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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅳ.宮原と花咲
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26.中二の夏(1)

水樹勉みずき まなぶ金剛内桃華こんごううち ももかが、宮原春みやはら しゅんに訴えかけているとき、花咲姫子はなさき ひめこは、中学二年の夏の事を思い出していた。

 なんで、今、こんなことを思い出してしまうんだろう。


 中二の夏——。

 

 私は交通事故に遭った。


 

 その日、どこへ向かおうとしていたのか、忘れたけど、信号が青になり、私は、横断歩道を渡り始めた。


 白い線の所だけで渡れたら、今日は良い日なる——なんて、子供染みた事を考えながら、渡っていると、急に肩を掴まれ、引き止められた。そのせいで、私の足は、白い線からはみ出してしまった。


 私は振り返って、邪魔された腹いせに、引き留めた人を睨みつけた。


 私を引き留めたのは、吊り目の同い年くらいの男の子だった。


 男の子は、人と話す事に慣れていないのか、私の睨みに圧倒されたのか、何も言わず、おどおどしていたので、私は彼の手を振り払って、再び歩き始めた。


 それでも男の子は必死に声を振り絞り、「あ、あの——!」と叫んだが、私は無視して歩き続けた。


 そのとき、私はバイクの暴力的な排気音が近づいていることに気が付いた。しかし、もう遅かった。


 地を揺らすような排気音が響き、耳鳴りのようなブレーキ音が鳴った後、私の身体は宙を舞い、意識が飛んだ。


 私は信号を無視したバイクにはねられ、背中を強打。胸椎を骨折し、胸髄(脊髄の胸の高さにあたる部分)を損傷した。


 その日を境に、胸から下は、私の意思に従わなくなった。


 感覚もない。


 体幹の筋肉も働かいないので、支えがないと座っている事も出来ない。そもそも、寝返りや起き上がりも自力では困難だった。


 私は絶望した。


 もう一生自分の足で、地面を踏みしめることは出来ないだろう。


 もう私は歩けない。

 もう普通の生活は出来ないんだ。


 そんな絶望的な人生なら、死んだ方がマシだと思った。


 三階の私の病室から飛び降りて、打ち所が悪ければ死ねるだろう。


 だけど、それも叶わない。


 ベッドから転がり落ちて、窓際まで這って行ったとしても、人の胸元の高さにある窓枠を私はよじ登ることが出来ない。


 私は、自分の意思で命を絶つことも許されないのだ。


 そんな絶望的な中、リハビリが始まった。


 私の担当は、理学療法士りがくりょうほうしの宮田さんという若い男の人と、作業療法士さぎょうりょほうしの森田さんというちょっと年のいった女の人だった。


 宮田さんは、私にいつも優しかった。


 麻痺した私の足を丁寧に動かしてくれて、いつも励ましてくれる。


 私に手を添え、動きを誘導しながら、寝返りや起き上がりの方法を教えてくれた。そして、支えなしで座れたときには、自分の事のように喜び、私を褒めてくれた。おかげで、私の出来る事はどんどん増えていった。


 森田さんは、少し不愛想な人だった。


 別に怒鳴ったり、厳しい言葉を浴びせたりする事はないんだけど、森田さんは無表情というか、無口というか、感情があまり読めない人だった。


 それに、森田さんは、宮田さんのように手を差し伸べる事はあまりせず、私が着替えの練習で手こずっても、トイレの練習で時間がかかっても、彼女は静かに見ているだけだった。それでも、不思議と圧迫感は感じなかった。


 ある日、私は宮田さんに尋ねてみた。


「森田さんって、独身なんですか?」


 宮田さんは、少し困った顔をして答えた。


「うーん。どうだろうねぇ・・・・・・」

「きっと、そうですよ。顔は整っていますけど、なんか無口だし、愛想もないですからね」


 私は、本人がいないからといって、失礼なことを軽々しく言った。すると、宮田さんはかぶりを振って、優しく言い返した。


「そうでもないよ。僕らには厳しいけど、患者さんにはとても優しいんだよ」

「そうですか?今のところ、私は、その優しさをあまり感じないんですけど」


 宮田さんは、少し笑って続けた。


「ははは。そっか。でも、あの人の目をよーく見てごらん。そうしたら、彼女の優しさが分かると思うよ」

「目ですか・・・・・・?」


 その日の午後。

 私は森田さんのリハビリの時、宮田さんに言われたように、「目」に注目してみることにした。


「作業療法の時間です」


 森田さんは、きっちり時間通りに私の病室へやってきた。


 森田さんのリハビリは、主に普段の生活の動作練習を行うので、訓練室ではなく、こうやって病室で行う事もよくあった。


 森田さんは、ベッドで腰掛けていた私に近づくと、身体を屈めた。


「今日は、昨日の続きです。靴下を履いてみましょうか」

「・・・・・・はい」


 私は返事も曖昧に答える程、森田さんの目に集中した。


 少しだけつり上がった目じり。

 

