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白磁の檻と、這い寄る蜘蛛(上)

1.華やかなる毒杯


ジルニア王都の高級住宅街に位置する、見事な薔薇が咲き誇る白亜の邸宅。

そのテラス席では、王都の有力貴族の令嬢たちが集う、華やかな社交を兼ねたお茶会が開かれていた。


「まあ、ティール様。今日のお召し物も大変素敵ですわ。その外套の裏地の青緑、いつ拝見しても吸い込まれそうな不思議な色合いですわ」


扇子で口元を隠しながら、きらびやかなドレスをまとったオルセン公爵令嬢が、うっとりとした、しかしどこか値踏みするような視線をティールに向けていた。


特等席のソファーに深く腰掛けたティール・エルドラは、完璧な背筋を保ったまま、いつも通りフリルの袖口を揺らして白磁のカップを傾けた。

前髪の隙間から覗く冷徹な左目は、令嬢たちの偽りの笑顔をすべて見透かしているが、一切表情には出さないのは彼女の得意分野である。


「恐れ入ります、ローザ令嬢。貴女の纏う薔薇の香りこそ、今季の王都の流行を完璧に捉えていらっしゃる」


落ち着いたアルトの声色。その一言だけで、周囲の令嬢たちはため息を漏らす。

ティールにとって、この表社会の社交界は、王都の情報を収集し、裏社会のパワーバランスを維持するための「チェス盤」に過ぎない。心の中では、(早く我が家の庭園に戻って、シルヴァを撫でながら、シエルの淹れた茶を飲みたい……)と静かに退屈しているのだが、表向きは完璧な王者のポーカーフェイスを崩さなかった。


ティールの背後には、亜麻色の髪をなびかせたシエルが、いつものように完璧な給仕として控えている。

そして、そのさらに一歩後ろ。


「……ところで、ティール様。そちらの、後ろに控えていらっしゃる見慣れない殿方は?」


別の令嬢が、頬を染めながら視線を向けた。

そこにいたのは、本日のお茶会用に仕立て直された衣服を美しく着こなし、顔を凛と引き締めたグレイだった。背負った細身の大剣すら、洗練された騎士の装飾品のように見せてしまう。シエルによる長期間のスパルタマナー特訓の成果は完璧で、彼の佇まいからは荒々しい狂戦士の気配は消え、気品ある「美しき守護者」としてのオーラが放たれていた。


「私の新しい『盾』だ。グレイという。無骨な男だが、使えないわけではない」


ティールが短く紹介すると、グレイは流麗な所作で一礼した。三十三歳という大人の色気と、身体つきは無骨な騎士でありながらどこか甘い顔立ちのギャップに、若い令嬢たちの間で小さな歓声が上がる。

グレイは内心、緊張で心臓がバクバクだったが、主の名誉のために完璧な騎士を演じきっていた。



2.ひび割れる平穏、不穏な情報


しかし、華やかなお茶会の空気は、ローザ令嬢が口にした「ある噂」によって、一瞬で冷たく張り詰めることになる。


「そういえば、ティール様。耳に挟みましたわよ? ……ここ数ヶ月、王都の裏社会を騒がせていた『灰の亡霊』の事件。あれ、ティール様が直々に処理されたのでしょう?」


グレイの眉が、僅かにピクリと動いた。

ローザ・オルセン公爵令嬢は紅茶に砂糖を落としながら、クスクスと笑う。


「本当に不愉快な事件でしたわね。十七年も前に滅びた、あの忌まわしい禁忌の国の残党が、今さら王都の流通を乱すなんて。元老院の皆様も『あの国は、すべて綺麗に処理されたはずなのに、まだ生き残りの虫がいたのか』と、不快感を露わにされていましたわ」


「……」


ティールは動じず、ただ静かにカップをソーサーに戻した。カツリと微かな音が響く。


彼女の隣にたたずむグレイの胸中では、ローザの「忌まわしい禁忌の国」という言葉に、昏い怒りが過っていた。彼の過ごしたアッシュフォードは、穏やかな自然と穏やかな国民性、王族の受け継ぐ『神の瞳』を筆頭に精霊魔法の技術が発達した魔法大国だ。決して、彼女たちの言う禁忌の魔法など使用しておらず、ただ自然の美しい国だった。

十七年の時が過ぎたジルニア王国において、いわゆる情報操作など好き放題されているのだろう。自分たちの都合の悪いことはすべて隠蔽し、誤った情報を流すのは腐敗しきった上層部の人間が使う常套手段だ。


(アッシュフォードを潰したのは、その発達した魔法技術を妬み恐れた、多くの愚か者共だというのに……!!)


