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「――ダメ! いけません、陛下!」


 店の中でセリーヌに手を掴まれ、そう告げられた時、ロガンは過去の記憶を蘇らせていた。


 


『――ダメ! ムーン、いけないわ!』


 七歳の頃の小さな彼女が、可愛らしい頬をパンパンに膨らませて幼い獣姿になったロガンを(たしな)める。その様子を見て、リリーがクスクスと笑いながら尋ねた。


『可愛いセリー。どうしたの? ムーンが何かした?』

『ムーンったら、蝶々をいじめようとしたの。食べるわけでもないのに……』


 セリーヌが洗濯物を干す間、暇を持て余し、つい目の前をひらひらと舞飛ぶ蝶々を追いかけた。何がいけないんだとそっぽを向いていたら、リリーがロガンの気持ちを代弁した。


『まあ……でも、猫には狩猟本能があるのよ?』

『しゅりょう、ほんのう?』

『そう。動くものを追いかけるのも、ムーンが生きて行く上で学ばなければいけない大切なことなの』


 セリーヌは、しゅんと肩を落とした。

 そして、ロガンの前で膝を付き、膨らんだ頬を小さくすぼめた。


『……ごめんなさい、ムーン。私、知らなかったの。でも、やっぱり無暗に命を奪うことは、悲しいことだと思うの。だから、その分いっぱい私が遊んであげるから、蝶々は一緒に眺めましょう? 私、蝶々も好きなの』

『ふふ、偉いわね~。すっかりお姉さんになっちゃって。セリーヌは、もう猫ちゃんのこともちゃんと躾けられるのね』



 

 そんな、過去のワンシーンだ。


(つまり、俺は今――セリーヌに躾けられているのかっ……!?)


 ロガンの目がくわっと大きく見開く。

 その表情を見て、店のオーナーと思しき女が「ヒィッ……!」と小さく声を上げた。しかし、ロガンにとってはそれどころではない。あのセリーヌが、可愛らしい声で自分を躾けてくれているのだ。


(ただでさえ、今日の服は本当によく似合っている。愛らしい薄桃色はセリーヌのイメージにピッタリだし、優雅なラインは女神再降臨だ。……つまり、この婚姻が無事成り立てば、俺はこの愛らしい女神に一生躾けて貰えるのか? それは……何と言う、至福‼ 何て、甘美な誘惑なんだ……)


 続きは何て言うつもりなのだろうと、心がソワソワと浮足立つ。

 今すぐ(ひざまず)き許しを請いながら、優しく(たしな)められたい。

 

(いやいやいや――冷静になれ。いくらなんでも、飛ばし過ぎだ。それに、今はダメだ。彼女が何と言おうと、彼女を貶めようとした者達を全員叩きのめさねばならない)


 ロガンが内心で葛藤していると、セリーヌの切実な声が聞こえて来る。


「陛下――申し訳ございません。バル・グラードの国民のことを悪し様に申し上げたこと、彼女に変わり、わたくしがお詫び申し上げます。どうか、お怒りをお鎮めくださいませ」


 ロガンは、愕然とする。どう考えても、セリーヌが謝ることではない。

 彼女の考えを、言葉の理由を知りたくて、思わず振り返る。

 力余って、ついその細い身体を引き寄せた。

 

「……何故だ? あの者達は、そなたを嘲笑ったのだ。何故、そんな者達を庇い、そなたが頭を下げる!」

 

 一瞬、セリーヌの瞳が驚きに見開かれた。宝石のように煌めく紫色の瞳が僅かに揺れる。不安そうな顔を見ると、心が痛い。


「わたくしは、ただ……優しいピトや、陛下と敵対関係になりたくないのです。わたくしの為に、バル・グラードの皆様の手を、血で染めたくありません」


(――そんな、風に思ってくれているのか……)

 

 婚約式のことで幻滅されたと思っていただけに、歩み寄りたいと言って貰えたことが酷く嬉しかった。そして同時に、彼女の心の美しさに胸が震えた。


 そんな清らかな彼女だからこそ、知っておいてもらわねばならない。

 そう思い、ロガンは過去の自分の罪を告げる。


「どうせ既に血塗られた手だ。今更、どれほど残虐なことをしようと、変わる事は無い」

「……いいえ、いけません。陛下ご自身が気づかなくとも、きっと、陛下のお心を傷つけてしまうはずです。わたくしも、陛下も……同じ尊い命を、生きているのですから」


(――……天使だ)


 召されるかと思った。これ以上極悪人のような立ち振る舞いをして、この清らかなセリーヌに嫌われるのが怖い。だから、ロガンは思考を切り替えることにした。

 

(今日の最優先事項は――デートの完遂だ)

 

 ロガンは支払いを済ませ、店にいた者達に釘を差し、その場を後にした。


 

◇◇◇

 


「…………」

「…………」


 ルメローザの王都にあるレストランで、ロガンとセリーヌは向かい合って座る。

 もちろん、店舗を丸ごと貸切った。金と鋭い牙があれば大抵のことは実現できる。ディランの調べた通り、店の中の雰囲気はよく、音楽家たちの生演奏も耳に心地いい。

 

