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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅳ.宮原と花咲
24/35

24.高二の夏

高校二年の夏。

水樹勉みずき まなぶは、部活のため、弓道場に来ていた。

しかし、部活を休んでいる宮原春みやはら しゅんの事が気掛かりで、弓に集中できないでいた。

 周りに木が生い茂っているせいか、弓道場に来ると、蝉の鳴き声が時別大きく聞こえる。そのせいで、気温が何度か上昇したかのような錯覚に陥ってしまう。


 しかし、俺はそんな中でも暑さを感じさせないような澄ました表情で、動かない的を力強く見詰めていた。


 そして、つがえていた矢と弓をゆっくりと均等な高さで持ち上げ、弓矢が頂点に達すると、今度は、矢の水平を保ちつつ、弦を引き分けていく。弦が徐々に引き絞られていくと、弓がしなり、その重みが増す。俺は、全身でその重みを感じると、口元まで矢を引き下げ、動きを止めた。


 しかし、正確には動きが完全に止まっているわけではない。


 「かい」と呼ばれるその姿勢は、矢を放つタイミングが熟すのを待っているのだ。


 その数秒間の間に、俺は身体各所の最終確認を行う。手の内の感覚、物見(顔を横に向けている)角度、両肩・両肘の伸び具合などを順に確認していく。そして、それらの確認を終えると、最後に自分自身の精神の安定を確認する。


 俺は今、落ち着いているのか?


 しかし、いつもその答えが出る前に、右手から弦が放れ、甲高く、澄んだ弦音が鳴る。


 右手は後方へと自然な形で伸ばされ、左手に構えていた弓は手の内で回り、弓返ゆがえりが生じる。


 俺は、その間も瞬きはせず、放たれた矢の軌跡を見続ける。


 俺の放った矢は僅かな放物線も描かず、一直線に飛んでいった。しかし、的を射抜く事はなく、数ミリ離れた安土あづちに突き刺さった。


 今日は調子が悪い。


 いや、今日だけではない。ここ数日、不調続きだ。

 原因は何かわかっている。


 しゅんが一週間以上も部活を休んでいるせいだ。


 先日行われた全国大会の県予選で、敗退した三年生は引退し、俺が新たに弓道部の部長となった。そして、副部長に春を推薦したのだが、その本人は県予選にも顔を見せる事はなく、ずっと休み続けている。


 顧問の教師に尋ねてみても、「宮原は体調不良だ」としか返答は得られなかった。


「春。何してんだよ・・・・・・」


 俺は弓を畳むと、小さく愚痴を溢した。


 完璧な「美」と「あたり(的を射抜く事)」を求める俺の弓に対し、春の弓は、感覚的で力強い印象だった。しかし、無駄な力みはなく、基本に忠実で、それ故に、彼の放つ矢はよく中った。


