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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅳ.宮原と花咲
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27.中二の夏(2)

花咲姫子はなさき ひめこは、初めて宮原春みやはらしゅんと会った時のことを思い出していた。

 私は、車いすのハンドリムを左手で押さえ、右手で滑りの悪い保健室のドアを開けると、保健室の壁やカーテンの白さが目に飛び込んできた。


 その白さに目が慣れるまで、数秒間の時間を要し、目が慣れてくると、私は保健室の内を見渡してみた。しかし、保健師の先生の姿はなかった。どうやら、席を外しているようで、ガランとした室内はなんとなく寂しかった。


「なんだ、いないのか……」


 私は呟いてから、車いすの駆動輪を転がし、保健室の中に入ると、窓際まで進み、止まった。そして、手を伸ばして、レースカーテンを少しだけ開けみる。


 保健室の窓から見える桜の木は、すっかり花びらが散っていて、もう青々していた。


 結局、今年は花見なんて行く暇もなく、あっという間に春が過ぎて行ったなぁ、なんてことを思うと、少々寂しい気分になった。


 普段ならば、そんなことを考えないはずだけど、今は弱気になっているせいか、些細な事で虚しさや寂しさを感じてしまう。


 私は、そんな寂しい気分を振り払うように、顔を振って、カーテンから手を放すと、車いすの向きを変えた。視線を室内へ戻すと、なんとなくだけど、いつもと空気感が違うような気がした。


 どこが違うかと言われれば、上手く答えられないが、なんとなく空気が乾いているみたいな感じがする。それに、保健室なので、消毒液のニオイがするのは当たり前なんだけど、それがいつもよりも強いと言うか、まるで本当の病院にいたみたいな感覚がした。


 私は首をかしげてみたものの、その原因を考えるわけでもなく、早々に立ち去ろうと思った。


 しかし、私が車いすを漕ぎ出そうとしたとき、ベッドがおいてあるはずの、薄だいだい色の仕切りカーテンの向こうから、物音がして、私はハンドリムを回そうとしていた手を止めた。


 ガチャガチャと騒々しいその音は、恐らく携帯を落としてしまった音だろう。そして、仕切りカーテンの向こうにいると思われる人物は、慌ててしまったのか、何度も携帯を拾い損ねたようで、騒々しい音が続けて聞こえてきた。


 私は、別に怒ったわけではないけど、急な物音に驚いたせいで、仕切りカーテンの方へと身体を向けると、鋭く声を上げた。


「誰!」


 すぐに返事はなかった。


 代わりに数秒後、仕切りカーテンがそっと開けられ、おずおずと一人の男子生徒が姿を現した。


 その男子生徒の目つきは、私が今まで会ってきたどんな人よりも鋭くて、おっかない顔をしていた。だけど、少しヨレた制服や申し訳なさそうな仕草が、彼がそれほどおっかない人ではないと物語っていた。

 

 よく言えば、穏やかで柔和な感じ。悪く言えば、バカっぽくて、頼りない感じがした。


 その男子生徒は、私に近づこうとする事はなく、こめかみ当たりをポリポリと掻くと、言葉を発した。


「僕……じゃなくて、俺は宮原。別に驚かせるつもりはなかったんだ」


 宮原と名乗る男子は、私の警戒心を解こうとしたのか、少しだけ笑った。しかし、その笑みは、ぎこちなくて、睨めっこを思わせる程不細工だったので、私は思わず笑いそうになった。


 だけど、私は、必死に笑いを堪えた。そのせいか、必要以上に強い口調で言葉を返してしまった。


「あんた、何者?そこで何してんの?」


 自分でも周囲から性格がきつい、と言われている事は知っている。別に周囲に強く当たろうと思っているわけではないんだけど、自分の感情を表すのが下手なせいで、そうなってしまうだけだ。


 そんなことを知らない宮原は、私にきつく当たられ、少し緊張した面持ちになった。それでもどうにか、平然を装って言葉を返してきた。


「何者って……。俺は一年一組の宮原……。って、さっきも名乗ったか。ここでは、ちょっと休んでいただけだ。えーっと、サボリみたいなもんだな」

「ふーん。宮原って、ヤンキーなの?」


 その言葉に、宮原はピクリと眉を動かし、始めは呟きのような小さな声で、後半はしっかりと聞こえるような声量で答えた。


「いきなり呼び捨てかよ——いいや、よく言われるけど、違う。健全な一般生徒だ。それで、お前は、何しに来たんだ?」


 私は、宮原に、「お前」呼ばわりされて、さすがにイラっときたので、今度は意図的に不機嫌そうに言葉を返してやった。


「お前じゃない。花咲。私の名前、花咲だから」

「あ、そう。花咲……さん、ね。それで、花咲……さんは、何しに来たんだ?」


 不自然に私を「さん」付けする宮原だったが、私はそんな事は無視をして、質問にだけ、不愛想に答えようとした。


「私は、ちょっと——」


 しかし、言葉はそこで詰まってしまった。


 あれ。私って、保健室に何しに来ているんだろう。


 最近はほぼ毎日、保健室に来ているが、特に何をするわけではなく、ただ保健師の先生に話を聞いてもらうか、ベッドで寝ているだけだ。そんなのだったら、別に学校に来なくていいじゃない、なんて思ってしまう。


