アリシアの証言
「アリシア・グレイ侯爵令嬢。前へ」
裁判所の空気は、凄いことになっていた。
お通夜のような、皆頭上に重しでも乗せられているかのような重たく暗い雰囲気だが、今までにない裁判の進行に不安や心配がモヤのように漂っている。
休憩が長かった間に、今日はここで中断して続きは別日になるのではという話し声が聞こえ、それもあり得るとアリシアは考えていた。
裁判官が倒れたという話は、少なくともアリシアは聞いたことがなかった。
医療魔法が進み、その分暴力も苛烈になったと聞くことはあった。
そうアリシアも、あのクソ馬鹿野郎のおかげで、お相手の女性に裁判の可能性を提示された際に情報をインプットしていたのだ。
医療魔法によって綺麗に傷が治せるという知識は、暴力的な加害者を
「これくらいの怪我をさせても、どうせ魔法で綺麗に治るだろう」という心理にさせるのだそうだ。
そのため親世代の暴力事件と最近の暴力事件とでは、加害者側の意識が罪の割には薄いということも知っていた。
であれば、殺人などの事件では酷い暴力の証拠も提示されているのではと思うのだが、何故そうした証拠を職業柄多く見聞きしているであろうリンドバーグ裁判官が倒れたのか。
(方向性が違うのよね、きっと。……想像したくもないけれど、殴る蹴るというものではないんだわ、もっと心を抉るような……)
ミアの扇子があって本当に助かった。もし手の中の扇子がミシリと音を立てて教えてくれなければ、アリシアは凄まじい表情で入廷するところだった。
アリシアは深呼吸をした後、繕いなれた令嬢然とした表情に整えて証言台に向かう。
傍聴席が見えた。席は飛び飛びだが、レイナルドとエドガーがいる。レイナルドは扇で口元を隠し、アリシアに対しての怒りではないと分かるが、目が異常に鋭かった。エドガーは穏やかな表情を保っていたが、膝の上に置かれた手は固く握られていた。
アリシアは静かに前を向いた。
その細い背中に視線が集まる。
同情、好奇、期待。そのすべてを、アリシアは背筋を伸ばして受け止めた。
リンドバーグではない裁判官、ガイル子爵裁判官が低い声で告げた。
「貴女は、オリバー・ブラウン次期公爵の『元』婚約者として、彼の人格と日頃の行いについて証言を求められている、嘘偽りなくこの場で……」
その瞬間、傍聴席からざわつきが起こり、ブラウン家の弁護士がいよいよ魂が抜け切ったように息を吐いて机に崩折れたのが見えた。
(弁護士の先生、貴方まで本当に私がオリバーなんかのために働くと思っていたのかしら。
公爵とあの法律に違反しないと死ぬ馬鹿が言うからとりあえず私に証人を頼んだのかと思ったけど……)
確かにブラウン家は歴史ある名家であり、公爵という地位と、貿易相手として優れた隣国に接する領地を持っている。
領地自体に、質の良い魔鉱石が採掘出来る鉱山という魅力があった。
その上、魔瘴気漂う山や魔物が出る森がある地理的関係で、他の貴族の領地は隣国に接していなかったから、慣例としてブラウン家が隣国との商売を独占していた。
今までは順風満帆だった。多少波はあっただろうが、大きくしくじることさえなければ、特に困ることなく運営していける領地であり、人が勝手に頭を垂れるほどの血筋だったに違いない。
魔法技術の発展が一気に状況を変えたのだ。
世の中は貴族の血筋でも、代々踏襲してきたやり方でもなく、魔法技術をという便利さを活かし、その価値を貴賎なく多くの人々に行き渡らせる商人が力を持つようになった。
「グレイ嬢……!」
オリバー側の弁護士が悲鳴のように名を呼びながら、ガバリと勢いよく立ち上がった。
「弁護人、貴方に発言を許可していません!席に座ってください!」
ガイル子爵裁判官の言葉など聞こえていないように、弁護士は頭を振ってアリシアに問い掛ける。
「貴女はブラウン家の証人です。どういうことですか!?『元』婚約者!?そんな連絡は……」
「はい、婚約解消のお手紙は教会から互いの家へ一週間程度で届くそうです。ただ程度ということですので、郵送の都合や教会のお仕事の都合次第では、それ以上掛かることもあるそうですね」
勿論アリシアは枢機卿猊下に裁判の日時を伝えていた。そして察しの良い枢機卿は、
「うーん、特例の婚約解消という非常に珍しい許可の書類になるので、通常の手紙より遅くなると考えてほしいなあ」と言っていた。
だが同時に教会は、法務大臣に金貸し業の報告をする必要があり、枢機卿の使いは裁判に必要な情報だろうからと、直接法務大臣に特例の報告をしていたのだった。
「裁判所に報告出来て、ブラウン家に報告出来ぬ筈が!」
「弁護人静かに!それについては教会から法務大臣に特例の報告があっただけです。グレイ嬢がブラウン家に情報を隠し、こちらにだけ報告したのではありません。
また、余計なトラブルを防ぐために通常正式な書類が手元にある状態での報告が望ましいとされています。」
弁護士はんぐぐぐという唸るような声を喉から出して着席した。
(そういえばリンドバーグ裁判官は事前に知っていたと思うのだけど……、きっと借金の取り立てでブラウン家に伝えるどころじゃなかったのね。
どうせ枢機卿猊下が許可されたなら覆すことなんて出来ないのだし、それなら裁判当日に知ろうが、数日前に知ろうが結果は変わらないわ)
そもそも本来裁判官は、身内にも裁判に関する情報を伝えてはいけないのだから、自然ではある。賭け事で首が回らなくなるようなリンドバーグにしては倫理観のある行動になってしまったが。




