3、不完全な擬態と、魔物たちの常識
リンゴの木の下で奇妙な友情を結んだ私たちは、そのまま森の奥にある、ミャオとガオの隠れ家へと移動していた。
お腹いっぱいピカピカのリンゴを食べた私は、ふかふかの草の上に丸くなり、満足感に浸っていた。後ろで九本の尻尾が、満腹の幸せを表現するようにゆっくりと揺れる。
「あー、美味しかった。現代のコンビニスイーツも恋しいけど、この世界の果物って本当に瑞々しくて最高……」
「サユキ、さっきから時々おかしな言葉を喋る。こんびにすいーつって何さ? 美味しい魔獣の名前か?」
黒猫のミャオが、私の顔を覗き込みながら不思議そうに首を傾げた。その横では、大きな黒狼のガオが、静かに座ったまま、まるで職人のような真剣さで肉球をペロペロと毛繕いしている。相変わらず徹底した無口っぷりだ。
「ううん、なんでもないの。それよりミャオ、ガオ。私、さっきも言った通り、この森を出て人間の街に行ってみたいんだよね。親友の結衣を探さなきゃいけないし……。でも、この姿のままだと、やっぱり人間たちに攻撃されちゃうよね?」
私の言葉に、ミャオは我が意を得たりとばかりに、ピシッと一本の前足を突き出した。
「当然! 人間どもは強欲で臆病ニャ。サユキみたいな、歩く天災みたいな魔力を持った九尾の狐がそのまま現れたら、街の兵士たちが全員泡を吹いて倒れるか、命がけで毛皮を剥ぎ取りにくる!」
「……(コクコク)」
ガオも、ミャオの言葉に深く同意するように、重々しく首を縦に振った。
「やっぱりそうだよね……。人間だった頃の知識でも、ファンタジー小説の魔物は大体討伐対象だったし……。何か、人間に見つからないようにする良い方法ってないかな? 魔法で姿を消すとか」
「そんな面倒なことしなくても、人間に化ければいいだけよ!」
ミャオがニヤリと不敵に笑う。
「えっ!? 化けられるの!?」
「にゃめるなよ! あいたちレベルの高等な魔獣になれば、人間の姿を模倣する『擬態』の術くらい、お手の物! ガオ、お手本を見せてやるにゃ!」
「(そこ人任せなんだね‥‥‥)」
ミャオに水を向けられたガオは、ペロペロしていた前足を止めると、ゆっくりと立ち上がった。彼は深く息を吸い込み、その漆黒の体に魔力を込めていく。すると、ガオの体から黒い霧のようなオーラが立ち昇り、その巨体が音を立てて形を変え始めた。
四つん這いだった体が起き上がり、骨格が人間の少年のものへと変化していく。霧が晴れたそこに立っていたのは、ツンツンとした野生味溢れる黒髪の、どこか影のある切れ味の鋭い美少年だった。衣服は、彼の魔力が編み上げたと思われる、黒いレザージャケットのような格好いい戦闘服に変わっている。
「うわぁ! ガオ、すごい! 完全に人間の男の子じゃん!」
私が感動して声をあげた、その時だった。ガオが後ろを振り向いた瞬間、私はその頭頂部とお尻のあたりに目が釘付けになった。ガオの黒髪の隙間から、フサフサとした黒い狼耳が、周囲の音を拾うようにピコピコと元気に動いている。さらに、ズボンの後ろからは、これまた立派な黒い狼の尻尾が、感情を隠しきれない様子で左右にフリフリと激しく揺れていた。
「……(ふんす)」
ガオは人間の少年の顔のまま、ドヤ顔(無言)で親指を立ててみせた。
「いや、隠せてないじゃん!! 耳も尻尾も丸出しだよガオ!?」
「何を言ってるにゃ、サユキ。二本足で立って、人間の服を着て、人間の顔をしてるんだから、どこからどう見ても完璧な人間にゃ!」
ミャオが当然のような顔で割り込んできた。どうやらこの世界の魔物にとって、擬態とは「人間の形になること」であり、耳や尻尾といったパーツまで完璧に消し去るのは、常識の外側にある高等テクニックすぎるらしい。
「次はあたいの番にゃ! 変化!」
ぽんっ、と小気味いい煙が弾ける。煙の中から現れたのは、黒いショートヘアに、夜の闇を溶かしたようなゴスロリ風の黒いワンピースを着た、生意気そうな美少女だった。……もちろん、頭の上にはピンと立った黒い猫耳があり、お尻からは細長い二本の猫尻尾が、新体操のリボンのようにクネクネと動いている。
「どうにゃ! これでどこの街に行っても、お洒落な人間の女の子として通るにゃ!」
「通らないよ!! 完全に『ネコミミ美少女』っていう、別のジャンルの存在になっちゃってるからね!? 二人とも、人間の世界を舐めすぎだよ……!」
はぁ、と私は狐の顔のまま前足で頭を抱えた。元女子高生としての常識が、異世界の魔物たちのガバガバな常識に激しい頭痛を訴えている。だが、ツッコミを入れてばかりもいられない。二人とも耳と尻尾が出ているとはいえ、一応は人間の形になれているのだ。
「……よし、私もやってみる。えっと、自分の体を、元の女子高生の姿に戻すイメージで……」
