11.エゴ
水樹勉は、花咲姫子が修学旅行に参加することを、金剛内桃華から事前に聞いていた。
そして、修学旅行二日目。
水樹は、桃華の情報を頼りに、姫子と合流しようとする。
少し悔しいが、桃華の言う通りだった。
春と花咲の間に何かがあったのだろうと、予想は出来ていたが、まさか桃華がその原因を作ったとまでは思わなかった。
桃華が、二人の間に割って入り、花咲を得意の蔑む目で見下したせいで、彼女の自己意識は低下して、自信をなくしてしまったのだ。
いや、それだけではなく、自分は醜い存在だ、と思い込み、春に会うのも怖くなっているのだ。
その証拠に、春へあれほど淡い想いを寄せていた彼女は、今は目も合わせようとしない。
春と関わってしまうと、また自分の事を否定してしまうかもしれない。そう思うと、怖くて仕方がないのだ。
そして、これは俺に訪れたチャンスでもある。
いささか気は引けるが、花咲が春との関係で悩んでいる今、この好機をみすみす逃す事はない。
だから、俺は桃華の話を聞いた部活帰りの日を境に、花咲に歩み寄り、積極的に話す機会を設けてきた。
さらに、桃華の情報では、花咲は修学旅行に参加すると言うではないか。花咲のクラスメイトの男子から得た情報らしいので、その信憑性は高い。
だが、それらの話を全て信用してしまうほど、俺は桃華と言う人間をまだ信頼してはいない。
俺も桃華の手の内で転がされてしまうのではないかという一抹の不安があったからだ。
それでも、やはり桃華の言う事は正しかった。
修学旅行の当日の朝、集合場所である学校の校庭で、車いすに乗った花咲を見た時、俺は完全に桃華を信用してしまった。
ミルクティーのような甘い髪は、いつものように後頭部で一つまとめにされており、柔らかく揺れる度、俺を優しく誘っているようだった。
これは、いける。
と、俺は確信したが、その俺の確信は、儚くもすぐに叶う事はなかった。
修学旅行の一日目は、各クラスに分かれて観光バスに乗り込み、午前中はほぼ移動で潰れた。
午後も学習センターとやらで、歴史の勉強をさせられたり、体験学習と題して昔の生活を体験させられたりと、クラス単位での団体行動を強いられ、一組の俺が、四組の花咲と接する機会はなかった。
日中の活動が終わり、京都のホテルに着いた時には疲労困憊だったし、ここでもクラス単位での行動が強いられ、食事や入浴もクラス毎に時間が割り振られた。
こうして、俺は花咲と接近する機会を与えられることなく、一日が過ぎて行ったのだった。
望みは二日目の自由行動の時間に託された。
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二日目の朝。
俺はいつものように早く目覚めたが、自由行動の時間を共にする春に合わせて、はやる気持ちを抑えつつ、ゆっくりとした時間を過ごしていた。
先に朝食を済ませた俺は、まだ食事を摂っている春の向かいに座り、砂糖入りの甘いコーヒーを啜りながら、今日、どうやって花咲に接近するのかを考えていた。
花咲は、友人二人と行動を共にするらしいが、どこを観光してくるのかまでは、俺は知らない。
それに、俺らにも一応、計画してきたスケジュールがあり、それを熟す事になっている。
では、どうやって、花咲と合流するか。
直接、連絡を取り合って、合流すべきだろうか。
そんな思考を巡らせているとき、俺の携帯端末に、ちょうど桃華からメッセージが届いた。
『花咲さんは、今から水族館に行くみたいですよ。水樹センパイ、がんばれ。桃華』
なるほど、水族館か。
確かにあそこならば、天候をそれほど気にしなくてもいいし、バリアフリーの環境が整っているだろうから、車いすの花咲も行きやすい。
俺は早速、午前中の予定を変更し、水族館へ向かうため、テーブルの向かいで食パンを頬張っている春に声をかけた。
「あのさ、春。午前中の予定なんだけど、ちょっと変えてもいいかな」
俺の考えなど知る由もなく、春は口の中のパンを咀嚼し、飲み込むと、まだ眠たそうな目で俺を見た。
「なんで?」
まあ、そう思うのが普通だろう。
数日間かけて考えた観光コースを思いつきで変更しようというのだから、疑問に思って当然だ。
「どうしてもイルカショーが見たくなってさ」
俺は手にしていた携帯端末で、水族館を検索すると、イルカショーの様子が写っている画像を春に突き付けた。しかし、春は「うーん」とまだ渋っている。
そこで、少々恩着せがましいが、春に合わせたせいで、出発が遅くなっている事を遠回しに言ってやった。
「それと、今は時間的にも遅れているから、元々の予定だと回り切れないんじゃないかな。それなら一か所をじっくりと楽しむのもいいと思うんだけど」
