愛のない家族はこれ以上要りません
「それでは、グレイ嬢が個人的な恨みつらみや、自分にだけ都合の良い嘘なんてことは言わないのは知っている。
更にお持ちのファイルは王城で使用されているものだね?どうして外部に持ち出せたのかは聞かないでおこう。
その人物からは早めに『回収』した方が良いということだね」
さすがは貴族を大幅に味方に引き入れ、治安の改善や犯罪者の更生などの観点で国とも協力関係を築いた政治力の鬼でもある枢機卿だ。
ファイルの小さな紋様に気付き、アリシアの意図を看破し、その上で「個人的な利用ではないと信じている」という柔らかい圧も忘れなかった。
「仰せの通りです。王城秘書様たちの中で、王族の方々と接触させてはならないとマークされている人物です。賭け事、賄賂、『昨今話題となっている違法風俗店』の利用などで、教会に借金をしている貴族の風上に置けない人物ですが、恐ろしいことに職業が裁判官なのです」
アリシアはテーブルの上にファイルを広げて、枢機卿に分かりやすく該当の箇所を示した。
枢機卿の柔らかい圧には勿論気付いているが、アリシアに疚しいところはない。
確かに権力者である枢機卿と縁があることを利用していると言えるかもしれないが、民の税金や教会のお金でこのような悪事を働いている裁判官を、枢機卿に報告するという行動に間違いはない。
「ふーむ、なるほど。職業の安心感から借り入れの理由を聞くのが甘くなってしまったかな。これは担当した職員によく聞いておかねばね」
そう言ってファイルを受け取った枢機卿は秘書たちに鋭い視線を向けた。
秘書に一人はファイルを覗き、頷いて去って行った。
阿吽の呼吸というような、訓練されている動きだった。
「さてグレイ嬢、昨今話題の違法風俗店に出入りするのに教会の金が使われたとあっては、それは重大な裏切り行為だ。
教会の金は民がその信仰心から、神へ贈られたものであって、決して私利私欲に使われてはならない。教会のため、困窮する者たちのために使われなくてはいけない。
このファイルでは、明確な証拠がないとのことだが、私たちならすぐに証拠は探せるだろう。
それに今この醜聞が真実だと報道でもされれば、このような人物に金を貸していた教会は非常に厳しい世間の目が向けられるだろう。早々に回収に動こう」
秘書とは違う雰囲気の、黒いスーツに撫でつけた前髪は正装であるのに、何かが違う男性が、枢機卿の言葉を聞いて、頭を下げて部屋を出て行った。
「さて、グレイ嬢。せっかくだから他にも偉いおじいちゃんに相談したいことがあったら言ってごらん。私に出来ることなら手伝おう、何が良いかな?恋バナかな?」
ハートの焼き菓子を持ってキャッと口元を覆うお茶目な枢機卿に、アリシアはもし祖父が生きていたらと想像したりした。
きっとあの両親の親では、このような穏やかな会話は望めないのだろうが、それでもどうしてもそういう家族がいたらという「もし」への渇望は、アリシアの中から消えることはなかった。
だからこそ、アリシアは決意していた。自分には世間が結婚しなければと言うから、なんとなく親が言う通りに結婚した相手はいらない。
愛のない家族は、いるのに得られない愛情への渇望が止まらない。もし自分が努力すれば変わるのではないか。もしこうしていたら愛情が得られたのではないか。
愛情が得られないのは自分が悪いのではないか。
そんなことばかり考える、不毛な日々はこれ以上いらない。
「では、お言葉に甘えて。実はもう一つお願いがあるのです」
アリシアは心からにっこりと微笑んだ。これからの自分のために後悔のない選択をするために。
「お、何かな?」
枢機卿がアリシアの言葉に、スッと焼き菓子を小皿に戻し、手を組んだ。言葉の温度からアリシアの覚悟を察した動きだった。
「婚約解消の特例措置を取っていただけないでしょうか」




