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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅴ.120センチの彼女
34/35

34.「120センチの彼女」(1)

小学校六年の夏の終わり。


私は病院の屋上で、彼に出会った。

 小六の夏。



「明日からまた病院よ」


 夕食を食べ終えた時、母からそう告げられた。


 もう病院にいるのには、慣れているし、看護師さんは優しいから別に行くのは嫌じゃない。ただ、なんとなくだけど、病院暮らしが長くなると、世間から見放されているというか、私の世界は一体どこにあるんだろうって、子供ながらに妙な事を考えてしまう。


 それでも、いつも私は、母の前では明るく振舞う。だって、そうしないと、母は悲しい顔をするんだもん。


「うん。分かっているよ。ルーシーと会えなくなるのは、少し寂しいけどね」


 私は母を安心させるための笑顔を振りまくと、尻尾を振りながら近づいてきた白いラブラドールレトリバーの頭を撫でた。


 彼女の名前は、ルーシー。


 でも、私が付けた名前じゃない。

 数年前、路上で傷だらけになって倒れている所を私と母が拾ってきたのだ。そして、首輪にはLucyルーシーと書かれていたので、そう呼んでいる。きっと、飼い主と逸れてしまって、事故か何かに巻き込まれたのだろう。今では、すっかり私たちに懐いていて、家族の一員だ。


 母は、私が笑顔でルーシーと戯れている姿を見て、安心したのか、優しい表情を浮かべると、食器を片付けるために、食卓を立った。


「さすがにルーシーは連れて行けないわね。でも、今回の入院もそんなに長くはないはずだから、またすぐにルーシーに会えるわよ」


 母は入院の度にそう言うが、短くても二か月、長いときは一年くらい入院している。どうやら母のなかではそれは「長くない」らしい。私には、長いと感じるのだけど。でも、それももう慣れた。


 だから、私は嬉しそうな顔をして元気に答える。


「うん!頑張るね!」


 何を頑張るの?って、自分に言ってやりたい。




 次の日、予定通り私は、母とタクシーに乗って、市内の総合病院へと向かった。


 病室は、決まって、三階の角部屋。


 そこは、小学生の私が一人で使うには、広すぎるし、豪華すぎる。だけど、海外で働く父は、私がゆっくり療養できるようにと、いつも用意してくれるのだった。


 別にいいのに。


 そして、私は毎回、その病室入ると、部屋の広さに驚いてみせる。それも母と父を安心させるためだ。


「うわぁ!広ーい!なんか、かけっことかできちゃいそうだね」


 しかし、私の言葉を聞いた母は、喜ぶどころか、険しい顔をした。そして、私の腕を強く掴んだ。


「あなたは、身体が弱いの。だから、走ったりしちゃダメよ。わかった?」


 どうやら、「かけっこ」という言葉が母は気に入らなかったらしい。私が浮かれて、病室のなかを走り回るとでも思ったのだろうか。心配なんかしなくてもいいのに。だって、浮かれないから、走らないよ。


 しかし、そんな思いは伝わらないように、私は精一杯反省した顔を浮かべると、すぐに謝った。


「はい。ごめんなさい」


 私の謝罪を聞き入れた母は、納得した様子で、次の指示を出してきた。


「さあ、もうベッドで休みなさい。ここまで来るのに疲れたでしょう」

「はい」


 いつでも私は母の言う通りにする。

 そうすれば、母は笑顔でいられるから。


 それに、私が病気になんかなったせいで、迷惑をかけているんだから、少しでも母を安心させてあげないといけない。それが娘としての私の使命なんだと思う。


 でも、さすがにタクシーに五分乗っただけじゃ、疲れないよ。


 それでも、私は母の言う通り、疲れた表情を作ると、素直にベッドへと向かった。そして、無駄に広いベッドに静かに入ると、なるべくシーツにしわができないように、横になった。


 母はその様子を見て、満足そうな顔で、私に近づくと、そっと頭を撫でた。


「大丈夫。もうすぐ治るからね」


 と、言い続けてもう六年目だ。そのせいで、私は小学校に一度も行った事がない。正直学校へ行ってみたいという思いはあるが、私は一度もそれを口にしたことがない。なんとなくだけど、言ってはいけない言葉のような気がしているからだ。


