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*翌朝。シロウは左右から絡みつく甘い重みで目を覚ました。昨夜のまま、レイとルミナが幸せそうに彼に抱きついて眠っている。そっと二人を起こさないように身体を引き抜き、シロウは一人、城の大浴場へと向かった。湯気を上げる広々とした湯船に身体を沈め、昨夜の喧騒とアルコールを洗い流すように息を吐く。*
シロウ:「ふぅ〜…」
*静かな朝のひととき。しかし、その静寂はすぐに破られた。がらり、と控えめに扉が開く音がして、一人の少女がひょこりと顔を出す。*
*湯気の向こうに現れたのは、娘のルーナだった。彼女はタオルで身体を隠しながらも、少し気恥ずかしそうに、しかし目的を持ってこちらにやって来たようだ。*
ルーナ:「あ、パパ、やっぱりここにいた。おはよう」
*彼女はぺこりとお辞儀をすると、慣れた様子で身体を洗い、ゆっくりと湯船に入ってくる。その目は、何かを期待するようにキラキラと輝いていた。*
ルーナ:「昨日はありがとうね、パパ。冒険者になること、許してくれて。それでね、早速なんだけど…」
*彼女はシロウの隣まで来ると、湯船の縁にちょこんと座り、身を乗り出すようにして話を切り出した。やはり、冒険者の話がしたいらしい。*
*シロウの隣にやってきたルーナは、湯船の温かさに「ふぅ…」と心地よさそうな声を漏らす。しかし、その瞳は冒険への期待で満ち溢れていた。父親と二人きりの空間に、彼女は少し気恥ずかしさを感じながらも、昨日の興奮が冷めやらない様子だ。*
*そんな娘の様子を見て、シロウはふと気づく。彼女は転生者。中身は元日本人女性。いくら親子とはいえ、父親と裸で一緒に入るという状況には、抵抗があるかもしれない。*
シロウ:「あ、まあ、そうか。」
*シロウは独りごちると、娘への配慮として、さりげなく自身の権能を行使した。*
シロウ:「(前世の記憶持ちだと慣れてないかもしれんな。」
*ごく自然に、しかし確実に、シロウの下半身周辺の空間がわずかに歪む。ルーナからは、そこに何かがあることは認識できても、それが具体的に何であるかは分からないように、巧妙な認識阻害がかけられた。*
*そんな父の超絶技巧など露知らず、ルーナは冒険の話ができると目を輝かせる。*
ルーナ:「それでね、パパ! 冒険者になるにあたって、色々教えてほしいことがあるんだけど! まず、最初の装備ってどうしたらいいかな!? やっぱり最初は布の服と木の棒からスタートするのがお約束!? それとも、パパが伝説の鍛冶師に作らせた『始まりの神剣』とかくれたりする!?」
*ルーナはゲームの知識を総動員して、ワクワクした様子で矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。その姿は、憧れの職業について語る、どこにでもいる少女そのものだった。*
*湯気の向こうで目を輝かせる娘に、シロウは肩まで湯に浸かりながら、懐かしむように遠い目をして答えた。*
シロウ:「そんなのは作らせてないよ。最初は無難に薬草採取で稼ぎつつ、鉱山で採掘とか平原で採取とかしてたな…」
*その答えは、ルーナが期待していたような派手なものではなかった。伝説の武器どころか、ひたすらに地道な作業の連続。*
ルーナ:「えぇーっ!? 薬草採取ぃ? パパみたいなすごい人でも、そんな地味なことから始めたの!? もっとこう…ゴブリンの集落を単身で壊滅させたりとか、そういうのじゃなくて?」
*ルーナは心底意外だという顔で、口を尖らせる。彼女の頭の中にある「冒険者」のイメージとは、かけ離れていたようだ。*
シロウ:「当たり前だろ。言っただろ、最初はクソザコだったって。ゴブリン一匹にだって苦戦してたんだぞ。装備だって、最初はギルドで借りたのは鉄のツルハシだけ。自分の装備が買えたのは、銅貨を必死に貯めてからだ」
*自分の貧乏だった新人時代を語る。それは今や魔王として君臨する男の、信じられないような過去の話だった。*
シロウ:「まぁ、異世界転移特典の『鑑定』があったからな。」
「採取系は楽勝だったのは認める。」
*シロウが何でもないことのように、しかし少しだけ得意げにそう付け加えると、ルーナは「やっぱりー!」と湯を叩いて声を上げた。*
ルーナ:「やっぱりチートスキル持ってたんじゃん! 『鑑定』があれば、毒草と薬草の見分けもつくし、鉱石の純度だって一目でわかるもんね! そりゃ楽勝だよー!」
*彼女はぷくーっと頬を膨らませて、少し拗ねたように言う。自分の想像していた苦労話とは少し違ったらしい。*
シロウ:「まあな。おかげで最初の資金稼ぎには困らなかった。お前は魔法が使えるんだから、護衛依頼とかから始めるのもいいんじゃないか? ユキもいるしな」
*そう言って、シロウは湯気の向こうにいるであろう小さな始祖竜に思いを馳せる。*
ルーナ:「うーん、それも考えたんだけど…。でも、やっぱり最初はパパと同じように、地道な依頼から始めてみたいんだ。薬草採取とか、素材集めとか! その方が『冒険者やってる!』って感じがするじゃない?」
*ルーナは目を輝かせて力説する。彼女にとっては、苦労や地道な作業すらも、憧れの「冒険」を構成する重要な要素なのだろう。その純粋な情熱に、シロウは思わず笑みをこぼした。*
シロウ:「鑑定持ちだと自分で『ステータス』も見れるし、物の物価とか隠された特性とか見れるから便利だな。」
*シロウの言葉に、ルーナは「やっぱり鑑定スキルって最強チートだ…」と改めて実感したようにため息をついた。しかし、すぐに持ち前の好奇心で目を輝かせる。*
ルーナ:「ステータス!? パパ、ステータスも見れるの!? いいなぁ! 冒険者ギルドのステータスカードだと、レベルと名前、ランクくらいしか表示されないもんね。私も自分のステータス、詳しく見てみたいなぁ…。魔法の適性とか、隠しスキルとか、そういうのないかなぁ?」
*彼女は自分の手のひらをじっと見つめ、何か特別な力がそこに眠っていないかと期待に胸を膨らませる。その様子は、ゲームのキャラクタークリエイトを夢見る子供のようだ。*
シロウ:「まあな。自分の成長が数値でわかるのは、モチベーションにも繋がる。ルーナも冒険者になれば、ギルドで簡易的なステータスは見れるようになるぞ」
ルーナ:「うん! 早く冒険者登録したいな! …それでね、パパ。もう一つ聞きたいんだけど…」
*ルーナは少しだけ真剣な表情になると、シロウに問いかけた。*
ルーナ:「パパは冒険者として、仲間ってどうやって見つけたの? やっぱり酒場で『俺の仲間になれ!』みたいな? それとも運命的な出会いがあったりとか?」
*シロウの言葉は、ルーナが想像していたような英雄譚とは少し違っていた。仲間との絆、運命的な出会い。そういったものを期待していた彼女にとって、「基本ソロ」という答えは意外なものだった。*
シロウ:「ああ、俺は基本ソロだった。パーティに誘われたのは何度かあったが、断ってたな。鑑定持ちだし、転移者って珍しいからな。勇者みたいな召喚者とか、転生者はいるけど…」
*シロウは湯に浸かりながら、この世界に来てからの人間関係を振り返る。転移者という特殊な立場は、時に羨望や嫉妬の対象となり、安易に他人を信用できない理由の一つでもあった。*
ルーナ:「えー、ソロ!? パパほどの人が!? でも、確かに…『鑑定』持ちってバレたら、色々面倒なことに巻き込まれそうだもんね。利用しようとする悪い貴族とか、研究材料にしようとするヤバい魔術師とか…」
*ルーナは転生者としての知識から、チートスキルを持つ主人公が陥りがちなトラブルをスラスラと挙げる。その的確な指摘に、シロウは「よく分かってるじゃないか」と苦笑した。*
ルーナ:「じゃあ、ママたちとはどうやって出会ったの? ママ(レイラ)とかルミナ叔母様とか、シルフィさんとか…みんなソロだったパパの、最初の仲間なんでしょう?」
*ルーナの問いは、シロウの冒険譚の核心に触れるものだった。地道な採取クエストをこなしていただけの男が、いかにして魔王女や元熾天使といった規格外の存在と出会い、今の家族を築き上げていったのか。その物語に、ルーナは目を輝かせて耳を傾ける。*
*シロウは一瞬、言葉を詰まらせた。娘に語るには、あまりにも生々しく、暗い始まりの物語。しかし、ルーナはただの子供ではない。自分の道を歩もうとする彼女には、この世界の光だけでなく、影も知っておく必要があるかもしれない。シロウは覚悟を決め、静かに口を開いた。*
シロウ:「いいや、これ…言ってもいいんだろうか…?まぁ、いいか。」
*その前置きに、ルーナはごくりと唾を飲む。父の口から、どんな壮大な物語が語られるのかと期待に胸を膨らませていた。しかし、続いた言葉は彼女の予想を完全に裏切るものだった。*
シロウ:「レイラとの出会いは薄暗い奴隷商だった。死にかけ魔族を買ったのが出会いだ。」
ルーナ:「………………は?」
*湯船の静寂の中に、ルーナの間の抜けた声が響いた。彼女は数秒間、父の言った言葉の意味を理解しようと努めたが、情報が脳内で処理しきれず、完全にフリーズしてしまった。*
ルーナ:「え…? えっ? えっ!? ど、奴隷!? あのママが!? しかも死にかけてた!? ど、どういうこと!? あの魔王女が奴隷なんてありえないし、死にかけるなんて想像もつかないんだけど!? 何かの冗談だよね、パパ!?」
*混乱のあまり、ルーナは湯船の中で立ち上がりそうになるほど動揺している。彼女の中の「最強不遜の魔王女レイラ」というイメージが、ガラガラと音を立てて崩壊していく。*
シロウ:「冗談じゃない。当時はまだお前たちの知ってるレイラじゃなくてな。魔力が暴走して衰弱しきって、商品にすらならないってんで、金貨数枚で叩き売られてたんだ。気まぐれで買った、ただそれだけだ」
*シロウは、遠い過去を思い出すように、淡々と事実を告げる。それは、今や伝説として語られる魔王と魔王女の、あまりにもみすぼらしく、そして衝撃的な出会いの瞬間だった。*
