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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅳ.宮原と花咲
23/35

23.彼女を想うからこそ

宮原春みやはら しゅんは、花咲姫子はなさき ひめこに真実を告げられなかった。


彼女を想うからこそ、言えない。


 もう学校には来られないんだ。


 僕は悲しい声を発する花咲に、そんなことが言えるはずもなく、沈黙を貫いた。せめて、彼女の姿を、この目に収めたいという思いと、悲しい表情を見たくないという思いが、葛藤しているうちに、結局、そのうしろ姿さえも見られなかった。


 本当の事を言えたらどんなに楽だろうか。


 きっと、彼女に真実を告げたとしても悲しい思いをさせてしまうだけだ。いや、それだけではない。彼女はその悲しみを僕に悟られないように、無理をしてでも気丈に振舞うだろう。そんな辛い思いをさせるくらいならば、このまま会わない方がいい。


 僕は、六月の最初の週に行われた清掃活動を終え、しばらくは普通に学校生活を送れていた。


 桃華はあの日以来、強くなった。

 

 これまでのように自分を否定するかのように、無理に「良い子」を演じなくなったし、他人と比べようとすることもなくなった。一方で、神楽のような歪んだ幻想を桃華に抱いていた男子たちからの人気はなくなったが、僕は今の彼女のほうがいいと思う。それに、女子の友人も少なからず増えているそうだ。


 そうして、また穏やかな日常が過ぎていくはずだった。


 しかし、六月の中旬ごろより、なんとなく体調の悪い日が続いた。始めは、風邪でも引いたのかと思ったが、どうやら違うらしい。


 本当は気が進まなかったが、親の勧めで、定期受診の日を待たずに病院へ行った。そして、血液検査の結果、病気の進行が示唆され、一時的に入院することとなった。


 だが、病状は安定せず、入院は一か月にも及んだ。


 入院中には何度か、水樹からメッセージが届いていたが、僕は返信する言葉が見つからず、結局、返信しなかった。さすがに退院日には、退院の報告のメッセージを送ったが、今度は水樹からの返信がなかった。


 また、このまま病状は改善する見込みはないらしく、今は何とか薬でコントロールしているが、これ以上病気が進行するようならば、もう日常生活を送るのは難しくなるだろう。最悪の場合は、目を覚ます事もできなくなるかもしれないとのことだった。


 だから、僕はこのまま学校には行かず、誰とも会わないようにすることにした。


 水樹とも、桃華とも、もちろん、花咲とも。


 これ以上彼らと関わってしまえば、終焉を迎えた時のショックが大きくなってしまう。終わりを迎えるのが、怖くなってしまう。それに彼らにだって、少なからず迷惑がかかってしまう。だから、僕は静かに誰にも知られず、ゆっくりと最期を迎えたい。なるべく、穏便に。


 そう思っていた。


 しかし、夏休み前に退学の手続きのため、学校に行くと、担任の先生からは「しばらく書類は受理しないで、預かっておく」と言われた。


 僕はもう決めていたのに、余計なお世話だ、と思ったが、とりあえずそれで承諾した。


 そして、その日は猛暑日ということもあり、自宅に帰る前に、一休みしていこうかと思って、保健室に立ち寄ると、保健師の先生はおらず、代わりに会わないと決めたはずの彼女が現れた。


 ゆっくりと開けられた保健室のドアの向こうにいた彼女の姿は、一瞬、僕の視界には映らなかった。

 

 だけど、優しく甘い香りが僕の鼻に届き、すぐに彼女の存在に気付いて、僕は視線を下げて、両目でしっかりと彼女の姿をとらえた。


 息は上がっていないが、ポニーテルの明るい髪が、少し乱れている。きっと急いでここに来たんだろう。


 そして、相変わらずの不機嫌そうな顔と、黒真珠のような綺麗な瞳のギャップに愛おしさを感じる。また、真っ白な夏服から見える、彼女の華奢な腕や長めのスカートから伸びる痩せた脚が、少しだけ僕を切ない気分にさせた。


 僕はそんな花咲を見つめ続けた。


 そして、彼女には、もう会わないでおこうと決めたいたのに、僕は思わず、会えてよかったと思ってしまった。


 自分自身でも自覚していたが、僕は彼女に会いたいと思っていた。彼女から連絡がない事に不安を抱きつつも、自分からは連絡できなかった。会えば、彼女への想いが大きくなってしまうし、彼女ともっと繋がっていたいと思ってしまうからだ。