 だから、私は、母の優しい言葉かけに、ただ頷いた。


「うん。私、頑張るね」


 だから、何を頑張るの?私。




 入院して三日目に、点滴で薬を入れるようになった。


 それから数日後には、髪が抜け始めた。一週間もすると、髪はほとんどなくなった。そうなると、私はいつもピンクのニット帽を被る。正直、小六にもなって、この色とデザインはどうかと思うけど、父がくれた物だから仕方なく被る。


 そして、さらに一週間が経つと、体重が減り始める。


 元々、そんなに体格は良い方ではないけれど、この頃になると、食事が喉を通らなくなる。食べると、いつも吐気がつきまとうからだ。ホント、うっとうしいって思う。


 入院から一か月を過ぎると、頬はこけて、目は飛び出きて、ガイコツみたいな顔になってくる。そうなると、もう鏡は見ない。


 だって、解く髪もないし、痩せた顔を見るのも嫌なんだもん。


 それでもまだまだ入院は続く。



 今回はきっと半年くらいは入院することになりそう。


 私が寝たふりをしているときに、母と主治医の先生が、ヒソヒソとそんな事を言っていた。


 入院が長くなってくると、病気との戦いというよりは、退屈とどう戦うかが重要になってくる。だって、点滴なんてずっとしている訳でもないし、点滴台を使えば、歩く事だって出来る。だけど、母の管理下にある私は、自由に病室を出て行くことが出来ない。


 トイレは、病室に立派なのがあるし、テレビだって見放題だから、広場に行く必要もない。売店で欲しいものがあれば、母に頼めばいいけど、行った事がないから、何が売っているのか私は知らない。


 唯一、病室の外に出るのは、週一回のお風呂と検査の時だけ。



 ああ、ホント退屈。



 私がそんな暇を持て余していると、病室の外から、聞き慣れない声が聞こえてきた。


「あれー。おっかしいなぁ……」


 子供の声だった。たぶん男の子。でも、ここは角部屋だから、私の病室に用がない限り誰も来ないはずなんだけど。


 ちょうど今の時間帯は、母が着替えをとりに自宅へ戻っていた。


 そして、母の管理下から離れていた私は、退屈を退治するための好奇心に駆られて、ベッドから起き上がると、少しふらつく足をどうにか動かして、病室のドアへと歩み寄った。


 そして、耳を澄ませてみる。


「あ、こっちか」


 また男の子の声が聞こえた。だけど、ちょっと遠くなっているみたい。


 私は、なぜかその声が気になった。


 だから、私はまるで宝箱の蓋を開けるように、そっと病室のドアを開けて、廊下に顔を覗かせてみた。


 病室の外には、見慣れた白い壁と廊下が広がっていた。だけど、今日はいつもと違って、なんだか壁も床も輝いて見える。まるで、電飾で飾り付けがされているみたいに華やかに見えた。それはきっと、母の言いつけを破ったという後ろめたさよりも、開放感と期待感に私の心が躍っていたからだと思う。


 そして、声の主だと思われる男の子は、廊下の少し先で、キョロキョロと周囲を見渡していた。とても挙動不審な様子で、何かを探しているように見えた。


 私は、更に身体を乗り出すと、一歩、廊下へと足を踏み出した。そして、挙動不審な男の子に声をかけてみた。


「ね、ねぇ……」


 だけど、思ったより声が出なかった。


 当然、男の子は私の呼びかけに気付く事はなく、適当に廊下の角を曲がると、そのまま姿を消した。


 なぜだか分からないけど、私はその子に呼ばれているような気がした。



——こっち、おいでよ。



 絶対、気のせいだと思ったけど、そんな声が聞こえてきた。


 それはきっと、私の退屈が生んだ幻聴で、病室の外へ出るための口実なんだろうと思った。だけど、私の身体は自然と動き出し、無意識に男の子の後を追っていた。


 私が男の子を追って、廊下を歩く度、スリッパの軽い音が、昼下がりの廊下に響いて、その音がとても新鮮に感じられた。


 何か知らないけど、ワクワクする。こんな感覚、初めてだ。




 どうやら男の子は、階段を探していたようで、彼は階段を見つけると、ひたすらに上り続け、最終的には屋上階まで上った。


 私も彼の後を追って、階段を上ったが、久しぶりに上る階段は結構きつかった。


 腕と間違えそうなほど細くなっている私の足は、見た目は軽そうなのに、とても重く感じられ、屋上に着いた頃には、足の重さよりも心臓の方が悲鳴を上げ、激しく高鳴っていた。


