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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅳ.宮原と花咲
31/35

31.冬の病院(2)

冬――。


金剛内桃華こんごううちももかは、積もった雪を見て、困っていた。

 昨晩から降っていた雪は、朝には止んだ。それでも一晩で、町全体は真っ白に染まった。


 その日、私は朝食を早めに摂ると、リビングの窓際に立って、悩んでいた。


 今日はしゅん先輩のお見舞いに行こうと考えているのだけど、移動手段をどうしようか。


 一番に考えられるのは、バスなんだけど、この雪では大幅な遅延が予測される。別に早く行かなければいけないとか、誰かと待ち合わせをしているとか、そういうわけではないけど、今日はなんとなく早く病院に着きたい気分だった。


 次に考えられるのは、徒歩。私の家から春先輩が入院している総合病院までは、自転車でも十五分くらいかかる。


 今日みたいな足場の悪い中をとてもじゃないけど、歩いて行ける気がしない。当然、自転車も乗れそうにない。どうしよう……。


 私は窓に手を当て、重たいため息を漏らした。


 すると、私の背後から綺麗な声がした。しかし、全く愛想のない気の抜けた声だった。


「どっか行くのー?」


 私が振り返ると、ソファーにだらしなく座っている姉の希々ののかが、こちらを見ていた。


 姉は、日本人離れした長身とメリハリのある体つきで、顔は小さく、各パーツも適切な位置に配置され、非常に整った顔立ちをしている。職業がモデルと言われても、誰も疑わないだろう。


 おまけに、超が付くほどの一流の大学に通っており、才色兼備とはまさに彼女の事だと誰もが納得するに違いない。


 しかし、そんな姉も私の前では、だらしなかった。


 サイズの合っていないジャージ姿で、伸び切ったヘアバンドで髪を止め、ソファーにはほとんど寝ているような形で、どうにか座っている。そして、その表情には全く力が入っていない。