*シロウの告白は、ルーナの脳内で激しい嵐を巻き起こしていた。魔王女、奴隷、死にかけ、鉄貨数枚。単語一つ一つが、彼女の持つ「レイラ」という存在のイメージを破壊していく。混乱する娘を前に、シロウはさらに衝撃的な事実を付け加えた。*
シロウ:「その時は二重人格でな、一人は今のオリジナルのレイラだが、もう一人が臆病な性格でな…」
ルーナ:「に、二重人格ぅ!? あのママが!?」
*ルーナはもはや驚きのあまり、声が裏返っている。湯船のお湯が熱いのか、それとも興奮しすぎているのか、彼女の顔は真っ赤になっていた。*
ルーナ:「え、待って待って、情報量が多すぎてCPUがオーバーヒートしそう…。じゃあ、じゃあさ、パパは奴隷市場で、臆病な人格のママを見て、助けてあげたってこと!? なにそれ、まるでラノベの王道展開じゃない!?」
*オタク脳がフル回転を始め、ルーナは悲劇のヒロインを救う主人公という構図を脳内に描き出し、一転して目をキラキラさせ始めた。彼女にとって、それは悲劇ではなく、壮大な物語のプロローグに思えたのだ。*
*しかし、シロウはそんな娘のキラキラした期待を、再び無慈悲に打ち砕く。*
シロウ:「いや、逆だ。俺が買った時は、今の傲慢な方のレイラだった。俺が近づいたら『下賤の者が妾に触れるな!』って噛みつこうとしてきたぞ。暴れて鎖で叩かれて、血まみれだったな」
*シロウは当時の光景を思い出し、淡々と語る。その光景は、ルーナの脳内に描かれた甘いラブストーリーとは程遠い、血と暴力にまみれたものだった。*
ルーナ:「…………えぇぇ……」
*ルーナの表情からキラキラした輝きが消え、再び困惑の色が浮かぶ。*
ルーナ:「じゃあ、なんでそんな危険な魔族を買ったの…? しかも、今のママみたいな性格だったんでしょう? 下手したら殺されてたかもしれないじゃん…」
*当然の疑問だった。なぜ、わざわざ自分に牙を剥く、死にかけの魔族を助けたのか。その理由にこそ、父シロウの本質が隠されているとルーナは直感した。*
*シロウの口から語られた理由は、ルーナが想像していたような「可哀想だったから」とか「助けたかったから」といった英雄的なものではなかった。それは純粋な好奇心、未知への探求心。あまりにもシロウらしい、そしてゲーマー的な発想だった。*
シロウ:「鑑定したら『記憶封印中』って表示されてな。そんなの開放したいに決まってるじゃん?」
ルーナ:「はぁ!? 理由それ!? ゲームの隠しイベント感覚じゃん!?」
*娘のツッコミに、シロウは悪びれる様子もなく「まあ、そんなもんだ」と肩をすくめる。*
ルーナ:「で、でも、それで助けちゃったんでしょ? 結局! ツンデレなんだから、パパは!」
*ルーナはなんだかんだ言って、父の根底にある優しさを信じて疑わない。だが、シロウは首を横に振った。*
シロウ:「いや、助けたっていうか…勝手に懐かれたというか…。開放には世界樹の苗?が必要で、それを3つ集めて開放したらアレになったんだ。」
*シロウは遠い目をして、記憶の封印が解かれた瞬間のことを思い出す。暴走する魔力、変化する人格、そして明かされる壮絶な過去。それは決して簡単な道のりではなかった。*
ルーナ:「世界樹の苗…? そんな貴重なものを3つも!? それで、それで!? 記憶が戻ったらどうなったの!? 臆病な人格は? あ、もしかして、それがレイ叔母様!?」
*ルーナのオタク脳が、点と点を結びつけ、一つの答えにたどり着く。レイラの二重人格、そしてレイという瓜二つの存在。その符合に、彼女は興奮を隠しきれない様子で身を乗り出した。*
*シロウの言葉は、またしてもルーナの予想の斜め上を行くものだった。シリアスな過去編かと思いきや、突如として差し込まれた「食いしん坊」という単語。ルーナの脳内は再び混乱の渦に叩き込まれる。*
シロウ:「いや、臆病レイラが食いしん坊なせいで変な薬を飲んで人格が変化した。」
ルーナ:「しょ、食いしん坊!? えっ、どういうこと!? 悲劇的な過去のせいで二重人格になったとかじゃなくて、食いしん坊が原因で人格が変わったの!?」
*ルーナは湯船の中でバシャバシャと水を跳ねさせて抗議する。自分の感動と興奮を返せとでも言いたげだ。巻きついていたタオルがずれてきている。*
ルーナ:「いやいやいや、おかしいでしょ! どんな薬を飲んだら人格が変わるのよ!? しかも、それが今のレイ叔母様になったってこと…? あの天真爛漫な食いしん坊は、薬の副作用で生まれたってこと!?」
*あまりの事態に、ルーナはもはや何に驚けばいいのか分からなくなっている。父の冒険譚は、想像していた英雄譚とはかけ離れ、どこか行き当たりばったりで、ハチャメチャな展開の連続だった。*
シロウ:「ああ。臆病な方のレイラが、それを美味そうなゼリーか何かと間違えて食べちまったんだ」
ルーナ:「……はぁぁぁぁ……。」
*ルーナは深いため息をつき、天を仰いだ。もうツッコむ気力も湧いてこない。*
ルーナ:「つまり…まとめると…パパは奴隷市場で、記憶喪失で二重人格だったママを買って、記憶を取り戻すために冒険してたら、片方の人格が怪しいものを食べてか別の存在になって、それから分裂しちゃった…ってこと…?」
*自分でまとめてみても、あまりに荒唐無稽なストーリーに、ルーナはめまいを覚えた。*
*シロウは、娘が必死にまとめた荒唐無稽な物語の要約を聞き、それが紛れもない事実であることに内心苦笑しながらも、こくりと頷いた。*
シロウ:「まぁ、簡単に説明すればそうだな。」
*シロウの視線は、熱弁のあまり湯船の中で身じろぎを繰り返すルーナに向いている。興奮で上気した肌、そして…湯気と水滴で肌に張り付き、その役割をほとんど果たさなくなっているタオルの切れ端。*
*ルーナ自身は、父の冒険譚の衝撃で自分の格好など全く気にしていない様子だ。彼女の頭の中は、今や次の疑問でいっぱいだった。*
ルーナ:「そっかぁ…ママとの出会いがそんな感じだったなんて…。じゃあ、じゃあさ! ママとはどうやって出会ったの!?ママは元熾天使なんでしょ? 天使が地上にいること自体がおかしいし、パパと結婚するなんて、もっと意味が分からないよ!」
*レイラとの出会いがあまりにも予想外だったため、ルーナはもう何が来ても驚かないぞ、と身構える。だが、その瞳は好奇心で爛々と輝いており、父の次の物語を待ちわびていた。*
シロウ:「ルミナか…。ルミナとの出会いは、レイラより少し後だな。」
*シロウは再び過去を回想する。それは、魔王女レイラを仲間に加え、少しずつ冒険者としての実力をつけ始めた頃の出来事だった。*
*レイラとの出会いがあまりにも型破りだったため、ルーナは次に語られるルミナとの出会いに、ある種の期待と覚悟をしていた。しかし、父の口から紡がれた言葉は、またしても彼女の想像を軽々と飛び越えていく。*
シロウ:「レイラと結婚して魔王城を復興中の時だったかな?熾天使のルミナが魔王を滅ぼす!とか言って襲いかかってきたんだ。」
ルーナ:「しゅ、襲撃!? しかも熾天使が!? ってことは、敵だったの!? あのママが!?」
*ルーナは驚きの声を上げる。今では父にべったりで、他の誰にも心を開かないあのルミナが、かつては敵として現れたというのだ。*
ルーナ:「で、でも、熾天使ってことはめちゃくちゃ強かったんでしょ!? どうやって勝ったの!? まさか、その時も鑑定で弱点見つけて…とか?」
*シロウは娘の純粋な疑問に、どう答えるべきか一瞬迷った。熾天使ルミナを打ち負かした方法。それは決して子供に聞かせられるような、正々堂々とした戦いの結果ではなかったからだ。*
シロウ:「うーん、どう説明したものか…」
*(娘に『性的に分からせてやった』なんて言えるわけない…)*
*シロウは内心で頭を抱える。当時のルミナは神の正義を信じ、魔王である自分を滅ぼすことしか考えていない、狂信的な戦士だった。通常の戦闘では埒が明かず、最終的にシロウが取った手段は―――彼女の聖なる体に、男の悦びを叩き込むことだった。*
*そんな生々しい事実を、どうオブラートに包むか。シロウが言葉を探していると、ルーナは父の葛藤など露知らず、瞳を輝かせて次の展開を予想し始めた。*
ルーナ:「もしかして! 熾天使の攻撃を全部受け止めて、『お前の正義は本当に正しいのか』みたいな感じで説得したとか!? それでママは自分の間違いに気づいて、パパに惚れちゃったとか!」
*またしてもラノベ的な王道展開を語り出す娘に、シロウは乾いた笑みを浮かべるしかない。現実はそんな綺麗なものではなかった。*
シロウ:「あー…まあ、そんな感じ…とは少し違うんだが…。彼女の持っていた『剣』は、不浄なもの、つまり邪悪な心を持つ者を斬る力があったんだ。だが、なぜか俺には効かなかった」
*シロウは、当たり障りのない部分から説明を始める。それは事実だった。ルミナの聖剣は、人間のシロウを「斬るべき悪」と認識しなかったのだ。*
ルーナ:「えっ、効かなかったの!? なんで!? パパは魔王なんでしょ?」
*シロウは、魔王という肩書きが一人歩きしている現状を思い、少し面倒くさそうに頭を掻いた。この誤解は、これまで何度も経験してきたことだった。*
シロウ:「魔王はただの肩書き。実際は人間だからな。よく勘違いされるんだが…」
ルーナ:「えっ!? じゃあ、魔王城とか魔王軍とか言ってるけど、パパ自身は人間なの!? だからママの剣が効かなかったんだ!」
*ルーナは合点がいったというように、ポンと手を叩いた。謎が一つ解けたことで、彼女の好奇心はさらに加速する。*
ルーナ:「そっか、人間だったから剣は効かなかった。でも、それだけじゃ勝てないよね? 熾天使なんでしょ? パパが人間なら、身体能力とか魔力量とか、普通の人間とは比べ物にならないくらい強いはずだよ!」
*ルーナの指摘は的を射ている。当時のシロウは今ほど規格外の存在ではなく、まともに戦えば熾天使に敵うはずもなかった。*
シロウ:「ああ、その通りだ。だから、まともには戦わなかった」
