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 セリーヌは、ピトと共にルメローザ王都の衣料店に来ていた。

 貴族の令嬢達の間でも有名な店――『ラ・ロワイヤル・カトレーヌ』。

 王室御用達の、マダム・カトレーヌの手がけるドレスの店だ。


 セリーヌは、鏡の前で新しい衣装を試していた。


「……ど、どうかしら?」

「セリーヌ様……! 本当に素敵です! 清楚で可愛らしい装いが、セリーヌ様の雰囲気に合っていて、とてもよくお似合いです!」


 ピトの言葉に、セリーヌは頬を染めてスカートの裾を摘まんでみる。

 薄桃色のホルターネックのワンピースは、セリーヌが自ら選んだものだ。

 光沢のある生地の上に、ふんわりとオーガンジーの布が掛かり、柔らかな雰囲気を醸し出している。腰から裾にかけて広がるなだらかなシルエットは、優雅さを演出してくれる。清楚なに可憐で――ずっと、こんなドレスに憧れていた。


(いつも、お義母様(かあさま)が用意してくださるドレスしか着て来なかったから……自分で選ぶと、こんなにも誇らしい気持ちになるのね)

 

 いつもの、恥ずかしく胸元を抑えて俯くセリーヌはどこにもいない。

 不安だったディナーの席が、ほんの少し楽しみになる。


 「それでは、こちらの小切手で支払いをお願いします」

 

 店に訪れたことのない令嬢だと、少し遠巻きに見ていた店のスタッフが小切手を受け取り顔色を変える。「少々お待ちください」と慌てたように告げ、店の上階――常連の顧客がゆったりと買い物を楽しむスペースに駆け込み、その後見えなくなった。


 ピトと二人顔を見合わせていると、上階から、店のオーナと思しき女性が優雅に下りて来た。


「こちらの小切手は、お客様のご使用のものでお間違いございませんか?」


 

 階段の数段上から、見下ろすように告げられる。

 ピトは、その対応が気に掛かったようで、少々強めに発言する。


「――ええ、間違いございません。どのスタッフからも何の挨拶もなく、大変不愉快ではありましたがドレスは気に入りましたので購入したく存じます。金額は記載していないので、必要な額をご記入いただけますか?」


 そう――どの高級店も「顔馴染ではない」という理由で、二人を門前払いにした。しかし、この店だけは常連客向けと新規客向けのフロアが分かれており、セリーヌもようやく自由に服を選べたのだが――。

 

 ピトの挑戦的な言葉に、女性はニコリと微笑む。

 すると、彼女は高々と小切手を持ち上げ、宙でビリっとそれを破いてしまった。

 セリーヌが驚いて息を呑むと、ピトは憤慨し、女性を強く睨みつける。


「どういうことでしょう?」

「申し訳ございませんが、わたくし共は()()()()()()しかご用意しておりませんの。そのドレスは、お返しいただけますか?」


 小切手には、セリーヌの名前が書いてあった。

 つまり、平民の血を引くセリーヌには、服は売れないということだ。

 セリーヌは、羞恥でカッと頬を赤らめた。


(それでも……ラヴィーニュの名が入った小切手を、ああも堂々と破るなんて……)

 

 そこでようやく、この店が義母や妹も利用している店なのだと思い至る。

 恐らく、彼女はラヴィーニュ侯爵家の内情をよく理解し、常連である義母の肩を持っているのだ。


「それに――」


 女性が、セリーヌから隣に立つピトに視線を移す。

 扇で口元を隠し、侮蔑の眼差しを向けた。


「なんだか、()()()わ……」

 

 聞こえるか、聞こえないかと言う程の小声だった。

 恐らく、小切手の紋章と鮮やかな髪色を見て、ピトがバル・グラードの獣人であると判断したのだろう。

 

