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120センチの彼女  作者: 翼 くるみ
Ⅱ.修学旅行
13/35

13.友達

花咲姫子はなさき ひめこは、水族館を出た後も、宮原春みやはら しゅんの事が気になっていた。


この胸のモヤモヤはなんだろうか。

 別にアイツの事が心配になった訳じゃない。

 ただ、謝ろうと思っただけ。


 この前のファミレスでは、急に帰ってしまって、それ以来、アイツとは気まずくて、何度も声をかけようと思ったけど無理だった。


 だって、宮原の奴、私を無視するみたいに意図的に目を合わせてくれないし、背まで向けるし。

 

 私の事、嫌いになったのかな。

 やっぱり、普通の女の子が好きなのかな。あのブリブリ娘の桃華ももかみたいな子が・・・・・・。


 って、何考えてんの、私。


 別に宮原が誰と仲良くしていたって、いいじゃない。私と宮原はただの友達なんだし。

 でも、前はもっと普通に話が出来た。せめて、そのときくらいの関係に戻りたいな。


 私は京都駅を出た電車のなかで、そんな事を考えていた。


 すると、私の横で手すりに掴まって、立っていた北見智子きたみ さとこが、しばらく見詰めていた携帯端末から視線を外し、顔を上げた。


「ねぇねぇ。水樹君、今から合流してもいい?だってさ」


 私が、なんで?っと、聞き返そうと思ったら、それよりも早く優木ゆうきみおが、栗色の髪をふんわりと揺らしながら答えた。


「良いに決まってんじゃん!」

「あんたねぇ・・・・・・」


 智子は呆れた顔をしつつも、友達の恋を応援しようと、携帯端末に視線を戻し、すぐに了承の返信をした。


 でも、なんで水樹君が私たちと合流しようとしているんだろう。ていうか、水樹君が来るって事は、アイツも来るって事じゃないの?

 

 水族館では、背中を向けられて、顔も見られなかったけど、今度はちゃんと話をできるかな。また無視されたらどうしよう。ちょっと怖いな。


 智子の横に並んで立っているみおは、不安を募らせている私に気付く事なく、身体を左右に揺らしたり、ハミングしたりと、水樹君に会える事を楽しみにしているようだった。


 そう。みおは、水樹君の事が好きなのだ。


 確かに、水樹君は背が高いし、頭も良いし、かっこいい方だとも思う。みおが好きになっちゃうのも分かる気がする。


 だけど、あのお洒落なフチなし眼鏡をかけているせいか、感情が読み取り難いというか、考えている事が分かり難いというか、なんとなく怖い感じがするのだ。


 宮原みたいな間抜けな顔をしていたって、私には、相手の考えていることが、分からないのに。


 電車が一つ目の駅に停車した時、また智子の携帯端末に、水樹君からのメッセージが届いた。


「水樹君から返信来たよ。なんか、宮原君が具合悪いらしくって、水樹君、一人なんだってさ。水樹君はタクシーで、こっちに向かっているみたい」

「そうなんだ。じゃあ、水樹君、直ぐに追いつきそうだね!」

「ふぅん、そっかぁ」


 踊るように話すみおを見ながら、私はメッセージを聞いて、少しがっかりした自分に気付いた。


 別に水樹君に会いたくないわけではない。むしろ、最近は良く話をするし、優しくしてくれるから、どちらかと言えば会いたい。それよりも宮原が来ないという事が期待外れで残念に思った。


 いや、別に宮原に会いたいわけじゃない。ただ、具合が悪いらしいから、心配しただけ——いや、心配もしていない。話す機会が——じゃなくて、この前の事を謝る機会が減ったのが残念に思っただけだ。うん、そう思っただけ。


 そう思っただけのはずだった。


「私、ホテルに戻る」


 私は、いつの間にか、そんな事を口にしていた。


 自分でも何でそんな事を言ったのか分からない。今から戻ったって、宮原に会えるとは限らないし、宮原に会って、私はどうしたいんだろう。そもそも私は、宮原に会いたいの?


