30.冬の病院(1)
冬——。
水樹勉は、積もった雪を見て、嘆いていた。
「やれやれ。積もったか・・・・」
朝、目を覚ますと、窓の外は一面の銀世界になっていた。
昨日の天気予報では、大雪の予報になっていたので、ある程度は覚悟していたが、これでは、交通機関の乱れが心配される。
「まだ、明日じゃなかっただけマシか」
俺はそう呟き、一階のリビングへと降りていった。
今日は、センター試験前日。
俺はそんな大事な行事の前日だというのに、朝食を素早く済ませると、身支度を整え、上着を羽織って、家を出た。
外に出ると、雪は既に止んでいたが、膝丈くらいに積もった雪道は、足場が悪く、真冬の風は、凍てつくように冷たかった。
そんな過酷な環境下で、最寄りのバス停へ行くのにも一苦労だったが、さらに、そこから、遅れているバスを屋外で待つのがなかなかに辛かった。
しかし、俺には、そうしてでも行きたい場所があった。
俺が、遅延していたバスに乗って、向かった先は、市内の総合病院。
俺は腕時計で時間を確認しながら、正面玄関から院内に入ると、建物内の温かさにほっこりし、思わず、「あったかい」と小さく言葉を漏らした。
しかし、予定していた時間よりも随分遅れてしまっていたので、俺は休む間のなく、早歩きで、ロビーを通り過ぎると、病棟に上がるエレベーターへと向かった。
しかし、そこで思わぬ人物と出くわした。
俺がエレベーターを待っていると、金剛内桃華がエレベーターから降りてきたのだ。
「あ、水樹先輩。おはようございます」
桃華は、俺を見るなり、いつものツインテールを揺らして、軽く頭を下げた。しかし、その顔は少し浮かない表情だった。
俺はそのことをまずは聞かないで、とりあえず挨拶を返した。
「やあ。桃華。おはよう、じゃなくて、もうこんにちは、の時間だね」
「そうですね。バスで来たんですかぁ?」
「うん、そうなんだけど、この雪だからね。だいぶ、遅れちゃったよ」
「大変でしたね」
桃華はそう言って、苦笑いをすると、短いが、重いため息を漏らした。
俺はそこでようやく桃華に何があったのか、尋ねてみることにした。
「どうかしたのかい?」
桃華は自分でもため息を漏らしていたことに気付いていなかったようで、俺の質問を受けて、少し慌てたが、すぐに困った笑いを浮かべて答えた。
「いやぁ、なんか、敵わないなって、思っちゃいまして」
何が敵わないのか、俺にはなんとなく予想がついた。だから、俺はエレベーターに乗ろうとはせず、扉が閉まるのを見届けた。
「あれ?水樹先輩、乗らないんですか?」
「うん、まあ、邪魔したくないからね」
俺はそう言って、エレベーターから離れると、一番近くにあった長椅子に腰を下ろした。
桃華は「ふぅん」と相槌を打ちながら、俺の横にちょこんと座った。そして、いたずらっぽい笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んできた。
「そんなのじゃ、勝てませんよ」
「ふふ。僕は、寝ている人に負けちゃうのか。だとしたら、彼は、一体どれだけ強いんだか」
「ホントですよ。全く」
俺と桃華は、皮肉を言いながらも笑い合った。そして、笑いが落ち着くと、再び桃華が尋ねてきた。
「そういえば、いいんですか?ここに来ていて。明日って、センター試験ですよね?」
「いいの。僕は頭が良いから」
俺はそう言って、眼鏡をクイッと上げようと思ったが、もう半年くらい前からかけていない事を思い出し、代わりに腰に手を当て、自慢げな顔をしてみせた。
そんな俺を見て、桃華は笑いながら言葉を返した。
「うわ、嫌味ったらしいですね」
俺らはまた笑い合った。そして、ここにはいない彼女の事を思い起こした。
「それで、彼女も来ているんだろう?」
「はい。花咲さんなら、まだ病室にいますよ。私には分からないけど、あの人には何か感じるんでしょうか。もう少しいるって、言っていましたから」
「やれやれ、彼女こそ、勉強が必要なんだけどな」
そう言いつつ、俺は、初めて花咲と出会った日の事を思い出していた。
春が連れてきた車いすに乗った女の子は、俺に数学を教えて欲しいと依頼してきた。俺は、そんな彼女に興味が湧き、自分を変える手立てにするため、その依頼を引き受けた。それは、ほんの二年ほど前の事なのだが、今では、懐かしく思う。
そして、俺は彼女に恋をした。
だが、結局俺は選ばれず、彼女は春を選んだ。いや、彼女は初めから春と決めていたのだ。
それでも、俺は、そんな彼女の真っ直ぐで、素直な姿勢をみて、大事な事を気付かせてもらった。
それから日が経ち、夏休みのある日。
俺は、桃華と協力して、二人を呼び出した。
そして、春に真実と、自分の想いを彼女に告げるよう説得した。だが、春は、俺らの説得に応じる事はなかった。その後、俺と桃華は退席したので、二人に何があったのか知らないが、結局あの二人は想いを確かめ合えたようで、全てが上手く行ったと思った。
だが、まだ終わりではなかった。花火大会の日、春が倒れた。
その知らせがあったとき、俺には驚きがあまりなく、それよりもついにそのときが来たか、と思った。
そして、春はその日からずっと、眠り続けている。
夏が過ぎ、秋も過ぎ、季節は冬になったが、それでも春は目を覚まさない。彼の言っていたタイムリミットまでは、あと一か月を切ったというのに、穏やかな顔で、眠り続けている。
だが、俺はまだ諦めたわけではない。
やっと繋がり合えた二人が、このまま終わっていいはずがない。
頭の良い俺には分かるのだ。必ず春は目を覚ます、と。
だから、早く目を覚ませよ。春。
今更ながら、水樹君の勉という名前は、つとむ、と読むのが一般的ですよね(^-^;




