灰燼の記憶(上)
1.余韻
「さて、これが私の養父であるジェイド・ベルレイドという男の最期なわけだ」
話が終わった頃には、お茶会の空気は実に重たいものへと変わってしまった。
単なる養父の話かと思えば、まさかその最期まで語られてしまうとは思いもしなかったシエルとグレイは、二人で顔を見合わせてから気まずそうにティールを見やった。
「えっと…」
「不満か?だが、人はいつか皆死ぬ。ジェイドとの日々は、決して苦しいものばかりではなかったのだと、今の話でお前たちもわかっただろう。事実、この吐き気がするほど甘い紅茶も、私の中では良い思い出のひとつなのだから」
「ふ、不満だなんて!ただ、あまりにも…急だと思いまして」
最強と謳われる特級執行官。中でもティールが就任するよりも前の時代において、ジェイドはかなり優秀な魔術師であった。しかし、そんな彼がなぜ、あの日格下と思われる一味の罠にかかったのか。ティールは別の任務に赴き、単独で動いていた彼の当日の動きを知る者はおらず、そこまでの詳細を知ることは叶わなかった。
「こういう事を仕事にしていれば、例え特級執行官といえども、不測の事態に見舞われる事くらいありますからねぇ」
にこ、と場を和ませるように穏やかな笑みを浮かべたリアーネが言うと、隣の席に着いていたユーリスが足を組み替えて「まぁな」と同意した。
「あの後は、きっちり俺たちで敵討ちは果たしたけどな。ただ、当時まだギリ上級執行官ですらなかった俺たちが排除出来るような相手だったあいつらが、全部を企てたとは到底思えねぇけど」
机に肘を付き、鮮やかな紫の鋭い眼差しでティールを見れば、彼女は小さく頷いて答える
「その通りだ。特級執行官がみすみす罠にかかるような真似をするはずがない。だが…あまりにも他に証拠がなかった」
実行役と思われる術者が残した魔力痕のみが残った隠れ家。
それらを追ってたどり着いた連中も、多少名の知れた悪党共だったのだ。
ティールを筆頭に、当時のユーリス、テリオン、リアーネの4人は独断で奴らの隠れ家まで行き、文字通り皆殺しにして見せた。
それからジェイドが居た隠れ家なども再度調べはしたが、それ以上の他の者の手が加わった形跡などは全くなく、ティールたちの『第三者』の仮説は白紙に戻されることとなったのだ。
「そして、そうなればもう調べる事も出来ず、ひとまず事件は終わった事にされた…という訳ですね」
グッと何かを堪えるような表情でグレイが述べる。かつて復讐に身を投じた彼からすれば、この時の彼女達のやるせない気持ちは痛いほど理解できた。
そうして復讐心とは、やがて周りをも見えなくするものなのだと、同時に理解している。
「……思えば、私があのように過去に囚われて復讐などに身を投じたのは、後にも先にもあれ一度きりだろうな」
自嘲気味に、ティールは視線を街へと移した。
激昂し、力任せに敵を屠ったのはあれが初めてだった。あの時の我を忘れるような感覚は、今でもこの手に残っている。
実に恐ろしい感覚だった。
ただ殺意のみをもって振るわれる刃は酷く乱れ、やがて自分を飲み込む。
そうして、人は己の心に食われるのだ。
それは、ジェイドが最も危惧する状態であるのに、ティールたちは復讐の全てが終わったあとに、ようやく気付いた。
振り返り、足元にできた血溜まりと転がる骸に視線を落とし、妙な高揚感を感じたところで、ハッと我に返ったのだ。
何もかも、死に絶えた戦場。
その場を後にして、四人はジェイドの執務室に自然と集まり、リアーネの提案で彼のティーセットを使って、あの『激甘紅茶』を飲んでみることにした。
砂糖を一杯、二杯、ゆらゆらと砂糖が溶けていく歪みを眺めながら、続けて三杯、四杯……砂糖の揺らぎが最早溶け切らなくなった頃。ティースプーンでかき混ぜれば、ジェイドの特性『激甘紅茶』の出来上がりである。