 獣人をあからさまに差別する言葉に、セリーヌは頭が真っ白になる。

 これがこの国の現状――この国の人間の考え方だと思うと、心底恥ずかしい。

 所詮、政略結婚だろうと判断しての発言だとは思うが、友好関係を結んだ今、彼女の発言は非難されて然るべきだ。けれど、きっとこの場の誰からも目撃証言は取れないだろう。

 

 セリーヌが悔しさに歯噛みしていると、背後から近づいてきた一人の男性スタッフに手首を掴まれた。


「やっ……!」

「――……そのお方に触れるな!」


 ピトの背から、衣類を破って力強く翼が飛び出した。

 よく見ると、頭の毛もすべて羽毛に変わっている。

 オレンジと黒の鮮やかな美しい羽だった。


「ヒィ……!」

「獣人だ……! 早く警邏隊を!」


 人々はピトから距離を取る。

 ピトは懸命にセリーヌを守ろうと、翼を広げ、包み込むようにセリーヌに寄り添う。セリーヌは、自分のために、優しい彼女にこんなことをさせてしまったと思うと、胸が堪らなく痛くなる。

 

 (どうしよう、どうしたら……)


 父の名前を出そうか。でも、そうなれば、風当たりは一層強くなるだろう。

 もう二度と外出を許してもらえないかもしれない。

 どんな言葉を投げつけられ、どんな酷いことが待っているのかと思うと、足が竦むほど怖い。


(でも、ピトを……ピトを守らなくちゃ!)


 セリーヌは、思い切って前に出る。

 服など返してしまえば良い。震えながら、声を上げた。


「わかりました……、服をお返しします。どちらか、衣装室をお貸しいただけますか?」


 目の前の女性に告げると、女性はセリーヌを見てクスリと笑う。

 その笑い方が義母そっくりで、セリーヌは嫌な予感がした。

 女性がパチリと指を鳴らすと――足元に何かが投げ込まれた。


「――衣装室など必要ありまして? 人前で肌を晒すのに慣れているのだから、そこで脱げば良いじゃない」


 足元には、セリーヌが元々着てきた服が転がっていた。

 セリーヌは呆然と立ち尽くす。


(どうして、そこまで……)


 分かっている。義母は、彼女を裏切った父が、父の愛を一度でも受けた母が、憎くて憎くて仕方ないのだ。母は、ふしだらでなければいけない。ふしだらで、性悪で、だから父は騙された――それが、真実でなければいけない。


 だから、母の娘であるセリーヌを、必死に悪女に仕立てようとしている。これは、彼女の必死の抵抗なのだと。

 

(……全部、私のせい)


 ここで服を脱げば、さすがに醜聞となり得るだろう。

 婚約の話も立ち消えるかもしれない。

 

 店内の顧客達は、まるで見世物を楽しむかのように、扇の隙間からこちらの様子を伺い見ている。


(……『身の程を、知らなくちゃいけない』)

 

 呪いのようにその言葉が全身を支配する。

 幸い、服の中にはペチコートや厚みのあるコルセットも身に着けている。

 完全に裸になるわけではない。

 

