12・
日が、だいぶ落ちた。空が藍色に染まり始め、星の瞬きがぽつりぽつりと姿を現す。風はひんやりと肌を撫で、昼間の熱を孕んでいた地面も、次第に冷たさを帯び始めていた。
セリーヌは、馬車でルメローザの王都の端までやってきていた。
人も疎らな小さな広場で、ピトと二人ベンチに座る。
ドレスの上には、ロガンのコートを羽織っている。
(陛下は、大丈夫かしら? 私がコートをお借りしちゃって……寒くはないかしら?)
ロガンとディランは、「ここで少し待っていて欲しい」と告げ、どこかへ行ってしまった。セリーヌは、コートの裾から見える、薄桃色のドレスをぼんやりと見つめる。
(……そう言えば、お礼も伝えていなかったわ。ドレスのことも、お店でのことも)
あんな大金をと心配したら、ピトが「獣人の国は豊かなんですよ。人間には出来ない沢山のことが出来るので、どの部族もお金には困っていないんです」と教えてくれた。それでも、あんな騒動が無ければ真っ当な金額でやり取りが出来たはずだ。
(私の微妙な立場の所為で、ご迷惑ばかりお掛けしているのに……それでもなお、婚約者として丁重に扱ってくれる。陛下は、口数は少ないけれど、心の優しい方なのね)
婚姻が成立すれば、きっと歩み寄れる。それに、それ以上の感情だって抱いていける予感がする。なのに、そんな自分の気持ちを素直に受け止められない。惹かれるほどに、自信の無さが露呈する。
(これは、政略結婚。私の気持ちなんて関係ないけど――陛下の隣に立つのが、怖い……)
今日のようなことが、きっと今後も沢山ある。
それなのに、自信の無さが邪魔をして毅然と対応できない。
いつかそのことが、ロガンの足を引っ張るのではと思うと、怖くて仕方がない。
俯いていると、隣に座るピトが「あ、準備が出来たようです」と立ち上がる。
どうやって連絡を取り合っているのだろう。周囲を見回しても、何もない。
ピトに手を引かれ、ついに王都の街から離れる。
隣の町までは、長い森の道が続く。どこに行くのだろうと不思議に思っていたら、森の入り口に、人の数倍大きい黒い豹が二頭座っていた。
セリーヌは、思わず顔を青褪めさせ、体を固まらせる。
豹を見ることさえ初めてなのだ。ピトが気安く彼らに近付くが、足が竦んで動かない。
一頭の黒豹が、セリーヌの方に視線を向ける。
月のように煌めく瞳で、様子を伺うようにじっとセリーヌを見つめるが、すぐに瞳を伏せて頭を下げた。
まるで、セリーヌが自ら近付けるその時を、待っているかのようだった。
セリーヌは、恐る恐る足を動かす。
一歩一歩慎重に近付き、その滑らかな毛並みにそっと手を添えた。
「まあ……」
見た目よりもずっと艶やかで、ふわふわと温かい。
撫で続けると、大きな尻尾がパタパタと揺れ、時折、ゴロゴロ――と喉が鳴る音も聞こえてくる。
『――恐ろしいか?』
頭に直接声が響き、セリーヌはビクッと手を止めた。
目を大きく見開き、黒豹を見つめる。
「……もしかして、陛下、ですか?」
『ああ』
ロガンは、セリーヌを見ない。
一見、そっけなく見えるが、セリーヌを怖がらせまいとする気持ちが伝わってくるようだった。その心遣いに、胸が熱くなる。
セリーヌは、そっと手を離し、意を決して口を開いた。
「……あの、寒く、は、ないですか?」
咄嗟に出た言葉がそんなことで、恥ずかしい。
顔を赤らめて俯いていると、クスッと笑う声が聞こえたような気がした。
『寒くはない。厚い毛皮もあるからな』
「そ、そうですよね……えっと、どうして、この、お姿に?」
『少しここから距離のある場所に行く。自分で走った方が、馬に頼るよりも断然早い。――決して振り落とさないと誓うから、背に乗ってくれるか?』
「せ、背に……?」
セリーヌは、ロガンを見つめる。
ロガンだと思うと、もう怖くは無かった。
そして――その瞳に、やはり見覚えがあるような気がした。
思い出そうとしていると、後ろからピトが大きな袋を肩に抱えてやって来る。
「大丈夫ですわ、番様。わたくしが、後ろからお支えします」
その言葉に背を押され、アタフタと手足を使い、地面に平たく伏せるロガンの背に何とか座る。毛を引っ張ってしまう時、膝をあててしまう時、痛くはないのかと冷や冷やしたが、ロガンは『大丈夫だ。気にするな』と動かずにいてくれた。
ピトはレストランの控室で、破れた服から動きやすいパンツスタイルに変わっていた。ひらりと身を乗り出し、難なくロガンの上に跨る。
二人がロガンの背に乗ったところで、ロガンはすくりと立ち上がる。
視界が急に高くなり、見晴らしが良くなる。慣らす様にノソノソとゆっくり歩き出した。不安定ではあるけれど、乗り心地は悪くなかった。