「確かに、そうだな・・・・・・というか、遅くなっているのは、俺のせいだ。すまない」
「いや、いいんだよ。別に春を責めようって訳じゃないんだ」
ただ俺の都合で回りたいだけなんだ、という思いは悟られないように、俺は柔らかく春に微笑みかけた。
春は俺の微笑みを見て安心したのか、笑い返すと半分残っていた食パンを口の中に押し込んだ。
そして、十分に噛まないうちに牛乳で流し込み、改めて俺を見た。
「ありがとう。水樹。じゃあ、行こうか!」
と、春が意気揚々に言ったものの、時刻は既に午前九時を回っていた。ほとんどの生徒達は、すでにホテルを出て、それぞれの目的地へと向かっている頃だろう。
ふと、食堂の窓から空を見上げてみると、雨は未だ降っていないが、暗い雲が広がり始めていた。
さっき携帯端末で調べた天気予報によれば、お昼前に一時的な雨が降るらしい。それを上手く使えるといいのだけど。
なんてことを考えつつ、俺も春に合わせ、はつらつとした声で返事をした。
「うん。行こう!」
しかし、そのあと整容やら、着替えやらで、結局ホテルを出たのは、十時少し前だった。
幸い、ホテルから水族館までは、地下鉄とバスを乗り継いでも三十分とかからないので、十時過ぎには到着できるだろう——という俺の読みは甘かった。
普段、電車やバスをあまり乗らない俺たちにとって、慣れない土地で公共交通機関を利用するのは、意外と難しい事だった。
春に至っては、反対方向の電車に乗ろうとする始末だ。
まあ、そういうおバカなところは、嫌いではないが。
結局、水族館には、十時半過ぎに到着した。
予定より少し遅れたものの、開館時間は十時からだったので、それほど急ぐ必要もなかった。
水族館に入館してからは、魚たちの優雅さや館内の幻想的な雰囲気に感心したが、それよりも花咲がどこにいるのかばかり気になって、あまり集中できなかった。
そして、イルカショーは、午前の部が中止になり、予想よりも早く館外に出ることになった。
だが、まだ花咲に会えていない。
これでは、わざわざ予定を変更した意味がないではないか。
もしかして、桃華の情報はデマだったのか。
いや、彼女の情報の信頼性は高い。
だったら、花咲たちの班が予定を変更したのだろうか。或いは、まだ館内にいるのか。
どちらにせよ、まだ水族館を離れないほうが良さそうだ。花咲が来ないか、もう少しここで待っていたい。
そう思いながら、館外に出ると、幸運にもちょうど雨が降ってきた。
「通り雨だといいんだけど」
と、言いつつ、俺は周囲を見渡し、花咲の姿を探した。
ここに居れば、きっと会えるような気がする。
しかし、鈍感な春は、不要な気を利かせて折り畳み傘を差し出してきた。
「一応、折り畳み傘、持ってるけど」
いらねぇよ。
俺は、つい迷惑そうな表情をしてしまった。
それに気付いた俺は、慌てて表情を改めると、言葉を返した。
「あ、うん・・・・・・。でも、僕は持ってないから。すぐに止むと思うし、ちょっと待っていようか」
そういうと、春は何かを勘違いしているようだったが、すんなりと引き下がった。
しかし、雨は強くなる一方で、止む気配はない。
さすがにもう花咲たちはいないのではないかと思えてきた。
と、そのときだった。
ふと、水族館の出口を見てみると、うちの高校の制服を着た三人組の少女たちが出てきた。そして、その中には、黒色の金属フレームに赤いタイヤの車いすに乗った少女がいた。
間違いない。花咲だ。
彼女は外の様子を見て、困った顔をしているが、その顔もまた良い。
俺は自分のキャラクターも忘れ、思わず大きな声を発した。
「おーい。花咲さん!」
大きく手を振る俺の姿を見て、花咲は明るい顔を向け、手を振り返してくれた。
やった。やっと会えた。
やはり、桃華の情報は正しかった。
花咲の傍にいる彼女の友人たちも明るい表情で、手を振ってくれたが、俺にとって、そいつらはどうでも良かった。
花咲に会えればそれでいい。
わざわざ予定を変更した甲斐があったというものだ。
ここで俺と花咲が仲の良い所を春に見せれば、春も花咲の事を諦めるだろう。
いや、そもそも春は花咲の事をどう思っているのだろうか・・・・・・。
まあ、それはどうでもいい事か。
いくら鈍感な春といえども、俺と花咲が良い感じになれば、距離を置くはず。春に距離を置かれた花咲の方は、自分は嫌われていると思い、春の事を諦めるだろう。
少々、可哀相な感じはするが、全ては俺が花咲を大切に守ってあげるため。
俺の純粋な気持ちを叶えるためだ。
それはエゴかもしれない。
だが、恋愛とはそういうものだろ?