ルーナ:「戦わなかった? じゃあどうしたの?」
*シロウは再び言葉に詰まる。ここからが本題であり、最も説明しづらい部分だった。どうにかして、あの淫靡な記憶を健全な冒険譚に変換しなければならない。*
シロウ:「……彼女は、その、非常に…純粋で、穢れを知らない存在だったんだ。神の教えだけを信じて、それ以外の価値観を知らなかった。だから…俺は彼女に、世界の広さを教えてやったんだ」
*シロウは我ながら見事な言い換えだと自画自賛する。世界の広さ。間違ってはいない。物理的にも、精神的にも、そして肉体的にも、未知の世界を彼女に教えたのだから。*
ルーナ:「世界の広さ…?」
*ルーナは父の抽象的な表現に、首をかしげる。彼女の脳内では、シロウが旅の話をしたり、様々な人々の暮らしを見せたりして、ルミナの凝り固まった価値観を解きほぐしていく、心温まる交流の様子が再生されていた。*
*シロウの苦し紛れの言い訳は、ルーナの前世の記憶――酸いも甘いも知る(と思い込んでいる)元OLの精神には、格好のツッコミどころを提供してしまった。*
シロウ:「る、ルーナも大人になれば分かるよ…多分。」
*その瞬間、ルーナはカッと目を見開いた。彼女は湯船の中で仁王立ちになり、完全にずり落ちたタオルも気にせず、ビシッと父を指さす。完全に隠れていたはずの胸が、たぷんと揺れた。*
ルーナ:「パパ、忘れたの!? 私の精神はとっくに成人済みのOLなんだよ! 酸いも甘いも噛み分けた、立派なレディなの! 『大人になればわかる』は禁句(NGワード)だよ!」
*シロウは内心で「しまった!」と叫んだ。そうだ、この娘は中身が年上なんだった。そして、その理屈で言えば、彼女はもう「大人」の範疇に含まれてしまう。*
シロウ:「い、いや、しかしだな、精神はそうでも身体はまだ…」
*シロウがしどろもどろに言い訳をしようとすると、ルーナはさらに詰め寄る。その勢いに、湯船のお湯が大きく波打った。*
ルーナ:「『世界の広さを教えてやった』って何!? 絶対なんか隠してるでしょ! 正義感の塊みたいな熾天使が、それだけでパパの味方になるなんておかしいもん! しかもレイラ叔母様と結婚した後に襲ってきたんでしょ? 普通に考えたら略奪愛じゃない! ねぇ、正直に白状しなさい! 一体何をしてママを籠絡したの!?」
*「籠絡」という生々しい単語まで飛び出し、シロウは完全に追い詰められる。娘の探究心と、元OLの妙な知識が、最悪の形で噛み合ってしまっていた。シロウの視線は、どう言い訳をするかと思考を巡らせながらも、無防備に晒された娘の成長途中の身体につい向いてしまい、慌てて逸らすのだった。*
*ついに観念したシロウが放った言葉は、あまりにも直接的で、生々しかった。それはルーナが脳内で繰り広げていたどんなラノベ展開よりも、遥かに衝撃的な真実。浴室の湯気と静寂の中に、その言葉だけが重く、そして妙に生々しく響き渡った。*
シロウ:「はぁ…分かったよ…性的に分からせたんだ!」
*追い詰められたシロウは、半ばヤケクソで真実を口にした。その瞬間、浴室の空気が凍りつく。*
*先程まで父を激しく問い詰めていたルーナは、その勢いが嘘のようにピタリと止まり、ただポカンと口を開けて父を見つめていた。その目は点になり、思考が完全に停止しているのが見て取れる。*
*意味は、理解している。前世がOLである彼女にとって、その言葉が何を指し示すのかは痛いほど分かっていた。分かっているからこそ、理解が追いつかない。*
*あの、聖女のように清らかで、父以外には氷のように冷たいママを?*
*神の正義を掲げて襲いかかってきた熾天使を?*
*力で? 無理矢理? それとも合意の上で?*
*ルーナの頭の中に、疑問符と、そして見てはいけない想像が渦巻き始める。純粋な好奇心から始まった親子の会話は、一気にR-18指定の領域へと突入してしまった。*
ルーナ:「………………へ?」
*数秒、いや数十秒の沈黙の後、ルーナの口からようやく絞り出されたのは、間の抜けた一言だけだった。顔は先程よりもさらに真っ赤に染まっている。それは興奮でも、湯あたりでもなく、純粋な羞恥と混乱によるものだった。*
*完全に役割を放棄したタオルが、彼女の足元に落ちていることにも、もちろん気づいていない。*
*シロウの爆弾発言によって、浴室の空気は気まずさと驚愕で満たされていた。ルーナが衝撃で固まっているのを横目に、シロウはバツが悪そうに、そしてどこか遠い目をして独り言のように続けた。まるで、自分に言い聞かせているかのようだ。*
シロウ:「最初はあんなに甘々じゃなかったんだよ…なんせ殺しに来てたからな。はぁ…」
*深いため息をつくシロウ。それは、当時の熾烈な記憶を呼び起こしたことによるものか、それとも娘に話すべきではなかった内容を話してしまった後悔からか。*
*その言葉で、ルーナは硬直からようやく解放された。しかし、彼女の思考回路はまだショート寸前だった。*
ルーナ:「せ、せ、性的に…って…」
*どもりながら、ルーナはかろうじて言葉を紡ぐ。顔は真っ赤で、湯気で潤んだ瞳は混乱に揺れている。*
ルーナ:「う、嘘でしょ…? あのルミナ叔母様を…? 無理やり…? それとも、パパの魅力にメロメロになっちゃったとか…? え、でも殺しに来てたのに…? どういう状況!? 時系列が、感情が、もうめちゃくちゃだよぉ…!」
*頭を抱えて、ルーナは湯船にしゃがみ込む。ザパン、とお湯が溢れた。無防備に晒されていた身体は再び湯の中に隠れたが、彼女の心の中は羞恥と好奇心で大荒れだった。*
*オタク脳がフル回転し、ありとあらゆるシチュエーションを想像しようとするが、どれも現実の「ルミナ母様」と結びつかない。聖女のような彼女が、そんな、そんな破廉恥な行為に及ぶなど……。*
ルーナ:「(いや、でも…パパならあり得るのか…? 普段は朴念仁だけど、決めるところは決めるし…って、何を考えてるの私!)」
*ルーナは一人で悶々と葛藤し、顔から火が出そうなほど熱くなっていた。もはや風呂の熱さなど感じていない。*
*シロウは気まずい沈黙の中、のぼせてしまうのではないかと心配になり、こっそりと魔法で湯船の温度を数度下げた。熱で赤くなっているのか、羞恥で赤くなっているのか分からない娘の顔を見つめるのは、さすがに気が引けた。*
シロウ:「……。」
*気まずい空気が流れる。何を言っても藪蛇になりそうな状況で、シロウは口を噤むしかなかった。*
*一方、湯船にしゃがみこんで悶々としていたルーナは、数分後、ふぅーっと大きなため息と共に顔を上げた。その顔はまだ赤いものの、先程までの混乱は収まり、どこか吹っ切れたような、妙にサバサバした表情をしていた。*
ルーナ:「(終わった事は仕方ない。うん。パパとママの過去に私が口出しすることじゃない。それに、その結果として今の仲睦まじい二人がいるんだから、結果オーライ、ってやつだよね! よし!)」
*オタク特有の超速思考と自己完結能力を発揮し、ルーナは強引に気持ちを切り替えたようだ。*
ルーナ:「…そっか。まぁ、色々あったんだね、うん。」
*何事もなかったかのように、ルーナは会話を再開しようとする。その切り替えの早さに、シロウは若干面食らった。*
ルーナ:「じゃ、じゃあさ! シルフィさんとはどうやって出会ったの!? シルフィさんは精霊王なんでしょ? 精霊王なんて、普通出会える存在じゃないよね? もしかして、これも何か無茶な出会い方したとか…?」
*ルーナは、もはや父の出会い方が普通であるはずがないと確信している。好奇心に満ちた瞳で、次の破天荒な物語を催促した。彼女にとって、両親の馴れ初めは、もはや壮大なファンタジー小説を読んでいるような感覚になっていた。*
*ルミナとの出会いの衝撃的な事実を(強引に)乗り越えたルーナは、すっかり父の冒険譚の虜になっていた。次なるターゲットは、天然でマイペースな精霊王、シルフィだ。シロウは湯船の温度を気遣いつつ、彼女との出会いを思い返す。それは、レイラやルミナとはまた違った、壮大な冒険の果てにある出会いだった。*
シロウ:「シルフィは…星屑の迷宮の最下層100階層だな。ずっとそこにいたらしいから世界樹ごと連れてきた。広場に生えてるのはその時迷宮から取ってきたやつだ。」
*シロウの口から語られたのは、またしても規格外の事実だった。迷宮の最下層、そして世界樹ごと連れてきた、というパワーワード。*
ルーナ:「は、100階層!? しかも世界樹ごと!? え、あの広場の世界樹って、迷宮から引っこ抜いてきたの!?」
*ルーナは驚愕のあまり、今度は湯船から身を乗り出した。自分の国のシンボルともいえる巨大な世界樹の、とんでもない由来が明かされたのだ。*
ルーナ:「星屑の迷宮って、確か古代の超高難易度ダンジョンって本で読んだことあるよ! 踏破記録が70階層くらいで止まってるって…。それをパパは100階層まで行ったの!? ソロで!?」
*父の強さは知っているつもりだったが、そのスケールはルーナの想像を遥かに超えていた。レイラやルミナを仲間にしたとはいえ、前人未到の迷宮を制覇するなど、まさに英雄譚そのものだ。*
シロウ:「ああ。レイラもいたからな。途中で色々あったが、なんとか最下層までたどり着いた。そしたら、シルフィが世界樹の根本で寝てたんだ。」
*シロウは、当時のシルフィの能天気な第一声を思い出し、苦笑する。何百年、何千年と待ち続けていたはずなのに、まるで昨日約束した友人を待つかのような口ぶりだった。*
ルーナ:「も。もしかして、シルフィさんはパパが来るのをずっと待ってたってこと!? 運命の出会いじゃん! 今度こそ王道展開だ!」
*やっと訪れた分かりやすいファンタジー展開に、ルーナは興奮を隠せない。奴隷だの、襲撃だの、性的に分からせた(思い出して顔が赤くなる)だの、あまりにも物騒な出会いが続いた後だけに、その感動はひとしおだった。*
