11・
「――ダメ! いけません、陛下!」
店の中でセリーヌに手を掴まれ、そう告げられた時、ロガンは過去の記憶を蘇らせていた。
『――ダメ! ムーン、いけないわ!』
七歳の頃の小さな彼女が、可愛らしい頬をパンパンに膨らませて幼い獣姿になったロガンを窘める。その様子を見て、リリーがクスクスと笑いながら尋ねた。
『可愛いセリー。どうしたの? ムーンが何かした?』
『ムーンったら、蝶々をいじめようとしたの。食べるわけでもないのに……』
セリーヌが洗濯物を干す間、暇を持て余し、つい目の前をひらひらと舞飛ぶ蝶々を追いかけた。何がいけないんだとそっぽを向いていたら、リリーがロガンの気持ちを代弁した。
『まあ……でも、猫には狩猟本能があるのよ?』
『しゅりょう、ほんのう?』
『そう。動くものを追いかけるのも、ムーンが生きて行く上で学ばなければいけない大切なことなの』
セリーヌは、しゅんと肩を落とした。
そして、ロガンの前で膝を付き、膨らんだ頬を小さくすぼめた。
『……ごめんなさい、ムーン。私、知らなかったの。でも、やっぱり無暗に命を奪うことは、悲しいことだと思うの。だから、その分いっぱい私が遊んであげるから、蝶々は一緒に眺めましょう? 私、蝶々も好きなの』
『ふふ、偉いわね~。すっかりお姉さんになっちゃって。セリーヌは、もう猫ちゃんのこともちゃんと躾けられるのね』
そんな、過去のワンシーンだ。
(つまり、俺は今――セリーヌに躾けられているのかっ……!?)
ロガンの目がくわっと大きく見開く。
その表情を見て、店のオーナーと思しき女が「ヒィッ……!」と小さく声を上げた。しかし、ロガンにとってはそれどころではない。あのセリーヌが、可愛らしい声で自分を躾けてくれているのだ。
(ただでさえ、今日の服は本当によく似合っている。愛らしい薄桃色はセリーヌのイメージにピッタリだし、優雅なラインは女神再降臨だ。……つまり、この婚姻が無事成り立てば、俺はこの愛らしい女神に一生躾けて貰えるのか? それは……何と言う、至福‼ 何て、甘美な誘惑なんだ……)
続きは何て言うつもりなのだろうと、心がソワソワと浮足立つ。
今すぐ跪き許しを請いながら、優しく窘められたい。
(いやいやいや――冷静になれ。いくらなんでも、飛ばし過ぎだ。それに、今はダメだ。彼女が何と言おうと、彼女を貶めようとした者達を全員叩きのめさねばならない)
ロガンが内心で葛藤していると、セリーヌの切実な声が聞こえて来る。
「陛下――申し訳ございません。バル・グラードの国民のことを悪し様に申し上げたこと、彼女に変わり、わたくしがお詫び申し上げます。どうか、お怒りをお鎮めくださいませ」
ロガンは、愕然とする。どう考えても、セリーヌが謝ることではない。
彼女の考えを、言葉の理由を知りたくて、思わず振り返る。
力余って、ついその細い身体を引き寄せた。
「……何故だ? あの者達は、そなたを嘲笑ったのだ。何故、そんな者達を庇い、そなたが頭を下げる!」
一瞬、セリーヌの瞳が驚きに見開かれた。宝石のように煌めく紫色の瞳が僅かに揺れる。不安そうな顔を見ると、心が痛い。
「わたくしは、ただ……優しいピトや、陛下と敵対関係になりたくないのです。わたくしの為に、バル・グラードの皆様の手を、血で染めたくありません」
(――そんな、風に思ってくれているのか……)
婚約式のことで幻滅されたと思っていただけに、歩み寄りたいと言って貰えたことが酷く嬉しかった。そして同時に、彼女の心の美しさに胸が震えた。
そんな清らかな彼女だからこそ、知っておいてもらわねばならない。
そう思い、ロガンは過去の自分の罪を告げる。
「どうせ既に血塗られた手だ。今更、どれほど残虐なことをしようと、変わる事は無い」
「……いいえ、いけません。陛下ご自身が気づかなくとも、きっと、陛下のお心を傷つけてしまうはずです。わたくしも、陛下も……同じ尊い命を、生きているのですから」
(――……天使だ)
召されるかと思った。これ以上極悪人のような立ち振る舞いをして、この清らかなセリーヌに嫌われるのが怖い。だから、ロガンは思考を切り替えることにした。
(今日の最優先事項は――デートの完遂だ)
ロガンは支払いを済ませ、店にいた者達に釘を差し、その場を後にした。
◇◇◇
「…………」
「…………」
ルメローザの王都にあるレストランで、ロガンとセリーヌは向かい合って座る。
もちろん、店舗を丸ごと貸切った。金と鋭い牙があれば大抵のことは実現できる。ディランの調べた通り、店の中の雰囲気はよく、音楽家たちの生演奏も耳に心地いい。
二人を見守るディランとピトが、獣人特有の、直接脳に話しかける能力を使用して会話をする。
『わ~……もうデザート来ちゃった。番様も、陛下も、なんで一言もしゃべらないのかしら?』
