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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅳ.宮原と花咲
33/35

33.冬の病院(4)

冬——。


花咲姫子はなさき ひめこは、見詰めていた。

 桃華ちゃんが部屋を出て行ってからも、私は静かに眠る宮原の横顔を眺めていた。


 ここで、どれだけ彼の横顔を眺めただろうか。


 きっと、何十……いや、何百回?


 真っ白なベッドで眠る宮原の表情は、大きく変化はしないけど、私は微妙に変わる彼の表情を見て、なんとなくその日の調子を読み取っていた。


 少し眉間にしわが寄っていれば、暑いのかな、寒いのかな、どこか苦しいのかな、怖い夢でも見ているのかな、など色々と不安になる。


 一方、口角が少し上がっていれば、楽しい夢でもみているのかな、今日は体調がいいのかな、そろそろ目を覚ますんじゃないかな、などと勝手に前向きに考える。


 そんな風に宮原を見ていると、飽きはこない。

 むしろ、愛おしさが募っていく。


 そんな愛おしい彼は、手を伸ばせば、簡単に触れられる位置にいる。だけど、同時にすごく遠くにいるみたいな感じもする。ここではないどこか別の世界を彼は漂っているような感じ。


 だから、私は宮原の息遣いを感じながらも、彼に触れる事はなかった。近いけど、遠い、不思議な感覚だった。


 それはきっと、彼の時間が、あの夏で止まっているからだろう。


 季節は巡り、夏を過ぎ、秋を越え、冬になった。


 そんな半年ほど前の、あの屋上の、あの星空の下で、宮原の時間は止まっている。


 あの夏、私たちは、ようやく繋がり合えた。


 何度も何度も途切れそうになったけど、皆が繋ぎとめてくれた。


 これからだって、様々な障壁があるかもしれない。そのたび、私たちは傷つき、苦しみ、また途切れそうになるかもしれない。


 だけど、今の私たちなら、きっと乗り越えられる。まだ大人になりきれていない私たちだけど、きっと大丈夫。


——ああ。そうさ。俺たちなら大丈夫。


 そんな宮原の声が聞こえたような気がした。


 だけど、彼は穏やかな顔で、目を閉じ、ささやかな寝息を立てているだけだった。


「気のせい……だよね」


 私は少し残念に思いながら、そんな宮原に微笑みを返すと、車いすの駆動輪を転がし、一旦、彼から離れた。そして、冬景色が見える窓際へと進んだ。


 三階にある宮原の病室は、通常は保安のため、窓は開けられないようになっている。それでも、かつて私は、ここから飛び降りたら——なんてことを考えたこともあった。しかし、当時の私の力では、大人の胸元ほどの高さにあるこの窓枠を越える事ができなかった。


 でも、今はどうだろう。


 もし宮原がこのまま目覚めなかったら。

 もし私だけ残されてしまったら。


 私はこの高さを越えられるだろうか。


 ううん。きっと無理。出来ないと思う。


 それは私の力が足りないんじゃなくて、彼が残してくれた思い出を簡単には手放したくないから。彼が残した楽しみも、嬉しさも、悲しみも、すべて私のもの。それを存分に感じて、生きていきたい。


 そんなこと考えてみるけれど、私はまだ諦めたわけではない。


 むしろ私は、彼は目覚めると、確信している。


 彼の時間が再び進み、私のもとへ戻ってきてくれる。


 そして、彼が目を覚ましたら、私たちはまたどうでもいいバカみたいな話をするんだ。他愛のない会話をして、冗談を言って、笑い合う。そんなありふれた日常が戻ってくる。だけど、そういうなんでもない普通の日々にこそ、私は幸せを感じるんだと思う。



