第1話:『煙草の火と冷たいアスファルト』
第1話:『煙草の火と冷たいアスファルト』
俺の名前は羽塚英吉。三十五歳、しがない地方都市の中堅消防士だ。
二十四時間の当番勤務が明けた非番の夜。署の連中との飲み会を終えて、俺は千鳥足で夜の繁華街を抜けていた。酒で鈍った頭のどこかで、遠くの幹線道路を裂いて走るサイレンと警鐘の重なりに「ポンプ二隊に救急が一台……第1出動で北へ向かったな。臨海エリアの倉庫か」などと勝手に現場を割り振ってしまうあたり、我ながら救いようのない職業病だと思う。
ポケットを探ると、煙草が切れていた。
無性に紫煙が恋しくなり、繁華街の外れ、交差点の角で白々と青白い光を放つコンビニへと吸い込まれる。いつもの銘柄を一箱買い、自動ドアを出た直後のことだった。
駐車場の隅でビニールを剥き、一本咥えてライターのヤスリに親指をかけた、まさにその刹那。
――ブオォォンッ!
突如、タコメーターを振り切るような異常なエンジンの咆哮が夜気を震わせた。直後、タイヤが強引にアスファルトを蹴り上げる耳障りな摩擦音が響く。
「……あ?」
視線を上げた瞬間、コンビニの看板灯に照らされた軽自動車のボンネットと、そこに貼られた四つ葉の高齢者マークが網膜に張り付いた。白熱する二条のヘッドライトが視界を灼く。
ブレーキとアクセルを踏み間違えたのだろう。暴走した鉄の塊は、車止めのブロックを乗り越え、車体底から火花を散らしながら敷地内へ突っ込んできた。逃げる間すらなかった。
鈍いフロントバンパーが俺の膝下を容赦なく打ち砕き、宙に浮いた胴体がボンネット越しにフロントガラスへと激突する。
ゴキッ、と肋骨がまとめて砕ける嫌な音が体内に響いた。視界が激しく回転し、全身を叩きつける冷たいアスファルトの感触。息を吸おうとしても、胸腔に空気が入ってこない。折れた肋骨が肺を突き破ったか、緊張性気胸だ。
現場を踏んできたプロだからこそ、自分の身体がどれだけ致命的な破壊を受けたかが瞬時に分かってしまう。それが無性に悔しく、忌々しかった。
(……嘘だろうが。まだ、火もつけちゃいねえぞ)
アスファルトに転がったままの一本の煙草。火をつけることすらできなかった白い紙巻きが、視界の端で虚しく夜風に吹かれている。
次第に薄れゆく意識の底で、さっきとは違う方角から、新たな救急車のサイレンが近付いてくるのが聞こえた。
――おいおい、呼ぶ側じゃなくて、運ばれる側になっちまうとはな。
救助隊の到着を待つこともできず、俺の意識はそのまま漆黒の闇へと沈んでいった。




