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12/25

12・


 日が、だいぶ落ちた。空が藍色に染まり始め、星の瞬きがぽつりぽつりと姿を現す。風はひんやりと肌を撫で、昼間の熱を孕んでいた地面も、次第に冷たさを帯び始めていた。

 

 セリーヌは、馬車でルメローザの王都の端までやってきていた。

 人も疎らな小さな広場で、ピトと二人ベンチに座る。

 ドレスの上には、ロガンのコートを羽織っている。


(陛下は、大丈夫かしら? 私がコートをお借りしちゃって……寒くはないかしら?)


 ロガンとディランは、「ここで少し待っていて欲しい」と告げ、どこかへ行ってしまった。セリーヌは、コートの裾から見える、薄桃色のドレスをぼんやりと見つめる。


(……そう言えば、お礼も伝えていなかったわ。ドレスのことも、お店でのことも)


 あんな大金をと心配したら、ピトが「獣人の国は豊かなんですよ。人間には出来ない沢山のことが出来るので、どの部族もお金には困っていないんです」と教えてくれた。それでも、あんな騒動が無ければ真っ当な金額でやり取りが出来たはずだ。


(私の微妙な立場の所為で、ご迷惑ばかりお掛けしているのに……それでもなお、婚約者として丁重に扱ってくれる。陛下は、口数は少ないけれど、心の優しい方なのね)

 

 婚姻が成立すれば、きっと歩み寄れる。それに、それ以上の感情だって抱いていける予感がする。なのに、そんな自分の気持ちを素直に受け止められない。惹かれるほどに、自信の無さが露呈する。


(これは、政略結婚。私の気持ちなんて関係ないけど――陛下の隣に立つのが、怖い……)


 今日のようなことが、きっと今後も沢山ある。

 それなのに、自信の無さが邪魔をして毅然と対応できない。

 いつかそのことが、ロガンの足を引っ張るのではと思うと、怖くて仕方がない。


 俯いていると、隣に座るピトが「あ、準備が出来たようです」と立ち上がる。

 どうやって連絡を取り合っているのだろう。周囲を見回しても、何もない。


 ピトに手を引かれ、ついに王都の街から離れる。

 隣の町までは、長い森の道が続く。どこに行くのだろうと不思議に思っていたら、森の入り口に、人の数倍大きい黒い豹が二頭座っていた。

 

 セリーヌは、思わず顔を青褪めさせ、体を固まらせる。

 豹を見ることさえ初めてなのだ。ピトが気安く彼らに近付くが、足が竦んで動かない。

 

 一頭の黒豹が、セリーヌの方に視線を向ける。

 月のように煌めく瞳で、様子を伺うようにじっとセリーヌを見つめるが、すぐに瞳を伏せて頭を下げた。

 まるで、セリーヌが自ら近付けるその時を、待っているかのようだった。


 セリーヌは、恐る恐る足を動かす。

 一歩一歩慎重に近付き、その滑らかな毛並みにそっと手を添えた。


「まあ……」


 見た目よりもずっと艶やかで、ふわふわと温かい。

 撫で続けると、大きな尻尾がパタパタと揺れ、時折、ゴロゴロ――と喉が鳴る音も聞こえてくる。


『――恐ろしいか?』


 頭に直接声が響き、セリーヌはビクッと手を止めた。

 目を大きく見開き、黒豹を見つめる。


「……もしかして、陛下、ですか?」

『ああ』


 ロガンは、セリーヌを見ない。

 一見、そっけなく見えるが、セリーヌを怖がらせまいとする気持ちが伝わってくるようだった。その心遣いに、胸が熱くなる。


 セリーヌは、そっと手を離し、意を決して口を開いた。


「……あの、寒く、は、ないですか?」

 

 咄嗟に出た言葉がそんなことで、恥ずかしい。

 顔を赤らめて俯いていると、クスッと笑う声が聞こえたような気がした。


『寒くはない。厚い毛皮もあるからな』

「そ、そうですよね……えっと、どうして、この、お姿に?」

『少しここから距離のある場所に行く。自分で走った方が、馬に頼るよりも断然早い。――決して振り落とさないと誓うから、背に乗ってくれるか?』

「せ、背に……?」


 セリーヌは、ロガンを見つめる。

 ロガンだと思うと、もう怖くは無かった。

 そして――その瞳に、やはり見覚えがあるような気がした。

 

 思い出そうとしていると、後ろからピトが大きな袋を肩に抱えてやって来る。


「大丈夫ですわ、番様。わたくしが、後ろからお支えします」

 

 その言葉に背を押され、アタフタと手足を使い、地面に平たく伏せるロガンの背に何とか座る。毛を引っ張ってしまう時、膝をあててしまう時、痛くはないのかと冷や冷やしたが、ロガンは『大丈夫だ。気にするな』と動かずにいてくれた。

 