 だから——、



「早く目覚めなさいよね。バカ」



 私は、窓から冬の空を見上げ、そう呟いた。



 そのとき、真冬の空から何か降ってくるのが見えた。


 とても小さくて、儚い何か。


 ヒラヒラと舞うその様は、雪とは違う。


 あり得ないけど、まるで桜の花びらのよう。



 そして、「春」のような優しい風が私の頬を撫でたような気がした。



 その直後、とても懐かしい声が、静かな病室に響いた。



「バカは、ないんじゃないか……」



 がさつで、とても綺麗な声とは言えないし、小さくて、今にも消えてしまいそうな声だった。


 だけど、私はその声が聞きたくて、何か月間も毎日、毎日、この場所へ通った。


 私は、その声を聞くだけで、胸がいっぱいになって、「春」のような暖かな気持ちになる。


 私は、ゆっくりとハンドリムを回し、車いすの向きを変えた。


 私の視界には、依然としてベッドに横たわっている宮原が見える。すっかり痩せ細った腕には点滴のチューブやバイタルを確認するためのコード類が取り付けられており、痩せこけた顔は、半分以上が酸素のマスクで隠れていた。


 それはいつもと同じ。

 だけど、今日は違う。


 いつもは、彼の鋭い目は穏やかに閉じられているんだけど、今は、ほんのわずかだけ、開いている。そして、半年も見られなかった彼の優しい瞳が、今日は見えた。



 私はその懐かしい瞳を見て、涙が溢れた。



 だけど、私は涙を拭うのも忘れて、ゆっくりとハンドリムを回した。ゆっくり、ゆっくりと、車いすを進め、ベッドの横に車いすを停めた。


 私が宮原の顔を覗き込むと、彼は、まだ重たい瞼を懸命に持ち上げ、必死に意識を保とうとしていた。そして、その優しい瞳で私を視界に収めると、薄っすらと笑みを浮かべ、また小さな声を発した。



「待たせて。ごめんな」



 心電図のモニター音にかき消されそうなほど、小さな声だった。だけど、しっかりと私の耳には届いた。


 私はその言葉を大事に胸に仕舞うと、震えそうになる声を何とか落ち着かせ、いつもの調子で、優しく怒ってやった。


「ホントに、遅いわよ。バカ。どれだけ待たせたと思ってんのよ」

「はは。やっぱり怒られたか。予想通りの言葉だな」

「何よ、それ。もぉ……」


 頬を膨れさせる私を見て、宮原は遠のきそうな意識のなかでも、いつものように笑った。そんな彼を見て、私も笑った。


 でも、再会の涙はまだ止まらなかった。


 私は、笑みを浮かべつつも、頬を濡らし、言葉を続けた。


「でも、良かった。ホントに……良かった……」

「ああ。もう大丈夫だ。俺は、もう大丈夫」


 宮原は落ち着いた声で私を安心させようとしてくれた。だけど、それでも私の涙は止まらなかった。


 宮原が目を覚ましたという喜びと安心で、私の胸はいっぱいになり、涙となって、溢れ出てきた。


「私……宮原が、どっか行っちゃったみたいな気がしてて‥‥‥もう会えないかと思いそうになる時もあった……」

「うん……」


 私の震える声を、宮原は小さく相槌を打って聞いてくれた。


「だけど……私、信じてた。宮原は絶対目を覚ますって、信じてた。だから、あんたの声聞いた時、私、嬉しくって、嬉しくって……」


 そのとき、泣きじゃくる私の頬に、宮原の痩せた手が優しく触れ、そっと涙を拭きとった。


 そして、今度は宮原が言葉を繋げた。


「俺は、ずっと暗いところにいた。音も聞こえなくて、何も見えなくて、誰もいない所。でも……どこかで誰かの気配がした。それで、目を瞑ると、そこにはいないはずの、花咲が思い浮かぶんだ。そして、俺に教えてくれる。その暗い世界は、悲しみの海じゃないって。そこは希望の光が無数に瞬く星空なんだって」

「うん……」


 今度は私が震える声で、相槌を打ち宮原の話に耳を傾けた。


「そうして、俺は思い出すんだ。お前に言った事、お前に誓った言葉を」


 私は、自分の頬に触れている宮原の手に、自分の手を重ねた。


 久しぶりに触れる宮原の手は、思ったよりも小さかった。だけど、そのぬくもりは変わらない。そして、そのぬくもりを感じると、どこか遠くに行ってしまったと思っていた彼が、ようやく私の元へ戻ってきてくれたと実感できた。