 人の考えている事が分からないだけじゃなくて、自分の考えもよく分からなくなってきた。だけど、このままでいると、胸がモヤモヤとして、気分が悪いのは確かだった。


「え、なんで。どうしたの?ヒメちゃん」


 突然、帰る宣言をした私を心配して、先程まで浮かれていたみおが不安そうに顔を覗いてきた。しかし、自然と出た言葉なので、私はその先の事やその理由など全く考えてなどいなかった。そのせいで、みおが言った「ヒメちゃん」という言葉にも気付かず、私は答えに困った。


「あ、えっとね・・・・・・あのー・・・・・・」


 すると、口ごもる私を見て、智子が何かを悟ったように言った。


「行きなよ。姫子」

「え、どういうこと?」


 状況が掴めないみおは、私と智子の顔を交互に見た。


「みお。分かんないの。姫子はね、宮原君が好きなのよ」

「えーっ!?そうなのぉ!?」


 周囲を気にせず、驚いた声を上げたみおは、目を見開き私を見た。


 いや、私だって、声は上げなかったけど驚いた。 

 私って、宮原の事が好きなの?

 そうだったの?

 まさか。


 腹が立つ事はあっても、私があんな鈍感で、バカで、強面の冴えない男の事を好きなはずがない。


 まあ、確かに、強面のくせに、顔をくしゃくしゃにして笑うところは、可愛いかなって思うし、怒る私をなだめてくれてくれるところは、優しいかなーって思ったりもする。それにホントにたまにだけど、良い事も言うかなって思う。

 

 でも、いっつも私に失礼なことは言うし、気遣いなんてできなさそうだし、私の気持ちなんて、全然分かってないんだろうなって思う。


 って、私の気持ちって何?

 

 私、アイツにどんな想いを抱いているの? 


 今、抱いている胸のモヤモヤは、何?

 宮原が他の女の子と仲良くしていると感じる不愉快さは何なの?


 それって、心配とか、嫉妬ってヤツ?


 それから、宮原に見詰められると恥ずかしいけど、嬉しくなったり、感謝の気持ちが伝わると心が温かくなったりするのは、何?


 それって、アイツの事が好きっていうことなの?


 もし、そうだとしたら、いつからなんだろう・・・・・・。


 ああ、そうか。あの日だ。

 入学して間もない頃、私が学校を辞めようか悩んでいたとき。初めて宮原に会った、あのときだ。


——病気や障害を、諦める理由にしたくないんだ。


 そのとき、アイツはそんな事を言っていた。

 

 今なら、「何も知らんくせに。このバカ」って怒ってやるのに、なぜか、そのときのアイツの顔は、どこか遠くを見ているようで、でも現実もちゃんと見ていて、無責任に思われる言葉だったけど、すごく重みが感じられた。


 その理由は、分からないけど、確かに私の心を動かして、今でも胸に残っている。そのおかげで、こうやって高校三年になった今でもまだ学校を辞めないでいる。


 私、やっぱり、宮原の事——。

 

 私が、そこまで思ったとき、電車が二つ目の駅に停車した。降りる予定の駅だ。

 

 私は、ハンドリムをしっかりと握り、車いすを進ませると、予定通りホームへ降りた。それに続いて、智子とみおも電車を降りた。

 

 多くの観光客が行き交う中、私は通行の邪魔にならないように、端に車いすを寄せると、向きを反転させ、智子とみおを見上げた。


「私、アイツの事——宮原の事が好きだったんだ。今日、初めて知った!」


 自分でも変な事を言っているのは、分かっている。


 私は不器用だから、今まで自分の気持ちに気付けないでいた。だけど、今日、それがようやく分かった。いや、前からそうだとは思っていたが、それを認めないようにしていた。


 こんな自分も人を好きになっていいのか、分からなかったし、人を想う事が怖かったから。

  