 ピトはレストランの控室で、破れた服から動きやすいパンツスタイルに変わっていた。ひらりと身を乗り出し、難なくロガンの上に跨る。


 二人がロガンの背に乗ったところで、ロガンはすくりと立ち上がる。

 視界が急に高くなり、見晴らしが良くなる。慣らす様にノソノソとゆっくり歩き出した。不安定ではあるけれど、乗り心地は悪くなかった。


(きっと……陛下が、私が落ちない様に気を使ってくださっているからね……)


 ロガンは、少しずつスピードを上げていく。

 時折セリーヌが不安になっても、ピトが後ろからその背を力強く支えた。

 最後は、空を飛ぶように夜の森を駆け抜ける爽快感に、自然と、笑みが零れた。


 

◇◇◇

 


 そして一行は、幾つか大きな街の脇をすり抜け、森の奥にひっそりと佇む小さな街に辿り着いた。


「――……! ここは……」


 忘れるはずがない。

 ずっと思い描いていた、懐かしい街の姿が、目の前に広がっている。

 楚々とした雰囲気の教会を中心に、円形状に広がる小さな街ベルヴェルデ。

 セリーヌが、幼い頃暮らしていた街だ。


 ロガンは、迷うことなく街の外れへと歩みを進めた。

 そこには、小さな庭を囲むように家が建っていた。道に面した表側は店舗になっており、裏手にはひっそりとした小さな家屋が隠れるように佇んでいる。セリーヌはロガンの背中から降り、ピトから扉の鍵を手渡された。


 家屋の入り口には、温かみのある灯りがぽつんと浮かび上がっている。

 鍵を差し込み、慎重に回すと、錠がカチリと軽やかな音を立てた。

 扉を押し開けると、温かみのある色の光が中からあふれ出し、セリーヌを迎え入れる。


 室内に足を踏み入れると、魔晶石の光がランタンに揺らめいているのが目に留まった。蝋燭の炎ではないそれは、昼間のような明るさで部屋を照らしている。――魔晶石など、母との暮らしの時は高価でとても手が届かなかったのに。

 

 暖炉では薪が静かに燃え、時折パチパチという音を立てている。


 部屋全体を見渡すと、驚くほど整然としている。

 家具はきちんと磨かれ、誇り一つ落ちていない。

 セリーヌは、キョロキョロと視線を動かしながら、思わず呟く。

 

「……どうして」


 答えは、後ろに続くピトがくれた。


「ここは、番様の個人名義になっていたそうです」

「え……?」

「婚姻の手続きを進めていく中で陛下がお気づきになり、ラヴィーニュ侯爵にお尋ねしたところ、番様が元々お暮しになっていた家だとお聞きになったそうで――勝手ながら、先だって中を整えさせていただきました」

「そうだったの……」


 気が付くと、暮らしていた頃にはもう出来ていた隙間さえ、きちんと修繕されていた。壁紙も張り替えられているようで、部屋や家具の配置はそのままなのに、新築のように瑞々しい香りがする。


 セリーヌは、込み上げてくる思いを感じながら、真っ先に母の使っていた寝室に向かった。


 そこは、母の最期を看取った場所。

 不意に悲しい記憶が蘇るけれど、思い切って扉を開けた。


 ベッドには、清潔な寝具が用意されていた。ベッドサイドには花が飾られ、小さな明かりも灯されている。母と二人、遊びながら身だしなみを整えたドレッサーは綺麗に磨かれていて、当時の楽しかった頃の記憶が蘇る。――病気による悲壮感は、もうどこにも残っていなかった。

 

 茫然と、立ち尽くすようにその様子を眺める。

 ピトが、心配するように声を掛ける。


「……番様? その、なにか粗相がありましたでしょうか……?」

「……ううん。違うの……ごめんなさい。ちょっと……色んな気持ちが、溢れちゃって……」


 人の形に戻り、着替えを済ませたロガンが二人に追い付く。

 セリーヌの様子を見て、険しい顔で尋ねた。


「――どうした?」


 セリーヌは、泣くことも無く、笑うことも無く、思いつめた顔で俯いている。

 ロガンは、思わずピトを見るが、ピトは困惑気に眉尻を下げて首を横に振るだけだった。


 ロガンは、セリーヌの前に立ち、今一度問う。


「……どうした?」


 怖がらせないようトーンを落とし、静かに尋ねた。

 根気よく返ってくる言葉を待ち、暫くして、ようやくセリーヌが顔を上げた。

 瞳には涙が溜まり、唇を噛んで戦慄かせている。

 ロガンは、そっとその唇に指を這わせた。


「よせ。傷がつく……泣きたければ、泣けばいい」


 ダムが決壊するように、セリーヌの瞳から大粒の涙が零れ始めた。

 身体が崩れ落ち、それをロガンが抱き留める。

 セリーヌは、まるで十年分の涙をまとめて流すように、声を上げて泣き続けた。

 ロガンは、セリーヌが泣き止むまでずっと、その背を摩り続けた。

 

一日一話と思っていたのに、誤って同時掲載してしまいました( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ ;)


貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。

いいね、ブクマ、ご感想、お待ちしています(,,ᴗ ᴗ,,)


どうか素敵な一日をお過ごしください

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