18.河川敷エリア
宮原春は、気が進まないながらも、金剛内桃華との約束を守るため、地域の清掃活動に参加する。
六月になったが、まだ梅雨の気配はなく、「雨で清掃活動が中止になればいい」という僕の祈りは届かなかった。そして、無慈悲にも清掃活動の日は、朝から快晴となった。
僕は複数の目覚まし時計のアラームを止めて、起床すると、学校指定の体操着に着替えた。今日は気温が上がるらしいので、下は濃い紫色をした長ズボンだが、上は白地に首元と袖元に紫のラインが入った半袖だ。僕は比較的外見には無頓着な方だが、正直、この色合いはあまり好きではない。
体操着に着替えた僕は、朝食を適当に済ませると、家を出た。
地域住民との交流として開催される清掃活動は、うちの高校の生徒と近くの小学校の児童ら、町内会やら老人会やらの地域の方々が参加する事になっている。そして、その清掃活動の拠点となるコミュニティセンターには朝の七時に集合することになっていた。
「せんぱぁーい!」
コミュニティセンターの無駄に広い駐車場に、百名近くの参加者が集まっている中、七時ギリギリに到着した僕を見つけた桃華は、嬉しそうな笑顔を振りまき、ツインテールの髪を揺らしながら駆け寄ってきた。
「おはよ。桃華」
「おはようございまぁす!春センパイ」
僕に人懐っこい笑顔を向けてくる桃華も今日は制服ではなく、体操着を着ている。だが、彼女の場合は、僕とは学年が違うので、紫ではなく、あずき色をした体操着だ。しかも、上は長袖で、下が半ズボンを履いていた。
体操着であれば、制服と違って、桃華が動く度、ヒラヒラとスカートが捲れそうになる事はないのだが、膝上の丈の体操着から伸びる白肌の弾力に富んでいる脚は、なかなかに魅力的で、自然と目がそちらを向いてしまいそうになった。だから、僕はなるべく視線を落とさないように意識して顔を上げた。
顔を上げると、朝から降り注いでいる力強い日差しに照られ、心がくじけそうになった。そして、僕の清掃活動へのモチベーションが削がれそうになる。
「眠い。眩しい。暑い・・・・・」
僕が朝から情けない弱音を吐くと、さすがの桃華も苦笑いを浮かべた。
「もぉ、おじいちゃんみたいな事言わないで下さいよぉ。今日は、ちゃんと仕事してもらいますからね」
「はいはい。わかったよ、副会長さん」
僕が適当に返事をすると、桃華は可愛らしく頬を膨らました。
「何ですかぁ。そのいい加減な返事は。でも——」
そうかと思うと、今度は僕の顔を覗き込み、上目遣いで見つめてきた。
「先輩のそういう適当なところ、結構好きですけどね」
不意にも僕は頬を赤らめ、照れくさくなって目を背けてしまった。
「なんだよ、それ」
そんな僕の様子を見て、桃華は更に嬉しそうに笑った。
桃華は可愛い。
目は大きいし、唇はふっくらしているし、ツインテールも良く似合っている。そして、何より彼女の仕草一つ一つが男心を擽るのだ。
子犬のように人懐っこく笑ったと思えば、身体を密着させてきて、女性らしさを強調してくる。またある時は、愛らしく見詰め、甘い言葉を囁いたかと思えば、手が届かない距離を保ち、自分の魅力的な体を見せつけてくる。
桃華は、近づいてきたかと思えば、離れて、追いかけさせる。追いついたかと思えば、また離れていく。だけど、見失ってしまう事はない。いつでも見えるけど、届かない。諦めようとすれば、向こうから歩み寄り、諦めさせてくれない。そんな絶妙な距離を保ちつつ、男子たちを魅了するのだった。
だから、こうして彼女の横にいると、多くの男子たちの視線を痛い程感じる。そして、小言があちこちから聞こえてくるのだ。
「なんで、アイツがいるんだ」
「アイツがいると、俺たちの桃華ちゃんに近づけないじゃないか」
「早く離れろよ。ちくしょう」
桃華は、僕に送られている男子たちの妬みのこもった視線を気にする様子もなく——いや、むしろ彼らの嫉妬心を逆なでするように、僕にまとわりついてきた。
「センパイ。赤くなったぁ。かわいいー」
「うるせーよ。ほれ、始まるみたいだぞ」
僕は、これ以上桃華の誘惑に載せられないようにするためにも、彼女を適当にあしらうと、コミュニティセンターの正面入り口に立つ、生徒会長の神楽勇士を指し、視線を向けさせた。
駐車場の平地より、一段高くに立ち、全体を見渡している神楽は、その幼い顔つきからは想像できないほど頭の回転が速い男だ。