 そして、それはとても残酷な事だ。


 近づけば、近づくほど、受ける傷も与える傷も大きくなってしまう。


 だから、僕は、これ以上彼女には近づけない。


「よぉ、花咲。久しぶり」


 僕は彼女から遠い位置で、自分の秘めている想いを悟られないように、なるべく普段通りを装って、軽く言葉を発した。


 花咲は、少しためらいながらも「・・・・・・バカ」と不機嫌に言った。しかし、その表情には、怒りはない。久しぶりに会えた事の嬉しさと戸惑いを感じる。


 そして、花咲はお互いの想いを確かめるように、言葉を選びつつ、ゆっくりと僕に近づいてきた。


 だけど、もう会わないと誓い、花咲への想いを秘めようとする僕は、彼女を遠ざけるように、身を引き、顔を背けた。そして、彼女の質問に対し、全て曖昧に答えた。


 そのせいで、花咲は徐々に悲しい声になっていった。しかし、それでも僕は真実を告げず、曖昧な言葉を以て、彼女が諦めるのを待った。


 僕はそんな花咲の声を聞くのが辛かったし、本当の事を言わない自分が腹立たしかった。


 本当の事を言えたら、どんなに楽だろうか。


 でも、彼女をこれ以上悲しませないためも、事実を言うことは出来ない。


 これ以上、彼女に辛い思いをさせたくないから、僕は彼女と距離を置いた。

 

 そのうちに彼女は、力なく「もういい」と言葉を溢し、顔を下げ、車いすを後退させた。僕は、そんな花咲を見られなかった。悲しみに包まれる彼女を見ることが出来なかった。


 だけど、顔を背けていても、目を閉じていても、瞼の裏には花咲の小さな体と悲しい顔が浮かんでくる。悲しい声が、僕の耳に届いてくる。


 車いすのタイヤの擦れる音と床板の軋む音が、切なく響き、僕の虚しい気持ちを助長させた。それでも僕は花咲の姿を見る事はなく、ただ小さく、誰にも聞こえないような声で、謝った。


「・・・・・・ごめん」


 僕は、込み上がってくる悲しみに耐えるため、拳を強く握りしめて、レースカーテン越しに見える夏の青空を見上げ続けた。しかし、それでも頬を伝う雫は、止められなかった。



◆◇◆◇



 それからしばらく経ち、夏休みに入った。


 僕の耳には、まだ花咲の悲しい声が残っており、日々、僕の胸を締め付けてくる。


 だが、僕は、彼女にはもう会わないと決めており、強く心を保つため、普段はあまりしない携帯ゲームや漫画を読んだりして、気を紛らわした。だけど、それでも胸の苦しさが癒える事はなかった。


 そんなとき、僕の携帯端末に水樹からメッセージが届いた。


『久しぶり。今日、時間ある?』


 僕は水樹とも会わないようしようと思っていたが、ゲーム漬けになっている日々にちょうど飽き飽きしていたし、受験生の水樹の近況を確認しようと思って、僕は彼の誘いを受けた。


 水樹の指定してきた場所は、弓道場の近くにある「5%」という変わった名前の喫茶店だった。


 部活をしていたときは、水樹と何度か行った事はあるが、部活を辞めてからは一度も足を運んでいない。


 エメラルドグリーンの三角屋根が特徴の喫茶店「5%」は、一見すると古い洋館のようにも見えるが、建物自体は小さく、どちらかと言えば、森の中にある小人の小屋のほうが適当だった。


 そして、カラコロンという乾いた鈴の音を鳴らし、木製のドアを押し開けると、店内は、古い外観と違って、白を基調とした明るい内観が広がっていた。


 店内は、建物の大きさから分かるように、お世辞にも広いとは言えず、十人も客が入れば満席になってしまうだろう。そのため、先に来ていた水樹を見つけるのは、それほど難しくはなかった。


「おーい、春。こっち」


 僕が店内に入ると、青空のような爽やかな声が響いた。そして、声の方へと視線を向けると、綺麗に刈り揃えられた短髪の青年で、僕の友人である水樹勉みずき まなぶが、これまた爽やかな笑顔を僕に向けていた。


 だが、その顔には、いつもの洒落たフレームレスの眼鏡はない。元々、伊達メガネだったので、別にかけていなくても生活に支障はないだろうが、眼鏡姿を見慣れている僕からすると、少し違和感がした。