「はあ、はあ……よいしょっと……」


 私は息を切らせつつも、男の子から少し遅れて、屋上の扉を開いた。


 扉を開いた瞬間、外の空気が室内へと流れ込んできて、私の頬を撫でた。


 久しぶりに感じる外の空気は、湿っぽくって、生温かくて、とても清々しいものではなかったが、それでも、私は気持ちいい、と思った。


 そして、屋上へと足を踏み出すと、入院したときは、低かった夏の空は、少しだけ高くなっていて、まだ暑く、照りつける日差しは容赦ないが、蝉の鳴き声は、遠くなっていた。


 秋の訪れが近づいているのを私は感じた。


 そんな残暑の空気に乗って鼻をすする音が聞こえてきた。


「ぐすん……ぐすん……すん……」


 視線をその音源へと向けると、屋上のフェンスの傍で、男の子が膝を抱えていた。


 私は、少しだけ近づき、様子を伺ってみる。


「ひっく……なんで、僕が……ぐすん……」


 どうやら男の子は、泣いているようだった。

 声を上げて泣かない所が、なんとも痛ましい。


 きっと、彼も私と同じで可哀相な子供なんだろう。私は、自分の病気を知ってもう六年も経つから、そんな境遇に慣れてしまったけど、彼は最近病気の宣告を受けたのだろう。


 私も初めはあんなのだったな。


 私は、そんな可哀相な男の子を励まそうと思って、彼の丸まった背中に声をかけてみた。


「ねぇ。泣いているの?」


 私の声に気付いた男の子は、慌てて立ち上がると、袖で目を擦り、何度か深呼吸をしてから、私を見た。


「泣いてねぇし!」


 強がる男の子の目は、赤く腫れあがっていた。私はそんな彼を元気づけようと思った。


「別に泣いたっていいよ。私たち、まだ子供なんだし」


 だけど、私よりも彼の方が、随分と子供だった。精神的に。


「僕は、もう子供じゃねぇ。もう十二歳だぞ。六年生だぞ。お前、何年だよ」

「私も六年生。小学生って、まだ子供じゃん」

ちげぇし。僕たち、もうすぐ中学だぞ。中学になったら、算数は、数学になるんだぞ。電車もバスも大人料金になるんだぞ」


 必死に自分を子供だと認めようとしない彼の目は、細くて鋭かった。だけど、怖くはない。目の細さは、ぽっちゃりとした赤ん坊のようで、可愛いとも思った。


「中学生もまだ子供だよ。義務教育だし」

「ぎむきょーいく?なんだそれ?」

「私もよく知らない。だって、私、学校に行った事ないもん」


 すると、男の子は目を丸くして驚いた。


「えっ?お前、学校行った事ないのか?じゃあ、どこに行っているんだよ」

「どこにもいかないよ。ずっと病院にいるの」

「ずっと病院?なんで?」

「知らないよ」

「ふぅん。じゃあさ、僕が学校の事教えてやるよ!なんでも聞いていいぜ」


 男の子が自慢げに言うので、私はおかしくなって、少し笑った。


「ふふっ……。君、面白いね」

「君じゃない。僕は、しゅん。春って書いて、しゅんって読むんだ」

しゅん君か。私は……ナツキ」

「ナツキ?ナツキ……。なんか、いい名前だな」

「そう?はじめて言われた。春君もいい名前だと思うよ」


 私がニッコリと微笑むと、春君もくしゃくしゃの可愛い笑顔を返してくれた。


「そうか?ありがとう。ナツキ」


 初めて病院で出来た友達。いや、まだ友達とは呼べないかもしれないけど、同じ年の子と話をするのは、六年ぶりだった。私はそれが嬉しくって、つい時間を忘れていた。


 ふと、屋上の入り口にかかっている時計を見ると、時刻は午後二時二十五分だった。病室を出てからもう少しで三十分が経とうとしていた。


 それに気付いた私は、慌てた声を上げた。


「あっ!いけない!」


 自宅から病院までは、タクシーで、片道五分。往復でも十分。荷物をまとめたりするのに、二十分くらいかかると考えても、三十分くらいで母が病室に戻ってくる。