恐らく、桃華を生徒会に引き込んだのは、こういう行事に人を集めさせ、盛り上げるためなのだろう。その成果もあってか、例年ならば、ほとんど参加者がいないこの地域の清掃活動に、今日、こうして多くの人が集まっている。
しかし、僕はあまり彼のやり方をいいとは思わない。
神楽は、広い駐車場に集まった大勢の人たちに声を届かせるため、子分のように働いているメガネをかけた生徒会の役員から拡声器を受け取ると、口元に構えた。
「皆さん、おはようございます!」
彼の爽やかな声が駐車場に広がると、少し間をおいて、小学生たちの元気な挨拶がやまびこのように返ってきた。
『おはようございます!』
それを見た地域の人たちは顔を緩ませ、和んだ。渋々参加した僕ですら、児童らの元気で、無垢な笑顔を見ると、自然と穏やかな気持ちなった。
一方、当校の生徒達はというと、元々の参加目的が清掃活動ではない者が多く、だるそうな声で挨拶をしているのはまだいい方で、無言で正面を見ているか、チラチラと桃華を見ている者がほとんどだった。こちらを見ていると、やれやれと呆れてしまう。
神楽はそんな彼らを気にする事はなく、全体に優しく幼い顔を向け、微笑むと言葉を続けた。
「元気な挨拶、ありがとうございます。今日は、多くの参加者が集まり、天候にも恵まれました。まさに絶好の掃除日和ですね。また、先にお知らせしていたように、清掃エリアを拡大し、更に美化活動に取り組みたいと思いますので、皆さん、協力し合って頑張りましょう!」
『はーい!』
神楽の呼びかけに対し、再び児童らの元気な声が返ってきた。
一方の高校生らは、相変わらず不愛想で、もはや神楽の話などは聞いていないようだった。どうやれば、桃華に接近できるのか、そればかり考えているように見えた。
桃華はそんな彼らの視線に気付いているのか、どうか分からないが、笑顔を絶やすことなく、正面の神楽から僕へと視線を戻すと、愛くるしい声を発した。
「春先輩。今日は一日、私とずーっと一緒ですからね。そうでないとぉ、先輩、サボっちゃいそうだし」
そう言って、僕の腕を掴み、身体を寄せてきた。その瞬間、男子たちの視線が鋭くなり、「あっ!」「くそー」「許せん!」などといった言葉があちこちから漏れてきた。
「大丈夫、サボらないから」
女子にくっつかれることに慣れていない僕は、桃華の手を振り払おうとしたが、彼女の笑顔の中から少しだけ伝わってくる違和感に気付き、それをやめた。
もしかして、怯えているのか?
桃華は人懐っこい笑顔を振り撒いてはいたが、その目は落ち着きがなく、不安定に揺らめいていた。
そうか。神楽が僕をこの清掃活動に参加させた理由は、桃華を熱狂的な男子たちから守るためだったのか。確かに、僕は自他共に認める程、目つきが鋭く、穏やかではない顔をしている。そのせいで、あまり人が寄って来ないので、友人は少ないのだが、今回ばかりはそれが幸いして、僕が桃華の近くに居るだけで、人除けになる。
相変わらず、神楽は良く頭の回る男だ。
しかし、正面にいる神楽は元気な児童らに負けないくらいの無垢な笑顔を周囲に振りまいており、そんな事を考えていたなんて微塵も感じさせない。しかも、彼からはあまり裏表も感じないので、自分の考えすぎではないのかと、錯覚してしまいそうになる。いや、もしかしたら、本当に僕の考えすぎなのかもしれない。
僕は神楽の腹の内を想像してから、桃華に視線を戻すと、なるべく男子たちを刺激しないように言葉を選んで声をかけた。
「まあ・・・・・・、色々とあるからな」
僕は、曖昧にそう言って桃華がくっついてくる事を許容すると、さっさとこの場を立ち去ろうとした。しかし、どんな言葉を以てしても、桃華の熱狂的なファン達は、彼女が他の男、特に普段から親しくしている僕が、密着しているという事が許せないようで、妬みや怒りといった視線が和らぐ事はなかった。
僕はそんな視線から逃げるようにして、桃華の腕を引き、配属された清掃エリアへと向かった。腕を引かれた桃華は、「あん!春先輩、今日は積極的ですね」などと呑気な事を言っていたが・・・・・・。
◆◇◆◇
僕の配置された清掃エリアは、今回、追加になった河川敷エリアだった。しかも、このエリアは、他のエリアより範囲が広く、配置されている当校の生徒数も多い。一方で、コミュニティセンターから少々距離があるため、小学生らや地域住民は、このエリアを担当しない事になっているそうだ。