 だけど、アイツの事が好きだと、認めた今、恥ずかしさや照れなどは、全くない訳ではないけど、自分の気持ちにようやく素直になれてスッキリした。


 まだ、不安もあるけど、私の存在を認めてくれているアイツなら、大丈夫のような気がした。


 そして、私の変な告白を受けた智子とみおは、小さく吹き出してから嬉しそうに笑った。


「ふふっ、何よ、それ」


 と智子。


「アハハッ。姫子らしいよー」


 続けて、みお。


 私は、笑った二人を見てから、少し俯いて、言葉を続けた。


「でも、自分の気持ちが分かるまで、何年もかかったのに、私なんかに相手の気持ちが分かるのかな?」


 不安そうな私に智子が、優しく励ますように言葉をかけてくれた。


「じゃあ、聞いてみたら。宮原君に」


 そんな事と出来る訳ないじゃない、と言い返そうとしたが、智子の優しく私を見つめる目を見ると、反論する気にはなれなかった。すると、代わりに、みおが口を開いた。


「あーん、あたしも水樹君の気持ちを確かめるなんて、できるのかなー」

「あんたは、ちょっと落ち着きなさい」


 智子は、みおの栗色の頭を優しく叩いた。叩かれたみおは、舌を出して笑い、そんなやりとりを見て、私もつられて笑った。


「ふふ。とりあえず、宮原に謝らなければいけない事があるから、まずはそれからだね」

「おっけー。じゃあ、早速、宮原君を探しに行こう。私らも付き合うからさ」

「そうね。まずは京都駅まで戻りましょうか。水樹君には、ここで、ちょっと待ってもらうようにメッセージを送っておくね」


 私は、勝手に話を進める二人を慌てて止めた。


「ちょ、ちょっとそんなに急がなくても。みおは水樹君の事もあるんだし。それに私なら一人で大丈夫だから」


 焦る私に、智子は片手で携帯端末を操作しながら、綺麗な黒髪を耳にかけて、言葉を返した。


「『私、戻る』って言い出したのは、誰よ。それに、姫子だけじゃ、私らが心配で落ち着かないわよ」

「そうそう。ヒメちゃんだけじゃ、お母さん、心配で、心配で。それに水樹君とは、後で一緒に回れるんだから大丈夫だよ」


 二人はいつも私の事を心配してくれる。


 その心配というのは、私が脊髄損傷を負っているからとか、車いすに乗っているからとかではない。私の臆病な性格を知っているから二人は心配しているのだ。


 私の親友である智子とみおは、初めて会ったときから、私の身体の事で同情したり、哀れんだりする事はなかった。それこそ、「普通」の女の子として、友人になってくれた。


 そんな二人には、いつも助けられてばかりだ。

 

——ありがとね。


 二人の優しさに勇気をもらった私は、心の中でそう呟いた。言葉にしなくたって、二人にはちゃんと伝わっている事を、私は確信していた。智子の知的で頼もしい目や、みおのはつらつとして励ましてくれるような目が、そう訴えかけていたからだ。


 私は、大きく息を吸い込み、深く呼吸をすると、微笑みながらも力強く、二人を見上げた。


「よし!行こう」



*・∵・∴・∵・*・∴・∵・*・∵・∵・*・∴・∵・



 京都駅に着くと、私は駅の構内、みおはバスのりば、智子は地下鉄のりばに分かれて、宮原を探した。

 といっても多くの人々が行き交う中で、一人の男子高校生を、しかもいるかどうかも分からない人を探すのはなかなかに大変だった。


 私は、改札口の近くや駅の出入り口、南北を繋ぐ連絡通路などを探し回ったが、宮原の姿はなかった。

 時刻はもう正午を過ぎており、後から水族館を出た宮原がホテルに着いていてもおかしくない時間だ。


 やっぱり、いなかった。


 私は半ば諦め、とりあえずみおと合流しようと思い、バスのりばへと向かった。


 ここに戻ってくるときは、軽く感じられたハンドリムの手応えは、今は坂を上っているかのように重たい。長く漕いでいたせいか、掌を見ると、痛々しく赤くなっていた。


 駅を出た私は、バスのりばの方へと目を向けた。しかし、みおの姿がない。

 おかしいな、と思いつつ、ゆっくりと車いすを進めていくと、地下へと続く階段の前で、みおを見つけた。


 しかも、誰かと一緒にいる。

 

 あれは——。

 

 黒髪の男子。

 目つきが鋭く、一見怖そうに見える彼は、実は優しい性格の持ち主だ。私はそれを何年も前から知っている。また、彼が自分の容姿にコンプレックスを抱きながらも、それを感じさせない強い心の持ち主である事も知っている。


 もしも、こんな私にも出来ることがあるというならば、私の前では、時々、弱音を吐いてもいいんだよって、彼に言ってあげたい。


 だけど、彼を目の前にすると、私は上手く喋れなくなる。

 「好き」って感情を誤魔化してしまう。


 ごめんね、宮原。私、素直じゃなくって。だけど、一緒にいてくれるかな?