 そう思うと、私はやはり学校を辞めるべきなんだろうと、思った。


 無理をしたって、きっと良い事はない。


 それから、私は、宮原の質問なんか忘れ、目を伏せた。そして、ハンドリムを力なく掴み、後ろに引いて、車いすをゆっくりと後退させた。


 車いすは、そのまま下がり続け、後輪が窓際の壁に当たると、停車し、私はハンドリムから手を放した。その手を今度は膝上に持ってくると、強く握り締め、込み上がってこようとする感情を抑えた。


 私にはそれが何という感情なのかは分からなかったが、胸がたまらなく苦しかった。


 そして、俯いたまま目を閉じると、深い暗闇の世界に体が沈んでいくような感覚に襲われた。


 もう逃げ場がなくて、永遠に光は訪れないそんな世界。


 私には自由がなくて、何も許されない。


 楽しい学校生活を送る事も、普通の女の子みたいに恋をすることも、自分で進路を選ぶことも許されない。


 ただ、呆然と生きているだけ。

 いや、生かされているだけ。


 自分では何もできない私は、周りの大人たちに守られながら、面倒をかけながら、生かされているだけ。


 しかし、そんな暗闇の世界に、遠慮なく入り込んでくる声があった。


 がさつで、バカっぽい声だったが、なぜか安心する声だった。


「何があったか知らねぇけど。あんまり下ばっかり向くなよ」


 私は聞こえてくる声に従い、少しだけ顔を上げ、目を開いた。


 すると、目の前には、両膝をついた宮原がいた。宮原は相変わらず鋭い目つきだったが、良く見ると、その奥の瞳からは優しさを感じた。そして、何より、宮原の目線は、私の目線と同じ高さだった。


 車いすに乗っている私の目線は、せいぜい宮原の腹部くらいの高さだろう。だけど、彼は床に膝をつけて、姿勢を低くすることで、私と目の高さを合わせてくれた。


 そして、さっきのぎこちない笑みとは違い、今度は優しく笑った。


「下を向いていると、涙が零れちまうだろ」


 気付けば、私の目には涙が溜まっていた。だけど、私は溢れ出す前にその涙を拭って、誤魔化すように、不機嫌な顔で真正面にいる宮原を見返した。


「何カッコつけてんのよ。バカ!」


 そんな言葉を言いたかったわけではないんだけど、今の私にはそれ以上の言葉は出てこなかった。それでも宮原は、怒ることもなく、少し呆れた感じで笑うと、言葉を続けた。


「初対面で、バカはないだろう。まあ、いいけどさ」


 私は不機嫌な表情で、宮原のことを見ていたが、本当は彼に感心していた。


 入院中、作業療法士の森田さんは、意識的に私と目の高さを合わせて、私が圧迫感を感じないように配慮してくれていた。


 だけど、この目つきの鋭い男は、それを自然とやっている。


 だって、こんな間抜け面の人が、意識的に他人を気遣って、目線を合わせられる訳がない。だから、この人は、何も考えてなくても、自然とそういう事が出来る人なんだ、と私は思った。


 しかし、この男の無礼さに、私はまだ気付いていなかった。


 宮原は、急に真面目な顔になると、今度は私の顔をじっくりと見詰めてきた。


 さすがに目線の高さが一致していても、そんなに見詰められれば、落ち着かない感じがして、私は不意にも頬を少し赤らめた。でも、それがバレないように、私は睨みを利かせて、彼を見詰め返した。


「何よ!」


 私の不機嫌な言葉に、宮原は真剣な表情のまま答えた。


「お前、黙っていれば、可愛いんだな」

「うっさい。バカ!一言、余計だ!」


 やっぱり、コイツは何にも考えてない無礼な鈍感野郎なんだ。


 私は、宮原の事を感心していた自分がバカらしく思え、彼の頬を叩いてやろうと思ったが、その前に、彼は立ち上がり、私の間合いから顔を遠ざけた。そして、詫びる事もなく、いたずらっぽく笑って、言葉を続けた。


