遭遇(下)
3.馴染みある
穏やかなティータイムに割って入ってきたのは、ティールとシエルにとってあまりにも見覚えのあるシルエットだった。
「…ユーリス?」
「よっ、ガルディニアからの凱旋早々に優雅にお茶かよ。相変わらずだなぁ、お前ら」
黒っぽくも見える濃い緑色の髪。つり上がった、どこか好戦的な鮮やかな紫の眼差し。
黙っていれば端正な顔立ちに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってきたのは、執行官組織の執行部門所属ユーリス・ブラッド上級執行官である。つまり、ティールの部下に当たる人物なのだが…その隣にもう1人。
「うふふ、仲良しさんですねぇ皆さん」
「リアーネさん、こんにちは。珍しいですね!お二人でお出かけですか?」
口に放り込んでいたケーキを紅茶で押し流し、数度むせたあとに丁寧に礼をしたシエル。
彼女からすれば職場の上司でもあり、ティールに引き取られた九歳の頃から良くしてくれたお姉さん的存在でもあるリアーネ・ピオニ。ユーリスと同じく上級執行官である。
「ん〜、私はひとりでアフタヌーンティーの気分だったんですけど、ユーリス君が暇だから着いてくって聞かなくって〜」
ふわふわと緩くウェーブした淡いピンクの長い髪に、黄緑色の大きな垂れ目。のんびりとした穏やかな口調から、彼女が執行官組織の上級執行官であるなど想像もつかないが、彼女も紛れもなく名の知れた結界魔法に優れた術者である。が、今年二十五歳とティールからすれば二つ年下の彼女は、ティールにとって優秀な部下である以上に、少々癖のある妹分だった。
「おま…俺が勝手に着いてきたみたいに言うなよ。このカフェが2人以上のアフタヌーンティープランしかないから着いてきて欲しい〜って言ったのはどこのどいつだ?」
「あれ、そうでしたっけぇ?」
くすくすと微笑むリアーネのペースは独特だ。そんな彼女に振り回されるのは、昔なじみである執行官組織の彼らからすればもう慣れっこである。
「そういや、あんたが噂の亡霊だな?うちのティールとシエルが随分頑張ってあんたを匿ったらしいじゃねーの」
ずい、と身を乗り出したユーリスがグレイのサファイアの瞳を悪戯っぽい笑みを浮かべて覗き込んだ。
ティールの出勤に随従して執行官組織本部に赴いているが、あくまでも護衛騎士であるグレイが軽々しく発言することはない。故に上級執行官たる彼と直接こんな風に話したことはなかった。そもそも色々とやらかした彼を無理やり引き取っているのだから、グレイの存在は組織内でも少々異質である。
「特級執行官様が融通をきかせて引き取った男」という肩書きは、組織内で多かれ少なかれ疑惑を作った。
だが、そんな噂を断ち切ったのは他でもないユーリスを含むティールの昔なじみたちであるのは、彼らのみが知る事である。
ちなみにユーリスは今年で二十八歳になる。つまりティールよりも一歳年上で、グレイよりも五歳年下になる訳だが、その飄々とした態度からは計り知れない、内に秘めた刃の鋭さを感じ取ることができた。上級執行官という地位は伊達ではないわけだ。
彼のアメジストのような瞳に射抜かれて生唾を飲んだグレイは、大きな体を少し小さくしてきまりが悪そうに呟く。
「そ、その件に関しては返す言葉もなく。ただ申し訳ないとしか…」
そんなグレイに、ユーリスは遠慮なく肩を叩いて「良いって良いって」と笑い飛ばして見せた。
「あいつらがやりたくてやったんだ。誰も何も言いやしねーよ」
たったその一言で、グレイは彼らの中でのティールやシエルがいかに信頼されているのかを改めて理解した。
この大雑把に見える青年も、どこか穏やかすぎる雰囲気の女性も、数多の死地を乗り越えて実力と信頼を勝ち取ってきた執行官である。訓練された執行官たちの長ともなればその責任は極めて重大だ。