 そうとは知らず、春君は首を傾げて、慌てている私を見た。


「ナツキ。どうしたんだ?」


 もう説明をしている暇なんてなかった。


「ねえ、春君。明日もここに来てくれる?」

「ああ。いいぜ」


 春君は親指を立てて、「Good」のポーズをした。私も春君を真似して、親指を立てた。


「じゃあ、また明日ね!」


 私は、別れの挨拶もいい加減に、早々に屋上を後にした。





 それからというもの、私は母が留守にする時間を見計らって、病室を抜け出し、屋上へと足を運んだ。


 始めは重たかった足も次第に軽くなっていき、屋上へ通う事が私の日課になった。


 そして、私はそこで、春君を質問攻めにする。



「ねぇ、クラスメイトは何人いるの?」

「えっと……三十七人かな」


 私は、学校に行っていた春君が羨ましかった。友達がいる春君に憧れた。



「ねぇ、算数って難しい?」

「そうだな。分数の割り算が超難しい。なんで、分子と分母をひっくり返すんだろうな」


 私は、母と勉強をしているので、本当は分数の割り算なんて簡単だった。だけど、春君の話が聞きたくって、あえて質問した。



「ねぇ、先生って怖いの?」

「怒ると超怖い。だけど、普段は優しいぞ。でも、先生まだ独身なんだってさ。早く結婚すればいいのに」


 私の先生は、母。母も怒ると超怖いけど、普段は優しい。でも、春君の先生と違って、結婚はしている。父とは一緒に住んでいないけど。



「ねぇ、給食って美味しいの?」

「あれだな。揚げパン。あれは、優勝。チャンピオン!すげぇ美味い」


 パンを揚げるの?それって、ドーナッツとどう違うの?

 私には分からなかった。だからこそ、興味が惹かれた。



「ねぇ、運動会に参加した事ある?」

「あるある。一年の時からずっと参加してるよ。まあ、なんだ、その……僕はいつも一位だけどな」


 それは嘘。春君って、嘘が下手。

 だって、目が泳いでいるし、鼻を掻くんだもん。バレバレだよ。



「ねぇ、休み時間って何して遊ぶの?」

「最近は、ドッジだな。ドッジボール。ナツキはしたことある?」


 あるわけないよ。だって、ドッジボールって一人じゃできないでしょ?私、友達いないもん。



「ねぇ、好きな人はいるの?」

「な、なに言ってんだよ。い、いるわけねぇじゃん。そんなのいないって!絶対、いないから」


 それも嘘。

 春君、また目が泳いでいるし、鼻も掻いている。


 でも、そういうの羨ましい。好きとか、嫌いとか、私も恋バナをしてみたい。それから、春君の好きな人が私だったらいいのにって思う。そうすれば、ずっと春君の話を聞いていられるのに。


 それほど、春君の話は、飽きが来なかった。別にお話が上手なわけでもないけど、なぜか興味が惹かれた。


 しかし、時間は無情にも過ぎて行き、制限時間の三十分はいつもあっという間だった。


 時間が止まればいいのにって、何度も思った。別に退院できなくてもいい。春君の話が聞ければ、それでいい。私の退屈をコテンパンにやっつけてくれた春君の話が聞ければ、なんだっていい。私にとってのこの三十分は、まさに世界そのものだった。


 私の世界は、ここにあったんだ。





 だけど、世の中ってやつは、私の思う様に進まない。


 どんなに楽しい時間も終わりは来るし、辛い時間は長く続く。


 薬の副作用なんて、私は平気。髪の毛が抜けても、ピンクのニット帽を被ればいいし、吐き気がしたって、食べなければいいだけのこと。足のふらつきは、気力でどうにかできる——はず。


 だけど、やっと見つけた私の世界を奪う事だけはしないで欲しい。


 六年かけてようやく見つけた私の世界を壊さないで欲しい。


 そんな願いが強くなればなるほど、世の中ってやつは邪魔をしてくる。


 大人ってやつは、私の願いを聞き入れてくれない。



 なんでなんだろう?