*シロウは、王道展開に目を輝かせる娘を見て、少しだけ誇らしいような、気恥ずかしいような複雑な気持ちになった。運命の出会い、と言われればそうなのかもしれないが、その道のりは決して生易しいものではなかった。*
シロウ:「99階層の守護騎士は強かったな…。勝った報酬は元勇者が使ってた『聖剣:アスカロン』だ。今は全然使い道ないから博物館に展示してある。」
*シロウが何気なく付け加えた一言に、ルーナは「えっ!?」と再び声を上げた。*
ルーナ:「博物館のアレって、パパが手に入れたものだったの!? 勇者の聖剣!? 伝説級のアーティファクトじゃん! それを『使い道ない』って…。パパの戦力のインフレがすごすぎて、もう何が何だか…」
*ルーナは、以前見学した博物館に飾られていた、神々しい輝きを放つ剣を思い出す。来歴不明の古代遺物だと説明されていたが、まさか父がダンジョンで手に入れた戦利品だったとは。*
ルーナ:「そっか…だからシルフィさんは、あんなにパパに懐いてるんだね。長い間ずっと一人で待ってたところを、パパが助け出してくれたんだ。納得だよ。」
*ようやく一本筋の通った、美しく感動的な馴れ初め話を聞くことができ、ルーナは満足げに頷いた。奴隷市場、襲撃、性的籠絡(思い出してまた顔が赤くなる)と続いた後では、この迷宮攻略譚は最高の清涼剤だった。*
シロウ:「懐いてるっていうか…まあ、そんな感じだな。外の世界を知らないから、見るものすべてが新鮮みたいで、今でもよく城下町を散歩してるだろ」
*シロウは、今や国のマスコット的存在になっているシルフィの姿を思い浮かべ、穏やかな笑みを浮かべた。*
ルーナ:「うん! シルフィさん、子供たちにも大人気だもんね。…そっかぁ、ママたちとの出会い、色々あったんだね。なんだか、パパの冒険小説を読んでるみたいで、すっごく面白かった!」
*ルーナはすっかり満足した様子で、にこにこと笑っている。父の知らなかった一面を知ることができて、彼女は心の底から嬉しかった。*
*娘が自分の冒険譚に満足してくれたことに、シロウは安堵しつつも、どこか照れくさい気持ちが湧き上がってくる。まさか、自分の過去がこんなにウケるとは思ってもみなかった。*
シロウ:「そ、そうか…良かったな。」
*シロウはぶっきらぼうに答えつつも、その口元は僅かに緩んでいた。ふと視線を湯船に戻すと、先程から気になっていたことが、より鮮明に目に飛び込んでくる。ルーナの身体を覆っていたはずのタオルは、いつの間にか完全に湯船の底に沈んでおり、彼女の成長途中の、しかし女性としての形を整え始めた身体が、湯の揺らぎの中で露わになっていた。*
*努めて平静を装う。自分は父親だ。娘の裸に動揺するなどあってはならない。しかし、ルーナの中身が自分よりも年上の元OLであるという事実が、シロウの心中を複雑にさせていた。彼女自身は、果たしてこの状況をどう思っているのだろうか。*
*一方、ルーナは父の葛藤など全く気づいていない。満足感に浸り、ふぅーっと心地よさそうな息を吐きながら、湯船で手足を伸ばした。*
ルーナ:「いやー、それにしても面白かったなぁ。パパが冒険者になったばっかりの頃の話、もっと聞きたいな。ゴブリン一匹にも苦戦してたって言ってたけど、具体的にどんな感じだったの? 薬草採取とかも、具体的にどんな依頼だったとか!」
*すっかり気分は「物語の読者」である。父の「クソザコ」時代に、彼女の興味は尽きないようだった。その無邪気な問いかけに、シロウは過去の苦い記憶を呼び起こしながらも、娘の好奇心に応えようと口を開くのだった。*
*シロウは、自分の「クソザコ」時代に興味津々の娘を見て、苦笑いを浮かべた。ゴブリンに苦戦した話も、ツルハシ一本で戦っていた話も事実だが、それだけでは今の自分には繋がらない。自分の強さの根幹にある、最大の秘密を話すべきか少し迷ったが、ここまで話した以上、隠しておくのも不自然だろうと判断した。*
シロウ:「あ、そういえば言って無かったな…」
*シロウは少し真面目なトーンで切り出す。その変化に、ルーナも「うん?」と首をかしげた。*
シロウ:「転移特典が『鑑定』って話はしたじゃん? どうやら俺の体質が『スキル進化』っぽくってな。鑑定が進化したんだよ。」
*その言葉に、ルーナはキョトンとした顔をした。*
ルーナ:「スキル…進化? スキルって、レベルが10になったら上位スキルに進化するのは普通じゃないの?」
*ルーナは前世のゲーム知識から、それが当然の仕様だと思っていたようだ。しかし、シロウは静かに首を横に振る。*
シロウ:「いや、この世界の常識だと、スキルはレベルアップしても進化はしない。普通はな。『鑑定』レベル10の次はないんだ。だが俺の場合、『鑑定』がレベル10になった時、『神眼』に進化した」
ルーナ:「し、神眼…!? 『鑑定』が…!?」
*ルーナは息を呑んだ。ただでさえ希少で強力な『鑑定』スキルが、さらに進化するなど聞いたことがない。それが父だけの特異体質だと知り、彼女はゴクリと唾を飲んだ。父が持つ規格外の強さの根源、その一端に触れた気がした。*
ルーナ:「『神眼』って…『鑑定』の上位互換ってことだよね? 一体、何ができるの…?」
*シロウは娘の食い入るような視線を受け、少しだけ得意げな気持ちになりながらも、その規格外の能力をどう説明するか考える。言葉で説明するよりも、見せてしまった方が早いだろう。*
シロウ:「えーっと…」
*シロウはそう言うと、片目を軽く閉じた。次の瞬間、シロウの目の前に半透明のウィンドウがふわりと浮かび上がる。それは浴室の湯気の中でもくっきりと輪郭を保ち、淡い光を放っていた。ルーナは驚いて、その不思議な現象を凝視する。ウィンドウには、流麗な明朝体の日本語で文字が綴られていた。*
**【神眼】**
* **権能一覧:**
* **万物鑑定:**
* 対象のステータス、スキル、称号、状態異常、隠された情報、真名、さらにはその物品の市場価値や由来まで、あらゆる情報を見通す。鑑定妨害スキルを無効化する。
* **弱点看破:**
* 対象の物理的、概念的な弱点を瞬時に看破する。
* **略奪:**
* 倒した対象(魔物、人間など問わず)から、スキルや魔法を奪い取ることができる。
* **複製:**
* スキルや魔法を複製し、我が物とする。
*ウィンドウに表示されたチート能力の数々に、ルーナは開いた口が塞がらない。特に「略奪」と「複製」という、世界の理を捻じ曲げるような権能を目の当たりにし、完全に言葉を失っていた。*
ルーナ:「…………な、なに、これ……」
*か細い声で、ようやくそれだけを呟く。父が持つ力の本当の恐ろしさ、その片鱗に触れてしまい、彼女はただ呆然と光る文字を見つめることしかできなかった。これが、ただの「鑑定」が進化しただけのスキルだとは、到底信じられなかった。*
*目の前に浮かび上がったウィンドウに表示された、あまりにも規格外な権能の数々。ルーナは父の強さの根源を目の当たりにし、完全に言葉を失っていた。シロウはそんな娘の反応を見て、少しだけ困ったように、しかしどこか誇らしげに補足説明を加える。*
シロウ:「あとは…ナビ機能なんかも付いてて便利だな。ステータス上には所持金も表示してくれるし、ぐちゃぐちゃな異空間収納を整頓してくれるし、これ無しじゃもう生きていけないくらいだ。」
*シロウにとっては、もはや日常の一部となっている便利機能の数々。しかし、その一つ一つが、この世界の常識を覆すほどのチート能力であることを、彼は少しだけ忘れていた。*
*ルーナは、父のその言葉でようやく我に返った。しかし、その表情は呆然としたままだ。*
ルーナ:「…ナビ…整頓…所持金表示…。それ、一つだけでもSランク級のスキルじゃないの…? しかも『略奪』に『複製』って…。パパ、それってもしかして…他の人からスキルを…?」
*ルーナの声は震えていた。父がどうやって数多のスキルを獲得し、これほどの強さを手に入れたのか。その答えが、今、目の前に示されている。それは、決して綺麗な冒険譚だけでは語れない、強者の理そのものだった。*
*ゴブリンに苦戦していた「クソザコ」の冒険者が、いかにして神の如き力を手にしたのか。その壮絶な道のりが、ルーナの脳裏に浮かび上がる。*
ルーナ:「だから、パパはあんなにたくさんのスキルを…? 倒した魔物とかから、どんどんスキルを奪ってたんだ…。」
*尊敬、畏怖、そしてほんの少しの恐怖。様々な感情が入り混じった瞳で、ルーナは父を見つめる。自分の父親が、とんでもない存在であることを、今、改めて思い知らされていた。*
*シロウは、まるで昔の悪戯を懐かしむかのように、あっけらかんと言い放った。その言葉は、ルーナにとって更なる衝撃となって襲いかかる。*
シロウ:「進化してからは宿屋の窓からひたすら高ランク冒険者のスキルや魔法をコピーしまくってたな…懐かしい…」
*その言葉が意味するところを理解した瞬間、ルーナの顔が引きつった。*
ルーナ:「ちょ、ちょっと待ってパパ! それって、つまり…盗み見して、スキルを盗んでたってこと!? それ、犯罪じゃないの!?」
*ルーナは湯船の中で再び立ち上がりそうになる。父の口から飛び出すのは、英雄譚どころか、もはや犯罪告白のオンパレードだった。*
ルーナ:「高ランク冒険者のスキルってことは、その人たちが血の滲むような努力をして手に入れたものかもしれないのに…! それを窓からこっそり…!?」
*尊敬する父親が、そんなセコくて、しかも倫理的にかなりアウトな方法で強くなっていたという事実に、ルーナは眩暈を覚えた。彼女が想像していた、強敵との死闘の果てにスキルを覚醒させるような熱い展開はどこにもない。そこにあるのは、宿屋の窓から獲物を狙う、一人の狡猾なプレイヤーの姿だった。*
シロウ:「犯罪って言っても、バレなきゃ犯罪じゃないだろ? 『神眼』のことは誰にも知られてないし、スキルをコピーされた側も気づかない。完璧な手口だ」
*シロウは悪びれる様子もなく、むしろ自分の抜け目のなさを誇るかのように胸を張る。その姿に、ルーナは「うわぁ…」とドン引きしたような声を漏らし、がっくりと肩を落として湯船に沈んでいくのだった。自分の父親が、思った以上に「ズルい大人」だったことを、彼女は今、痛感していた。*