そんな彼らが全幅の信頼を寄せるティールがいかに大きな存在であるか、詳細を聞かずとも理解できた。
「そういえば、テリオンは仕事だったな」
「はい、テリオン君なら、昨日の夜から残業してますよぉ。ティール様が帰って来るまでに終わらせなければ…!!ってメガネが曇るくらいには熱が入ってました」
「…そうか」
想像できる、とティーカップを手に笑ったティールの表情は実に穏やかである。
テリオン・アストロイズ。同じく上級執行官であり今年三十歳になる貴族出身の男だ。超がつくほど真面目な彼は、重力魔法使いであり優秀な司令官でもある。
頭が硬すぎるのがたまにキズだが、ティールの言うことはよく聞く従順な態度は大変扱い易い。資料仕事はもっぱら彼の専門分野であり、ユーリスやリアーネが泣きつく様子は組織内でもよく見られる光景であった。
「休暇ももうすぐ終わる。仕事が滞りなく進むのは彼のおかげだな。お土産を用意してあるから楽しみにしているといい」
「やったぁ!ティール先輩大好きですぅ」
「太っ腹だなー!テリオンのやつも泣いて喜ぶだろうよ」
「あの方が涙を流すお姿は想像できませんが…」
「シエル〜比喩だよ比喩。ゾッとするだろ、あの石頭が泣いてる姿なんて」
ハハっと爽やかに笑って見せたユーリスが、立ち話もなんだと、そろそろ同じ階の予約済みのテーブルにつこうと振り向いた、次の瞬間。
「あ」
ポケットに差し込まれた彼の肘が、少し身を乗り出してシュガーポットを手にしていたシエルの身体に当たった。
「わ!」
手元が狂い、白い陶器のシュガーポットはシエルの手から滑って落下…しそうになった。
「おっと!危ねぇ」
咄嗟のところで、シュガーポットに手を伸ばしたユーリスが、自身の風魔法でシュガーポットを急停止、そして見事キャッチした────が。
ボチャボチャボチャ……
急停止されたシュガーポットから反動で溢れ出した砂糖は宙を舞い、なんと運悪くティールの飲んでたティーカップへと雪崩こんでいってしまったではないか。
「うわお」
思わず声が出たユーリスがカップの中を覗き込むと、その琥珀色は、大量の砂糖によってドロリと歪みが見え、芳しいはずの紅茶の湯気は甘い香りを伴ったものに変わってしまった。
「た、大変!すぐに入れ直しますね」
慌ててティーカップを下げようとしたシエルに、ティールは何故か制止の意を込めて片手を持ち上げた。
「待ちなさい、シエル……そのままでいい」
「え?ですが、これではまともに飲めるような代物では――」
ティールはそのまま、静かにカップを取り上げると、口元へ運び一口、その甘く淀んだ液体をふくむ。
(……甘い。胸が焼けつくほどに)
舌の奥に広がる強烈な甘み。
それは、ティールにとっては眉をひそめるような味であり――愛しくも、苦い記憶の味だった。
「あぁ……そういえばあの方も、よくこうして砂糖を山盛りに入れていましたねぇ」
ポツリと漏らされたリアーネの言葉に、「あの方…ですか?」とシエルが首を傾げると、シュガーポットを机に置いたユーリスが「あぁ」と懐かしむような笑みを浮かべた。
「ジェイドのおっさんか」
「ああ。子供は甘いものが好きだろうと……本人は自分が甘党なのもあって丁度良かったのだろうが、毎回、砂糖を4杯も入れられては、さすがの私も辟易したものだ」
やれやれと呆れ気味に、だがどこか懐かしそうに目を細めるティール。
カップから立ち上る琥珀色の甘い香りが、彼女の意識を、アッシュフォードを失って間もなく、全てを諦めて生きることだけに貪欲だったあの頃、不器用で温かい男と出会った『あの日』へと引き戻していく。
今日は気分がいい。
いつもであれば、このように過去の話など蒸し返したりはしないが、たまには良いだろう。
疑問符を浮かべたままのシエルやグレイにも、話してやっても良いかもしれない。
「……少し、昔話をしようか」