 その奥の瞳は、確かに綺麗ではあったが、宮田さんが言う程の優しさは感じなかった。ただの綺麗な女性、といった印象だった。しかし、やはりというか、結構近くにいても、圧迫感は感じない。


「花咲さん、どうしたのですか?」


 私があまりにも目を見続けていたので、森田さんが不思議に思い、尋ねてきた。そこで、私は彼女の瞳に見惚れていた事に気付き、慌てて離れようとした。


「あ、いや、なんでもないです!」


 しかし、勢い余って、上体は安定した位置では、止まらず、そのまま後方へと傾いていった。


 しまった!

 このままでは、後ろに倒れてしまう!


 私はそう思って、思わず目を強く瞑った——が、上体は少し後ろに傾いただけで、私が倒れる事はなかった。


「あれ・・・・・・?」


 私は不思議に思い、そっと目を開けてみた。


 すると、私の前で屈んでいた森田さんは、いつの間にか、自分の右手を私の背中へと回し、軽々と支えていた。


「あ、すいません」


 私は上体を少し後ろに傾かせたまま、森田さんを見詰めて謝った。


 しかし、森田さんは、私の謝罪を受けても、表情を変えることなく、文章を棒読みするように言葉を返した。


「いえ。それより、大丈夫ですか?」

「は、はい。大丈夫です」


 森田さんと私は、背中と腕を通して接触していた。しかし、相変わらず不快な感じはしないし、結構距離は近いのだが、圧迫感や威圧感もなかった。むしろ、支えられているせいか、安心感が私に満ちていた。


 理学療法士の宮田さんは、すごく優しいのだけど、これほど距離が近くなると、さすがに少なからず圧迫感を感じる。男女や体格の違いもあるだろうけど、たぶんそれだけではないと思う。


 そこで、私はもう一度、森田さんの目に注目してみた。


 やっぱり顔立ちは整っていて、瞳も綺麗だが、特別感はない。むしろ、表情や口調は、相変わらず、素っ気なくて、無感情な印象がする。


 じゃあ、一体彼女の何が、私に安心感を与えてくれるんだろう。


「森田さん」


 私はいつの間にか、口を開き、彼女の名前を呼んでいた。


「はい。なんでしょうか」


 森田さんは、眉一つ動かすことなく、私の姿勢をそっと整えると、屈んだ姿勢のまま、私を見上げた。


「人と接するとき、何か気を付けていることって、あるんですか?」

「それは、どういう意味かしら?」


 相変わらず、抑揚のない口調の森田さんだったが、口元が少しだけ動いた。それを見た私は、彼女の癇に障ったのではないかと思い、慌てて弁解した。


「あ、いや。別に深い意味はないんです。皆、森田さんって優しい人だって、言っていたので・・・・・・。あ、あの。私も森田さんって、優しい人だと思っていますよ。その秘訣を知りたいというか、なんというか」


 私の苦しい言い訳に、森田さんは怒るわけでも、呆れるわけでもなく、無表情のまま、言葉を返した。


「そういうことですか。あまり、人には言いたくないのですが、敷いて言えば、『目線』ですかね」

「目線?」


 私は首を傾げ、自分の前で屈んでいる綺麗な女性を見返した。


「そうです。私は、目の高さに、気を遣っています」


 そのとき、私は、森田さんの目の高さが、自分よりも低い位置にあることに気が付いた。


 いや。今だけではなく、さっき咄嗟に私を支えた時も、森田さんの目の高さは私よりも低かった。それどころか、初めて会った時から、森田さんの目の高さは、私の目線を超えた事はない。座っている時はもちろん、寝ている時も足元側から声をかけてくれ、私が彼女を見上げたことは一度もなかった。


 そして、森田さんは抑揚のない口調で、更に言葉を続けた。


「私は、昔から無感情女だとか、ロボット女だとか、言われてきました。自分自身でも自分が不愛想であることは、自覚しています。だから、何か一つだけは、きちんとしようと、心掛けているのです」