 私の事が憎いのかと思ってしまうけど、どうやらそうでもないらしい。私の身体の事は心配するし、気も遣う。そんな優しい思いが、私の心にも向いてくれればいいのにって思う。


 私は、そんな事を思いながら、今日も春君の話を聞くために、病室を抜け出した。


 最近は看護師さん達にも見つからないようにしないといけない。だって、大人たちってすぐ秘密をバラすんだもん。嫌になっちゃう。


 私は、上手になった隠密行動で、屋上まで上がり、重たい扉を押し開けた。


 扉が開くと、お昼過ぎの明るい日光が私を覆った。


 春君と出会ったときに比べると、その日差しは随分と遠慮がちになって、空気も湿っぽさが抜け、少しだけ涼しく感じる。もう秋なのかなと思うけど、空はまだ低い。


 そんな夏と秋が入り混じった空の下で、春君は私の到着を待ってくれていた。


「やあ。ナツキ」


 春君はいつもベンチの端っこに腰掛けていて、私を見つけると手を挙げて招いてくれる。


 私はそんな彼にいつも同じセリフを言って、歩み寄り、自分もベンチに腰を下ろす。


「ごめん。春君。遅くなっちゃった」


 だけど、私は春君のすぐ隣には座らない。


 私は、春君と反対側の端っこにいつも座り、身体だけを彼の方へと向ける。


 別に春君から距離を置きたいわけではない。むしろ、すぐ横に座りたいんだけど、なぜか、彼の近くに行くと、顔が熱くなってしまう。熱が出たのかと思うけど、どうやら違うみたい。


 これも病気のせいなのかな?


 そんな疑問を抱きつつ、私は、春君に一晩かけて用意してきた質問を投げかける。


「ねぇ、今日も学校の事、教えてよ」


 そして、春君は、いつも決まった答えを返してくれる。


「ああ、いいぜ!」


 その日は、学校の行事について聞こうと思っていた。


「ねぇ、文化祭って何するの?」

「え?文化祭?ぶんかさい?えっと……あれだろ。なんか、人とかたくさん来るんじゃねぇの?だって、祭りだろ?そう。屋台とかもたくさん来るんだぜ。たこ焼きとか、くじ引きとかさ」


 どうやら春君は、文化祭を知らないみたい。きっと、呼び方が違うのかな?


「ふぅん。じゃあ、学芸会は?」

「ああ、学芸会な。あれな。今年は、まだだけどさ。去年は合唱とかしたぞ。その前は、劇をしたな。俺、主役だったんだぜ」


 主役っていうのは、嘘。

 ホント、春君ってわかりやすい。だけど、そういうところが私を安心させてくれる。


「ねぇ、何の歌を歌ったの?ちょっと歌ってみてよ」


 私の提案に春君は、ちょっと動揺した様子を見せた。


「え?そんなのできねぇよ」

「なんで?歌、下手なの?」

「ち、違うって。あれだ。今日は、喉の調子が悪いんだ。だから、調子が良くなったら、歌ってやるよ。コン、コン……」


 春君は、そう言ってわざとらしい咳をした。


「じゃあ、退院するまでに、歌ってよ」

「ああ。いいぜ!」

「約束だよ!」

「お、おう!」



 だけど、私たち二人の約束は果たされる事はなかった。



 そのあとも私は、春君を質問攻めにしたが、彼は嫌な顔をすることなく、なんでも答えてくれた。時々、嘘をつくけど、楽しそうに話す彼を見ると、私も楽しかった。ホント、こんな時間がいつまでも続いてくれればいいのに、と思った。


 しかし、時間は止まってくれないし、いつまでも続かない。


 そんなの分かっていた。分かっていたつもりだったけど、私はうっかり時間を確認することを忘れていた。そんな私に、春君が珍しく質問をしてきた。


「なあ。ナツキ。今日は体の具合、大丈夫なのか?」

「なんで?いつもと変わんないよ」

「だって、ほら。もう二時半過ぎてるぞ」

「えっ?」


 どうやら、春君は私がここに三十分しかいないのは、身体の具合のせいだと思っていたらしい。だけど、今は、それはどうでもいいことで、私は慌てて、屋上の扉の上に設置されている時計を見た。



 午後二時三十五分。



 制限時間を五分も過ぎていた。



 やばい!