 手を重ねられた宮原も、私の存在を確かめるように、私の頬や手のぬくもりを感じ取った。そして、あの夏から時が進みだした彼は、小さな声ながらも力強く言葉を続けた。


「俺は、もうどこにも行かない——なんて、言葉は簡単には言えないけど……それでも、俺は最期まで運命に抗って、花咲と、ずっと一緒にいる。だから……花咲も、僕の傍にいてくれないか」


 私は、重ねていた宮原の手を強く握り返した。

 そして、答えた。



「当たり前でしょ。バカ」



 それを聞いた宮原は、また笑った。


「ふふ。そりゃ、どうも、ありがとな」


 私も宮原の笑った顔を見て、笑った。


 そうして、冬の静かな病室に私たちの笑い声が響いた。



 そのとき、私たちの笑い声を聞きつけた水樹君と桃華ちゃんが病室に飛び込んできた。


「春!」

「春先輩!」


 二人は私たちの笑い声を病室の前で聞き、宮原が目覚めたことに気付いたのだろう。二人は病室に入るなり、まだベッドで横たわっている宮原に歩み寄った。そして、久しぶりに目覚めた友人の顔を嬉しそうに見詰めた。でも、感極まり、その目には涙が溢れている。


「やあ、春。久しぶりだね」


 宮原は、まだ体を起こす事は出来ないようで、顔だけを水樹君へ向けた。


「ああ。そうだな……水樹。久しぶり。随分と、待たせちゃったな」

「いいんだ。でも、ちょっと寝過ぎたかもね。きっと君は留年だよ」


 宮原はまだ学校へ通えるかどうかも分からない状態だったが、水樹君は冗談交じりだけど、願いを込めるようにそう言った。


 すると、水樹君の横から小動物のようにひょっこりっと、桃華ちゃんが可愛いツインテールを揺らして、顔を覗かせた。


「春先輩。来年からは私と同級生ですからね」


 それを聞いた宮原は、楽しそうな苦笑いを浮かべた。


「マジかー。桃華と、同級生とか、なんか大変そうだな」


 すると、桃華ちゃんは可愛く頬を膨れさせた。


「ちょっと、それ、どういう意味ですか」


 今度は、それを見ていた水樹君が、楽しそうな笑い声をあげた。


「あはは。そうだね」


 そして、水樹君は、少しだけ真面目な表情になって、宮原の未来を願う様に言葉を続けた。


「だけど——きっと大丈夫さ。君なら、どんな困難にも立ち向かえる。そうだろう?春」


 その問いに、宮原はゆっくりと唇を動かし、小さい声ながらも力強く答えた。


「ああ。もちろんさ。俺は、もう大丈夫——」


 宮原は、途中で言葉を区切ると、ゆっくりと顔を動かし、水樹君、桃華ちゃん、そして、私の順に皆の顔を見渡した。そして、丁寧に言葉を続けた。


「水樹、桃華。そして、花咲。皆のおかげだ。本当にありがとう」


 私は、宮原と目を合わせ、柔らかく微笑んだ。



 だけど、まだ宮原の病気が癒えたわけではない。


 この先も病魔が彼の身体を蝕み続けるかもしれないし、唯一の治療手段であるドナーだって、見つかるかどうかも分からない。


 それに私だって、今後も車いす生活を続けていかなければならないだろうし、もしかしたら、一生、自分の足で歩くことは出来ないかもしれない。それは、当然、健常な人から見れば、不便はあるし、何をするのにも時間がかかる。環境だって、選ばなければならないときもある。