『ロガン様は完全に日和ってますね。緊張しすぎて、何話せば良いかわからないんですよ。婚約式早々に失敗しちゃったし』
『失敗? 何のこと?』
『ああ、実は……』
ディランは、ピトに婚約式でのことを話す。
ピトは、思いっきり苦い顔をして、ロガンを遠くから軽蔑するような眼差しで見つめた。
『信じられない! 番様、可哀相!』
『僕も耳を疑いましたよ。まさか好きな人を前にすると、あんなにもダメな人になるとは……』
『――お前達、少し煩いぞ』
二人の会話に、ロガンの思念が流れ込んでくる。
ロガンに向けての気持ちが高まり、会話の内容がロガンにまで伝わってしまったようだ。
『陛下! ここは男らしく会話をリードするところですわ! いい加減ご覚悟をお決めくださいませ!』
『わかっている! 俺はただ……非礼を詫びるタイミングをだな』
『もうお食事を始めてから二時間半が経過しています! その全てがタイミングでしたよ! 今です! 今、話しかけましょう!』
ピトとディランに背中を押され、ロガンは「んん」と咳ばらいをし、改めてセリーヌに向き合う。しかし、カップを持つセリーナの手が、小刻みに震えていることに気が付いてしまった。
(――やはり、俺のことが怖いのだろうか……)
獣――特に豹のような肉食獣にとっては、対面するだけで相手を怯えさせるなんて誇らしくさえある。けれど、意中の女性に怖がられてしまうのは堪える。こんな状況で、何を話せば良いと言うのか。
(心を開いてもらうには、どうしたら良いんだ……)
話しかけようとしていた勇気が萎んでいく。
一方で、セリーヌも大変に頭を悩ませていた。
(……どうしよう。今気が付いたけど……私、お母さんが亡くなってから、まともに人と話したことが無いわ……‼)
衝撃的な事実だ。
昨日初めて会ったピトは、とても話しやすかった。
同性と言うこともあったし、何よりセリーヌが何かを言わずとも、ピトが沢山話しかけてくれた。
(そんな状態で次に話す人が一国の王だなんて……難易度が高すぎるわ! どうしたらいいの? そもそも、『身分が下の者から上の者に話しかけてはいけない』と礼儀作法の授業では教わったけど、この場合、やっぱり陛下が話し始めるまで待つべきなのかしら? でも……陛下は、とても無口な方のようだし、私はどうしたら良いの?)
わからない。社交の場では、義母に連れられ二十も、三十も歳上の男性の話し相手をさせられた。けれど、その時だって先方が勝手に話してくれていたし、好かれたくなくて敢えて黙るようにもしていた。会話を続けようと努力をしたこともなかった。でも――。
(……この婚姻は国同士が決めたこと。覆ることがないのなら、折角なら、歩み寄りたい)
ちらりと視線をあげると、黄金の瞳とバッチリ目が合う。
セリーヌは、思わず慌てて視線を下げてしまった。
ロガンは、ガンっと岩で頭を打たれたように衝撃的な表情を見せるが――俯いているセリーヌには伝わらない。
(どうしよう……)
(どうしたら……)
無言の時間が過ぎる。
痺れを切らしたピトは、隣に立つディランを軽く小突く。
ディランは、最初気が付かない振りをしていたが――致し方ないと、食卓を囲む二人に近付いた。
「え~……陛下。ラヴィーニュ侯爵令嬢を、ご案内したい場所があるのですよね?」
ロガンは、ディランの助け舟をどう捉えて良いのか分からなかった。
恐れている相手と、これ以上時間を共にするのは苦痛ではないだろうか。
それでも――いつまでもこうして、距離があるのはとても耐えがたい。
ロガンは、意を決して頷く。
「ああ――もし、時間の都合がつけば……な」
ロガンは、しまったと口を閉ざす。『もし、そなたさえよければ、共に過ごす時間を貰えないだろうか』と言うつもりが、焦って変な所で省略してしまった。これでは、是非一緒に行って欲しいというより、もののついでだと言わんばかりだ。ディランは、無理やり作っている笑顔を、さらにひくつかせている。
ロガンがどうしたらと頭を悩ませていると、セリーヌは、コクコクと何度も小刻みに頷いた。
「あの、はい。わたくしは、大丈夫です。その……お忙しい陛下の、お時間を、頂けるのであれば……」
最後は、自信なさげに声が小さく消えていった。
セリーヌは、こんなにも弱々しい子だったろうか。
小さな疑問が浮かんだが、ひとまず了承してくれたことに安堵し、ロガンは勢いよく立ち上がり手を差し伸べた。
「ならば、行こう」
緊張で、顔が強張る。セリーヌはビクリと肩を震わせたが、躊躇いがちに、そっと手を乗せた。
「……はい」
二人は連れ立って店を後にした。レストランのスタッフ一同、その背を見送り――一様に緊張の糸が解けて、崩れ落ちるように脱力した。緊張感に溢れる、無言のディナーは無事、終了した。
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