35.「120センチの彼女」(2)
ナツキ。高校3年の冬——。
「ねぇ、聞いて!宮原がやっと目を覚ましたの!」
センター試験の前日に姫子から弾むような声で、そんな電話がかかってきた。
宮原君というのは、姫子の好きな人。実際には会ったことはないけれど、姫子の話では、鈍感で、バカで、優しい人らしい。
私は、きっとおっとりした人なんだろうな、と勝手に想像して、そそっかしい姫子にはちょうどいいんじゃないかなって思っている。
私は、そんな中学からの友人に、落ち着いた声で言葉を返してあげた。
「そっかぁ。毎日、頑張って通ってたもんね。お疲れ様」
「ホントだよ。もう大変だったよー」
そう言う姫子は、とても嬉しそうで、本当に大変だったんだろうけど、そんな様子は微塵も感じさせなかった。きっと大変さよりも宮原君が、目を覚ましてくれた安心感の方が勝っているのだろう。
私が、そんな宮原君の存在を知ったのは、高校三年生の春の事だ。
姫子から、気になる人がいるけど、どうしたらいいかと、電話で相談を受けた。しかし、私は、恋愛経験が乏しく、まともな答えなんて言えるはずもなかった。だから、入院していたときに読んでいた少女漫画の告白シーンを思い出して、悩める姫子に助言をしてあげた。
「手紙を書いたらどうかなぁ?」
純粋な姫子は、そんな私の言葉を鵜呑みにして、手紙を書いた。
でも、手紙では、上手く気持ちが伝えられなかったようで、姫子は落ち込んでいた。そうかと思えば、なぜか、その週末に宮原君とランチデートをすることになったらしく、その前日に「着ていく服がない!」と、嘆きの電話がかかってきた。私は「制服でいいんじゃないの?」と適当に返事をしたら、彼女はその通りに制服でデートに臨んだ。
もう。姫子ってば、素直過ぎ!
また、修学旅行の時は、宮原君といい感じになりそうだったらしい。しかし、宮原君と自由行動の時間を共にするはずが、なぜか、水樹君と二人で回る事になり、そのとき、水樹君から告白を受けたとのことだ。
正直、意外だった。
というのも、私と水樹君は面識があった。
水樹君とは、通っている塾が一緒で、姫子が宮原君に気がある事を、彼に教えてあげたし、ちょくちょくと宮原君と姫子の動向を聞いていた。
しかし、クールで、ナイスガイの水樹君は、人に努力をしている事を知られたくないらしく、私と知り合いであることは、姫子たちには内緒にしていた。
なんでも、涼しい顔をしているけど勉強ができる、というのが、彼なりの美学らしい。私には、よくわからないけど……。
それにしても、あの水樹君が、姫子の事が好きだったとは意外過ぎる。でも、まあ、彼女は不器用だけど、そこが可愛いからね。
そして、夏になると宮原君が、実は大病を抱えていた事が判明した。その病気は、長年かけて、少しずつ宮原君の身体を蝕んでいるらしく、助かる方法は、もうドナー移植しかないそうだ。
ほぼ絶望的だっただろうけど、そんな終焉の予感を感じさせながらも、宮原君と姫子は、想いを確かめ合い、二人はようやく結ばれた。
しかし、そんな二人に、再び試練が降りかかった。
宮原君が倒れたのだ。
姫子は必死の思いで、助けを呼び、宮原君は市内の総合病院に搬送され、入院することになった。
市内の総合病院と言えば、私が小学校に上がると同時に入院していた病院でもある。そして、私はそこで、一人の男の子に出会った。姫子の言葉を借りるなら、宮原君みたいにバカで、鈍感な子だった。
子供っぽいくせに、それを否定して、そこが余計に子供っぽさを感じさせ、可愛かった。でも、倒れそうになる私を支えてくれた時とか、確かに男の子って感じの頼もしさがあって、私は心を惹かれていたんだと思う。
そんな彼は、私の退屈をやっつけて、代わりに世界をくれた。
しかし、私は病室を抜け出している事が母にバレてしまい、彼とは会えなくなった。そうしている間に、彼は退院し、残された私は、酷く落胆した。
だけど、悪い事ばかりでもなかった。
彼が退院した後に、新薬を試す事になり、その薬が私の身体と合っていたらしく、病気は寛解方向へと進んでいった。そうして、私は、雪が降る前には自宅へ退院し、長い入院生活から解放された。中学へ上がる頃になると、普通に学校へ通えるようにもなった。
正直、高校三年生になった今でも、彼にまた会いたいと思うときがある。もちろん、そんな事は無理だし、会えないと分かっているけど、会いたいって思ってしまう時がある。会って、何をするわけでもないけど、ただ会いたい。彼がどんな青年になったのか、この目で見てみたいって思う。私の初恋の相手が、どんな優しい人になっているのか確かめたい。