 私が、宮原とみおに視線を送っていると、その視線に気付いたみおが、大きく手を振ってくれた。

 私は小さく頷き、行き交う人たちの間をぬって、車いすを進めると、二人の前で停めた。


 そして、まずは、宮原を見つけてくれた親友に目を向ける。声には出さないが、「ありがとう」と視線で合図を送り、しばらく冗談を言い合った。それから、私に「なんで居るんだ?」と言いたげな表情を向けている宮原を見た。


 真っ直ぐに私を見る切れ目は、その奥で力強い瞳が輝いていて、相変わらず綺麗だった。なんかだか、懸命に生きようという強い生命力のようなものを感じた。


 そして、私は、宮原に何て声をかけようかと考えた。


 あんたって、相変わらず、鋭い目つきね。

 ちょっと痩せたんじゃないの?

 ちゃんとご飯食べてんの。また、脂っこいものばっかり食べてんじゃないの。

 でも、昨日のホテルの料理は美味しかったね。

 私、今日は、いつもよりスカート短めなんだけど、気付いてた?

 車いすのタイヤ、ちょっと赤を強めにしたんだけど、分かる?

 

 たった二週間の間、口を利いていなかっただけで、話したいことは山ほどあった。だけど、今はどれも違う気がして、決められなかった。そのせいで、私はいつものように不機嫌な態度で、冷たい言葉を言ってしまった。


「で、なんで居るの?」


 すると、みおが、あっちゃー、というような顔をしながらも、宮原に悟られないように明るく振舞って、言葉を繋いでくれた。それから、私とみおは抱き合い、小さく言葉を交わした。


「みお。ごめん、ありがとう」

「いいよ、姫子。じゃあ、あとは頑張ってね」

「ちょっと、みお。頑張るって何を——」


 私が言いかけた時、みおは私から身体を離した。そして、いつもの明るい笑顔を私に向け、「私も頑張る」と言って、立ち去ろうとした。


 しかし、その前に、宮原と何かを言い合い、楽しげに笑うと、待たせている水樹君のもとへ向かうため、何度も手を振りながら走り去って行った。

 

——みおも頑張れ。

 

 私は、胸の内で呟き、去っていくみおの背中を静かに見送った。

 

 みおがいなくなった後、残された私と宮原の間に、しばらく沈黙が続いた。

 宮原にチラリと目を向けると、気まずそうな顔をしている。何か言わなければとでも考えているのだろうか。


 じゃあ、私は宮原が話しかけやすいようになるべく普通にしていよう、と思った。

 でも、普通って、どうすればいいのかな。


 ふと、壁に寄り掛かって携帯端末を弄っている女子高生が目に入った。今の私には、その様子が「普通」に見えた。


 そっか。女子高生って、みんな携帯をいじってるよね。たぶん。


 とりあえず、私は車いすのバックレスト(背もたれ)にかかっているリュックサックに手を伸ばし、携帯端末を取り出した。そして、天気予報や見たくもないニュース記事などに目を通した。


 すると、私の偽装された自然な様子を見て、宮原は安心したのか、口を開き、声をかけようとした。私はなんと言われるのか、少々身構えたが、いくら待てども言葉は届いてこなかった。


 横目で見てみると、宮原は、口をパクパクと動かしているだけで、声は発していなかった。何を言おうか、迷っているのだろうか。そのうちに「違う」や「いや、こっちかな」と言った微かな声が漏れてきた。


 あーん、もぉ。なんか言いなさいよね。私まで緊張してくるじゃないの。

 でも、宮原を探していたのは、私だし、私からまた声をかけるべきなのかな。

 うーん、なんて声をかけたらいいんだろう。


 話すの、久しぶりだね。

 なんか私っぽくない気がする。特に、だね、の部分が。


 今まで、何で無視してたのよ。

 これの方が私っぽい。でも、ちょっと冷たすぎないかな。


 あんたを探してたのよ。この前の事、謝りたくって。

 これは、いい感じがする。だけど、探してたって、ちょっと重くないかな。私、重たい女みたいじゃない。引かれたらどうしよう。


 ねぇ、行こっか。

 これが一番無難ね。話は地下鉄に乗ってからすればいいし。


 私は、ようやく宮原にかける言葉を決め、口を開いた。しかし、携帯端末のニュース記事を見ていたせいか、宮原を前にすると上手く喋れなくなるせいか、私の口からは、別の言葉が発せられた。


