ミアの夢
その日の夜。
アリシアは、自室のベッドの上で毛布にくるまりながら、天井を見つめていた。
ちなみにあの後は教会の馬車で憲兵の建物に連れて行ってもらった。
既に教会から詳細が連絡されていたことと、アリシアの体調から、簡単な質問ののち、すぐにクリニックの寮まで送ってもらえた。
「…………」
頭の中が忙しくて眠れない。
目を閉じると、光景が甦る。
犯人の黒い影に、刃物が風を裂く音。
死ぬ、と思った瞬間。
そして「もう大丈夫です」と言うエドガーの声。
アリシアは毛布を頭まで被った。
「~~~~っ!」
感情の乱高下が激しい。
ミアやレイナルドにからかわれたせいで意識してしまって心臓がうるさい。
「何なのもう、疲れているのに」
今日一日だけで人生三回分くらい感情を動かした気がする。
裁判の緊張感に怒り、
襲撃の恐怖、それからーー。
アリシアは枕に顔を押し付けた。
「無理……」
(きっとアレね、あの、アレ……。そう!恐怖から脳を守るために、能天気なことに意識を逸らしているのよ。だから私がこんな時なのに色ボケているわけじゃないわ、決して……)
「いや色ボケって!」
自分で自分に突っ込みながら、アリシアはジタバタする。
(これはアレよ、私が人と身体的な接触が少なかったから、抱きしめられるという行為に対して免疫がないだけで、一時的な混乱だわ!)
いくらエドガーがいつも穏やかで、貴族かつ医者ということもあり知的で、それでいて特権階級として驕らず、苦労も顧みずにアリシアを守ってくれたからと言って決して恋をしているわけではない筈だ!と思えば思うほどにエドガーの魅力を羅列して、アリシアのジタバタは増していく。
「だってこんな時に、そんなお花畑なこと……」
コンコンとノックの音がした。
「っ、はい!どうぞ!」
慌てて身なりを整えて返事をする。
そろそろとドアが開き、ミアが顔を覗かせた。
「すみません、起こしてしまいましたか?」
「いいえ、全然。目が冴えちゃって」
「やっぱり」
ミアはパタパタと小走りでアリシアのベッドに寄ると、ポンと腰掛けた。
令嬢として育てられたアリシアには驚くことだったが、特に嫌な感情はなかった。
ミアはそのまま後ろに倒れると、横に転がって、ベッド横に置かれた椅子の上に手を伸ばした。
「あっ」
「襲撃対策って、アリシア様、お気持ちは分かりますけど、今日くらい休みましょうよ。
おお凄い、護衛企業のラインナップに目安予算……」
「だって襲われるかもしれないと思いながらも、可能性が低いと思って具体的に対策をしていなかったんだもの。
ウッド男爵は檻の中で、外部のそういう反社会的勢力と連絡は取りづらい筈だし、ブラウン公爵も犯罪まで手を染めるほど資金もないしって……。
でも、そのせいでまた皆んなに迷惑を……。ミアだって怖かったでしょう?」
「アリシア様は真面目すぎるんですよ」
アリシアに見つめられたミアは、寝転がったまま呆れたように言った。姉が妹を叱る時にように。
「アリシア様の方がよっぽど怖かったでしょう?」
その言葉に、アリシアは少し黙った。
そういう感情を外に晒すのは恥だと教え込まれてきたからだ。
でも、甘える猫のようにアリシアのベッドの上でごろんとしているミアを見て、アリシアは取り繕う方がおかしいような気がした。
困ったような拗ねたような声で、小さく答えた。
「怖かったわ……」
ミアは何も言わず、アリシアをぎゅっと抱きしめた。
「私もです」
その声は震えていた。
「アリシア様が血まみれになるところ、想像しちゃって……」
アリシアは目を見開いた。
ミアはまた、自分のことではなくアリシアのことを心配している。
刃物を持った男がこちらに向かってきていたのに、自分が刺されるかもしれないと思った筈だ。
思考しなくても、危機感はそう感じた筈だ。
それなのに、ミアから出てくるのはいつも自分ではなくアリシアを気遣うこと。
「……ごめんなさい」
「何で謝るんですか、アリシア様は悪くないのに」