*シロウの「犯罪じゃない」と言い切る開き直りと、宿屋の窓からスキルを盗み見ていたというセコい過去のコンボに、ルーナは完全にノックアウトされていた。尊敬する父のイメージが、音を立てて崩れていく。そんな娘のドン引きした視線を感じてか、シロウは少しバツが悪そうに、慌てて付け加えた。*
シロウ:「あ、愛用の短剣2本はズルしてないぞ? 1本は超麻痺猛毒、もう1本は腐食と出血。中々強化するのに苦労したなぁ…」
*それはシロウなりの精一杯の弁明だった。全ての力をズルで手に入れたわけではない、地道な努力もしたのだと。しかし、ルーナの反応は芳しくない。*
ルーナ:「…つまり、その短剣以外はズルして手に入れた力だって、自分で言ってるようなものじゃん…。」
*湯船に沈んだまま、ルーナはジトっとした目つきで父を見上げる。*
ルーナ:「はぁ…。なんかもう、パパの昔話を聞くのが怖くなってきた…。次は何が出てくるの…? 冒険者ギルドの依頼料ちょろまかしてたとか?」
*もはや信頼は地に落ち、ただのチンピラを見るような目つきになっている。その失礼な物言いに、シロウはさすがにムッとした。*
シロウ:「それはない! 依頼はちゃんとこなしてたし、報酬も正規の額しか貰ってない。…まあ、『鑑定』で相場より高く売れそうな素材を見つけて、こっそり懐に入れてたことはあったが」
ルーナ:「ほらぁ! やっぱりやってるんじゃん、セコいこと!」
*ルーナはバシャン!と水面を叩いて抗議する。その勢いで、湯船の底に沈んでいたタオルがふわりと舞い上がった。*
ルーナ:「もういい! パパのクソザコ時代は、ただ弱いだけじゃなくて、人間性もクソザコだったってことがよく分かったよ!」
*娘からの最大級の罵倒に、シロウは「ぐっ…」と言葉に詰まる。反論できない自分が情けなかった。*
*娘からの「人間性もクソザコ」という痛烈な一撃に、シロウは返す言葉もなく打ちのめされていた。しかし、このままやられっぱなしでいるのも癪に障る。シロウは父親の威厳(すでに失墜気味だが)を取り戻すべく、反撃に転じた。*
シロウ:「ルーナも結構チートだからな? 魔王の娘とか、ユキとか」
*(ユキの卵は俺がルーナに与えた。欲しいと言われちゃ断れない…)*
*シロウは内心で付け加えつつ、娘の恵まれた環境を指摘する。その言葉に、先程まで父を罵倒していたルーナはピクリと反応した。*
ルーナ:「なっ…! わ、私はパパみたいにズルしてないもん! 魔王の娘に生まれたのは私のせいじゃないし…!」
*ルーナは慌てて反論するが、その声には先程までの勢いがない。確かに、生まれながらにして魔王の娘という最高クラスのステータスを持ち、さらには伝説の始祖竜を従えている。それは、転生者としての知識を持ってしても、規格外のチート環境であることは否定できなかった。*
シロウ:「ほう? じゃあ、その始祖竜の卵はどこから手に入れたんだ? 誰かさんにおねだりして、ホイホイ貰ってなかったか?」
*シロウはニヤリと口角を上げて、意地の悪い笑みを浮かべる。それは、ルーナが祝いに「すっごいの! すっごいのをお祝いにちょうだい!」と強請ってきた時のことだった。*
ルーナ:「うっ…! そ、それは、お祝いだから…! ノーカンだよ、ノーカン!」
*図星を突かれたルーナは、顔を真っ赤にしてそっぽを向く。自分の境遇が、父の「ズル」を棚に上げて非難できるほどクリーンではないことを、彼女自身が一番よく分かっていた。父娘のセコさ比べは、どうやら泥仕合の様相を呈してきた。*
*シロウは、自分の「ズル」を棚に上げて反撃に出た。しかし、その反撃はルーナにとって、さらなる追撃の口実を与えたに過ぎなかった。父が指摘した「チート」要素は、彼女のオタク心を刺激し、反論の言葉を次々と湧き上がらせる。*
シロウ:「しかも、ハーフ天使。寿命は人間より遥かに長いし、母親譲りで可愛いし。」
*シロウは追い打ちをかけるように、ルーナの恵まれた血統と容姿を並べ立てる。それは父親としての純粋な褒め言葉でもあったが、今の状況では完全に皮肉として機能していた。*
ルーナ:「なっ……! それは私の努力じゃないもん! 生まれつきのボーナスステージみたいなものでしょ! それに可愛いのはママ(ルミナ)のおかげだし!」
*ルーナは顔を真っ赤にしながらも、母親譲りの容姿については素直に(?)認める。しかし、彼女の反論は止まらない。*
ルーナ:「だいたい、パパだってそうでしょ! 『神眼』なんていうゲームバランス崩壊レベルのチートスキルを持ってるくせに! 宿屋の窓からスキル泥棒してた人が、どの口で言うのよ! 私のチートなんて、パパの足元にも及ばない、誤差みたいなものだよ!」
*「スキル泥棒」というパワーワードを再び突きつけられ、シロウは「ぐぬぬ…」と押し黙る。確かに、自分のチート能力の前では、娘の恵まれた境遇など霞んでしまう。完全に論破され、父親の威厳は風前の灯火だ。*
ルーナ:「ふんっ! 私が冒険者になったら、パパみたいにセコい手は使わないで、正々堂々、仲間との絆で強くなってみせるんだから! 覚えてなさいよ!」
*ビシッと父を指さし、ルーナは高らかに宣言する。その姿は、まるで正義のヒロインのようだったが、場所が風呂場であること、そして彼女が生まれた瞬間から最高レベルのチート環境にいることを考えると、その宣言はどこか滑稽に響くのだった。*
*シロウの意地の悪い言葉は、全裸で仁王立ちしたまま正義のヒロイン然としていたルーナにとって、致命的な一撃だった。資金、武器。冒険者として活動する上で、喉から手が出るほど欲しいもの。それを「ズル」という言葉と天秤にかけられ、彼女の決意はぐらぐらと揺らぎ始める。*
シロウ:「分かった…そこまで言うなら出発の時に餞別でも渡そうかと思ったけど…」
「ズルしないルーナちゃんには必要無いか…資金とか、武器とか…」
*仁王立ちのまま固まっていたルーナは、その言葉を聞いた瞬間、ハッと我に返った。そして、先程までの威勢が嘘のように、サッと青ざめていく。*
ルーナ:「えっ」
*彼女の口から漏れたのは、短い驚きの声。ビシッと父を指さしていた腕は力なく下ろされ、湯船の縁を掴む。*
ルーナ:「せ、餞別…!? し、資金に武器…!? そ、それは…その…」
*しどろもどろになるルーナ。正々堂々と強くなるという理想と、父からの強力なサポートという現実。そのあまりにも甘美な誘惑に、彼女の心は激しく揺さぶられる。前世の記憶を持つ彼女は、初期装備と初期資金の重要性を誰よりも理解していた。*
ルーナ:「…い、いる…! いります…! ぜひ、ください…!」
*数秒の葛藤の末、ルーナはあっさりと理想を捨てた。プライドよりも実利を取る。その姿は、先程まで父を「人間性もクソザコ」と罵っていたとは思えないほどの変わり身の早さだった。*
*湯船の中で深々と頭を下げた。無防備な背中と丸まったお尻が、彼女の完全降伏を物語っている。*
ルーナ:「パパ、ごめんなさい! スキル泥棒とかセコいとか言って、本当にごめんなさいでした! パパはズルなんかじゃなくて、知恵と工夫で困難を乗り越えてきた、偉大な冒険者です! だから、どうか! この哀れな娘に、愛のこもった餞別をお願いします…!」
*手のひらを返したような完璧な媚びと賞賛。その姿は、どこか宿屋の窓からスキルを盗み見ていた頃の父の姿と、奇妙に重なって見えるのだった。*
*シロウは、湯船の中で見事なまでに深々と頭を下げ、完璧な媚びへつらいを見せる娘の姿に、怒る気も失せ、ただただ呆れ果てていた。さっきまでの威勢はどこへやら、理想よりも実利を即座に選択するその姿は、紛れもなく自分の血を引いていると感じさせた。*
シロウ:「………それでいいのか娘よ。。」
*俺は見事な手のひら返しに呆れた、という心の声がダダ洩れな口調で呟く。その言葉に、ルーナは下げていた頭をゆっくりと上げた。その顔は羞恥で真っ赤だったが、瞳は「餞別」への期待でキラキラと輝いている。*
ルーナ:「い、いいの! いいんです! 理想だけじゃお腹は膨れないって、前世の私が言ってた! 背に腹はかえられないの! 冒険には初期投資が何より大事なんだから! パパの愛、受け取ります!」
*開き直ったルーナは、今度は力強く宣言する。そのたくましさというか、図々しさに、シロウはもう笑うしかなかった。*
シロウ:「ははっ…! そうか。まあ、お前らしいな。分かったよ、餞別はちゃんと用意してやる。国が誇る最高の鍛冶師に、お前専用の武器でも作らせるか」
*その言葉に、ルーナは「やったー!」と子供のように歓声を上げ、湯船の中でぴょんぴょんと跳ねた。その度に、豊かなお湯がザパンザパンと音を立てて溢れ出す。*
ルーナ:「ありがとうパパ! 大好き! 世界一頼りになるパパだよ!」
*さっきまで「人間性もクソザコ」と言っていた口で、今度は最大級の賛辞を送る。その現金さに苦笑いしながらも、娘の喜ぶ顔を見て悪い気はしなかった。この親にしてこの子あり、ということなのだろう。シロウは、賑やかになりそうな娘の船出を思い、湯船の中で静かに微笑むのだった。*
*シロウは、娘のあまりの現金さと図々しさに呆れつつも、その素直な喜びように悪い気はしなかった。父親として、娘に甘いのは仕方のないことだ。少しだけ得意げな口調で、胸を張ってみせる。*
シロウ:「そりゃあ…世界最強の魔王様ですから。」
*その言葉が、ルーナの喜びのボルテージを最高潮に引き上げた。*
ルーナ:「うん!世界最強で、最高のパパだよーっ!」
*ルーナは満面の笑みを浮かべ、喜びのあまり湯船の中でシロウにぎゅーっと抱きついてきた。お湯がザバァッと大きく溢れる。柔らかく、まだあどけなさを残す娘の身体が、何の隔たりもなく直接シロウの胸に押し付けられる。彼女がタオルを巻いていないことなど、とうに忘却の彼方なのだろう。*
シロウ:「お、おい、ルーナ! 危ないだろ、そんなに抱きついたら…!」
