憲兵が来るまでの我慢
さて、今アリシアの手の内に、これまで数えきれないほど要らない面倒と心労をたっぷり与えてくれた、クズの見本があるわけだ。
「憲兵が迎えに来るまでの我慢ね」
「……と言いますと?」
アリシアの、これ以上ないほど凶悪な顔を覗き込んで、エドガーはヒュンッと、ばね仕掛けの人形のように姿勢を戻した。
ミアからは渋いお茶を煮詰めて凝固させたような、背後にドス黒い煙が立ち上る様子が幻で見えそうな、赤ん坊でも静かに怒っているのが分かるオーラが出ている。
「……うっかり楽にしてしまったらいけないですよね、うっかり踏み過ぎても、過剰防衛とされたらアリシア様が困ります……我慢しないと……」
真顔で呟き続けるミアは、足元に力を込めたり抜いたりを繰り返している。
「スミス嬢、その、一応僕は医者だから、彼の具合を見ても良いかな」
看護師が通報した憲兵が到着する前に、もしかしたら自分が救命措置をしなければいけないのでは……。
いやそれは流石に犯罪だ。
エドガーはドキドキしながら巾着を緩めた。
巾着には実に巧妙な仕掛けがあった。一気に塊肉で出さずに、一部だけ巾着から出して切り取り、残りは巾着の中で保冷や冷凍が出来るらしい。
紐に付けられた目盛りやボタンで調整すると、エドガーに似せたゴムマスクのような残骸が顔に残ったオリバーが、ニョッキリと顔を出した。
「寒い!死ぬ!」
「その程度で死ぬか。医療魔法もあるんだから、喚くなよ五月蝿いな」
ミアの低い声で吐かれた台詞に心当たりでもあるのか、オリバーはゴクリと音を鳴らして唾を飲み込んだ。
「お、俺は悪くな……!!!」
フレイヤが袋を蹴り飛ばしたので、言葉が途中で途切れた。
「んぎょふっ!!」
壁にぶつかった袋は、起き上がり小法師のように縦に回転し、オリバー唯一の取り柄の顔も容赦なく壁に叩きつけた。
「あらヤダ、スカートの裾が上手く捌けなくって、大股開きになってしまったわ」
「フレイヤさん!ちょっと……あの、憲兵が来る前に治したりしたら証拠隠滅を疑われますから!気持ちは分かりますけど我慢して!」
エドガーが叫びながら袋に駆け寄るが、フレイヤはいつも通りに、いやいつも以上に淡々と、能面のような表情で言った。
「隠滅なんてしなくても……。もしここで思う存分蹴って良いなら、私が檻に入っても構いません」
「大丈夫よ、あれはスカートの裾が捌けなかっただけだから」
エリスがそう言って、片手に例の銀色の器具を持ってオリバーの前に立った。
「おい、妙な真似したらちょん切るからな」
「は、はいいぃいいい!」
「出ろ、全身に怪我がないことを見せろ。あと質問には正直に答えろ」
「分かりましたぁあああ!」
念のため、肩より下まで出したあたりで、暴れる患者用のロープで縛り、胴と脚でも縛った。
体育座りになって汗をダラダラ流しながらも、オリバーは今まで弄び好き放題してきた女性たちに囲まれて、すっかり大人しくしていた。
しかしそれは一瞬だった。
「検査をしてみないと分かりませんが、今見た限りでは大きな怪我はなさそうですね」
エドガーの言葉に、オリバーは嘘だ!と叫んだ。
「あんなに痛かったのに!アイツら俺のことを踏んづけたり蹴ったりしたんだぞ!見ろ!あの靴三センチはヒールがある!」
情けない以外に感想が出てこない訴えに、アリシアはエリスから例の器具を奪いそうになったが、なんとか理性を搾り出して耐えた。
「ウッド男爵の差金だろう。どういう指示を受けてきた?」
エリスは冷静に訊ねる。その落ち着きが逆に恐ろしいが、空気を読めない馬鹿には通じないらしい。
「知るかよ!だってメモもくれないんだ、証拠が残るとか言って!それに連絡係だって言う男だって、本当にウッド男爵の手下か怪しいもんだ。俺のことスゲェ馬鹿にして!」
「……もしかして、指示を覚えていないの?」
エリス及び部屋中の人間が、まさかと思ったが、まさかだった。
「〜っだから!メモがないから!あんなの嫌がらせだ!一回聞いただけで覚えられるか!しかもあの男小声でボソボソと聞こえにくいったらない!」
恐らく、ウッド男爵でもここまでオリバーが馬鹿だとは予想出来なかったのだろう。
「覚えていることだけでいいわ……、全て言いなさい」
「五月蝿い五月蝿い!俺を馬鹿にしやがっ分かりました話します!!」
銀色の器具が持ち上げられると、オリバーは自分の立場を思い出したらしい。




