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 セリーヌがラヴィ―ニュ侯爵邸を発った日の翌日。

 セリーヌの私室は酷く荒らされていた。

 シーツは引き裂かれ、テーブルが花瓶ごと倒され、小さな机はインクで塗れていた。


 ジュリアンは、その有様を見て溜息を零す。

 いつものことだが、侯爵夫人である母の癇癪には驚かされる。

 彼女は、セリーヌが自分に挨拶もせず邸を発ったことに憤慨し、物に当たり散らした。お陰で、早朝から使用人達はバタバタと忙しない。一つでも粗相があれば、夫人の怒りは自分達に向かうだろうと神経を尖らせている。


(我が母ながら、愚かな(ひと)だ……)


 真冬の寒い夜に水を掛け、過剰な教育を施し、セリーヌが年端もいかぬ頃からはしたない格好をさせ人前に立たせていたというのに、どうして礼を尽くされるなどと思えるのだろう。自分は妾の子を引き取った心優しい義母だと、本当に信じているのだろうか。


「……お兄様」

「アメリアか――おはよう。よく眠れたかい?」


 ジュリアンは、目元を柔らかく微笑ませ振り返る。

 今年十五歳になる可愛らしい妹は、ジュリアンの腕に自らの腕を絡めながら、改めて部屋を見回している。


「あの(ひと)、出て行ったのね」

「……そのようだね」

「最後の最後まで、貴族としての誇りはないのかしら。家族に対して挨拶もせずに出て行くなんて、教養がないわ」


 唇を尖らせて告げる妹に、ジュリアンは思わず乾いた笑みが零れる。

 純粋な瞳の輝きとは裏腹に、その口ぶりが自らの母によく似ていて――人はこうして価値観を植え付けられるのだなと、感心さえしてしまう。


「……母上がそう言っていたのかい?」

「え? ええ。邸のみんなが言っているわ。お母様を怒らせた、お姉様が悪いって」


 ジュリアンは、おもむろに倒れたイスを起こしてみる。

 棘が刺さりそうな、粗悪な品だ。およそ、貴族の物とは思えない。

 倒れた衝撃で脚が一本ぐらついてしまっている。


「……アメリアは、セリーヌ(彼女)が嫌いかい?」

 

 アメリアは、何故今更そんなことを聞くのだろうと、不思議そうな表情を見せた。少し首を捻りながら、すぐに頷く。


「ええ、嫌いよ。半分が平民なのよ? 毎日同じ食卓を囲んでいるんだろって、お友達にどれほど揶揄われたことか。それでなくても、お姉様がいらしてから邸の様子が可笑しくなってしまったのだもの。優しかったお母様は腹立たしそうにいつも怒っているし、お父様は酷く無口になったわ。それに、お兄様だって……――」


 アメリアは、そこで口を噤む。幼いながら、敏感に空気を感じ取って来たのだろう。ジュリアンは、ふっと口元を微笑ませる。


「みんな……変わっていないさ」

「……え?」

「父上も母上も、変わったわけじゃない。元々ああいう人達さ。そこに、セリーヌ(彼女)と言う標的がいただけだ」


 アメリアは、複雑な顔で黙り込む。

 無理もない。セリーヌが侯爵邸に来た時、アメリアはまだ五歳だったんだ。

 

 ジュリアンは、セリーヌが来た頃のことを覚えている。

 祖父が急逝し、急遽侯爵位を受け継いだ父は、その重責を一人で抱えていた。

 母は、元々裕福な伯爵家の娘。魔力量も多く、当然のように侯爵夫人の座についた女性だ。美しい父を手に入れ、父に似た息子と自分に似た娘を生み、社交界では中心的な存在。だからこそ、心を曇らせるものなど一つとして認められない。父が思い通りの反応を示してくれないことに癇癪を起し、それ以外のことは自分には関係のないことだと耳を傾けようともしなかった。


 ある朝、一通の手紙が届いた。朝食を皆で囲んでいる時だった。

 父は差出人の名を見て顔色を変え、その場で慌てた様子で中を検めた。

 そして――全てを、家族に打ち明けた。


 自分には、他に心を通わせた女性がいたと。

 その彼女が自分の子を産み育て、今わの際に立っていると。


 当然のごとく、母は怒り狂った。

 この国は、一夫一妻制だ。愛人を囲うことは恥ではあるが、それよりも、パートナーに愛人を囲われることの方がずっと恥ずべきことだった。


 父は、母の制止も振り切り愛する女性の元へと駆け付けた。

 そして、一人の少女を連れ帰った。


 貴族ではないと一目でわかった。けれど、どことなく気品を漂わせ、大人びた顔立ちの美しい少女。社交界で出会った、どの女の子とも違う。ジュリアンは、妹のアメリアよりもずっと自分に似ていることに親しみを感じた。いや――実際にはそれ以上の、運命的なものさえ感じていた。


 すると、目の前で母がセリーヌの頬を叩いた。

 父は憤り、母と暫く言い争っていた。

 ジュリアンの隣ではアメリアが声を上げて泣き出し――セリーヌは、真っ白な頬を真っ赤に腫らして、アメジストのように紫色に輝く瞳を大きく揺らしていた。小さな肩を、ふるふると小刻みに震わせて。


 ジュリアンは、その姿から目が離せなかった。

 

 それから、セリーヌが夫人に折檻され涙を流すたびに、羞恥心で頬を赤らめ震えるたびに、その美しさに胸をざわつかせていた。涙を留めてやろうとは思わなかった。何故なら、彼女は泣いている姿がいじらしく、とても可愛らしいのだから。


(これまで、僕の婚約者になりたいと言っていた幾人かの女性を試しに泣かせてみたけれど……あんなに胸が震えることはなかった)


 ジュリアンは、世間でも評判の貴公子だ。

 魔法の腕や知識も然ることながら、侯爵家の後継者としても優秀で、武にも秀でている。他者が自分に対して何を期待しているのか、その場でどのように振舞うべきなのかをよく理解しているし、人の心を掴むのは容易だった。


 それでも、胸の内にドロドロと掬う破壊衝動が、常に付きまとった。

 セリーヌは、そんな心も満たしてくれた。この、どうしようもなく求める気持ちが愛でないなら、なんだというのだ。


(……心などと煩わしいものは望んでいない。ただ、セリーヌが美しい姿のまま僕の手元にいてくれれば、それで良い。凡庸な父に代わり僕が当主になれば、すんなり手に入るはずだったのに)


 侯爵である父は、秘密裏に事を進めてしまった。

 夫人や、後継であるジュリアンにさえ打ち明けずに。


 アメリアは、自分の培ってきた価値観を疑おうともしない。

 けれど、ジュリアンもまた、自分の欲望を満たせるのなら手段を選ぶつもりはない。

 

 ジュリアンは、アメリアの頭を一度撫で、二人で部屋を後にする。

 けれど、心の中では次に起こすべき行動について考えていた。


(――セリーヌは、必ず帰ってくる。彼女は僕のものだ。獣ごときに、奪われてたまるものか……)

少し投稿が遅くなりました。


貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。

いいね、ブクマ、ご感想、お待ちしています(,,ᴗ ᴗ,,)

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