「でも、私の事情に巻き込んでしまったから……」
「またそれですか!」
ミアが勢いよく顔を上げた。
「アリシア様、今日何回『自分が悪い』って考えました!?」
「えっ」
「絶対いっぱい考えましたよね!?」
ミアはじとっと睨む。
「ダメですからね。今後『全部自分のせい病』が発症したら、パン生地に顔から突っ込みますからね!」
「ええっ!?」
「アリシア様の顔を型どったパンを焼いて、寮の皆んなで食べます!」
「やめて!恥ずかしい!」
「アリシア様可愛いですから、うまいこと跡が付けられるなら売れそうですよね」
「嘘でしょう!?毎日私ハンコみたいにパン生地に顔くっ付けるの!?」
アリシアはミアの発言にギョッとしてオタオタと慌てた。
その表情の変化を見て、ミアは安心したように笑う。
「……でも、良かったです」
「何が?」
「院長先生がいてですよ〜」
アリシアの顔が瞬間湯沸かし器のように熱くなった。
「なっ……」
「いやあ、あれは格好良かったですねぇ」
ミアはニヤニヤしている。
「バッ!って庇って!片手で抱き寄せながら!魔法の杖でガキィン!!ですよ!しかもその後、『もう大丈夫です』ですからね。あれは王子様みたいですね」
「もう!やめてって言ってるでしょう!?」
アリシアは枕を投げた。
ミアはきゃっきゃ笑いながら受け止める。
「だって本当に素敵でしたもん。あれは恋しますよ」
「してないわ」
「まだ?」
「ミア〜」
「はい、すみません」
全然反省していない顔だった。
少し沈黙が落ちる。
窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。
やがてミアが、小さな声で言う。
「でも、アリシア様」
「……何?」
「頼っていいと思いますよ」
アリシアは瞬きをした。
「今まで、アリシア様ってずっと一人で戦ってたじゃないですか」
「……」
「誰かの尻拭いばっかりして。傷ついた人のフォローして。家も婚約者も支えて。自分が倒れそうでも働いて」
ミアはアリシアを見つめる。
「でも、人って一人じゃ無理ですよ」
「……」
「私、アリシア様が初めて『怖かった』って言ってくれて、ちょっと嬉しかったです」
「嬉しい?」
「頼ってくれた気がしたから」
アリシアは何も言えなかった。
頼るというその言葉は、アリシアにとってまだ少し怖いものだった。
期待すれば、失う。
それがアリシアの人生だった。親や兄弟に愛情を期待して、学校に入れば友人や理解者が出来るかもしれないと期待して、婚約者と素敵な家庭が築けるのではと期待して、実現させるために耐えて、学んで、働いて、貢献して、それでも駄目だった。
それは今日の裁判で嫌というほど改めて実感したことだった。
アリシアが期待した婚約者は屑で、アリシアの忠告などほんの僅かも気に留めていなかった。
アリシアが良かれと思った女性たちへのフォローは、その場限りでは良かったかもしれないが、被害者を増やす結果になった。
けれど。
今日、エドガーに抱き寄せられた瞬間、安心したのも事実だった。
ミアがこうして、自分だって疲れているのにアリシアを気遣ってくれるのも、叱咤してくれるのも、嬉しかった。
これからも期待して良いのだろうか。
何かこの幸せの代わりに恐ろしいことが起きはしないだろうか。
ミアがころん、と仰向けになる。
「私、将来の夢いっぱい出来ました」
「いっぱい?」
「パン屋は勿論やりたいですし、女の人が安心して働ける場所も作りたいですし」
「ええ」
「あと、アリシア様が幸せになるところ見たいです」
アリシアは音が拾えなかったかのように固まった。
「……私?」
「はい」
ミアはうんうんと頷く。
「だってアリシア様、自分のこと後回しにしすぎです。もっと欲張りで行きましょう。私アリシア様が幸せでメロメロな顔を見るまで追いかけますよ?」
その言葉は、不思議と胸に心地良く馴染んでいった。
イッヒッヒとイタズラな笑顔のミアを見ていると、そんな日々が本当に訪れるような気がした。