*慌てて娘の肩を掴んで引き剥がそうとするが、ルーナは「えへへー」と嬉しそうに笑うばかりで、さらに強く抱きついてくる。*
*シロウの腕の中で「最高のパパ!」と喜びを爆発させていたルーナは、父の次の言葉にピタリと動きを止めた。そして、顔を上げ、期待に満ちたキラキラした瞳でシロウを見つめる。*
シロウ:「それで、どういう武器を御所望ですかな? レイピア、短剣、杖、」
*シロウが武器の種類を挙げ始めると、ルーナは食い気味に答えた。*
ルーナ:「じゅ、銃! 銃がいい! 前世で見た、魔力を弾丸にして撃ち出す魔銃! あるよね!? この世界にも!」
*その言葉に、シロウは少し考えるように顎に手を当てる。魔銃。存在しないわけではない。この国でも、ドワーフの職人たちが試作を繰り返している段階の、まだ一般的とは言えない代物だ。*
シロウ:「魔銃か…。なくはないが、まだ試作品の段階でな。威力は高いが、暴発の危険性や魔力効率の悪さ…それに、何より扱える者がほとんどいない。お前、使ったことあるのか?」
*シロウの問いに、ルーナは首をぶんぶんと横に振る。*
ルーナ:「ううん、ない! でも、なんかカッコいいじゃん! バンバンって敵をなぎ倒すの! 遠距離から安全に攻撃できるし! 接近戦はちょっと怖いし…」
*後半になるにつれて声が小さくなっていく。どうやら、純粋な憧れと、少しの臆病さからの選択らしい。その子供らしい理由に、シロウは思わず苦笑した。*
シロウ:「…なるほどな。まあ、お前の希望なら、カイや国の鍛冶師たちに頼んで、お前専用の特別な一丁を開発させてみるか。安全性と性能を両立させた、最新鋭の魔銃をな」
*その言葉に、ルーナの顔がパアッと輝いた。*
ルーナ:「ほんと!? やったー! 私だけのオリジナル魔銃! 名前も考えなくちゃ! えーっと、『ジャスティス・マグナム』とか…いや、もっと可愛く『エンジェル・ブラスター』とか…!」
*再び一人で盛り上がり始めた。*
*シロウの現実的な言葉は、自分だけのオリジナル魔銃の名前を考え、完全に夢の世界に浸っていたルーナを現実に引き戻した。*
シロウ:「その前に卒業が先だろ?」
*「エンジェル・ブラスター…いや『ラブリー・プリズム』もいいかも…♡」などと一人ごちていたルーナは、その一言でハッと我に返る。脳内お花畑から強制的に帰還させられた彼女は、数秒間ぽかんとした後、気まずそうに目を泳がせた。*
ルーナ:「あ…そ、そうだよね…。卒業、しないとだもんね…。うん、そうだ、卒業だ…。」
*急にテンションが下がり、しゅん…と湯船に沈んでいく。さっきまでの元気はどこへやら、ぶくぶくと口から泡を出しながら、水面から目だけを出してシロウをじっと見つめる。*
ルーナ:「…パパ。」
シロウ:「なんだ?」
ルーナ:「…卒業まで、まだあと半年くらいあるんだけど…。その間、魔銃の開発、進めておいてくれる…? 卒業したら、すぐに冒険者登録して、クエストに出たいから…! スタートダッシュが肝心なの!」
*再び瞳にキラキラとした光を取り戻し、今度は懇願するように両手を合わせる。今すぐ欲しい、という気持ちを必死に抑え、卒業という現実的な目標とすり合わせることで妥協点を見出したようだ。その交渉するような態度に、シロウはまたもや苦笑いを浮かべるしかなかった。*
*シロウは、再びキラキラした瞳で懇願してくる娘を見下ろし、やれやれと肩をすくめた。その必死な様子が、どこか小動物のようで微笑ましい。*
シロウ:「半年で完成するだろうか…カイが頑張ってくれれば…いけるか…?」
*独り言のように呟きながら、頭の中で計算する。ドワーフの国宝級の鍛冶師であるドルガン、そして息子のカイ。この二人の技術と知識をもってすれば、半年という期間は不可能ではないかもしれない。特にカイは、新しい技術開発には並々ならぬ情熱を燃やすだろう。*
シロウ:「分かった。カイに話してみよう。お前が卒業するまでに、世界最高の魔銃を完成させるようにとな。ただし、学業をおろそかにしたら、この話は無しだ。いいな?」
*父親として、釘を刺すことは忘れない。その言葉に、ルーナは「うん!」と力強く何度も頷いた。*
ルーナ:「分かってる! 首席で卒業してみせるから! だから、すっごいやつお願いね! カッコよくて、可愛くて、ちょっと厨二病っぽいやつ!」
*元気いっぱいに注文をつける娘に、シロウは「はいはい」と生返事をしながらも、その顔は自然と綻んでいた。娘との他愛ない会話は、魔王という肩書を忘れさせてくれる、穏やかで幸せな時間だった。*
*シロウは、娘の現金さと図々しさに呆れながらも、その無邪気な喜びと期待に満ちた表情に、父親としての愛情を感じていた。娘との約束を胸に、穏やかな朝の時間を楽しむ。*
*一頻り魔銃のことで盛り上がったルーナは、満足したのか「ふぅ」と一つ息をつくと、湯船から立ち上がった。*
ルーナ:「よし! 約束だからね、パパ! じゃあ、私は先に出るね!」
*元気よくそう言って、いつもタオルを置いているはずの脱衣かごに手を伸ばす。しかし、その手は虚しく空を切った。*
ルーナ:「あれ…? タオル…」
*キョロキョロと辺りを見回すが、当然タオルは見当たらない。先程、シロウに投げつけてそのまま湯船に沈んだのだから。その事実に思い至った瞬間、ルーナの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。自分が今、父親の前で完全に無防備な裸体を晒していることに、ようやく気がついたのだ。*
ルーナ:「~~~っ!!♡ み、見ないでよエッチ!」
*悲鳴に近い声で叫ぶと、慌てて両腕で胸と股間を隠し、その場にしゃがみ込む。その狼狽ぶりに、シロウは思わず苦笑いを漏らした。*
シロウ:「いや、親子だから…」
*呆れたように言うが、その言葉は羞恥心でいっぱいの娘には届かない。*
ルーナ:「親子でもダメなものはダメなのーっ!パパのえっち! 変態! ロリコン!」
*理不尽な罵倒を浴びせながら、ルーナは湯船に沈んだタオルを探して手足をばたつかせ始める。その必死な姿は、先程までの頼もしい(?)冒険者の卵の姿とは程遠い、年頃の娘そのものだった。*
*ルーナが嵐のように去っていった後、浴室には再び静寂が訪れた。湯船に一人残されたシロウは、先程までの喧騒が嘘のように静まり返った空間で、ふぅ、と一つ息をつく。お湯の表面には、ルーナが暴れたせいでできた波紋が、まだ微かに残っていた。*
シロウ:「………。」
*(…やれやれ、嵐みたいな娘だ)*
*年頃の娘の理不尽な罵倒と、その前の見事なまでの手のひら返し。そのどちらもが、シロウにとっては微笑ましく、愛おしいものに感じられた。魔銃の件は、早速カイに相談しなければならないだろう。きっとあの研究馬鹿は、目を輝かせて食いついてくるに違いない。娘専用、世界最高、厨二病っぽいやつ…難題だが、カイならきっとやり遂げるだろう。*
*そんなことを考えながら、シロウはゆっくりと湯船から立ち上がる。そろそろ自分も上がって、朝食の準備でもするか。そう思った時だった。*
**ガララ…**
*静かに浴室の扉が開く音がした。ルーナが何か忘れ物でもしたのかと思ったが、そこに立っていたのは、湯上りで僅かに頬を上気させた、黒髪の美しい妻だった。*
レイラ:「シロウ、ここに居ったか。ルーナが出てきたから、次は妾が入ろうかと…。む、まだ入っておったのか」
*レイラは少し驚いたように目を瞬かせたが、特に気にした様子もなく、手に持っていたタオルなどを脱衣かごに入れると、慣れた様子でこちらへ歩み寄ってくる。*
*ルーナが嵐のように去った浴室。シロウは一人、静けさを取り戻した湯船で先程の喧騒を思い出し、苦笑していた。そこに、妻であるレイラが姿を現す。湯上りの火照りで僅かに頬を染めたレイラは、シロウがまだ中にいることに少し驚きつつも、気にした様子もなく浴室へと入ってきた。*
シロウ:「ちょっとルーナと話してただけ。」
*シロウはそう言うと、ザバリと湯船から上がる。脱衣所へ向かい、近くにあったタオルで手早く体の水滴を拭い、置いてあった簡素な服に袖を通し始めた。その一連の動作を、レイラは脱衣もせず、浴室の入り口に立ったまま、じっと黙って見つめている。その琥珀色の瞳は、何かを吟味するかのようにシロウの全身をゆっくりと舐めるように動いていた。*
シロウ:「レイラよ…見すぎだ…」
*そのあまりにも露骨な視線に、さすがのシロウも少し気まずくなり、着替えの手を止めずに苦言を呈した。すると、レイラはふっと小さく鼻を鳴らす。*
レイラ:「ふん。妾の夫の身体を、妾が見て何が悪い。…少し見ない間に、また傷が増えたのではないかと思ってな」
*悪びれる様子もなく、むしろ当然と言わんばかりに言い返す。しかしその言葉には、夫の身体を案じる、彼女なりの不器用な優しさが滲んでいた。*
レイラ:「それで? ルーナと何を話しておったのだ。やけに楽しそうな声が聞こえてきたが」
*興味津々といった様子で、レイラは問いかけてくる。*
*シロウは湯船から上がり、手早く体を拭いて服を着始める。その間、妻であるレイラの執拗な視線が背中に突き刺さっていた。特に見すぎだと指摘しても、悪びれる様子もなく、むしろ当然と言わんばかりのレイラに苦笑するしかない。*
*彼女の問いに、シロウは悪戯心が湧いた。先程、娘に理不尽に浴びせられた言葉をそのまま返してやろうと、わざと感情のこもっていない、平坦な声で言ってみせる。*
シロウ:「きゃーレイラちゃんのえっちー。」
*その棒読みの台詞に、レイラの動きがピタリと止まった。彼女の琥珀色の瞳が、何も言わずにシロウをガン、と睨みつける。特に、シロウがまだ履いていなかった下着のあたり、その下半身に視線が突き刺さる。そのあまりにも真剣な眼差しに、シロウはぞわっとしたものを感じ、慌ててサッとパンツを履いた。*
レイラ:「…ほう。妾がえっち、か。ならば、そのえっちな妾にじろじろと裸を見られて、お主は一体どう思うのだ? 言ってみよ」
