8 あたしは、化け物に呪いをかけられる
「ですが、今はわたくし貴女の真心がわかっていますのよ。だって、わたくしをあの家から逃がしてくれたではないですか」
「あーそれ……」
あれは、この人から逃げたかったから。
二度と顔も見たくなかったから。
怖くて……嫌いだったから。
全てあたし自身のためでしかなかった。
「実家から引き離されて最初は戸惑いましたが、あの場所は旦那様さえ正しくすれば、全てが正しくなる素晴らしい場所でした。感謝しておりますわ」
醜いきもちだ。
だけど、こうなったら言うしかない。
「……あのうちにあんたを置いておくと、優秀だからさ、逃げたあたしを探せとか言われて唯々諾々と従いそうじゃん。だからさ、家から引き離しておいたってだけ」
あたしは事実を言った。
だけど、心のどこかで、通じないと判っていたけど。
「もちろん、貴女のご両親にそう言われたら、そうしましたわ。だって家のためですもの」
ああ、本当にそうなんだ。
あんなふたりでも、なんの疑問もなく従うんだ……あの家にいるってだけで。
中身はほんとどうでもいいんだ。
「ですが、今はもう、わたくしの家族は貴女しかいませんからね。わたくしが大切に思う相手は貴女しかおりません」
大切。判ってる。知っている。正しい。
それらの言葉は、空っぽだった。
中身がないのに、形はきっちり整っていて。
妙になまあたたかくて、あたしに絡みつこうとしてくる。
「恥ずかしがっていらっしゃるんですね。ですが、わたくしは全部わかっておりますから」
この人は、心からそれを信じてるんだ。
この人の中で、あたしはそういう形以外ありえない存在なんだ。
ぞっとした。
この人のいう正しさは、あたしには何にも関係がないものだった。
うれしそうにささやいてくる。
「これで行き違いはなくなりましたね」
そっと手を握られた。
うわぁ。
「貴女の心はよくわかっていますのよ。わたくしのために、こんな醜悪な国に身を落として犠牲にして……そんな貴女だからこそ報われるべきです」
どう説明したらいいの?
もうこのひとなんとかして!
「もうあたしは報われてるの! 仕事だってうまくいってる!」
異母姉は、とろけるようなやさしい微笑みを浮かべた。
「大丈夫ですわ。愛しい妹のために、お金ならいくらでも払いますもの」
じりじりと距離が詰まってくる。
それは純白な善意。
悪意よりもたちが悪い。
「ここで捕まりさえしていなければ、貴女の勤め先をつきとめて丸ごと買収して廃業させるつもりでしたのに。気がせいて手順が狂ってしまいましたわ」
「勝手なことしないで! 自分の意志で働いてるんですけど!」
スバルや、後輩達や、お得意さん達の顔が思い浮かんだ。
あの場所は、あたしだけの場所じゃない、みんなの場所なんだ。
ぱらだいす。そんなありえない、砂糖菓子みたいな甘いことばを、束の間かもしれないけど思い浮かべられる場所。
それを、こんな薄っぺらい理由で破壊しようとする。
「うふふ。隠さなくてもいいですわ。貴女は我が一族の高貴な血をひいている人間。こんなところで奴隷のように働かされるべき人間ではないのです」
この人にとって、あたしは不幸になっていなければならないんだ。
なぜなら、この人にとってのあるべき場所にいないから。
「貴女が帰ってきさえすれば、侯爵家の力でいくらでも守ってあげられますわ。良縁だっていくつも用意してありますもの」
いや、相手は元といえ王族だから! しかも、世が世なら王になった人だから! 侯爵より上だから!
