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「……わたくしの、出生の話や、両親の話はご存じでしょうか?」

「まあ……概ねはな」


 一国の王の妻となる娘のことを、調べないはずがない。

 それでも、セリーヌは少し残念な気持ちになる。

 もし、何一つ知られていなければ――『噂』の中にはいない、まっさらな自分を知ってもらえるのではと、どこかで、そんな期待を抱いてしまっていた。


 セリーヌは、俯きがちに続ける。


「この家に暮らしていたのは、七歳の頃までです。その頃のわたくしは、両親の事情などにも詳しくなくて……本当にただ、幸せな日々を送っておりました」


 母と二人の暮らし、たった二人きりの家族。

 その世界には一点の曇りもなく、溢れるほどの愛情と笑顔で満ちていた。

 ――少なくとも、セリーヌだけはそう信じていた。


 父親の不在について母に尋ねたこともあったが、母が困ったような顔で『あなたのお父さんはやるべきことがあって、遠くに行っているのよ』と言うので、その言葉を信じた。母と自分を置いて長らく帰って来ない父を、どこかで憎らしく思ってさえいた。


「……母は、流行病で亡くなりました。小さな街です。病は、あっという間に広がります。日常は、脆く崩れていきました」


 母の温もりは、特別だった。

 どんなものにも代えられない、強く優しい手。

 その手が、どんどん弱くなり、動かすのもやっとになっていく。

 

『お水を飲む?』、『何か食べる?』と懸命に尋ねても、首を横に振るばかり。

 ――まさか母が、そんな怖いことが起こるはずが無いと、心が追い付かないまま、病は母を奪っていった。


「その後、わたくしは父に引き取られ、ラヴィーニュ侯爵家の娘として生きて参りました」


 ラヴィーニュ侯爵家での日々は、筆舌に尽くしがたい。

 身体に目立った傷を負うことこそなかったが、その一つ一つが心を抉った。

 記憶に囚われそうになるが、セリーヌは努めて口元に微笑を浮かべた。


「……この家にいると、幼い頃の自分と母の笑い声が聞こえて来るようです。先程……思わず泣いてしまったのは、今の自分があまりにも憐れで……どうか、馬鹿な女と笑ってくださいませ。自己憐憫など、何になりましょう」


 父の言う通りだ。こんなふうに泣いてばかりいるから、周囲が自分を嘲り、都合よく扱うのだ。セリーヌは、苦々しい顔で自らの腕を擦る。

 

「どうにかして、逃れる方法もあったかもしれないのに……わたくしは義母に言われるがまま、背中や脚を露わにし、男達に手を握らせていたのです」


 その時、バキッ――と大きな音が響いた。

 セリーヌが驚いて顔を上げると、ロガンは片手にソファーの手すりの破片を持っていた。


「――……腐っていたようだ」

「大変っ……! 古い家ですので……、お怪我はございませんか!?」


 セリーヌが慌てて立ち上がろうとすると、ロガンは「気にするな」と折れた手すりを床に落とし、手を払った。何でもない様子だったので、セリーヌは戸惑いながらも再び静かに腰を落ち着けた。


「その、それ以上のことは……」

「え……?」

「いや、何でもない」


 話の流れから、セリーヌの身を案じてくれているのだとわかり、セリーヌは首を横に振った。


「いいえ。いくら義母が許そうとも、侯爵家の娘に無体を働くことはできなかったようです。父の目もありますし……義母とて、商品の価値を落として父の不興を買うのは、得策ではないと考えていたのでしょう」

「……そうか」


 ロガンは、安堵しているのか怒っているのか、苦々しく眉根を寄せ、複雑な表情を見せた。セリーヌは、そんなロガンの優しさに感謝しつつ、彼にこんな恥ずかしい話をしている自分が嫌になる。――話さなければ良かったと、早速心が後悔を始める。


 それ以上語らずにいると、ロガンが憮然とした様子で口を開いた。


「……『商品』と言うな」

「……え?」

「そなたは、そんな扱いを受けていい存在ではない。そなたが言ったのではないか、『同じ尊い命だ』と。そなたは、一人の母親が懸命に守ろうとした大切な娘だ。この世の誰一人、蔑ろにしていい者などいない」

 