 自分をロボット女と言った森田さんの曇った顔は、人間らしい暗い感情が現れたように見えた。だから、私は声を張って、それを否定した。


「そんな事ないです!森田さんは、すごく綺麗だし、なんか安心できるというか、とっても温かい人だと思います。それに、えっと・・・・・・森田さんは、綺麗な人です」


 思わず出た私の言葉たちは、少しばかり意味不明だった。


 だけど、森田さんは呆れる事はなく、強く言い返す事もなく、目じりを下げ、口角を少しだけ上げ、口元に手を当てると、小さく微笑んだ。


「ふふ。ありがとう。花咲さん」


 森田さんの初めて見る微笑んだ顔は、とても綺麗で、とても人間らしかった。


 それ以来、私は森田さんと仲良くなった。元々、仲が悪かったわけではないけど、森田さんと一緒に居る事がとても楽しみになって、リハビリも苦痛に感じる事はなかった。


 そうして、私は数か月間の入院生活を経て、概ね車いすにて身の回りの事は自分で出来るようになった。


 ベッドから起き上がったり、一人で座ったり、車いすに乗り移って、漕いだり出来るようになった。いや、日常生活というのは、それだけではない。食事を摂ったり、衣服の着替えをしたり、トイレへ行ったり、勉強をしたり、お出かけしたり・・・・・・、私は普通の人より時間はかかるし、不都合は感じるが、私のなかでは、それらが普通に出来るようになった。


 そして、中三の春には、学校に戻った。


 中学校の校舎は、数年前に建て直されたばかりで、幸いバリアフリーの環境が整っていた。そのおかげで、学校生活はそれほど大きな問題は生じなかった。そして、私は、今までの遅れを取り戻すように勉強に励み、高校へと進学したのだった。


 しかし、高校に入学して、私はすぐに壁にぶち当たった。いや、初めから分かっていたことではあったが、「普通」にこだわっていた私は、それくらいなら何とかなると、甘く考えていたのだ。


 進学した高校は「校舎」と「管理棟」の二つからなっており、管理棟の方は、比較的新しい建物で、図書室や理科室、音楽室などの特別教室が入っていた。しかし、普通教室のある校舎の方は、かなり年季の入った建物で、一体いつ建てられたのだろうか、と思う程だった。


 教室の床板は、深いこげ茶色をした古木で、踏めば軋む音がするし、窓やドアを開けるときには、少し力がいる。それに、ガラスは風が吹く度、ガタガタと音が鳴った。


 それでも、白塗りの壁とのコントラストは綺麗で、こういう古風な建物が好きな人は多くいると思うし、私も趣があると思った。


 だけど、車いすで校舎内を移動するのは、かなり不便だった。


 まず古い階段しかないので、上下階の行き来が困難だった。教室に入るには、ちょっとした段差があって、毎回キャスター(前輪)を上げて乗り越えるのが面倒だった。


 また、私の使える広めのトイレは、管理棟にしかなく、他の女子たちのように気軽にお手洗いへは行けなかった。


 それに、中学からの友達は良いが、初めて出会う人たちからは、過剰に気を遣われたり、哀れむような視線を受けたりすることが、しばしばあった。


 しまいには、入学してからしばらく経つと、担任の先生から転校を進められた。


「花咲。あんまり無理しない方がいいじゃないか。お前が通いやすい学校は、いくらでもあると思うぞ」


 その言葉を受けて、私はようやく気付いた。



——やっぱり、私には普通なんて無理なんだ。



 自由に学校へ通えないし、人に迷惑をかけてばかりで、何も出来ない。リハビリを受けて、なんでも出来るようになった気でいたが、それは大きな勘違いで、周りの大人たちが、私のために環境を整え、気を遣ってくれていただけだ。


 そして、先生に転校を勧められた次の日、私は学校を休んだ。


 その次の日からは、再び学校へ行ったが、あまり体調が優れない日が続いた。学校へ行っても、教室には行かず、すぐに保健室へ行くこともよくあった。


 そして、私は悩んだ。


 やっぱり学校を変えるべきなんだろうか。この学校でやりたいことは特にないし、ただ何となく自分の学力と学校の雰囲気だけで選んだだけだし・・・・・・。


 私は、そんな弱気な思いを抱いて登校すると、その日も教室へは行かず、すぐに一階の保健室へと向かった。


 そして、そこで、私は彼と出会った。

脊髄損傷には、完全麻痺と不完全麻痺があります。

その名の通り、完全麻痺は、損傷した部位より下位は完全に働きません。不完全麻痺は、一部働きがみられます。


ちなみに、姫子は、完全麻痺の設定です。


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