明るい笑顔で、俺に愛敬を振りまく花咲を見た春は、背を向けて重たい空を見上げた。
春には耐えられないのだろう。
俺と花咲が仲良くしている所を見るのが。
だが、これが現実だ。
確かにお前はいい奴だが、勝つのは俺だ。
俺はそんな春を横目で見てから、花咲へと視線を戻した。
「このあとどこに行くんだい?」
「えっとね。稲荷大社」
「ああ、あのたくさん鳥居があるところだね」
俺はにこやかに言いながらも内心では少々がっかりした。
残念ながらこの後の行き先は、俺らと異なるようだ。
この先も行動を共にしたい所だが、これ以上予定を変更させるわけにもいかない。
さすがの春も反対するだろうし、ここは打つ手なしか。だったら、少しでもこの場で話を続けたい。
幸いにも雨はまだ降り続いていて、お互いにこの場に留まるしかなさそうだった。
「そうそう。でも、どこも玉砂利が多くって、車いすのタイヤがとられそうで大変なんだよねー」
花咲は苦笑いを浮かべつつ、車いすを横に向け、アクセントカラーになっている赤いタイヤを俺に見せてきた。俺はそのタイヤを覗き込むと、得意げに答えてやった。
「そういうときはね、後ろ向きに進むと良いよ。前輪?キャスター?が、はまり難くなるんだ」
「え、ホント?さすが水樹君。物知りだね。早速やってみようかな」
俺は花咲の驚いた顔を見て、誰にも見えないように小さくガッツポーズをとった。
こんなこともあろうかと、事前に豆知識を調べておいたのだ。まさか、本当に役立つとは思わなかったが。
これで、俺への好感度ポイントがさらに上がっただろう。花咲の横にいる友人達も「へぇー」とか「すごーい」とか言って、俺を称賛し、引き立たせてくれる。
俺は天狗になりそうな鼻を抑えつつ、謙遜した。これも好感度を上げるためだ。
「いやいや。たまたま知っていただけだよ」
そして、出来る限り、優しい笑顔をもって、言葉を付け加えた。
「それに花咲さんの役に立ちたいな、って思ったから」
「えっ・・・・・・・」
俺の言葉を受けた花咲は、頬を少しだけ赤くした。
時々、こうやって俺が花咲に気があるのではないかと匂わせるような言葉を言ってやる。そうすると、彼女はいつも困った顔をするのだが、ここ数日は今のような照れた顔をするようになった。これは彼女が俺を意識し始めた証拠だろう。
しかし、そんななか、唯一気掛かりな事がある。
それは、そんな照れた表情をしておきながらも、背を向け重たい空を見上げている春へ視線を送っていることだ。
やはり、まだ春の事が気になって仕方がないのだろうか。
だが、視線を送られている春の方は、背を向けているので、当然気付くはずもない。ポケットに手を入れたり、出したりと、落ち着きがなく、居たたまれない様子だ。早く雨が上がってほしいと願っているようにも見える。
まあ、いい。
俺もそんな焦ることもないさ。
春は相変わらず鈍感だし、花咲は臆病だし、二人の関係が急に進むことはないだろう。
そして、俺は小さなチャンスをモノにして、徐々に積み上げていく。そうやって、花咲を俺に振り向かせてみせる。
そんな事を思った時、地面にできた水たまりがキラリと光った。
俺は目を細め、水たまりを見た。
ゆらりと揺れる水面が虹色の光を放っており、俺はその光源を確認するため、視線を空へと移した。
雨はまだ降っていたが、雲の隙間から一筋の光が差していた。その光が、水たまりに反射し、キラリと輝いていたのだ。
そして、徐々に雲が薄くなっていくと、雨は弱まり、光の筋は一本、また一本と増え、濡れた地面に反射した。
希望の光。
そんな事を思ってみるが、その光は俺に降り注がれることはなかった。代わりに、さっきから空を見上げていた春へと降り注いだ。
春は光を浴び、眩しそうに目を細め、天に向かって手を伸ばした。
なぜだろうか。
さっきは春に勝ったつもりでいたが、今は勝っている気にならない。
それは、やはり花咲が春に送っているあの視線のせいだろうか。
花咲の漆黒の瞳は、不安に満ちていながらも、春を求めているようだった。
そこにはエゴはない。
相手がどう思っているか、相手が何を求めているのか、そんな風に気遣っているような、思いやっているような、そんな感じがした。
しかし、恋愛は、個人プレー。
自分が満たされるか否か。
〇か、×か。
そうだろ?
☆くるみのつぶやき☆
あまり話が進みませんでしたね( ゜Д゜)
次回は、少し話を進めたいです。