私はぎゅっと目を閉じた。頭の中に、あの日、学校の制服を着て、結衣と笑い合っていた「人間の私」の姿を強く、強く思い描く。その瞬間、私の胸の奥に眠る【闇】と【光】の規格外の魔力が、待ってましたとばかりに一斉に脈打った。さっきの大爆発の時のような荒々しい暴走ではない。けれど、冷たい闇の奔流と、温かい光の波動が、私の全身の細胞を一本一本組み替えていくような、エネルギーの循環を感じる。
「う、わあぁっ……!」
視界がぐぐっと高くなる。地面に就いていた前足が浮き上がり、五本の指を持つ、見慣れた「人間の手」へと変わっていく。私の体を、白銀の光と漆黒の霧が包み込み、激しく明滅した。
やがて、光と霧がすうっと私の体に吸い込まれていく。衣服は、闇の魔力と光の魔力が精巧に編み合わさったような、漆黒と白銀のグラデーションが美しい、和風のモダンなワンピースドレスに変わっていた。
「はぁ……。できた、のかな?」
私は自分の手を握ったり開いたりしてみた。間違いない、人間の感覚だ。二本足でしっかりと地面を踏みしめている。
「サユキ……お前、めちゃくちゃ綺麗にゃ……。人間の女の子って、みんなそんなに美形なのかにゃ?」
ミャオがぽかんと口を開けて私を見上げている。ガオにいたっては、人間の姿のまま、顔を真っ赤にして無言で目を逸らしてしまった。ウブか。
水溜まりの代わりに出現させた、光の魔力の小さな鏡を覗き込む。そこには、現代にいた頃の私をベースにしながらも、どこか神秘的な雰囲気を纏った、黄金の瞳を持つ美少女の姿があった。
「やった! 大成功! ……って、あれ?」
頭のてっぺんに、明らかな違和感がある。恐る恐る頭の上に手を伸ばしてみると、そこには髪の毛に混じって、ふさふさとした白銀の狐耳が、左右にピコピコと元気に動いていた。さらに、お尻のあたりが妙に重たい。後ろを振り返ると、九本の尻尾はなんとか一本に集約されたものの、その一本の白銀の尻尾が、ドレスの裾から信じられないほどの自己主張を放ちながらフサフサと揺れていた。
「うわぁぁん! やっぱり耳と尻尾が引っ込まないじゃん! 擬態が不完全すぎるーーーっ!!」
私の悲鳴が、静かな森に木霊した。私のコントロール能力では、これだけの膨大な魔力を完全に体内に閉じ込めることができず、どうしても狐のパーツとして外に漏れ出てしまうようだった。
「何を泣いてるにゃ、サユキ! あいたちとお揃いだし、完璧な人間にゃ!」
ミャオが私の肩をポンポンと叩いて慰めて(?)くれる。
「……(コクトリ)」
ガオも、「気にするな」と言いたげに、自分の狼耳をアピールするようにピコピコと動かしてみせた。
「お揃いなのは嬉しいけど、これじゃ街に入った瞬間に『獣人の不審者グループ』として捕まっちゃうよ……。はぁ、耳だけでも隠せる帽子か何かがあればなぁ」
私がドレスのポケットを弄っていると、指先に硬い感触が当たった。取り出してみるとここにくる途中道端で見つけた、親友の『神代 結衣』の生徒手帳だった。手帳の表紙に刻まれた、見慣れた親友の文字。
それをじっと見つめていると、不完全な擬態に落ち込んでいた私の心に、再び強い「覚悟」が灯った。耳が隠せないくらいで、何をもたもたしているんだろう、私は。結衣は今も、この異世界のどこかで、私を待っているかもしれないのに。
「……ミャオ、ガオ。耳が隠せないのは困ったけど、ここでじっとしてても始まらないよね。私、このままの姿でもいいから、森を出て人間の世界に行く。結衣の手がかりを探したいから」
私の引き締まった表情を見て、ミャオとガオは顔を見合わせた。
「ふん、サユキがそこまで言うなら、あいたちも付いて行ってやるにゃ。美味しい人間の飯も食べたいしにゃ!」
ミャオが不敵に笑う。ガオは、無口なまま、腰に差した漆黒の短剣の柄にそっと手を置いた。そして、私の目を真っ直ぐに見つめ、一言だけ、低く、だけど心の底から信頼を込めた声で呟いた。
「……共に行く。ボス」
「ガオ、喋った!? しかも『ボス』って、私、いつの間にリーダーになったの!?」
「当然にゃ! サユキはあいたちより圧倒的に強いんだから、今日からサユキがあたいたち『神獣の眷属』のボスにゃ!」
こうして、お互いに耳と尻尾を盛大に出したままの、前代未聞の「不完全擬態トリオ」が結成された。
私たちは隠れ家を後にし、木々の隙間から差し込む、森の外の眩しい光――人間の街道へと向かって、力強く一歩を踏み出すのだった。しかし、この時の私たちはまだ知らなかった。森の一歩外側では、人間の国『アルテミス王国』が、地球から召喚した別の勇者たちを使い、世界を揺るがすような巨大な陰謀を静かに始めていることを。そして、私たちがその渦中に、否応なしに巻き込まれていくということを――。
こんにちは!結構長くしてみたんですけどどうですか?4話もこのくらいで進めていきますね。