 弓道の試合では、的に中れば良い。

 〇か、×かしかない。


 しかし、矛盾するようだが、春の弓から、中りに執着するような印象は受けない。だが、よく中る。そして、そんな春に負けないくらい、俺もよく中てる。


 俺の弓は、春とは違い、きちんと計算され、中りを求めて、中てるのだ。彼のような感覚だけで中てる弓とは違う。


 そんな的中率の高い俺らは、相反する弓を引きながらも、よきライバルであり、よき仲間だった。


 その俺のライバルであり、仲間の春が一週間以上も休みとなれば、張り合いがなくなり、気合も入らない。そのせいで、俺の弓は乱れていた。


「今日はもう駄目だな・・・・・・」


 俺は一旦、道場を出ようとすると、後輩の男子部員が声をかけてきた。


「水樹先輩。今日はもう引かないんですか?」


 俺は少し考えてから、爽やかな笑みを張り付けて、答えてやった。


「あと十分ほどで十二時だしね。僕は、矢とりに行くから、君らはもう五分程、引いていなよ」


 矢とりとは、放った矢を回収に行く事だ。大概は後輩が行う仕事なのだが、俺は外に出たい気分だったので、その仕事を引き受けようとした。


 しかし、当然のように後輩部員は、全力で俺を止めにかかる。


「先輩にそんなことさせられませんよ!」


 俺は、正直、そんな後輩がうざったいと思いつつも、爽やか笑顔を絶やさずになだめた。


「まあ、いいから、いいから。僕にやらせてよ」

「しかし・・・・・・」


 困った顔で食い下がろうとする後輩部員に、俺は代わりの仕事を与え、強引に納得させようとした。


「じゃあ、君が、皆に集合かけといて。僕が矢とりから戻ったら、終礼にするから」

「自分が、集合をかけておくのですか?」

「そう。じゃあ、頼んだよ」


 俺は、後輩部員の同意を聞かずして、道場の外へと飛び出して行った。


 外は夏の強い日差しが降り注いでおり、予想以上に暑かった。やっぱり矢とりを任せればよかったかなと、少しだけ後悔したが、これ以上弓を引けそうな気もせず、俺は暑さで顔を歪めながら、矢とり道(道場と的場を行き来する道)を歩いた。


 そして、看的小屋と呼ばれる的を管理したり、中りを確認したりする小屋に入ると、射位(道場のなかの弓を射る位置)に立っている数名の部員が、弓を引き終えるのを静かに待った。


 普段であれば、後輩たちの射形を確認したり、アドバイスを与えたりするが、今は、他人の引いている弓すら見る気になれなかった。


 まさか、こんなにも他人の存在で、自分の精神が左右されるとは。冷静で計算高い俺が、らしくもないな。

 

 そんなことを胸中で呟いてみるが、やはり気分は晴れないわけで、俺は看的小屋の窓から、的場ではなく、弓道場を囲うように植えられている木々を見上げた。


  鮮やかに映える青々とした葉やその奥の気持ちの良い青空を見れば、気分が晴れると思ったが、それでも俺の気分は落ち着かなかった。


 次に視線を落とし、木々の向こう側に見えるだだっ広い広場を見てみた。


 暑い中、ボール遊びやかけっこをしている親子連れや仲良く散歩をしている老夫婦などがおり、皆、活き活きと汗をかいていた。しかし、そんなはつらつとした人々に混じって、一人だけ異様な雰囲気を放っている男がいた。


 青白い顔に、目つきの鋭い男は、広場の弓道場側に設置されているベンチに腰掛け、静かにこっちを見ていた。言葉を発するわけでもなく、向かってくるわけでもなく、ただじっとこちらを見詰めている。


 俺がそんな男を訝しそうな顔で見詰め返すと、男は俺の存在に気が付いたのか、急に立ち上がり、唐突にも手を振ってきた。


 俺は不穏に思い、目を凝らして男を改めて見てみた。


 良く見ると、男の来ている服は、当校の制服だった。そして、そのおっかない面にも俺は見覚えがあった。


 俺の弓のライバルであり、仲間でもあり、クラスメイトの宮原春だ。


「春・・・・・・なのか?」


 俺はその人物の存在を確かめるように呟いた。


 看的小屋から木々を挟み、五メートル以上も離れた位置にいる春には、聞こえるはずはないのだが、春は手を振りながらも、小さく頷き、微笑んだ。その顔は、一週間以上も部活を休んでいたとは思えない程、落ち着いていて、まるで昨日まで普通に部活へ来ていたかのようだった。


 なんだよ、人の気も知らないで、気の抜けた顔をしやがって。


 俺は文句の一つでも言ってやりたい気分だった。だが、俺は平常を装って、春に落ち着いた声をかけた。


「春。今、そっち行くから、ちょっと待ってくれるかい?」

「でも、水樹。部活まだだろ?」


 確かに春の言う通りだったが、今はそんな事はどうでも良かった。


 この一週間、春は何をしていたのか、なぜ部活を休んでいたのか、それが気になったし、何よりも俺のライバルとして、仲間として、その存在がいかに大きいのかを、彼自身に自覚させたかった。


「大丈夫。何とかするよ」


 俺はそう言って、矢とりの仕事を投げ出し、早歩きで、矢とり道を戻ると、道場に顔だけだし、他の部員たちに指示を飛ばした。


「みんな、ごめん。ちょっと、用事が出来た。一年生は、矢とりに回って、二年生も的張りを手伝ってあげてくれるかい。副部長は、僕の代わりに終礼をしておいて。僕は、もう戻らないから、後は頼んだよ」


 部員たちは、珍しく慌てている俺の姿をみて、少し戸惑っていたが、指示内容を理解すると、歯切れよく返事をした。


『はい』


 俺は、その返事をよく聞かないうちに、再び道場を飛び出し、道着のまま弓道場横の広場へと小走りで向かった。


 弓道場と広場は、木々や生垣により仕切られており、春のいる看的小屋が見える広場のベンチまでは、回り込む必要があった。距離にすると百メートル程度だが、真夏の暑さの中、道着を着たまま駆けていくのは、結構きつかった。