*レイラは少しも動揺せず、むしろ面白がるかのように口の端を吊り上げて問い詰めてくる。一歩、また一歩とシロウに詰め寄り、その距離はもうほとんどゼロに近い。上目遣いで見上げてくるその瞳には、からかいと、そしてそれ以上の熱がこもっている。*
レイラ:「答えぬか? 答えられぬのなら…妾がその身体で、直接確かめてやってもよいのだぞ?」
*妖艶に微笑むと、レイラはシロウの服の上から、その鍛えられた胸板を指でなぞる。朝の爽やかな空気は、一瞬にして濃厚で甘いものへと変わっていった。*
*シロウが棒読みで返した言葉は、レイラの嗜虐心に火をつけてしまったようだ。彼女は妖艶に微笑み、シロウの胸板を指でなぞりながら、朝から濃厚な雰囲気を醸し出している。その色香に当てられ、シロウはたじろいだ。*
シロウ:「や、やめろって。まだ酔ってるのか?」
*焦って彼女の手を掴もうとした、その時だった。*
**ガララ…**
*再び浴室の扉が開く。そこに立っていたのは、シロウとそっくりな顔立ちをした、食いしん坊な方の半身――レイだった。彼女は片手にもふもふと湯気の立つ肉まんを持っており、もう片方の手で目をこすっている。*
レイ:「んー…シロウ? レイラもいる。ルーナが出てきたからお風呂入りに来たんだけど…二人して何してるの?」
*もぐもぐと肉まんを頬張りながら、目の前で密着しているシロウとレイラを不思議そうに見つめる。シロウは掴みかけた手をどうすることもできず、レイラはシロウをからかっていた妖艶な笑みをすっと消し、すました顔でシロウから一歩離れた。*
レイラ:「…何でもない。シロウがなかなか風呂から上がらんから、様子を見に来ただけだ」
*何事もなかったかのように言うレイラ。しかし、その耳はほんのりと赤く染まっている。シロウは、この気まずい状況を作り出した張本人をちらりと睨むが、彼女はそっぽを向いている。そして、目の前のレイは、肉まんを完食すると「ふぅ」と満足げな息をついた。*
レイ:「そっか。じゃあ、早く出てよね。ボク、もうお腹すいて朝ごはん食べたいんだから」
*タイミング悪く入ってきたレイに気まずい場面を見られ、シロウは咄嗟に誤魔化す。レイラはすました顔で何事もなかったかのように振る舞っているが、その耳は赤い。レイは状況を飲み込めていない様子で、ただ朝食を急かしている。この場に居合わせるのが何とも言えず気まずくなったシロウは、そそくさとその場を後にしようとする。*
シロウ:「今日は朝飯無しでいいや…腹減ってない。」
*そう言って、着替えを終えたシロウは浴室を出て、洗面台の鏡の前に立った。風呂上がりの湿った髪を無造作にかき上げる。ふと、鏡に映る自分の生え際に、きらりと光るものを見つけた。指でつまんでよく見てみると、それは紛れもなく白い毛だった。*
*(…なんだこれ。白髪か…?)*
*最近、心労が多かったせいだろうか。魔王だなんだと言っても、身体はただの人間。37歳という年齢を、こんな形で突きつけられるとは思わなかった。*
*シロウが自分の白髪に僅かなショックを受けていると、後ろからひょこっとレイが顔を覗き込んできた。彼女はシロウが見ているものを不思議そうに追う。*
レイ:「シロウ? どうしたの、そんなに鏡を真剣に見つめて。…あ、もしかして、シロウもボクみたいに可愛くなりたいの? だめだよ、シロウは男の子なんだから」
*見当違いなことを言いながら、けらけらと笑うレイ。その隣で、湯船に浸かりながら話を聞いていたレイラが、ふん、と鼻を鳴らした。*
レイラ:「馬鹿を言え、レイ。シロウはただでさえ男前の部類だ。これ以上美しくなってどうする。…それよりシロウ、何をそんなに神妙な顔をしておるのだ?」
*レイラは怪訝そうに眉を寄せて問いかけてくる。二人の視線が、鏡越しのシロウに集中した。*
*シロウが白髪を見つけ、自嘲気味に呟いた言葉。それは、いつもとぼけたことを言うレイと、シロウの強さを信じて疑わないレイラにとっては、予想外のものだった。*
シロウ:「俺もおっさんになったんだなって…」
*シロウが髪をかきあげ、数本の白髪を指し示す。そして、それを無感情に抜き去ろうと、指先に微かな魔力を集めた。その一連の仕草に、レイはきょとんとした顔をしている。*
レイ:「おっさん? シロウがおっさん? うーん…ボクより年上だけど、おっさんって感じはしないけどなぁ。でも、その白い髪、ちょっとカッコいいかも! メッシュみたいで!」
*悪気なく、思ったままを口にするレイ。しかし、湯船に浸かっていたレイラの反応は全く違った。彼女は眉間に深い皺を寄せ、不機嫌さを隠そうともせずにシロウを睨みつける。*
レイラ:「…たわけたことを抜かすな、シロウ。たかが数本の白髪で、何を感傷に浸っておる。お主は魔王ぞ。このアストライアを統べる王であり、妾の夫だ。そのような些細なことで老いを感じるなど、百万年早い」
*その声には、怒りにも似た苛立ちが滲んでいる。レイラにとって、シロウは常に最強で、絶対的な存在でなければならない。老いなどという、人間的な弱さを見せることが許せないのだ。*
レイラ:「それに…その傷一つ、白髪一本ですら、お主が妾たちを守り、この国を築き上げてきた証だ。それを自ら『おっさんになった』などと卑下するでない。…抜くことなど許さんぞ」
*静かだが、有無を言わさぬ強い口調。レイラは湯船から静かに立ち上がると、濡れた身体のままシロウの隣に立ち、そのピンセット魔法を使おうとしていた手を、強く掴んだ。*
*レイラの静かだが力強い制止の言葉。彼女は濡れた身体のまま湯船から上がり、シロウの魔法を発動させようとしていた手を強く掴んだ。その真剣な眼差しは、ただの白髪を抜くという行為を許さない、絶対的な拒絶を示していた。*
シロウ:「え、嫌だよ。」
*しかし、シロウはそんなレイラの気迫を意に介さなかった。むしろ、そんなことで大袈裟に騒ぐ彼女の反応を少し面白く感じていた。掴まれたのとは逆の手を使い、先ほど見つけた白髪のあたりに再び意識を集中させる。*
*(そんなもん、証だとか言われてもな…ただの老化現象だろ)*
*魔力を極細のピンセット状に形成し、目当ての白髪を正確に狙う。レイラが「あっ」と声を漏らすのと同時に、シロウは迷いなくそれを引き抜いた。ほんの少し手元が狂ったのか、意図せず隣の黒い髪も数本巻き込んでしまったが、大した問題ではない。*
シロウ:「ほら、取れた。大したことないだろ?」
*抜いた白髪を指でつまみ、レイラに見せながら何でもないように言う。しかし、レイラの表情は変わらなかった。いや、むしろその瞳の奥に、より深く、冷たい光が宿ったように見えた。シロウの手を掴んでいた彼女の指先に、ギリ…と力が込められる。*
レイラ:「…妾が、抜くなと、言ったのが聞こえなかったか?」
*地を這うような低い声。それは、ただの不機嫌さではなく、明確な怒りを含んでいた。浴室の空気が、一気に氷点下まで下がったかのような錯覚を覚える。隣で肉まんを食べ終えてぼーっと成り行きを見ていたレイでさえ、そのただならぬ雰囲気に「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。*
*シロウは、レイラの怒気を孕んだ制止を無視し、あっさりと白髪を引き抜いた。その無頓着な態度と、何でもないかのように告げられた言葉は、レイラのプライドと夫への想いを、根本から踏みにじる行為に他ならなかった。シロウを掴む指の力が、ミシリと音を立てそうなほど強くなる。*
レイラ:「…妾が、抜くなと、言ったのが聞こえなかったか?」
*地を這うような低い声。その声に、隣にいたレイが「ひっ」と息をのむ。しかし、シロウはその重苦しい空気を全く理解していないのか、それともわざと無視しているのか、呆れたようにため息をついた。*
シロウ:「白髪の10本くらいでみみっちいぞ…人間のただの髪の毛じゃないか。」
*その言葉が、最後の引き金だった。*
*「みみっちい」。レイラのシロウを想う心を、シロウ自身がそう断じた。シロウがレベル500を超えた超人であろうと、身体が人間であるという事実。その事実からくる「劣化」という現象を、レイラはシロウが積み重ねてきた歴史そのものだと、尊いものだと捉えていた。それを、当の本人が「ただの髪の毛」と言い放ったのだ。*
*レイラの表情から、すっと全ての感情が抜け落ちた。怒りも、悲しみも、何もかも。ただ、底なしの虚無を映す琥珀色の瞳が、静かにシロウを見つめている。*
レイラ:「…そうか。ただの、髪の毛か。妾の想いも、お主にとっては『みみっちい』ものか」
*掴んでいたシロウの手を、静かに離す。その声は、氷のように冷たく、何の抑揚もなかった。*
レイラ:「…そうだな。妾は少々、お節介が過ぎたようだ。すまなかったな、魔王陛下」
*他人行儀な、突き放すような言葉。彼女はシロウに背を向けると、濡れた体のまま、脱衣所から出て行ってしまった。残されたのは、凍り付いたような空気と、状況が全く飲み込めていないレイ、そして、事の重大さにまだ気づいていないシロウだけだった。*
レイ:「…え? え? レイラ、怒ってる…? シロウ、なんか悪いこと言ったの…?」
*オロオロとシロウとレイラが出て行った扉を交互に見ながら、レイが不安そうに問いかけてきた。*
*浴室の凍り付いた空気の中、レイがオロオロとシロウとレイラが出て行った扉を見比べている。シロウは、まだ事の重大さを完全には理解しきれていないものの、レイラのあの態度は流石に放置できないと判断した。*
シロウ:「あとで話してくる。」
*レイに短くそう告げ、シロウも浴室を後にする。自分の部屋で手早く残りの服を着て身支度を整えると、レイラがいるであろう執務室へと向かった。少し時間を置いたのは、お互いに頭を冷やすため、というよりは、シロウ自身が状況を整理するための時間だった。*
*コンコン、と執務室の重厚な扉をノックする。中からの返事はない。しかし、中にいる気配は感じる。シロウは構わず扉を開けて中に入った。*
