15・
セリーヌは、恙無く居を移したと聞く。
以降は、とても平穏な日々を送っていると。
身体に良い物を食べ、よく眠り、楽しみの範囲で家のことをこなし、以前よりずっと肌艶も良く、痩せすぎていた体もふっくらとしてきたと。
そんな報告を聞きながら、ロガンは猫のように背を丸め、執務室の椅子の上で膝を抱えていた。ディランの位置からは、その表情は見えない。
けれど、彼の内側から漏れ出す陰鬱な気配が、部屋全体を包み込んでいた。
「……そんなに落ち込むなら、なぜあんなことを言ったのですか?」
ディランが、溜息交じりに尋ねる。
セリーヌとロガンがベルヴェルデの屋敷で話していたあの時、ディランとピトは扉の外で待機していた。
一部始終を聞いていたわけではないが、ロガンの叫ぶような声が響き、入室するか悩んでいるうちに本人が飛び出してきた。
そして、ピトはセリーヌの元へ、ディランはロガンに付き添って帰ってきたのだが――。
以降、ずっとこの調子だ。
ディランの問いに、ロガンはぼそりと呟いた。
「……たんだ」
「……は?」
「……振られてしまうのかと、思ったんだ」
ディランは、呆気に取られ、何度か瞬きをする。
いつも礼儀正しくあろうと取り繕っているのに、思わずそれを忘れた。
「はあ?」
「『王妃の器ではない』とか、『隣に立つのにふさわしくない』とか……どう考えても、振られる流れだろう! なら……いっそのこと、断れないように手を打ってしまおうと……」
「はあ」
「……思ってみたけれど、いざそうしてみると……力で抑えつけたようで……ますます嫌われてしまったのではと……」
「はあ……」
「……不安で、彼女の顔を見に行けない……」
ロガンは、再び深く肩を落とした。
ディランは、頭を抱える。この数日間、ロガンがこの調子で全く仕事が進まない。
ロガンは、ディランと同じ年の従兄弟でいながら、黒豹の中では常に優位に立つ強者だった。幼い頃は、その強さに誰もが期待を寄せ、彼の訓練は苛烈を極めた。倒れることも、弱音を吐くことも許されない日々だったと思う。
だが、頭角を現し始めると、称賛は一転。
かつての指導者達は影で牙を研ぎ、彼の命を狙い始める。
獣の世界も、種の存続と縄張りを巡る争いは矛盾しているようで表裏一体だ。
部族内では使える内は限界まで使い、個人の感情としては自分に楯突くようなら排斥すると――まあそう言うことだ。神獣の加護を受け、獣の気配が強い者ほど、その傾向が顕著に表れる。
ディランは、生まれてからずっと、自分達のその在り方に疑問を呈していた。
(……僕らは、人間だ。獣の本能に従う社会など、間違ってる)
ロガンの、バル改革は渡りに舟だった。
元々、ロガンは獣の傾向が強く、他者に対して酷く冷淡だったため――何が彼を変え、何を目指して戦うのか不思議だったけれど、その策略に乗っかった。
そして、バル統一を掲げたその日から、血と刃と知略が交錯する壮絶な日々が続いた。振り返る余裕など、もはやなかった。
(……でも、いざ蓋を開けてみたら、たった一人の女性をバルに招くために改革を起こしたなんて打ち明けられて……本当に、驚かされっぱなしだ)
自分達の願いを叶え、先陣を切って戦ってくれた従兄弟の願いを叶えたい。
そう思い、ルメローザとの交渉も率先して行ってきた。
ディランは、手に持っていた書類を置いて、執務室のソファーにどさりと腰を掛ける。どうせこのまま作業を続けていても、能率は上がらない。ならいっそ、セリーヌとの関係を改善させるのが最良だ。
「……話を聞くよ、ロガン。側近としてではなく、一人の従兄弟としてさ。話しを聞かせてよ」
ロガンは目を丸くし、少し考える素振りを見せた後、ゆっくりとディランの向かいの席に移動した。ディランは、尊大で誇り高い男が初めての恋に戸惑う話に、じっくり耳を傾けた。
◇◇◇
「――つまり話を整理すると、ロガンはラヴィーニュ侯爵令嬢を幼い頃から知っていて、ずっと番になりたいと思っていた。でも、ラヴィーニュ侯爵令嬢はロガンと出会ったのは先日の婚約式が初めてだと思っている。そういうことで合ってる?」