「うげ!やっぱ甘すぎるな…」「糖分の過剰摂取だ…」と唸るユーリスとテリオンに、「うふふ、甘ーい」とニコニコと笑って見せるリアーネ。
全員返り血と泥にまみれ、とてもではないがお茶をする雰囲気などでは無い筈なのに、その日のティールはただ微笑んでその紅茶を飲み干した。
ただ、この穏やかな光景を、彼は望んでいたのだと。
復讐心に囚われる彼らなど、ジェイドは見たくないのだと。
────(そう、私は気づいたのだから。)
少しの沈黙の後、切り替えるように目を瞑り、やがてその長い睫毛を再び持ち上げる。
「さぁ、いい加減お茶が冷めてしまうね。頂くとしよう」
「そうですね、ジェイド様もきっと今のティール様のお姿を誇らしく思っておられる筈です。楽しむ時は、しっかり楽しまなければいけませんもの!」
運河を渡る風はどこまでも穏やかで、視界の端でシエルの勿忘草色のドレスは、ジルニアの柔らかな陽光を浴びて美しくきらめいていた。
シエルが幸せそうにフルーツタルトを頬張り、それをグレイが満足げに見守る。ティールの完璧なお茶の時間は、まさに誰にも邪魔されるべきではない、至高の時であるはずだった。
────しかし、その調和は、部屋の扉を叩く無粋な音によって呆気なく破られることとなる。
2.思わぬ知らせ
コンコンコン、と。
節度を保ってはいるが、明らかに焦りの色を帯びた、重苦しい打音が響いた。
「ティール・エルドラ様。ご歓談中、申し訳ございません。少々よろしいでしょうか」
扉の向こうから聞こえてきた声に、グレイのサファイアの瞳が一瞬で冷徹な光へと変貌した。彼は、部屋の入り口へと鋭い視線を走らせる。シエルもまた、フォークを動かす手を止め、緊張の面持ちで居住まいを正した。
「入りなさい」
ティールが紅茶のカップをソーサーへと戻し、低く冷徹な声を響かせる。
開かれた扉の向こうに立っていたのは、ここの給仕ではなかった。ジルニア王国の近衛兵が纏う、濃紺の儀礼服。その胸元には、国王直属の遣いであることを示す紋章が刻まれたブローチが光っている。
使者は部屋に足を踏み入れるなり、特級執行官であるティールに対して、最敬礼の姿勢をとった。
「────特級執行官ティール・エルドラ殿。お寛ぎのところ、大変な無礼をお許しください……陛下が、至急王宮へ来るようにと仰せです」
その言葉に、テラスの空気が一気に張り詰めた。ガルディニア帝国から帰還し、まだ数日しか経っていない。執行官本部の定期報告すらまだ免除されているこの休息の最中に、国王からの直々の召喚がかかるなど、ただ事ではない。
シエルが不安げにティールを見つめる中、当のティールはといえば、感情の読めないポーカーフェイスのまま、深く、重いため息をひとつ吐き出した。
「……また面倒なことを言われないといいが」
ティールは呆れたようにやれやれと肩をすくめ、長い指先で自身の美しい銀髪を軽くかき上げた。まるで厄介な上司に呼び出された部下のような、到底国王の呼び出しに対する態度では全くなかったがそれが許されるのが彼女である。
「休息の途中に捩じ込まれる仕事ほど、効率を著しく低下させるものはないのだがね……仕方がない。グレイ、シエル。お茶の時間はここまでだ。王宮へ行くよ」
「御意にございます、ティール様」
「はい、ティール様……!」
シエルは名残惜しそうにタルトの残りを視線で追いながらも、すぐさま副官としての真剣な表情に戻り、ドレスの裾を整えて立ち上がった。
「ははっご愁傷さま、ティール様〜」
「では、ごきげんよう、ティール先輩。また職場でお会いしましょうねぇ」
わざとらしく『様』と敬称をつけ、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるユーリスと、ヒラヒラと白い手を降るリアーネ。
これからティータイムを楽しむであろう二人を一瞥してから、美しい休日を切り裂いた無粋な案件の正体を突き止めるため、一行は王宮へと向けて馬車を走らせるのだった。