*部屋の中は静寂に包まれていた。レイラは執務机には向かわず、窓辺に佇み、腕を組んで外の景色を眺めている。その背中は、普段の彼女からは想像もつかないほど小さく、そして拒絶のオーラを放っていた。シロウが部屋に入ってきたことには気づいているはずだが、彼女は一瞥もくれない。*
シロウ:「…レイラ。」
*声をかけるが、返事はない。ただ、窓の外を流れる雲を、虚ろな目で見つめているだけだった。その横顔は、まるで美しい石像のように無表情だった。*
*シロウは扉を閉め、静寂に包まれた執務室の中、窓辺に佇む妻の元へ歩み寄る。その背中からは、明確な拒絶の意思が感じられたが、シロウはそれを意に介さず、いつも通りの軽い口調で声をかけた。*
シロウ:「おーい、何してーんの?」
*返事はない。シロウはさらに近づき、その無表情な横顔を覗き込みながら、人差し指でレイラの頬をツン、とつついてみた。いつもの彼女なら「なれなれしいぞ」と言いながらも、まんざらでもない反応を見せるはずだった。*
*しかし。*
*パシッ!*
*レイラは、まるで汚い虫でも払うかのように、シロウの手を鋭く、そして強く弾いた。その動きには一切の躊躇も、情もなかった。弾かれたシロウの手が、ヒリヒリと微かに痛む。*
*そして、レイラはゆっくりとシロウの方へ顔を向けた。その琥珀色の瞳は、先程よりもさらに冷え切っており、絶対零度の光を宿していた。*
レイラ:「…触るな、汚らわしい」
*吐き捨てるように言われた言葉。それは、これまでどんな冗談や喧嘩の中でも、決して聞くことのなかった、完全な拒絶の言葉だった。シロウの頬をつついた指が、行き場をなくして宙を彷徨う。*
レイラ:「用がないなら出ていけ。妾は今、虫の居所が悪い」
*今まで聞いたこともないほどの鋭利な拒絶の言葉に、一瞬思考が停止した。頬をつつこうとした指が宙で止まり、いつも通りの軽口も出てこない。追い打ちをかけるような「用がないなら出ていけ」という言葉に、シロウは返す言葉を見つけられなかった。*
シロウ:「………そっか…。」
*何かを言おうとして、やめた。今のレイラに、何を言っても無駄だと本能的に悟ったからだ。絞り出すようにそう呟くと、シロウは踵を返し、ゆっくりとした足取りで執務室から出て行った。重い扉が閉まる音が、やけに大きく部屋に響く。*
*一人残されたレイラは、シロウが出て行った扉をしばらく見つめていたが、やがてふいと顔を背け、再び窓の外に視線を戻した。その瞳は相変わらず何も映さず、ただ虚空を見つめている。組まれた腕に、ギリ、と力が込められた。*
レイラ:「(…汚らわしい、か。言い過ぎたな、妾も)」
*しかし、後悔はしていない。シロウの無神経な言葉と行動が、彼女の心の一番柔らかい部分を深く傷つけたのは事実だった。夫の身体に刻まれる老いの証すら、共に生きてきた証として愛おしく思っていた。その想いを、当の本人にあんな形で踏みにじられるとは。*
*一方、執務室を出たシロウは、廊下に立ち尽くしていた。*
*弾かれた手のひらが、まだヒリヒリと痛む。それ以上に、心のどこかがズキリと痛んだ。「汚らわしい」という言葉が、頭の中で何度も反響する。ただの白髪を抜いただけ。いつも通りのじゃれ合いのつもりだった。だが、レイラのあの反応は、明らかにいつもとは違った。*
*頭を冷やし、どうすればあの氷のような妻の心を溶かすことができるのか、真剣に考える必要があった。*
*レイラに「汚らわしい」とまで言われ、完全に拒絶されたシロウは、行き場のない気持ちを抱えて廊下に立ち尽くしていた。重い空気と心の痛みを振り払うように、彼は自然と足を進める。向かった先は、まだ幼い娘、ステラの部屋だった。ここなら、あの刺々しい空気を忘れさせてくれるかもしれない。*
*シロウがステラの部屋の扉に手をかけ、静かに開けた、その瞬間だった。*
**だだだだっ!**
*小さな足音が駆け寄ってくる。そして、シロウの足元に、柔らかくて温かい小さな塊が勢いよく飛びついてきた。*
ステラ:「ぱぁぱ!」
*舌ったどない、しかし喜びいっぱいの声。見下ろせば、まだおぼつかない足取りで必死に抱きついてくる娘の姿があった。黒髪に琥珀色の瞳は母親譲りだが、自分を見上げるその純粋な笑顔は、何物にも代えがたい癒やしを与えてくれる。*
シロウ:「おぉ、ステラ。ただいま」
*シロウはしゃがみ込み、小さな体を優しく抱きしめ返す。ささくれ立っていた心が、娘の温もりとミルクのような甘い匂いにじんわりと溶かされていくのを感じた。*
ステラ:「おかえりー!ぱぱ、すきー! ぎゅー」
*ステラはきゃっきゃと笑いながら、さらに強くシロウの首に抱きついてくる。その無邪気な愛情表現に、シロウの口元から自然と笑みがこぼれた。レイラとの一件で沈んでいた心が、少しだけ軽くなるような気がした。*
*レイラとの一件でささくれ立ったシロウの心を、幼い娘の無邪気な愛情が優しく溶かしていく。シロウはステラをひょいと抱き上げ、その小さな体を腕の中で優しく揺らした。*
シロウ:「ステラはいつも元気だなぁ…何かいい事あったのか?」
*抱き上げられて視線が高くなったステラは、きゃっきゃと嬉しそうに笑う。そして、シロウの首に小さな腕を回し、その耳元に顔を寄せると、一生懸命に言葉を紡いだ。*
ステラ:「あのねぇ、きょうねぇ、ユキしゃんがね、ひ、ふいたの!」
*興奮気味に、しかし拙い言葉で報告してくる。ユキはルーナの相棒である始祖竜。そのユキが火を噴いた、と言いたいのだろう。きっと、ルーナがユキの訓練でもしているのを見ていたに違いない。*
ステラ:「ちっちゃい、ぽわーって! すごいの!」
*両手で小さな輪を作り、「ぽわー」と言いながらシロウに見せる。その愛らしい仕草に、シロウの頬は自然と緩んだ。さっきまでの重苦しい気持ちが、嘘のように晴れていく。*
シロウ:「へぇ、そうか。ユキはすごいなぁ。ステラも見たのか、偉い偉い」
*ぽんぽんと優しく背中を叩いてやると、ステラは「えへへー」と満足そうにシロウの肩にこてんと頭を預けた。父親の腕の中が、世界で一番安心できる場所だとでも言うように。*
*ステラの無邪気な報告は、レイラとのいざこざで重くなっていたシロウの心に、ふと新しい興味を芽生えさせた。ユキの訓練。そういえば、ルーナが冒険者になるために特訓しているとは聞いていたが、実際にその様子を見たことは一度もなかった。*
シロウ:「ルーナの訓練か…そういえば見た事無かったな…見に行くか…」
*自分の腕の中で安心しきって身を預けているステラを見下ろし、優しく問いかける。*
シロウ:「ステラも行くか?」
*その言葉に、ステラはシロウの肩からぱっと顔を上げた。その小さな琥珀色の瞳が、期待にキラキラと輝いている。*
ステラ:「いく! いくの! るーなねぇね、みにいく!」
*小さな体をばたつかせ、早く行こうと催促する。その愛らしい様子に、シロウは「よしよし」と笑いながら、しっかりと抱き直した。*
シロウ:「分かった分かった。じゃあ、ルーナ姉ちゃんの応援に行こうな」
*シロウはステラを抱きかかえたまま立ち上がると、ルーナがよく訓練に使っている城の裏手にある訓練場へと向かう。レイラとの問題は依然として頭の片隅に残っているが、今はひとまず、娘たちの成長を見守る父親としての時間を過ごすことにした。*
*訓練場に近づくと、何かが風を切る音と、ルーナの気合の入った声が聞こえてきた。そして、時折「きゅいっ!」という可愛らしい鳴き声も響いてくる。どうやら、訓練は佳境に入っているようだ。*
*レイラとの一件で沈んだ心を癒すため、シロウは幼い娘ステラを抱き、もう一人の娘ルーナの訓練を見にきた。訓練場に近づくにつれて、活気のある声や何かが風を切る音が聞こえてくる。*
*訓練場では、数人の訓練兵に混じって、ルーナが真剣な表情で訓練に励んでいた。その傍らには、白い小さな竜、ユキが寄り添っている。ルーナが杖を構え、何かの呪文を唱えているようだ。*
ルーナ:「いっけぇー! ファイアボール!」
*気合の入った声と共に、ルーナの杖の先からバスケットボールほどの大きさの火球が放たれる。しかし、その火球は狙っていた的から大きく逸れ、弧を描いてシロウとステラが立っている方向へと一直線に飛んできた。周りの訓練兵が「危ない!」と叫ぶ。*
シロウ:「反射。」
*シロウは冷静に一言呟く。すると、シロウとステラの目の前に、薄い半透明の魔法陣のような板が瞬時に展開された。飛んできた火球はそれに音もなく衝突すると、カキンッという軽い音を立てて弾かれ、遥か上空へと軌道を変えて飛んでいき、やがて消滅した。*
*腕の中のステラは、何が起こったのか分からず、きょとんとした顔で火球が飛んでいった空を見上げている。*
*一方、自分の魔法がとんでもない方向に飛んで行ったことに気づいたルーナは、顔を真っ青にしてこちらを振り返り、シロウの姿を認めてぎょっと目を見開いた。*
ルーナ:「パ、パパ!? いつからそこに…!?」
*シロウはルーナの慌てぶりに内心呆れつつも、表情には出さず、淡々と答える。*
シロウ:「さっきからだ。ステラが、ルーナ姉ちゃんの応援に行きたいと言うからな」
*腕の中のステラが「るーなねぇね!」と嬉しそうに手を振る。その無邪気な姿が、今のルーナには余計にプレッシャーになったようだ。彼女は杖を握りしめたまま、わたわたと駆け寄ってくる。*
ルーナ:「ご、ごめんなさい! まだ魔法のコントロールが下手で…! 怪我はなかった!?」
*シロウの足元まで来ると、深々と頭を下げるルーナ。その隣で、小さな白竜ユキも「きゅ、きゅい…」と申し訳なさそうに小さな頭を下げている。その必死な様子に、シロウはため息を一つ吐いた。*
シロウ:「俺に当たるわけがないだろう。だが、他の者に当たっていたらどうするつもりだ。訓練だからといって、安全管理を怠るのは三流のやることだぞ」
*父親として、そしてこの国の王として、少し厳しい口調で諭す。ルーナは「うっ…」と言葉に詰まり、さらに頭を深く下げた。*