(きっと……陛下が、私が落ちない様に気を使ってくださっているからね……)
ロガンは、少しずつスピードを上げていく。
時折セリーヌが不安になっても、ピトが後ろからその背を力強く支えた。
最後は、空を飛ぶように夜の森を駆け抜ける爽快感に、自然と、笑みが零れた。
◇◇◇
そして一行は、幾つか大きな街の脇をすり抜け、森の奥にひっそりと佇む小さな街に辿り着いた。
「――……! ここは……」
忘れるはずがない。
ずっと思い描いていた、懐かしい街の姿が、目の前に広がっている。
楚々とした雰囲気の教会を中心に、円形状に広がる小さな街ベルヴェルデ。
セリーヌが、幼い頃暮らしていた街だ。
ロガンは、迷うことなく街の外れへと歩みを進めた。
そこには、小さな庭を囲むように家が建っていた。道に面した表側は店舗になっており、裏手にはひっそりとした小さな家屋が隠れるように佇んでいる。セリーヌはロガンの背中から降り、ピトから扉の鍵を手渡された。
家屋の入り口には、温かみのある灯りがぽつんと浮かび上がっている。
鍵を差し込み、慎重に回すと、錠がカチリと軽やかな音を立てた。
扉を押し開けると、温かみのある色の光が中からあふれ出し、セリーヌを迎え入れる。
室内に足を踏み入れると、魔晶石の光がランタンに揺らめいているのが目に留まった。蝋燭の炎ではないそれは、昼間のような明るさで部屋を照らしている。――魔晶石など、母との暮らしの時は高価でとても手が届かなかったのに。
暖炉では薪が静かに燃え、時折パチパチという音を立てている。
部屋全体を見渡すと、驚くほど整然としている。
家具はきちんと磨かれ、誇り一つ落ちていない。
セリーヌは、キョロキョロと視線を動かしながら、思わず呟く。
「……どうして」
答えは、後ろに続くピトがくれた。
「ここは、番様の個人名義になっていたそうです」
「え……?」
「婚姻の手続きを進めていく中で陛下がお気づきになり、ラヴィーニュ侯爵にお尋ねしたところ、番様が元々お暮しになっていた家だとお聞きになったそうで――勝手ながら、先だって中を整えさせていただきました」
「そうだったの……」
気が付くと、暮らしていた頃にはもう出来ていた隙間さえ、きちんと修繕されていた。壁紙も張り替えられているようで、部屋や家具の配置はそのままなのに、新築のように瑞々しい香りがする。
セリーヌは、込み上げてくる思いを感じながら、真っ先に母の使っていた寝室に向かった。
そこは、母の最期を看取った場所。
不意に悲しい記憶が蘇るけれど、思い切って扉を開けた。
ベッドには、清潔な寝具が用意されていた。ベッドサイドには花が飾られ、小さな明かりも灯されている。母と二人、遊びながら身だしなみを整えたドレッサーは綺麗に磨かれていて、当時の楽しかった頃の記憶が蘇る。――病気による悲壮感は、もうどこにも残っていなかった。
茫然と、立ち尽くすようにその様子を眺める。
ピトが、心配するように声を掛ける。
「……番様? その、なにか粗相がありましたでしょうか……?」
「……ううん。違うの……ごめんなさい。ちょっと……色んな気持ちが、溢れちゃって……」
人の形に戻り、着替えを済ませたロガンが二人に追い付く。
セリーヌの様子を見て、険しい顔で尋ねた。
「――どうした?」
セリーヌは、泣くことも無く、笑うことも無く、思いつめた顔で俯いている。
ロガンは、思わずピトを見るが、ピトは困惑気に眉尻を下げて首を横に振るだけだった。
ロガンは、セリーヌの前に立ち、今一度問う。
「……どうした?」
怖がらせないようトーンを落とし、静かに尋ねた。
根気よく返ってくる言葉を待ち、暫くして、ようやくセリーヌが顔を上げた。
瞳には涙が溜まり、唇を噛んで戦慄かせている。
ロガンは、そっとその唇に指を這わせた。
「よせ。傷がつく……泣きたければ、泣けばいい」
ダムが決壊するように、セリーヌの瞳から大粒の涙が零れ始めた。
身体が崩れ落ち、それをロガンが抱き留める。
セリーヌは、まるで十年分の涙をまとめて流すように、声を上げて泣き続けた。
ロガンは、セリーヌが泣き止むまでずっと、その背を摩り続けた。
一日一話と思っていたのに、誤って同時掲載してしまいました( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ ;)
貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。
いいね、ブクマ、ご感想、お待ちしています(,,ᴗ ᴗ,,)
どうか素敵な一日をお過ごしください