まあ、そんなの無理なんだけどね。
だって、連絡先も、フルネームも知らないんだもん。探そうにも探せないよ。
私は、そんなあり得ない妄想をしながら、宮原君が目覚めたと喜んでいる姫子に、とある質問をしてみた。
「ねえ、その宮原君って、名前なんていうの?」
「しゅん。春と書いて、しゅんと読むんだよ」
私は、思わず、持っていた携帯を落とした。
◆◇◆◇
私の名前は、ナツキ。夏木有希。
花咲姫子とは、中学からの友人。
水樹勉とは、塾での知人。
そして、宮原君・・・・。ううん、春君とは、病院で知り合った私の初恋の相手。
バカで、鈍感で、子供っぽくて、でも可愛くって、優しい人。
いつもベンチの端っこに座っていて、私も端っこに座って、そんな二人の距離は一メートルとちょっとくらいだったと思う。きっと、その距離を縮める事は今となっては無理だろうけど、もし、もしも、あり
得ないけど、一言、彼に伝えられるとしたら、私は何て言うだろう。
春君と過ごしたのは、ほんの数日間だったし、まだ小学生の頃だったから、今更私の出る幕ではないことくらい分かっている。それに春君の好きな人は姫子だろうし、姫子は私の友達で、そんな友達の姫子は春君の事が好き。
そんなことは、重々承知していて、私は、それを高校三年の春から知っている。
それでも、私の想いが言葉に出来るとしたら……。
そんなことはあり得ないんだけど、もし彼に伝えるとした……。
——春君、ありがとうね。
ううん。そうじゃない。
——春君、姫子の事、よろしくね。
ううん。そうでもない。
私が、春君と過ごしたわずかな時間。
その時間の中で、私の心は、「春」の小川のように穏やかで、「春」の日差しのように温かくなった。
きっと、それが「春」。彼の名前の由来なんだと思う。
そして、目を瞑ると、私の瞼の裏には、ベンチに座っている男の子と女の子が浮かんでくる。
互いにベンチの端っこに座り、近づきたいけれど、近づけない。
離れたくないのに、周りの大人が二人を引き離す。
そして、女の子は、時間になると、ベンチから立ち上がり、病室へ戻る。
本当は、もっと居たいのに、時間が彼女を縛る。
男の子はそれを受け入れるしかない。
だって、二人は子供で、世の中に逆らう力がないから。
それでも、女の子は去り際に、振り返って男の子を見詰める。
ねぇ、春君。
私たちの「また」はいつ来るんだろう。
そして、自分の想いを告げる。
小さな胸に抱く大きな想いを彼に伝える。
それと、聞いてくれる?
私ね。春君の事が——。
もしも、あのとき、伝えていたら、どうなっていただろう?
そんなあり得ない妄想を描き、私は落とした携帯を拾った。そして、電話越しに友達に言葉を返す。
「宮原春君か。いい名前だね」
「うん!ただ、吊り上がった目つきとか、全然穏やかじゃないけどね。ホント、名前負けしてるよ」
私は、友達の弾むような声を聞いて、「そんなことない。彼は春のような穏やかな人だ」と、胸中でこっそり否定した。だけど、口では、そんな否定的な言葉を発することはなく、彼女らの幸せを願う言葉を返した。
「そうなんだ。でも、聞いている限りだと、二人はホント、仲良さそうだよね」
「そう?ありがとう」
いつになく素直な姫子。
きっと、彼女の周りには、春のような穏やかな時間が流れていて、彼と過ごせている時間を幸せに感じているのだろう。
そう思うと、私の胸はチクリと痛んだ。
そして、私は初めて経験する「恋」を理解した。
ああ。これが「人を好き」になるってことなんだ。
彼を想うと、胸が痛む。
ううん、正確には、彼との距離を感じると、胸が痛む。
子供の頃、ベンチの端と端に座り、縮まる事のなかった120センチくらいの距離。
手を伸ばせば届くくらいの距離だけど、その距離は縮まらなかった。
そして、これからも縮まる事はないだろう。
これからも、ずっと——。
これが私の物語。
私だけの物語。
いつしかそれは思い出になるだろう。
忘れられない甘くて切ない思い出。
そんな思い出、あなたにもありませんか?
おわり。
これにて、作品は完結となります。
読んで下さった方々、誠にありがとうございました。
夏木有希というキャラは、始めは「裏で操っていた悪い奴」にしようかと思っていましたが、それでは、あまりハッピーな感じがしないと思い、変えました。
また、本来であれば、33部で完結になるのですが、第Ⅴ章の34部と35部は、この作品では、誰も死なせたくなかったという私の勝手な思いで書きました。
それにしても、なんとなくハッピーとは言い切れないような終わりになっちゃいましたね(;^ω^)




