10.止めばいいのに
修学旅行二日目。
宮原春は、水樹勉と京都観光を開始する。
そして、水樹の希望にて、水族館へとやってきた。
「春。そっちの側じゃないよ。京都駅方面は、こっちだって」
地下鉄のホームで、電車を待っている僕に、携帯端末で時刻表を見ている水樹が声をかけた。
今日は、修学旅行二日目の自由行動の時間。
夕方五時までにホテルに戻ってくる事が条件で、あとはどこを観光してくるのも自由だ。
他のグループの人たちは、少しでも多く観光地を回ろうと、朝早くに出たところもあるようだが、朝が弱い僕は、ゆっくりと朝食を摂った後、十時ちょっと前にホテルを出た。
部活の朝練で、早起きに慣れている水樹には悪いと思ったが、彼は気にする事もなく、僕に合わせてくれた。
そして、ホテルを出た僕たちは、地下鉄に乗り、京都駅を目指しているのだが、普段、電車に乗らない僕にとっては、なかなかに難しい事だった。
まず、駅構内が広く、路線が多いので、どの改札に行けばいいのか分からない。そして、改札を抜けたとしても、どっち方面の電車に乗ればいいのか分からない。
しかし、そんな中、やはり頼りになるのは、頭の良い水樹だった。
彼は、パリッとしたYシャツに、紺地に紫のチェック柄のネクタイをきつく締め、すっきりとした細めの学生ズボンを履きこなしている。そして、その手には携帯端末があり、時間と路線を調べながら、僕を導いてくれていた。
「ああ、悪い。こっちか」
僕が反対側のホームに並び直すと、水樹はフチなし眼鏡をクイッと上げて、更に付け加える。
「電車はあと五分で来るみたい。京都駅までは二駅だから、十時ちょっと過ぎくらいに着くかな」
「お、おう」
さすがだな。
水樹と一緒に回ることにして良かった。
僕は、安心感を抱きながらも、彼の優秀さに感心した。しかし、水樹を見ていると、同時に花咲の事も思い出してしまう。
ファミレスでの一件以来、僕は花咲と全く口を利いていない。校内ですれ違う事はあるのだが、彼女は目も合わせようとしないし、僕も気まずくて、視線を送れない。
一方で、水樹と花咲が一緒にいる場面が多くなった気がする。爽やかで、頭が良い水樹は、誰にでも好かれるだろうし、そんな水樹の前ではあのツンツン娘も大人しい。よくよく見れば、二人はお似合いなんじゃないかと思ってしまう。
そう思うと、僕の入る隙がないような気がしてきて、なぜか胸がざわつく。別に二人が仲良くなろうとも、僕の知った事ではないのに。
そのとき、生ぬるい風が吹いた。
電車が近づき、トンネル内の空気が押し出されているようだ。電車のライトが見えると、その風は強まり、電車が僕の前を通り過ぎた時に最も強くなった。
この胸ざわつきも風で吹き飛ばしてくれたらいいのに。そう思ってみたが、電車が止まり、風が止んでも胸のざわつきは止まらなかった。
なんか変な感じだ。
水樹はそんな僕の思いを知る由もなく、相変わらず、爽やかな顔を僕へ向けた。
「春、この電車だよ。乗ろうか」
そう言って、水樹は電車に乗り込んだ。僕は、そんな彼についていくしかない。
「あ、ああ」
車内は空いていた。
平日の午前中ということもあるのだろうか。
座席の端の方には、観光客や学生が座っているが、座席の中間ほどは随分、空いている。水樹は空席のど真ん中に座ったので、僕もその横に座った。
進行方向に対して、身体が横を向いているので、電車が動き出すと、結構揺られた。そして、水樹と肩がぶつかったとき、僕は「悪い」と軽く謝ったが、彼には聞こえなかったのか、そんなことを気にする様子もなく、話しを始めた。
「それにしても、花咲さんが修学旅行に参加するとはね。僕は、てっきり休むと思っていたんだけど」
なぜ、今、花咲の話をするんだと、疑問に思ったが、一応、僕は水樹の話しに乗ってやった。
「あー、そうだな。アイツ、結構人の目とか気にするからな」
「へー。そうなんだ」
「そういえば、最近、水樹って、花咲とよく一緒にいるよな?」
僕はなんでそんな質問をしてしまったのか、自分でもわからない。きっと、この胸のざわつきのせいだろう。
それに水樹が花咲の話題を振ってきたせいで、さっきから感じていたこのざわつきは、さらに強くなった気がする。
そして、質問を受けた水樹が少し笑ったように見えたのは、気のせいだろうか。
「そうかな。まあ、花咲さんって、可愛いし、一緒に居て楽しいとは思うよ」
「ふぅん」
なんだろう。面白くない。
別に花咲が水樹と居たっていいじゃないか。
水樹が花咲の事を褒めたっていいじゃないか。
いいはずなんだけど、なぜか胸がざわついた。いや、胸が締め付けられるようだった。