 すごくやばい!



 急がないと母が帰ってきてしまう。いや、もしかしたら、もう帰って来ていて、空になっている私のベッドを見て、怒っているかもしれない。そうだとしたら、私の楽しい時間はもう終わりだ。春君とは、もう会えないかもしれない。そんなの嫌だ。


 私が、時計を見て、青ざめた顔をしていると、春君が心配そうに声をかけてきた。


「ナツキ?どうしたんだ?」


 私は、春君の質問に答えることなく、慌てて立ち上がった。


「私、もう行かなきゃ」

「なんで?」


 春君も不思議そうな顔をしてベンチから立ち上がった。


 だけど、私は、そんな春君の顔を見る事もせずに、急いで病室へ戻ろうと、扉へと向かって足を踏み出した。そのとき、私は、気が動転していたせいか、思ったよりも足の力が弱くなっていたせいか、身体がふらついてしまった。


「わっ!」


 私の身体は、後ろへと傾き、もしかしたら、倒れてしまうのではないかと思った。


 しかし、私の身体は少し傾いただけで、倒れる事はなかった。


 代わりに、私の両肩に温かな感触が伝わってきた。その感触が春君の手だという事は、すぐにわかった。でも、子供っぽいと思っていた春君の手は、思ったよりも大きくて、安心感があった。やっぱり、男の子なんだなって思うと、なんだか異性を感じ、急に恥ずかしさが込み上げてきた。


 春君は、そんな私を後ろから支えながら、優しく言葉をかけると、そっと姿勢を整えてくれた。


「ナツキ。大丈夫か?」


 ホントは、しばらく、春君に触れていて欲しかった。それが無理なら出来るだけ、彼の傍に居たいと思った。だけど、私は、自分の顔が熱くなって、鼓動が速くなるのを感じたので、慌てて、彼と距離をとった。


「うん。大丈夫。ありがとう」


 私は赤くなった顔を見られないように少し俯くと、無為に帽子やパジャマの裾を整えた。別に整えたって、可愛くなるわけでもないのに。


 そんな私に、春君は微笑むと、言葉を続けた。


「いや、いいって。つーか、その帽子、いいな。よく似合っていると思うよ」


 あんまり好きじゃなかったピンクの帽子だったけど、春君の言葉で、急に愛着が湧いた。それよりも、褒められた事が嬉しくって、照れくさくって、私は更に春君から一歩離れた。


「別に褒めても何も出ないよ」

「えっ?何それ。僕、なんもいらないんだけど」


 春君って、ホント、言葉を知らないんだから。それに、自分の事を「僕」って呼ぶところも相変わらず子供っぽい。だけど、それが彼らしくて、私は好きだ。


 あ、今の好きは、「LOVE」じゃなくて、「LIKE」の方だからね——って、誰に弁解しているんだろう、私。


 私は、より一層顔が赤くなるのを感じた。


 だけど、私のそんな淡い想いも今日まで。きっと、病室に戻ったら、怒った母がいて、私は三階の角部屋に軟禁されるんだろう。そうしたら、春君は退院してしまい、もう会えなくなるかもしれない。



 春君と過ごした数日間。



 私たちの長い人生の中では、僅かな時間かもしれないけど、きっと忘れられない思い出になると思う。


 私は、そんな思い出をしっかりと胸に仕舞うと、春君に小さく手を振った。


「じゃあ、私、戻るね」


 ホントは、病室へ戻りたくなかった。でも、これ以上帰りが遅くなると、母の怒りが爆発して、軟禁だけでは済まないかもしれないという悪い予感が頭を過った。だから、私は細いくせに、重たい足を踏み出し、春君に背を向けた。


 春君は、重い足取りで離れていく私の背中に、お別れの言葉を言ってくれた。


「またな!」


 明るく、無邪気な春君の声が、今は辛かった。



 ねぇ、春君——。

 私たちの「また」は、いつくるんだろう。

もう一話だけ、続きます。

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