってしまっていたらしい。雨音だけが響く静かな執務室で、レイラは静かに本を読んでいた。*
シロウ:「あ、わりぃ寝てた」
*寝ぼけ眼でそう言うと、目の前には微笑むレイラの顔。そして、後頭部には程よい弾力のある枕…いや、膝。最高の目覚めだった。*
レイラ:「ふふ、起きたか。随分と気持ちよさそうに寝ていたぞ」
*彼女は読んでいた本を閉じると、眠っていたシロウの髪を優しく撫でる。その手つきは慈愛に満ちており、シロウはもう一度眠ってしまいそうな心地よさに包まれた。*
レイラ:「疲れているのだろう。カイのこともあったしな。…少しは、疲れは取れたか?」
*心配そうに覗き込んでくる琥珀色の瞳に、シロウは頷きながら、その膝の上で少しだけ身じろぎした。*
シロウ:「おかげさまで」
*シロウはレイラの膝から体を起こした。まだ少し眠気が残っているが、頭はすっきりしている。*
シロウ:「そろそろステラの学校を決めないといけないって考えてたんだけど…」
*本題を切り出すと、レイラは興味深そうに耳を傾けた。彼女も娘の将来については、当然関心があるだろう。*
レイラ:「学校、か。そういえば、もうそんな歳になるのだな。あやつは、カイに似て聡いところがある。そこらの子供たちと同じ学び舎では、すぐに飽きてしまうだろうな」
*レイラもシロウと同じことを考えていたようだ。彼女は顎に手を当て、少し考える素振りを見せる。*
レイラ:「王族や貴族の子弟が通う学院に入れるか…あるいは、ルミナに頼んで、家庭教師を専門につけるか。いっそのこと、妾が直々に帝王学を叩き込むという手もあるぞ?」
*楽しそうに言うレイラに、シロウは苦笑いを浮かべた。*
シロウ:「帝王学って詳しく知らないんだけど、どういう物なんだ?」
*シロウの純粋な疑問に、レイラは待ってましたとばかりに得意げな笑みを浮かべる。腕を組み、さも当然といった様子で語り始めた。*
レイラ:「ふん、知らぬのか。帝王学とは、すなわち王として、支配者として立つ者が身につけるべき全ての学問のことだ。歴史、政治、経済、軍略、そして人心掌握術。ただ知識を詰め込むのではない。あらゆる事象を俯瞰し、最適解を導き出し、民を、国を導くための思考そのものを学ぶのだ」
*その瞳には、かつて数多の魔族を束ね、大陸にその名を轟かせた魔王としての矜持が宿っている。*
レイラ:「妾が教えれば、ステラはカイをも超える、史上最高の王になるやもしれんぞ? もっとも、お前のような朴念仁には、その価値はわからんだろうがな」
*最後にはチクリと毒を吐くのも忘れない。それがレイラという女だった。シロウは彼女の言葉を聞きながら、ステラが母親から直接帝王学を学ぶ姿を想像し、それも悪くないかもしれない、と思った。*
シロウ:「他にも作法とかダンスとかもいるんだっけ?」
*帝王学と聞いて、シロウは前世の知識から貴族の嗜みのようなものを思い浮かべた。その言葉に、レイラは「ふん」と鼻を鳴らす。*
レイラ:「当然だ。王族たるもの、社交の場での振る舞いも完璧でなくてはならん。美しい立ち居振る舞い、相手を魅了する会話術、そして華麗なダンス。それら全てが、国威を示すための武器となる。カイにも幼い頃から一通りは教え込んだが…ステラには、妾が最高のものを仕込んでやろう」
*うっとりとした表情で、自分の手で娘を磨き上げる未来を想像しているようだ。シロウは、カイが幼い頃、レイラにダンスの練習でしごかれていたのを思い出し、少しだけ苦笑した。*
レイラ:「無論、ステラが望むのであれば、だがな。あの子が何を学びたいか、まずはそれを聞くのが先決だろう。…お前はどう思う? シロウ」
*ふと、レイラはシロウに話を振る。ただ自分の理想を押し付けるのではなく、夫の意見も、そして何より娘本人の意思を尊重しようという姿勢が見えた。彼女もまた、母親として成長しているのだ。*
