温かい手
「検察側の証人を呼ぶ前に、今回特例措置を取ることを報告します。
オリバー・ブラウン公子がウッド男爵を介して他にも同意なく女性を売買していたこと、同意のない複数の女性に対し、常習的に性犯罪を行っていた証言をしてもらうため、被害者の女性を呼んでいます。
傍聴人には見えないよう三方に壁を作りますが、我々裁判長〜裁判員、そして正面に立って質問をする弁護人と検察官には顔が見えるようになります。
ご存知の通り、この会議場には多くの魔法が掛けられており、証人が他人と入れ替わることは不可能であるため、証人が我々が呼んだ当人であると断定する。
証人の今後の生活を考え、我々は彼女たちの名前を呼ばずに裁判を続ける。
ここに、特定の文言、次の証人二名の氏名を呼ばないことを宣言し制約魔法を展開する!」
休廷の間に設けられた衝立にざわついていた傍聴席は更にざわつきを増した。
この国では顔を晒して行うからこそ真実を話しているという暗黙の了解のようなものがあった。
「静粛に!」
王弟殿下の大声で静まったものの、雰囲気は未だ落ち着かない様子があった。
アリシアの背中に視線が刺さる。もし物理的な矢で示したら、きっとアリシアは山嵐のようになっているだろう。
上質な布がかかった大きな箱が運ばれてくる。衝立の前で停止し、傍聴席からは見えないが、一人の元伯爵令嬢が証言台に立った筈だ。
アリシアは、そっと扇子を握る手を摩った。レースの手袋の下の手の甲は、エドガーが治してくれたが、まだ痛むような錯覚に襲われた。
伯爵家に赴いた日、令嬢の母親にフォークで刺されたからだ。
◇◇◇
たかが一夜の過ち、浮気は男の甲斐性。そういう風潮があることは理解している。
でもその仕方がない筈の男の嗜みの相手が、自分の娘であるのは我慢ならない。
人間とは一貫性のない生き物だ。
アリシアは自分の手の甲にフォークが生えている様子に、脳が処理できず固まってしまった。
ぷつっとフォークの棘の横から血が丸く溢れてくる。
「グレイ嬢!」
「グレイ様!」
エドガーがアリシアの手を強く押し、出血を押さえながらフォークを抜いた。
「あああああああああ!!!!!」
痛みが強く波のように押し寄せた。痛みは即座に腕から脳まで駆け抜けて、反射的に脚が突っ張り、腕が痛みから逃れるように大きく跳ねた。
白いテーブルクロスに乗った、可愛い細工の付いた皿。その上の美しいケーキ、その後ろに、肩を震わせている伯爵夫人が、涙を流しながら、アリシアを罵っていた。
「これは暴力だ!刑事事件ですよ!夫人!元々グレイ嬢に非はない。悪いのはブラウン……」
「非がないですって!?よくも抜け抜けと……。そこの女が婚約者の手綱を握らないからでしょう!諸悪の根源よ!そこの女がちゃんと世話していれば良かったのよ!うちのレベッカが何をしたって言うの!傷モノにされて……!どんなに怖かったか……!」
「お母様だって、お父様と私の手綱を握れていないじゃない」
静かにその場の空気を変えたのは、レベッカ・ターナー子爵令嬢だった。今はアリシアの仲介で西側の隣国の伯爵と婚約している。
艶やかな黒髪を結い上げ、首まで隠れるクラシカルなワンピースを着ていた。髪と同色の瞳は長い睫毛の下で少しばかり憂いをたたえていた。
この母親に似て癇癪持ちなようにも、父親に似て奔放なようにも見えなかった。とても真面目で話が出来るように見える。事実そうだった。
彼女はオリバーの浮気相手になどなりたくなかった。
「お父様は、娘が傷モノになった件の話し合いだって言ったって出て来ないじゃない。今だって愛人の家でしょう?