 静かな口調だったが、その声には確かな怒りが(にじ)んでいた。

 それでも、なぜか怖くはなかった。

 ロガンは、カップを台の上に置きながら続けた。


「それに、自分を憐れんで何が悪い。不幸があり、辛く悲しい環境に身を置いていたのだ。他に何の感情を抱けと? 悔しいと思う気持ちも、悲しいと思う気持ちも、至極真っ当だ。労わりこそすれ、自分を否定はするな」


 自分の感情を認めてもらえることが、こんなにも嬉しいものだったなんて、すっかり忘れていた。喜びを忘れ、痛みさえ忘れ、凍えて震えてしまうような孤独に、自分の存在さえも見失いつつあった。――彼の言葉で体温が戻り、今ようやく地面に足をつけることができた気がする。


 涙はこぼれなかった。不思議な充足感が胸を満たし、セリーヌはそっと頬を綻ばせた。


「……はい。そのように、致します」


 声が掠れて情けない。それに、本来なら感謝と謝罪を伝えなければならないのに。そんなセリーヌの思いとは裏腹に、ロガンは気にする様子もなく、またぷいっとそっぽを向いてしまう。頬が赤らんで見えたのは気のせいだろうか。セリーヌは、ついふふっと笑みを零す。


(……なんだか、猫みたい。そっか。確か、黒豹も猫科だったかしら)


 ロガンの背に乗った時、うっすらと豹特有のロゼッタ模様があることに気が付いた。どちらも黒で分かりづらいけれど、黒の色味に違いがあるのだ。


(そういえば……この家で飼っていたムーンも、黒毛に黒の模様があったわね。猫科には多いのかしら。ほんの数週間一緒に過ごしただけだったけど、可愛かったな……)


 ぼんやりと昔のことに想いを馳せていると、ロガンはぼそりと声を出す。


「……それから、この屋敷は好きに使うと良い」

「え?」

「『嫁ぐ前に別邸で療養する』と言っても、誰も咎めはしないだろう。婚姻前にバル・グラードに来ることが問題なら、それまでの間はここで生活すれば良い。ここは、王都よりもバル・グラードに繋がる転移門に近い場所にある。通うにしても、ここの方が都合が良いだろう」

「しかし……そうなるとお勉強が」

「教師を遣わせればいい。獣人であれば、森の中の移動は難なくこなせる。我が国から派遣しよう」


 セリーヌにとって、それはとても嬉しい提案だった。

 もう、ラヴィーニュ侯爵邸にはいたくない。けれど、なぜそこまでしてくれるのだろう。そこで、セリーヌは今日のデートの目的を思い出す。今日は、ロガンに婚姻の目的を、セリーヌ自身に何を求めているのかを尋ねるために来たのだ。


 セリーヌは、覚悟を決めて立ち上がり、ロガンの前に膝をついた。

 ロガンは目を見開き、驚きつつも真っ直ぐにセリーヌを見つめた。

 

「陛下……」

「……ど、どうした?」

「住まいのこと、本当にありがたく存じます。それだけでなく、初めてお会いして間もないというのに、わたくしの身を案じ、寄り添ってくださったこと……どうお礼を申し上げて良いかわからぬほど、深く感謝しております」


 セリーヌは、一度そこで言葉を切り、気持ちが伝わるようにと願いを込めた。

 ロガンは、困惑した表情でセリーヌの言葉を待つ。


「ですが……わたくしは、王妃の器ではございません。いかに尽力しても、陛下の手を煩わせるばかりで、わたくしが本当にお力になれる日が来るのかどうか……。陛下の隣に立つに相応しい人間では……ないように思うのです」


 それでも、もし出来ることがあるのなら教えて欲しい。力を尽くすので、側に置いて欲しい。そう伝えるつもりだった。

 けれど、それより先に、低い声が鼓膜を震わせる。


「――……だから、婚姻の話をなかったことにしたいと?」

「……え?」

「この婚姻は、国同士の繋がりを強めるためのものだ。いくら厭おうと、話しが流れることはない。婚約破棄など――ゆめゆめ考えぬことだ!」


 ロガンは、勢いよく立ち上がり、扉に向かった。一度足を止め、去り際に言葉を一つ残す。


「……居を移す手筈は、整えよう。今夜からが良ければ、そうすれば良い。すべて、望みのままにピトに伝えろ」


 そのまま、ロガンは家を出て行った。

 残されたセリーヌは、呆然とその場に立ち尽くしていた。

貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。

いいね、ブクマ、ご感想、お待ちしています(,,ᴗ ᴗ,,)


どうか素敵な一日をお過ごしください

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