隣に立つシエルは、そんなグレイの空気の微震を即座に感知した。

シエルブルーの瞳が、冷酷な暗殺者のそれへと一瞬で変貌する。この無礼な女の首を、今すぐここで刎ねるべきかと静かに思考を巡らせるほどに、周囲の空気が冷え込んでいく。


だが、当の被害者の一人であるティールは、平然とした顔で令嬢に視線を移した。


「元老院の皆様が不快に思われるのも無理はありません。ですが、その亡霊は、お聞きになった通りすでに私の手で完全に処分しました。これ以上、王都の治安が乱れることはありませんよ」


ティールは低い声で、グレイを庇うように淡々と告げる。


「流石はティール様ですわ! ……ですが、気になる噂がもう一つ。元老院の直属部隊である『鉄の蜘蛛(アイアン・スパイダー)』が、最近、王都の北西スラムに不穏な動きを見せているそうですの。何か、別の『大きなネズミ』を追いかけているとか……」


『鉄の蜘蛛』。


その名を聞いた瞬間、グレイの顔が、更に強張った。

それは、十七年前のアッシュフォード王国の夜、連合軍の最前線で王城を蹂躙し、グレイの同胞たちを無慈悲に虐殺した、元老院の「暗殺執行部隊」の名前だった。

ティールの所属する王国直属の執行官組織《ノクターン》とは大きく異なる、元老院の私的な組織と言ってもいいだろう。


(奴らが、なぜ今さら動き出す……? 俺の復讐劇は、もうティール様によって幕を閉じられたはずだ。それなのに……)


華やかなお茶会の裏側で、「灰の夜」の続きが、じわじわと彼らの足元へ這い寄ってきている。そんな最悪の予感が、テラス席の陽だまりを黒く塗りつぶしていくようだった。




3.日常の裏に潜む蜘蛛の糸


夕方。他の貴族たちとのお茶会を終え、3人は夕闇に包まれた王都の帰路を歩いていた。

行きとは違い、彼らの間には重苦しい沈黙が流れている。


「……グレイ」


前を歩くティールが、歩みを止めずに低く呟いた。


「お前が起こした一連の襲撃。あれは、単なる裏切り者への復讐だったな? 他に、何か元老院の逆鱗に触れるようなものを掴んだ覚えは?」


「……いえ。俺はただ、あの日国を売った商会や貴族を順に襲っていただけです。ですが……」


グレイは胸元に手を当て、顔に苦渋を滲ませた。


「最後に襲撃した『ヴァルベルク商会』の本部で、奴らの極秘金庫から、一つの帳簿を奪いました。そこには、十七年前にアッシュフォードを滅ぼすために、どれだけの裏金を動かしたかが克明に記されていた。具体的な実行者の名前は書いていなかったはずでしたが……俺はそれを、あの廃教会に隠したままだ」


「なるほどね」


ティールは前髪の隙間から、青緑の瞳を薄く細めた。

すべてが繋がった。元老院の直属部隊『鉄の蜘蛛』が動き出したのは、グレイという亡霊を恐れたからではない。自分たちの過去の「証拠」が、裏社会に流出することを恐れたのだ。

そしてそれは、あの夜の裏切りの首謀者がまだ元老院にいることの何よりの証拠だった。


「ティール様……。奴らは、アッシュフォードの『灰の亡霊』を追う過程で、必ずあの廃教会に辿り着きます。そうなれば、いずれグレイさんとティール様の繋がりも……」


シエルが、髪を結んだスカイブルーのリボンを夜風に揺らしながら、緊迫した声で告げた。ティールが勝ち取り、自分に与えてくれた、あの穏やかで美しい「日常」。それを、元老院の汚い暗殺部隊が、泥足で踏みにじりに来ようとしている。


ーーーーーカツ……


ティールはハイヒールを止め、夜空を見上げた。

彼女にとって、過去の国の真相など今更どうでもいい。だが、自分が血を流して築き上げ、今やシエルがいて、グレイがいて、愛犬のシルヴァが膝に顎を乗せて甘えてくる、この「愛おしい今」を脅かすというのなら――話は別だった。


「仕方がないね。シエル、グレイ。……我が庭園の静寂を乱す蜘蛛どもを、一匹残らず刈り取りにいくとしよう」


「はい、ティール様! 御心のままに!」


「御意に、ティール様。この命、今度こそあなた様の盾として捧げます」


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