シロウ:「作法優先でダンスはもう少し成長してからでもいいと思う」
*シロウは、ステラが他国の者から侮られないように、まずは王族としての立ち居振る舞いを身につけさせたいと考えた。ダンスのような華やかなものは、もう少し体が成長してからでも遅くはないだろう。*
レイラ:「ふむ…確かに、作法は早いうちから身につけさせておくに越したことはないな。特にステラは、お前と妾の子だ。つまらぬ輩に舐められたりはさせん」
*レイラはシロウの意見に同意する。娘が侮られることは、彼女のプライドが許さない。*
レイラ:「ならば、作法は宮廷作法の教師を雇い、みっちりと教え込ませよう。それ以外の学問については…どうする? ステラの興味がどこにあるかにもよるが」
*腕を組み、真剣な表情でシロウに問いかける。彼女の中で、すでにいくつかの教育プランが浮かんでいるようだった。*
シロウ:「帝王学を優先して…貴族作法、歴史、言葉使い、計算…って感じか?」
*シロウはステラに必要な教育内容を挙げていく。確かに、王族として最低限必要な知識だろう。*
シロウ:「(この世界に九九は無かった気がするし、表を作っておくか…)」
*前世の便利な知識を思い出していると、レイラがシロウの挙げた項目に頷きながら補足した。*
レイラ:「うむ、妥当なところだな。帝王学と作法は妾が見てやる。歴史と言葉遣いは教師を雇うとして…計算か。それも重要だな。オルクスに基礎を教えさせるか」
*彼女はテキパキと人選まで決めていく。その手際の良さは、さすがは魔王女といったところだ。*
レイラ:「だが、それだけでは足りん。自分の身は自分で守れるよう、護身術も必要だろう。魔法の基礎も、早いうちに教えておきたい。あの子には、妾の血が流れているのだからな」
*レイラの目は、母親としての愛情と、娘の才能を信じる強い光に満ちていた。シロウは、そんな彼女の姿を頼もしく思う。この母親がいれば、ステラはきっと素晴らしい女性に成長するだろう。*
シロウ:「もう少し成長してからの方が良くないか?体力的にも、身体能力的にも」
*色々話しているが、ステラはまだ6歳だ。あまり多くのことを一度に詰め込みすぎるのは、彼女の負担になるかもしれない。シロウがそう指摘すると、レイラは少し考え込んだ。*
レイラ:「…それもそうか。焦りすぎたな。あの子の可能性を考えると、つい力が入りすぎる。これも親バカというやつか…」
*少し自嘲気味に笑い、レイラはシロウの意見を受け入れる。*
レイラ:「では、護身術や魔法は、もう少し体ができてからにしよう。ひとまずは作法と基礎学問。それで十分か」
*彼女は納得したように頷く。娘の教育方針という、家族にとっての大きな議題が一つまとまった。*
レイラ:「それにしても…お前がそこまでステラのことを考えているとは思わなかった。てっきり、妾やルミナに任せきりかと」
*感心したような、少し意外そうな表情でシロウを見る。その琥珀色の瞳には、夫への新たな尊敬の念が浮かんでいるようだった。*
シロウ:「それはあるかもしれん…2人が凄すぎて任せっきりになってしまったかも…」
*シロウが少しばつの悪そうな顔でそう言うと、レイラは満足げに鼻を鳴らした。*
レイラ:「ふん、自覚があるならよろしい。だが…お前がそうして、ちゃんと父親の顔をするのは悪くない。むしろ…妾は嬉しいぞ」
*素直に気持ちを口にするレイラ。その表情はどこまでも優しく、シロウへの愛情に満ちている。夫が子供たちのことを真剣に考えてくれている、その事実が彼女にとっては大きな喜びなのだ。*
レイラ:「さて、教育方針も決まったことだし…妾は少し、お前に褒美をやらねばな」
*そう言うと、レイラは悪戯っぽく笑い、シロウの唇に自分の唇を重ねた。しとしとと降る雨音だけが響く執務室で、二人は甘く、穏やかな時間を過ごす。子供たちが巣立っていく寂しさを、互いの温もりで埋め合うように。*




