保身
王城の敷地内に王族として暮らしていると、自分に関係のない噂まで嫌でも耳に入ってくる。
第二王子のクラウスが、一人の令嬢を随分と気に入っているらしい。
最初にその話を聞いた時、男は特に興味を持たなかった。クラウスが誰を気に入ろうと、自分には関係がない。
相手の家によっては派閥だの面倒な思惑が絡むこともあるだろうが、そうした話によって火の粉が自分に降りかからないようにするのは、側近たちが考えることだった。
だが、相手の名前を聞いた瞬間、男の考えは変わった。
「スミス男爵令嬢だと?あの魔道具のスミス商会のか?」
「はい」
報告した側近は、男の反応を不思議に思ったらしい。
「例の裁判で証言した令嬢です。父親は商人として財を成し、男爵位を得た人物ですが、一代限りの爵位ですので……」
「そんなことは知っている!」
思わず強い口調で遮った。
知らないはずがない。
ミアは、あまりにも目立ちすぎた。
父親によってブラウン公爵家へ差し出された令嬢。そこにウッド男爵が関与していたことも、裁判によって広く知られるようになっている。
あの裁判は、貴族たちの間だけでひっそりと処理された事件ではない。傍聴人が詰めかけ、連日のように新聞や雑誌が内容を取り上げた。
その法廷でミア自身が証言した。
何をされたのか。
誰が関わっていたのか。
そして、ウッド男爵がどのような役割を果たしたのか。
男にとって重要なのは、ミアが被害者の一人だったことではない。
彼女が、黙らなかったことだった。
「第二王子は、どの程度あの娘に入れ込んでいる?」
「かなり頻繁に会われているようです。王城の蝶の間でお茶をされた他、お母上に交際の許可を取られたと。スミス男爵令嬢のため、憲兵に居住地の警邏を……」
「そうか。もういい」
側近を下がらせると、男はしばらく動かなかった。
気分が悪かった。
ウッド男爵が捕らえられた時よりも、今の方がずっと不安だった。
男爵が逮捕された直後は、もちろん恐怖した。自分の名前を出されるのではないかと思ったからだ。
しかし、結局それは起きなかった。
ウッド男爵も馬鹿ではない。
長年、自分の商売を守ることができた理由を理解している。
金を持つ商人や貴族だけではない。王家に連なる人間さえ顧客に抱えているという事実そのものが、ウッド男爵を守る盾になっていた。
男は、その顧客の一人だった。
王族として生まれたことを不幸だと思ったことなど、一度もない。
欲しいものの多くは手に入ったし、どこへ行っても敬われた。人々は自分の顔色を窺い、言葉一つにも気を遣った。
ただ、それは同時に、常に誰かに見られているということでもあった。
記者や使用人、護衛、王宮の官吏、他の王族、自分を利用しようと企む貴族たち……。
何処へ行ったのか、誰と会ったの、健康状態まで。平民なら誰にも気にされないようなことまで、王族には人の目がついて回る。
だからこそ、ウッド男爵の存在は便利だった。
金さえ払えば、男が表立って求めることのできないものを用意し、秘密を守った。
「そこ」にどのような人間が関わり、どのような事情で連れてこられたのかなど、男は知ろうともしなかった。
自分にとっては、それで成立している取引だった。
だが世間は、そうは考えないだろう。
まして王家は。
ウッド男爵が行っていたことの全容が明らかになり、その顧客の中に王族がいたと知られれば、単なる醜聞では済まない。
王家そのものへの信頼を傷つける。
そして、その原因を作った自分を、王が庇うとは思えなかった。
男は再び、先程側近が持ってきたミアについての報告書を開いた。
この女は危険だ。
権力があるからではない。今のミア自身は一代限りの男爵令嬢と限りなく権力はない。肩書きだけ見れば、王族の男を失脚させるような力などない。
だが、この女は声を上げることを恐れない。
法廷に立ち、自分を売った父親のことも、次期公爵であったオリバーのことも、非常に大きな性的ビジネスとネットワークを持っているウッド男爵のことも、恥ずかしがるカケラもなく全て話した。
そして今、その声が第二王子へ直接届く位置にいる。
クラウスがただの遊びで近づいているだけなら、まだよかった。
飽きれば終わる。
ところが、耳に入ってくる話は違っていた。
どうやら第二王子は、本気でミアを気に入っているらしい。
「よりによって……」
男は額を押さえた。
ミアが王家に近づけば近づくほど、危険は大きくなる。
今はまだ、ウッド男爵の顧客について何も知らないかもしれない。
だが、いつまでそうだと言い切れる?