 それでも、私たちは、その最期を迎えるまで、生きる事も、自由も、青春を謳歌する事だって、諦めない。


 水樹君が言うように、どんな困難も私たちならば、乗り越えられるはず。


 そして、宮原の言うような、希望の光が瞬く星空があるとしたら、私たちはその星空の下で、希望をもって進み続ける。



「ねえ。宮原」


 私は皆が笑い合うなか、宮原に声をかけた。


「なんだ?」


 宮原は穏やかな表情で、私を見た。


「一回しか言わないから、よく聞きなさいよ」

「なんだよ、急に」


 私の言葉に宮原だけではなく、水樹君と桃華ちゃんも注目した。


 私は、そんな注目を浴びる中、宮原と過ごした今までの事を思い出し、これからの事を願って、言葉を発した。




「好き」




 たった、一言。


 だけど、とっても大事で、ずっと、ずっと言いたかった一言。


 その言葉にはきっと魔法がかかっているんだと思う。だって、こんなにも胸が熱くなるんだもん。


 気持ちが、想いが、繋がるって、こんなに嬉しいんだ。


 ああ。そっか。恋をするって、こういう事なんだな。


 そのとき、私は、初めて経験する「恋」というものを理解した。


 だけど、やっぱり恥ずかしい。


 何よ。あんたまで、顔を赤くしないでよね。余計に恥ずかしいじゃない。


 私は、自分から言っておきながら、身体の中から湧き上がってくる熱を感じた。だから、私は、宮原が言葉を返す前に、赤くなった頬を誤魔化したくって、言葉を続けた。



「手紙——!」

「手紙?」


 宮原は、寝た姿勢のまま首を捻った。


「そう!あんた、前に言ってたでしょ、手紙を書くの手伝ってくれるって!だから、さっきの言葉、えっと……す、す、好きって、書いときなさいよ!起きれるようになってからでいいから……」



 ——手紙。



 私たちの恋の物語のきっかけになった手紙。


 もう随分と前の事だけど、水樹君に相談するつもりで書いたあの手紙は、間違って宮原に渡ってしまった。そして、鈍感な彼は、手紙を書くのを手伝ってくれると言った。


 それが私たちの物語の始まり。


 そして、私たちの物語はまだ進み続ける。


 私たちが諦めない限り物語は終わらない。


 そんな事を、宮原も感じ取ったのか、私の素直じゃない言葉を受け取ると、相変わらず鋭い目つきのくせに、バカっぽくて、可愛い笑顔を私に向けた。


「わかったよ。でも、一つお願いがある」

「何よ」


 私が頬を赤くしながらも、不機嫌そうな顔で、尋ねると、宮原はゆっくりと、優しく言った。



「その手紙、俺がもらっていいか?」



 そんなのいいに決まってるじゃない。

 むしろ、宮原に宛てた手紙なんだから、あんたに持ってて欲しいの。


 だけど、そんな事が言えるはずもなく、私は相変わらず素直じゃない言葉を返した。



「当たり前でしょ。バカ」



 そんな私を見て、宮原は「春」みたいな優しい顔で笑った。



「ありがとな」





 これが私たちの物語。


 どこにでもいるような、鈍感な男の子と不器用な女の子。だけど、男の子は病を抱えていて、女の子は車いすに乗っている。


 ただそれだけなんだけど……それはすごく重たい。


 重たくて重たくて、押しつぶされそうになったときもあった。悲しくて、悔しくて、涙が出たときもあった。



 それでも私たちは、それを諦める理由にはしない。



 だって、こんなにも彼の事が好きで、愛おしいんだもん。諦められるわけないじゃない。


 病気や障害に勝つとか、負けるとかじゃない。

 病気を知って、障害を理解して、受け入れる。

 それも私たちの一部なんだから。


 誰かが言ってた。神様は、「人に超えられない試練は与えない」って。でも、一人で試練に挑む必要はないよね。



 だから、私は、大好きな彼と歩み続ける。



 これからも、ずっと——。

ありがとうございました。

この部で、宮原君と姫子の物語は完結になります。

一応、ハッピーエンドなのかな、と思っております(^ω^)



ただ、作品としては、もう少しだけ投稿させて下さい。

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