馬車の温度が暑すぎる
「いえ、こういう手を使うのは卑怯な気もしたのですが……。
しかし事実として、侯爵令嬢でなくなると、コーヒーハウスの時とは異なり、家格という盾は使えなくなります。
まだこの国は、ビジネスでは男性優位ですし、物件の購入や賃貸契約は、若い女性のみでは難しいこともあるでしょう」
エドガーの言うそれは事実だった。まだ物件を見ている頃はアリシアは侯爵令嬢だった。
不動産屋たちは、アリシアとミアがお嬢様の道楽で始めた店が上手くいかなくても、父親たちが家賃を支払うだろうと考えていたに違いない。
今は状況が違う。
一般市民となった、店を一から興した実績のないアリシアと、一代限りの男爵令嬢で、商売が傾きかけていると報じられ始めているミアでは、簡単には契約出来ないかもしれない。
「僕は、貴族をやめて一商人に、パン屋の店主になったアリシア嬢が、心穏やかに生きていけるよう、出来る限りそれをサポートするとお約束しましたから……」
「でも物件を買うなんて……。それこそ一商人になってしまってはお返しが難しい……、いえ勿論必ずパン屋を繁盛させて返させていただきますが、口約束でそのような大きな賭けをされては……」
「口約束でも、約束は約束です」
「枢機卿猊下に、貴族籍を抜く手続きまでしていただいておりますし、十分すぎます……」
「弱っている女性がいたなら助けるのが男子の役割ですよ」
もうアリシアの顔はこれ以上物理的に無理なほど赤くなり、耳から湯気が出ていない方が不自然に思えるほどだった。
「それに全然十分ではないですよ、僕はあなたが心穏やかに生きるお手伝いをするとお約束しました。
そのためには、ずっと側にいた方が良いと思っています」
「し、しひゃく様!ちょっと降りてから改めてお話しましょう!」
「二人きりよりは、複数人がいる方が、アリシア嬢の不安感は薄れるかと思ったのですが……。まだ男性と二人というのは怖いかと……」
「ひえ、ふ、二人の方が、他の方に聞かれるより、あの、それに子爵様なら私は全然……」
「いやぁこの馬車暑いわぁ〜」
レイナルドが扇子をパタパタと煽ぐ。
「アリシア様、お顔真っ赤です〜。アツいですねぇ〜」
先程まで自分が真っ赤になっていたのは忘れたのかミアもニヨニヨと口元を波打たせながらレイナルドと暑い暑いと騒いでいた。
アリシアがポコポコミアを叩いている間、ふとレイナルドがエドガーを見ると、エドガーは相変わらず杖を支えにまっすぐ座っているが、どうも様子がおかしい。
あの、いざという時に弱いエドガーが、大分頑張ったなとは思っていたのだが、レイナルドが突いてみると、バランスを崩したエドガーは、体重を預けていたらしい杖を起点に横に倒れた。
「固まってるわ……。決まらない男ねえ」
気絶したエドガーは、レイナルドにべしべし叩かれながら馬車に揺られてクリニックに到着した。