 水樹は、僕の抱いている違和感を知る由もなく、手招きをして、自分の席まで僕を呼び寄せると、今度は向かいに座るように指示してきた。


「そこ座りなよ。それと、春も何か飲むかい?」


 水樹の前の白い木製のテーブルには、すでに半分ほど飲まれたアイスコーヒーがあった。


 僕は、水樹に言われた通り、彼の向かいに座ると、冷たいおしぼりを持って、注文を取りに来てくれた店員に、とりあえず水樹と同じものを頼んだ。


「これと同じの下さい。それと、チーズケーキも」


 僕にはコーヒーの良し悪しは、まだ分からないが、この店のチーズケーキが間違いなく美味い事だけは知っていた。


 チーズケーキを頼む僕を見て、水樹は昔を思い出したかのように少し笑った。


「ふふ。そういえば、春は、ここのチーズケーキが好きだったよね」

「ほどよい甘さがいいんだよ。といっても、六百円は、貧乏学生の俺にしたら、なかなかの贅沢品だけどな」

「そうだね。バイトが出来ない僕らにとっては、結構キツイ所があるよね」

「全くだ。と言いつつ、無理してでも食べたくなってしまうけど」


 いつぶりだろうか。こうやって水樹と普通に会話をするのは。


 修学旅行以降、水樹とは話す機会が減ってしまった。


 といっても、水樹との仲が不穏になった訳ではなく、僕が桃華の手伝いで、清掃活動に参加したり、持病のせいで入院していたりしていたので、僕の勝手な都合のせいだ。


 そして、水樹を見ていると、つい花咲を連想してしまう。


 修学旅行の二日目の夕方。水樹は、僕に「花咲の事が好きなんだ」と宣言し、その翌日に、彼はその想いを花咲に伝えたらしい。結果は、振られてしまったそうだが、そのことを教えてくれた本人の水樹は、落胆する様子もなく、むしろ清々しい顔をしていた。


 そして、僕の肩を軽く叩き、「君はどうするんだい?」と問うてきた。


 その時の僕は、その質問に答えることはできなかった。


 そうしているうちに、僕が入院することになったので、あれから一か月以上、答えを先延ばしにしているし、水樹とも口を利いていなかった。

 

 僕がそんなことを回想していたら、先にアイスコーヒーが運ばれてきた。


「お待たせしました。どうぞ。チーズケーキは、もうしばらくお待ち下さい」


 僕は店員からとりあえずアイスコーヒーを受け取ると、まず、ミルクとガムシロップを三つずつ垂らし、氷の音を響かせながら、それをストローでかき混ぜた。


 その様子を見ていた水樹は、引きつった笑顔を浮かべながら、話を始めた。


「今日は、急に呼び出してすまないね」

「いいさ。どうせ暇だったし」


 僕はあっさりとした返事をして、甘くどいコーヒーを一口飲んだ。


「特別、用事があった訳ではないんだけど・・・・・・。その・・・・・・もう結構前だけど、修学旅行の後に僕が言っていた質問の事、覚えているかい?」


 覚えているも何も、さっきまで僕はその事を思い出していたところだった。だけど、僕は少し間を開けてから、首を横に振った。


「・・・・・・いいや」

「そうか。なら、いいんだ」


 水樹は、少し表情を曇らせると、僕から視線を外し、半分だけ残っていた自分のアイスコーヒーをぐいっと飲み干した。


 それから水樹は、氷だけが残ったグラスをテーブルに戻し、僕に視線を戻して口を開いた。しかし、適当な話題が思いつかなかったのか、声を発することなく、再び口を閉じ、視線を下げた。


 僕もこのままでは沈黙が続き、気まずくなってしまうと思って、水樹の代わりになんとか話題を絞り出した。


「えっと・・・・・・、あのさ、勉強の方はどうなんだ?」


 水樹は、はっと顔を上げると、ぎこちない笑みを張り付けて、僕の質問に答えた。


「ああ、うん。まあまあかな」


 僕の方もぎこちなく微笑み、言葉を続けた。


「そ、そっか。水樹って、県外の大学に行くんだっけ?」

「そうだよ。春は?」

「俺は・・・・・・・」


 学校には行かない、という言葉を、僕は飲み込むと、代わりになる言葉を探した。しかし、それほど頭の回転が速くない僕では、すぐに言葉が思い浮かばず、結果的に黙り込んでしまった。