ロガンはディランにセリーヌとのことを尋ねられ、現在の状況を彼女の素晴らしさを交えて簡潔に説明した。心なしか、ディランの目元の筋肉がヒクヒクと痙攣している気もするが、ほんの数時間話した程度だ。
セリーヌとの出会いについては、事情があってディランには伏せている。
そもそも、致命傷を負った末に幼体の獣へと変身し、小さな子どもに助けられたなどという話を、わざわざ大っぴらに語る気にはなれない。手紙のやり取りについても、二人きりの秘密にしておきたかった。つまり、実際にはセリーヌの素晴らしさしか話していなかったことになるが――そんな些末なことは気にせず、ロガンは腕を組み、コクリと頷く。
「ああ」
「じゃあ、それって振られる以前の問題じゃない?」
「――は?」
振られる『以前』。その言葉の意味が分からず、思わず首を傾げる。
ディランは、やれやれと溜息をつき、詳細を語り始めた。
「ラヴィーニュ侯爵令嬢の立場に立って考えてみなよ。ロガンは、会ったばかりの政略結婚の相手だ。にも関わらず、ロガンとの接点と言えば――『見るに堪えない』発言に、二時間半の沈黙の食事。ベルヴェルデの屋敷の件で多少お株が上がったとしても、最後は釘をさすように『これは政略結婚だ!』でしょう?」
ロガンの喉の奥から、グゥッ――と妙な音が漏れた。
言い返せない。
ディランの言葉は、的確すぎて反論の余地すらなかった。
ロガンが彼女にしたことは――最悪だった。
悔しさを噛み締め、嫌な汗が浮かぶ額を手の平に埋める。
「ただでさえ、バル・グランの王妃になるんだって重責を感じているだろうに……今は好きだ嫌いだの前に、この友好関係を何とか維持しようとしか考えていないんじゃないかな」
「――つまり、どういうことだ?」
掠れた声が出る。
ディランは肩をすくめ、呆れたように言い放つ。
「つまり、君は男として見られていない。例えるなら、『ちょっと面倒臭い上司』だ」
「なん、だと……?」
まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
呆然としながらも、ディランの言葉が容赦なく胸を抉る。
ディランは、追い打ちを掛けるように続けた。
「ロガン、彼女より十歳近く年上なんだよ? 年齢的に言えば、おっさん枠に入ってもおかしくないよね」
「七歳だ。流石にそれは言い過ぎだろう」
「それに、ロガンが統一戦争を始めたのって、確か十年近く前だよね? その頃から想いを寄せていたとしたら……慎重に行かないと、君、ただ愛の重いロリコンの変態野郎だ」
「ロリっ……」
客観的な意見に返す言葉を失う。
ディランは勢いよく指を突きつけた。
「いいかい? まずは、君自身を知ってもらう必要がある」
「俺……自身……」
「毎日顔を合わせ、言葉を交わし、少しずつ心を通わせていくんだ。彼女のペースに合わせて、適切に、慎重にね。それで友達になって、異性として意識してもらって、最後に愛の言葉を告げる。これしかない」
ロガンは深刻な表情で口を開いた。
「しかし……」
「何か問題が?」
「顔を見ると……見惚れてしまって、言葉が出てこないんだ」
ディランは、無言のまま手元のお茶を啜った。
ロガンは両手で顔を覆い、もどかしい心の内を吐き出す。
「それに……俺は会話が上手くない。知っての通り、『黒豹』は原則一人で仕事をこなす。友と酒を酌み交わすこともなければ、親族との縁も薄い。統一戦争の時に仲間はできたが……楽しく会話を交わす余裕など、なかっただろう? そもそも、何を話題にすればいいのか……」
ディランは憐みの目をロガンに向ける。
そして、ポツリと零す。
「何かないかな……二人だけの接点みたいな」
『二人だけの接点』――その言葉に天啓が降りた。
ロガンは勢いよく立ち上がり、慌てて扉へ向かう。
「――そうだ! それだ!」
途中、テーブルに足を引っかけ転びそうになるが、それでも前進を止めない。
そして、扉を出たところで、一歩引き返す。
「ディラン! ――いつも、すまない。感謝する!」
バタバタと走り去る足音を聞きながら、ディランは堪らず吹き出した。
格好の悪い王も、それはそれで良いなと思いながら。
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