「冗談だってば。そんなに怒るなよ。それより、花咲。少し元気出たみたいだな」


 いつの間にか、私の顔はしっかりと上がっており、暗闇の世界に沈んでいこうとしていた身体は、現実味があって、きちんと車いすに収まっていた。


 だけど、素直じゃない私は、それを喜ぶことは出来ず、宮原には感謝の言葉ではなく、不愛想な表情と言葉をぶつけた。


「何よ!生意気言ってんじゃないわよ」


 しかし、宮原も私とのやりとりをしばらく重ねたことで、私の不機嫌さに慣れてきたのか、そんな言葉を受けても動じる事はなかった。


「まあ、何に悩んでいたのか、かわかんねぇけどさ。そんなに気負わなくてもいいんじゃないか。だって、ほら。お前には、友達がいるんだろ?きっと、なんとかなるって」


 宮原はそう言って、保健室の入り口を指した。


 すると、そこには、少しだけ開けられた保健室のドアから、いつの間にか、二人の女子生徒が顔を覗かせていた。


 栗色のふんわりとしたショートヘアがとても可愛い女子生徒は優希ゆうきみお。


 すごく明るくって、元気いっぱいで、ちょっと変わった所はあるけれど、周囲からの人気は高く、彼女の周りにはいつの人が集まっている。


 それから艶やかな黒髪ロングの女子生徒は北見智子きたみ さとこ


 彼女は、一見、冷静でクールな印象を受けるが、実は面倒見が良くて、細かな所にも気が回る。だから、悩み事を彼女に相談する女子は多いらしい。


 そんな二人は、私のクラスメイトで、まだそんなに仲良くはなれていないけど、何度も話をしたことがある。

 

 そして、私が二人の方に目をやると、私の視線に気付いた優希みおが弾むような声を発し、手を振っててくれた。


「姫子ちゃん。おはよう!まだ、教室に来てないみたいだったから、保健室かなぁ、と思って、ちょっと様子見に来ちゃった」


 そんな優希みおに私は、照れながらも小さく手を振り返すと、今度は、北見智子が落ち着いた様子で、透き通るような声を発した。


「花咲さん。今日は、教室に行けそう?別に無理はしなくてもいいけれど」


 優希みおと北見智子は、優しく微笑みながらも、私の事を心配しているようだった。


 だけど、私は二人になんて言葉を返せばいいのか、困った。


 だって、私は、何にも出来ないし、優しい二人に何も返してあげられない。それどころか、一緒にいると、迷惑をかけてしまうだけだ。私は、何をするにも時間がかかってしまうし、環境を選んでしまうから。


 だから、私なんかが、二人と親しくしてはいけないんだと思う。もう学校を去ろうとしている私は、彼女らに冷たい言葉を返して、突き放せばいいんだと思った。


 だけど、そう思っても、私にはそんな言葉を言う勇気がなかった。人に嫌われるという事が怖いんだもん。


 臆病な私は二人に返す言葉がなくて、結局黙り込んだ。


 しかし、そんな状況下で、またしてもがさつで、間抜けな声が聞こえてきた。


「ほら。二人のところへ行けよ。花咲。大丈夫だって。なんとかなるさ」


 私は、クラスメイト達から視線を外すと、声の主を睨みつけた。


 何よ。私の苦労なんか知らないくせに。適当なこと言いやがって。


 しかし、宮原は、そんな私の胸中を察することもなく、更に言葉を続けた。


「二人ともお前の友達なんだろう。だったら、何も心配いらないさ。大丈夫。二人を信じて」


 宮原が、なぜ、それほどまでに自信たっぷりに「大丈夫」と言えるのか、私には理解できなかった。


 きっと、コイツ、何も考えていないんだろうな。だって、悩みとかなさそうだもん。


 私は宮原の無責任な言葉に、腹が立ったが、一方で、その能天気さが羨ましいとも思った。それから、宮原は少し間を空けて、最後に力強く言葉を発した。


「それにさ、病気や障害を諦める理由にしたくないんだ。だって、そんなの悔しいじゃないか」


——病気や障害を諦める理由にしたくない。


 最後に宮原が発したその言葉は、なぜか私の心を動かし、しっかりと胸に刻まれた。


 それがなぜだかよく分からないけど、たぶん、それを言った時の彼の目のせいなんだと思う。


 どこか分からない遠くを見ているようで、しっかりと現実も見えているそんな不思議な目。


 例えるなら、まるで、未来と現在を同時に見据えているような目。


 そして、彼の口から発せられた言葉は、私にではなく、彼が自分自身に言い聞かせているような気もした。だから、宮原が無責任に発したその言葉は、なんとなく重々しく感じられて、妙に説得感があったのだと思う。


 そのあと、私は、宮原に何と言葉を返したのだろう。


 今となっては、もう忘れてしまったけど、宮原の言葉を受けた私は、小さく頷くと、力強く車いすを漕いで、みおと智子の元へと向かった。

タイトルが中二の夏なんですけど、話の流れは、もう高一の春になっていますね(;^ω^)

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