 私はそんな姉が苦手だった。だから、顔を背け、一言だけ不機嫌に返した。


「別に」

「ふーん」


 だが、姉の方は私の事を嫌いではないらしく、たまにどうでもいい優しさを見せる。


「送っていこうか?」

「えっ?」

「どーせ、暇だし」


 私はそんな姉の優しさにどう対処すればいいのか分からない。だから、そういうところも含めて、姉が苦手だ。



 結局、移動手段が見出せなかった私は姉に従い、病院まで車で送ってもらうことにした。


 車が赤信号で停車すると、姉がハンドルを握ったまま、私の方へ顔を向けた。


「あんた、学校は?」

「休み。追試験期間だから」

「ふーん」


 姉は聞いておきながら、興味なさそうだった。


「私、日曜日までいるから」

「あ、そう」


 大学生の姉は、まだ冬休み中らしく、実家に帰省してきている。明後日には、アパートへ戻るらしいが、私にとってはどうでもいいことだった。


「で、なんで病院なの?」

「お見舞い」

「友達?」

「違う」

「じゃあ、彼氏?」

「ち、違う」

「ふーん」

「ねぇ。信号、青」


 信号が青になり、姉が視線を前方へ戻すと、私たちの短い会話は終了した。


 それから、病院に着くまで姉妹の会話はなかった。


 そして、病院に着くと、またしても姉のどうでもいい優しさなのか、私が降りやすいように、姉は正面玄関のロータリーに車を停めた。


「ほい、着いたよ」

「うん、ありがとう」


 私がドアノブを引き、車を降りようとすると、急に姉が呼び止めた。


「ねぇ、桃華」

「何?」

「あんた、変わったね」

「え、そう?」

「なんか無理してない感じ。それに、前は『ありがとう』なんて、絶対言わなかったし」

「そうかな」

「そうだよ。私は今の方がいいと思う。——じゃあ、行くね」

「うん」


 私が車から降りて、ドアを閉めると、姉はすぐに車を発進させた。


 姉が言う様に、私自身、自分は変わったと思っている。以前のように男子に媚びる事はなくなったし、女子たちを蔑むこともなくなった。


 だけど、姉に気付かれるとは思わなかった。


 意外と私の事を見ているんだな、と思うと、頭の中が少し混乱した。だから、姉のことは苦手だと思った。


 病院に着くと、私はすぐに春先輩の病室へと向かった。


 三〇一号室。


 なんか見たことがあるような数字。


 だけど、そんな事はどうでも良くて、私は、病室の前で、あの人と出くわした。


 私が三階に着き、エレベーターを降りると、三〇一号室の前にその人はいた。車いすに乗った可愛い少女。といっても、私の一つ年上の先輩だけど。


 車いすの少女は、病室のドアノブを掴んでいたが、なかなか開けようとしなかった。おまけに何かブツブツと呟いている。


「きっと、大丈夫。うん……きっと……」


 耳を澄ませると、途切れ途切れだが、そんな言葉が聞こえてきた。


 私が聞き耳を立てているとは知らず、車いすの少女は、更に独り言を続けた。


「今日こそ……きっと……うん……そうだよね」


 車いすの少女は、独り言に夢中になっているようで、私が近づいていっても気付く様子はなかった。なので、私は彼女をなるべく驚かせないように、そっと声をかけた。


花咲はなさき先輩。おはようございます」


 でも、ダメだった。車いすの少女は、私の声を聞いて、可愛く悲鳴を上げた。


「ひゃっ」


 そして、病室のドアノブから手を離すと、自分の胸元で両手を握り、私の方へ顔を向けた。


「あ、桃華ちゃん。おはよう。今来たの?」

「そうですよ」


 私は、花咲先輩にニッコリと微笑んで答えた。すると、彼女もにこやかに微笑み返してくれた。


 私たちは、この半年間で随分と親しくなった。もはや友達と言ってもいいくらいだろう。


 私は、花咲先輩と、以前のように、いがみ合う事もなければ、彼女の事を見下す事もない。


 それでも、敵対心というか、ライバル心は完全に薄れてしまった訳ではない。


 私はまだ春先輩のことが好きだし、花咲先輩は春先輩のことが好きだということも知っている。だから、彼女とはあくまでも対等に正々堂々と勝負したいのだ。


 彼女に麻痺があろうが、なかろうが、そんなことは関係なく、人として、女として、私は彼女を越えられるようになりたい。


「中に入らないんですか?」

「そ、そうね。そうだね。中に入ろっか」


 私たちは、返事が返ってくることを願いながら、「失礼しまーす」と病室のドアを開けた。


 しかし、当たり前というか、当然の如く、返事はなかった。代わりに、心電図モニターが無機質な音を立てていた。


 私は、その音を聞く度、ため息が漏れてしまう。もう何十回と聞いているが、まだ慣れないというか、気落ちしてしまいそうになる。


 だけど、それはきっと私の横で、表情を変えず、真っ直ぐに多くの管に繋がれた春先輩を見ている彼女も同じだろう。


 ううん、もしかしたら、私以上に、精神的な負荷がかかっているのかもしれない。だけど、彼女はそれを少しも表には出さなかった。


 私たちは、ベッドで横たわる春先輩にゆっくりと近づき、その顔を覗きこんだ。


 鼻には酸素を送り出すチューブがくっついているが、その吊り上がった目じりは以前と変わりなく、緩く閉じられた口元はなんとなく微笑んでいるようにも見えた。


 そんな穏やかな表情の春先輩は、昏睡というより、ただ寝ているだけのように見えて、大きな声を出せば、目を覚ますのではないかと思う。


 そして、穏やかな寝息を立て、心地よさそうに眠るその顔は、まるで子供のようだと思った。


「今日も……寝ていますね」


 私は春先輩が目を覚ましていなかったことを残念に思ったが、それを感じさせないよう、なるべく落ち着いた声で言った。


「そうみたいね」


 花咲先輩は、小さくそう答えると、私よりも近い位置で春先輩の顔を覗き込んだ。


 だけど、彼女は、春先輩を触ろうとはしない。すぐ目の前にいて、手を伸ばせば、簡単に触れられるのに、それをしようとはしなかった。


 だから、私も彼女に合わせて、春先輩に触れようとはしなかった。


「ホント、寝ている時って、子供みたいですね」

「そうね。いつもは、あんな危険そうな顔をしているくせに」

「ホントですよ」


 私らは顔を見合わせ、小さく笑い合った。


「でも——」


 私は、花咲先輩の笑いが収まらないうちに言葉を続けた。


「春先輩って、いろんな一面があるけど、結局は周りの人の事を思っていてくれて、普段は鈍感なくせに、大事なことはちゃんと気付いて——。なんだかんだ、優しいんですよ。ホント、損な人なんですよね」 

「そうだね」


 花咲先輩は、そう言って微笑むと、私から視線を外し、春先輩を見るわけでもなく、顔を真っ直ぐに向け、どこか遠くを見た。


 その瞳は、曇りなく、澄んでいて、漆黒のなかにも輝きがあった。


 私はその目を綺麗だと思った。


 そして、きっと、春先輩の回復を一番に望んでいるのは、彼女なんだとも思った。


 私だって、早く春先輩が目覚めて欲しいと思っている。だけど、どこかで、このまま目覚めないんじゃないかという不安も捨てきれない。


 春先輩は、もう夏からずっと眠り続けていて、先輩が言っていたタイムリミットも、あと一か月を切っている。そんな最悪な状況下で、希望を探す方が難しい。


 だけど、花咲先輩はすべてを受け入れつつも、諦めていない。彼女には、私には分からない、何か確信めいたものを感じているんだろう。


——必ず、彼は目覚めるから。


 春先輩が倒れてすぐ、花咲先輩はそう言っていた。


 それはただの願いや祈りではない。


 二人にしか分からない、繋がり合った者同士しかわかり合えない、そんな領域があるのかもしれない。


 もしかしたら、それを愛と呼ぶのかも。



 私は、しばらく花咲先輩と春先輩を見詰め続けた。


 そして、私はかぶりを振ってから、小さく言葉を漏らして、二人から視線を落とした。


「敵わないな……」


 二人の間には、未だ私が入り込めるような隙はなさそうだった。


 それが悔しいと思うが、嬉しいとも思ってしまう。


 そんな両極性の不思議な想いを私は胸に仕舞い、部屋を出る口実を探した。


「えっと……あの、私、ちょっとロビーに行ってきますね。水樹先輩、そろそろ来るかもしれないですし」

「そう?わかったよ。私はもう少しここに居るからね」

「はい」


 私は、ぎこちない笑顔を浮かべて、病室を出た。


 以前はあんなに作り笑いが上手だったのに、今は、随分下手くそになっちゃったな。


 だけど、私はその方がいいと思った。

桃華の姉、希々ののかが、初登場です。でも、最初で最後だろうけど(°▽°)

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