 俺が息を切らせて、春の元へたどり着くと、彼はペットボトルに入った水を渡してきた。


「飲む?暑いだろ」

「うん、ありがとう」


 俺はそのペットボトルを受け取ると、額から垂れそうになる汗を拭ってから、喉を鳴らして一気に半分ほど飲み干した。


「ごめん。いっぺんに半分も飲んじゃった。今度、代わりの買ってくるよ。それにしてもおいしい水だね」


 暑さで喉が渇いていたせいか、普段はあまり飲まないミネラルウォーターだが、今日は、特別美味しく感じた。しかし、春は少しだけ笑い、いたずらっぽい顔をして答えた。


「いいって。それ、ただの水道水だし」

「え、そうなの?」

「ほら、あそこ。あそこで入れてきたんだ」


 春は、ここから十メートルほど離れた所にある水飲み場を指して言った。


「なんだ。もう・・・・・・」


 俺は「おいしい水だね」と言った自分の言葉を思い出し、少し恥ずかしくなって顔を赤くした。


 しかし、俺はこんなふざけた話をするために、部活を投げ出し、暑い空の下にやってきたわけではない。


 俺は、かぶりを振って、恥ずかしさを吹き飛ばすと、苛立つ気持ちが悟られないように、いつもの落ち着いた口調で話を続けた。


「あのさ、春。しばらく、どうしていたんだい?」


 俺は回りくどく、少しずつ質問するようなことはせず、単刀直入に聞いた。それでも春は、質問の内容に身構える事も、返答に詰まる事もなく、まるで予め答えを用意していたかのように、セリフ染みた抑揚のない口調で答えた。


「入院していた。まあ、検査入院だけど」

「え、入院!?」


 予想外の返答に驚いたのは俺の方だった。


 いつも何も考えていなさそうで、呑気な表情をしている春は、学校や部活をたまに休むことはあっても、まさか入院していたなんて、考えもしなかった。


 珍しく驚いている俺を見た春は、それも予測していたのか、落ち着いた表情を保ったままだった。


「まあ、そんなに驚く事でもないさ。ちょっと持病の方が、悪さをしていたみたいで」

「持病?」


 そのときの俺は、春が病を抱えている事を知らなかったし、俺が見る限りでは、彼は至って健康体だった。


 だが、俺の知らない所で、彼は病と闘い続けていたのだった。


「もう何年前かな?病気がわかったのは。分かった時には、もう結構進んでいたらしくって、もう治らないだ」


 春は落ち着いた表情で、抑揚のない口調のまま、淡々と話し続けた。


 俺は、なんでそんなことを落ち着いて言えるんだよ、と腹が立ったが、俺も平常を装い、なるべく落ち着いた表情を心掛けた。当然、俺の苛立ちは、春に伝わるはずもなく、彼は表情も言葉遣いも変える事はしなかった。


「最近は薬でコントロール出来ているから、大丈夫だったんだけど、この暑さのせいかな。ちょっと体調を崩してしまってさ。それで、少しだけ入院していたってわけ」

「治療法は・・・・・・ないのかい?」


 俺は何とか言葉を絞り出した。


 しかし、それでも春は依然としてセリフを読み上げるように言葉を返すだけだった。


「治療法はひとつだけある。それは移植手術を受ける事——なんだけど、ドナーなんて、そう簡単には見つかるもんじゃない。だから、もう何年も待ち続けている」

「もし、このまま見つからなかったら?」


 俺は自分で聞いておきながらも、その質問の答えを聞くのが怖かった。しかし、聞かずにはいられなかった。


「まあ、学校にはもう来られないだろうな。あと、一年と半年。それがタイムリミットだ」


 タイムリミット——それの意味するものは、恐らく——


 俺はかぶりを振って、無理やり思考を止めた。


 それ以上考えたくないし、考えたところで、それを受け止める事も出来ないと思ったからだ。それでも、どうしようもない歯痒さだけは込み上げてきた。


「というわけで、俺は部活を辞めるわ。あ、でも学校にはまだ通うから、また教室で会うな。今日は、それだけを言いに来たんだ」


 春はまるで他人事のように、そう言うと、俺の肩を軽く叩いた。


 春が部活を辞める・・・・・・。

 

 なんで?