 セリーヌが息を吐き、襟元に手を掛けたその時――背後に立っていたはずの男性スタッフが文字通り飛んで行った。地面に叩きつけられ、腹部を抑えて蹲る。

 そして、殆ど同時に、低く、地を震わせるような声が聞こえてきた。


「――これは、どういうことだ?」


 セリーヌは、大きい手に背中を支えられた。

 驚いて横を見上げると、美しい顔立ちの男性が立っていた。どこか神秘的で惹きつけられるのに、本能が危険だと警告する圧倒的な存在感。


「ロガン、国王陛下……!」


 店内の空気が、一瞬の内に濃密で重苦しいものに変わった。

 彼が黄金の瞳を鋭くすると、ビリビリと怒りが肌に伝わり、押し潰されるかのように足が竦む。数名の人々が崩れるように座り込み、息もままならなくなった。


「迎えに来て正解だったな。ディラン」

「はっ」

「この店を焼き払え」


 その台詞に、先程まで居住まい高に振舞っていたあの女性が、顔を青ざめさせてヒュッと息を飲んだ。セリーヌも、思わず目を大きく見開く。


「女――お前の愚かな一言で、この国は友好国を一つ失った。わかるか? それがどれほどの代償か」

「も、申し訳……ござ、ございま……」

「謝罪などいらん。お前を許すつもりは最初(はな)からない。ディラン、この店にいる人間ごと焼き尽くせ。いや――いっそ、この街を潰してしまえ」

「仰せのままに」


 ロガンが一歩前に踏み出した瞬間、オーナーと思しき女性は悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れるように座り込んだ。咄嗟に、セリーヌはロガンの手を掴む。


「――ダメ! いけません、陛下!」


 ロガンの動きがピタリと止まる。

 後ろからはその表情は見えない。もしかして不敬かもしれないと思いながら、セリーヌは膝を折る。

 

「陛下――申し訳ございません。バル・グラードの国民のことを悪し様に申し上げたこと、彼女に変わり、わたくしがお詫び申し上げます。どうか、お怒りをお鎮めくださいませ」


 ロガンは始め、何も言わなかった。

 けれど、震えるセリーヌの手を力強く掴み返し、その身体を引き寄せ、立たせながら問う。

 

「……何故だ? あの者達は、そなたを嘲笑ったのだ。何故、そんな者達を庇い、そなたが頭を下げる!」


 顔が上がり、黄金の瞳と真っ直ぐに視線が絡む。

 その逞しさに、空気も読まず心臓がドキリと跳ねた。


 けれど同時に――妙な既視感を得た。

 どこかで見たことのある、力強い眼差し。

 一瞬、意識が過去に向かいそうになったが、セリーヌはすぐに現状を思い出し、乞うように告げる。


「わたくしは、ただ……優しいピトや、陛下と敵対関係になりたくないのです。わたくしのために、バル・グラードの皆様の手を、血で染めたくありません」


 セリーヌの言葉に、ロガンはふっと鼻で笑う。

 だがその笑いは、嘲笑ではなく自虐的な響きを帯びていた。


「どうせ既に血塗られた手だ。今更、どれほど残酷なことをしようと、変わることはない」

「……いいえ、いけません。陛下ご自身が気づかなくとも、きっと、陛下のお心を傷つけてしまうはずです。わたくしも、陛下も……同じ尊い命を、生きているのですから」


 ロガンは大きく目を見開き、セリーヌを見つめる。

 セリーヌの言葉通り――その瞳が、数え切れないほどの傷を抱えているように見え、セリーヌは思わず彼を慰めたくなった。

 けれど、セリーヌが行動を起こす前に、ロガンが視線を別の場所に移した。


「……彼女に免じて、店を燃やすのはやめよう。ディラン」

「はっ」


 オーナーと思しき女性の前に、ディランはルメローザの紙幣の束をバサバサと音を立てて落とした。一目見ただけでも、この建物さえも買い取れそうな金額だ。

 ロガンは冷たく言い放つ。


「支払いだ。ただし、今日のことはこの国の王に責任を問う。どんな罰がくだされるか見ものだな」


 女性は、汗でぐっしょりと髪を濡らし、詰めていた息を吐き出した。

 ロガンはさらに周囲を見回し、声を響き渡らせる。


「私は――私に関わる者を仇為す者に、容赦はしない。心せよ」


 目の前に、ロガンの大きな手が差し出された。

 先程まで、街を潰してしまいそうなほど激怒していたとは思えないほど、その手つきは慎重で優しかった。


 セリーヌは戸惑いながらも、その手にそっと自分の手を乗せる。

 ロガンは一瞬だけ目を細めたかと思うと、丁寧な所作でセリーヌをエスコートした。まるで、彼の先程の怒りが嘘だったかのように。


 現実感がふわふわと薄れていく中、セリーヌは衣料店を後にした。


貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。

いいね、ブクマ、ご感想、お待ちしています(,,ᴗ ᴗ,,)


どうか素敵な一日をお過ごしください

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