娘の私も勝手に怪しい夜会に行ったわ。
お母様が早く結婚しろと急かして脅して、そして私の意見なんか聞かず、自分の物差しで縁談を次々持ってくるから。
爵位が高かったり、領地や仕事の条件が良い方々ばかりだったわ。でも三人母親の違う子供がいるとか、実は賭け事や色事で借金が嵩んでいるとか、お父様より年上でご病気を抱えているとか……。
良いと思える男性と全く出会えなくて、このままじゃ結婚が人生の墓場になるんじゃないかってゾッとしたの。
自分で相手を見つけなきゃって思った。」
レベッカはテーブルの下で強く手を手を握った。
アリシアもエドガーも、レベッカに同情したが、母親の方はまだギャンギャンと自分の正当性を叫んでいた。
余程喉が丈夫らしい。
レベッカは聞く耳を持たない母親を憐れむような視線を向けながら、続けた。
「そんな時にパーティーで会ったウッド男爵は口が上手くて、少なくともビジネスについては新しい考えを持っていて、良い人に思えたの。
きっと良い縁があると思ったのよ、まさか『二人で話してみて』が、そういう意味だったなんて……後からウッド男爵が出てきて、ブラウン公子が払った金から数枚を押し付けられて、これで何もなかったことにって言われて……。訳が分からなかった……」
アリシアは瞼をキツく閉じた。あの時、アリシアはレベッカに深く事情を聞かなかった。
どのようオリバーに弄ばれたのか分からないまま、「一晩遊ばれた」という表層の情報で対応していた。
貴族令嬢にとって、その情報だけでも致命的で、犯人の婚約者などがそれ以上踏み込んで良いとは思えなかった。
それでももし、あの時レベッカにもっと寄り添っていたら、話は違ったのだろうか。
「レベッカは悪くないわ!」
ターナー夫人は髪を振り乱して顔を横に振った。
「お母様、よく聞いて。お母様はいつも私の話を聞いていないの。私が言いたいのは、自分が出来もしないことを他人に強いてはいけないということよ。しかも暴力まで奮って」
「暴力!?こんなフォーク程度のちょっとした傷と、レベッカの傷では比較にならないわ!」
レベッカは深く深く溜め息を吐いた。
「グレイ様、誠に申し訳ありません。やはり母に話は通じないようです。お怪我をさせてしまい、お詫びのしようもございませんが、せめてどうぞ治療費はご請求くださいませ」
レベッカが椅子から立ち上がり、二つ折りになる程深く頭を下げた。
アリシアはエドガーに魔法薬を振りかけられ、痛みに歯を食いしばりながら、それでも頭を横に振った。
「いいえターナー様、私はあの時ブラウン公子を止められませんでした。私の力不足をお詫びいたします」
アリシアは椅子から立ち上がり、そしてヨロヨロと頭をレベッカよりも下げようとした。
「おやめください。グレイ様が、どんなに頑張ってくださっているか、新聞伝手ですが存じております。奴らの行いは私たちだけで止められるものではありませんでしたわ」
「でも、ターナー様は……」
「私もグレイ様も悪くありません。私の心の傷はきっと一生続きますが、グレイ様がこの国の外に縁を繋いでくれたので、この国での評判が些か悪かろうとそれ自体は平気です。
この通り実家にも強い思いはございませんし」
レベッカはアリシアの手を取った。母親が傷つけ、まだ治りきらない傷跡を摩った。
「私が、ブラウン家に抗議に行った日、グレイ様が肩を摩ってくれた時、何故かそこだけ温かい気がしました。それだけでも、寄り添ってくれる人がいるだけでも救われるものですわ」
レベッカの母親は、レベッカの台詞の一つ一つを拾っては噛み付いていたが、レベッカはもう全く聞いていなかった。
「私は証言台に立ちます。夫は私がそうしたいなら応援すると言ってくれました」
「夫!?あの文化の遅れた西側の伯爵とお前、結婚など許さないと言ったでしょう!お父様は何も考えずに承諾したけれど、教会には婚約破棄の申請書を提出してあるのよ!」
レベッカは母親にようやく向き直った。
「大丈夫よ、私はもう西側の人間だから。婚約の申請もそっちの国で出したし、婚姻届もそっちで出したわ。今日から私はレベッカ・シュナイダーよ」
「おめでとうございます!!!」
アリシアはレベッカの手をすり抜け、逆に手を握り返した。
「有難うございます、アリシア様。いつもあなたは暖かいですね」