 そんな僕の様子を見て、水樹は僕が飲み込んだ言葉を感じ取ったのか、真面目な表情をして、僕の代わりに重々しく言葉を発した。


「悪いのかい?からだの具合」


 水樹は、僕の病気の事を知っている。


 それは、僕が部活を辞めるときに、彼に告げたからだ。だから、今更水樹には嘘をつけない。


「まあまあ・・・・・・っていうのは嘘で、あまり良くない」

「そうか・・・・・・。夏休みが終われば、また学校に来られそうかい?」


 僕は水樹のその質問に、首を横に振って、静かに答えた。


「・・・・・・無理そうかも」


 僕の返答を受けた水樹は、力なく背もたれに寄り掛かると、僕から視線を外し、高い天井で回っているシーリングファンを見上げ、小さく言葉を漏らした。


「そうかい・・・・・・・」


 ため息のように漏れた水樹の言葉には、彼のやるせない気持ちが込められているような気がした。


 僕だって、どうしようもない自分の病状に、晴らしようがない悲しさや悔しさを感じる。しかし、そんな中でも、僕の事を、まるで自分の事のように悲しみ、憂いてくれている水樹を見て、自分は良い友人に巡り合えたなと思えた。そして、それが僕のせめてもの救いだと思った。


 そんな優しい友人の心配事は、僕の身の事だけではなかった。


 水樹は背もたれから上体を起こすと、今度は僕の事を力強く見詰めてきた。


「それで、彼女は、そのことを知っているのかい?」


 彼女——。

 水樹が言う彼女とは、恐らく花咲の事だろう。


 先日、僕はもう花咲には会わないと決めた。だから、彼女に言う必要もないし、言うべきではないと思っている。


 だから、僕は首を振って答えた。


「いや。言っていない」

「どうして?」


 水樹は食いつくように質問を重ねた。


「それは・・・・・・」


 言葉に詰まる僕。


 そんな僕を水樹は容赦なく力強い眼差しで、見詰め続けた。そして、その眼差しを見て、僕は水樹が心配しているのは、僕だけではなくて、花咲の事も同様に心配しているのだと悟った。


 だったら、水樹にだって分かるはずだ。僕の病状の事を花咲に伝えるのは、賢明ではないことぐらい。

 

 しかし、僕を真っ直ぐに見詰める彼の目は、事実を彼女に言うべきだ、と訴えかけているようだった。

だから、僕は水樹の視線から逃れるため、ミルクが解け、明るい色になっている甘くどいアイスコーヒーへと視線を落とした。


「水樹なら、分かるだろう?」


 僕が呟くように言った言葉に、水樹は首を横に振った。


「いいや、分からない。春が何を考えているのか知らないけど、僕は事実を彼女に言うべきだと思う」


 僕だって、花咲に事実を告げたい。

 言って楽になりたい。


 だけど、それが出来ないから、僕はこんなにも苦しいし、弱々しい言葉しか返せないのだ。


「俺だって・・・・・・、本当の事を言いたいさ。でも、言えない。言ってしまえば、彼女は無理にでも明るく振舞うだろう。辛い思いを押し殺してでも。だから、言わない」

「それでも、言うべきだ」


 珍しく、水樹の口調が少し荒くなった。

 しかし、僕は、視線を落としたまま、力ない言葉を返した。


「たとえ互いに想いを確かめ合ったとしても、繋がり合えたとしても、最期に待っているのは、悲しみだけなんだ・・・・・・。そんなの辛すぎるだろ。だから、俺はもう学校には行かないし、彼女にも会わない。そう決めたんだ」


 僕が言葉を言い終えた瞬間、視界が揺らいだ。


 いや、揺らいだのは僕の視界ではなく、僕が見続けていた甘くどいアイスコーヒーだった。そして、僅かに遅れて、激しい衝撃音が響き、木製のテーブルが軋んだ。


 僕は思わず顔を上げた。


 正面に座っていたはずの水樹は、椅子を押し倒して立ち上がっており、右の拳を白いテーブルに叩きつけていた。


 そして、その顔には、怒りは感じられない。それよりもどこにも向けられない悔しさが滲み出ていた。


「だったら、彼女の想いは、どうなるんだ!」


 水樹の激しい声が店内に響いた。


 その大きな声に、周囲の客や店員が水樹に注目したが、今の彼は、そんなことを気にする程の余裕はなく、込み上げてくる感情を必死に堪えようとしていた。しかし、それも出来ずに、更に力強い言葉を続けた。


「彼女は、ただ真っ直ぐに君を見て、ただ素直に君を想っている。そんな彼女の想いを、君はなかったことにするつもりなのか!」


「水樹・・・・・・」


 僕には返す言葉もなかった。


 ただ、悔しさで爽やかな顔を歪めた友人を見る事しかできなかった。


 そういえば、前にも水樹に怒られた事があったな。

 

 あれは、高校二年の夏——。



【くるみのつぶやき】

水樹君は、久しぶりの登場です。

そして、眼鏡はやめました。


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