僕が不快感を示す自分の胸に手を当てると、ちょうど電車が一駅目に停まるため、速度を落とした。僕は慣性に従い、今度は水樹から身体を遠ざけた。
電車が止まると、僕は座り直し、今度は水樹と肩が触れないように、少し離れて座った。
それから、目的地までの数分間は、二人とも黙って過ごした。
別に険悪な雰囲気になったわけではないが、僕は、また口を開くと、花咲の話題になるのではないかと、怖かったし、水樹も僕の思いを察してくれたのか、自ら沈黙を破ろうとはしなかった。
僕たちは、京都駅に着くと、バスに乗り継いで、水族館へ向かった。
なんでわざわざ京都へ修学旅行に来ておきながら、水族館なんだろうと思ったけど、イルカショーが見たいという水樹の強い希望があったからだ。
僕は男二人で、水族館なんて楽しめるだろうかと、心配していたが、その心配は館内に入ってみると、すぐに解消された。
幻想的な空間に、巨大な青い水槽。その中を多種多様の魚たちが悠々と泳ぐ様は、まさに圧巻だった。
また、半透明のクラゲたちがゆったりと水槽内を漂う様子は息をのむ美しさだったし、ペンギンたちがヨチヨチと歩く様子はとても可愛くてほっこりとした。
しかし、唯一、残念だったのは、イルカの具合が良くないらしく、イルカショーが中止になってしまったことだ。
「うーん、残念だったね。仕方ないよ」
そう言った水樹は、あまり残念そうには見えなかった。
それから僕らは、次の目的地へ移動しようと、水族館を出たとき、ちょうど雨が降り出してきた。
僕らはひとまず、水族館の出入り口に留まり、雨を凌ぐ事にした。
「通り雨だといいんだけど」
水樹は、そう呟き、重たい空を覗き見た。
その顔は、何かを期待しているのか、或いは、何かを心配しているのか、とにかく落ち着かない様子だった。それに、周囲を気にするように首を巡らせているのも気になった。
雨で予定が詰まってしまうことを気にしているのか?
それとも誰かを探しているのか?
僕はそんな水樹に、気を利かせて声をかけた。
「一応、折り畳み傘、持ってるけど」
僕が、折り畳み傘を取り出すと、水樹は迷惑そうな視線を僕に向けた。しかし、僕が瞬きをして、彼が言葉を返した時には、いつもの優しげな表情に戻っていた。
「あ、うん・・・・。でも、僕は持ってないから。すぐに止むと思うし、ちょっと待っていようか」
二人で入ればいいだろう、と言おうと思ったが、男同士で相傘はやはり気持ち悪いかなと思い直し、彼の提案に賛同することにした。
「そうだな」
しかし、雨は止む気配はなく、更に雨足は強まった。
やはり、さっきの降り始めのうちにバス停まで行ってしまえば良かっただろうか。
僕がそんな風に思った時だった。
僕らの背後から少女たちの話し声が聞こえてきた。
「うわー、雨降ってるよ」
「あたし、傘持ってるけど、全員は無理だね」
「仕方ないよ。ちょっと待とうか」
最後に発せられた幼くも愛らしい声に、僕は聞き覚えがあった。でも、僕の知っている声の持ち主は、もっと不愛想な口調で話す。
僕は、まさかと思いつつ振り返ろうとしたとき、先に振り返っていた水樹が声を上げた。
「おーい。花咲さん!」
僕の横で、水樹は先程までの落ち着かない表情を一変させ、まるで晴天のような笑顔で手を振っていた。
僕が遅れて振り返ると、そこにはうちの高校の制服を着た三人組の少女たちがいた。
そのうちの一人は、車いすに乗っていて、一つまとめに結ったカフェオレ色の髪を揺らしながら、水樹に手を振り返していた。
残りの二人も水樹とは面識があるようで、にこやかな表情で応じていた。
そのときーー
ザワ。
まただ。
僕の胸がざわついた。
水族館を満喫して、忘れていたはずなのに、胸が落ち着かない。
「水樹くーん!」
車いすの少女は、水樹の名前を呼びながら、車いすを滑らかに進ませると、彼の真正面に停めた。そして、明るい笑顔を水樹へ向ける。一方、横に並んでいる僕には、僅かな視線も送らない。
車いすの少女に、明るい笑顔を向けられた水樹は、彼女を見下ろしながらも、愛想の良い表情を向けた。
「花咲さん達も水族館に来ていたんだね」
すると、花咲の方も嬉しそうな表情で答えた。
「そうなの!」
いつも僕に向けられている不愛想な顔ではない。明るく、元気で、楽しそうな表情だった。
花咲ってあんな顔もできるんだ。
そう思うと、僕は彼女の事を見ることが出来なくなった。
僕は、視線を外し、歩み寄ってくる少女たちにも背を向けた。そして、早くこの場を離れたい思いで、まだ重たい空を見上げた。
早く止めばいいのに。
☆くるみのつぶやき☆
最近、京都へ行きましたけど、水族館、オシャレでしたよー。
イルカショーも、音楽と融合(?)している感じで、楽しかったです。
って、小説と全く関係ないですが・・・・。