 病気だから?

 

 でも、それは初めから分かっていたことだろ?


 だったら、なんで部活に入った?

 なんで学校に来たんだ?


 頭の良い俺には分かる。きっと、病気が治るかもしれないって、思っていたからだろう?

 希望がまだあったからだろう?

 じゃあ、なんで、今になってその希望を捨てたんだ?


 体調が悪くなったから?

 病気が進んだから?

 もう治らないって、分かったから?

 

 そうなのか?

 そういうことなのか?


 じゃあ、俺はどうなるんだ。


 お前をライバルであり、仲間だと思っていた俺はどうなるんだ?

 俺はこれから誰と張り合えばいいんだ?

 誰と戦えばいいんだ?


 後輩?

 他校の生徒?

 自分自身?


 俺の頭のなかで、いろんな疑問が浮かび上がった。


 しかし、そのどれもが、答えに辿り着けないまま、次の疑問へと移り、俺の頭の中を彷徨い続けた。そして、気付けば、俺は、横を通り過ぎ、帰ろうとしている春のうしろ姿に、落ち着かない声で、疑問をぶつけていた。


「春は、それでいいのかい?」


 春は足を止め、振り返って、俺を見た。


「良いも悪いも、そうするしかないんだ。僕はもうダメなんだ」


 俺の事を見詰める春の目は、不安定に揺らめき、弱々しく、いつもの呑気な様子は微塵も感じられなかった。


 病を受け入れたのではなく、戦う事をやめた、そんな諦めが感じられた。


 俺は、そんな春の目を見ると、自分のなかに込み上がってくる怒りや悔しさが、どうしても我慢できなくなった。さっきまで必死に平常を装っていたが、もう無理だった。いつもの冷静で、爽やかな水樹勉を演じる事は出来ない。


 そして、俺は感情的になって、声を荒げた。


「なんでだよ!!」


 なんで、今まで俺に黙っていたんだ。

 なんで、そんなに弱々しい目をしているんだ。

 なんで、病気は春を選んだんだ。


 俺はぶつけようのない怒りと悔しさを春ではなく、夏の空へ向けて放った。顔を上げて、俺は叫ぶように声を発した。


「俺は——!」


 しかし、それ以上言葉は出なかった。


 初めは、席が近いからとの理由で、友人がいなそうな春にはお情けで声をかけた。「誰にでも優しい水樹君」という姿で周りから見られたかったという不純な理由もある。だが、一年以上、共に過ごし、時々、当初の理由を忘れそうになってしまうくらい居心地が良かった。それに部活でも自分と正反対の弓を引く、彼の姿が俺に張り合いを与え、成長するための良い糧となった。


 それなのに、急に部活を辞めるなんて、実は病気だったなんて、すぐに受け入れられるわけがない。


 しかし、頭の良い俺には分かる。最も辛いのは、春自身だという事も。だから、俺は言葉を続けられなかったのだ。


 すると、俺の代わりに、春が弱々しい声で、言葉を発した。


「・・・・・・水樹。ごめん」


 俺は、そんな言葉を聞きたいんじゃない。そんな情けない声を聞きたいんじゃない。


 だが、その一言で、春が出した答えは、俺にはどうすることも出来ないのだと悟った。そして、俺は唇をきつく噛み、自身の怒りと悔しさを何とか沈めた。


 所詮、俺と春は他人同士。


 俺には分からない苦しみが、きっと春にはある。そして、その逆もあり得る。


 それが分かっただけでも、今日は十分かもしれない。


 他人と深く関わってはいけない。浅い上辺だけの付き合いで十分。

 どうせ高校三年間だけの付き合いなんだから。


 人はみんな自分勝手で、自己中心的なんだ。どんなに優しいと言われている人だって、性根のところは他の人と同じ。偽善者だ。


 自分の私利私欲のためだけに、生きている。

 そう。まさに俺のように。


 その日を境に、俺と春が、部活や病気の話をする事はなくなった。


 また、友人関係が解消される事はなかったが、近すぎず、遠すぎない適当な距離感を保ちつつ、俺らは互いの安らぎだけを求めて、共に過ごした。


 それが最善の関係だという事が、俺らは分かったから。

【くるみのつぶやき】

弓道場って、神社の近くというか、敷地内に建てられているところが多いみたいですよ。

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