 二人を見守るディランとピトが、獣人特有の、直接脳に話しかける能力を使用して会話をする。


『わ~……もうデザート来ちゃった。番様も、陛下も、なんで一言もしゃべらないのかしら?』

『ロガン様は完全に日和ってますね。緊張しすぎて、何話せば良いかわからないんですよ。婚約式早々に失敗しちゃったし』

『失敗? 何のこと?』

『ああ、実は……』


 ディランは、ピトに婚約式でのことを話す。

 ピトは、思いっきり苦い顔をして、ロガンを遠くから軽蔑するような眼差しで見つめた。


『信じられない! 番様、可哀相!』

『僕も耳を疑いましたよ。まさか好きな人を前にすると、あんなにもダメな人になるとは……』

『――お前達、少し煩いぞ』


 二人の会話に、ロガンの思念が流れ込んでくる。

 ロガンに向けての気持ちが高まり、会話の内容がロガンにまで伝わってしまったようだ。


『陛下! ここは男らしく会話をリードするところですわ! いい加減ご覚悟をお決めくださいませ!』

『わかっている! 俺はただ……非礼を詫びるタイミングをだな』

『もうお食事を始めてから二時間半が経過しています! その全てがタイミングでしたよ! 今です! 今、話しかけましょう!』


 ピトとディランに背中を押され、ロガンは「んん」と咳ばらいをし、改めてセリーヌに向き合う。しかし、カップを持つセリーナの手が、小刻みに震えていることに気が付いてしまった。


(――やはり、俺のことが怖いのだろうか……)


 獣――特に豹のような肉食獣にとっては、対面するだけで相手を怯えさせるなんて誇らしくさえある。けれど、意中の女性に怖がられてしまうのは堪える。こんな状況で、何を話せば良いと言うのか。


(心を開いてもらうには、どうしたら良いんだ……)


 話しかけようとしていた勇気が萎んでいく。

 一方で、セリーヌも大変に頭を悩ませていた。


(……どうしよう。今気が付いたけど……私、お母さんが亡くなってから、まともに人と話したことが無いわ……‼)


 衝撃的な事実だ。

 昨日初めて会ったピトは、とても話しやすかった。

 同性と言うこともあったし、何よりセリーヌが何かを言わずとも、ピトが沢山話しかけてくれた。


(そんな状態で次に話す人が一国の王だなんて……難易度が高すぎるわ! どうしたらいいの? そもそも、『身分が下の者から上の者に話しかけてはいけない』と礼儀作法の授業では教わったけど、この場合、やっぱり陛下が話し始めるまで待つべきなのかしら? でも……陛下は、とても無口な方のようだし、私はどうしたら良いの?)


 わからない。社交の場では、義母に連れられ二十も、三十も歳上の男性の話し相手をさせられた。けれど、その時だって先方が勝手に話してくれていたし、好かれたくなくて敢えて黙るようにもしていた。会話を続けようと努力をしたこともなかった。でも――。


(……この婚姻は国同士が決めたこと。(くつがえ)ることがないのなら、折角なら、歩み寄りたい)


 ちらりと視線をあげると、黄金の瞳とバッチリ目が合う。

 セリーヌは、思わず慌てて視線を下げてしまった。

 ロガンは、ガンっと岩で頭を打たれたように衝撃的な表情を見せるが――俯いているセリーヌには伝わらない。


(どうしよう……)

(どうしたら……)


 無言の時間が過ぎる。

 痺れを切らしたピトは、隣に立つディランを軽く小突く。

 ディランは、最初気が付かない振りをしていたが――致し方ないと、食卓を囲む二人に近付いた。


「え~……陛下。ラヴィーニュ侯爵令嬢を、ご案内したい場所があるのですよね?」


 ロガンは、ディランの助け舟をどう捉えて良いのか分からなかった。

 恐れている相手と、これ以上時間を共にするのは苦痛ではないだろうか。

 それでも――いつまでもこうして、距離があるのはとても耐えがたい。


 ロガンは、意を決して頷く。


「ああ――もし、時間の都合がつけば……な」


 ロガンは、しまったと口を閉ざす。『もし、そなたさえよければ、共に過ごす時間を貰えないだろうか』と言うつもりが、焦って変な所で省略してしまった。これでは、是非一緒に行って欲しいというより、もののついでだと言わんばかりだ。ディランは、無理やり作っている笑顔を、さらにひくつかせている。


 ロガンがどうしたらと頭を悩ませていると、セリーヌは、コクコクと何度も小刻みに頷いた。


「あの、はい。わたくしは、大丈夫です。その……お忙しい陛下の、お時間を、頂けるのであれば……」


 最後は、自信なさげに声が小さく消えていった。

 セリーヌは、こんなにも弱々しい子だったろうか。


 小さな疑問が浮かんだが、ひとまず了承してくれたことに安堵し、ロガンは勢いよく立ち上がり手を差し伸べた。


「ならば、行こう」


 緊張で、顔が強張る。セリーヌはビクリと肩を震わせたが、躊躇いがちに、そっと手を乗せた。


「……はい」


 二人は連れ立って店を後にした。レストランのスタッフ一同、その背を見送り――一様に緊張の糸が解けて、崩れ落ちるように脱力した。緊張感に溢れる、無言のディナーは無事、終了した。


貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。

いいね、ブクマ、ご感想、お待ちしています(,,ᴗ ᴗ,,)


どうか素敵な一日をお過ごしください

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