それにしても、ここを清掃する必要があるのかと、思ってしまう程、整備が行き届いている。雑草はきちんと刈られており、ランニングコースになっている堤防上は、最近舗装されたばかりのようで、地面にはひび割れ一つない。また、幅は広いが、川の流れも穏やかで、町が遠くに見えて、とても静かな場所だった。
「どこを掃除するんだよ・・・・・・」
僕は、堤防上から整備された広い河川敷を見渡しながら、そう呟くと、隣の桃華も同意見だったらしく、呆然と広大な景色を見渡していた。
あまりにも河川敷エリアが広いせいか、二十名近く配置されているはずの当校の生徒は見当たらない。代わりに、僕らの視界には、野球やサッカーができそうなくらい広い芝生広場が広がっているだけだった。
僕らは、このまま突っ立っている訳にも行かないので、とりあえず、その芝生広場まで降りてみることにした。
「まあ、歩き回れば、ゴミの一つでも落ちているかもしれんし、行ってみるか」
「そう・・・・・・ですね」
さすがの桃華もいつもの甘い声ではなく、歯切れ悪く返事をして、僕の後に続いた。
実際に広場の方まで降りてみると、フェンス裏に置き忘れられた空のペットボトルがあったり、川の淵に流れついたビニール袋があったりと、一応ゴミは見つかった。だけど、何時間もかけて掃除するほどのゴミはなく、僕らはほとんどの時間を散歩で潰した。
「なんか、河川敷デートみたいですね」
途中、桃華がそんな事を言ってきたが、どうも今日の言葉のキレはいまいちで、いつもは甘いはずの彼女の言葉は、僕にはあまり響かなかった。
「そうかぁ? 体操着だし、ただの散歩だろ。どう見ても」
僕がいい加減に答えると、桃華は可愛く膨れることなく、僕から視線を外して、それ以上、甘い言葉を言おうとはしなかった。
開始から一時間ほど経つと、陽はだいぶ高くなり、まるで夏のような強い日差しが照り付けた。
一通り担当エリアのゴミ拾いを終えた僕らは、河川敷の芝生広場で休憩を兼ねて、隅の方の木陰に設置されていたベンチに腰掛けた。
そこで、桃華は珍しく疲れた表情をして、重いため息とともに言葉を漏らした。
「ちょっと疲れちゃいましたぁ」
僕は半分も溜まっていないゴミ袋を軽々しく持ち上げると、つられるように重いため息を吐いた。
「確かに・・・・・・。そろそろ終わりでいいんじゃないか」
「そうですね。もう終わりましょう」
桃華は直ぐに同意したものの、しばらく動けないのか、両手を後ろについて身を預けながら、だらしなく座っている。声にも張りがなく、普段の桃華の様子からは、想像できない程だ。
だけど、桃華がそんな素の一面を見せてくれる事に、僕は少しだけ安堵してしまう。いつも緊張しているように見える彼女には、肩の力を抜く時間も必要だ。
そこで僕は、空いていた手で自分の頬をバチンと叩くと、疲れた顔を振り払って立ち上がった。
「ゴミ捨ててくるから、ちょっと休んでいろよ」
「あ・・・・・・、いや。私も行きますよぉ」
慌てて姿勢を直し、不安そうな顔を浮かべて、立ち上がろうとする桃華を、僕は首を振って優しく抑止した。
「大丈夫。十分程で戻ってくるから」
確かに桃華を一人にするのは、少々心配だったが、河川敷エリアが広大なせいか、二十名近く配置されているはずの当校の生徒たちとは、結局、会う事はなかった。だから、桃華をこのまま一人にしたとしても、熱狂的な男子たちと会う可能性は低いだろう。それよりも今の彼女には休憩が必要だと、僕は判断した。
一方で、いくら広いからといって、誰とも会わなかったという点は少々不可解ではあった。
僕はそんな疑念が桃華には伝わらないように、彼女を安心させるため、不器用ながら作った笑顔を向けた。
「俺を信じろって」
しかし、そんな僕の不器用な笑顔が、滑稽だったのか、桃華は吹き出して笑った。
「あっはは。春先輩、なんですか、その顔。超ウケますよぉ。——もぉ、わかりました。私は、ここで大人しくしてます」
僕としては笑わせようとしたつもりではなかったのだが、結果として桃華の不安は軽減されたようで、とりあえずは良かった。
「じゃあ、すぐ戻るから」
そう言って、僕は桃華から離れた。
【くるみのつぶやき】
この部では、桃華の裏というか、素の部分を少しだけ表現しようと思いました。
いつもズルい彼女ですが、実は大変なのかも、みたいなイメージです。