「ねぇ、いつまで突っ立ってんの?」


 そうじゃないでしょ、私。


 刺々しくも不愛想に話す自分自身を叱ってやりたい気分だった。


 私は、言葉を言い直そうと思ったが、次の言葉がすぐには思い浮かばなかった。すると、宮原の方が、申し訳なさそうに言い漏らした。


「地下鉄のりばが、わかんねぇんだよ」


 予想外の返答だった。


 しかも、宮原はそれを真面目な顔をして言うもんだから、私はそれが面白くって、思わず笑いそうになった。でも、笑ったら悪い気もしたので、必死に堪えようとした——けど、少しだけ笑ってしまった。


「ふふっ・・・・・・。何それ」

「笑う事ねぇだろうが」

「はあ、笑ってないし。バカ」


 そのおかげで、私たちの緊張は解け、いつものによう言葉を交わせるようになった。

 相変わらず素直じゃない私に、宮原が優しくも憎まれ口を叩く。


 傍から見れば、その会話の内容は酷いかもしれないけど、それが、私たちらしい感じがして、懐かしいとも思った。


 ねぇ、宮原はどう思ったの?



*・∵・∴・∵・*・∴・∵・*・∵・∵・*・∴・∵・



 地下鉄のホームへと向かう途中、エレベーターに乗っていると、横に並んで立っていた宮原が、急に心配そうな顔を私に向けた。


「こんなこと言ったら怒るかもしれないけど、車いす押そうか?」

「え、なんで?」

「手、痛いんだろ。見りゃ、わかる」

「べ、別に、痛くないし」


 相変わらず素直になれない私は、素早くハンドリムから両手を離すと、膝上で重ね合わせ、宮原から掌を隠した。


 確かに、京都市内を観光したり、さっき宮原を探し回ったりと、普段とは比較にならない程車いすを漕いだ。そのせいで、掌は痛々しく赤くなっている。

 一応、グローブは持っているが、可愛くないから着けたくない。


 でも、それを宮原に気付かれるとは思わなかった。

 確かに車いすを進める速度は遅かったし、少し蛇行していたかもしれない。お尻の除圧(圧を逃がす)動作もちょっと疎かになっていた。だけど、それは些細な事だ。あの鈍感の宮原が気付くはずはない。


 ううん。そうじゃなかった。

 私の知っている宮原は、そんな些細な事にこそ、気を配れる優しい人なんだった。


 私は膝上でしっかりと重ねられた手を、少しだけ緩めた。そして、横にいる優しい視線を送っている宮原を見上げた。


「やっぱり、ちょっと疲れたから押しなさいよ」


 不器用な私には、その言葉が精一杯の「甘え」だった。

 宮原は私の言葉をそっと受け止めると、少し頬を緩めた。


「はいはい。わかったよ。お姫さま」

「お、お姫さまって、あんたね!」


 軽口をたたく宮原を怒ってやろうかと思ったら、エレベーターがホーム階に着いた。そして、その隙に宮原は逃げるように私の後ろに回ると、グリップを握り、さらに茶化してきた。


「ほら、行くぞ。お姫さま」

「また言ったわね!」


 私は、振り返って背後に逃げた宮原を睨みつけてやろうとしたが、それよりも先に車いすが進み始めた。車いすが軽快に動き出したでの、私は思わず、アームレスト(肘掛け)を掴んで、姿勢を保った。


「しっかり掴まってろよ。お姫さま」


 もう怒る気にもならなかった。

 姿勢を整えてから、振り返って見上げる宮原の顔は、とても楽しそうで、無邪気に笑っていたからだ。


 何よ、その顔。可愛くて、怒れなくなるじゃない。

 と、思っていたのだが——


「おまえ、意外と重いな」

「うっさい!バカ!」


 ホント、失礼な奴!

☆くるみのつぶやき☆


 前回の続きと言うか、水族館で分かれてからの姫子側のお話でした。

  

 ストーリーとは、あまり関係ないですが、車いすの部位の名称として、「アームレスト(肘掛け)」や「バックレスト(背もたれ)」などがあるんですけど、数年前から「アームサポート」とか「バックサポート」と呼んでいるみたいですね。

 ちなみに足乗せ板は「フットレスト」「フットサポート」といいます。

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