ああ、だめあたし。
あんなウソにすがりそうになってる。
「あっあたし! そもそも戻りたいなんてまったく思ってないし!」
子供に言い聞かすように、赤い唇が言葉を紡いでくる。
「だいじょうぶですわ。わたくしがここから無理に返されるとしても、貴女が自分の意志で同乗するのを彼らは邪魔できませんわよ」
ぬるっとした蛇だ。
しろく半透明の、どこまでもやわらかく千切ることができない蛇に似たなにか。
絡みついて来ようとする過去。
食われる。
底知れない沼のようなものに溺れさせられる。
喉がひくつく。
「あんた、とっても、きもちわるいっ! 昔からずっと! 今も! これからもずっと!」
自分の叫びが、あたしを突き動かした。
かろうじて手を振り払えた。
異母姉。
いや化け物は、戸惑った顔であたしを見た。
「ですから、昔と違って、わたくし、いつも身だしなみを。ああ、この香水が――」
「そういうのじゃないの! あんたのいう幸せはあたしにとってぜんぜん幸せじゃないの!」
悲鳴だった。
目の前に化け物がいるんだから。
あの日、馬車から放り出した時と同じだった。
この人は何も変わっていない。
あの家から解放されても、結婚しても、旦那を失っても、なにも。
化け物は首をかしげた。
音楽のようなうつくしい声で。
「しあわせはひとつですわ」
とキラキラと告げて来た。
混じりけのない確信がそこにはあった。
「貴族に生まれた女のしあわせは、嫁ぐまでは生まれた家に奉仕して、素晴らしい殿方に嫁ぎ、その方と愛し合い子供を産み、一族をいつくしみ、心から奉仕して、家族に見守られて安らかに息をひきとる……貴女だってそれを知っているから、あの方にわたくしを託したのでしょう?」
慈母のようなほほえみが目の前にある。
だけど、それはあたしを見ていない。
このひとが思っている、あたしがあるべき姿だけを見ている。
「ですから、貴女のしあわせはいつわりですわ」
このひとのなかで、あたしは、からっぽだ。
また、すっと手が伸びて来る。
あたしは必死に振り払った。
「……きもちわるい」
ほんとうにきもちわるい。
このひとに言葉は通じない。
「それは、貴女がまちがってるからですわ。わたくしの言葉が正しいとわかっているからですわ」
めまいがしそう。
「……」
何か言おうと思った。
スバルと出会って、商売をはじめて、後輩たちを指導して、一緒に働いて、毎日忙しいけど充実していること。
だけど、何を言ってもこのひとには通じないだろう。
だって、この人にとって全ていつわりだから。
この怪物は、そういう風に出来ているんだ。
いや、作られたんだ。
貴族という装置の傑作。
「やめて!」
わたしは立ち上がっていた。
勢いよく立ち上がったせいで、椅子が倒れ、大きな音を立てた。
化け物は、不思議そうな目で、あたしを見ていた。
風のない日の澄んだ湖面のような目には、あたしが映っていた。
化け物は、ぱちぱち、とまばたきし。
ああ、とちいさな声をこぼすと。
「わかりましたわ! 正しいと思わされていたことを、すぐに間違いと認めるなんてできませんわよね」
実に都合のいいように解釈しやがったよ!
湖面はゆらがず、この人の世界は、全てが静物画のように、動かない。
息が苦しい。
もう、一秒だって対面してたくない。
「そう遠くない日に、貴女がまちがいを悟って、自分はこんなところにいる人間ではないと目を覚ましたら、いつでもわたくしたちの国へ帰っていらっしゃい」
彼女はあたしを見ていない。
最初からずっと。
あたしの両親にいたぶられていた時も、死んだ旦那に愛されていた時も。
この人はきっと変わらなかった。
純粋でキラキラした美しい宮殿に住み続けている。
その世界に、生身のあたしはいない。
そして、これからも。
「保安官さん! 面談は終り!」
あたしは叫んだ。
溺れる寸前の人が、必死で助けを求めるような叫びだと思った。
化け物は、すっと立ち上がると。
あたしのほうへ滑るように近づいて来て。
「これを渡しておきますわ。貴女がわたくしたちの正しい場所へ帰る時に、貴女の身元を保証し道を照らすものです」
化け物はあたしの手に何かをそっと握らせた。
「わたくしの一族の印である指輪です。これさえ持って来れば、我が一族と認められますわ。貴女はいつでもあるべき正しい場所へ戻れますのよ」
放り投げようと思った。
だけど、あたしの手にそれを握らせる手は、妙になまあたたかく、ちからづよく絡みついて来て、振りほどけない。
このひとが、あるべきだと信じている姿に、あたしを縫い留めるようだ。
「ふふ。では、しばらくの間お別れですわね」
化け物は、手を放し。
一瞬だけ、あたしの髪に振れた。
名残惜しそうに、ではなく。
あたしという獲物を、いや、自分の隣にいるべき存在を確認するような手つきだった。
「警邏の方々、お話はおわりましたわ。妹はわかってくれましたもの」
たくさんある作品の中から、拾って読んでくださってありがとうございました。
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂けたこと幸いでございます。
次回で完結ですのでよろしくお願いします。
少しでも心に残るものがあったり、何かを感じていただけたなら、
評価や感想をいただけるととても励みになります。
この作品は『 お姉様が大嫌いだから、評判の悪い侯爵様のところへ嫁に出してやりました。』という作品の続編という位置づけなので、もし、もう少しこの異母姉妹のことを知りたいと思っていただければ、この作品もあわせてお読みください。




